面白くなければテレビではない、
とぼくも思う。
が、面白いか面白くないかは、
テーマそのものにあるわけではなく、
そのテーマから
どんな人間的興味を引き出してみせるか
というところにある。
天野祐吉『テレビは嘘が嫌い』
面白くなければテレビではない、
とぼくも思う。
が、面白いか面白くないかは、
テーマそのものにあるわけではなく、
そのテーマから
どんな人間的興味を引き出してみせるか
というところにある。
天野祐吉『テレビは嘘が嫌い』
【解読『おちょやん』】
井川遥演じる、
自由すぎる女優・高城百合子のモデルは?
日テレ「ウチの娘は、彼氏が出来ない‼」
どこか懐かしいホームドラマにも見えてくる
母の水無瀬碧(菅野美穂)は「恋愛小説の女王」と呼ばれる作家。娘の空(浜辺美波)はアニメ好きの大学生。港区のタワマンで2人暮らしだ。
しばらく恋愛と縁がない碧は新作が書けなくて困っている。だが、それ以上に恋愛経験のない娘のことが気になって仕方ない。
「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」(日本テレビ系)は、ちょっと浮世離れした母娘を巡るラブコメである。
まず、碧と空の掛け合いが笑える。恋の指南役を買って出た碧に向かって空が言う。「私が広瀬すずだったら、立ってるだけでいいのに!」。すかさず碧も「私も井川遥だったら、ただ座ってるよ」と返した。
思い込みで暴走する碧。マイペースなオタクである空。菅野と浜辺による“なり切りショー”が楽しい。
そして、このドラマのもう一つの魅力が、近所にあるたい焼き屋「おだや」の存在だ。
営むのは碧の幼なじみで「ゴンちゃん」こと小田欣次(沢村一樹)と父の俊一郎(中村雅俊)。碧がくつろげる場所であり、空のバイト先でもある。
亡妻の月命日に、かつて一緒に聴いたジャニス・イアンのレコードをかける俊一郎がすてきだ。
母と娘、父と息子、この2組を交差させることで、ラブコメでありながら、どこか懐かしいホームドラマにも見えてくる。攻守のバランスにたけた脚本は北川悦吏子だ。
(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2021.01.27)
ジャニーズJr.22才定年の衝撃
芸能界に「年齢制限」はあるのか
突然の“定年制度”の発表に世間は驚いたが、当の芸能界では肯定的に受け止められているという。芸能界は粘ったからといって必ずしも成功できる世界ではない。実は明文化されていない年齢のボーダーラインが存在するというが--。
アイドルファンたちの胸をザワつかせるニュースが報じられたのは、1月16日。ジャニーズ事務所が、所属するジャニーズJr.に「22才での活動終了制度」を導入すると発表したのだ。
ジャニーズJr.は、故ジャニー喜多川さん(享年87)が作ったタレントやアイドルの育成・発掘制度で、アイドルの卵たちがここでダンスや歌、演技の指導を受け、大きく羽ばたいていった。SMAP、TOKIO、昨年末で活動休止した嵐、目下、多くのファンを虜にするKing & Princeなど、すべてのジャニーズの母体ともいえる存在だ。だが、近年は高年齢化という問題もあった。
「Jr.の卒業のタイミングは基本的にはCDデビューです。生田斗真くん(36才)や風間俊介くん(37才)のように歌ではなく、俳優として実績を積んで卒業するケースもありますが、稀です。デビューできなければ、ずっとJr.。2013年には佐野瑞樹さん(47才)が、『40代のJr.』として話題になりました(佐野は2018年末で退所)」(芸能関係者)
ジャニーズ事務所は今回の制度導入の目的を「Jr.たちの多様な未来を確保・尊重するため」と説明している。
その背景を、元上智大学教授でメディア文化評論家の碓井広義さんはこう分析する。
「今回の制度は、事務所の親心なのでしょう。22才といえば大学を卒業して社会人になる人も多い年齢です。子供の頃から芸能界に身を置いていることで、周りが見えなくなっている人も多い。立ち止まって考えるきっかけを作るという意味合いもあったのではないでしょうか」
この“22才定年制度”は、2023年3月31日から適用される。ファンの間では、「いまのJr.にも22才を過ぎている人たちはいるけど、あと2年でデビューしなければ引退?」といった心配の声もあがっているようだが、芸能関係者の間では、概ね賛同の声が多いようだ。
「本来、芸能界ほどシビアな世界はないのに長々としがみついてしまい、自分の人生を棒に振る人がいるのも事実なんです。それに明文化されていないだけで、芸能界には多くの年齢制限がある。例えば俳優であれば、『この年までに一度でもいい役をもらえなければ、99%ブレークできない』といったものです。今回のジャニーズ事務所の“定年制度”を皮切りに、追随する事務所も出てくるかもしれませんよ」(芸能事務所幹部)
芸能界に暗黙のルールとして広がる年齢制限。そのベールを剥がしてみよう。
俳優は25才と30才 2段階の壁がある
比較的年齢制限が低いとされるのが、女性アイドルだ。大手芸能事務所の関係者はあくまで一例だと前置きした上で、スカウトの年齢制限をこう打ち明ける。
「うちの事務所では、芸能活動に専念しやすいように、義務教育が終わる15~16才でのデビューを目指しています。そこに向けて1~2年はレッスンを受けてもらうので、スカウトの上限は15才。下限は10才くらいです」
