碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

書評した本: 内田、平川、名越 『僕たちの居場所論』ほか

2016年06月30日 | 書評した本たち



「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。

内田樹、平川克美、名越康文
『僕たちの居場所論』

角川新書 929円

映画化もされた、浦沢直樹の漫画『20世紀少年』。あの作品の中で、最もこころ惹かれた“場所”は、ケンヂやオッチョたちが原っぱに作っていた「秘密基地」だ。学校とも家とも違う、もう一つの場所。その中で過ごす、仲間たちとの濃密な時間が羨ましかった。

内田樹、平川克美、名越康文による鼎談集『僕たちの居場所論』は、いわば秘密基地での謀議の記録だ。もちろん、「よげんの書」や悪の組織や世界征服が語られるわけではない。話題は、自分らしい場所、つながることの本質、価値観の共有など多岐にわたる。

しかも、そこに各人の思い出話がランダムに入ってきたりするので、全体は雑談のようなラフな雰囲気だ。雑談なのに実がある。いや、雑談だからこそ言える話、聴ける話があるのだ。

書名の居場所について言えば、内田は「凱風館(がいふうかん)」という道場を持つ。平川は東京・荏原中延の商店街に喫茶店「隣町珈琲(トナリマチカフェ)」を開いた。そして名越は東京と福岡で「こころカフェ」「名越康文塾」と名づけた連続講座を行っている。

いずれも、彼らにとっての“もう一つの場所”だ。興味深いのは、決して一人になることが目的ではなく、むしろ他者と交わる場所になっていることだろう。

また大事なのは、道場や喫茶店といった物理的空間の所有ではないこともわかる。「自分が落ち着ける場所」「居心地のいい場所」があることなのだ。ならば、家族の声が聞こえるリビングの片隅もまた、大人の男の居場所である。


佐藤隆介 『鬼平先生流〔粋な酒飯術〕』
小学館文庫 659円

著者は作家・池波正太郎の“押しかけ書生”だった。日常の中で師匠から勝手に学んだ、食と酒の極意を伝えている。豪華店や高級店より近所の洋食屋を愛し、「食べもの屋は家族だけの小さな店に限る」と言っていた池波。季節を感じつつ暮すことで味覚も深まる。


城山英巳 
『中国 消し去られた記録
 ~北京特派員が見た大国の闇』

白水社 3888円

本書は言論の自由など庶民の権利を守るために活動する人びとの記録だ。人権派弁護士、調査報道記者、そして知識人たちが、抑圧・拘束・投獄される様子に怒りと恐怖を覚える。同時にこの本を上梓した著者の勇気に敬意を払いたい。まずは現実を知ることからだ。


若杉 実 『東京レコ屋ヒストリー』
シンコーミュージック 1944円

音楽もスマホでダウンロードして聴く時代。その一方でレコードも愛され続けている。本書はレコード屋の歴史を深堀りしたノンフィクション。西新宿や目白などのディープ過ぎる店と、マニアック過ぎる男たちが登場する。レコード屋は店そのものが文化なのだ。


小林信彦 
『古い洋画と新しい邦画と~本音を申せば』

文藝春秋 1890円

週刊誌連載のクロニクル・エッセイ集だ。ディズニーとアメコミ・ヒーローが氾濫する最近のアメリカ映画を「つまらない」と言い切り、ルビッチやアルトマン、ギャグニーなどを語るのも著者ならでは。一方で綾瀬はるかから安藤さくらまでを的確に評して見事だ。


吉田篤弘 『台所のラジオ』
角川春樹事務所 1728円

クラフト・エヴィング商會の作家による短編集だ。大事件も大恋愛も描かれない。穏やかに暮す人たちの心を揺らす、さざ波のような出来事があるだけだ。それなのに、読後は不思議なあたたかさに包まれる。食べものとラジオが大切な脇役だが、表題作は存在しない。

(週刊新潮 2016.06.30号)

