碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

【気まぐれ写真館】 令和元年も、本日まで

2019年12月31日 | 気まぐれ写真館

登場から70年になる、チャーリー・ブラウン&ルーシー

 

 

今年も

お世話になりました。

皆さま、

よいお年を!

 

2019.12.31

碓井広義


<2019年12月の書評>

2019年12月30日 | 書評した本たち

 

 

<2019年12月の書評>

 

チャールズ・M・シュルツ、谷川俊太郎:訳

『完全版ピーナツ全集15』

河出書房新社 3080円

これは快挙だ。チャーリー・ブラウンとスヌーピーと仲間たちの日常を描く世界的人気漫画は、1984年に掲載紙が2000に達し、ギネスブックに認定された。その50年分が全25巻の大型版全集になったのだ。収録は初出順。もちろん谷川俊太郎の個人全訳である。(2019.10.30発行)

 

渡邉義浩『はじめての三国志』

ちくまプリマー新書

今、何度目かの「三国志」ブームだ。その中心にあるのはゲームだが、原典に興味を持つ人にとって本書は格好の入門書だ。一般的に劉備や諸葛亮(孔明)などが人気者だが、著者は時代を切り開いたという意味で魏の曹操に注目する。新たな「三国志」像の登場だ。(2019.11.10発行)

 

稲泉 連『宇宙から帰ってきた日本人』

文藝春秋 1815円

毛利衛や山崎直子など12人の日本人宇宙飛行士が語る。夜の明るさで二分される朝鮮半島に「国境」を見た秋山豊寛。船外活動で「底のない闇」を実感した星出彰彦。そして帰還時の「重力体験」に驚いた向井千秋。多様で個性的な言葉に満ちたインタビュー集だ。(2019.11.15発行)

 

赤坂憲雄『ナウシカ考~風の谷の黙示録

岩波書店 2420円

宮崎駿のマンガ版『風の谷のナウシカ』。それは「思想の書として読まれるべきテクスト」だと著者は言う。風の谷は「国家に抗する社会」であり、ナウシカは「母なるもの」の肯定と否定を背負う。宮崎をドストフスキーと並べて論じることにも挑戦した野心作だ。(2019.11.21発行)

 

西尾実ほか:編『岩波 国語辞典 第八版』

岩波書店 3300円

通称「いわこく」、10年ぶりの最新版だ。削除された古い語は200項目。「ダイバーシティ(多様性)」や「eスポーツ」など2200項目が加えられた。ただし「十分に定着」と判断できる新語に絞っており、その慎重な姿勢が好ましい。新しい年を新しい辞書で。(2019.11.22発行)

 

向田邦子『向田邦子の本棚』

河出書房新社 1980円

今年は向田邦子の生誕90年に当たる。本書は住居に遺された蔵書を通して、そ軌跡と人となりをたどる冊だ。吉行淳之介や野呂邦暢の作品。夏目漱石やバルザックの全集。そして大好きな食をめぐる本。天性の書き手は一流の読み手でもあったことを実感する。(2019.11.30発行)

 

武田百合子『武田百合子対談集』

中央公論新社 1870円

単行本未収録を含む、初の対談集である。深沢七郎を相手に武田泰淳の日常を語り、吉行淳之介と共に西鶴『好色五人女』を通して男と女の機微を探る。さらに著者を「野生の牝馬にして陽気な未亡人」と呼ぶ、金井久美子・美恵子姉妹との本音鼎談も一読の価値あり。(2019.11.25発行)

 

泉 麻人『1964』

三賢社 1650円

本書はオリンピックイヤーとなった、怒涛の1964(昭和39)年を回想したものだ。アイドルだった舟木一夫。相撲の大鵬と柏戸。「エイトマン」や「狼少年ケン」のシール。「忍者部隊月光」の活躍。そして迎えた10月10日の開会式、東京は見事な晴天だった。(2019.12.10発行)

 

成瀬政博『表紙絵を描きながら、とりあえず。』

白水社 2420円

20年以上も『週刊新潮』の表紙絵を描き続けている画家の自伝的エッセイ集だ。養子に行った実兄、横尾忠則のこと。「どう生きていったらええんや」と言っていた晩年の父。そして大阪から移り住んだ信州安曇野での生活。絵はいかにして生まれてくるのか。(2019.12.10発行)

 

 


「文化庁芸術祭」大賞&優秀賞のNHK「土曜ドラマ」

2019年12月30日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

 

「文化庁芸術祭」で大賞&優秀賞に輝いた、

2本の「土曜ドラマ」とは!?

 

令和元年度(第74回)「文化庁芸術祭」の受賞作が公表されました。

その「テレビ・ドラマ部門」で、木村文乃主演『サギデカ』が大賞を、そして高橋克実主演『デジタル・タトゥー』が優秀賞を受賞しました。どちらもNHK「土曜ドラマ」での放送でしたが、一体、どんな作品だったのか!?

