碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

島耕作の社長就任と新藤兼人『生きているかぎり』

2008年05月31日 | 本・新聞・雑誌・活字
近所の中古車屋さんの店頭に、ダイハツのコペンがずらりと並んでいる。軽自動車だが、二人乗りのオープンスポーツカーだ。大好きなポルシェ356のミニチュア版みたいで可愛く、つい立ち寄って眺めてしまった。店長さんが出てきて、しばし雑談。このコペン、最近は退職した団塊世代の男たちによく売れるという。「そうかあ、彼らは、もう家族みんなで乗るクルマでなくてもいいんだもんなあ」と納得。こうしたクルマで遊びたくなったし、それが出来るようにもなったのだ。もちろん、こちらはリタイアまではまだ時間がある。そのときコペンに乗るかどうかはともかく、今、目の前で屋根を自動収納するコペンがちょっと欲しくなった。

次に寄ったコンビニで雑誌の棚を見ていたら、「モーニング」の表紙にビアグラスを持った島耕作がいた。しかも「社長 島耕作」のでかい文字。おお、今週から島耕作は社長なのだ。今年60歳。若く見える島耕作も還暦の団塊世代だ。しかし、初芝五洋ホールディングスの初代代表取締役社長となったからには、リタイアはまだまだ先だろう。「団塊ビジネスマン代表」の現役として、公私共にがんばり続けるはずだ。

いやいや、現役だったら、この人には勝てない。新藤兼人監督、96歳。この秋には、原作・脚本・監督の最新作『石内尋常高等小学校 花は散れども』が公開されるのだ。なんというエネルギーだろう。それはどこから来るのだろう。そんなことを思いながら、新著『生きているかぎり~私の履歴書』を読んだ。

撮影所現像部からのスタート。美術部員としての仕事。その間もシナリオ修行が続くが、妻は病死し、兵隊にもとられてしまう。戦後、ようやくシナリオライターとして活動が始まり、監督になっていく。その過程で出会う溝口健二監督や吉村公三郎監督、そして生涯のパートナーとなる音羽信子。やがて自伝的作品『愛妻物語』を音羽の出演で作っていく。そして現在に至るまで、時流におもねることなく、自身の撮りたいもの、描きたいものに徹底的にこだわってきた新藤監督。やはり頭が下がる。

生きているかぎり (私の履歴書)
新藤 兼人
日本経済新聞出版社

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就職戦線と、ランボーのビルマ戦線

2008年05月30日 | 映画・ビデオ・映像
研究室の4年生たちで、現在も就職活動中のメンバーは多い。とはいえ、「仕事」「働くこと」に対して明確なイメージを持っている者、まだ現実感があまりなさそうな者、いろんなタイプがいる。

今日は、あえて本当に基本的な話をした。企業にとって採用試験とは何なのか、といったことだ。乱暴に言ってしまえば「一緒に仕事をする仲間を探している」わけで、エントリーシートも、筆記試験も、面接も、そのために行っている。それによって、学生たちがどんな人間なのかを何とか知ろうとしているのだ。できれば、自分たちがやっている仕事が好きであって欲しいし、自分たちの会社も愛してくれる人がいい。だって、採用担当者たちは、実際にその会社で働き、そこでの仕事で生きてるんだから。

就職(活動)と恋愛は似ている、というのが持論だ。やはり「誰でもいいけどキミも好きだ」と言われて喜ぶ女性はいないだろう。「本気で好きなんだよね」とか「ワタシだけだよね」とか思ったりするはずだ。「どこが好き?」と聞かれて、「なんとなく」じゃあ、きっと振り向いてはくれないと思う。「どこが好きか」「なぜ好きか」「ずっと好きか」などと問われても、一人前の男子なら、ちゃんと言葉で答えなくてはならない。

・・・てなことを、内定がまだ出ていない学生諸君に話したけど、伝わったかな?


映画『ランボー 最後の戦場』を見てきた。就職戦線もまだまだ熱いが、復活したランボーの戦いも、かなり熱いものだった。

舞台はビルマ(現ミャンマー)。現実をかなり反映させた彼の地の惨状があり、捕らわれた民間人がいて、ランボーは決死の救出を敢行する。まあ、リアルな虐殺シーンがどーんとあり、「全編が銃撃と殺戮」てな具合に言われそうだが、それが見せたかっただけの映画ではないと思った。脚本・監督・主演のスタローンは、ビルマで行われていることに本気で怒っているのだ。