元AKB嬢の”お水”修業 「OLですが、キャバ嬢はじめました」

2016年06月29日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評



日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。

今週は、TBSの深夜ドラマ「OLですが、キャバ嬢はじめました」を取り上げました。


TBS系「OLですが、キャバ嬢はじめました」
元AKB倉持が
「ダサくて、イモっぽい」菜奈子を好演

先週、深夜ドラマ「OLですが、キャバ嬢はじめました」(TBS系)が始まった。主人公の菜奈子(倉持明日香)は25歳。中規模の広告代理店に勤務するOLだ。彼氏はいるが、貯金はない。料金滞納で電気を止められ、夜はキャバ嬢として働くことにした。

キャバクラが舞台のドラマといえば、過去には「嬢王」シリーズ(テレビ東京系)や「黒服物語」(テレビ朝日系)などがある。ヒロインの多くはナンバーワンのキャバ嬢を目指したものだが、このドラマではタイトル通りOLの副業というところがミソ。

いわば“なんちゃってキャバ嬢”であり、どろどろの女同士の対決や深刻な恋愛問題もない。気楽に見られるキャバ嬢物語なのだ。

元AKB48の倉持は、これがドラマ初主演。キャバ嬢としては「ダサくて、イモっぽい」菜奈子を好演している。今後、見た目も接客も磨かれていくプロセスが、このドラマの見所だ。

また視聴者は、新人である菜奈子の“学び”を通じて、キャバクラ(ニュークラブ)の世界を垣間見ることができる。ママがいないことをはじめ、指名や給料のシステムもいわゆるクラブとは大違いだ。

もうひとつ。このドラマには「神セブン」と呼ばれる、売上げ上位のキャバ嬢たちが登場する。ナンバーワン役の石川梨華や筧美和子などの艶(あで)姿を堪能していただきたい。

(日刊ゲンダイ 2016.06.28 )

最近の「朝ドラ」、その人気の理由は?

2016年06月28日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム



東京新聞から、NHK「朝ドラ」の人気について、取材を受けました。その理由として、以下のようなお話をさせていただきました。

●「朝ドラ」の王道+1

NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」の好調が続いています。もちろん、このドラマそのものの面白さもあるのですが、背景には、「朝ドラ」という枠自体の人気があると思います。

今や朝ドラは、すっかり“ブランド”として確立されました。良質で面白いドラマが見られるという安心感に加え、「半年間続く」というスタイルが大きいです。民放のドラマが3カ月、10回程度で終わってしまうのに対し、朝ドラは視聴者にとって半年間付き合い続ける“隣の家族”のような存在になっています。

振り返ってみると、朝ドラには王道ともいうべき、3つの要素があります。まず女性が主人公の一代記であるということ。そして職業ドラマであること。最後に、自立へと向かう成長物語であることです。この3つがそろった連ドラは、民放ではなかなか見られません。

近年は、そこに新たな勝利のパターンが加わりました。大きな転機は、漫画家の水木しげるさんの妻をモデルにした「ゲゲゲの女房」(2010年度前半)です。そのヒロイン像が魅力的で、それ以降、『過去に実在した人物』を取り上げる作品(私は”実録路線”と呼んでいます)が増えました。

好評だった「カーネーション」(デザイナーのコシノ3姉妹の母、11年度後半)、「花子とアン」(翻訳家・村岡花子、14年度前半)、「マッサン」(ニッカウヰスキーの竹鶴政孝夫妻、同後半)。前回の「あさが来た」(実業家・広岡浅子)、現在放映中の「とと姉ちゃん」(「暮しの手帖」の大橋鎭子)も、秋からの「べっぴんさん」(子ども服「ファミリア」の坂野惇子)もそうですね。

いずれも、ヒロインのモデルやモチーフとなっているのは、濃厚な人生を送った女性たちです。すなわち半年間付き合うかいのある人たちなんですね。戦前から戦後の昭和を舞台にした作品が多いのも、現代では希薄になってしまった、日本人の暮らしの原点みたいなものに視聴者が共感を覚えるからだと思います。

●「朝ドラ」の課題

しかし、この実録路線の傾向は、裏を返すと、『現代の架空のヒロイン』を魅力的に描けていないということでもあります。「純と愛」(12年度後半)や「まれ」(15年度後半)では、ホテルウーマンやパティシエを目指していたはずの主人公が迷走してしまいました。だからといって、実在の人物に頼り続けるのは、脚本家や制作陣の”創る力”が、やや弱っているせいかもしれません。

