碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

『家族の昭和』が教えてくれる「昭和の家族」は刺激的

2008年06月30日 | 本・新聞・雑誌・活字
「回想」はもういい。昭和を「歴史」に。・・・という凄みのある文句が本の帯(それも背中)に入っている。関川夏央さんの近著『家族の昭和』(新潮社)だ。

昭和を象徴するいくつかの「作品」を、「家族」をキーワードに解析し、「昭和」の姿を浮き彫りにする。素材となるのは、向田邦子『父の詫び状』、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』、幸田文『流れる』、そして鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』である。

向田作品や『流れる』が並んでいるのは不思議ではなかったが、『君たちはどう生きるか』と『金曜日の妻たちへ』(それもパート3「恋に落ちて」が軸)が登場したのは意外だった。

『君たち・・・』を読んだ最初は中学生のころだったが、主人公のコペル君は同じ中学生といっても、まったく違う。これが書かれた昭和12年当時の中学校とはもちろん旧制中学であり、すでにエリートの一員だ。ちなみに、関川さんによれば、コペル君が通っていたのは「おそらく大塚の高等師範付属中学」、現在の筑波大付属である。

コペル君が銀座のデパートの屋上から、下の道を行く人や車の流れを眺めながら「自分を見つめる、もう一人の自分」を意識するくだりは、中学生だった私をどきりとさせた。確かに、初めて出会った「哲学小説」だったのだ。

関川さんの文章を読みながら、あらためて、これが「東京地生えの中流上層と上流、そういう家庭に育った少年たちの目をとおしてえがかれた」物語だったことを知った。また、この小説と吉野源三郎から発して、丸山真男、鶴見俊輔、さらに堀辰雄にまで言及していくところが関川さんの著作の醍醐味だ。

そして、鎌田さんの『金妻』。舞台は昭和の末期であり、同じ元号とは思えないほど社会状況が変わっている。登場人物たちを見る関川さんの視線も、どこか厳しい。「(ドラマの男女たちは)平和と退屈ゆえに「過去をひきずる快楽」に身を委ねているだけではないかとも思われる」と書いている。もしかしたら、この辺りの時代を嫌いなのではないか、などと勝手に想像したりして。

文芸表現を「歴史」として読み解きたいという希望が、かねてからある。・・・そう関川さんはいう。そこには向田ドラマや『金妻』のような映像作品も入るそうだ。おかげで、これまでに出ているドラマに関する評論とは、かなり違った刺激を受け、発見も、思うことも、たくさんあった。関川さんに感謝である。

家族の昭和
関川 夏央
新潮社

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父の詫び状 (文春文庫 む 1-1)
向田 邦子
文藝春秋

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君たちはどう生きるか (岩波文庫)
吉野 源三郎
岩波書店

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金曜日の妻たちへ〈3〉恋におちて〈上〉 (角川文庫)
鎌田 敏夫
角川書店

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<減煙コーナー>
なんとか6本で1日を終了。途中からは、「今日の分が終わったら、終わり」みたいな諦観があり、6本目を吸い終わった後も大丈夫だった。

ここしばらくだから、それほどの変化はないが、朝のいがらっぽい感じが減っている気がする。喉全体も以前よりも楽だ。それだけでも結構な成果。で、今日は5本となる。ふ~。

世の中には、いろんな「お仕事」があるものだ

2008年06月29日 | 本・新聞・雑誌・活字
これまでに、何度か転職をしている。同じジャンルの中で会社が変わるだけじゃなく、仕事の種類そのものを変えたこともある。とはいえ、自分なりの「理由」というか「範囲」はあったはずで、結果的には「思いもよらない仕事」にジャンプしたとはいえないかもしれない。

しかし、世の中には、いろんな仕事があるものだ。降旗学さんの『世界は仕事で満ちている』(日経BP社)を読んでいて、つくずくそう思う。

副題は「誰もが知っている、でも誰も覗いたことのない38の仕事案内」。缶コーヒーブレンダー、AVモザイク職人、死に化粧師、流しのはんこ屋など、降旗さんのいう「仕事に選ばれた」異能のプロたちの、「技」と「哲学」が開陳されている。偶然や失職で得た仕事を「天職」とするのもまた才能なんだなあ。

世界は仕事で満ちている

降旗 学
日経BP社

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降旗さんが取材した38の仕事の中に「ダッチワイフメーカー」というのがある。先日読んだ、高月靖さんのノンフィクション『南極1号伝説』(バジリコ)では、1冊まるごとがソレだった。

この本では、ダッチワイフはいかに誕生し、いかに進化してきたか。誰もがその存在を知りながら実態を知らない「特殊用途愛玩人形」の過去と現在を探っている。都市伝説としての国家プロジェクト「南極1号」の真相から、ユーザーの夢と現実までを描いた不思議な力作。これはもう陰の文化史だ。

いやあ、ほんと、世の中、いろんな「お仕事」があるもんだよねえ。

南極1号伝説 ダッチワイフからラブドールまで-特殊用途愛玩人形の戦後史
高月 靖
バジリコ

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<減煙コーナー>
うーん、昨日は見事に失敗。6本は無理だった。2本オーバー。戻っちゃいけない。規定の分を吸い終わったのに、机の中にしまってあった「廃棄予定」に手を出したのだ。弱いぞ、私。というわけで、今日(29日)は再度6本に挑戦だ。トホホ。

