碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

ギャラクシー賞の今後

2023年06月30日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

ギャラクシー賞の今後

 

5月31日、第60回ギャラクシー賞(放送批評懇談会主催)の贈賞式が行われた。メインイベントは、すでに公表されていた「入賞作」から選ばれる「大賞」の発表だ。

今回、「テレビ部門」では大賞候補といえる入賞作が14作品あった。ラインナップを見ると、2022年におけるテレビの“成果”が概観できる。

14本のうち、ドラマは連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」(NHK)、「エルピス-希望、あるいは災い-」(関西テレビ放送)、そして「ブラッシュアップライフ」(日本テレビ放送網)など5本だ。いずれも高く評価された作品であり、ドラマの豊作年だったことがよくわかる。

残りの9本はドキュメンタリーなどのノンフィクション系だ。決定的な物証も自白もないまま有罪となった事件を、死刑執行から20年以上を経て問い直し、文化庁芸術祭賞の大賞を受賞したBS1スペシャル「正義の行方~飯塚事件 30年後の迷宮~」(NHK)。

安倍晋三元首相銃撃事件で明らかになった、日本の政治と旧統一教会との深い関係を掘り下げ、いち早く報じた報道1930「激震・旧統一教会と日本政治~問われる政治との距離感は」(BS―TBS)など、こちらも秀作が並んでいた。

最終的に、テレビ部門の大賞に選ばれたのは「エルピス」である。冤罪事件をテーマに、権力や忖度や同調圧力などに挑む者たちを描いただけでなく、メディアのあり方にも一石を投じる優れたドラマだった。

ただ、この結果を知った時、強く感じたことがある。長い歴史を持つギャラクシー賞だが、そろそろドラマとドキュメンタリーを同じ「テレビ部門」で審査する形を変えてもいいのではないか。

賞の審査は最終的に優劣を決めることになる。ドラマの「エルピス」が大賞で、「激震・旧統一教会と日本政治」が優秀賞、「正義の行方」は選奨という序列だが、ジャンルという足場が異なる作品を同じ土俵に上げて審査することに、どこか無理はないだろうか。

放送に関する他の賞はドラマ部門とドキュメンタリー部門が分かれているものがほとんどだ。「エルピス」の大賞に拍手を送りつつ、ギャラクシー賞の今後を思った。

(しんぶん赤旗「波動」2023.06.29)

 


〝大人のドラマ〟の傑作「グレースの履歴」

2023年05月19日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

〝大人のドラマ〟の傑作

 

3月から5月にかけて、見事な〝大人のドラマ〟を堪能した。NHK・BSプレミアムとBS4Kで放送された「グレースの履歴」(全8話)だ。

主人公は製薬会社の研究員、蓮見希久夫(滝藤賢一)。子どもの頃に両親が離婚し、唯一の肉親だった父も他界した。家族はアンティーク家具のバイヤーである妻、美奈子(尾野真千子)だけだ。

仕事を辞めることを決意した美奈子は、区切りの欧州旅行に出かける。ところが旅先で不慮の事故に遭い、急死してしまう。

希久夫は現れた弁護士から、実は美奈子が命にかかわる病気の治療を続けていたことを告げられる。呆然とする希久夫に遺されたのは、美奈子が「グレース」と呼んでいた愛車、ホンダS800だけだった。

希久夫がグレースのカーナビに触れると、履歴に複数の見知らぬ場所が表示される。日付によれば、美奈子が走ったのは欧州に旅立つ前の一週間。彼女は希久夫に出発日をずらして伝えていたことになる。

一体、誰に会いに行ったのか。疑ったのは男の存在だった。履歴に記された街に向かってグレースを走らせる希久夫。

藤沢、松本、近江八幡、尾道、そして松山。待っていたのは希久夫自身の過去であり、美奈子の切実な思いだった。

このドラマ、今は亡き愛する人が仕掛けた謎を追う、いわばロードムービーだ。古いクルマでの移動だからこそ味わえる、美しい日本の風景。歴史のある街に暮らす、かけがいのない人たち。画面の中には、ゆったりとした時間が流れている。

また、このドラマのテーマは〝再生の旅〟である。そこには人生の苦みや痛みもあるが、まさに再び生きるための旅であり、出会いである。

しかも主人公だけの再生の物語ではない。それを深みのある映像と、絞り込んだセリフで構成することで成立させている。

原作・脚本・演出は源孝志。本作同様、脚本・演出を手掛けた新感覚チャンバラドラマ「スローな武士にしてくれ~京都 撮影所物語」(NHK・BSプレミアム、2019年)などの秀作がある。