では、現代の若い女性を主人公にして、波瀾万丈の物語が構築できないかというと、そんなことはありません。「あまちゃん」(13年度前半)ではそれができたんです。しかも王道の一代記でなく、わずか数年間の物語で、あれだけ笑えて泣けて応援したくなるドラマが描けた。現実の東日本大震災をどう取り込むかという難題にも果敢に挑戦しました。まさに50年に1本の傑作だったと思います。

あれを超えるのは並大抵のことではありませんが、NHKには、かつて向田邦子さんや倉本聡さんのドラマがそうだったように、ぜひ架空の人物の物語でも視聴者を笑って泣かせてほしいですね。人間の想像力というのは無限大なのですから。

*6月18日付の東京新聞に、上記談話の短縮版が掲載されました。

やっぱり、クドカンから目が離せない!

2016年06月27日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム


近年は「あまちゃん」などの脚本家として知られるクドカンこと宮藤官九郎さんですが、今も得難い役者の一人です。現在、ドラマとCMで、その両方の才能を堪能することができます。

●CM~キリン杏露酒「ひんやりあんず」

テレビプロデューサー時代に、「噂の探偵QAZ(カズ)」(日本テレビ、94年)という深夜ドラマを制作したことがある。

QAZ(故・古尾谷雅人さん)はコンピュータを駆使して事件を解決する私立探偵(パソコン探偵と呼んでいた)。パソコンやインターネットが、現在のようなインフラとなる以前の、先取り・実験的なドラマだった。

その時、QAZの弟分で、のちに裏切り者となるチンピラ役を、松尾スズキさんが主宰する劇団「大人計画」の役者だった、若き日の宮藤官九郎さんに依頼した。闇社会のボスの恫喝(どうかつ)に脅えながらも、薄笑いを浮かべて強がる、クドカンのチンピラが見ものだった。

ちなみに、クドカンと対峙する「闇社会のボス」を演じたのは、プロデューサーの私です(笑)。

近年は「あまちゃん」などの脚本家として知られるクドカンだが、今も得難い演者の一人だ。キリン杏露酒「ひんやりあんず」のCMで見せる、妻(宮崎あおいさん)の尻に敷かれた、やや軽めの夫も可笑しい。

妻に向かって料理の味をホメれば、「あんたのママのレシピだよ」と突き放される。恐怖映画を一緒に観ても、「あんたの顔がホラーだわ」と真顔で言われてしまう。その瞬間のクドカンの表情が何ともカワイイ。ツンデレ妻にいじられるのが嬉しくて仕方ない夫がハマリ役だ。

書いても演じても、そこに現出するのはクドカンワールド。ほろ酔い気分で楽しみたい。 

●ドラマ~「ゆとりですがなにか」

確かに「ゆとり世代」と呼ばれる若者たちがアタマにくるのも当然だ。社会人になった彼らは、「使えない、覇気がない、ガッツが足りない、言われたことしかやらない、ライバル意識がない、危機感がない、緊張感がない」など、言われ放題だったのだから。

それに、彼らは好きで「ゆとり」をやってきたわけではない。学校の土曜休みも、薄い教科書も、国が勝手に決めたことだ。それでいて、学力低下となったらポンコツ扱いじゃあ、文句のひとつも言いたくなるだろう。そんな「ゆとり世代」の声なき声を感知し、ドラマの形でカウンターパンチを繰り出したのが、宮藤官九郎脚本「ゆとりですがなにか」(日本テレビ)だ。

まず、登場人物たちのキャラクターが光る。主要人物は、食品会社勤務の正和(岡田将生)、小学校教師の山路(松坂桃李)、客引きのまりぶ(柳楽優弥)、そして正和の同期にして上司、しかも恋人の茜(安藤サクラ、絶妙)の4人だ。

嫁や娘と暮しながら、正和の妹(島崎遥香、役名:ゆとり、好演)に手を出したりするけど、どこか憎めない、まりぶ。積極的な教育実習生(吉岡里帆)にドギマギしたり、性教育の授業に尻込みしちゃう、女性体験皆無の山路。勢いで結婚宣言はしたものの、大いに不安な正和と茜。