鬱という字は書けないが、ウツは怖くない、かも

2008年06月28日 | 本・新聞・雑誌・活字
最近、「鬱」についての本が何冊か出ているのは偶然じゃないと思う。五木寛之さんと香山リカさんによる新刊『鬱の力』 (幻冬舎新書)にも書かれているように、今は「鬱の時代」に入っているのかもしれない。政治も経済も状況はよくならないし、地震など天変地異はあるし、凄惨な事件も続発している。まあ、明るく暮らしたくても結構しんどいのが現実で、「一億総ウツ時代」もリアルになってきた。

この新書本は対談形式だから、とても読みやすい。でも、語られていることは軽くない。「うつ病」は治療すべきだが、「鬱」は人間本来の感情だという。五木さんによれば、鬱をエネルギーとしてとらえ、嫌がったり排除したりせず、享受することで見えてくるものがあるそうだ。ちょっと安心する。

作家の三浦朱門さんの新著『うつを文学的に解きほぐす』(青萠堂)には、妻で作家の曽野綾子さんとウツの関係や、友人である作家の北杜夫さんの躁うつ病の話などが出てくる。

三浦さんご自身は医師ではないが、まさに「文学的」なウツの分析が面白い。原因として挙げられるのは、誰にもありそうな成長期の体験や、大人になってからの人間関係、社会に出てからの職業や社会生活への適応など。これを読むと、ウツもごく普通のことじゃないかと思えてくるのだ。

鬱の力 (幻冬舎新書 い 5-1)
五木 寛之,香山 リカ
幻冬舎

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うつを文学的に解きほぐす―鬱は知性の影
三浦 朱門
青萠堂

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<減煙コーナー>
まだ減煙は続いている。昨日もまた、決めた本数(7本)で乗り切ってしまった。さすがにこの本数になると、「ちょっと吸いたいなあ」という時、水を飲んだりする必要がある。これも小説『優しい悪魔』に書かれていた通りだ。

とはいえ、今日は6本。相当きびしいのだが、「まあ、試してみるさ」である。

ミュージカルの巨匠の人生は、酒とバラの日々だけじゃない

2008年06月27日 | 本・新聞・雑誌・活字
ミュージカルの舞台というものを、あまり見ていない。芝居の中で歌う、というのが何となく不自然な感じがしていたのと、見ていて、なぜか照れくさくなるからだ。それでも、宝塚や劇団四季のものを何本か見ている。

映画となると、また話は別で、嫌いではない。オードリー・ヘプバーンの『マイ・フェア・レディ』(64年)、ジュリー・アンドリュースの『サウンド・オブ・ミュージック』(65年)あたりからは、割と見ているほうだ。『屋根の上のバイオリン弾き』『コーラスライン』『キャバレー』『オール・ザット・ジャズ』『シカゴ』など、どれも映画館で見た。最近のミュージカル映画の中では『オペラ座の怪人』がよかった。DVDはもちろんサントラまで買って、そのCDは今もクルマに置いて聴いている。

しかし、それ以前のミュージカル映画はリアルタイムでは無理。後に名画座やビデオなどで何本か見たが、『踊る大紐育』(49年)『ウエスト・サイド物語』(61年)もそんな作品だ。

津野海太郎さんの新著『ジェローム・ロビンスが死んだ~ミュージカルと赤狩り』(平凡社)は、舞台版『踊る大紐育』や映画『ウエスト・サイド物語』の振付家であるジェローム・ロビンスの人生を追った異色の伝記だ。なぜ異色かといえば、中心テーマが「なぜロビンスは赤狩りのときに仲間を<密告>したのか?」という、津野さんにとっての「謎」を解明することにあるからだ。

同じロビンスの作品でも、『ウエスト・サイド物語』より『踊る大紐育』のほうに思い入れがある津野さん。このミュージカル(原型はバレエ)の舞台、そして映画が生み出されるプロセスを、資料などを元に丹念に追っている。同時に、赤狩り当時の聴聞会で友人知人の名前を挙げる「naming manes」という行為と、ロビンスがユダヤ系移民であること、共産党への入党、同性愛者だったことなどとの関係を探っていく。

読んでいて思うのは、アメリカにおける「赤狩り」が残した”負の遺産”のようなものの深さだ。犠牲となった中に有名な文化人が多かったし、密告された者も、また密告した者も、共に深い傷を負った。これが、その後のアメリカに大きな影を落としたことは否めない。

それにしても、津野さんの、探索のエネルギーというか、執念には頭が下がる。偶然の個人的な<引っかかり>から始まったものが、アメリカ・ミュージカルというピカピカした世界の裏側、影の部分を明らかにしていくのだから。いや、ミュージカルだけではない。アメリカ社会そのものが持つ影を浮き彫りにしている。

2001年9月11日の事件で、アメリカが急激に変化したことを、「あとがき」で津野さんも指摘している。そう、社会の「空気」は一日で変わることがあるのだ。その意味で、「赤狩り」は遠い過去の出来事ではない。見えない右傾化の空気が充満している現在の日本もまた例外ではないのだ。

ジェロームロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り
津野 海太郎
平凡社

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<喫煙コーナー>
8本のタバコで1日過ごせるか、ということになった昨日(26日)。結論からいえば、クリアしてしまった。それも、ごく平常心で、だ。ちょっと出来すぎだと、自分も思う。もっと苦しいとか、禁断症状とかがあるのかな、と予測していのだが、少ない本数を、それなりに配分して吸うことで、イライラもなく1日を終えた。

すごいな、『優しい悪魔』。この小説のディティールが、自然と私を「抑止」しているのを感じる。特に、「肺がん」ばかりを思っていたところに、「喉頭がん」の辛さを教えられたことが大きい。

