2021.08.31
8月ジャーナリズム
新たな視点で真実に迫る意義
新聞やテレビなどのメディアに関して、「8月ジャーナリズム」という言葉がある。毎年8月になると、「原爆の日」や「終戦記念日」に合わせるように、戦争や平和についての報道が目立つことを指す。その「集中ぶり」、もしくは他の時期の「寡黙ぶり」を揶揄(やゆ)するニュアンスもそこにある。
しかし、近年の民放テレビに関して言えば、8月に放送される戦争・終戦関連番組の数は減少傾向だ。確かに、新たなテーマを見つけ、手間をかけて制作しても、大きく視聴率を稼げるわけではない。特に今年は東京五輪を言い訳にして、このジャンルはNHKに任せてしまおうと思ったとすれば、民放は「8月ジャーナリズム」自体を放棄したことになる。
一方、NHKは8月前半だけで十数本の特集を組んでいる。「長崎原爆の日」である9日に放送されたのが、NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」だ。敗戦直後の広島と長崎で行われたアメリカ軍による「原爆の効果と被害」の現地調査。その際、「残留放射線」を計測した科学者たちは、「人体への影響」の可能性を指摘していた。ところが日米両政府は、この残留放射線を「なかったこと」として、認めようとしなかったのだ。
番組は、残留放射線による被害の実態と、国家の思惑によって真実が隠蔽(いんぺい)されていったプロセスを明らかにしていく。実例の一つが長崎の爆心地からは距離のある、山あいの「西山地区」だ。直接の被害は受けなかったが、地区全体に大量の灰や黒い雨が降った。
実は、初動調査チームは住民の血液検査を行って、白血病を発症する可能性が高いことを認識していた。だが、「観察するのに理想的な集団」と判断して、不都合な真実を隠蔽する。いわば動物実験のような扱いのまま、住民たちの原因不明の死が続いた。もしも当時の日米両政府が初動調査の結果を明らかにして、被爆した人たちへの適切な医療や補償を行っていたらと思わずにいられない。
今年7月末、広島で「黒い雨」を浴びた被爆地域外の人たちを被爆者として認め、被爆者健康手帳の交付を命じた広島高裁の判決が確定した。では、長崎についてはどうなのか。今もなお、原爆をめぐる問題は現在進行形だ。
(毎日新聞「週刊テレビ評」2021.08.14)
夫婦別姓に貴重な視点
尾脇秀和著
『氏名の誕生
――江戸時代の名前はなぜ消えたのか』
ちくま新書・1034円
最近、ニュースなどで「夫婦別姓」という言葉を見聞きすることが多い。現在の法律では、結婚すれば夫婦どちらかの苗字(みょうじ)(姓)に統一することになっている。しかし実際に改姓するのは96%が女性だ。事実上、女性は選択権を奪われている。
一方、「夫婦別姓」は結婚後もそれぞれの苗字を使うことを指す。国会でもようやく議論が活発化してきた「選択的夫婦別姓制度」が導入されれば、女性が抱える違和感や抵抗感も緩和される可能性がある。
思えば、当たり前のように使っている「氏名」はいつ、どのようにして生まれたのか。その問いに答えてくれるのが本書だ。
日本近世史が専門の著者によれば、江戸時代の庶民は、現代人のように「苗字(姓)+通称(名)」を絶対不可欠の人名の形と見てはいなかった。名前は「通称」だけで十分であり、「苗字」は戒名の院号のような修飾的要素だったという。
しかも庶民にとっての「苗字」は、自分から他者に示すものでもなかった。公的に登録されてはいないが、地域や所属する集団では周知されており、名乗るのではなく、呼ばれるものだった。つまり江戸時代の「苗字」は、現代の「氏名」の「氏」のあり方とは、全く異なる「常識」のもとで存在していたわけだ。
それを変えたのが明治維新であり、明治政府である。近代的な中央集権国家を形成するために、日本中の人々を「国家」の構成員である「国民」にする必要があった。
「氏名」は国民を一元的に管理・把握する最高の道具だ。特に1873(明治6)年に施行された「徴兵令」を厳格に実行するには必須だったのだ。
約150年前に国家によって創出された「氏名」の形。「夫婦同姓」は管理する側にとって便利かもしれないが、個人の歴史やアイデンティティーにつながる苗字を使い続ける自由があってもいい。本書は今後の「夫婦別姓」議論に貴重な視点を提供してくれるはずだ。
(共同通信)
8月27日は、宮沢賢治(1896ー1933)の誕生日です。
これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
宮沢賢治「稲作挿話」
伊藤万理華がコメディエンヌ開眼!