ちょっと気になったのが、映画の中で登場人物たちはずっと「ビルマ」と言っている。スタローンはインタビューでも「あえてビルマという国名を連呼した」と述べていた。しかし、日本語の字幕スーパーでは、すべて「ミャンマー」になっていた。そりゃまあ、日本政府は軍事政権が決めた「ミャンマー」という国名を使うことで、なし崩しに”承認”しちゃったことになっているが、わざわざ「ビルマ」という”消された国名”を使い通したスタローン監督の意思を、字幕が裏切ってはいないだろうか。どんなもんだろう。

これで、「ロッキー」に続いて、「ランボー」も完結・打ち止めとなるようだ。『ロッキー』シリーズも最後まで付き合ったし、この『ランボー』シリーズも見とどけることができた。内容うんぬん以前に、そんな感慨がある。おつかれさん、ランボー。

ランボー 最後の戦場 (ハヤカワ文庫 NV マ 2-99)
シルベスター・スタローン他 横山啓明
早川書房

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NHKインサイダー問題と新書『NHK』&『NHK問題』

2008年05月29日 | メディアでのコメント・論評

北海道新聞社会部より連絡があり、「NHKインサイダー取引問題」についてコメントを求められる。

まず、報道機関にいることで知り得た情報によって、不法に、個人的な利益を得るという行為自体が問題。信用とか信頼とか、報道機関の根幹に関わる部分を、自ら失うことになる。一種の自殺行為だ。報道機関には、単に「伝える」だけでなく、社会の動きに対する「チェック」や「批判」といった機能・役割があるが、こんなことが日常的に行われていれば、他をチェック・批判する資格を問われてしまう。

また、調査対象となった約2700名のうち、第三者委員会の調査に協力することを拒否した者が943人もいたことにも驚く。調査上、取引履歴を確認する必要があるが、それを証券会社から手に入れるための「委任状」を提出しなかったというのだ。対象者の35%は調査が出来ていないことになる。全貌は明らかになっていないのだ。

今後は、お定まりの「管理」問題が出てくるはず。しかし、職員に「当事者意識」が希薄なままでは、管理だけをいくら力説しても無駄だ。NHKで働く人たちが、職場集会でも職員集会でもいいから開いて、今回のインサイダー問題だけでなく、ここ数年の「NHK問題」を自分たちの問題として捉え直す必要がある。というか、そこを抑えないと、こんなことは今後何度でも起きるだろう。

・・・といった話をさせていただいた。

NHKに関する新書本としては、日経新聞で長く放送を担当し、後に立命館大教授などを務めた松田浩さんの『NHK』。ジャーナリスト・評論家の武田徹さんの『NHK問題』などがある。

NHK―問われる公共放送 (岩波新書 新赤版 (947))
松田 浩
岩波書店

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NHK問題 (ちくま新書)
武田 徹
筑摩書房

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福田陽一郎『渥美清の肘突き』と横江公美さん出版パーティ

2008年05月28日 | 本・新聞・雑誌・活字
福田陽一郎という名前を意識したのは70年代半ばのことだ。「渋谷パルコ」が、商業施設でありながら文化の発信基地というイメージで登場し、「公園通り」と共に渋谷の街のイメージを変えてしまったころ。

西武劇場(現パルコ劇場)で「ショーガール」というミュージカル・ショーが上演されていた。出演は木の実ナナと細川俊之だ。貧乏学生としては、気にはなったが見られるはずもなく、パルコに掲げられた巨大な看板というか宣伝幕みたいなものを見上げるばかり。その演出家が福田陽一郎さんだったのだ。

『渥美清の肘突き~人生ほど素敵なショーはない』(岩波書店)は、福田さんが書き下ろした自伝的回想録。昭和7年生まれの福田さんが、戦後の学生時代、日本テレビのディレクター時代、そしてフリーとして舞台演出や脚本などで大活躍する時代を、いかにエンタテインメントと共に生きてきたかが綴られている。

タイトルに渥美清の名が入っているが、福田さんは彼が若いころから亡くなるまでの長い時間を友人として過ごした。「肘突き」も含め、福田さんしか知らないエピソードが満載だ。

それにしても、テレビ草創期の現場の熱気というか、はちゃめちゃぶりというか、何をやっても初めてであり、毎日が実験とお祭りみたいな日々は、読んでいて羨ましくなる。登場する役者は、その後重鎮と呼ばれるような人たちだが、彼らもまだ若く、福田さんと一緒になって何かを生み出そうとしていた様子が目に浮かぶ。
この本が岩波書店から出たのも面白いが、割と小さな文字がぎっしり詰まっている。しかし、巻末の三谷幸喜さんとの対談も含め、一気に読んでしまった。

昭和38年、福田さんが日テレ時代に演出した『男嫌い』は、越路吹雪、淡路恵子、岸田今日子、横山道代という当時の人気女優4人を集めた連続ドラマだ。ゲストの男たちが、毎回、4人姉妹にやり込められるのがミソ。シチュエーション・コメディのはしり、みたいな内容だった。このドラマは、放送評論家の志賀信夫さんが今年2月に出版した大作にして労作『テレビ番組事始』の中にも登場している。