今日(27日)は、また1本減って、7本が規定本数。勝手に決めて、勝手に実行しているだけで、誰かが見張っているわけでも、規制するわけでもない。けれど、今は「一度、本数ゼロまで行ってみたい」という気持ちだけがある。どんなだろう。憧れみたいなものかな。というわけで、減煙4日目となる6月27日は、タバコ7本の日だ。

エロを優しく丁寧に語る「です・ます調」は、ほのかにエロい

2008年06月26日 | 本・新聞・雑誌・活字
酒井順子さんのエッセイは『負け犬・・』に限らずほとんど読んでいる。どんなテーマで書いていても、必ず「酒井さんらしいなあ」という独自の視点があり、しかもそれがケレンとかではなく、むしろしごく真っ当なのに、どこか過激。そんな絶妙のバランスが見事なのだ。

新作『ほのエロ記』(角川書店)では、エロという、一見きわどそうな物件を扱っている。鶴光の深夜放送に始まり、春画(映画「北斎漫画」での樋口可南子と蛸のからみ)、アンナミラーズの制服とメイド喫茶、グラビアに見る日本人の性的欲求、エロ小説、そして混浴等々。いつもながら、材料の”選び方”と”さばき方”に感心する。

たとえば、チアガールをめぐって、こう書く。「日本におけるチアガールで、最もエロい存在。それは、甲子園の応援団のチアではないかと私は思います」。理由としては「その素人臭さこそが、エロいのです」だって。酒井さん、あんたはオッサンか!

うーん、分かったぞ。酒井さんの中には、女性と男性の両者が棲んでいるに違いない。だから、女性の読者も男性読者も、「こういうの、あるある」という共感と、「なんと、そうだったのか」の発見を、ダブルで味わうことが出来るのだ。

ま、とにかく、これからも「です・ます調」の優しく丁寧な語り口を武器に、一層過激さを増していっていただきたい。

ほのエロ記
酒井 順子
角川グループパブリッシング

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<喫煙コーナー>
昨日は減煙2日目。しかも許されたのは9本。それなのに、この9本で、昨日1日を乗り切ってしまった。それも、無理やりって感じじゃなく、限られた本数を、いつ、どこで、どう味わうかを、(多少自虐的かもしれないが)楽しみながら考え、その通りに吸っていた。それで1日9本。

そんなこんなで、9本まで来てしまった。これで、今日(26日)は、またまたマイナス1本で8本となる。うーん、毎食後の3本は絶対必要。で、残りは5本。午前中に1本、午後2本、夜2本で終わりだが、さすがに不安だ。

でも、もう3日間は遊べたわけで、ここからは記録への挑戦(?)みたいなもの。いけるところまで、カウントダウンしてみようじゃないの。6月26日は、8本の日。

売れっ子女優の暴走と9本のタバコ

2008年06月25日 | 本・新聞・雑誌・活字
昔々、芸を売らずに体を売っていた芸者さんは「枕芸者」と呼ばれたが、演技を売らずに「枕営業」しちゃう女優さんのことを「枕女優」というらしい。

新堂冬樹さんの新作は、すばり『枕女優』(河出書房新社)だ。ここまで直接的なタイトルが付いちゃうと内容は察しがつくし、で、読んでみるとやはりその通りだったりする。

鈴木弘子という芸能界に憧れていた平凡な女子高生が、やや怪しげなオーディションに合格し、上京。一夜にして、鳥居水香という名の”芸能人”となる。とはいえ、そう簡単に有名女優になれるはずもなく、下積みの辛さを味わう日々が続く。状況が変わるのは、「整形」と「枕営業」という、それこそ体を張った勝負に出てからだ。

物語はここでドライブがかかる。加速していく。売れっ子女優となった鳥居水香は、鈴木弘子からどんどん離れていき、そのギャップを自分でコントロールできなくなってしまうのだ。周囲に対する態度にも歯止めが効かなくなる。まるで芸能界の誰かさんのように「わがまま姫」「独裁女王」と陰口をたたかれ、大事な記者会見では何を聞かれても「いいえ」と答える暴走ぶり。それでも仕事は舞い込み、私生活は犠牲となり、恋人との関係もおかしくなってしまう。実人生と引き換えの名声。水香の、そして弘子のたどり着く先は・・・。

実は、作者の新堂さん自身が芸能プロダクションを経営している。所属タレントのほとんどは、若くて、しかもまだ名前が十分に知られていない女の子たちだ。こんな小説を事務所の社長が書いちゃっていいの?と心配になったりするが、ま、大丈夫なんでしょう、きっと。芸能界の「仕事の現場」のリアル過ぎる描写も含め、もしかしたら、かなりの問題作かもしれない。

枕女優
新堂冬樹
河出書房新社

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<喫煙コーナー>
大変なことになった。昨日から今日にかけての「減煙」初日。いつもの20本から1本減らした19本で過ごす予定だった。ところが、1日が終わってみたら、何と9本も残っているではないか。つまり10本しか吸わなかったのだ。

なぜだ?と不思議だったが、たぶん、吸える本数が決まっていること、それがいつもより1本といえども少ないこと、それらが結構なプレッシャーだったらしい。吸うことを無意識のうちにセーブしていたようなのだ。なんて暗示に弱い私。

とにかく、何年ぶりかで、わずか10本を吸っただけで1日が終了してしまった。困った。本来なら、今日(25日)は昨日の19本から1本減らした18本で過ごすはずだったが、すでに10本まで来てしまったのだ。今さら、今日は18本で、というわけにはいかないではないか。どうする?

