HTB北海道テレビ「イチオシ!」で、いつものコメンテーターです。
今週は「シャッフルウイーク」とのことで、普段、外から中継をしている高橋春花アナウンサーが、スタジオでヒロ福地さんとMCを担当していました。
高橋さんの持ち味は正確なトーク、明るさ、そして冷静さです。
その司会ぶりも見事なものでした。
高橋アナとヒロさん
オクラホマ河野さん
今週の「高橋春花アナウンサー」
SMAP騒動 得した人損した人
新橋のオジサン3分の2が支持
「キムタク処世術」は吉か
新橋のオジサン3分の2が支持
「キムタク処世術」は吉か
日本中を揺るがせた「SMAP解散騒動」は、1月18日の「SMAP×SMAP」で放送された“生謝罪”で、一応の収束を見せた。
大山鳴動して、拍子抜け。だが、一連の騒ぎによる余波は、意外なところにも及んでいた。“損得収支”を見てみよう。
まずは騒動を大々的に報じたスポーツ紙やテレビ局。部数や視聴率を伸ばしてホクホク顔だ。“棚ぼた”は、レコード会社や楽曲提供者。
中でも断トツは「世界に一つだけの花」を作詞・作曲した槇原敬之(46)といわれる。「解散」第1報の直後からファンは回避のために購買運動を始め、21日付のオリコンデイリーランキング(シングルCD)では2位。レコチョク週間ランキング(1月13~19日)では、トップに躍り出た。
「約260万枚のヒットで既に稼ぎは億単位ですが、再びバカ売れ。懐は相当温まるはずです」(音楽業界関係者)。
槇原本人はというと、
「楽曲提供を含め、これまで何度もSMAPさんとお仕事をさせていただいており、また、いちファンとして一連の動向に胸を痛めているようでした」(事務所担当者)
思わぬ“漁夫の利”を素直に喜べない状況のようだ。
不倫報道で清純キャラ株が大暴落したベッキー(31)も、目くらましになって得した口だろう。さらに「相手の『ゲスの極み乙女。』川谷絵音(27)こそが焼け太り」と言う指摘も。
「昨年9月に発売されたSMAPの最新曲『愛が止まるまでは』の作詞・作曲者は、実は川谷。曲が注目され入る印税も増えるはず」(芸能プロ幹部)
さて、損したのは誰か。
「解散報道2日前の11日に結婚したDAIGO(37)と北川景子(29)でしょう」と芸能プロ関係者は明かす。
「ツーショット会見も行い、映画やドラマの宣伝にもつながるはずが、霞んでしまい、とんだ誤算ですよ」
ファンからは「でも、一番損したのは木村拓哉(43)」という声がある。
“生謝罪”について、上智大学の碓井広義教授(メディア論)も木村のイメージダウンを指摘する。
「立ち位置や言動から、『キムタクに免じて事務所から許された4人』と『正義はキムタク』という構図に見えました。ネットの普及で『(妻の)工藤静香の暗躍』など様々情報も出回り、なぜ彼だけ守られるのか疑問を感じるファンが多かったんだと思います」
アンチ派が一気に増えた感があるが、援軍がいる。中高年サラリーマンだ。
東京の有楽町、新橋周辺で、主に40代以上の会社員30人に聞いてみると、実に3分の2、19人が「キムタク支持派」だった。高級スーツを身にまとった50代男性は、「騒動を収めたキムタクの言動こそが称賛されるべきだ。一番得する行動だ!」と鼻息が荒かった。
人事・組織戦略コンサルタントの麻野進氏は、「日本企業では、木村さんのように忠誠心があり、利害関係の調整をする人が出世しますから」と説明する。稼ぎ頭の5人を再びまとめ、残留に貢献した木村が高く評価されるというわけだ。
4人には今後、事務所からペナルティーが科せられるとも噂される。企業人と見たときの彼らの今後は?