年齢制限が低いのには、アイドル特有のファン心理も影響している。
「ファンの心をつかむためには、“応援してあげたい”“育てたい”と思ってもらうことが重要なんです。となれば、年を重ねたアイドルよりも10代の方が可能性が広がるんです。ただしこれは“限界”が早いことも意味しています。20才までに売れなければもう厳しい。年を重ねるごとに、売れるのに大切な要素である初々しさがなくなっていくのです。歌唱力があれば本格派のアーティストへの“脱皮”も考えられますが、成功するのは一握りです」(前出・大手芸能事務所関係者)
2020年12月にデビューし、いまや多くのファンを獲得している9人組のガールズグループ『NiziU』が、全員10代なのもこうした理由があるのかもしれない。
また、女性アイドルグループの場合、20代半ばに差し掛かったところで卒業するケースが多いとも言われていたが、その状況は変わりつつある。
「モーニング娘。’21」や「Juice=Juice」らが所属する「ハロー!プロジェクト」では、2009年以降、26才を前に卒業するメンバーが多かったこともあり、一部のファンの間で「25才定年説」が囁かれていた。
そんななか、Juice=Juiceは、リーダーだった宮崎由加(26才)が当時25才でグループを卒業する際、『25歳永遠説』というシングルをリリース。まことしやかに囁かれていた「25才定年説」を逆手に取って“年齢”というテーマを歌ったのだ。
また、宮崎や同時期に「アンジュルム」を卒業した和田彩花(26才)は、25才定年説などないとも発言している。たまたま卒業のタイミングが25才前後に重なることはあるだろうが、必ずしもそれがルールになっているわけではなさそうだ。
ほかにも、AKB48の柏木由紀(29才)、横山由依(28才)や乃木坂46の秋元真夏(27才)、松村沙友理(28才)、新内眞衣(28才)など、20代後半になっても、現役でアイドルを続けるケースも多い。女性アイドルの「25才定年説」は、もはや過去のものとなっている。
俳優は2段階で定年の壁が設定されている。別の芸能事務所幹部は「男女ともに、25才と30才が目安」と明かす。
「10代からやっている俳優は、25才までに芽が出なければオーディションもなかなか受けられなくなります。せいぜい待てるのは30才までです。というのも、30才前後は役どころが少ない層で、売れている俳優がキャスティングされてしまえばもう空きがない。20代のうちにブレークして、自分の名前を売っておくことが重要なんです」(別の芸能事務所幹部)
もちろん、その「定年」が全てに当てはまるわけではない。30代を過ぎてブレークする例も多いのだ。代表的な例は、遅咲きと呼ばれる吉田羊(年齢非公開)や中村倫也(34才)などだ。
「彼らの共通点は舞台で下積みを重ね、ほかの俳優をしのぐ演技力を身につけたこと。中村さんに至っては、高校卒業後に芸能界入りし、ブレークするまでに15年かかっています。事務所は努力を続ける彼らの才能を信じ、根気強く芽が出るのを待ったといいます」(前出・芸能関係者)
声優業界では、事務所の募集要項を25才までとするところが多いようだ。
「アニメの主要キャラは10~20代が中心です。事務所に入ってからレッスンを受け、オーディションを受けるようになるまでにはある程度の時間がかかります。よほど幼い声質でない限り、25才を超えてからでは間に合わないのです」(声優事務所関係者)
一方で、長年、30才定年説が囁かれてきた女子アナ業界は、新たな動きが見られる。
「確かに30才を前に退社する局アナは多いですが、それ以後に活躍するケースも目立ちます。加藤綾子さん(35才)や小川彩佳さん(35才)は、会社を飛び出しても人気は衰えずいまや報道番組の顔です。田中みな実さん(34才)はアナウンサーを踏み台に、演技や美容の世界にまで活躍の場を広げています」(テレビ局関係者)
芸能界で活躍できるのはほんの一握り。努力や才能と同じぐらい年齢でも左右されるシビアな世界には違いない。
(女性セブン2021年2月4日号)
映画とは
現在という時点を
どのように生きるかということを
見せたり考えさせたりしてくれるものです。
蓮實重彦『見るレッスン 映画史特別講義』
青山スパイラルホール
没後40年、向田邦子が
再び注目を集めている「これだけの理由」
脚本家としての軌跡を振り返る
「没後40年」の向田邦子
ドラマ『寺内貫太郎一家』や『阿修羅のごとく』などで知られる脚本家、向田邦子。
脚本だけでなく、優れたエッセイストであり、直木賞作家でもあった彼女が亡くなったのは、昭和56年(1981)8月22日だ。旅行先の台湾で遭遇した航空機事故だった。
今年は「没後40年」にあたるが、今も彼女が書いたドラマはアーカイブなどで視聴され、脚本や小説なども読み継がれている。
また現在、東京・青山のスパイラルホールでは、向田邦子没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」が開催されており(1月24日まで)、あらためて注目が集まっている。
ここでは「脚本家としての向田邦子」に焦点を合わせ、その軌跡を振り返ってみたい。
「昭和の娘」向田邦子