結論としては、昨日が10本だったのだから、今日はマイナス1本の9本ということにする。そう決めた。心配だが、そう決めたのだ。さあ、大変だよ。今日は会議なんかもあるし、その前後には必ず吸いたくなるはずだし。初めての「計画的喫煙」にトライせねばならない。

午前0時を回ってから、わざと新しい1箱を取り出し、昨日みたいにパッケージにマジックで「9」と本数を書いて、11本を抜き取った。そして、その中から、すでに1本吸ってしまった。残りは8本。これで1日、やり繰り(?)しなくてはならないのだ。

朝・昼・夜の3度の食事の後の一服は、やっぱ、はずせないよね。これだけで3本。あとの5本を、どのタイミングで吸えばいいのか。うーん、悩むなあ。でも、まあ、ダメで元々だし、とにかくこれでやってみよう。だが、それにしても、あと8本かあ・・・。

ちょっと回顧的になった日はフォークソングなのだ

2008年06月24日 | 本・新聞・雑誌・活字
週刊文春:編『フォークソング~されどわれらが日々』(文藝春秋)を入手したのは、明らかに中学校の同窓会に出たせいだろう。気分がちょっと回顧的になっているってことだ。単純な性格なので、すぐ影響される。

本の帯にいわく。<13組15人が語る「あの頃」と「現在」>。いるいる。懐かしい名前と、ほとんど歌詞を見ないで歌えてしまう曲の数々が並ぶ。

南こうせつ、りりイ(映画「さよなら、クロ」のお母さん役もよかった)、NSP(夕暮れになると、あのメロディが)、三上寛(ステージに立つだけでインパクト)、山崎ハコ(やまさき、なんだよね)、ビリー・バンバン、なぎら健壱(泣くほど笑えた「悲惨な戦い」)、高石ともや(やっぱ「受験生ブルース」でしょ)、カルメン・マキ(と聞けば寺山修司を思い出す)、シモンズ(「恋人もいないのに」懐かしいねえ)、西岡たかし(名曲「遠い世界に」)、友川かずき(すぐに曲名が出てこない)、小室等(風貌変わらず)。

この本の中で、ビリー・バンバンは「白いブランコ」が取り上げられている。しかし、私にとってのビリバンは「さよならをするために」がマイベスト。72年に日本テレビで放送されていたドラマ『三丁目四番地』のテーマ曲だったのだ。森光子が下宿屋のおかみさん。その子供に浅丘ルリ子と岡崎由紀(だったと思う)。そして下宿人に原田芳雄と石坂浩二がいた。

放送当時、私は高校3年生だったわけだが、なぜかこのドラマに「東京」というものを強く感じた。下宿のセットの後方にまたたく街の灯りが、私にとっての東京のイメージだった。

かぐや姫の「神田川」を聴いたのは上京後、大学1年のころだ。歌の中に銭湯が出てくる。当時は、東横線・日吉にあった、家賃6700円のオンボロ学生下宿(何しろ農家の物置小屋を改造したものだった)の住人だったが、銭湯も結構ぜいたくで、毎日は行けなかった。この歌のように、銭湯の前で彼女が出てくるのを待つという風景は、ごく普通に見られたものだ・・・てな具合に、曲を聴けばその時代のアレコレを思い出す。音楽のイメージ喚起力は強い。

小室等さんの「雨が空から降れば」がラストに出てくる。そう、最後に小室さんとこの曲ってのは、なんとなく納得がいく。作詞は劇作家の別役実さんってのも、今思えば凄いなあ。

「雨が空から降れば
 オモイデは地面にしみこむ
 雨がシトシト降れば
 オモイデはシトシトにじむ」

困ったねえ、お酒が飲みたくなってきた。
 
フォークソングされどわれらが日々

文藝春秋

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<喫煙コーナー>
垣谷美雨さんの”禁煙小説”『優しい悪魔』が面白かったので、物語の中でヒロイン・佐和子が挑戦した「減煙法」なるものをやってみようと思う。ついさっき、そう決めた。これ、簡単すぎるほど簡単な方法で、毎日1本ずつタバコを減らしていきましょう、というだけなのだ。

私は大体1日1箱(20本)の人なので、今日24日はマイナス1本で19本となる。午前0時。今日が始まった。本日分として新品のタバコを取り出し、封を切って、透明なつるつるを脱がせ、紙のパッケージをむき出しにし、そこにマジックで「19」と書き、タバコを1本だけ抜き取った。

この19本で、今夜の午前0時まで、1日過ごせばいいのだ。明日は2本減らして18本。つまり20日後にはゼロになる。おいおい、ほんとにそんな具合にいくのかい?と自分でも可笑しいが、まあ、せっかくその気になったので、とにかくやってみよう。6月24日(火)、今日は19本の日だ。

「白」を極めることは「色」そのものを捉え直すこと

2008年06月23日 | 本・新聞・雑誌・活字
原研哉さんは、無印良品のアートディレクションなどで知られるグラフィックデザイナーだ。以前、お会いしたのは、内閣府が開いた「政府広報」に関する公聴会の場だった。論理的かつ明晰な語り口で、政府広報全体に”デザインという思想”が欠けていることを、びしっとおっしゃていたのを覚えている。そんな原さんの新著のタイトルが『白』(中央公論新社)。

この本は、「白」にまつわる美学的エッセイだ。白と紙、白と活字との関係を探り、さらに「空白」についても考える。原さんによれば、白を極めることは色そのものを捉え直すことになるという。