「同族企業の経営者と確執があった場合、復活は厳しい」と麻野氏は予想する。
取材した会社員男性(47)は、こう吐露した。
「心情では4人を支持するけれど、自分はキムタク的行動をするだろうなあ」
日本の多くのサラリーマンの本音なのかもしれない。
では、“キムタク流”処世術は吉と出るか。
「役員クラスには出世できますが、あくまで内部的な貢献なので、トップになる可能性は低い」(麻野氏)
日本の企業文化まで透けて見えるSMAP騒動。まだしばらくは続きそうだ。
(本誌取材班=牧野めぐみ、上田耕司、亀井洋志、山内リカ、松岡かすみ/今西憲之、岸本貞司)
(週刊朝日 2016年2月5日号)
日刊ゲンダイに連載しているコラム「TV見るべきものは!!」。
今週は、NHK大河ドラマ「真田丸」について書きました。
NHK大河ドラマ「真田丸」
“抑制されたユーモア”に拍手
“抑制されたユーモア”に拍手
「真田丸」の舞台は戦国時代。主人公は真田信繁(幸村)。演じるのは堺雅人だ。
信長、秀吉、家康といった大物たちがしのぎを削る中を、信州の小さな一族である真田家が渾身の力と知恵で生き抜いていく。その構造はどこか「下町ロケット」を思わせ、判官びいきの日本人の感性に訴えるものがある。久しぶりで大河らしい大河の登場だ。
まず注目すべきは、「新選組!」以来12年ぶりの起用となる三谷幸喜の脚本だろう。物語や人物像よりも笑いを優先されたら困ると心配だったが、どうやら大丈夫そうだ。
たとえば、信繁の父・真田昌幸(草刈正雄、好演)が、一族郎党の前で「武田が滅ぶことはない」と断言。その直後、信繁と兄の信幸(大泉洋)に向かって「武田は滅びるぞ」と平気で言ってのける。昌幸の食えない人柄を見事に表現したこの場面、三谷の“抑制されたユーモア”に拍手だ。
この草刈正雄をはじめ役者陣も充実している。堺雅人は、一見茫洋としていながら、後の“戦略家”としての片鱗もうかがわせる信繁をのびのびと演じている。また、すでに亡くなってしまったが、武田勝頼の平岳大が存在感を見せた。
今後も信長の吉田鋼太郎、家康の内野聖陽、上杉景勝の遠藤憲一など、個性的な面々がこの芝居勝負に本格参戦してくる。男たちの骨太な人間ドラマが期待できそうだ。
(日刊ゲンダイ 2016.01.27)
産経デジタルの総合オピニオンサイト「iRONNA(いろんな)」に、朝ドラ「あさが来た」に関する論考を寄稿しました。
http://ironna.jp/article/2726
歴史に残る傑作の予感
「あさが来た」は朝ドラ55年の王道である
「あさが来た」は朝ドラ55年の王道である
NHKの連続テレビ小説(通称、朝ドラ)『あさが来た』が好調、いや絶好調だ。昨年10月のスタート時から現在まで、平均視聴率は連続して20%台をキープ。11月20日には番組史上最高の25%を記録した。視聴率だけでなく、新聞や雑誌などメディアで取り上げられる頻度も高く、雪だるま式に支持層が広がっている。そんな『あさが来た』の絶好調の理由を探ってみたい。
NHK朝ドラの基本
朝ドラが開始されたのは1961年だ。すでに55年の長い歴史をもつ。第1作は獅子文六の小説を原作とする『娘と私』だった。66年に樫山文枝が主演した『おはなはん』で平均視聴率が45%を超え、視聴者の間に完全に定着した。
当初、一つのドラマを1年間流す通年放送だったが、74年の『鳩子の海』以降は渋谷のNHK東京放送局と大阪放送局が半年交代で制作を担当するようになり、現在に至っている。途中、唯一の例外は、平均視聴率52.6%(最高視聴率62.9%)というメガヒットとなった『おしん』(83~84年)で、全297話の通年放送だった。
歴代のNHK朝ドラには、いくつかの共通点がある。その第1は、当然のことながら、主人公が女性であることだ。少女が大人になり、仕事や恋愛、結婚などを経験していくのがパターンである。幼少時から晩年までを描いた、いわゆる「一代記」の形をとったものも多く、『おしん』では、その生涯を年齢の異なる複数の女優(小林綾子、田中裕子、音羽信子)がリレーで演じていた。また朝ドラには、女性の自立をテーマとした「職業ドラマ」という側面もあり、全体的には、生真面目なヒロインの「成長物語」という内容が一般的だ。