向田邦子は昭和4年(1929)11月に東京の世田谷で生まれた。7歳だった昭和12年(1937)に日中戦争がはじまり、12歳で太平洋戦争が勃発する。昭和20年(1945)の敗戦時には15歳。目黒高等女学校の生徒だった。
つまり向田は戦前からの日本を、当時の日本人の暮しを知っていた。その体験は何ものにも代えがたい貴重な財産であり、後の脚本、エッセイ、小説などの向田作品を生み出す大きな源泉となっていく。
昭和25年(1950)、実践女子専門学校(実践女子大学の前身)を卒業すると、財政文化社に入って社長秘書を務める。2年後には出版の雄鶏社に転職。洋画雑誌「映画ストーリー」の編集に9年近く携わった。
卒業と同時に家庭に入る女性も珍しくなかった時代であり、向田は現在の働く女性たちの大先輩ということになる。
「脚本家・向田邦子」の登場
日本でテレビ放送が始まったのは昭和28年(1953)のことだ。その5年後の昭和33年(1958)、向田は会社に在籍したまま、脚本家の世界へと足を踏み入れる。デビュー作は日本初の刑事ドラマ『ダイヤル110番』(日本テレビ)の中の1本で、ほかの脚本家との共作だった。
昭和37年(1962)には自身初のラジオドラマとなる『森繁の重役読本』(TBS)に参加する。俳優の森繁久彌が、ちょっと切ない中年男の本音と建て前をペーソス溢れる口調で語っていた人気番組だ。
森繁は向田の脚本を評して「昔の日常茶飯を、巧みな比喩を用い、上質のユーモアを交えて再現している」と書いている。達意の文章家でもあった森繁に、その文才を認められたことは大きかった。
『七人の孫』
前の東京オリンピックが開催された、昭和39年(1964)に始まった森繁久彌主演の連続テレビドラマ『七人の孫』(同)は、当時流行していた「大家族ドラマ」だ。森繁が演じたのはリタイアした元会社経営者で、若い男女の孫たちとの世代差から生まれるエピソードが見る者を楽しませた。
ただし、この時期の向田は、あくまでも参加していた複数の脚本家の一人である。それは当時の向田のキャリアや実績からして当然のことだった。大抵の脚本家は、まず連続ドラマの中の何本かを担当し、また一話完結ドラマなどで腕を磨きながら、やがて全話を単独で任される脚本家になることを目指していく。向田もその一人だったのだ。
ちなみに『七人の孫』には、加藤治子、いしだあゆみ、そして樹木希林(当時は悠木千帆)といった、後年の「向田ドラマ」に欠かせない面々が出演していた。また演出陣の中には、やがて『時間ですよ』(TBS)や『寺内貫太郎一家』(同)でコンビを組むことになるディレクター、久世光彦(くぜ てるひこ)もいた。
その後も数えきれないほどの作品に関わっていく向田だが、戦前の記憶という「財産」に加え、抜きんでた「観察眼」が武器となった。世の中を、そして人間を向田は静かに見つめ、その深層と本質をドラマの登場人物たちに投影させていく。
『時間ですよ』、『寺内貫太郎一家』
昭和46年(1971)には人気ドラマシリーズ『時間ですよ』に参加。評価が高まる中で、ほぼ全話を一人で書き上げたのが、昭和49年(1974)の『寺内貫太郎一家』である。この時、向田は44歳になっていた。
気に入らないことがあれば怒鳴り、ちゃぶ台をひっくり返して家族に鉄拳を振るう貫太郎は、どこか懐かしい「昭和の頑固オヤジ」そのものだ。
実はこの頃まで、ホームドラマを支えていたのは「母親」だった。50年代の終りから約10年も続いたドラマシリーズ『おかあさん』(TBS)はもちろん、70年代前半のヒット作『ありがとう』(同)も母親を中心とする物語だ。その意味で「父親」を軸とした『寺内貫太郎一家』は画期的なホームドラマだったのである。
作曲家の小林亜星が演じた主人公・貫太郎のモデルが、向田の父・敏雄だったことは作者自身が明かしている。巨漢の石屋ではなく保険会社勤務だったが、その性格やふるまいには父の実像が色濃く反映されていた。また貫太郎の妻・さと子(加藤治子)には向田の母が、そして貫太郎の母親・きん(悠木千帆)には祖母の姿がどこか重なって見える。
『寺内貫太郎一家』のような脚本の「単独執筆」も増え、ドラマ界における地位も確立されていった向田。ところが、昭和50年(1975)に乳がんの手術を受けることになる。さらに手術の際の輸血が原因で血清肝炎となり、右手が利かなくなる病気も併発してしまう。
当時は現在よりも、がんという病気が怖れられていた時代だ。向田も自身の問題として「死」について思いめぐらすが、それは同時に「生」について考えることでもあった。今後「どう生きるか」の問題と言ってもいい。
エッセイ集『父の詫び状』
乳がん手術の影響は大きく二つある。一つは『父の詫び状』にはじまるエッセイや、その後の小説のように、「活字(本)として残る」仕事を手掛けるようになったことだ。
脚本は基本的にドラマの収録が終れば「用済み」となってしまう。中には保存しておく出演者やスタッフもいるが、多くは捨てられる運命だった。その一種の潔さを向田も愛してはいたが、どこかに虚しさや寂しさもあったはずだ。
また俳優が演じることを前提とする脚本は、俳優が口にする「台詞」と簡潔な説明である「ト書き」で成り立っており、細かな心理描写などをストレートに書き込むことはできない。そのもどかしさも脚本家は抱えている。生還したとはいえ、死を見つめざるを得なかった向田が、脚本とは異なる表現の場を求めて動き出したことに納得がいく。