本の造りも変わっていて、全体の半分は、日本語で書かれた文章の英訳なのだ。英文は、反対側(裏表紙側)から読んでいくことになるので、奥付は本の中央部に位置している。本自体のデザイン・装丁も美しいが、この併載されている英文もまた美しい。(和文英訳・英文和訳のテキストにもなるし)

原さんの作品で好きなものの一つに、集英社新書の装丁がある。表紙カバーの、「ひとり舟を漕ぐ人」のマークもいい。それから、制作に参加していた98年の「長野冬季オリンピック開会式・閉会式」。そのプログラムも原さんの作品だった。


原 研哉
中央公論新社

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デザインのデザイン
原 研哉
岩波書店

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やさしい悪魔はキャンディーズ、優しい悪魔は紫煙の彼方

2008年06月22日 | 本・新聞・雑誌・活字
ついに登場した。新ジャンルの文学である。いわば<禁煙小説>。垣谷美雨さんの『優しい悪魔』(実業之日本社)のことだ。うーん、いつかはこういうのが出てくるとは思ったが、ほんとに出てきちゃったのね。

ヘビーというほどではないが、十分に愛煙家で、しかもこれまで何度も禁煙に挑戦しては敗北し続けている岩崎佐和子(40歳)が主人公。絵本作家の夫と高校生の娘がいる。収入の不安定な夫に代わり、佐和子が一家の大黒柱だ。一般企業の一般職としてずっと働いている。タバコは佐和子の必需品だ。この小説には、タバコの害についても、いくつかの禁煙法についても、ストーリーにからめて説明が登場する。しかし、佐和子は一日たりとも禁煙できない。

面白いのは、佐和子の目を通して見た、現代の「禁煙社会」ぶりだ。会社の中にあった喫煙コーナーが”お取り潰し”となり、屋外の吹きさらしへと追いやられる。喫煙仲間が減っていく。タバコを吸うために立ち寄っていたドーナツショップが店内全面禁煙になる。分煙の店の入り口で、店員から「タバコはお吸いですか」と聞かれ、「吸います」と答えたときの店員の目つきが気になる。いや、そんなことより、佐和子は自分を「禁煙もできない意志の弱い人間」として意識させられること自体、とても不愉快なのだ。

読んでいて「うーん、分かる分かる」と苦笑いする私も喫煙者である。ルールもマナーも守り、タバコを通じて過分な税金も献上していながら、最近の、喫煙者が病人どころか、まるで犯罪者扱いされる風潮に対して、結構憤っている。迫害と弾圧。「禁煙ファシズム」という言葉も思い浮かぶ。

なんなんだ、あのカード「タスポ」。言いづらい名前だ。未成年が自動販売機でタバコを買えないようにという名目ではあるが、あれも喫煙者にとって不便な状況を生み出す、一種の弾圧政策に違いない。そして、「タバコ1箱1000円」構想。高くすれば買わなく(買えなく)なって、世の中から”悪の化身”喫煙者が減るという目論見である。いっそ1箱1万円にしたらいい。いや、かつてのアメリカのごとく、禁酒法ならぬ「禁煙法」でも制定しますか?

禁煙法が出来れば、きっと喫煙者は地下に潜るね。どこかのビルの地下に「もぐりの喫煙バー」があって、ドアをノックすると小窓が開いて誰何されるのだ。持っているだけで罪に問われる「ライター」を取り出し、相手に見せる。するとドアが開くのだが、もちろん室内は紫煙の渦だ・・。

いや、つい興奮して妄想に走ってしまった。『優しい悪魔』の佐和子の話だった。佐和子は、偶然知り合った女医が「禁煙外来」の専門家だったことから、この女医のいる病院の門をくぐる。これが最後の戦いと自分に言い聞かせる佐和子。果たして、彼女は本当にタバコをやめられるのか?


昨日(土)から今日にかけて、信州・上諏訪の温泉旅館「朱白」で行われた、中学校の同窓会に出かけてきた。参加者は50人以上。久しぶりで見る顔も多く、記憶の中にある40年前の顔を探し出す。

泊りがけだから、夕方からの宴会(?)の後も、いくつかの部屋に分散して2次会、3次会。結局5時近くまで、わいわいと飲み、語り続ける。朝、最上階にある展望露天風呂に一人でつかりながら、目の前にひろがる諏訪湖をのんびりと眺めた。風呂上り、ゆっくりと吸い込む1本の美味かったことは言うまでもない。

優しい悪魔
垣谷 美雨
実業之日本社

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禁煙ファシズムと戦う (ベスト新書)
小谷野 敦,斎藤 貴男,栗原 裕一郎
ベストセラーズ

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エッセイ、随筆、随想はマニアックなほど効く

2008年06月21日 | 本・新聞・雑誌・活字
気がつけば、最近読んだエッセイ、随筆、随想には、何やらマニアックなものが並ぶ。でも、自分の知らない世界やジャンルに関しては、「その人にしか書けない」内容のものほど、読んでいて面白いのだ。私はまったく釣りをしないが、今、夢枕獏さんの新著『毎日釣り日和』を、楽しく読ませてもらっている。

以下は、それぞれに「よく効くわい」と思った近刊エッセイ。我ながら、雑読系だなあ。


水野雅士『シャーロッキアンの放浪三昧』(青弓社)