極上のエンタメとしての〝源ドラマ〟は、それ自体が一つのジャンルだ。「グレースの履歴」の一挙再放送を熱望しつつ、次回作を待ちたい。

(しんぶん赤旗「波動」2023.05.18)

 


ETV特集「沖縄の夜を生きて~基地の街と女性たち~」

2023年04月07日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

沖縄から届いた声

 

3月25日、ETV特集「沖縄の夜を生きて~基地の街と女性たち~」(NHK)が放送された。

終戦後、アメリカの統治下にあった沖縄。基地の周辺には米軍の認証を受けたバーやクラブが林立しており、それらの店は「Aサイン」と呼ばれた。認証を受けていない店も多く存在し、全体として大歓楽街となった。

そんな街に集まってきたのが、沖縄戦で家族の命を奪われ、生きる術(すべ)を失った若い女性たちだ。彼女たちの中には沖縄本島の出身者だけでなく、周辺の離島から来た者が少なくない。特に奄美大島出身者が多かったことが判明している。奄美は耕地が乏しかった。

その上、米軍統治のために本土と切り離されてしまったことで、島民は出稼ぎ先を失う。しかも終戦後には深刻な飢餓に陥っていたのだ。番組では奄美出身者を中心に、かつて店を経営していた人、ホステスだった人など当事者が証言していく。

91歳の女性は戦争で12歳までしか学校に行けず、1960年代のコザでホステスになった。「男の人、触ってくるのが嫌でね。みんなパンツを2、3枚履いてた。私は無学だったから事務所とかでは働けない。ハウスメイドかホステスか、それくらいだった」

また83歳になる元ホステスの女性が語る。「兄さんもお金がないから私のところに来る。姉さんも子どもが5、6人いてお金がない。みんな店に行ってツケで食べて、それを私が払ってきた」

さらに72歳の女性は出産と離婚を経験した後、18歳でホステスになった。店には「男に貢いで借金した子、男に売られて来た子とか、いろいろ」な女性がいたと言う。

どの人もテレビカメラの前で話すどころか、これまで誰にも明かさなかった自身の過去を率直に語っている。そこには取材する側とされる側の間の信頼関係があり、ディレクターの植田恵子と杉本美泉の誠実な取材姿勢が反映されている。

昨年、沖縄は「復帰50年」を迎えた。この番組も本来は昨年流される予定だった。しかしコロナ禍で制作中断を余儀なくされてしまい、ようやく今回の放送となった。沖縄の女性たちが実名で語り残してくれた辛い体験を、多くの人が共有することが出来たのだ。

(しんぶん赤旗「波動」2023.04.06)

 


「正義の行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜」(NHK)が示す、ドキュメンタリーの力

2023年02月24日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

ドキュメンタリーの力

 

今月15日、令和4年度(第77回)文化庁芸術祭賞の贈呈式が行われた。

テレビ・ドキュメンタリー部門の「芸術祭大賞」を受賞したのが、BS1スペシャル「正義の行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜」(NHK)だ。

1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された「飯塚事件」。犯人とされた男性は2008年に死刑が執行された。

しかし、えん罪を主張する再審請求が何度も提起され、事件をめぐる動きは現在も続いている。

番組の軸となっているのは当事者たちからの詳細な聞き取りだ。警察官、法医学者、新聞記者などの証言を丹念に再構成していく。裁判で特に重視されたのが、検察によるDNA鑑定と事件当日の目撃証言だ。

番組が進むにつれ、どちらの信ぴょう性も危ういことが分かってくる。

中でも興味深いのが事件を伝え続けた新聞記者たちだ。男性が犯人だとする警察発表をベースに記事を書いてきたが、死刑執行から約10年後に独自の「調査報道」を開始する。その調査対象には自社の記事も含まれた。

記者の一人が言う。「司法というのは信頼できる、任せておけば大丈夫と思ってきたけれども、そうではないと。このことこそ社会に知らせるべきだし、我々の使命だと思っています」

この番組が優れているのは、「えん罪か否か」をテーマとしていないことだ。制作した木寺一孝ディレクターがこだわったのは、事件の当事者がそれぞれに抱える「真実」と「正義」だった。

そのために立場の異なる人たちの考えを多角的に取材し、双方がぶつかり合う様子も提示している。飯塚事件では、決定的な証拠や自白がない中、集められた状況証拠によって死刑判決が下された。