「あさが来た」のポイント
『あさが来た』の主人公は、京都の豪商の家に、次女として生まれた今井あさ(波瑠)。大阪に嫁いだ後、炭鉱、銀行、生命保険といった事業を起こし、日本で初めてとなる女子大学の設立にも携わる。
このドラマ、物語としてのポイントは2つある。1つ目は、あさが実在の人物をモデルとしていることだ。“明治の女傑”といわれた実業家・広岡浅子である。2番目は、物語の背景が幕末から明治という時代であることだろう。
実在の人物がヒロインのモデルとなるのは、最近の朝ドラでは珍しくない。2010年の『ゲゲゲの女房』(漫画家・水木しげるの妻)、その翌年の『カーネーション』(デザイナーのコシノ3姉妹の母)、14年の『花子とアン』(翻訳家 村岡花子)などだ。いずれも現代の話ではなく、近い過去がドラマの舞台となっていた。今回の『あさが来た』も、これらの作品が好評だったことを踏まえて企画・制作されている。とはいえ、幕末から話が始まるという設定は大胆で、冒険でもあったはずだ。
この“過去の実在の人物”という選択は、逆に言えば、近年“現在の架空の人物”で制作された朝ドラが、視聴者の気持ちをあまり捉えてこなかったことを示している。視聴者側としては、ヒロインが人間的にあまり魅力的とも思えない架空の人物の場合、彼女の個人的な“さまよい”や“試行錯誤”や“自分探し”に毎日つき合ってもいられない、ということだ。
今回は特に、前作が『まれ』だったことが大きい。世界一のパティシエになる夢を追う女性を描くこと自体は悪くないが、物語としてはかなり迷走気味で、脚本にもご都合主義が目立った。それに比べると、『あさが来た』は実話をベースにしている分、物語の骨格がしっかりしている。“女性の一代記”ドラマとして成立するだけの実質が広岡浅子にあるからだ。
また、時代設定が幕末から明治という大激動期である点も有効に働いている。現代は明日が見えにくい閉塞感が漂っているが、今とは比べものにならないほどのパラダイムシフト(社会構造の大転換)があった時代を、ひとりの女性がどう生き抜いたか、視聴者は興味をもって見ることができる。
さらに、舞台が関西であることにも注目したい。同じ時代であっても、立つ位置によって異なる視点から眺めることができるからだ。そこに発見もある。また幕末維新ものの多くは、江戸を舞台にすると武家中心の話になってしまう。武家の場合、しきたりに縛られてあまり面白くないが、『あさが来た』では大阪の商人たちが自由で伸び伸びと活躍する様子が新鮮だ。
登場人物と役者たち
ヒロインに抜擢された波瑠は、これまで何本かの主演作はあるものの、女優としては発展途上という印象だった。どちらかといえば、やや捉えどころのない、どこかミステリアスな役柄が多く、“女傑”が似合うタイプとも思えなかった。
しかし今回は、いい意味で裏切られたことになる。意外や、明るいコメディタッチも表現できることを証明してみせたのだ。加えて、まだ女優としてはこれからという波瑠のたどたどしさ、素人っぽさが、両替商の若いおかみさんや炭鉱の責任者といった場における初々しさに、うまく自然に重なった。視聴者側からいえば、応援したくなるヒロイン像になっている。
また確かに美人女優ではあるが、現代劇ではどこか生かしづらかった容貌も、このドラマの時代設定にはマッチしており、日本髪と和服がよく似合う。トータルで、非常に効果的なキャスティングとなった。
しかし、ドラマは主役だけでは成立しない。周囲に魅力的な登場人物が必要になる。その点でも、いくつか秀逸なキャスティングが行われている。
前半で大活躍したのが、姉のはつ(宮崎あおい)だ。性格も生き方も異なる姉の存在が、このドラマにどれだけの奥行きを与えてくれたことか。『花子とアン』で成功した、一種の“ダブルヒロイン”構造の踏襲だが、そこに宮崎あおいという芸達者を置いたことで、視聴者は2つの人生を比較しながら見守ることになった。