渥美清の肘突き―人生ほど素敵なショーはない
福田 陽一郎
岩波書店

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テレビ番組事始―創生期のテレビ番組25年史
志賀 信夫
日本放送出版協会

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そして、今日は珍しくパーティに出席した。千葉商科大学の大学院政策研究科博士課程で一緒に学んだ横江公美さんの出版パーティだ。松下政経塾を出てから米プリンストン大学やジョージワシントン大学で研究員をされ、帰国後はジャーナリストやコンサルタントとして活躍している。会場には、大学院での私たちの恩師である加藤寛先生もお見えになって、ユーモアあふれるスピーチを聞かせてくださった。また、「通信・放送の在り方に関する懇談会」の座長だった松原聡東洋大教授とも話すことができた。今回は同時に2冊の本が出たので、パーティも2冊分の合体となり、にぎやかだった。

一冊は学術書で、『アメリカのシンクタンク~第五の権力の実相』(ミネルヴァ書房)。もう一冊は、女性と仕事をテーマにした『キャリアウーマン・ルールズ』(KKベストセラーズ)。

アメリカのシンクタンク―第五の権力の実相
横江 公美
ミネルヴァ書房

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キャリアウーマン・ルールズ 仕事にフェロモン戦略は有効か?
横江 公美
ベストセラーズ

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総務省、広告費、青春ドラマ、川田亜子さん

2008年05月27日 | テレビ・ラジオ・メディア
昨日26日(月)は・・・

●総務省が行っている事業の一つに「情報通信人材研修事業」というのがある。その名の通り、各地で開催される情報通信分野での人材育成のための「研修」に、毎年、助成金が出ている。全国の様々な組織が「研修」を企画し、申請してくる。助成金を交付する対象を決めるためには「研修」を評価する必要がある。で、その評価委員というのをやらせていただいているのだ。今年度第一次応募分の”評価”提出の締め切りが迫り、分厚い申請書類の”精査”を行った。

●授業での必要があり、「広告」に関する資料を当たる。電通のデータによれば、2007年の日本の総広告費は7兆191億円。前年比101.1%だ。ポイントとしては、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌の、いわゆる「マスコミ4媒体」が3年連続して前年を下回ったこと。一方、インターネット広告費は4年連続増加となる6003億円に達し、ついに雑誌広告費(4585億円)を抜いてしまった。

●クルマ移動の車中で、NHK・FMを聴く。つのだひろサンが話をして、かかる曲は昭和の「青春ドラマ」特集。NHK『若い季節』でザ・ピ-ナッツが歌った主題歌などもあったが、やはり中心は日本テレビだった。『青春とはなんだ』『これが青春だ』『でっかい青春』という初期の”青春3部作”のテーマ曲を歌っていたのは、ぜ~んぶ布施明だ。個人的には、自分の高校時代と重なる『おれは男だ!』や、大学時代の『俺たちの旅』に始まる”俺たちシリーズ”に思い入れがある。とにかく、小学生のころに見ていた青春3部作はもちろん、カーラジオから流れてきた主題歌のほとんどを、今でもフツーに歌える自分にびっくりした。

●元TBSアナの川田亜子さんの自殺を知る。事情や原因などは知らない。プロデューサー時代もお会いしていない。しかし、アナウンサー、特に「女子アナ」が、画面からは想像出来ないほどの、いわば”精神的チカラ仕事”であることは知っている。何があったのかはともかく、合掌。

『大林宣彦の映画談議大全』と『マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』は、怒涛の<厚手・お徳感本>だ

2008年05月26日 | 本・新聞・雑誌・活字
一昨日(土)、銀座教文館で入手した『一言半句の戦場』は、20年前に亡くなった開高健さんの”新刊”だが、中身は全集や単行本に未収録だった文章を集めたものだ。この<未収録本>には弱くて、見かけると、つい買ってしまう。河出書房新社が何冊か出した山口瞳さんの<未収録エッセイ>シリーズなど最たる例だ。

わたしの読書作法
山口 瞳
河出書房新社

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『一言半句の戦場』には、本人の文章だけでなく、菊谷匡祐さんや島地勝彦さん、そして谷沢永一さんなど、開高健を直接知る人たちも文章を寄せている。これらがまた、読者にとっては開高健を”反芻”するのに実に有効だ。

ところで、この本の中で、どーでもいいことかもしれないが、どーしても気になることが一つ。全編に、開高健の写真がちりばめられていて、これもまた嬉しいのだが、187ページにある「書斎で執筆中の姿を真横から写した写真」とまったく同じものが231ページにも掲載されている。同一写真はこれしかなく、なぜ、なんだろう、狙いなのか、いや、まさか間違いってことは・・・などと思案している。単にいい写真だから2度出したのかもしれないが。