ホームズの熱烈なファンをシャーロッキアンと呼ぶ。水野さんは日本シャーロッキアン協会を率いる人物。この本には、世紀の探偵物語を教養文学として精読した成果がある。ホームズの観察力、推理力、情熱、誠意といった人間像。ヒーローでもある脇役ワトソン。事件の陰の英国ファッション。百年前の架空の人物が見事に立ち現れる。


柴田元幸『それは私です』(新書館)

英米文学の翻訳や『生半可な学者』などのエッセイでファンの多い柴田さん。日常のなかの“ちょっとヘン”なエピソードが並ぶ脱力系エッセイ集だ。自ら「妄想度が高い」という柴田さんだが、アメリカの借家で複数の“自分の幽霊”に遭遇する話など絶品。多数の挿画というか似顔絵漫画もまた楽しい。


釈 徹宗『いきなりはじめる仏教生活』(バジリコ)

著者の釈さんは、寺の住職にして大学准教授。専門は宗教思想だ。この本は映画や漫画も引用しながらの、平易にして愉快な仏教生活入門エッセイである。正しい仏教生活の極意は、世間を相対化し、自己と世界の関係の総点検すること、だそうな。自らの枠組みを揺さぶるため、いかに仏教を活用するかが伝授される。


辻 佐保子『「たえず書く人」辻邦生と暮らして』(中央公論新社)

妻として間近で見た小説家・辻邦生さんの素顔と作品が語られる。各作品の着想や執筆における試行錯誤、そして評価に至るまでが丁寧に綴られ、資料としても貴重なものだ。仕事に集中する姿を、息継ぎをしては水面に潜る「水中生物」にたとえる清冽な文章が、作品の再読へと誘う。

シャーロッキアンの放浪三昧
水野 雅士
青弓社

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それは私です
柴田 元幸
新書館

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いきなりはじめる仏教生活 (木星叢書)
釈 徹宗
バジリコ

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「たえず書く人」辻邦生と暮らして
辻 佐保子
中央公論新社

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還暦のYMOが、小声でそっと、人生哲学を語ったア~(下條アトム風に)

2008年06月20日 | 本・新聞・雑誌・活字
「YMO」といっても、知らない世代が相当なボリュームになる。細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人による音楽ユニット「イエロー・マジック・オーケストラ」が結成されたのは1978年。ちょうど30年前だ。

アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』も『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』も、衝撃的だった。シンセサイザーとコンピュータを駆使して生み出されたYMOの音楽には、当時流れていた他のあらゆる楽曲とも違う新しさがあった。また、当初、日本ではなく海外から火がついたことも含め、彼ら3人の「出現」とその「活動」自体が、一種の事件だった。

中でも坂本龍一さんは、単独でも目立っていた。大島渚監督作品『戦場のメリークリスマス』で音楽だけでなく役者としても独自の存在感を示す。その後もベルトリッチ監督の『ラストエンペラー』では甘粕正彦を演じ、さらに日本人として初めてアカデミー賞作曲賞を受賞した。

また、今は亡き碩学、哲学者の大森荘蔵先生と哲学対談の本を出すなど、まさに「教授」のニックネームにふさわしい活躍を見せた。最近だと、雑誌『ENGINE』で連載中の自叙伝「ぼく自身、語りおろし 坂本龍一による坂本龍一。」が面白い。

しかし、今日の本の”主役”は坂本さんではない。メンバーのひとり、細野晴臣さんである。実は、私にとっての細野さんという人、「YMO」以前の「はっぴいえんど」や「ティン・パン・アレー」のころから、なんともツカミ所がなかった。どんな人なのかは気になったのだが、情報はそう多くなく、ずっと「よくわからないけど凄い人」的な位置づけだったのだ。

その細野さんが本を出した。『細野晴臣 分福茶釜』(平凡社)だ。タイトルに名前は入っているし、「ぶんぶくちゃがま」というのも何やら人を食っているではないか。タヌキの話か?

この本では、音楽家の鈴木惣一朗さんを相手に、細野さんが自身の「哲学」「人生観」を語っている。それも、ひそひそなのか、ぼそぼそなのか、かなり小声らしい。鈴木さんと共に、読者も耳をそばだてる必要がありそうだ。で、一読すると、「へえ、細野さんて、こういう人だったんだあ」と少し驚き、かなり納得という具合。

 「百パーセント受け身だね。水に支配されているようなところがあるからね」

 「ぼくが泣くときは山を見たりとかね、大木を見たりしたときで・・」

 「年をとるってことはいいことなんだよ、本来は。ものの見方が広がっていくんだから」

聞き手である鈴木さんによれば、この書名は、タヌキである細野さんの「福」を、皆さんにお分けしましょう、ってことらしい。不思議な人生問答集だ。

細野晴臣分福茶釜
細野 晴臣,鈴木 惣一朗
平凡社

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音を視る、時を聴く哲学講義 (ちくま学芸文庫 オ 7-2)
大森 荘蔵,坂本 龍一
筑摩書房

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過激派活動家ってこんなだったんだ、と驚いたり笑ったり

2008年06月19日 | 本・新聞・雑誌・活字
1970年代の後半、渋谷にあった木造2階建のアパートに住んでいた。トイレ・ガス・水道が共同という、今ではなかなかお目にかかれなくなったアパートだ。1階にも2階にも部屋が3つ。私の部屋は2階の4畳半で、他の部屋は、隣が同じ4畳半、向かいに6畳間があった。

住んでいた5年間に、隣と向かいの部屋の住人は何度か入れ替わった。その6畳のほうに、1年ほど20代後半と思しきカップルが住んでいた時期がある。この男女が学生なのか、社会人なのか、よく分からなかった。というのは、昼間いたかと思うと、夜になっても朝になっても帰ってこなかったり、その逆で夜しかいなかったりするのだ。