今となっては本人に疑問点を質すことも不可能だ。自分ならどう判断するのか。番組を通して「人が人を裁く重さ」を体感してもらうことが最大のねらいであり、結果的に事件の全体像と司法のあり方に迫る秀作となった。

文化庁芸術祭の公演や作品への贈賞は、今年度で終了することが決まっている。77年を経てメディア環境が激変しつつある現在、テレビ・ドキュメンタリーの持つ力を示してくれたこの作品が、最後の大賞を受賞したことの意義は大きい。

(しんぶん赤旗「波動」2023.02.23)


放送開始70年のテレビ

2023年01月16日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

放送開始70年のテレビ

 

1953年(昭和28年)2月1日にNHK東京テレビジョンが、8月28日に日本テレビ放送網が放送を開始した。今年は「テレビ放送開始70年」という記念の年にあたる。

当時、VTRという映像記録装置はまだなかったため、ドラマも含むほとんどの番組が生放送だった。

とはいえ現在のように深夜も含めてほぼ一日中放送があったわけではない。当初は昼頃と夕方から夜9時までという短時間の放送だった。

この年、NHKの受信契約数は866件。当時日本に存在した受像機の台数とほぼ同数といわれている。ほとんどがアメリカからの輸入品で価格は約25万円。大卒の初任給が1万5千円前後の時代であり、現在に換算すれば300万円を超す高額商品だった。

放送開始時点で最も注目すべきは、最初からNHKが視聴者から受信料を受け取る「有料放送」で、日本テレビがスポンサーのCMを入れての「広告放送=無料放送」だったことだ。

つまり現在に至るまで、基本的な「ビジネスモデル」は変わっていないのだ。特に民放の場合、テレビは新たな「広告媒体」に他ならなかったことは再認識すべきだろう。

70年が過ぎて、テレビの状況は激変した。今や完全にインフラ化したインターネットの影響が大きい。かつてのテレビ放送のシステムは、コンテンツ=番組、受信装置=テレビ、そして流通経路=電波だった。

だが現在は、コンテンツ=番組、受信装置=テレビ・携帯電話・パソコン、流通経路=電波・ケーブルテレビ・インターネットという具合だ。

受信装置の多様化によって、テレビの広告媒体としての価値を支えてきた「視聴率」も、以前と同じ尺度ではなくなった。

しかし受信装置や流通経路がどれだけ変わっても、番組の重要性に変わりはない。

たとえば昨年放送されたドラマ「エルピス―希望、あるいは災い―」(カンテレ制作・フジテレビ系)は、ドラマ自体の既成概念を超える意欲作だった。そこには1人の制作者の強い思いがあった。たとえ使用する装置や経路が異なっていようと、見る側は敏感に反応したのだ。

どんな番組を作るのか。70年を経たテレビの生命線は今もそこにある。

(しんぶん赤旗「波動」2023.01.12)

 

 


「ザ・トラベルナース」異色の医療ドラマ登場

2022年11月29日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

異色の医療ドラマ登場

 