その意味でも、昭和51年(1976)は向田邦子の転機となった年である。雑誌『銀座百点』で、初の連載となるエッセイの執筆が始まったのだ。53年まで24回続いたこの連載が、『父の詫び状』として刊行されると大評判になった。
特にタイトルにもなった向田の父、敏雄の存在が際立っている。家父長制が当り前の時代の、いわば「家庭内ワンマン」だったが、頑固さの奥に温もりやユーモアを感じさせて秀逸な父親だった。
また、このエッセイで語られる昭和初期から10年代にかけての東京の下町、さらに山の手の家庭が醸し出す雰囲気は、単なるノスタルジーではなく、私たち日本人が「忘れかけていた何か」を伝えていた。
『冬の運動会』、『家族熱』、『阿修羅のごとく』
そして、病気を経験したことによる影響の二つ目がドラマだった。この頃から「向田ドラマ」はその円熟期へと向っていく。
昭和52年(1977)の『冬の運動会』(TBS)は、他人である靴屋夫婦の家に自分が求めていた「家庭」を見いだそうとする青年(根津甚八)の話だが、これ以降、向田が書く家族劇の「緊張度」は一気に高まった。
それまでのホームドラマにはあまり見られなかった、家族の「影」や「闇」の部分にメスを入れたのだ。人間の本音に迫るリアルでシリアスなホームドラマ。これから先の人生は「自分が書きたいもの」を書く、という覚悟の表明だったのではないか。
昭和53年(1978)の『家族熱』(TBS)。夫婦(三國連太郎、浅丘ルリ子)、夫の連れ子の長男(三浦友和)と次男(田島真吾)、そして老父(志村喬)という平穏な家庭が、息子たちの実母である先妻(加藤治子)の登場によって揺れ始める。
また昭和54年(1979)の『阿修羅のごとく』(NHK)では、性格も生き方も違う四姉妹(加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュン)を軸に、老父母、夫や恋人も含めた赤裸々な人間模様が映し出される。
謹厳実直なはずの父親(佐分利信)に愛人と子供がいたことが判明して騒動となり、その過程で家族それぞれが抱える秘密も明かされる展開は衝撃的で、向田ドラマの代表作の一つとなった。メインの演出家は『天城越え』や『けものみち』などでも知られる和田勉だった。
『あ・うん』、小説集『思い出トランプ』
昭和55年(1980)、「小説新潮」2月号で連作の読切小説『思い出トランプ』の連載が始まった。向田に小説を書くよう勧めたのは、当時の「小説新潮」編集長である川野黎子だ。向田と川野は実践女子専門学校の同級生だった。
同じ55年3月に、『阿修羅のごとく』と並ぶ向田ドラマの名作『あ・うん』(NHK)が放送された。舞台は昭和初期の東京。主な登場人物は水田仙吉(フランキー堺)と妻のたみ(吉村実子)、仙吉の親友である門倉修造(杉浦直樹)の三人だ。
門倉は心の中でたみを想っており、その気持をたみも仙吉も知っている。しかし門倉はそれを言葉にしたり行動に移したりしない。不思議な均衡の中で過ぎていく日々を水田家の一人娘、18歳のさと子(岸本加世子)の視点で追っていく。
向田脚本のきめ細かい感情描写をもとに、深町幸男を軸としたディレクター陣が見事に映像化した。テレビドラマの歴史に残る1本だ。
さらにこの年の7月、「小説新潮」に連載中で、まだ単行本にもなっていない『思い出トランプ』の中の短編「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で、第83回直木三十五賞を受賞する。
28歳で脚本家としてデビューした向田は、50歳で直木賞作家となったのだ。そこから脚本、エッセイ、小説を同時進行で書く超人的な日々が始まるが、台湾での不慮の死は直木賞受賞からわずか1年後のことだった。
『蛇蠍のごとく』、『隣りの女』、『続あ・うん』
昭和56年(1981)は、向田邦子の人生で最も忙しい年だった。年明け早々にドラマ『蛇蠍(だかつ)のごとく』(NHK)が放送された。
2月にドラマ『隣りの女―現代西鶴物語』(TBS)のロケハンでニューヨークに飛び、戻ってから広島で講演。3月には再びニューヨークでロケハン。『隣りの女』が放送され、『続あ・うん』(NHK)も始まり、小説『あ・うん』が書店に並んだ5月にはベルギーへの旅に出る。
6月、「週刊文春」で連載エッセイ『女の人差し指』を開始。「小説新潮」の連作小説『男どき女どき』の連載が始まったのが7月だ。8月になると野呂邦暢の小説『落城記』をドラマ化するプロデューサーの仕事で京都へ。さらに四国での霊場巡りも体験した。
そして8月20日、向田は取材のための台湾旅行に出発する。運命の飛行機事故に遭遇したのは2日後の8月22日だった。享年51。そのエッセイを初めて読んだ時、「突然あらわれてほとんど名人」と賛辞を贈ったのは山本夏彦だが、向田はまたも突然、そして名人のまま旅立ってしまったのだ。
浮上する向田邦子
あれから40年が過ぎた。しかし向田邦子の脚本もエッセイも小説も、その輝きを失っていない。いや、それどころか、今こそ向田の眼差しが求められているのではないか。
昨年からのコロナ禍の中で、私たちは生きる基盤としての「家庭」や「家族」を再認識するようになった。向田邦子が描き続けた「家族」というテーマが、40年の時を経て浮上してきたように思えるのだ。確かに、「いま、風が吹いている」のかもしれない。
実力派の脚本家と演出家が競い合った!