古い木造だし、トイレも共同だから、隣も向かいも、その動きは何となく気配でわかる。この6畳には、ときどき何人もの男女が遊びに(?)来ていた。それも必ず夜だ。外へ出るには階段を降りて、そこで靴を履くようになっていたが、この来客たちは靴を部屋に持ち込んでいるらしく、部屋からは複数の人の話し声が聞こえてくるのだが、階下の入り口に靴は置かれていなかった。

不思議なことに、彼らが住んでいた1年の間、引っ越してきた当時以外に、廊下でばったり会うことはほとんどなかった。顔もほとんど覚えていない。また、いつ引っ越していったのかも分からない。ある日、消えていたのだ。

大学を卒業して社会人になった頃、勤めていた会社に、いきなり警察が私を訪ねてやってきた。特に悪さをした記憶もないので平気だったが、いったい何の用事だろうとは思った。

それは刑事だったが、聞かれたのは、アパートの向かいの部屋に住んでいた例の男女のことだった。どんな人たちだったか。よく知りません。部屋で何をしていたか。分かりません。話したことはあるか。ありません。全部、本当のことだ。で、ものの5分でおしまいだった。

刑事は、ほとんど詳しい話をしてくれなかったが、その口ぶりから、あのカップルが過激派だったこと。指名手配されていたこと。ときどき来ていたのは、彼らの仲間だったこと、などが分かった。しかし、その後、刑事が再び来たこともないし、警察から問い合わせがあったこともない。

もうずっと長く忘れていたが、彼らはどうなったんだろう。今、どうしているんだろう。

そんな30年以上前のことを思い出したのは、中野正夫さんが書いた『ゲバルト時代 SINCE1966-1973 あるヘタレ過激派活動家の青春』をさっき読み終わったからだ。

1948年生まれの中野さんは、高校時代から「ゲバルト活動」を始め、浪人してからも学生運動のいくつかのセクトと関わる。大きな流れとしては、ブントから赤軍へということになるが、その後、逮捕されたりしながら73年まで活動家だった人だ。

この本は、活動家時代のいわば回想録になるが、類似のものが思いつかない面白さをもっている。それは、一にも二にも、中野さんの考え方というか、思想、スタンスがユニークだからだ。

それは自らを「ヘタレ過激派活動家」と呼んでいることでもわかる。主義、主張があっての活動参加ではない。「何か面白そうジャン」というノリで活動に入っていってしまい、基本的にそのまま終わりまで行ってしまう。

羽田、佐世保、新宿、日大、東大など、数々の有名な闘争の「現場」にいて、制圧する側とぶつかり、相手をぶちのめしたり、自分もケガをしたり、逮捕されたりもするのだが、どこまでも不思議なアマチュア精神(?)の人なのだ。

過激派活動家といわれる人の実生活、実活動が、こんなに率直に、リアルに語られたことが今まであっただろうか、と思う。自分が体験、もしくは近くで見聞きした活動の話はもちろん、活動家たちの男女関係にいたるまでが、淡々と、そしてユーモアもまじえて回想されている。

この本には、(中野さんが言うところの)「革命ごっこの親玉たち」や「革命ごっこ」経験者たちの多くに見られる、自己満足、自己陶酔、自己正当化や欺瞞がない。それを最も嫌っているからだろう。

中野さんは書く。
「人は言ってることより、やっていることを見ろ!」

「実際は「理論」や「理念」では人は動いていないという現実」

1966年から73年にかけて、この国で何があったのか。それは現在とどうつながり、もしくはつながっていないのか。それを考えるには、今後、この一冊は外せない。

なんとも凄まじい”青春記”が出てきたものだ。

ゲバルト時代 SINCE1966-1973 あるヘタレ過激派活動家の青春
中野正夫
バジリコ

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ウイルスの流通は困るけど、愛の流通なら・・・

2008年06月18日 | 本・新聞・雑誌・活字
慶大SFC(湘南藤沢キャンパス)時代のゼミの教え子から本が届いた。現在はNHKにいる彼が、ディレクターとして参加していたNHKスペシャル「最強ウイルス」が単行本になったのだ。

送ってもらった『最強ウイルス~新型インフルエンザの恐怖』(NHK出版)を手にして思うのは、こうした本作りって、番組作りとはまた別の大変さを伴うということ。

でも、番組を見た人も、見てない人も、活字を通じて貴重な情報を再確認、もしくは入手できるわけで、出版の意義は大きい。

彼は国内取材を担当していたから、第5章「日本は大丈夫なのか?」を中心に書いているが、実は視聴者にとって、海外よりも日本に関する情報こそ一番気になる部分なのだ。

だから、「このままの状況では、感染して重症となっても医療の恩恵が受けられるかどうかは分からないのだ」という結びの一文は、日本社会に対する警告として相当怖い。

最強ウイルス―新型インフルエンザの恐怖 (NHKスペシャル)
NHK「最強ウイルス」プロジェクト
日本放送出版協会

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それと、もう1件。

ケータイやブロードバンドなど、次世代メディア向けにデジタルコンテンツを提供する、コンテンツ・プロバイダーで仕事をしている、同じくSFCでの教え子からは、映画の案内をもらった。

で、試写を見てきた。ケータイ小説が原作で、タイトルも同じ『愛流通センター』。昨年のホリプロスカウトキャラバンのグランプリ、足立梨花チャンの初主演だ。公開は7月の予定となっている。

