わかんなくても
じかんがあるさ
いそがばまわれ
またあした
谷川俊太郎「わかんない」
<Media NOW!>
日曜劇場「下剋上球児」
熱血監督と異なる人物像に魅力
サスペンス、恋愛、料理、ホームコメディーなど、さまざまなジャンルが並ぶ今期ドラマ。異彩を放つのが、高校野球をテーマとした日曜劇場「下剋上球児」(TBS系)だ。
舞台は三重県の公立高校。元高校球児の教師が弱小野球部の監督となり、甲子園を目指す。
このドラマには「原案」がある。菊地高弘のノンフィクション「下剋上球児」だ。2018年夏、三重県立白山高が甲子園に初出場した。
10年連続で県大会初戦敗退だった無名野球部が、なぜ甲子園に行けたのか。その経緯を監督や部員たちへの綿密な取材で浮かび上がらせている。
弱小チームの甲子園出場という事実をなぞれば感動的なドラマにはなるだろう。
とはいえ、展開や結末が見えているのは否めない。見る側の興味をどうやって持続させるかが気になっていたが、それは杞憂(きゆう)だったようだ。
菊地の書籍はあくまでも原案であり、登場人物やストーリーはほぼオリジナルといっていい。脚本は「最愛」(TBS系)などの名手、奥寺佐渡子だ。
まず、鈴木亮平演じる主人公・南雲脩司には、野球をめぐる苦い過去がある。
高校野球部の主将で、勝利至上主義の監督(松平健)に従って勝ち進んだものの、周囲からは「ひきょう」とののしられた。しかも決勝戦で自分たちの思うプレーをして敗れ、甲子園出場を逃したのだ。
大学へはスポーツ推薦で進学するがケガのために中退。このあたり、高校野球の側面に触れるだけでなく、主人公に適度な陰影を与えて見事だ。
南雲はスポーツトレーナーをしていたが、教員の資格を得るため再び大学に入り、36歳で教職に就いた。
当初は野球部の監督を拒んでいたが、部長である家庭科教師・山住香南子(黒木華)の熱意や、プレーする部員たちに接し、気持ちが変わる。
鈴木はそんな南雲を丁寧に演じ、熱血監督とは異なる人物像が魅力的だ。
また、このドラマの大事な持ち味は、野球部を「集団」としてではなく、生徒という「個人」の集まりとして描いていることだ。
犬塚翔(中沢元紀)は名門クラブチーム出身の投手で、弱小野球部にいる自分が許せない。
根室知廣(兵頭功海)は家庭環境に恵まれず、遠距離通学というハンディを背負う。生徒たちの個性や背景が物語に奥行きをもたらしている。
プロデューサーは新井順子。監督は塚原あゆ子。「MIU404」(TBS系)や「アンナチュラル」(同)などのコンビが初めて挑む野球もの。好ゲームが期待できそうだ。
(毎日新聞夕刊 2023.10.28)
信州人必携(?)の「長野県民手帳」
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【新刊書評2023】
週刊新潮に寄稿した
2023年8月後期の書評から
染谷 一
『ギャンブル依存~日本人はなぜ、その沼にはまり込むのか』
平凡社新書 1012円
ギャンブルが原因で人生を破滅させる人たちがいる。だが、それを「自業自得」や「意思の弱さ」では説明できないと著者。ギャンブル依存は単なる「衝動」ではなく、「疾患」なのだ。本書ではそんな“患者”たちを取材すると同時に、ギャンブル大国としての現状にもメスを入れていく。カジノ施設の設置を国が推進する時代、遊戯や娯楽の仮面をかぶった危険領域について深く知ることが必要だ。(2023.07.14発行)
中部 博『定本 本田宗一郎伝』
三樹書房 2860円
今年はホンダの創立75周年にあたる。本書は本田宗一郎の「何を作るか」という発想力と、「どう作るか」という技術力の源泉に迫る本格評伝だ。原動機付き自転車に始まり、オートバイや四輪自動車の製造など、「やってみなければ、わからないじゃないか」のチャレンジ精神が光る。失敗を恐れず、やり続ける。決してやめないことこそ夢を実現するための哲学であり、その人間臭さも魅力だ。(2023.07.23発行)
オリガ・ホメンコ『キーウの遠い空~戦争の中のウクライナ人』
中央公論新社 1980円