次が、あさの夫である新次郎(玉木宏)である。この男の人物像が何とも面白い。江戸時代までの男性の多くは、女性に関して、「台所を中心に夫や家族を支え、常に2歩も3歩も引いた控えめな態度でいること」をよしとしていた。だが新次郎は、「女性はこうでなくてはならない」というステレオタイプな女性観の持ち主ではない。あさが旧来の女性の生き方からはみ出して、思い切り活動できるのも、実は新次郎のおかげだと言える。あの夫がいたからこそ起業もできたのだ。
新次郎は常に、のんびり、のらくらしているが、リーダーとしての仕事をさせたら、きちんとこなせるだけの力量がある。それにも関わらず、自分は表に出ず、当然のように妻の仕事を応援しているところが侮れない。“頼りない”のではなく、あさが思う存分羽ばたける環境を整えてやれるだけの“度量がある”のだ。お転婆なあさは、孫悟空ならぬ新次郎の手のひらの上で飛び回っているのかもしれない。玉木宏が、そんな男をさらりと具現化している。
もう一人、魅力的な脇役として五代友厚(ディーン・フジオカ)がいる。後に「近代大阪経済の父」と呼ばれることになる人物だ。五代がいることで、時代の動きを見せることだけでなく、あさと新次郎の心情にも膨らみが生まれた。フジオカという役者の出現もまた、このドラマの収穫だ。
ドラマを支えるもの
こうして見てくると、『あさが来た』の絶好調の裏には、以下のような要素があると言えるだろう。
1)幕末から明治へというこの国の激動期を、関西を舞台に描いていること。
2)女性実業家のパイオニアともいうべき実在の女性を、魅力的な主人公として設定したこと。
3)「びっくりぽん!」などの決め台詞も交え、全体が明るくテンポのいい脚本になっていること。
4)主演の波瑠をはじめ、吸引力のあるキャスティングがなされていること。
しかも、『あさが来た』には、「女性の一代記」、「職業ドラマ」、そして「成長物語」という朝ドラの“王道”ともいうべき三要素がすべて込められている。まだ前半が終わったところではあるが、朝ドラの歴史の中で傑作の一本となるかもしれない。
このドラマの第1回は、洋装のあさが、初の女子大(後の日本女子大学)設立を祝う式典の壇上に立つところから始まっていた。あの場面に到達するまでに、あさはまだまだ多くの試練を経なければならない。その過程だけでなく、出来れば女子大設立後のあさの人生も、しっかり見届けたいと思う。これから展開される、『あさが来た』の後半戦が楽しみだ。
(産経デジタル「iRONNA」 2016.01.26)
日経MJ(流通新聞)に連載しているコラム「CM裏表」。
今回は、木村多江さん出演「まんが王国」のCMについて書きました。
まんが王国
「情熱部長 ページにこめられた重み」篇
「情熱部長 ページにこめられた重み」篇
「作品届けたい」
熱弁に心動く?
熱弁に心動く?
木村多江という女優さんは、どちらかといえば幸福な女性より影のある役柄が多かった。恋人に捨てられるとか、夫に裏切られるとか、そんな場面で圧倒的な存在感を示す。
随分前に新聞のコラムで「日本一不幸が似合う女優」と褒めたことがある。その後あちこちで引用され、今やすっかり定説となってしまった。
そんな木村さんが電子コミックサイト「まんが王国」のCMに登場した。和服ではなく、光沢のあるブラウスに黒のスカート。しかもカメラ目線で「作品に込められた想い、その重みを届けることが私たちの使命なんです!」と熱弁をふるうのだ。
電子書籍は日々進化している。旧作も含め読みたい時にすぐ読める利便性は侮れない。とはいえ中高年層の中には抵抗感をもつ人も少なくないはずだ。
しかし、不幸な女や小料理屋の美人女将だけが木村さんではないように、勇気を出してデジタルの海に漕ぎ出してみるのも悪くないですよ。
(日経MJ 2016.01.25)
真田丸 視聴率20%台 好調船出
CG説明、俳優陣・・・「見たくなる仕掛け」効奏
CG説明、俳優陣・・・「見たくなる仕掛け」効奏