この秋、複数の「医療ドラマ」が登場した。共通するのは、「私、失敗しないので」などと豪語するようなスーパードクターがいないことだ。

中でも異色作と呼べるのが、岡田将生主演「ザ・トラベルナース」(テレビ朝日系)である。

トラベルナースとは、有期契約で仕事をするフリーランスの看護師。主人公の那須田歩(岡田)もシカゴの病院から日本の病院へと異動してきた。

このドラマを際立たせているのは、那須田と同時に赴任してきたベテランのトラベルナース、九鬼静(中井貴一)の存在だろう。

アメリカでは高度な資格を持つ看護師による医療行為が可能だ。那須田は日本ではそれができないことにイラ立つ。加えて看護師を見下す医者の態度も許せない。

だが、九鬼は「医者に盾つくのはバカナース」と笑い飛ばし、看護師の立場を踏まえながらも、巧みな言動で医者たちを自在に操っていく。

また「ナースは尊敬されない」「医者の指示がなければ何もできない」と不満をもらした同僚の女性看護師たちを優しく諭す。

「医者は病気しか治せませんが、ナースは人に寄り添い、人を治すことができます」。この〈第2の主人公〉が物語に奥行きを与えている。

たとえば第3話に登場した患者(村杉蝉之介)は、女性看護師に対するセクハラ・パワハラ三昧だった。さらに隠れて酒を飲んで転倒し骨折すると、病院の責任だと主張した。

九鬼は、この患者の行いを音声や映像で記録する。それを突き付けられて怒る相手に、こう言った。「あなたの腐った性根を治して差し上げたいだけです」と。

優しさと厳しさ。不動の信念とそれを支える確かな看護力。九鬼は患者を、医者を、そして那須田たち看護師をも少しずつ変えていく。

この「おじさんナース」、一体何者かと思っていたら、トラベルナースを世界各地に派遣する財団の理事長だと判明して……。

主演の岡田の健闘と同時に、中井の硬軟織り交ぜた演技が光る。シリアスとコミカルのバランスが絶妙なのだ。

そして脚本の中園ミホと制作陣は「ドクターX」のチーム。異色の医療ドラマは、新たなシリーズを形成しそうな1本となっている。

(しんぶん赤旗「波動」2022.11.28掲載分)

 


旧統一協会と政治家

2022年10月18日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

旧統一協会と政治家

 

安倍元首相が演説中に銃撃され、亡くなった事件から約3ヶ月。事件全体の解明はこれからだが、旧統一協会に対する社会の関心は高まっている。

振り返れば、「霊感商法」「合同結婚式」「高額献金」などで旧統一協会が社会問題化したのは1980年代である。やがて95年に地下鉄サリン事件が起きると、メディアと市民の目はオウム真理教へと向けられた。

カルトといえばオウム真理教が代名詞となると同時に、旧統一協会に対する追及は不完全燃焼のまま途絶えてしまう。しかし、この30年間、協会は名称を変更しながら延命してきた。その事実をあらためて突きつけられたのが、今回の事件だ。

今月2日、NHKスペシャル「安倍元首相銃撃事件と旧統一教会~深層と波紋を追う~」が放送された。視聴する前、知りたいことは主に3つあった。旧統一協会とは何か。銃撃事件との関係。政治家との関わりだ。

番組は韓国取材も行い、協会関係者の貴重な証言を得る。明らかになったのは、日本からの献金が食品業や建設業といった協会の「営利企業」を支えている構造だ。「日本の信者たちがどうなろうと関係ない」という本音も聞くことが出来た。

次に銃撃事件との関係だが、山上容疑者の家族が破滅的な状況に追い込まれたことには触れていた。ただし、その殺意形成の過程については今後の取材に期待したい。

そして今、多くの人が注目している政治家との関わりについて、番組はかなり詳細に伝えている。自民党では党幹部など180人が関係していた。公明党が3人、立憲民主党は16人、日本維新の会が15人だ。ちなみに日本共産党は0人だったことも報じていた。

選挙支援という甘い蜜に群がった政治家たちの実態が、いくつかの証言によって浮かび上がっていく。こちらも献金と同様、一種のシステムとして機能してきたものであり、地方議員などの現状を考えても、協会との関係を断ち切ることの難しさがよく分かる。

協会は「改革に取り組む」と言い、政治家は「関係を一切絶つ」と言う。しかし言葉通りに進むとはとても思えず、継続報道の必要がある。問題の奥深さを十分再認識させてくれる1本だった。

(しんぶん赤旗「波動」2022.10.17)


名作ドラマの再放送

2022年07月05日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

名作ドラマの再放送

 

6月下旬から3週にわたって、NHKBSプレミアムとBS4Kで、ドラマ「ハゲタカ」(全6話)が再放送された。最初の放送は2007年。企業買収劇と人間ドラマを描いた名作である。

タイトルのハゲタカは、弱い企業を安く買収して企業価値を高め、株価が上昇した時点で売却する、企業買収ファンドを指す経済用語だ。

物語の始まりは1998年。米国投資ファンドの敏腕マネージャー・鷲津政彦(大森南朋)が、バブル経済崩壊後、不良債権処理で青息吐息の日本に帰国する。目的は「日本買い」だ。かつて自分が勤めていた三葉銀行が所有する、不良債権を買い叩いていく。

その後、老舗旅館や玩具メーカーなどに債権者として乗り込み、会社の売却を目論む鷲津。それを阻止して、企業再生の道を探ろうとするのが、鷲津の銀行時代の上司・芝野健夫(柴田恭兵)だ。ドラマは因縁の2人の攻防戦を軸に展開する。

