本日(9月30日)で、喫煙終了ということになる。
明日10月1日から禁煙、じゃなくて「止煙」だ。
自分に対して、禁じるんじゃなく、止めるんだから、やっぱ「止煙」ですね(笑)。
これまでに何度か会社を辞めたことがあるけど、それは自分で決めて辞表を出したのであり、クビになったとかではない。
ま、それと同じで(笑)、今回は、自分から煙草に辞表を出したわけです。
26日のブログで、「人生最初の1本」の話を書いたが、日常的に煙草を吸うようになったのは、テレビ制作の仕事を始めてからであり、20代半ばのことだ。
新人として最初に入ったレギュラー番組が「遠くへ行きたい」という旅番組だった。
当時、頻繁に出演していらしたのが俳優の渡辺文雄さんで、私も渡辺さんの回に参加することが多かった。
その頃の渡辺さんは結構なヘビースモーカーで、撮影の合間の一服が欠かせなかった。
ロケ現場の、カメラから少し離れた場所で、渡辺さんにおつき合いして一緒に煙草を吸うのも、いわばAD(アシスタント・ディレクター)の仕事の一つだった。
並んで煙草を吸いながら、渡辺さんはいろんな話をしてくださった。
それは番組作りから、花や鳥や虫のこと、食の話まで様々で、まるで学校みたいだった。
よく渡辺さんは自分の煙草が切れた時など、「碓井君、あるかい?」と聞いてきたので、常に煙草を携帯するようになった。
それまでは、吸いたくなった時(それも酒の席など時々だった)に買うという感じだったのが、だんだん「いつも持っている」ようになっていったのだ。
そして、編集作業。
当時の編集室は、まんま喫煙室であり(笑)、ディレクターも編集者も、みんな当たり前のように吸いまくっていた。
そもそもテレビ界は、それまでいた教育界とか出版界と比べても、喫煙率が高かったように思う。吸うのが当然、みたいなもので、いつでもどこでも、みんな吸ってたなあ(笑)。
そんなテレビ界で過ごすうちに、私もしっかり愛煙家となったわけです。
まだ新幹線でも、飛行機でも煙草が吸えた、今のような禁煙ファシズムの世の中からしたら、“夢のような時代”だ(笑)。
ADからディレクターになっても、プロデューサーになっても、ずっと煙草は”戦友”だった。
海外でも、どこの街でも、煙草を吸ったなあ。
ルーマニアのマラムレッシュは、100年前と同じような生活をしている素敵な山岳地方なので、夜になると本当に暗い。
深夜、宿泊先から外に出て煙草を吸うのだが、星の近いことと、数の多さがハンパではなく、私の煙草の火が、宇宙人から見えるんじゃないかと思った。
屋内での煙草だと、プラハのカフェがよかった。
世は、すでに禁煙席とか分煙とかいう時代になっていたが、さすが“カフェ文化の街”プラハでは、カフェに煙草は付き物だった。
万里の長城で吸い、エッフェル塔の下で吸い、金門橋を見降ろす丘で吸い、ウイーンのハムカツ屋さんで吸い、ブダペストの温泉で吸い、上海の運河で吸い、マウイ島のハレアカラ山頂で吸い、モスクワ大学の前でも吸った。
ほんと、ワンちゃんがオシッコで自分の足跡を残すように(笑)、国内から海外まで、あちこちで吸ってきた。吸わせていただいてきた。
全部まとめて、感謝です。
「止煙記念」にと、自分が煙草を吸っている写真がないか、探してみたけど、意外とないもので、見つかったのは学生時代の、この1枚くらい。
30数年前、渋谷のNHK放送センターのまん前にあった、四畳半下宿でのひとコマです(笑)。
(「止煙」まで、あと1日)