今年のNHK大河ドラマ「真田丸」は、十七日放送の二回目で視聴率が上がって20%台に乗せ、好調なスタートを切った。昨年の「花燃ゆ」が低迷しただけに、TBSのドラマ「半沢直樹」(二〇一三年)で人気を得た堺雅人とヒットメーカーの脚本家・三谷幸喜のタッグで、今後の展開に期待がかかる。 (鈴木学)
タイトルは、堺演じる戦国武将・真田信繁(幸村)が大坂の陣で築いたとりでの名。一族の戦国サバイバルを、荒波にこぎ出す一そうの船に見立てて描く。
「久しぶりに一年ワクワクしながら見られそう」と話すのは、上智大の碓井広義教授(メディア論)。
「信州の小さな一族が、あらん限りの力や知恵で激動の時代をわたっていく姿は、高視聴率を得たTBSドラマ『下町ロケット』(一五年)にも通じるような、判官びいきの日本人の感性を揺さぶるものがある」。三谷脚本は今のところ、心配されたやりすぎ感はなく「ユーモアも抑制が効いている」と高評価だ。
混沌(こんとん)の時代を描くにあたり、コンピューターグラフィックス(CG)などで状況を分かりやすく説明していることも評価。「『花燃ゆ』は歴史上の人物を支えた人を主人公にしたつらさで、誰を追うのか見えなくなっていったが、今回は表舞台に立つ人でそのあたりが明確。ただ、信繁の母親が変に目立ったり、気掛かりな点もある」と話す。
「クスッと笑わせ、泣かせる三谷テイストに加え、信繁らが追い詰められ、もうダメかという場面で助けが入る『待ってました』とばかりのシーンも盛り込んでいる。三谷さんが覚悟を決めて取り組んでいる印象」と、コラムニストのペリー荻野さんは語る。
一、二回では、信繁の父・昌幸役の草刈正雄と、主君・武田勝頼役の平岳大が目を引いたとの評判だ。荻野さんも同感だという。
「武田が滅ぶことはない」と一族の前で言い切った直後のシーンで、息子二人にだけ「武田は滅びるぞ」と告げる昌幸。草刈が幸村を演じたNHKドラマ「真田太平記」(一九八五~八六年)で、丹波哲郎さんが演じた悪賢い昌幸を見るようで「オールドファンには涙もの」とも。子役を使わず少年時代から堺が演じる点は「潔い」と評価する。
キーマンに挙げるのが兄・信幸(大泉洋)だ。後に信繁らと敵味方に分かれ戦う難しい立場で、作品が視聴者に受け入れられるかのカギになるとみている。
「脚本に三谷さんを起用した時点で重厚感のある大河ドラマを求めるのは無理。しかし、しかめ面で演じれば重厚かというとそうではなくて、芯がブレなければ多少のお笑いも許せる。ただし、あまりコメディー色が強いと従来の大河ファンが離れる恐れもある」。辛口な意見も多いコラムニストの桧山珠美さんも及第点のようだ。
戦国武将でも織田信長や徳川家康に比べて知名度に劣るため、戦国に疎い女性らをひきつける取っ掛かりが必要だ、とも。多くのイケメン俳優を使って盛り上げようとした「花燃ゆ」の轍(てつ)を踏まず、信長(吉田鋼太郎)、家康(内野聖陽)ら興味をひくような俳優陣を一話でチラリと見せて、「見たくなる仕掛けをつくっていた」と分析する。
一方で、桧山さんが「描き方がうまくない」と評すのが女性陣だ。信繁の姉に会話で「ねぇ?」と言わせたり、母親のオーバーなリアクションだったり、今後登場するヒロインの描き方も含め「やり過ぎは禁物。何ごともさじ加減が大切」と指摘している。
(東京新聞 2016年1月23日)
現在へとつながる80年代サブカルの検証
宮沢 章夫 [著]
『東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版』
河出書房新社
宮沢 章夫 [著]
『東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版』
河出書房新社
[レビュアー] 碓井広義(上智大学教授)
1982年、原宿に出現したクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」は、日本に初めてクラブカルチャーを輸入した店だ。プロデュースを担当したのは桑原茂一。中西俊夫、藤原ヒロシ、坂本龍一などのミュージシャンから、キース・ヘリング、ナム・ジュン・パイクといった海外のアーティストまでが集った。