失恋した女の子が、愛流通センターの”営業さん”の力を借りて、元カレのこころを取り戻すのですが・・・といったお話。高校生たちの恋愛心理と、初々しい演技が印象に残った。

フツーの女子高生をフツーに演じるって、結構難しい。出演者の中では、梨花チャンもいいけど、親友役の入来茉里チャンがこれから伸びると思う。

そして、エンドロールの「アシスタント・プロデューサー」のところで、ちゃんと懐かしい名前も発見した。

愛流通センター
唯沢 みず
ゴマブックス

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本の奥付や、映画のスタッフロールで、教え子たちの名前を見られるなど、大学教師としては実に嬉しい出来事で、こちらも「がんばろう」という励みにもなる。感謝だ。

梅雨の晴れ間に町歩きがしたくなる日

2008年06月17日 | 本・新聞・雑誌・活字
昨日(16日)の日中は、まだ梅雨が続いているとは思えないような、気持ちのいい天候だった。こういう日に、研究室や会議室にこもっているのは、ほんと残念。ぶらりと散歩、町歩きができたらいいと思う。テレビ朝日の地井武男さんの「ちい散歩」みたいなのでいいから。

まあ、その代わりってのは無理だけど、町歩き気分になれる本を眺めてみる。

まずは、『首都圏 名建築に逢う』(東京新聞出版局)。東京駅から箱根の冨士屋ホテルまで50の名建築が並んでいる。この本の最大の魅力は、全編を飾る細密彩色画だ。芸大出身の画家たちが描く建物は、いずれも美しさと温かみに満ちている。また歴史やエピソードを交えてその魅力を語る文章も的確で、実際に見に行きたくなってくる。

首都圏 名建築に逢う
東京新聞編集局
東京新聞出版局

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次は、同じ建築でも、ちょっとマニアック。大山顕さんの『団地の見究』(東京書館)だ。熱狂的団地マニアである大山さんの手にかかると、江戸川区にある何でもない団地が「ボディのノーブルな造形とロイヤルカラーの色づかい」だと絶賛され、西葛西という一般的にはやや地味な印象の町も、かつて栄華を極めた団地が眠る「団地界の王家の谷」となってしまうから楽しい。48棟分の団地写真と、大山さん独特の解説を楽しむ偏愛本である。

団地の見究
大山 顕
東京書籍

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そして、最近何度か見直しているのが、阿久悠さんの詞と、佐藤秀明さんの写真&エッセイを収めた『路地の記憶』(小学館)だ。夏の夕暮れ、道端で車座になる子どもたち。秋の日差しを背に、石段でまどろむ猫。季節により、町によって、様々な貌をもつ路地には、生活感と旅情とが同居している。阿久悠さんが逝ってしまった今、二つの才能による二度と出来ないコラボレーションだ。

路地の記憶
阿久 悠,佐藤 秀明
小学館

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人はなぜ山に登るのだろう? 笹本稜平『還るべき場所』

2008年06月16日 | 本・新聞・雑誌・活字
信州にある故郷の町から、いつも穂高岳が見えた。真夏以外は白い雪で覆われた頂上が美しかった。子どもの頃、そんなアルプスは下界から眺めるものであり、県外から来た登山客が登ったり、ときに遭難したりする場所だった。決して自分が登るところではなかった。しかし、山には、そこへ自らの意思と身体で登った者にしか分からない”何か”がある、ということだけは想像できた。

笹本稜平さんの新作『還るべき場所』(文藝春秋)がいい。山岳小説の傑作のひとつに数えていいんじゃないか、と思うくらいだ。物語の背景としての山ではなく、山そのものが、もうひとりの主人公であるかのような存在感をもっている。

舞台となるのは、カラコルム山脈にあるK2。標高は8611mで、世界第2位の高さを誇る。1位はおなじみのエベレストだが、傾斜や天候は非常に厳しく、難しさでは世界一といわれている。

高校時代から山に魅せられ、登り続けてきた矢代翔平。4年前、翔平は恋人の聖美とともにK2に挑み、事故で聖美を失った。半ば死んだように暮らしていたが、昔からの仲間の誘いで、再度K2に向かうことになる。

今度は登山ツアー(かなり豪華)のガイド役を務めるのだが、これに参加している心臓ペースメーカーの創業者・神津邦正の存在がまた面白い。自身の会社から追われるかもしれないような企業内抗争の最中、神津は命がけで山に登ろうとしているのだ。

彼らを待つのは、人間が生きること、いや、そこに居ること自体が困難だというような場所。極限の地。あまりに過酷な自然だ。そんな“魔の山”で、翔平や神津たちが見たものとは・・・。

笹本さんが、エベレストを舞台にした山岳冒険小説『天空への回廊』や、南極を飛ぶ極地パイロットを主人公にした『極点飛行』などで鍛えた、自然と人間を描く力が遺憾なく発揮されている。

 神津の言葉:
 「人間は夢を食って生きる動物だ。夢を見る力を失った人生は地獄だ。夢はこの
  世界の不条理を忘れさせてくれる。夢はこの世界が生きるに値するものだと信
  じさせてくれる」

 神津の部下・竹原の言葉:
 「人生とはやり直しのできない一筆書きのようなものだと思う。一度描いてしま
  った線は修正がきかない。できるのはその先をさらに描き続けることだけだ」

 翔平の父・道輝の言葉:
 「砂漠のような人生に、大輪の花を咲かせることのできる人間こそ一流だ」

還るべき場所
笹本 稜平
文藝春秋

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