同じ写真が2度出てきても大丈夫なほど(?)この本は厚い。4センチはある。590ページで、しかも2段組み、3段組みのページが多い。なかなかの”お徳感”だ。

そういえば、最近入手した中に、この「厚手・お徳感」の本がいくつかあるなあ。

『大林宣彦の映画談議大全 <転校生>読本』は全798ページ。その厚さは、約5センチで、重さもかなりある。あの懐かしい「尾道3部作」の1本を自らリメイクしたことをきっかけに生まれた<厚手・お徳感本>だ。

大林宣彦の映画談議大全〈転校生〉読本―A MOVIE 1980~2008 ジョン・ウェインも、阪東妻三郎も、…
大林 宣彦
角川学芸出版

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そして、もう1冊。『マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究』は、その厚さ5.5センチもある。大林監督のほうは軟らかい表紙の「並製」だが、こちらは硬い表紙、ハードカバーだ。ジャズの巨匠というか、帝王マイルスに関する本気の研究書である。東京大学での講義録が軸になっている。講義なので、話し言葉であり、読みやすい。とはいえ、細かい文字での全776ページは圧巻だ。これまた出色の<厚手・お徳感本>である。

M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究
菊地 成孔,大谷 能生
エスクアイア マガジン ジャパン

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北海道新聞に書いた『組織ジャーナリズムの敗北』の書評、本日掲載

2008年05月25日 | メディアでのコメント・論評

北海道新聞書評欄 2008年5月25日(日)掲載

 『組織ジャーナリズムの敗北~続・NHKと朝日新聞』川崎泰資・柴田鉄治:著

  評:碓井広義(東京工科大教授・メディア論)

二〇〇五年一月、日本のリーディング・メディアであるNHKと朝日新聞が「大げんか」を始めた。天皇の戦争責任について考えた、〇一年放送のNHK「ETV2001・シリーズ戦争をどう裁くか」の第二回「問われる戦時性暴力」。その“改変”に政治家が関与していたと朝日が報じたのだ。きっかけは当事者による内部告発だった。

しかし、当の政治家もNHK本体も「介入」を全否定。内部告発は第三者による調査も行われないまま無視された。朝日側も途中から腰が引けた状態となり、結局は「取材の詰めの甘さ」を自省して幕を下してしまう。どちらも「組織ジャーナリズムのひ弱さ」を露呈する結果となったのだ。

本書は、この二つの組織のOBである著者たちが「NHKvs朝日」問題を再検証したものだ。丹念に資料を当たり、取材を重ね、実際に何が起きていたのか、どこに問題点があったのかを明確にしている。

驚くのは、NHK上層部が「政治家の意図を過剰に忖度」(東京高裁判決)し、意義ある番組を無残な形に作り替えていくその過程だ。密室でのやりとりには、サスペンスドラマのような緊迫感がある。一方、朝日が「ひるんだ理由」も列挙されている。「左翼偏向」と言われることへの過剰反応や取材資料流出問題などだ。さらに厳罰主義による「社内言論の封殺」という近年の傾向も指摘しており、両組織の危うい実態が見えてくる。

とはいえ、警鐘を鳴らす対象はNHKと朝日新聞に限らない。「タブーの拡大と、権力への迎合」は日本のメディアに共通した問題だからだ。本書全体から、ジャーナリズムの原点である「個の志」を「組織」がつぶしてはならないという著者の意志が伝わる。

テレビは新聞と違い、問題が起きても見返すことが困難だ。視聴者=国民が利用できる「番組の総合的閲覧システム」の必要性を強く感じる。

組織ジャーナリズムの敗北―続・NHKと朝日新聞
川崎 泰資,柴田 鉄治
岩波書店

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開高健『一言半句の戦場』と、銀座旭屋書店の消滅

2008年05月25日 | 本・新聞・雑誌・活字
びっくりした。旭屋書店が消えていた。銀座数寄屋橋そばの、あの旭屋書店だ。昨日(土)、久しぶりに寄ってみたら、まったく違う店になっていた。まるで浦島太郎だ。北海道の大学にいた6年の間にも、帰京したときには、ちょくちょく顔を出していたのに、閉店をまったく知らなかった。不覚。残念。閉まる前に、店内をゆっくり見て回りたかった。

銀座では、しばらく前に近藤書店&イエナが消えてしまった。学生時代から、銀座に行ったときは、ほぼ100%入っていた本屋さんだ。洋書をちゃんと読める語学力がなくっても、イエナの店内を歩き回り、洋書を手に取り、洋雑誌の表紙を眺めるだけで十分満足だった。梶井基次郎『檸檬』の主人公と丸善の関係じゃないけれど、イエナには、自分を刺激するまぎれもない「文化」(の香り)があった。