いずれも29歳の「ゆとり第1世代」。クドカンは、仕事や恋愛や自分自身との“折り合い”で悪戦苦闘する彼らの姿を、笑える応援のヤジを飛ばしながら描いている。

劇中の山路が言うように、この世代には「他人の足を引っ張らない」「周囲に惑わされずベストを尽くす」「個性を尊重する」といった長所がある。

登場人物それぞれが大混乱の状況に、クドカンは最終回できっちり決着をつけていた。


*ヤフー!ニュース個人
 「碓井広義のわからないことだらけ」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuihiroyoshi/

【気まぐれ写真館】 新宿 夏日和  2016.06.26

2016年06月27日 | 気まぐれ写真館

【気まぐれ写真館】 「柳ばし」の花壇のシャクヤク 2016.06.25

2016年06月26日 | 気まぐれ写真館



またまた、いつもの千歳市「柳ばし」で・・・2016.06.25

2016年06月26日 | 日々雑感

特製チキンソテー ハスカップのバルサミコ風
(メニューにはありませんので、悪しからず)


いつもの北海道千歳市「柳ばし」で、おいしい昼食。

おかーさんから、びっくりな話を聞きました。

先日、「碓井さんのブログで見ました」という、東京からのお客さんがあったとのこと。

しかも、それが諸橋毅一さんでした。

諸橋さんは、テレビドラマの音響効果の第一人者であり、私も若い頃からお世話になった、業界の大先輩です。

まさか、諸橋さんが、このブログを見ていてくださっていて、なおかつ、「柳ばし」に足を運んでくださるとは。

嬉しかったです。

諸橋さん、ご無沙汰しておりますが、お元気そうで何よりです。

このたびは、ありがとうございました!

HTB「イチオシ!モーニング」 2016.06.25

2016年06月26日 | テレビ・ラジオ・メディア




愛里さん、依田アナ、藤尾さん



野球解説の岩本さん



ファイターズガールの渡辺さん、安念さん



スポーツ担当の菊池アナ










今週の「木村愛里さん」

HTB「イチオシ!」 2016.06.24

2016年06月25日 | テレビ・ラジオ・メディア

オクラホマ藤尾さん、碓井、国井アナ、ヒロ福地さん





今週の「国井美佐アナウンサー」

【気まぐれ写真館】 HTB北海道テレビ onカフェ 2016.06.24

2016年06月25日 | 気まぐれ写真館

【気まぐれ写真館】 「水曜どうでしょう」の聖地、平岸高台公園 2016.06.24

2016年06月25日 | 気まぐれ写真館

『北の国から』放送開始から35年、脚本家「倉本聰」の軌跡

2016年06月24日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム



 ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)で知られる脚本家・倉本聰さん。その自伝エッセイ『見る前に跳んだ 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)が出版されました。

 81歳になった現在も、旺盛な創作活動を続けている倉本さんは、草創期からテレビに携わり、数々の名作ドラマを生み出してきました。この本では、幼少時代の思い出、疾風怒涛のドラマ黄金時代、富良野塾での奮闘、演劇という挑戦、そして自然と環境に対する思いまでを存分に語っています。

 代表作である『北の国から』の放送開始から35年。あらためて、稀代の脚本家の歩みを振り返ってみたいと思います。

 (以下、敬称略)

『北の国から』まで

 1981年の秋に始まった『北の国から』で、倉本聰の名前は広く一般に知られることになる。だが、それ以前、すでに倉本は売れっ子脚本家として大活躍していた。

 最初に挙げたいのは、『文五捕物絵図』(1967年、NHK)だ。松本清張の推理小説群を江戸時代に移し替え、岡っ引き・文五(杉良太郎)の活躍を描いていた。複数の脚本家による競作だったが、たとえば倉本が書いた中の1本である「張込み」は、野村芳太郎監督の映画に負けない面白さだった。

 また、クローニンの『青春の生きかた』を原作に、『わが青春のとき』(70年、日本テレビ系)を手がける。医大の研究所を辞して風土病に取り組む青年医師(石坂浩二)をの物語だが、こちらも原作に忠実なドラマにはなっていない。原作をしっかりと頭の中に入れたら、あとは自分の世界で脚色していくのが倉本の方法だからだ。