ロシアのウクライナ侵攻から2年半。ウクライナ人この現実をどう受け止め、また日常生活はどうなっているのか。そんな関心に応える一冊だ。キーウ生まれの著者は、日本で博士号を取得した歴史研究者。女性、男性、子どもにとっての戦争を語り、戦争下でもSNSでつながっている様子を伝えている。「他者に決められた国境」を持つ国民が、故郷と尊厳を守る戦いを続ける意味が分かってくる。(2023.07.25発行)
遠藤周作『現代誘惑論~遠藤周作初期エッセイ』
河出書房新社 1980円
今年3月、遠藤周作は生誕100年を迎えた。本書は単行本未収録の作品が並ぶ、記念の新刊である。遠藤は小説やユーモアエッセイだけでなく、多くの「恋愛論」を書いた。たとえば表題作では、ドン・ファンとプレイ・ボーイと遊蕩児の違いを語り、「愛」と「情熱」は異なるものであることを明らかにしていく。また友情と恋愛や夫婦の機微に触れた文章も、愛について多くのことを教えてくれる。(2023.07.30発行)
井上ひさし
『芝居の面白さ、教えます~井上ひさしの戯曲講座 日本編』
作品社 2970円
1998年、井上ひさしは仙台文学館の館長に就任。2001年から05年にかけて、同館で「戯曲講座」を行った。本書はその講義録だ。「千年後も残る」と保証する宮沢賢治、日本の近代劇で「ベスト3」に入るという三島由紀夫などが登場する。独自の履歴分析と作品解釈は著者の真骨頂。彼らの戯曲の新たな魅力が見えてくる。シェイクスピア、チェーホフなどを講じた「海外編」も同時に刊行された。(2023.07.31発行)
伊藤彰彦『仁義なきヤクザ映画史』
文藝春秋 2365円
近年、白石和彌監督『孤狼の血』、西川美和監督『すばらしき世界』など、ヤクザを主人公とした秀作が注目を集めてきた。本書はベテラン映画史家によるユニークな通史だ。大衆の欲望を反映させた『忠治旅日記』に始まり、『ゴッドファーザー』と真っ向勝負した『仁義なき戦い』などを経て現在へ。ヤクザという「見捨てられた者」たちは、いかにして時代を象徴する人間像となっていったのか。(2023.08.10発行)
信州PRキャラクター「アルクマ」ぷっくりキーホルダー
【新刊書評2023】
週刊新潮に寄稿した
2023年8月前期の書評から
戸谷由麻、デイヴィッド・コーエン
『実証研究 東京裁判~被告の責任はいかに問われたか』
筑摩選書 1870円
東京裁判の判決から75年。新たな視点で書かれた概説書だ。パル判事などの個別反対意見は知られているが、本来の東京判決である多数派は軽視されてきたと著者。戦争期の日本政府の組織や運営、アジア太平洋戦争の終結形態などを踏まえ、「平和に対する犯罪」や「戦争犯罪」に対する、多数派判事たちの「解決」を検証していく。東京裁判の責任論は現在の国際刑事法廷にも影響を与えているのだ。(2023.06.15発行)
福田和也『放蕩の果て~自叙伝的批評集』
草思社 2750円
かつて「ひと月百冊読み、三百枚書く」と豪語していた著者。今、病のためか「言葉はどこからもやって来ず、私は言葉を探し、追いかけている」と告白する。本書には最近10年の間に書かれた自叙伝的要素の強い文章が収められている。中でも味わいがあるのが江藤淳をめぐる回想だ。情感を排して的確に対象を捉え、「皮肉で刺すのが批評」と説いた江藤。本書は恩師への優れた回答になっている。(2023.07.05発行)
西牟田 靖
『誰も国境を知らない
~揺れ動いた「日本のかたち」をたどる旅』
清談社 2200円
国境に位置する日本の島々を訪ね歩いたルポルタージュだ。ロシアのインフラ開発と旧島民の揺れる思いが交錯する北方領土。韓国の上陸ツアーと「操業できない海」としての竹島。韓国人観光客の存在が問われる対馬。漁師たちが中国の侵略を実感する尖閣諸島。そして「台湾有事で攻撃される島」であり続ける与邦国島。共通するのは、「国境」について知らないままではいられない緊迫感だ。(2023.07.20発行)
吉岡桂子
『鉄道と愛国~中国・アジア3万キロを列車で旅して考えた』
岩波書店 2860円
新幹線の誕生から約60年。著者は新幹線の輸出事業を長年取材してきたジャーナリストだ。1990年代から始まった中国へのアプローチ。その中国が見せた驚異的な早さの自主開発。熾烈な日中高速鉄道輸出競争の歴史が明かされる。さらに本書では商戦の現場となっているアジア諸国や東欧などの鉄道に乗り、相手国における高速鉄道のあり方を探っていく。見えてくる「日本の自画像」も興味深い。(2023.07.13発行)