近藤書店も、2階の品揃えが好きだった。美術、映画、写真などのジャンルも充実。必ず収穫があった。それなのに、1,2階の近藤、3階のイエナが一緒に消滅してしまった。私にとっての銀座は、随分寂しくなった。「でも、まだ旭屋がある、教文館がある、文具の伊東屋もある」などと自分を慰めたものだ。まったく効き目はなかったが。

庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読んだのは1969年、中学3年生のときだ。この芥川賞受賞作の終盤、大事な場面で登場するのが銀座旭屋だった。地方の中学生にとって、「東京・銀座・旭屋書店」は想像するしかなく、いつかは行ってみたい憧れの場所となった。
赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)
庄司 薫
中央公論新社

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上京して以降、銀座まで行って、立ち寄らないことはほとんどなかった。その銀座旭屋が無くなってしまった。今の銀座には、ヴィトンだろうがブルガリだろうが、思いつく限りの有名ブランド店がある。それなのに、今の銀座にはイエナも近藤書店も旭屋もないのだ。「いいんかい、それで!」と声に出すわけにもいかず、しばらく舗道に立っていた。雨が降りはじめた。仕方がないので、伊東屋と教文館を目指して4丁目交差点方向へ歩き出した。

伊東屋で、ファーバーカステルのシャープペンシルとマルマンのスケッチブック50周年記念グッズなどを買った。教文館では、故・開高健さんの新刊(!)である『一言半句の戦場』を手に入れた。これで少し元気が出た。家まで帰るエネルギーを2つの店でもらい、地下鉄の駅へと向かった。

一言半句の戦場 -もっと、書いた!もっと、しゃべった!
開高 健
集英社

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女子バレー五輪決定と、黒沢清『恐怖の対談』

2008年05月24日 | 本・新聞・雑誌・活字
よかった、よかった。女子バレーが韓国に勝って、北京五輪への出場が決まった。別にバレーファンでも何でもないが、メディア(というかテレビ)を挙げての盛り上げの中、あれで五輪に行けなったら、彼女たちも辛かったと思うのだ。まずは、よかった、よかった。

しかし、中国四川省の大地震の犠牲者は、すでに5万人を超えた。生まれ故郷の町の人口より多い。それに家を失った人の数は500万人以上だという。ちょっとした国家規模になる。小さな国が一つ崩壊したようなものだ。北京五輪は8月8日から始まる。あと2ヶ月と少し。たとえば、日本で阪神大震災の2ヵ月後に、東京でオリンピックを開催しますか?石原知事!てなことを思う。何しろオリンピックは国家的事業ではあるが、開催するのはあくまでも「都市」なのだ。

地震の恐さとは違うが、恐さつながり(?)で読んだのが、黒沢清監督の『恐怖の対談~映画のもっとこわい話』。昨年の対談集『映画のこわい話』の続編だ。今回は、ホラー漫画『富江』の伊藤潤二さん、ヴィジュアリストの手塚眞さん、さら映画『旅芸人の記録』の巨匠テオ・アンゲロプロス監督までが登場する。こわさを画にすることの難しさと面白さだけでなく、創造することの秘密にまで迫る真剣勝負だ。

恐怖の対談―映画のもっとこわい話
黒沢 清
青土社

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これも恐怖とは違うが、今日こんな文章を見つけた。忘れないように書いておこう。

「時代は不安であり、われわれは生きたい。
 しかし時代は原因なしに不安ではなく
 われわれは目的なしに生きたいのではない」 

 中野重治『イデオロギー的批評を望む』(1934年)より

本日の新書

2008年05月23日 | 本・新聞・雑誌・活字
新書が元気だ。あるジャンル、あるテーマの「現在(いま)」を、ざっと見渡すことができる。本日入手した新書、以下の通リ。

テレビ進化論 (講談社現代新書 1938) (講談社現代新書 1938)
境 真良
講談社

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ネット広告がテレビCMを超える日 (マイコミ新書)
山崎 秀夫,兼元 謙任
毎日コミュニケーションズ

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グーグルに勝つ広告モデル (光文社新書 349)
岡本一郎
光文社

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著作権という魔物 (アスキー新書 65)
岩戸 佐智夫
アスキー・メディアワークス

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2008年「全国広報コンクール」審査結果発表

2008年05月22日 | テレビ・ラジオ・メディア
昨日(21日)、日本広報協会から、今年の「全国広報コンクール」の審査結果が発表された。このコンクールは全国の地方自治体が行っている様々な広報活動を、広報誌、WEBサイト、写真などの各ジャンルごとに審査し、表彰するものだ。