 このドラマでは原作の最初の部分だけを読み、残りは荒筋を人にしゃべってもらった上で、原作から離脱している。半ばオリジナル作品だが、原作より面白いドラマになるのだから仕方がない。

 71年に日本テレビの「土曜グランド劇場」枠で放送された『2丁目3番地』は、石坂浩二と浅丘ルリ子という当時の人気役者の初共演が話題となった。美容院を経営する元気な妻(浅丘)。その尻に敷かれることを楽しんでいるような、売れないテレビディレクターの夫(石坂)。都会的な洒脱さとユーモアにあふれた1本で、ここでは向田邦子や佐々木守といった名手たちと競いながらメインライターを務めた。

倉本聰、北の国へ

 そして3年後の74年、倉本はNHK大河ドラマ『勝海舟』という大仕事に挑むことになる。この大河ドラマを途中で降板し、札幌へと向かう予想外の展開とその経緯は、この本にある通りだ。

 ただ特記しておきたいのは、倉本の行動の背後にあるのは、昔も今も、ひたすら「いいものを創ろう」という熱狂だということである。本当の意味でのプロ意識と言ってもいい。この時の「北へ向かう」という行為が、結果的には『北の国から』を生み、脚本家であると同時に劇作家、演出家でもある倉本聰を誕生させることになる。まさに人生はドラマだ。

 札幌に逃避行した倉本を、フジテレビの制作者が探し出し、再びシナリオを書くことを促す。そして生まれたのが『6羽のかもめ』(74~75年)である。

 このドラマの舞台は、内部分裂して、メンバーが6人だけになってしまった劇団「かもめ座」だ。彼らと、彼らを取り巻く人間模様を通じて、テレビ界の「内幕」を徹底的にえぐるという内容は、業界内で大いに話題となった。

 実はこのドラマの最終回に、今やテレビ業界の伝説となった“名台詞”が置かれている。ちなみに、この回のサブタイトルは「さらばテレビジョン」だ。

 放送時から見たら近未来だった1980年という設定の“劇中劇”で、国民の知的レベルを下げることを理由に(台詞では「これ以上の白痴化を防ぐために」)、政府は「テレビ禁止令」を出す。テレビ局は全て廃止。各家庭のテレビは没収され、アメリカの禁酒法時代の酒と同じ扱いになってしまう。

さらばテレビジョン

 ドラマの終盤、山崎努演じる放送作家が、酒に酔った勢いでカメラに向かって自分の思いをぶつける。それは同時に、倉本自身の思いでもあった。

 「テレビドラマは終わったンだ!!
 テレビに於けるドラマの歴史は、くさされっ放しで終わったンだ。
 いいじゃないかその通リ!!
 (中略)
 だがな一つだけ云っとくことがある。
 あんた! テレビの仕事をしていたくせに
 本気でテレビを愛さなかったあんた!
 あんた! テレビを金儲けとしてしか考えなかったあんた!
 あんた! よくすることを考えもせず
 偉そうに批判ばかりしていたあんた!
 あんた! それからあんた! あんた! 
 あんたたちにこれだけは云っとくぞ!
 何年たっても
 あんたたちはテレビを決してなつかしんではいけない。
 あの頃はよかった、
 今にして思えばあの頃テレビは面白かったなどと、
 後になってそういうことだけは云うな。
 お前らにそれを云う資格はない。
 なつかしむ資格のあるものは、
 あの頃懸命にあの状況の中で、
 テレビを愛し、
 闘ったことのある奴。
 それから視聴者――愉しんでいた人たち」

 これが1975年当時の倉本の叫びだ。そこには、「こんなふうになってはいけない」というテレビへの強烈な訴えがある。また、「俺に、さらばテレビジョンなどと言わせないでくれ」という、テレビに携わる人間たちへのメッセージでもあったのだ。

 後年、倉本は記念すべき初エッセイ集を出版する際、その本に『さらば、テレビジョン』のタイトルをつけた。倉本が、ドラマの中のドラマという二重構造に仕込んで投げつけた時限爆弾は、放送から40年を経た現在もなお、そのカウントダウンを続けている。