新年とは言いながら、新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの人が「おめでとう!」という気分になれなかった今年の正月。外出自粛ということもあり、連続ドラマの「一挙放送」とスペシャルドラマに明け暮れた日々だった。
まずは、『アンナチュラル』(TBS系)、『逃げるは恥だが役に立つ』(同)、『MIU404』(同)の全話放送という大盤振る舞いを堪能した。いわば〝野木亜紀子祭り〟である。
野木は現在、脚本家の名前で視聴者を集めることが出来るという意味ではナンバーワンだ。現実社会の「苦み」を入れ込みながら、しっかりエンタメとして仕立て上げるその手腕にあらためて感心した。
次に『24 JAPAN』(テレビ朝日系)の前半戦を再確認する。しかし、本家アメリカ版を忘れるよう努めながら見たものの、やはりなぜこのリメイクだったのかが不明で、残り12本(12時間分)の健闘を祈るばかりだった。
さらに『孤独のグルメ』(テレビ東京系)も楽しんだ。見逃した回だけと思っていたのに、松重豊演じる井之頭五郎の「心のツイッター」的モノローグを味わっていたら、結局全部見てしまった。
そして、これらの「一挙放送」に続いて向き合ったのが、怒涛のスペシャルドラマだ。そこには実力派の脚本家と演出家が競い合った力作が並んでいた。
「攻めのエンタメ」としての『逃げ恥SP』
最初に視聴した正月のスペシャルドラマが、2日放送の『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル‼』(TBS系)だ。
2016年の連続ドラマでは、システムエンジニアで「プロの独身」を自称する津崎平匡(星野源)が、家事代行サービスでやって来た「高学歴妄想女子」の森山みくり(新垣結衣)と出会い、「契約結婚」という形で同居生活に踏み切るまでが描かれていた。
今回はその続編にあたる。脚本はもちろん絶好調の野木亜紀子。「ラブコメ」というジャンルの既成概念を超えて、物語の中に社会問題を巧みに取り込んでいた。そして演出は連ドラも手掛けた金子文紀だ。全体の明るさだけでなく、濃密な内容と軽快なテンポの両立も見事だった。
みくりが妊娠したことで、2人は契約結婚から通常の結婚へと切り替えざるを得なくなる。話し合いの中で出て来たのが「選択的夫婦別姓」だ。本当はそれぞれの姓のままでいたいが現状では難しく、みくりが津崎姓を選ぶことになった。
妊婦となったみくりに対して、平匡が何気なく口にした言葉がある。「僕もサポートします」というひと言だ。これに「違う!」と反発するみくり。サポートではなく、「一緒に親になるんじゃないんですか?」と問われて、ぐうの音も出ない平匡。こういうシーンがきちんと入ってくるあたりが野木脚本の強さだ。
また、みくりの伯母である「ゆりちゃん」こと土屋百合(石田ゆり子)は独身のキャリアウーマンだが、子宮体がんが見つかってしまう。一人で生きる「自由」と、頼れる人が近くにいない「不安」の間で揺れる百合。助けてくれたのは高校時代からの親友、花村伊吹(西田尚美)だった。
その伊吹が一緒に暮しているのは女性だ。伊吹は、「誰にも言えない」が続いた過去と、押し隠してきた本音をさり気なく語る。このドラマでは女性同士、男性同士のカップルが抱える生きづらさも丁寧に描かれていた。
出産準備の一環として、平匡は会社に1カ月の「育休」を申請する。規定に従って会社は認めるが、現場の上司からはクレームが入る。「お前、仕事ナメてるのか!」と言わんばかりだ。
それを抑えたのは仕事仲間の沼田(古田新太)だった。病気や事故などで誰かが休んでも仕事が回り、休んだ人が帰ってこられる環境を作っておくこと。それがリスク管理だとこの上司に教えたのだ。これまたユーモアで社会問題に切り込む名場面だった。
みくりの臨月が近づいた。産む本人である自分と、夫である平匡の意識のズレが気になる。ゆりちゃんに、「一番言いたいことが言えず、一緒にいるのに孤独」だと訴えた。
「家族といても孤独はある」と百合。その上で、何かあった時に「不安の共有と理解」がいかに大切かを伝えていた。コロナ社会の生き方にも通じる、忘れられないシーンだ。
みくりが元気な女の子を産んだのと、新型コロナウイルスの問題が発生したのがほぼ同時だった。緊急事態宣言、自粛、リモートワークなどが、出来立てほやほやの「3人家族」に押し寄せる。
見る側もリアルタイムで体験してきた現実を踏まえ、ドラマはみくりに明日への希望を語らせた。
「心の中の孤独は、きっと誰もが持っていて、いつまでも消えないのかもしれない。だけど、いつか再び会えた時、少しだけ優しくなって、元気で助け合えればいい」