詐欺の被害者と加害者、双方に迫った『サギデカ』

漫画や小説が原作のドラマもいいけど、たまには面白いオリジナル作品を見てみたい。

そんな思いの視聴者にピッタリだったのが、今年の8月から9月にかけて放送された、NHK土曜ドラマ『サギデカ』でした。

主人公は特殊詐欺捜査が専門の警部補、今宮夏蓮(木村文乃)。追っていたのは悪質な詐欺組織です。

主な被害者は高齢者たちで、家族がトラブルに巻き込まれたと言って欺く基本的なものから、「地面師(じめんし)」グループによる犯罪に巻き込まれたケースまで多様。しかも、展開される詐欺事件が、いずれも細部までリアルなものでした。

夏蓮は捜査の過程で、電話で相手をだます、優秀な「かけ子」だった加地颯人(高杉真宙)と出会います。

「自殺したくなるほど働かせて微々たる給料しか払わない、合法なだけでケチで冷たいブラック会社より、ウチのほうが社員思いで合理的」だと言い張る加地。

「やるんだったら本当にガメツイ年寄りをピンポイントで狙いなさいよ!」と怒りをあらわにする夏蓮。

2人が対峙(たいじ)する取調室の場面は、木村さんが主演女優としての存在感を示して圧巻でした。

実は夏蓮にも加地と同様、過酷な過去があることが分かってきます。加害者と被害者。犯罪者と警察官。単純な対立軸だけでは見えてこない、社会や人間の深層に迫ろうとするドラマだったのです。

脚本は前回の文化庁芸術祭大賞『透明なゆりかご』も手掛けた、安達奈緒子さんのオリジナル。

詐欺組織を率いる「番頭」(長塚圭史)や、その上に君臨する「首魁」(田中泯)との一筋縄ではいかない戦いには、じりじりするような緊迫感があり、見応えがありました。

ネット社会のダークサイドに斬り込んだ『デジタル・タトゥー』

今年の5月から6月にかけて放送された、NHK土曜ドラマ『デジタル・タトゥー』は、ネット社会のダークサイドに斬り込んだ意欲作でした。

タイトルは、ネット上に刻まれた「負の記録」が、入れ墨のように残り続けることで人を苦しめる現象を指します。

弁護士の河瀬季(かわせ とき)さんの著書『デジタル・タトゥー ~ インターネット誹謗中傷・風評被害事件ファイル』が原案で、脚本は浅野妙子さん。

主人公の岩井堅太郎(高橋克実)は元特捜検事で、現在は弁護士をしています。検事時代に大物政治家・伊藤秀光(伊武雅刀)の疑獄事件を担当し、秀光の長男を自殺に追い込んだという苦い過去があります。

そんな岩井の助けを求めてきたのが、人気ユーチューバーのタイガこと伊藤大輔(瀬戸康史)でした。

実は、タイガは伊藤秀光の次男。しかし、ネットでの炎上をきっかけに何者かに命を狙われる事態に陥ったのです。そんな2人が、ネットによる被害者を救済する活動を始めます。

たとえば、8年前に冤罪(えんざい)の痴漢事件で有罪となり、教師の職を追われた男が登場しました。彼は住む場所を変え、ようやく小さな塾を開いたのですが、過去の出来事を蒸し返す執拗(しつよう)な投稿のせいで、塾を閉めざるを得なくなります。

その痴漢事件の担当検事が自分だったこともあり、この案件を引き受ける岩井。調べてみると、投稿者は塾に息子を通わせていた母親(中越典子)でした。彼女には性犯罪者を恨む強い理由があり……。

岩井とタイガが向き合うのは、他者の人生を破壊する力を持つ、「匿名性」という名の凶器でした。しかも被害者になる可能性は誰にでもあるのです。異色コンビの戦いは、見ている側にも、他人事ではない恐怖を感じさせるに十分なものでした。

芸術祭大賞の『サギデカ』。そして優秀賞の『デジタル・タトゥー』。2本の「土曜ドラマ」に共通するのは、ヒリヒリするような「現代のリアル」だったのです。



【気まぐれ写真館】 令和元年も、あと1日

2019年12月30日 | 気まぐれ写真館

神奈川 2019


「民放連賞グランプリ」が示す、地方局のコンテンツパワー

2019年12月29日 | 「現代ビジネス」掲載のコラム

 

 

「民放連賞グランプリ」が示す、

地方局のコンテンツパワー

 

民放連賞グランプリ『チャンネルはそのまま!』

北海道テレビ(以下、HTB)が制作したドラマ『チャンネルはそのまま!』が、2019年日本民間放送連盟賞」のテレビ部門でグランプリを獲得した。

HTBは、札幌にあるテレビ朝日系列の放送局。長い間、郊外の南平岸の高台にあった局舎が、都心の「さっぽろ創生スクエア」へと移転したのは昨年9月ことだ。

南平岸に残った「旧社屋」を、ロケセットとして使いながら制作した開局50周年記念ドラマが、受賞作の『チャンネルはそのまま!』だ。放送されたのは今年の318日(月)から22日(金)までの連続5夜だった。

「バカのチカラ」が人を動かす!?