 北海道へと本格的に拠点を移した倉本は、次々と傑作を書いていく。『前略おふくろ様』(75~76年、日本テレビ系)、『うちのホンカン』シリーズ(75~81年、北海道放送)、 『幻の町』(76年、北海道放送)、『浮浪雲』(78年、テレビ朝日系) 『たとえば、愛』(79年、TBS系)などだ。

 のちに20年もの長きにわたって放送され、北の大地を舞台にした大河ドラマともいうべき『北の国から』のスタートは、もうすぐそこまで迫っていた。

(ヤフー!ニュース個人 2016年6月12日)

書評した本: 高杉 良『最強の経営者 小説・樋口廣太郎』ほか

2016年06月24日 | 書評した本たち



「週刊新潮」の書評欄に書いたのは、以下の本です。

高杉 良
『最強の経営者 小説・樋口廣太郎
 ~アサヒビールを再生させた男』

プレジデント社 1728円

NHK連続テレビ小説(通称、朝ドラ)で、実在の人物をモデルやモチーフにした“実録路線”が好調だ。

6年前の「ゲゲゲの女房」(漫画家・水木しげるの妻)をきっかけに、「カーネーション」(デザイナーのコシノ3姉妹の母)、「花子とアン」(翻訳家・村岡花子)、「マッサン」(ニッカウヰスキーの竹鶴政孝夫妻)などが続いた。

さらに「あさが来た」(実業家・広岡浅子)や、現在放送中の「とと姉ちゃん」(「暮しの手帖」の大橋鎭子)も同様だ。いずれも濃密な人生を送った女性の一代記であるだけでなく、その多くが一種の“企業ドラマ”となっている点に特色がある。

思えば、企業活動ほど波瀾万丈なものはない。発想と実現、知恵と工夫、挑戦と挫折、そして失敗と成功。朝ドラの実録人気の背景には、ふだんは窺い知れない企業の内側と、そこで展開される極めて人間的な喜怒哀楽への興味がある。企業ドラマは熱い人間ドラマでもあるのだ。それは優れた企業小説にも通じている。

“ノンフィクション小説”とも言うべき本書の主人公は樋口廣太郎。大正15年に生まれ、平成24年に没した。享年86。樋口は住友銀行で副頭取まで務めた人物であり、後にアサヒビールの社長に就任した。最大の功績はスーパードライのヒットだ。当時、「夕日ビール」などと揶揄されるほど低迷状態にあった会社を業界トップへと押し上げた。「アサヒビール中興の祖」と呼ばれる所以だ。

物語は、樋口が磯田一郎・住友銀行会長からアサヒの件で呼び出される場面から始まる。読みどころは、新たな戦場に飛び込んだ樋口が、果敢に社内外の人心を掌握していく過程だ。

経営とは「顧客の創造」と信じ、時には前例など無視して部下たちのプロジェクトを応援する。また時には厳しい人事を断行する。俯瞰と近接、その複眼の思想が改革を可能にした。企業を支えるのは「ひと」であることを熟知した男の軌跡を描く、逆転の成功譚だ。



三波美夕紀 『昭和の歌藝人 三波春夫』
さくら舎 1620円

「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」などの曲名を聞くだけで、高度成長時代の光と影が甦る。その歌声の背後に厳しい抑留体験や貧困があったことを、長女でありマネージャーも務めた著者が明かしていく。新たな芸と歌に挑戦し続けた男を描いた労作評伝だ。


洋泉社編集部:編 『世界の魅惑のトンネル』
洋泉社 1728円

鉄道、鉱山、洞窟、さらに竹林の小径まで、90点以上も並ぶトンネルが美しい。だが、同時に感じる妖しい胸騒ぎは何なのか。異空間の衝撃。過去や未来へのワープ。いや、一種の胎内回帰願望かもしれない。見る者の想像力によって千変万化する異次元トリップだ。


高橋秀美 『人生はマナーでできている』
集英社 1620円

もちろんマナーの教則本ではない。意識さえしていなかった日常の所作や行動の奥にある、意味や価値やおかしみを探っている。実は失礼な「ありがとう」。ベジタリアンとジロリアン(ラーメン二郎の愛好者)から考える「食べ方」。異色の日本人論でもある。