起伏に富んだストーリー。俳優陣の迫真の演技。そして的確な演出と力のある映像。経済ドラマというジャンルを超え、ドラマならではの醍醐味を堪能できる作品だった。

原作は真山仁の小説だ。脚本は「医龍」(フジテレビ系)などの林宏司。プロデューサーが「あまちゃん」の訓覇圭。演出陣には「龍馬伝」の大友啓史や「ちゅらさん」の堀切園健太郎がいる。最強の布陣と言っていい。

また今年の4月から6月にかけては、松本清張原作の名作ドラマも総合テレビで再放送された。「けものみち」「天城越え」「ザ・商社」だ。3本とも、演出を手掛けたのは鬼才と呼ばれた和田勉であり、見る価値のある好企画だった。

現在、NHKオンデマンドなどで、過去のドラマを視聴することが可能だ。とはいえ、見たい作品を自分で探し出さなくてはならない。年齢層によってはハードルが高い。その点、再放送は普段の視聴スタイルのままで名作と出会うことができる。難点は再放送が不定期であることだ。

たとえば、「名作ドラマ枠」の定時番組があれば、多くの支持を得るのではないだろうか。外部の専門家たちを「キュレーター(学芸員)」として、放送する名作を選んでもらうのも悪くない。

(しんぶん赤旗「波動」2022.07.04)

 


NHK内部で何が起きているのか

2022年05月24日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

NHK内部からの声

 

最近のNHKに対して違和感があった。

たとえば、昨年末にBS1で放送された「河瀨直美が見つめた東京五輪」。一般男性の取材映像に「お金を受け取って、五輪反対デモに参加した」という事実無根の字幕を表示していたのだ。

なぜこんな番組作りがまかり通ってしまったのか。

発売中の「文藝春秋」6月号に、「前田会長よ、NHKを壊すな」が掲載された。

10ページに及ぶ文章を寄稿したのは「職員有志一同」。番組制作局や報道局などに所属する、30代から50代の十数名だ。現在NHKが陥っている危機的状況について書かれている。

問題は、銀行出身の前田晃伸会長が推し進める「改革」の実態だという。

「縦割り制度の打破」をうたい文句に、記者・ディレクター・アナウンサーなどの職種に分かれていた「放送」職を、まとめて「コンテンツクリエイター」とした。

加えて、「放送」「技術」「管理」といった職種別採用も廃止してしまったのだ。

これまでNHKは職種別の人材育成システムを活かし、高いレベルの専門性とスキルを武器にしてきた。

前田会長の主張は「ジェネラリストを養うことが大事」とのことだが、一概にそう言えないのが放送の世界だ。

大阪放送局では、文化番組部、芸能番組部、報道番組部を統一して「コンテンツセンター」が作られた。ディレクターの専門性も責任の所在も曖昧になり、その結果があの五輪番組だったのだ。

次に、極端な「コストカット」が断行されている。

前田会長は昨年1月に「経営計画」を発表し、事業規模の10%にあたる約700億円の経費削減を宣言。2波ある衛星放送も1波に統合される予定だ。

有志たちは、すでに「ドキュメンタリー文化の荒廃」が始まっていると警鐘を鳴らす。

さらに50代以上の職員の「リストラ」も進んでいる。しかし、NHKの番組の品質を維持してきたのは、この年代の作り手だったのではないか。

縦割り打破、コストカット、そしてリストラ…。

当然だが、NHKは民間企業ではない。経済的合理性よりも優先されるべきは、社会の公器として国民の知る権利に応えることだ。

有志たちが問いかけているのは「公共放送の意義」である。

(しんぶん赤旗 2022.05.23)

 


『妻、小学生になる。』が問う、「家族」という存在

2022年04月04日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

「家族」という存在

 

思えば、奇抜な設定のドラマだった。3月25日に幕を閉じた、「妻、小学生になる。」(TBS系)である。しかし、その奇抜さには意味があった。「家族」とは何かという問いかけだ。

10年前、新島圭介(堤真一)は、妻の貴恵(石田ゆり子)を事故で失った。それからは娘の麻衣(蒔田彩珠)との2人暮らしだが、どちらも生きることに無気力になっていた。良き妻、良き母だった貴恵への依存度が高すぎたのだ。

ある日、父娘の前に見知らぬ小学生、白石万理華(毎田暖乃)が現れる。しかも、自分は「新島貴恵」だと主張するのだ。真相としては、貴恵が万理華の体を借りる形で一時的に現世に戻ったことになる。やがて来る2度目の別れは必然だった。