ドラマ『チャンネルはそのまま!』全5話の内容を、ひとことで言うなら、北海道のローカルテレビ局「HHTV北海道(ホシ)テレビ」に入社してきた破天荒な新人女性記者、雪丸花子(芳根京子)の奮闘記である。

そういう意味では、いわゆる「お仕事ドラマ」と呼べるかもしれない。しかし、「テレビ局が舞台のお仕事ドラマ」としてイメージしやすく、またこれまでにドラマにもなったアナウンサー物ではない。花子が所属する報道部だけでなく、編成部、営業部、技術部といった、外部からは見えづらい部署の人たちを丁寧に描いているのが特徴だ。

ドラマの中の花子は、一種の「狂言回し」であり、効き目のある「触媒」のような役割を果たす。彼女によって、それまでなんとなく「俺たちローカルって、こんなもんだよね~」という気分で沈滞していたホシテレビが、じわじわと活性化していくのだ。

しかし、「花子はとてつもなく優秀なスーパーテレビウーマンなのか?」と問われたら、答えは「逆ですね」となる。優秀の逆で、ドジな劣等生であり、どう考えても、テレビ局の採用試験という難関を突破できるはずのない就活生だった。

では、なぜ入社できたのか。採用に際して、ホシテレビが設けているという「バカ枠」のおかげだ。

優秀なメンバーだけでは、組織全体が小さくまとまってしまう。そこに異種としてのバカ(「おバカ」ではない)を混入させ、予測できない化学反応が起きることを期待する。それが「バカ枠」であり、このドラマは、ローカルテレビ局という組織と人が、「バカのチカラ」によって思わぬ変貌を遂げていく物語だったのだ。

ちなみに、ホシテレビでは「バカ枠」と同時に、バカをサポートする「バカ係」も採用していた。ドラマの中では、花子と同じ報道部に配属された出来のいい新人、山根(「男劇団 青山表参道X」の飯島寛騎)が、それに当たる。

事件は「現場」で起きる!

第1話は、ドジと失敗ばかりなのに応援したくなる花子のキャラクターと、テレビの仕事を、視聴者側が知っていく時間だ。続く第2話で、カリスマ農業技術者にして農業NPOの代表でもある蒲原(大泉洋、快演!)が登場したあたりから、物語はぐんぐん加速していく。

また、局内の2人の人物を通じて、テレビとローカル局の現状を垣間見ることができるのも、このドラマの醍醐味だ。キー局から送り込まれた編成局長、城ケ崎(斎藤護)が部下たちに言い放つ。

「いいか! キー局では視聴率がすべての基準。数字がすべてだ!」

一方、いかにも生え抜きの情報部長、ヒゲ面にアロハシャツの小倉(演じる藤村忠寿はHTB『水曜どうでしょう』ディレクターにして本作の監督)は、こんなことを言う男だ。

「報道部で必要なのは5W1H。情報部に必要なのは5W1H+L。ラブだよ!」

さらに、ホシテレビよりも強大で、視聴率でも断然リードしている「ひぐまテレビ」(モデルは札幌のどの局か?)には、ホシテレビを目の敵にしている剛腕情報部長の鹿取(安田顕)もいる。ローカルにはローカルの熾烈な戦いがあることを、安田が、『下町ロケット』などで鍛えた凄味のある演技で伝えていた。

「果敢な挑戦」としてのドラマ制作

今回、ヒロインを演じたのは芳根京子だ。昨年の『高嶺の花』で、石原さとみの妹役でひと皮むけた進化を遂げたが、このドラマでは、コメディエンヌとしての才能をフル稼働させている。

確かにドジかもしれないが、いつも一所懸命。周囲が見えなくなってしまうほど、他者の気持ちに寄り添ってしまう。周囲に迷惑ばかりかけるが、必ず何かの「きっかけ」を生み出していく。

「バカのチカラ」炸裂の花子だが、テレビ局だけでなく、社会の中に、こういうバカが増えてくれたらいいなあ、と思わせてくれる元気な女子だ。

主演の芳根、脇を固めた大泉をはじめとするTEAM NACS(チーム・ナックス)の面々、オクラホマなど北海道のタレントや役者、そして作り手であると同時にキャストでもあるHTB社員たちの総合力によって出来上がったこのドラマ。笑いながら最終話まで見ていくと、いつの間にか、とんでもない領域まで連れていかれたような快感がある。