國分功一郎 『民主主義を直感するために』
晶文社 1620円

著者は鋭い現代社会分析で注目される哲学者だ。権限さえ獲得すれば何をしてもいいと考える政権。特定の話題に触れることを忌避するメディア。今こそ民主主義を「具体的に体で感じ取る」ことが必要だと説く。辺野古を直感するための旅の報告も刺激的だ。

(週刊新潮 2016.06.23号)

NHK「水族館ガール」は、女優・松岡茉優の試金石

2016年06月23日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評



日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。

今週は、NHKドラマ10「水族館ガール」について書きました。


NHKドラマ10「水族館ガール」
「居場所」を確立するための試金石

“お仕事ドラマ”の秀作「重版出来!」(TBS系)が終わったら、「水族館ガール」(NHK)が始まった。主人公の由香(松岡茉優)は商社3年目のOL。上司(木下ほうか)から「使えないヤツ」の烙印を押され、水族館へと出向となる。

水族館といえば、「生きもの好きにはたまらない職場なんだろうなあ」くらいに思っていた由香。しかしどっこい、24時間全力で命を守る、大変な仕事だとわかってくる。担当することになったイルカとのコミュニケーションも難しい。厳しいチーフ(桐谷健太)や先輩(西田尚美)などから叱られ続ける毎日だ。

商社を追われ、水族館にも簡単に溶け込めないヒロイン。このドラマ、いわば自分の「居場所」探しの物語だろう。それは単に生活の糧を得る職場という意味ではなく、自分が自分であることを実感できる「場」だ。

もしかしたら女優・松岡茉優(21)にとっても、今回は自分の「居場所」を確立するための試金石となるのではないか。松岡は、民放の深夜ドラマでは経験済みだが、NHKの連ドラ(しかもプライムタイム)では初主演。どんなドラマでも存在感を放つ貴重な女優から、ドラマ全体を引っ張る主演女優への本格的トライだ。

初回冒頭、「龍宮城ホテル三日月」、じゃなくて「ホテル龍宮城」なるラブホテルの場面から始まったのが笑えた。しかもスマホのCMで浦島太郎を演じている桐谷健太まで出てくるではないか。NHKもやるもんだ。

(日刊ゲンダイ 2016.06.22)

なぜ『北の国から』は20年間も続いたのか?

2016年06月22日 | ビジネスジャーナル連載のメディア時評



 ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)で知られる脚本家・倉本聰さんの自伝エッセイ『見る前に跳んだ 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)が出版された。

 81歳の現在も旺盛な創作活動を続けている倉本さんは、草創期からテレビに関わり、数々の名作を生み出してきた。この本では、幼少時代の思い出、怒涛のドラマ黄金時代、富良野塾、演劇、そして自然と環境までを縦横に語っている。

 倉本さんの代表作である、『北の国から』の放送開始から35年。あらためて、この国民的ドラマの意味を考えてみたい。

(以下、敬称略)

衝撃的だった『北の国から』の登場

 それは、過去のどんなドラマとも似ていなかった。思わず、「なんだ、これは?」と声が出てしまった。1981年10月9日(金)の夜、『北の国から』の第1回目を見終わった時のことだ。

 この日、午後10時の同じ時間帯にドラマが3本、横並びだった。1本目は前月から始まっていた、山田太一脚本の『想い出づくり。』(TBS系)。もう1本は、藤田まことの主演でお馴染みの『新・必殺仕事人』(テレビ朝日系)である。

 どちらもドラマの手練れたちによる優れた仕事で、すでに高い視聴率を叩き出していた。『北の国から』はそこへ遅れて参入してきたわけだが、あらゆる面で“異色”のドラマだったのだ。

 固定ファンが多い『必殺』もさることながら、『想い出づくり。』が話題になっていた。当時では結婚適齢期だった24歳の女性たちが、“平凡な日常生活”から脱却しようと、都会を彷徨する物語だ。演じるのは森昌子、古手川祐子、田中裕子の3人。

 その秀逸な設定と彼女たちの掛け合いの妙は、2年後のヒット作『ふぞろいの林檎たち』に通じるものがある。ちなみに、脚本の山田太一、演出の鴨下信一、プロデューサーの大山勝美という『ふぞろいの林檎たち』の座組みは、『想い出づくり。』と同じだ。