そんなピテカンを起点として、80年代のサブカルチャーを検証したのが本書だ。実際には著者が東大で行った講義の記録であり、10年前に一度出版されている。今回は修正を施した上に、補講という名の総括講演を収録した。前著『NHK ニッポン戦後サブカルチャー史』と併せて、現代にまで繋がる地下文化の見取り図を再構築している。
有名なコピー「おいしい生活。」に象徴される、“情報を売る”ビジネスを展開した西武セゾングループ。その“西武文化”を憎悪した「おたく」たち。「ネアカVS.ネクラ」をはじめとする単純な二分法と細分化。各ジャンルにおける差異化とヒエラルキー。読み進めると、リアルタイムで見ていたつもりのものと、見えずにいたものの両方が、くっきりとした像を結んでくるようだ。
たとえば80年代的「おたく」の動向について、著者は「趣味や情報を共有する集団の内部的埋没」を指摘する。漫画やアニメとの関係において、当初は素人ながらも作り手側にいた彼らが、鑑賞する側、ファンの集団へと変容していく。作品を作って他者と向き合うのではなく、「内閉する連帯」に沈潜する若者たち。著者は、「それを好きだと思う私が好き」という彼らの自意識に、この時代のある空気を読み取る。
その一方で、いとうせいこうの活動や漫画家・岡崎京子の作品、さらにピテカンと桑原茂一の理念などを再検討。そこにある「資本に対するゆるやかな対抗」、そして「批評性」に注目する。今後、新しいものは、そこから生まれるのかもしれない。
(週刊新潮 2016年1月21日号)
報ステ、クロ現・・・報道の顔、降板続々
政権意向を忖度?「報道自制」
政権意向を忖度?「報道自制」
テレビ報道の「顔」が大きく変わろうとしている。放送業界への政治的な“風当たり”が強まる中、歯に衣(きぬ)着せぬ看板キャスターらの相次ぐ降板。現場には政権の意向を忖度(そんたく)し報道内容を自制する雰囲気もあるといい、識者からテレビジャーナリズムのあり方を危ぶむ声が上がっている。
三月末での降板を発表したのはテレビ朝日「報道ステーション」メーンキャスター古舘伊知郎さんとTBS「NEWS23」アンカー岸井成格(しげただ)さん。NHKも「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターの降板を検討している。
番組での発言が政権側から何度も批判された古舘さん。降板の発表会見でも「キャスターは反権力の側面がある」と自説を曲げなかった。大物政治家にも鋭い質問を浴びせる国谷さんも「降板させられるのでは」との臆測が何度も流れていた。
岸井さんは番組で、安全保障関連法案に対し「廃案に向けて声を上げ続けるべきだ」と発言。保守論客が名を連ねる団体から「政治的に公平であることを定めた放送法に違反する」と批判される中での降板発表だった。
「各局それぞれ事情があるのだろうが、三人続くと、政権に批判的だったから降ろされたという印象を視聴者が持つだろう」と指摘するのは砂川浩慶・立教大准教授(メディア論)。「報道番組が長いものに巻かれて、当たり障りのない一面的な情報提供しかできなくなったら、視聴者にとっても、民主主義社会にとっても良くないことだ」
政権与党がテレビ報道に「圧力」と取られかねない注文を強めたのは、一昨年末の衆院選のころからだ。在京各局に選挙報道で「公平中立、公正の確保」を求める文書を出し、自民党は昨年「報ステ」「クロ現」で局幹部を事情聴取した。
そんな中、テレビの報道現場では政権に批判的な報道を控えようとする雰囲気も出ているという。民放の若手スタッフは「危ない橋は渡りたくない」。あるNHK関係者は「政権の意向を忖度する空気が局内に漂っている」とため息をつく。
碓井広義・上智大教授(メディア論)は「メディアの中でテレビの影響力はまだまだ大きい。権力に対し、批判すべき点は批判するというジャーナリズムの役割をきちんと果たすべきだ」と注文する一方で、視聴者にもこう呼び掛ける。「報道番組が今後何を伝えるのか、そして何を伝えなくなったのか、しっかりとチェックしてほしい」
(東京新聞 2016年1月20日)