名セリフであり、ドラマだからこそ伝えられる、胸の奥まで届くメッセージだった。
若手を鍛える「木村教場」でもあった『教場2』
木村拓哉主演『教場2』(フジテレビ系)が放送されたのは、3日と4日の2夜連続だった。
昨年の正月に、やはりスペシャルドラマとして流されたのが第1弾。原作は、第61回日本推理作家協会賞短編部門受賞作『傍聞き(かたえぎき)』をはじめ、心理トリックを使った作品を得意とする長岡弘樹の連作小説だ。
舞台は警察学校である。年齢もこれまでのキャリアも異なる生徒たちが、6カ月にわたる課程に挑むのだ。
しかも学校とはいえ、目標は人材を育てるより警察官に適さない人間を排除することにある。一種のサバイバル・ゲームを生き抜こうとする若者たちの前に立ちはだかるのが、元神奈川県警捜査一課刑事で現在は教官の風間公親(木村)だ。
このドラマ最大の見どころは、生徒たちの心理と行動の全てを見抜く、風間の驚異的な観察眼と心理分析にある。
残酷な方法で仲間をいじめる者、校内で盗みをはたらく者、密かに手製爆弾を作ろうとする者など、寄宿制の学校という閉じた空間の中でいくつもの事件が起きる。風間は生徒が抱える心の闇や秘密と向き合いながらこれらを解決していく。そして警察官になるべきではない人間だけを退校させるのだ。
そんな鬼教官を、木村は笑顔一つ見せずに演じていた。そこにいるだけで怖くなるような凄みと迫力は、木村が風間という人物像について、とことん練り上げた証拠だ。
たとえば不祥事を起こした副教官見習い、田澤愛子(松本まりか)に風間が問いかける。「過ちを犯した者に一番ふさわしい仕事は何だと思う?」と。いぶかしがる田澤に向って、「君がしている仕事だ。警察官だよ」。寡黙で表情を変えないからこそ、短い言葉にも重みがあるのだ。
生徒役の若手俳優陣も力を出し切っていた。前作での川口春奈や大島優子や三浦翔平たちがそうだったように、今回も福原遥、上白石萌歌、濱田岳などが木村との「ぶつかり稽古」で鍛えられたのだ。「風間教場」ならぬ「木村教場」である。
脚本は『踊る大走査線』などで知られる君塚良一。演出・プロデュースは『プライド』や『Dr.コトー診療所』などを手掛けてきた中江功だ。前後編で約5時間の大作は、ワンクール(3か月)分の密度で満たされていた。
滋味あふれる人間ドラマ『人生最高の贈りもの』
4日に放送されたのが、『人生最高の贈りもの』(テレビ東京系)だ。
信州の安曇野に嫁いでいる田渕ゆり子(石原さとみ)が突然、東京の実家にやってくる。翻訳家で一人暮しの父、笹井亮介(寺尾聰)は驚く。当然、帰省の理由を訊ねるが、娘は「何でもない」としか言わない。
実は、ゆり子はがんで余命わずかという状態だったのだ。そう聞いた途端、「なんだ、よくある難病物か」と言う人も、「お涙頂戴は結構」とそっぽを向く人も少なくないと思う。
しかし、このドラマは「そういう作品」ではなかったのだ。見るのが辛いヒロインの闘病生活も、家族のこれでもかという献身的な看病も、ましてや悲しい最期も見せたりはしない。
また特別な、つまり変にドラマチックな出来事も起きない。あるのは父と娘の静かな、そして束の間の「日常生活」ばかりだ。父はいつも通りに仕事をし、妻を亡くしてから習った料理の腕をふるい、2人で向い合って食べる。ここでは料理や食事が「日常の象徴」として描かれていく。
途中、不安になった亮介は、ゆり子の夫で教え子でもある高校教師、田渕繁行(向井理)を信州に訪ねる。そこで娘の病気について聞いた。ゆり子は繁行に「残った時間の半分を下さい。お父さんに思い出をプレゼントしたい」と訴えたというのだ。亮介は自分が知ったことをゆり子には伝えないと約束して帰京する。
娘は、父が自分の病気と余命を知ったことに気づくが、何も言わない。父もまた娘の病状に触れたりしない。その代わり2人は並んで台所に立ち、父は娘に翻訳の手伝いをさせる。
時間を共有すること。一緒に何かをすること。そして互いを思い合うこと。それこそが2人にとっての「最高の贈りもの」なのだろう。石原と寺尾の抑えた演技が随所で光っていた。
思えば、人生は「当り前の日常」の積み重ねだ。昨年からのコロナ禍で、私たちはそれがいかに大切なものかを知った。終盤、信州に帰るゆり子に亮介が言う。「大丈夫だ、ゆり子なら出来るさ」と。その言葉は見ている私たちへの励ましにも聞こえた。
脚本は『ちゅらさん』や『ひよっこ』などの岡田恵和。ゆったりした時間の流れを生かした丁寧な演出は大ベテランの石橋冠だ。見終わった後に長く余韻の残る、滋味あふれる人間ドラマだった。
上白石萌音「ボス恋」
“菜々緒ストリープ”
怒涛の快演がすべて吹き飛ばす!