西川清史『泥酔文士』
講談社 1870円
泥酔をめぐる文章の傑作は、文士が自分のことではなく「他人の泥酔状態を辛辣に記したもの」だと元編集者の著者。壇一雄によれば、浅草界隈で痛飲した坂口安吾は、劇場の二階から階下の観客席に飛び降りた。酔えば、ひたすら他人にからんだのは中原中也。水道橋駅の線路に転落するが、酒瓶を手放さなかったのは小林秀雄だ。昭和の泥酔文士は「ほのぼの系」から「超弩級」まで実に多彩だ。(2023.07.25発行)
柳川 一『三人書房』
東京創元社 1870円
鳥羽から上京した平井太郎、後の江戸川乱歩は2人の弟と「三人書房」という古書店を始める。その店名と同じ表題作は第18回ミステリーズ!新人賞受賞作だ。語り手は古書店の二階に住む、探偵小説好きの青年。店に持ち込まれた女優・松井須磨子の“幻の遺書”をきっかけに、乱歩兄弟との推理合戦が始まる。本書は乱歩の弟たちや高村光太郎など、語り手を代えながら謎解きが展開される連作集だ。(2023.07.28発行)
「コタツがない家」(日本テレビ系)
ホームコメディの快作だ
久しぶりに登場した、目が離せないホームドラマだ。小池栄子主演「コタツがない家」(日本テレビ系)である。
主人公は敏腕ウェディングプランナーにして社長の深堀万里江(小池)。仕事面は完璧だが、家庭は問題山積だ。
夫の悠作(吉岡秀隆)は廃業寸前の漫画家でヒモ状態。高校生の息子・順基(作間龍斗)はアイドルを目指して挫折中。そこに熟年離婚して家も失った万里江の父、達男(小林薫)がころがり込んできた。
主な舞台は深堀家のリビング。そこで繰り広げられる、万里江たち家族の笑える会話バトルこそ、このドラマ最大の魅力だ。
たとえば、達男の処遇をめぐるやりとり。
悠作が達男の同居を警戒していることを万里江が指摘した。悠作は、かつて自分の母親との同居を拒んだと万里江を非難。
すると達男が、この家の頭金を援助したのは自分だ、などと言い出す。すかさず万里江は「そういうところを母さんは嫌ったのよ」と応戦する。
家族の間とはいえ、十分リアルで際どい本音の応酬だ。しかし、そこには聞いていて辛くなるような重さや暗さはない。どこかカラッとしたユーモアが漂っている。
筋立てよりも人間描写でドラマをけん引していく、金子茂樹(「俺の話は長い」など)の脚本。小池たち俳優陣の軽妙かつ細やかな演技。両者がガップリ四つに組んだ、ホームコメディの快作だ。
(日刊ゲンダイ「TV見るべきものは!!」2023.10.24)
同級生コンビから青春の懐かしさ
まるか食品 ペヤングソースやきそば
「旅番組グルメ」篇
大学生だった1975年に発売されたのが、まるか食品の「ペヤングソースやきそば」だ。簡単に作れることから、下宿の仲間と食べる夜食の定番になった。
あれから半世紀近くになるが、業界初だった四角形の容器は今も健在だ。
サンドウィッチマンが出演しているCMシリーズの新作は「旅番組グルメ」篇。舞台は割烹旅館の一室だ。
土鍋が置かれたテーブルの前に浴衣と羽織の2人がいる。画面右上には番組名「ぶらり郷土料理の旅!群馬県」の表示。
富澤たけしさんが「郷土料理、楽しみだなあ」と口火を切り、伊達みきおさんが「群馬だと何だろうね」と応じる。
女将さんが「どうぞ」と言って鍋のふたを開けると、そこには何とペヤングソースやきそば! 2人は「白くて四角い器」でうれしそうに食べ始める。
サンドウィッチマンは高校の同級生コンビだ。ふとした瞬間、教室や文化祭の喧騒を思わせ、忘れていた「青春のしっぽ」に触れたような懐かしさを覚える。
やきそばの香りと温かな湯気が、誰よりも似合うのはそのためだ。
(日経MJ「CM裏表」2023.10.23)
紅葉が進む、庭のもみじ
【新刊書評2023】
週刊新潮に寄稿した
2023年7月後期の書評から
コロナ・ブックス編集部:編『詩人 吉原幸子~愛について』
平凡社 2420円
昨年が生誕90年&没後20年の節目だった吉原幸子。東大仏文科を卒業後、劇団四季の女優を経て詩人となった。本書は彼女の軌跡を作品と解説で辿る構成の一冊だ。詩集『昼顔』収録の代表作「共犯」も読むことができる。「重大な個人的経験」にかかわる作品だ。また吉原は自身の詩が「人生へのラブレター」から「遺書のようなもの」へと変化してきたと言う。それを確かめるのもスリリングだ。(2023.06.23発行)