放送という電波だけが、視聴者とつながる回路ではなくなった時代だ。アウトプットの方法が多様化した時代。東京の局だろうが、地方の局だろうが、面白いコンテンツを創造できるかどうかが生命線となる時代。「地方局はどう生きるべきか」という自問への一つの回答が描かれていた。

またこのドラマは、ときには「オールドメディア」などと言われたりもするテレビが持つ、「どっこい、ナメんなよ!」というポテンシャル(可能性としてのチカラ)も示してくれていた。別の言い方をすれば、物語の中に「テレビだからこそ」「テレビならでは」の魅力の再発見があったのだ。

今回のHTBの果敢な挑戦、もしくは壮大な実験には、これからの生き残りを模索している、全国のローカル局も注目していた。その結果としての民放連賞グランプリではなかったか。

原作は佐々木倫子(『おたんこナース』『Heaven?』など)の同名漫画で、脚本は森ハヤシ。監督はキャストでもある藤村忠寿を筆頭に4名が並ぶ。総監督を務めたのは、『踊る大捜査線』シリーズの本広克行だ。

この『チャンネルはそのまま!』だが、グランプリ受賞記念として、20201月にHTBをはじめ全国のテレビ朝日系列局で放送されることが決まった。

HTB、テレ朝、朝日放送、メ~テレ、九州朝日放送などでは、202015日(日)午前10時~第1話・第2112日(日)午前10時~第3話・第4119日(日)午前10時~第5話となっている。他の系列局でも日程は異なるが視聴可能だ。

地方局の番組は、たとえ秀作であっても、他の地域では見ることが難しい。こういう形で全国放送が実現したことは、「賞」の効果として、とても喜ばしいことだ。テレビの「現在」を目撃するという意味でも、一見の価値がある。

研究者も注目の『水曜どうでしょう』

『チャンネルはそのまま!』で監督を務めた、HTBの藤村忠寿ディレクター。あの伝説的ローカル番組『水曜どうでしょう』で知られた制作者であることは言うまでもない。

北海道で、『水曜どうでしょう』の放送が始まったのは1996年のことだ。思えば、出演の大泉洋も鈴井貴之も当時、道内では知られていても、全国的にはまだ無名だった。

やがて番組は、いわば「無茶な旅」という鉱脈を見つける。様々な行先が書かれたサイコロを振り、何が何でもその通りに実行する姿がおかしく、口コミなどでファンが増えていく。後には国内だけでなく、「原付ベトナム縦断1800キロ」といった壮大な企画にも挑戦していった。

この番組の特徴は、出演者2人とディレクター2人の計4人だけでロケを敢行することだ。カメラもディレクターが回している。姿は映っていなくても常にスタッフの声が入り、笑ったり、怒ったりするのも番組名物だ。

レギュラー放送が終了したのは2002年。その間に各地のテレビ局に番組販売が行われ、全国区の知名度を持つドキュメントバラエティとなっていった。 

キーワードは「共感の共有」

つい最近、『水曜どうでしょう』に関する興味深い本が出版された。広田すみれ『5人目の旅人たち―「水曜どうでしょう」と藩士コミュニティの研究』(慶應義塾大学出版会)だ。著者は気鋭の社会心理学者。「ファンはなぜこの番組にのめり込むのか」を探った、異色の研究書である。

著者がまず注目するのは、早い段階でのDVD化やネット動画を通じて、繰り返し視聴を可能にしたことだ。また番組掲示板の活用により、ファンの間の「共感」を維持してきた。

さらに著者は、この番組が持つ「身体性」を指摘する。まるで4人と一緒に旅をしているような、一種のバーチャル感を生み出す映像と音声。特に時間にしばられずに臨場感を高める編集を施したDVDは、通常のテレビ番組とは違う「体験」型の映像コンテンツとなった。

今回の研究は、全国のファン(藩士と呼ばれる)の中に、この番組を「癒し」と感じる人が多いと知ったことがきっかけだったという。特に東日本大震災の被災者を精神的に支えるアイテムとなっていた。視聴者同士の間に生まれた「共感」の共有。それはまさに現在のソーシャルメディアでの「共有」の先駆けだったのだ。

共感の共有。それは『水曜どうでしょう』のみならず、ドラマ『チャンネルはそのまま!』にも通底していることに気づく。それは、来る2020年からのコンテンツ制作にとっても、大きなヒントとなるキーワードである。

 


【気まぐれ写真館】 令和元年も、あと2日

2019年12月29日 | 気まぐれ写真館

四谷 2019


【書評した本】 森繁久彌 『道―自伝』

2019年12月28日 | 書評した本たち

 