最終回では、万理華の姿をした貴恵との「最後の一日」が描かれた。だが、それは特別なものではない。一緒に朝食を作り、食卓を囲む。3人で麻衣の洋服を買いに出かける。あくまでも「日常」だ。けれど、家族で過ごす日常がどれほど愛しいものなのか、じわりと伝わってくる。

東日本大震災を経験したことで、また今も続くコロナ禍の中で、私たちはごく当たり前の生活のありがたさを知った。また最も身近な存在である家族の大切さも。

特に最終回には、印象に残る言葉がいくつも埋め込まれていた。たとえば貴恵が夫に言う。

「(これからも)思いもよらないことがあるかもしれない。いろんな幸せをたくさん見つけてね」。さらに「あなたが隣りにいてくれて、本当に幸せだった」。そして娘には「生まれてきてくれた瞬間から、ママをいっぱい幸せにしてくれたの。今でも麻衣にはそういう力がある」。

こうした場面を成立させていたのが、“小さな大女優”毎田だ。朝ドラ「おちょやん」で見せた達者な演技が一層進化している。毎田の中に石田が入っているとしか思えないほどだった。いわば、もう一人の「主役」だ。

人生は誰にとっても永遠ではない。人は結末の見えない有限の時間を生きている。その時間の使い方の中に「生きることの意味」を見出せるのだと、このドラマは伝えていた。滋味あふれる佳作だったと言っていい。

(しんぶん赤旗「波動」2022.04.04)

 


「ニュース」とは何か?

2022年02月09日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

「ニュース」とは何か?

 

大学生に「紙の新聞を日常的に読むか?」と訊いたことがある。約100人中、手を挙げたのは5人ほど。多くの学生が「ニュースはネットで読みます」と当然のように答えていた。

黒木華主演「ゴシップ #彼女が知りたい本当の○○」(フジテレビ系)。舞台はニュースサイトの編集部だ。思えば昨年秋の「和田家の男たち」(テレビ朝日系)も、相葉雅紀が演じた主人公はネットニュースの記者だった。ただし「ゴシップ」では、「和田家」よりもネットの世界がよりシビアに描かれていく。

ニュースサイト「カンフルNEWS」は、ヒロインの瀬古凛々子(黒木)が編集長になるまで、掲載されるのはネットなどで流通している情報に手を加えただけの、いわゆる「コタツ記事」ばかりだった。

凛々子は部員たちの企画を「新鮮味なし」「プレスリリースからのコピペ」と一蹴。「取材・検証・実体験のない情報を収集して書いた、凡庸かつ内容の薄い記事」と容赦ない。そのうえで凛々子がとった方針は、ネットで話題となっている話を「本当はどうなのか?」と検証することだった。

たとえばパワハラ企業の評判を否定した、ゲームアプリ会社の人気キャラクターが盗作であることを突きとめる。報じられた有名俳優の「円満離婚」の真相を明らかにする。またネットで人気の覆面女子高生シンガーの正体にも迫った。結果的にネット情報の信憑性や危うさが浮き彫りになっていく。

しかし凛々子がしているのは、実は「記者」なら当たり前の「取材」という行為だ。時間と手間をかけた取材は新聞が存在する意義の一つだが、それをネットニュースでやっているから新鮮に見えるのだ。では、取材なしで成立する「ニュース」とは一体何なのか。

毎日新聞の記者だった石戸諭の著書「ニュースの未来」に、良いニュースの定義が出てくる。それは「事実に基づき、社会的なイシュー(論点、争点)について、読んだ人に新しい気づきを与え、かつ読まれるもの」だ。

そしてドラマの中で凛々子はこんなことを言っていた。「事実をどう受けとめるかは相手次第。ただ、事実をどう伝えるかは私たち次第です」と。名言かもしれない。

(しんぶん赤旗「波動」2022.02.07)

 


朝ドラとラジオの運命

2021年12月21日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

朝ドラとラジオの運命

 

連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」(NHK)が好調だ。放送前、「3世代のヒロイン、100年の物語」を半年で見せると聞いて心配した。何しろ主演女優が3人いるのだ。1人当たり2ヶ月。見る側がついていけないのではないかと思ったのだ。しかし杞憂だった。

過去に朝ドラ「ちりとてちん」も手掛けた、藤本有紀の脚本はスピーディーなのに濃密だ。舞台は戦前から戦後の岡山。和菓子屋の娘、安子(上白石萌音)が経験する恋、結婚、夫の出征と戦死、出産と子育てなどが丁寧に描かれてきた。