 一方、『北の国から』の主演俳優は、田中邦衛である。60年代から70年代にかけての田中は、加山雄三の映画『若大将』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズでの脇役という印象が強い。

 ドラマの主役といえば、スターだったり二枚目だったりすることが当たり前の時代に、いきなりの「主演・田中邦衛」。多くの視聴者は戸惑ったはずだ。

 そして肝心の物語も尋常ではなかった。東京で暮らしていた黒板五郎(田中邦衛)が、妻(いしだあゆみ)と別れ、子供たち(吉岡秀隆、中嶋朋子)を連れて、故郷の北海道に移住するという話だ。住もうとする家は廃屋のようなもので、水道も電気もガスもない。

 第1話で、純(吉岡)が五郎に、「電気がなかったら暮らせませんよッ」と訴える。さらに「夜になったらどうするの!」と続ける。五郎の答えは、純だけでなく、私を含む視聴者を驚かせた。五郎いわく、「夜になったら眠るンです」。

 実はこの台詞こそ、その後20年にわたって続くことになる、ドラマ『北の国から』の“闘争宣言”だったのだ。夜になったら眠る。一見、当たり前のことだ。しかし、80年代初頭の日本では、いや東京という名の都会では、夜になっても活動していることが普通になりつつあった。“眠らない街”の出現だ。

『北の国から』と80年代

 やがて「バブル崩壊」と呼ばれるエンディングなど想像することもなく、世の人びとは右肩上がりの経済成長を信じ、好景気に浮かれていた。仕事も忙しかったが、繁華街は深夜まで煌々と明るく、飲み、食べ、歌い、遊ぶ人たちであふれていた。日本とは逆に不景気に喘いでいたアメリカの新聞には、「日本よ、アメリカを占領してくれ!」という、悲鳴とも皮肉ともとれる記事まで掲載された。

 そんな時代に、都会から地方に移り住み、しかも自給自足のような生活を始める一家が登場したのだ。これは一体なんなのか。そう訝しんだ視聴者も、回数が進むにつれ、徐々に倉本が描く世界から目が離せなくなる。そこに当時の日本人に対する、怒りにも似た鋭い批評と警告、そして明確なメッセージがあったからだ。

 倉本自身の言葉を借りよう。放送が続いていた82年1月、地元の北海道新聞に寄せた文章である。

「都会は無駄で溢れ、その無駄で食う人々の数が増え、全ては金で買え、人は己のなすべき事まで他人に金を払い、そして依頼する。他愛ない知識と情報が横溢し、それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、人みなそこへ憧れ向かい、その裏で人類が営々と貯えてきた生きるための知恵、創る能力は知らず知らず退化している。それが果たして文明なのだろうか。『北の国から』はここから発想した」

 80年代は、現在へとつながるさまざまな問題が噴出し始めた時代だった。世界一の長寿国となったことで到来した高齢化社会。地方から人が流出する現象が止まらない過疎化社会。何でも金(カネ)に換算しようとする経済優先社会。ウォークマンの流行に象徴される個人化・カプセル化社会等々。

 それだけではない。「家族」という共同体の最小単位にも変化が起きていた。「単身赴任」が当たり前になり、父親が「粗大ごみ」などと呼ばれたりもした。また「家庭内離婚」や「家庭内暴力」といった言葉も広く使われるようになる。

 『北の国から』はこうした時代を背景に、視聴者が無意識の中で感じていた「家族」の危機と再生への願いを、苦味も伴う物語として具現化していたのだ。

 82年3月末に全24回の放送を終えた後も、スペシャル形式で2002年まで続くことになる『北の国から』。その20年の過程には、大人になっていく純や蛍の学びや仕事、恋愛と結婚、そして離婚までもが描かれた。フィクションであるはずの登場人物たちが、演じる役者と共にリアルな成長を見せたのだ。

 また彼らと併走するように、視聴者側も同じ時代を生き、一緒に年齢を重ねていった。それはまた、このドラマが20年にわたって、常にこの国と私たちの状況を“合わせ鏡”のように映し続けたということでもある。あらためて、空前絶後のドラマだったのだ。

(ビジネスジャーナル 2016.06.10)



”蛍”の中嶋朋子さんと