木ドラ24「お耳に合いましたら。」
木ドラ24「お耳に合いましたら。」(テレビ東京系)の主演は、元乃木坂46の伊藤万理華だ。乃木坂時代の伊藤はダンスで頑張っていたが、このドラマでコメディエンヌ開眼かもしれない。それくらいハマり役だ。
高村美園(伊藤)は、ポッドキャスト番組のパーソナリティーをしている。ネット上のラジオみたいな形で、個人が自由に発信できるのだ。漬物会社で働く美園だが、番組では大好きなチェーン店のグルメ、チェンメシについて語っている。
自室に置いたマイクの前で、たとえばテークアウトした「富士そば」のコロッケそばや、「くら寿司」のあぶりチーズ豚カルビを食べながら、感想をまじえた怒涛の本音トークを繰り広げる。
好きなものを、好きなだけ、好きなように語り、それを誰かが聴いていてくれる幸せ。人気が高まっている「音声コンテンツ」の魅力を、「映像コンテンツ」であるドラマで描く仕掛けが面白い。
また先週は、同じ元乃木坂46の桜井玲香が、大学時代の親友・香澄役で登場したので、びっくり。
3年前、自分も憧れていたラジオ局に香澄が就職し、美園は彼女と距離を置いてしまった。今回、再会した2人は、「ジョナサン」のフレンチフライトリュフ塩仕立てを食べながら和解していく。ちょっといい話だった。
ちなみに美園のポッドキャスト番組は、「Spotify」で聴くことが可能だ。
(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2021.08.25)
「北の国から」40年を語る
倉本聰さん、中嶋朋子さんら参加
富良野で10月トークショー
【富良野】富良野市が舞台で2002年に終了したテレビドラマ「北の国から」の放送開始40周年記念トークショーが10月9日、市内中御料の富良野演劇工場で開かれる。
脚本家の倉本聰さんや女優の中嶋朋子さん、音楽を担当した歌手のさだまさしさん、ふらの観光大使でお笑いタレントの蛍原徹さんらが参加する。
ふらの観光協会や市などでつくる実行委員会が主催。1981年10月9日の初回放送日のちょうど40年後の開催となる。
午後2時開演の第1部ではドラマの名場面を紹介。さださんが主題歌を歌う。
同3時からの第2部では、倉本さんやメディア文化評論家の碓井広義さんらが40年間を振り返る。中嶋さんは両方の部に登場する。
ショーの映像は富良野文化会館に設ける別会場にも生配信する。
入場料は演劇工場が3500円、文化会館は1500円でともに全席指定。
申し込みは9月9日までにショーの特設ホームページから入力するか、往復はがきの裏面に氏名や電話番号、希望会場などを記入してF・C・Sトークショー応募係(〒076・0035 富良野市学田三区4742の10)に郵送する。
応募多数の場合は抽選。問い合わせはF・C・S(電)0167・23・4245へ。【宮木友美子】
(北海道新聞 2021.08.20)
<メディア万華鏡>
投稿動画に頼り過ぎ?