そして、もう1人の家族のように、安子に寄り添ってきたのがラジオの英語講座だ。特に実在の講師、平川唯一(声・さだまさし)の温かい語りかけが励ましとなった。戦時中は敵性語だった英語と親しんだことで、安子の人生は思わぬ展開を見せるのだが、上白石にはこの前向きなヒロインがよく似合う。

一方、ラジオの前で楽しそうに英語講座を聴く母娘の姿を見ていて思い出したことがある。今年1月に発表された「NHK経営計画(2021-23年度)」だ。

スリム化による構造改革を目指して、「保有するメディアの整理・削減」を宣言。衛星波と共にラジオもその対象となったのだ。25年度に現在の3波(R1ラジオ第1/R2ラジオ第2/FM)から2波(AM/FM)へと削減する予定だが、この場合、R2が消えるだろう。

NHKは「民間放送のAMからFMへの転換の動きやリスナーへの利用実態調査の結果などを考慮」するという。しかし公共放送のラジオには独自の機能や役割があり、本来、民放に追随する必要はないはずだ。

R2は語学講座などの教育・生涯学習面や防災面で有効な上に、大きなコストもかかっていない。改革自体が目的化された結果、BSやラジオなど扱いやすそうな部分を整理・削減の対象とした印象が強いのだ。

ラジオ100年の歴史と待ち受ける危機。ならば今回の朝ドラは、消えゆく運命にある「ラジオ講座」への哀悼なのか。それとも消してしまうことへの贖罪(しょくざい)なのか。「皆さま(エヴリバディ)のNHK」の姿勢が朝から問われている。

(しんぶん赤旗「波動」2021.12.20)

 


「北の国から」幻の新作

2021年10月20日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

「北の国から」幻の新作

 

連続ドラマ「北の国から」(フジテレビ系)が始まったのは1981年10月9日。翌年3月に全24話が終了した後も、スペシャル形式で2002年まで続いた。今年は放送開始40周年に当たる。

約20年の間に、壮年だった黒板五郎(田中邦衛)は60代後半を迎えた。また小学生だった純(吉岡秀隆)や螢(中嶋朋子)は大人になっていき、仕事、恋愛、結婚、さらに不倫までもが描かれた。

ドラマの中の人物なのに、見る側はまるで親戚か隣人のような気持ちで黒板一家を見守った。この「時間の共有」と「並走感」は、「北の国から」の大きな魅力だ。

最後の「2002遺言」から、さらに20年の歳月が流れた。だが、多くの人にとって、物語は今も続いているのではないだろうか。

思えば、確かに五郎は遺言を書いていた。しかし亡くなったわけではなかった。純や螢もこの遺言書を目にしていない。

あれからずっと五郎は富良野で、そして子どもたちはそれぞれの場所で元気に暮らしている。見る側はそんなふうに想像しながら20年を過ごすことが出来たのだ。

実は今年、倉本聰は「北の国から2021」にあたるシナリオを書き上げていた。読ませてもらうと、そこでは黒板一家が東日本大震災をどのように体験し、昨年からのコロナ禍とどう向き合っているのかが明かされている。

札幌で医療廃棄物の処理を担っている純。福島で看護師として働いている螢。2人の仕事場はコロナ対応の最前線だ。

その一方で、五郎は自身の「最期」を考え始めていた。望んでいるのは「自然に還ること」だ。今年3月、五郎を演じてきた田中邦衛が亡くなった。主演俳優の不在を承知の上で、新たな「五郎の物語」の構築に挑んだ倉本に敬意を表したい。

この新作を倉本はフジテレビに渡したが、最終的にドラマ化は実現しなかった。もちろん様々な事情が存在したのだろうが、視聴者にとっても、フジテレビにとっても残念な判断だったと思う。

ドラマは時代を映す鏡だ。「北の国から2021」が見せてくれるはずだった、この国の過去20年と現在。黒板五郎という国民的おやじが選択した「人生の終(しま)い方」。幻の新作がドラマとして流される日を待ちたい。

(しんぶん赤旗「波動」2021.10.18)

 


「青天を衝け」現代を逆照射できるか

2021年03月10日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

大河ドラマ「青天を衝け」

現代を逆照射できるか

 

NHK大河ドラマ「青天を衝け」が始まった。主人公は渋沢栄一。天保11年(1840)に現在の埼玉県深谷市の農家に生まれ、一橋慶喜の家臣として幕末を生き、明治維新後は官僚となった。