まず、それぞれの都道府県でコンクールが行われ、そこでトップとなった作品が最終審査の場に登場する。

ずっと審査委員をさせていただいている「映像部門」では、各地の「広報番組」を40本以上見ることになる。さすが都道府県の審査を勝ち抜いてきているだけあって、かなり力のある作品が並ぶ。

で、2008年「映像部門」の入選作は、以下の通りだ。


<特選>
北九州市(福岡県) あしたも笑顔北九州「認知症~この青空を忘れない」

<1席>
品川区(東京都) しながわのチカラ「ファインダーが見つめるしながわ」

<2席>
都城市(宮崎県) 住めば都んじょ「人形師は12歳!~伝統を継ぐ子どもたち」

<3席>
長岡市(新潟県) 特例市移行記念長岡市広報特別番組「長岡どっちどっち」

<4席>
駒ヶ根市(長野県) こまがね市役所だより「平和への願い」

<5席>
丸亀市(香川県) 広報まるがめ「島を元気に!幻の唐辛子復活」

<6席>  
砺波市(富山県) 「庄川と暮らす~庄川と流木の歴史」


特選となった北九州市「認知症~この青空を忘れない~」は、広報番組『あしたも笑顔北九州』で放送された1本。今回、映像部門の特選と同時に、総務省から贈られる「総務大臣賞」と読売新聞が決める「読売新聞社賞」にも選ばれ、なんとトリプル受賞となった。

この作品に関しては、次のような選評を書かせていただいた。

『北九州市では5人に1人が高齢者であり、その中の10人に1人が認知症を発症
していると推定されている。そんな現状を踏まえた「人間ドキュメント」である。
認知症の89歳の母と暮らす68歳の娘。その淡々とした日常生活と、静かに通い合
う情愛が感動的で、見る者に「こんな風に一緒に生きられたら」と思わせる。
また、カメラの存在を感じさせない自然な映像は「取材者と被取材者との信頼
関係」の成果に他ならない。』

広報番組というと、どうしても堅い・重い・暗い・つまらないといったイメージがある。確かに、今でも「お役所からのお知らせ」という内容に終始するものは多いが、各地で意欲的な作りの番組も登場しているのだ。

そんな、何らかのトライをしている広報番組とそれに携わっている方々にとって、少しでも応援になればという思いで、毎年審査をさせていただいている。全国の、それぞれの地域でしか見られないこれらの番組。どこかで”一挙公開”できるような機会があればいいのになあ、と思う。まあ、それは今後の課題として、まずは、入選の皆さんに拍手!なのだ。

映画『NEXT』と小説『ファイアー・フライ』のヒロイン2人

2008年05月21日 | 映画・ビデオ・映像
映画『NEXT』が面白い。公開当初から見たかったが、ようやく見ることができた。期待していた以上で嬉しい。2分先が見える。そんな期間限定の予知能力を持つのがニコラス・ケイジだ。ふだんはラスベガスで売れないマジシャンみたいな仕事をしている。ところが、その能力にFBIが目をつけた。なぜなら、ロシアからアメリカ本土に核が持ち込まれたから。その核によるテロを阻止するのにニコラス・ケイジの力を借りようというわけだ。そこから物語もアクションも一気に加速していく。

ニコラス・ケイジの逃避行につき合うことになるヒロインはジェシカ・ビール。『ブレイド3』や『ステルス』で見ている女優さんだが、今回が一番魅力的かも。何しろタフで純情ってところがいいよね。それに瀬戸朝香みたいな唇もいい。そうそう、ちょい役というか、印象的な脇役で「刑事コロンボ」のピーター・フォークも登場していたっけ。懐かしい。

ニコラス・ケイジとジェシカ・ビール。一見冴えない中年男と若い女性の<逃避行>というのが、シチュエーションはまったく違うのに、高嶋哲夫さんの書き下ろし新作『ファイアー・フライ』(文藝春秋)を思い出させた。

この『ファイアー・フライ』も、最近読んだエンタメ小説の中では出色の面白さだ。地味な中年研究員が突然誘拐されてしまう。しかも、この誘拐が億万長者である社長との「人違い誘拐」なのだ。おいおい、黒澤明監督『天国と地獄』かい?とか、途中では映画『太陽を盗んだ男』(大好き)かい?などと思っていると、全然違った展開となっていく。先が読めないことを味わいつつ、途中で「もしや、こうかな?」と思うこともまた楽しい。読後感もすこぶるよかった。

この作品の中にも、愛すべきヒロインが登場する。ジェシカ・ビールならぬ「良子」という、あまりに普通の名前なんだけど、この娘もいい。会ってみたくなる。中年研究員の「私」と「良子」との関わりは本書を読んでのお楽しみということで、とにかく『NEXT』も『ファイアー・フライ』も、なかなかの見ごたえ、読みごたえなのであります。