地方出身の女子学生、鈴木奈未(上白石萌音)が東京の出版社に就職する。配属先は志望していた「備品管理部」ではなく、新創刊のファッション誌「MIYAVI(ミヤビ)」。そこで待っていたのは鬼編集長の宝来麗子(菜々緒)だ。
これって映画「プラダを着た悪魔」じゃん。初回を見て、そう思った人は少なくないはずだ。笑ってしまうほど設定を寄せているが、オリジナル脚本だから参考とかオマージュのつもりか。
映画で雑誌「ランウェイ」の敏腕編集長を演じていたのはメリル・ストリープ。ヒロインであるアン・ハサウェイを「小間使い」のように酷使する。コーヒーの用意、チケットの予約、車の手配、メモの伝達、そして荷物運び。麗子のパワハラ的無理難題も、奈未の反発も映画そのままだ。
上白石は例によって「やがて輝く平凡女子」を好演。しかし、それを凌駕するのが菜々緒のインパクトだ。才能のある人間を引きつけ、意のままに操るカリスマ性。目的のためなら白いコートで土下座も辞さない。「雑用もまともにできないあなたが、普通や人並みを求めるなんておこがましい!」と奈未を一喝する。
偶然知り合ったカメラマン・潤之介(玉森裕太)が実は麗子の弟で、資産家の御曹司だといった展開は「いかにも」だが、“菜々緒ストリープ”の怒涛の快演がすべてを吹き飛ばしていく。
(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2021.01.20)
トルストイを読め。
そのほかには
何も読む必要はないっ。
トルストイだけを
読めばいいんだよ 。
―――小林秀雄の言葉
森 功 『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』
大和ハウス
「ここで、一緒に」新しい生活篇
「生き方は自分で」前向き進む夫婦
知り合いでもないのに、気になる夫婦がいる。深津絵里さんとリリー・フランキーさん。大和ハウス工業のシリーズCM「ここで、一緒に」だが、今頃どうしているだろうと想像してしまうのだ。
新作では新聞記者の夫は取材で地方に出かけ、翻訳家の妻は都心に来ている。離れているが心の回線は常時接続だ。ゆったりした言葉のキャッチボールが聞こえてくる。
ひなびた風景を前に、「ここで新しい生活を始めるってあるかな、と言ってみる」と夫。どこまで本気か、わからない。賛成して欲しいのか、それとも反対されたいのか。
でも妻はお見通しだ。さらりと「いいんじゃない?」。夫は驚き、見る側はニヤリとする。そして「いい夫婦だなあ」と思う。
新型コロナウイルスの影響もあり、住む場所も働き方も多様であることが当り前になってきた。自由は不安も伴うが、自分の「生き方」は自分で決める時代と前向きに捉えてみるのも悪くない。
(日経MJ「CM裏表」2021.01.18)
大河「麒麟がくる」も残すところあと4話。クライマックスの本能寺に向けて、スピードを上げている。ところが、あまりに急いだせいか、歴史上重大な出来事がスルーされてしまっている。日本の軍事史上でも重視される長篠の戦いだって、たった一言で終わってしまったのだ。どうなる麒麟、大丈夫か?
12月20日の第37話では、武田信玄(石橋凌)の急逝が判明した。昨年最後の第38話では、織田家と武田家との間に何も起こらなかった。「年が明けたら、いよいよ長篠か」と期待した大河ファンは少なくなかったはずだ。
そして新年一発目、3日放送の第39話では、徳川家康(風間俊介)に正室・築山殿(小野ゆり子)がこう愚痴った。
「長篠の戦い以来、織田様はこの三河には一顧だにせぬご様子……」
え! 長篠の戦い、いつの間に終わっちゃったの?
これにはメディア文化評論家の碓井広義氏も驚いたという。
「長篠の戦いといえば、織田信長(染谷将太)にとってエポックメーキングですからね。史実としては様々な見方があるようですが、大河ファン、時代劇ファンにとっては、史上最強といわれた武田騎馬軍団を、織田・徳川連合軍が鉄砲三段撃ちという最新兵器を使って圧勝する重要な戦いです。旧時代VS.新時代を象徴し、時代が変わるポイントなんです。いくら主人公が明智光秀(長谷川博己)だからといって、これをスルーするとは思いませんでした」
鉄砲のスペシャリスト
光秀は、長篠の戦いに不参加だったという説もあるようだ。
「そうはいっても、『麒麟がくる』の光秀は、まだ斎藤道三(本木雅弘)の家臣だった頃から近代兵器に明るく、道三を説き伏せて、岐阜から堺まで鉄砲を購入しに行くわけです。そこで松永久秀(吉田鋼太郎)や三淵藤英(谷原章介)との出会いもあり、その関係が続いてきた。鉄砲に関しては、道三に教授したり、信長の家臣となってからも再び買い付けに行くなど、スペシャリストであることが強調されてきました。当然、視聴者も長篠の戦いでは光秀が戦法の立案者として活躍する伏線だと思っていたはずです」
それが完全にスルーされたのだ。
目玉は合戦にあらず?
