Every generation needs a new revolution.
全ての世代が新しい革命を必要としている。
A democracy is nothing more than mob rule, where fifty-one percent of the people may take away the rights of the other forty-nine.
民主主義は暴徒の支配以上の何ものでもない。51%の人々が他の49%の人々の権利を奪うかもしれないのである。
これらはマルクスのものでもレーニンのものでも毛沢東やカストロのものでもない。アメリカ建国の父の雄、トマス・ジェファーソンの言葉だ。
「人民の2人の敵は犯罪者と政府である。したがって、第2(政府)が1番目(犯罪者)の合法化バージョンにならぬように、憲法の鎖で羽交い締めにしよう。」
・・・これも彼の言葉で、この簡単な一言に立憲主義の本質がある。
日本という国は紛れもなく立憲国家だが、現在の政府の長は、何故かできない(してはいけない)はずの“改憲”を声高に叫んでいる。つまり「立憲」という言葉の意味も知らない、は知ろうとしない、あるいは知っていても知らないこととする人間が国家権力の中枢にいるということだ。国民にとってこんな危険なこともない。
では、なぜ多くの国民が結果的に自分たちを痛めつけることになるであろう人間や政権を支持するのか・・・思い付く原因はいくつかあるが、詰まりは“衆愚”としか言いようがないであろう。自分を守る最高の武器を持ちながらその扱い方を知らず、敵に玉を与え、錆付くにまかせるという愚かさである。
「政府は、共同体一人ひとりのメンバーを強力な権力でつぎつぎと押さえ込み、都合よく人々の人格を変質させたあと、その超越的な権力を社会全体に伸ばしてくる。この国家権力は細かく複雑な規制のネットワークと、些細な事柄や征服などによって社会の表層を覆った。そのために、最も個性的な考え方や最もエネルギッシュな人格を持った者たちが、人々を感銘させ群集の中から立ち上がり、社会に強い影響を与えることができなくなった。
人間の意志そのものを破壊してしまうことはできないが、それを弱めて、捻じ曲げて、誘導することはできるのだ。国家権力によって人々は直接その行動を強制されることはないが、たえず行動を制限されている。こうした政府の権力が、人間そのものを破壊してしまうことはないが、その存在を妨げるのだ。専制政治にまではならないが、人々を締め付け、その気力を弱らせ、希望を打ち砕き、消沈させ、麻痺させる。そして最後には、国民の一人ひとりは、臆病でただ勤勉なだけの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる」
―アレクシス・ド・トクビル(Alexis de Tocqueville、1805年 - 1859年)『アメリカの民主体制』より (ウィキペディア)
これは予言的歴史家とも呼べるトクヴィルの実に分かりやすい洞察だ。昨今のわが国の様子を見ながら、おしまいの一文に思い当たることはないだろうか・・・。
全ての世代が新しい革命を必要としている。
A democracy is nothing more than mob rule, where fifty-one percent of the people may take away the rights of the other forty-nine.
民主主義は暴徒の支配以上の何ものでもない。51%の人々が他の49%の人々の権利を奪うかもしれないのである。
これらはマルクスのものでもレーニンのものでも毛沢東やカストロのものでもない。アメリカ建国の父の雄、トマス・ジェファーソンの言葉だ。
「人民の2人の敵は犯罪者と政府である。したがって、第2(政府)が1番目(犯罪者)の合法化バージョンにならぬように、憲法の鎖で羽交い締めにしよう。」
・・・これも彼の言葉で、この簡単な一言に立憲主義の本質がある。
日本という国は紛れもなく立憲国家だが、現在の政府の長は、何故かできない(してはいけない)はずの“改憲”を声高に叫んでいる。つまり「立憲」という言葉の意味も知らない、は知ろうとしない、あるいは知っていても知らないこととする人間が国家権力の中枢にいるということだ。国民にとってこんな危険なこともない。
では、なぜ多くの国民が結果的に自分たちを痛めつけることになるであろう人間や政権を支持するのか・・・思い付く原因はいくつかあるが、詰まりは“衆愚”としか言いようがないであろう。自分を守る最高の武器を持ちながらその扱い方を知らず、敵に玉を与え、錆付くにまかせるという愚かさである。
「政府は、共同体一人ひとりのメンバーを強力な権力でつぎつぎと押さえ込み、都合よく人々の人格を変質させたあと、その超越的な権力を社会全体に伸ばしてくる。この国家権力は細かく複雑な規制のネットワークと、些細な事柄や征服などによって社会の表層を覆った。そのために、最も個性的な考え方や最もエネルギッシュな人格を持った者たちが、人々を感銘させ群集の中から立ち上がり、社会に強い影響を与えることができなくなった。
人間の意志そのものを破壊してしまうことはできないが、それを弱めて、捻じ曲げて、誘導することはできるのだ。国家権力によって人々は直接その行動を強制されることはないが、たえず行動を制限されている。こうした政府の権力が、人間そのものを破壊してしまうことはないが、その存在を妨げるのだ。専制政治にまではならないが、人々を締め付け、その気力を弱らせ、希望を打ち砕き、消沈させ、麻痺させる。そして最後には、国民の一人ひとりは、臆病でただ勤勉なだけの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる」
―アレクシス・ド・トクビル(Alexis de Tocqueville、1805年 - 1859年)『アメリカの民主体制』より (ウィキペディア)
これは予言的歴史家とも呼べるトクヴィルの実に分かりやすい洞察だ。昨今のわが国の様子を見ながら、おしまいの一文に思い当たることはないだろうか・・・。