藤田直央『徹底検証 沖縄密約~新文書から浮かぶ実像』
朝日新聞出版 1650円
沖縄返還から約半世紀。その合意が為された際、米国の核兵器を沖縄に持ち込む「密約」があったことは広く知られている。朝日新聞編集委員の著者が見つけたのは、密約に関する新たな文書だ。それは当時佐藤栄作首相の密使を務めた、国際政治学者・若泉敬によるもので、「若泉文書」と呼ばれる。中でも核密約に至る工程を記した「シナリオ」の存在に驚かされる。(2023.06.25発行)
財津和夫『じじいは蜜の味』
中央公論新社 1650円
1970年代半ばに『青春の影』『サボテンの花』などを歌っていた著者は現在75歳。癌治療を経験した後もマイペースで音楽活動を続けている。新聞に寄稿したエッセイが一冊になった。バンド結成からデビュー、そしてヒットメーカーへという「チューリップ」を巡る回想もさることながら、「年寄りは弱者だが惨めではない」と言い切る、中期高齢者としての“生活と意見”がすこぶる刺激的だ。(2023.06.25発行)
嵯峨景子『氷室冴子とその時代 増補版』
河出書房新社 2640円
氷室冴子は1980~90年代にかけて活躍した作家だ。少女小説『なんて素敵にジャパネスク』シリーズで「コバルト文庫」の看板作となった。2008年に51歳で亡くなった氷室だが、これまで正当な評価を受けてきたとはいえない。本書はいわば復権を目指す本格評伝だ。作品の分析はもちろん、少女小説家としての葛藤や一般小説への挑戦など、資料調査と取材を足場に作家の内面に迫っている。(2023.06.30発行)
二階堂 尚
『欲望という名の音楽~狂気と騒乱の世紀が生んだジャズ』
草思社 2640円
著者は言う。戦争、売春、ドラッグ、酒、犯罪、人種差別などを人間の〈業〉とするなら、ジャズとは業の結晶であり、その歴史は業の歴史であると。本書はジャズの軌跡を辿ることで掘り下げる、日米の20世紀裏面史だ。狂騒の1920年代。モダンジャズとフランク・シナトラ。占領期、表裏の関係だったジャズと国策売春。そしてクレージーキャッツと美空ひばり。“ジャズより他に神はなし”だ。(2023.07.05発行)
佐藤 圭『佐藤圭写真集 秘密の絶景in北海道』
講談社ビーシー 2640円
ダイナミックにして繊細。それは著者が撮る写真と北海道の風景の両方に当てはまる言葉だ。著者の故郷、留萌の海の壮絶な夕景。秋の大雪山が披露する色彩マジック。サロベツ原野から見た利尻富士の威容。さらにオオワシやエゾシマリスなど動物たちの生きる姿にも見入ってしまう。いずれも、そこに行きさえすれば見られる風景ではない。写真家の眼と感性が生み出した、もう一つの北海道だ。(2023.07.11発行)
紅葉が進む、庭のもみじ
【新刊書評2023】
週刊新潮に寄稿した
2023年7月前期の書評から
笹倉尚子、荒井久美子:編著
『サブカルチャーのこころ~オタクなカウンセラーがまじめに語ってみた』
木立の文庫 2420円
漫画、アニメ、ゲームといったサブカルチャーを、臨床心理士など現役のカウンセラー12名が読み解く。コンテンツに表現されたこころ。それを愛する人たちのこころ。『鬼滅の刃』にみんながハマるのはなぜか。『仮面ライダー』はなぜ長く楽しまれているのか。またアイドルや声優を応援するのはなぜか。33のテーマと268項目が並ぶ。こころの支援のプロとサブカルチャーの組み合わせが絶妙だ。(2023.05.30発行)
谷頭和希
『ブックオフから考える~「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』
青弓社 1980円
その出現から30数年が経過したブックオフ。当初は毀誉褒貶の対象だったが、街のインフラとして定着した。本書は久々に登場したブックオフ論だ。これまでどう語られてきたのかを踏まえ、ブックオフを介して都市を眺め、遊び場としての原っぱと重ねていく。キーワードは「なんとなく性」。明確な目的を持たない棚や独特の買い取り基準が、やがて想像もしなかった「公共性」へと繋がっていく。(2023.06.02発行)
平川克美『「答えは出さない」という見識』
夜間飛行 1870円