 


週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

すこぶる付きの名文家でもあった

名優「森繁久彌」の自伝集 

 

森繁久彌

『道―自伝 全著作(森繁久彌/コレクション1)』 

藤原書店/3080円

 

俳優の森繁久彌が亡くなったのは2009年11月。96歳だった。ある世代以上の人には、それぞれの「モリシゲ体験」があるのではないか。

1950~60年代の東宝映画『社長』シリーズ。1967年から20年近くも続いた舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』。向田邦子も脚本を書いたドラマ『だいこんの花』を挙げる人もいるだろう。

いや、著名人の葬儀で、「本来なら私が先に逝くべきなのに」と弔辞を読む姿を思い浮かべる人もいるはずだ。

ただ、森繁が名優であることは知っていても、すこぶる付きの名文家だったことを知らない人は多い。

その意味で、今回の全5巻におよぶ「コレクション」の刊行は僥倖かもしれない。何しろ第1弾は森繁の文名を高めた『森繁自伝』や『私の履歴書―さすらいの唄』を収めた「自伝」集だ。

この2作を読めば、森繁久彌という「特異なキャラクター」がどうやって出来上がったのかが、よくわかる。しかもそのプロセスは、「小説より奇なり」という常套句そのままに波瀾万丈なのだ。

大正2年の生まれ。関西実業界の大立者だった父親を2歳で亡くす。旧制・北野中学に入学するが、一気に不良化。早稲田第一高等学院に転じて早大へと進む。学業半ばで飛び込んだのが東宝新劇団だ。

やがてNHKのアナウンサーとなり、満州の新京中央放送局へ。それが昭和14年、26歳の時だった。敗戦時の混乱と悲惨を満州で体験する。

本書で注目したいのは、随所に見られる独特の人生哲学だ。「昨日の朝顔は、今日は咲かない」と過ぎたことには拘らない。

俳優の仕事もまた「瞬間を生きるもので、それらは網膜に残影を残して終りである」と覚悟して臨んでいる。今を生きることに全力を注ぐ姿勢は、人気俳優となってからも一貫していた。

自伝の面白さは書かれていることだけではない。行間に漂う歴史の闇を想像するのも本書の醍醐味だ。

週刊新潮 2019.12.19号)


【気まぐれ写真館】 令和元年も、あと3日

2019年12月28日 | 気まぐれ写真館

北参道 2019


2019年ドラマ総括

2019年12月27日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

2019年ドラマ総括

SNS全盛時代の想像力と距離感がキーワード

 

令和元年も残り1週間となった。この1年、世の中は傲慢政権のほころびが目立つばかりで、あまりいいことがなかったような気がする。将来、単なる「オリンピックの前の年」と言われそうだが、さて、ドラマ界はどうだったのか。

まず1月クール。強い印象を残したのが、菅田将暉主演「3年A組今から皆さんは、人質です」(日本テレビ系)だ。

男が突然、高校に立てこもる。武器は爆弾。人質は3年A組の生徒全員。しかも犯人の柊(菅田)は担任教師だ。事件の背後に水泳の五輪代表候補だった澪奈(上白石萌歌)の自殺があった。

ドーピング疑惑で騒がれ、周囲から陰湿ないじめを受けていたのだ。柊はさくら(永野芽郁)ら生徒たちに、「なぜ澪奈は死んでしまったのか、明らかにしろ」と迫る。

やがて澪奈の水着を切り刻んだり、自宅に投石したりしたのが香帆(川栄李奈)であることが判明。柊は香帆に言う。「自分が同じことをされたらどんな気持ちになるか、想像してみろ」と。実は「想像力」こそ、このドラマのキーワードだ。

物語の中では、これでもかというほどネットやSNSの負の威力が描かれていた。確かにスマホは便利だが、この手のひらの中のパソコンは、使い方によっては自身の思考を停止させてしまう。

同時に他者の人生を破壊することさえ可能だ。このドラマはこの凶器の危うさを徹底的に暴いてみせた。

ただの立てこもり事件と思わせておいて、徐々にドラマの意図を明かしていったオリジナル脚本は武藤将吾。迫真の演技の菅田と共に、このドラマを成功へと導いた立役者だ。

4月クールでは、吉高由里子主演「わたし、定時で帰ります。」(TBS系)が出色だった。原作は朱野帰子の同名小説。脚本は奥寺佐渡子と清水友佳子である。

32歳の結衣(吉高)が勤務するのは、企業のサイトやアプリを制作する会社だが、10年選手の彼女は残業をしない。「会社の時間」と「自分の時間」の間に、きちんとラインを引いている。