やがて実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)、東京海上保険(現・東京海上日動火災保険)、東京商法会議所(現・東京商工会議所)などの設立や運営に携わる。創設に奔走した会社は500を超え、「日本資本主義の父」と呼ばれている。昭和6年(1931)没。91歳だった。

とはいえ、名前は知っていても業績や人物像はよく分からないという人が多かったはずだ。いきなり注目が集まったのは2019年4月。24年に発行される新一万円札の肖像画に決まったのだ。

当時、NHKでは21年の大河ドラマの主人公を検討中で、渋沢も候補の一人だった。すでに抜擢されていた脚本家は、15年の連続テレビ小説「あさが来た」を手掛けた大森美香だ。波瑠が演じたヒロインのモデルだった広岡浅子と同時代の大物実業家として浮上したのかもしれない。

いずれにしても渋沢を主人公に決めた時点では、新型コロナウイルスは出現していなかった。その波乱に満ちた生涯を描けば、異色の「偉人伝」になると思ったはずだ。

しかしコロナ禍は社会全体を大きく変えた。政治や経済はもちろん、当り前と考えられてきたものを見直すことを迫られたのだ。それは「暮らし方」だけでなく、「働き方」にまで及んでいる。当然のように存在してきた「会社」や、その基盤である「資本主義」とは何なのか、という問いかけも必要となった。

そんな状況下での大河である。渋沢と他の実業家との違いは、著書「論語と算盤」にもあるように、単に利益を得るだけでなく、倫理観をもってビジネスを行うべきだと考えていた点にある。富は広く配分し、個人による独占をよしとしない。

今、多くの企業が過剰な自己防衛に走る余り、いとも簡単に個人を切り捨てている。ならば、そもそも会社は誰のためにあるのか。そんな切実な疑問に、「日本資本主義の父」は何と答えるのだろう。現代を逆照射する大河ドラマとなることを期待したい。

(しんぶん赤旗「波動」2021.03.01)

 


正月ドラマの静かな秀作「人生最高の贈りもの」

2021年01月12日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

正月ドラマの静かな秀作

「人生最高の贈りもの」

 

正月からいいドラマを見た。4日に放送された「人生最高の贈りもの」(テレビ東京系)だ。

信州に嫁いでいる田渕ゆり子(石原さとみ)が突然、東京の実家にやってくる。翻訳家で一人暮しの父、笹井亮介(寺尾聰)は驚く。帰省の理由を訊ねるが、「何でもない」と娘。

実は、ゆり子はがんで余命わずかという状態だったのだ。そう聞いた途端、「なんだ、よくある難病物か」と言う人も、「お涙頂戴は結構」とそっぽを向く人も少なくないと思う。

しかし、このドラマはそういう作品ではなかった。ヒロインの辛い闘病生活も、家族の献身的な看病も、ましてや悲しい最期を見せたりしない。

また特別な出来事も起きない。あるのは父と娘の静かな、そして束の間の「日常生活」ばかりだ。父はいつも通りに仕事をし、妻を亡くしてから習った料理の腕をふるい、2人で向い合って食べる。ここでは料理や食事が「日常の象徴」として描かれていく。

途中、不安になった亮介は、ゆり子の夫で教え子でもある高校教師、田渕繁行(向井理)を訪ねる。

そこで娘の病気について聞いた。ゆり子は繁行に「残った時間の半分を下さい。お父さんに思い出をプレゼントしたい」と訴えたというのだ。亮介は自分が知ったことをゆり子には伝えないと約束して帰京する。

娘は父が自分の病気と余命を知ったことに気づくが、何も言わない。父もまた娘の病状に触れたりしない。

その代わり2人は並んで台所に立ち、父は娘に翻訳の手伝いをさせる。時間を共有すること。一緒に何かをすること。そして互いを思い合うこと。それこそが「最高の贈りもの」なのだろう。石原と寺尾の抑えた演技が随所で光った。

思えば、人生は「当り前の日常」の積み重ねだ。昨年からのコロナ禍で、私たちはそれがいかに大切なものかを知った。終盤、信州に帰るゆり子に亮介が言う。「大丈夫だ、ゆり子なら出来るさ」と。その言葉は見ている私たちへの励ましにも聞こえた。

脚本は「ちゅらさん」や「ひよっこ」などの岡田恵和。ゆったりした時間の流れを生かした丁寧な演出は大ベテランの石橋冠だ。見終わった後に余韻の残る、滋味あふれる人間ドラマだった。

(しんぶん赤旗「波動」2021.01.11)