ところで、ふと気がつけば、このblogも開設からちょうど1ヶ月となった。予想は三日坊主のはずが、何やら楽しく続いている。記録と記憶。でも、まあ、今後もあまり気張らずに、のんびりやっていこうと思う。ささやかに、祝!1ヶ月。

丸山健二『田舎暮らしに殺されない法』の”さすがの凄み”

2008年05月20日 | 本・新聞・雑誌・活字
田舎暮らしに殺されない法
丸山 健二
朝日新聞出版

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それにしてもハッキリものを言う人だ。『田舎暮らしに殺されない法』の丸山健二さんである。団塊の世代の大量定年とリンクして、「第二の人生を田舎で」と志向する人は増加してきたし、実際に都会から移り住む人も相当いる。移った先の田舎では、ありがちなペンション経営から農業を始める人まで様々だ。

丸山さんがこの本で言っているのは、思いっ切りはしょってしまえば「田舎への移住など、およしなさい」ってことだ。その理由を、じっくり、こんこんと、ときに激しく、しかも極めて具体的に説明している。何しろ、ご自身が(元々の出身県とはいえ)田舎(信州安曇野)に移り住んで長いため、田舎の良さも、悪いところも、身をもって知っているのだ。移住希望の人たちが「夢想する田舎」と「現実の田舎」の差異を、この本では容赦なく挙げていく。

確かに、田舎暮らしや移住のためのガイドブックや雑誌の特集には決して記されない、田舎ならではのエグい部分は多々ある。本当にある。

これを読むと、退職金を手にして、「老後は、自然に恵まれた田舎で、素朴な人々と触れ合いながら、のんびり、豊かな気持ちで生活したいものだ」なーんて考えたり、着々と計画を進めている団塊世代は、冷水をぶっかけられたように感じるかもしれない。

また、これだけリアルに、クールに「田舎」&「田舎の人々」の現実について言及されれば、昔から田舎(信州安曇野に限らず)に住んでいる、いわゆる地元の人たちの中には「そこまで言うか!」と怒る人も多いだろう。

しかし、この本のキモは、「安易な田舎移住」への批判にあるのではなく、これまでどう生きてきたか、そしてこれからどう生きるかを真剣に考えること、自分の真の姿を(辛くても)見すえることを説いている点にある。

文壇という群れを嫌い、精神的にも物理的にも自身の文学スタイル、およびライフスタイルを貫いている丸山さんらしい一冊といえるのだ。

天気のはっきりしない日は、豪華3本立て。『生命徴候あり』『腕貫探偵、残業中』『偏屈老人の銀幕茫々』

2008年05月19日 | 本・新聞・雑誌・活字
はっきりしない天気の一日だったが、本読みにはうってつけだ。

まずは、久間十義 『生命徴候(バイタルサイン)あり』(朝日新聞社)。

『聖ジェームス病院』に続く医療エンタテインメント小説だ。ヒロインの鶴見耀子は大学病院の麻酔医。院内の複雑な人間関係から医療事故の責任を負わされ、恋人だった心臓外科医にも裏切られる。仕事と恋愛の行き詰まりの中、留学という機会を得てアメリカへと旅立つ耀子の体内には新たな命が宿っていた。

7年後、心臓カテーテル手術の最新技術を体得した耀子は日本に帰国する。息子の譲が一緒だった。赴任した千葉の病院を基点に活躍を始める耀子とチーム。彼らが用いるのは「ロータブレーダー」と呼ばれる医療機器だ。カテーテルの先端に工業用ダイアモンドをコーティングした極小ドリルを使用したもので、冠動脈疾患の治療に大きな成果を上げていく。

一方で耀子は若きITベンチャー企業家との危うい恋に落ちる。背景にはITバブルとその崩壊というダイナミックな時代状況。さらに医大内部の暗闘が耀子を巻き込んでいく。しかし、亡き祖父から学んだ「思えば魂(たま)は帰ってくる」の言葉を胸に彼女は困難に立ち向かう。徹底した取材に基づいた手術場面や、病院という閉鎖社会の内幕がリアルに描かれた佳作長編。
生命徴候あり
久間 十義
朝日新聞出版

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次は、西澤保彦『腕貫探偵、残業中』(実業之日本社)だ。 

「腕貫」は筒状の布の両端にゴムを入れたもので、手首から肘までを通す。事務仕事をする際に使うが、かつては役所の窓口などで働く人の象徴でもあった。

腕貫探偵には名前がない。いや、あるはずだが明かされない。本業は地方にある櫃洗市の市役所職員であり、「推理すること」は一種の余技だ。しかし、捜査に行き詰った刑事や知り合いの女子大生などから相談を受けると、その頭脳は驚異的な働きを見せる。本書は異色探偵による6つの謎解きを収めた連作短編集だ。