気になる「お手軽ニュース番組」
早朝、民放テレビのニュースを見ていて「いいかげんにしたら」と、頭にきた。一般の人がスマートフォンなどで撮影し、SNS(ネット交流サービス)で拡散している映像や防犯カメラ・車載カメラの映像がニュース番組でやたらに増えている。
一時期、「中国ではこんな変な事故が起きている」という中国のSNS微博(ウェイボー)上の映像が民放のワイドショーで多く流され、「やっぱり中国は」と思わせるヘイトに近いと思った。
先週のある朝の民放ニュースは、「高級自転車のタイヤ泥棒」「白い車にスプレー攻撃」「車のボンネットにヒトが乗り上げ」など、視聴者提供映像のニュースばかり。
途中、名古屋市の河村たかし市長が金メダルをかじり、給与3カ月返上のニュースをはさみ、「フラフラ蛇行運転の車」「海面に背ビレ。実はイルカ」など、再び視聴者提供映像のニュースが続いた。
この民放の午前7時のトップニュースには「独自」のテロップ。何かと思ったら、今度は刃を赤く塗った刃物がズラリと民家の玄関先に置かれていたという防犯カメラの映像を基にしたニュース。「新型コロナウイルスの感染拡大や豪雨被害のニュースは?」と思ってしまった。
各局が投稿呼びかけ
読者から映像を募るのは、SNS時代の流れだ。NHKスクープBOXは、災害・事故で「スマートフォンやデジタルカメラ等で撮影した提供可能な映像がある場合はお送りください」と呼びかけ、「撮影や投稿を行う場合は、安全に十分気をつけてください」と注意も。
TBSスクープ投稿は「あなたがスマホやビデオカメラで撮った感動・驚きの映像をテレビ番組で活(い)かしませんか」、テレビ朝日「みんながカメラマン」は「映像も写真も大歓迎です。事件・事故、災害現場の様子や、ハプニングなど、あなたのスクープ映像をお待ちしています」と、一般の投稿を募る。
小学館が運営するニュースサイト「NEWSポストセブン」(8月15日)は「1億総スクープカメラマン 衝撃映像番組のネタ元は一般人の動画だらけ」との記事を掲載。
メディア文化評論家の碓井広義さんは「以前は海外のテレビ局の映像や資料などを入念なリサーチのもと、高額で買い取っていましたが、いまは一般人の撮影した動画を再生回数が多い順に流せば、それでゴールデンの番組が成立してしまう」と解説する。
碓井さんは「バラエティーだけではなく、報道番組も視聴者提供の映像ばかりです。スマホで誰でも簡単に動画を撮れる時代になって、“1億総スクープカメラマン”というべき時代が訪れてしまった」とみる。
1億総スクープカメラマン
“1億総スクープカメラマン”については、かつて東洋経済オンライン(2018年10月12日)で、コラムニスト兼テレビ解説者の木村隆志さんが「『視聴者提供』のニュース映像が激増した意味」について書いていた。
木村さんは「有事に備える意識を持ち、遭遇したらすぐに発信すること。メディアから映像、写真などの提供依頼があったら応じること。つまり、“1億総ジャーナリスト化”することが、増え続ける災害、事件、事故から私たちを守る日本全体のセーフティーネットになる」という。
もちろん、7月の熱海土石流災害時に現場にいた一般の人が撮影したような動画は、私たちに災害の恐ろしさを伝えるとともに防災にも役立つ。まさに木村氏の言う“セーフティーネット”に説得力を与える。しかし、そうではない、映像がなければ全国放送のニュースになっていないような“面白い”提供映像に頼り過ぎるのはどうか。
現代が“1億総ジャーナリスト化”“1億総スクープカメラマン”の時代だとしたら、それで食べているプロのジャーナリストやカメラマンはそれでいいのか。「取材力の低下」を懸念
「ヤクザと憲法」「ホームレス理事長」など話題のドキュメンタリーを繰り出した東海テレビのゼネラル・プロデューサー、阿武野勝彦さんは近著「さよならテレビ」(平凡社新書)で、コロナの時代に、視聴率、収入と支出、競合他社とのシェア争いという「数字」の揺さぶりが再び始まったと嘆く。
阿武野さんは「もはや、テレビモニターは若者の部屋にはない。モニターがあったとしても、地上波テレビはほとんど観(み)られていない。(略)魅力ある番組が作れなければ、地上波テレビは終焉(しゅうえん)を迎える。必要なのは、作れる人材を、作る部署に最大動員して、『やっぱりテレビだ』と思い知らせることだ」と断じる。