モーレツ社員だった父の姿や、かつての恋人だった種田(向井理)が過労で倒れたことなどから、無用な働きすぎを警戒し、定時で帰ることをポリシーとしているのだ。とはいえ、その働き方には工夫があり、極めて効率的だった。

当然、周囲との軋轢はある。たとえば部長の福永(ユースケ・サンタマリア)は、結衣の「働き方」に皮肉を言い続けていた。

しかし、はじめは冷ややかに見ていた周囲の人たちも、物語の進行と共に徐々に変わっていく。最終回、結衣が部下たちに言う。「会社のために自分があるんじゃない。自分のために会社はある」と。

このドラマは、「働き方」を考えることは自分の「生き方」を見直すことでもあることを、重すぎず軽すぎないストーリーと人物像で描いて見事だった。

主人公が変わることで周りも変わっていく

黒木華主演「凪のお暇」(同前)が登場したのは7月クールだ。凪(黒木)は28歳の無職。職場の同僚や恋人(高橋一生)との間で、「空気を読む」ことに疲れた彼女が、「人生のリセット」を試みる物語だった。コナリミサトの同名漫画が原作で、脚本は大島里美だ。

人がストレスを感じる大きな要因は人間関係にある。このドラマでは、そこから逃げるのではなく、「お暇」という形をとったところが秀逸だった。

抱えている課題や問題はいったん脇に置き、それまでの自分、それまでの対人関係などと、時間的・空間的な距離をとってみる。そんな「自分を見つめ直すプロセス」を描いていた。

もちろん、人はすぐには変われない。しかし、本来の自分、素の自分というものに「気づいたこと」が大きかったのではないか。そのことで少しずつ主人公が変わり、周りの人間も変わっていく。気づくことで生まれる「リセットパワー」。このドラマの醍醐味はそこにあった。

10月クールの注目作は、高畑充希主演「同期のサクラ」(日本テレビ系)である。10年前、主人公のサクラ(高畑)は、故郷の離島に橋を架ける仕事がしたいと大手建設会社に入社した。

だがドラマの冒頭、なぜか彼女は入院中で、脳挫傷による意識不明の状態だった。見舞いにやってくるのは清水菊夫(竜星涼)や月村百合(橋本愛)といった同期の仲間だ。10年の間に一体何があったのか。その謎が徐々に明かされていくという仕掛けだ。

このドラマの最大の特色は、ヒロインであるサクラの強烈な個性にある。普段はほとんど無表情。おかっぱ頭にメガネ。一着しかない地味なスーツを寝押しして使っている。

加えて性格は超がつく生真面目で、融通が利かない。正しいと思ったことはハッキリと口にするし、相手が社長であっても間違っていれば指摘する。場の「空気」を読むことや、いわゆる「忖度」とも無縁だ。そのため社内で徹底的に疎まれ続ける。

サクラというキャラクターは明らかに難役だ。しかし高畑は荒唐無稽の一歩手前で踏みとどまり、独特のリズム感と演技力によってサクラにリアリティーを与えていた。

本来はまっとうであるはずのサクラが、どこか異人に見えてしまう組織や社会。また、すべてを常識という物差しで測ろうとする現代人。サクラと同期たちが過ごした10年には、私たちが物事を本質から考え直すためのヒントが埋め込まれていた。

脚本は遊川和彦(「家政婦のミタ」など)のオリジナルだ。来る2020年、漫画や小説が原作のドラマだけでなく、ドラマでしか出合えない秀作が一本でも多く出現することを期待する。

(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!2019.12.25

 


【気まぐれ写真館】 令和元年も、あと4日

2019年12月27日 | 気まぐれ写真館

銀座 2019


今年のテレビ報道から

2019年12月26日 | 「しんぶん赤旗」連載中のテレビ評

 

 

今年のテレビ報道から

 

2019年もあと一週間ほどだ。この一年のテレビ報道の中で、特に気になった二つの事案について総括しておきたい。

一つ目は「韓国報道」だ。今年8月、韓国は日本との「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」の破棄を表明した。そこに文在寅(ムン・ジェイン)大統領の側近である、曺国(チョ・グク)氏の不正疑惑などが加わり、韓国を扱うワイドショーや情報番組などが急増した。しかも、その報道は「嫌韓」に近い内容が目立ったことが特色だ。

すでに7月19日の「ワイド!スクランブル」(テレビ朝日系)で、コメンテーターの黒鉄ヒロシ氏(漫画家)が「断韓」とフリップに書いて国交断絶を呼びかけていた。8月22日の「ひるおび!」(TBS系)では、元駐韓国日本大使で外交評論家の武藤正敏氏が「韓国は裁判官でも相当左がかった人が多い」などと暴言を放った。

こうした偏った報道の背景に、番組で韓国を非難すると視聴率が高くなるという現実がある。同時に、放送局が安倍政権の対韓強硬政策に便乗、もしくは忖度(そんたく)する、安易な姿勢も垣間見えた。