「今回は、時代劇ファンにとって重要なシーンがスルーされることが増えていますね。例えば、最初の対朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)戦、いわゆる金ヶ崎の戦いでは、織田軍は同盟関係にあった浅井長政(金井浩人)に背後を突かれて敗走するわけです。この浅井の裏切りに気づく過程も、これまでとはずいぶん違っていました」
これまでドラマで描かれてきたのは、浅井に嫁いだ信長の妹・お市から、信長に寄こした陣中見舞いの小豆の袋が、両端で縛られていたことから、挟み撃ちに遭うと信長が感づくというものが多かった。
「しかし今回は、光秀の右腕である左馬助(間宮祥太朗)の働きにより、浅井裏切りの第一報を手に入れました。これはいいとしても、その後の退却劇では、死を覚悟してシンガリを願い出た木下藤吉郎(佐々木蔵之介)が、涙ながらに虐げられてきた過去を長々と語りました。シンガリは自ら犠牲となることで、信長はじめ織田軍を逃がす役ですからね、思いを語るのは結構ですが、ここでも戦闘シーンはほとんどなく、あっという間に帰ってきた。その後の復讐戦・姉川の戦いでも戦闘シーンは大幅にカットされていました」
信長の残虐性を表現するシーンとして有名な、浅井・朝倉の髑髏(どくろ)に金箔を張って酒の肴にするなんてシーンもなかった。
「コロナ禍ですからね、大勢の俳優を集めた合戦シーンの撮影が難しかったということでしょう。NHKとしては、『麒麟がくる』の目玉は合戦ではない、と言いたいのかもしれません。なにせ主役の光秀は、戦が嫌いな武将です。戦以前の政治的調整、根回しが上手い人、理屈で動く人ですから、どうも感情移入できないんです。その点、人間的に正しい、正しくないはともかく、同情などするなと切腹した三淵や、信長が欲しがる名茶器“平蜘蛛(ひらぐも)”だけは絶対に渡さんと意地で死んでいった松永のような熱い男のほうが、視聴者の心は動きます。やはり理屈じゃないんです」
さらに、調整役・光秀の苦労が報われなくする人々にも違和感があるという。
「駒さん(門脇麦)や伊呂波太夫(尾野真千子)、そしてナイナイの菊丸(岡村隆史)ら、実在しない人々のシーンが多く、しかも活躍しすぎです。帝(みかど)や将軍にまで会うことができたり、歴史を動かしているのはこの人たちになってしまっているから、視聴者は納得いかないまま話が進んでいく。松永の死後、平蜘蛛が無事に残っていて、光秀の元に持ってきたのが伊呂波太夫ですからね。またかよ、と……」
現在、この平蜘蛛のせいで、光秀は信長から疎んじられている。
「光秀が何をきっかけに本能寺の変を起こしたのかは諸説ありますが、長谷川演じる光秀は熱い男ではないので、この先が心配になります。ひょっとすると、『敵は本能寺にあり!』のセリフもなく、本能寺の変はリモートになったりしないでしょうね」
果たして麒麟は呼べるのか?【週刊新潮WEB取材班】
(デイリー新潮 2021年1月17日)
【 解読『おちょやん』】
千代がまさかの初舞台で主演
でも全セリフ暗記は史実
’20年12月31日をもって、グループとしての活動を休止した『嵐』。年末には『第71回NHK紅白歌合戦』や生配信のラストライブで、日本中を感動の渦に巻き込んだ5人だが、実は彼らには一つだけやり残したことがある。〝日本の顔〟として、今夏に予定されている東京五輪を盛り上げることだ。
「『嵐』はNHKの『東京2020オリンピック・パラリンピック放送スペシャルナビゲーター』に起用されていました。しかし、コロナ禍で東京五輪自体が翌年に延期になり、そうこうしているうちに『嵐』も活動休止期間に入ってしまったのです」(大会組織委員会関係者)
そんな中、五輪関係者の間では驚くべき話が浮上しているという。五輪限定で、5人が〝再集結〟する計画だ。
「五輪延期が決定した後も、5人には運営関係者から、〝出演してほしい〟という打診がありました。まだ結論は出ておらず、5人も周囲に相談しつつ出演方法を模索中だといいます」(前出・関係者)
ファンにとっては喜ばしい話だろうが、実現には条件もあるという。
メディア文化評論家の碓井広義氏はこう語る。
「再集結のためには大野智(40)がジャニーズ事務所に在籍し続けていることが必須です。この条件がクリアされていれば、責任感が強い彼らのことなので、開会式の一夜だけでも5人揃った姿を見せてくれるのではないでしょうか。五輪のスポンサー企業やメディアからも、世間の注目を集めるために『嵐』の起用を望む声は大きいですし、もっと言えば、五輪は国を挙げての一大イベント。政府が『嵐』の出演をジャニーズ事務所にオファーしていてもおかしくありません」
実際、昨年12月中旬、本誌は『嵐』再集結の噂を裏付ける、とある場面を目撃している。活動休止を約2週間後に控えたこの日、メンバーの姿は東京・渋谷のNHK放送センターにあった。
出口から順に姿を現したのは、櫻井翔(38)、大野、相葉雅紀(38)の3人。『紅白』の打ち合わせかとも思われたが、周囲にほかの出場歌手の姿は見当たらなかった。
この日、彼らはNHKから『東京五輪スペシャルナビゲーター』継続についての相談を受けていたのではないか。 こうした動きを見越してか、テレビ各局も再集結に向けて手を打ち始めている。
前出の碓井氏が語る。
「『嵐』の5人が出演していた『VS嵐』(フジテレビ系)や『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)の後継番組では、それぞれ相葉と櫻井がMCを務めます。『嵐』のメンバー個人に番組を継がせたテレビ局の狙いは、五輪期間中に『嵐』が再集結した場合に、これらの番組へ5人を出演させること。結成25周年を迎える’24年に再集結する可能性は高いですからね。ジャニーズ事務所としても、番組枠をキープすることで事務所のブランド力を維持しようとしているのでしょう」
これまでも日本中を盛り上げてきた『嵐』のことだ。今後も、サプライズで世間を驚かせてくれるに違いない。 『FRIDAY』2021年1月22日号より