異色の「人生相談」本である。何しろ回答者である著者が「人生は無目的であり、人間は無力であり、無責任である」と断言しているのだから。悩みを解消する唯一の絶対的な解決は、自分がいなくなることだと言う。許せない人の存在を憤る30代女性に「逃げるしかない」と説く。不倫は許されるかと問う50代女性には、性的欲望を解説した上で「ご自分でお考えになってください」。名回答に唸る。(2023.06.12発行)
島崎今日子『ジュリーがいた~沢田研二、56年の光芒』
文藝春秋 1980円
今年6月、75歳になった沢田研二は、さいたまスーパーアリーナでライブを行った。ザ・タイガースの前身時代から56年。ヒットチャートから離れて歌い続けて25年。今も現役のアーティストなのだ。本書は69人の証言をベースに、その実像に迫ったノンフィクションである。萩原健一が唯一ライバルと認め、多くのクリエイターに愛され、ジェンダーを越境する存在でもあったジュリーがここにいる。(2023.06.10発行)
延江 浩『J』
幻冬舎 1760円
85歳の女流作家が妻子ある37歳の実業家と関係を持つ。作家の名は「J(ジェイ)」とされているが、瀬戸内寂聴であることは明らかだ。いわゆるモデル小説である。深く関わった実在の男たちを、多くの小説で描いてきた瀬戸内。死後に自身の閨事がこういう形で書かれることを予測していたのか、いなかったのか。純愛小説として手に取ることも、性愛小説として読むことも可能な、まさに問題作である。(2023.06.15発行)
津田正夫『百姓・町人・芸人の明治革命~自由民権150年』
現代書館 2420円
板垣退助や後藤象二郎たちが「民撰議院設立建白書」を提出したのが1874年。自由民権運動150年の歴史を、庶民の視点から辿り直したのが本書だ。著者は元NHKディレクター。民権運動の実相だけでなく、女優・川上貞奴を梃子に女性の生き方を見つめ、著者の家族史を介して足尾鉱毒事件の本質にも迫っていく。「公議・公論による民主主義」が脅かされている今だからこそ書かれた一冊だ。(2023.06.15発行)
三国志と音楽ドラマ
今期ドラマ随一の「奇作」かもしれない。向井理主演「パリピ孔明」(フジテレビ系)である。
何しろ、「三国志」で知られる天才軍師・諸葛孔明(向井)が現代の渋谷に転生し、駆け出しのシンガーソングライター・英子(上白石萌歌)の夢を叶えようと奮闘する物語なのだ。
この設定だけで「もう無理」と思う人も少なくないだろう。しかし見ないで終わるには惜しい。奇作ではあるが際物ではないからだ。
このドラマの第一の見所は、向井が演じる孔明のキャラクターだ。三国時代の「漢服」と「羽毛扇」をそのままに、自身の知力や経験を生かして、英子の歌手としての才能を開花させるべく様々な策略を繰り出していく。
たとえば、英子が歌う会場に来た客を逃がさないために、大量のスモークを焚いて不明瞭感を演出。客の動線で照明を明滅させ、判断力を鈍らせた。さらにステージの配置を工夫したことで客は出口にたどり着けず、フロアに留まって映子の歌を聴くことになる。
これは一度足を踏み入れたら元の場所に戻れない幻惑の陣、「石兵八陣(せきへいはちじん)」の応用だった。三国志ファンならずとも拍手だ。
また孔明がハロウィンやクラブなど、三国時代とは異質の文化に接したた時のリアクションが笑いを誘う。同時にその柔軟な発想や適応力に驚かされる。
自分が転生したことを隠さず、周囲の人からは「諸葛孔明になりきった変人」と思われていることで、逆に彼の個性やカリスマ性が際立つのだ。向井はこの役柄を悠々と演じている。
もう一つの見所は、英子という女性の成長物語だ。彼女は孔明から刺激を受け、カバー曲だけでなくオリジナル曲にも挑戦しようとする。ここは英子ではなく、「歌手・上白石萌歌」の力量が問われる難しい部分だが、ぜひ頑張ってもらいたい。
加えて、孔明との間に生まれ始めた信頼や友情の行方も大いに気になる。
三国志とポピュラー音楽という全く異なるジャンルを融合させた、斬新な設定やストーリー。三国志の歴史や人物に詳しい人も、そうでない人も楽しめるような演出。そして向井や上白石による緩急自在の演技。異色の「音楽ドラマ」への挑戦ともいえる1本だ。
(しんぶん赤旗「波動」2023.10.19)