次が「かんぽ不正問題報道」である。かんぽ生命保険の「不正販売問題」を追及した、「クローズアップ現代+(プラス)」の「郵便局が保険を“押し売り”!?郵便局員たちの告白」(18年4月放送)に対して、日本郵政グループから猛烈な抗議があり、NHKは同年夏に予定していた続編の放送を延期。またNHK経営委員会が、上田良一会長を「ガバナンス(企業統治)強化」の趣旨で厳重注意したのだ。

当時、日本郵政グループは十分な社内調査を行わないまま抗議していた。後に不正販売が事実と判明したこともあり、日本郵政の長門正貢社長は9月30日の記者会見で抗議について謝罪する。

しかし、日本郵政とNHK経営委員会の行いは明らかに番組介入であり、報道の自由を侵害するものだ。そして経営委による会長への厳重注意は、「今後はこういうことをしてはならない」という意味で、放送法が禁じる「干渉」にあたる。また監督機関の経営委と執行機関の会長に上下関係はない。会長は毅然(きぜん)として注意処分の根拠を問いただすべきだったのだ。

(しんぶん赤旗「波動」2019.12.23)


【気まぐれ写真館】 令和元年も、あと5日

2019年12月26日 | 気まぐれ写真館

銀座 2019


新機軸ドラマだった、生田斗真主演『俺の話は長い』

2019年12月25日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

『同期のサクラ』と並ぶ新機軸ドラマだった

生田斗真主演『俺の話は長い』

 

生田斗真主演の『俺の話は長い』(日本テレビ系)が最終回を迎えました。「そうかあ、終わっちゃうのかあ」と、ちょっと寂しく思った人、少なくないと思います。

このドラマ、毎回、2本立てで放送するというスタイルが話題になりましたが、それ以上に内容が新鮮でした。今期の『同期のサクラ』と並ぶ、日テレの新機軸というか、トライアル作品であり、かなり個性的でクセの強い1本だったからです。つまり、ハマる人は、どハマりする。

主人公の岸辺満(生田)は起業に失敗した後、6年も無職を続けてきた、堂々のニートです。いわゆる就職活動はしていなくて、時々小さなバイト(草野球の審判とか)をする程度。しかも、「自分には働かなくていい才能がある」と主張する、ちょっと変わったニートでもあります。

もともと満は、実家で喫茶店を営む母親・房枝(原田美枝子)と暮していました。そこへ姉の綾子(小池栄子)が、家のリフォームを理由に夫の光司(安田顕)や娘の春海(清原果耶)と共に転がり込んできます。

静かな2人暮しだったものが、突然、5人家族になった。いや、だからと言って、何か事件や大きな出来事が起きるわけではありません。あくまでも、満を中心とした岸辺家の「日常」が淡々と描かれていくのです。

朝食や夕食をとる1階の居間が、何かと家族が集まる場所になっているのですが、ここで交わされる家族の「会話」が、このドラマの中では大きなウエイトを占めていました。

何しろ、満が、まあ、とにかく、よくしゃべるんですね。しっかり者の姉にとっては、ニートの弟は気がかりで、就職のことなどよく話題にあがるのですが、満は弁解どころか、滔々と「働かないこと」について語って一歩も引きません。しかも返す刀で、相手の抱えている課題について斬り込んでいく。

カギは、満の「聞く力」

このドラマでは、そんな満の屁理屈のような、無駄話のような、でも、どこか正論めいた独特の「持論」を延々と聞かされます。確かに、「俺の話は長い」わけで。

たとえば、昔見た映画のタイトルが思い出せない時、「スマホで検索すれば」と提案されると、「最短時間、最短距離で歩く人生に、おもしろい木の実は落ちていないよ」と説く。聞いていると、スマホ社会、検索社会のちょっとした落とし穴、盲点を突いているような気がしてくるから不思議です。

またハロウィーンに便乗しようと、母親の喫茶店で相談する商店街の人たちに対して、「世間の浮ついた波にのみ込まれて、本当に残さなくちゃいけない祭りや花火大会が廃れていく」とクギを刺したりもします。その言葉には独特の説得力があり、聞く側もふと我に返ったり、自問したりするので、侮れない。

そんな満のふるまいは、自分の主張を他人に押しつけるだけの、単なる我がまま男と思われてしまいがちです。しかし、よく見ていると、満は相手の話をしっかり聞いているんですね。

当たり前と言えば当たり前で、相手の話をよく聞いているからこそ、その内容の矛盾や問題点を指摘できる。その上で、自分の思うところを目いっぱい語ることもできるわけです。満は、「話す力」もさることながら、この「聞く力」を持っていたのではないでしょうか。

「ホームドラマ」であり「哲学ドラマ」!?