覆面男たちによるレストラン占拠。夫の不倫をめぐる夫婦間の争いから発展した殺人。消えた巨額預金と老女の死など、事件はいずれも市内で起きる。だが、腕貫男は動かない。捜査も調査もしない。食通の彼は気に入った店のテーブルにいて、ひたすら相談者の話に耳を傾け、冷静に人間関係を解読し、推理する。すると日常の奥に隠された人間の欲望や情念が明らかになり、そこから事件解決への糸口が見えてくるのだ。

前作『腕貫探偵~市民サーヴィス課出張所事件簿』で登場したユニークな安楽椅子探偵。そのクールな脳細胞は本書でも憎いほどに冴えわたっている。
腕貫探偵、残業中
西澤 保彦
実業之日本 社

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そして、石堂淑朗『偏屈老人の銀幕茫々』(筑摩書房)は、入手してから1ヶ月。早く読みたくてずっと気になっていたが、ようやく読めた。

著者は大島渚監督『日本の夜と霧』、実相寺昭雄監督『無常』、今村昌平監督『黒い雨』などで知られる脚本家。心筋梗塞や脳梗塞と戦いながら書き続け、これが“最後の文筆の仕事”と宣言した回想記である。

元々批判精神と毒舌には定評があるが、「今、書いておかねば」という思いから本書は一段と過激になっている。特に映画界での先輩や同期のエピソードは迫力満点。無類の酒乱で「俺は大監督だ」と大見得を切る、『キューポラのある街』の浦山桐郎監督。「木下(恵介)君は才能があったが教養がない、私は教養はあるが才能がない、へツへへツへ」と笑う大庭秀雄監督。しかも著者は「その通りなので返事の仕様がなかった」と続けるのだ。

青春時代の回想も凄まじい。東大時代、好きだった女子学生を奪った同級生に腹を立て、包丁を持って駒場寮に乱入。しかも逆に投げ飛ばされてしまう。以来、学業からはずれて酒呑み学生へと転落するのだが、その憎き相手が後の藤田敏八監督である。数十年後の目黒柿ノ木坂での再会など、まるで映画のワンシーンだ。

「後は冥界で実相寺昭雄や今村昌平と会うだけです」の言葉も強く印象に残る。

映画『フィクサー』と小林信彦『映画×東京とっておき雑学ノート』

2008年05月18日 | 映画・ビデオ・映像
上映時間に間に合うように仕事を済ませ、近くのシネコンに急行。映画『フィクサー』を見た。最大の理由は、ジョージ・クルーニー主演であること。次に、監督のトニー・ギルロイは『ボーン・アイデンティティー』シリーズの脚本家だったこと。これが監督デビュー作である。

異色の弁護士映画、というんだろうか。クルーニー演じるマイケル・クレイトン(この名前が原題でもある)は、弁護士は弁護士でも、企業の不祥事や所属する法律事務所にとって不都合なことを、表面化させずに「隠蔽工作」するのが専門なのだ。
ちなみに、マイケル・クレイトンとよく似た名前、マイケル・クライトンは映画『ジュラシック・パーク』などの原作で有名な作家です。もっとも、なぜか最近はマイクル・クライトンと表記されるみたいだけど。

軸となる案件は、世界的農薬会社に対する巨額の集団訴訟。この会社には、表ざたになれば大きな損失、といった秘密があり、それを「無いこと」にするためなら、裏で何でもやっちゃう。で、我らがクルーニーはどう動くのか、が見どころだ。

全体はサスペンスだが、その度合いは緩やか。マイケル・クレイトンという主人公も決して正義のヒーロー型じゃない。仕事も家庭も問題山積だし。生身というか、現代を生きる等身大の一人の男という感じだ。だが、このクルーニーもまた渋い。かっこいいのだ。”読後感”としては、かなり満足。映画らしい映画を見た気がした。

そうそう、『追憶』などの監督であるシドニ・ポラック。ときどき役者としても顔を見るけれど、この映画でも大事な役で、いい味、出してました。


シネコンの下の階、いつもの本屋さんで小林信彦さんの新刊『映画×東京とっておき雑学ノート~本音を申せば』を入手。「週刊文春」の連載は毎週読んでいるが、こうして1冊にまとまるたび、やはり買って読んでしまう。文庫になると、それもまた買って読む。なぜなら、その都度、新たな発見があるからだ。書名に「雑学」とあるが、小林さんが言う「雑学」と、テレビの雑学バラエティの「雑学」とは、まったくの別物である。