そういえば、テレビ局に勤める友人も、視聴者映像提供の多用について、記者やカメラマンの「取材力が低下する」といたく懸念していた。視聴者など外部提供の“面白”映像のないニュース番組、見てみたい。プロの記者やカメラマンは視聴者に頼らず、自ら現場に迫ってほしい。もちろん、テレビに限らす新聞も。【山田道子・元サンデー毎日編集長】
(毎日新聞 2021年8月23日)
8月22日は「没後40年」の命日、
向田邦子さんが読まれ続ける理由
時代を反映 戦争番組の視点
米倉律:著
『「八月ジャーナリズム」と戦後日本』
毎年八月、「原爆の日」や「終戦記念日」に合わせるかのように、メディアが戦争や平和についての報道を展開する。いわゆる「八月ジャーナリズム」だ。読者や視聴者に戦争という惨禍の実相を伝え、平和の大切さを再認識させる意義と同時に、その「風物詩化」と他の時期の「沈黙」を批判するニュアンスも込められている。
元NHKディレクターで現在は日大教授の著者が、1950年代から現在までの全ての年代における、NHKと民放の戦争・終戦関連番組を分析し考察したのが本書だ。見えてくるのは、全体的に戦争を「受難」の経験として伝えようとする傾向で、著者はこれを「受難の語り」と呼ぶ。
たとえば70年代のテレビドキュメンタリーの多くが、日本と日本人を「被害者」として扱っていた。番組にアジアが登場することは少なく、取り上げるのは「太平洋戦争」が中心だった。そこでは、「被害」や「犠牲」が強調されるほど、「加害」の側面は背後に隠れてしまう。
テレビ史上、「八月ジャーナリズム」の本数が最も多かったのが90年代だ。294本に達している。戦後50年という節目もあり、80年代末に登場した日本のアジアに対する「加害」というテーマが浮上し、番組化された。また、戦争における「被害」と「加害」を対立的に見るのではなく、重層的な相互関係として探っていく番組も出てきた。「NHKスペシャル 死者たちの声~大岡昇平・『レイテ戦記』~」(95年)などだ。背景には、戦後責任や戦後補償をめぐる社会情勢の変化があった。
近年、八月の戦争・終戦関連番組自体が減少している。特に民放で顕著だ。しかも「加害の語り」が後退し、以前のような「受難の語り」が優勢だと著者は指摘する。「八月ジャーナリズム」は時代を反映し、それによって社会に影響を与える、一種の合わせ鏡だ。その機能低下が意味するものとは何なのか。本書が明らかにした歴史的経緯を踏まえて考えていきたい。
(北海道新聞 2021.08.15)
終戦ドラマ
「しかたなかったと言うてはいかんのです」
妻夫木聡の感情を抑えた演技が光った
13日の夜、終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」(NHK)が放送された。
戦争末期に九州帝国大学(現・九州大学)で行われた、米軍捕虜に対する「生体解剖」が題材となっている。遠藤周作の小説「海と毒薬」や、熊井啓監督の同名映画などで知られる事件だ。
鳥居太一(妻夫木聡)は西部帝国大学医学部の助教授。石田教授(鶴見辰吾)の指示で捕虜の手術を手伝うが、それは軍と共同で「内臓を摘出された人間は、どこまで生きられるのか」を探る人体実験だった。敗戦後、石田は自殺し、太一は“首謀者”と見なされ死刑判決を受ける。
ドラマは獄中の太一と、誤った判決を覆そうと奔走する妻・房子(蒼井優)を軸に展開される。最終的に太一は減刑されるが、ポイントは生還したことではない。太一の心の葛藤である。教授の暴挙を止めなかったこと、つまり「なにもしなかった罪」に苦しむのだ。
戦争だったから、本当のことを知らなかったから――。言い訳はいくらでもあったはずだ。しかし太一は、「しかたなかったと言うてはいかんのです」という心境に達し、一時は死刑を受け入れようとさえする。
感情を抑えた演技が光る妻夫木。粘り強く理不尽と闘う妻を好演する蒼井。重いテーマ「命をめぐる罪」と正面から向き合ったことで、終戦ドラマの秀作となった。
(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2021.08.18)
『原爆初動調査 隠された真実』に見る、
「8月ジャーナリズム」の意義