たとえば、プラトンの『饗宴(きょうえん)』でも、ソクラテスは哲学的エロスについて大いに語るのですが、その前に、パイドロスだのアガトンだの周囲にいる面々の話をしっかり聞いています。

ソクラテスは、かれらの話を踏まえて、「さて、アガトン、きみが言ってくれたように、最初にエロスとは何者で、どのような存在なのかについて語り、その後、エロスはどんな働きをするのかについて語らなければならない」などと言って、自らの論を展開していきます。聞いていなければ話せない、ということです。「対話力」と言ってもいい。

満の「聞く力」や「対話力」が見事に発揮されたのは、春海(清原)や光司(安田)に対してでした。

中学3年の春海は不登校でしたし、母・綾子(小池)の2番目の夫である光司を嫌っていました。そして光司は春海との接し方に悩んでいるだけでなく、仕事についても迷いの中にいました。

どちらも、岸辺家に居候している間に、満と接することで、徐々に変わっていきます。満との対話を通して、それまで過剰に自分を抑えたり、適当にごまかしたり、どこか無理をしていたことに気づいていった。そして少しずつ、自分を変えていきました。それは綾子も同じだったかもしれません。

物事の本質を問い、それによって相手に考えさせるという意味で、オーバーなことを承知で言えば、満は一種の「哲学者」なのかもしれません。ホームドラマの形を借りた「哲学ドラマ」。やはり新機軸だ。

「岸辺」の向こうへ

そうそう、脚本は金子茂樹さんのオリジナルですが、物語の舞台とした岸辺家の「岸辺」という名字には、山田太一さんが70年代に書いた名作ドラマ『岸辺のアルバム』へのオマージュが込められているのではないか、と勝手に想像しています。

岸辺満(きしべ みつる)という主人公の名前。「岸辺が水で満ちる」ということで、『岸辺のアルバム』のモチーフであり、ドラマの中で実写映像も使われた、1974年の「多摩川水害」を思い浮かべたからです。

『岸辺のアルバム』は、当時のホームドラマの既成概念をひっくり返した、革命的なホームドラマでしたが、『俺の話は長い』もまた、「ホームドラマというフレームを使って、こんなこともできる」という果敢な挑戦でした。

というわけで、最終回。姉一家はリフォームが済んだ家に戻り、満もまたスーツに身を包んで、就職のための面接に出かけていきました。採用されるかどうかは分かりませんが、「向こう岸」へと、橋を渡っていく満の姿が印象に残ります。

もしかしたら満は、就職という形で組織などに属したりせずに、自分で何かをはじめるかもしれない、などと思っていたので、この結末は「なるほど、そうきたか」という感じでした。とはいえ、あの満が、ついに動き出したわけですから、あとは本人に任せようではありませんか。


【気まぐれ写真館】 令和元年も、あと6日

2019年12月25日 | 気まぐれ写真館

京橋 2019


【書評した本】 佐高 信 『いま、なぜ魯迅か』

2019年12月24日 | 書評した本たち

 

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

「いまこそ魯迅」という著者の闘争継続宣言

佐高 信『いま、なぜ魯迅か』

集英社新書/880円

 

佐高信『いま、なぜ魯迅か』は、今年74歳になる著者の思想的自叙伝である。自身の「思想の源郷」というべき魯迅。その魯迅に影響を受け、そして著者に影響を与えてきた人々の「思想と行動」を振り返っていく。

いや、逆かもしれない。著者の血や肉となってきた彼らが、それぞれに魯迅と繋がっていることを再検証したのが本書だ。

登場するのは中野重治、久野収、竹内好、むのたけじなど。魯迅と重なるのは「批判と抵抗の哲学」であり、それは著者の拠って立つところでもある。

たとえば久野は、「(魯迅には)文学や言論の役目を深く信じ、(中略)ある段階へ行くと政治的影響力に転化する、という気魄がある」と語っている。

また、むのが書いた「行く先が明るいから行くのか。行く先が暗くて困難であるなら、行くのはよすのか。よしたらいいじゃないか」という厳しい言葉。まるで魯迅が憑依したようだ。

さらに本書では魯迅とニーチェの類似性にも注目する。「腐敗した秩序をも維持させてしまう通俗道徳に爆薬をしかけたこと」で共通していると著者。

確かに「およそ身振りを必要とする者は、贋物である……あらゆる絵画的人間を警戒せよ!」といったニーチェの箴言は魯迅を思わせる。同時に現在の日本社会をも連想させる普遍性がある。

書名の「いま、なぜ魯迅か」は、「いまこそ魯迅なのだ」の意味であり、「批判をし抜く人」としての闘争継続宣言だ。

(週刊新潮 2019.12.12号)