碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

【気まぐれ写真館】 2020年大晦日の夕景

2020年12月31日 | 気まぐれ写真館


【書評した本】『初歩からのシャーロック・ホームズ』

2020年12月31日 | 書評した本たち

 

ホームズ入門者への貴重なアドバイス

北原尚彦

『初歩からのシャーロック・ホームズ』

中公新書ラクレ 968円

 

シャーロック・ホームズの熱狂的なファン、もしくは専門的知識を持つ人たちを「シャーロキアン」と呼ぶそうだ。ならば北原尚彦『初歩からのシャーロック・ホームズ』は、日本を代表するシャーロキアンによる絶好の入門書である。  

著者によれば、このシリーズの人気の秘密は、ホームズとワトスンから宿敵モリアーティ教授までの魅力的な登場人物にある。本書では脇役たちも紹介されるが、ホームズがウイスキーのソーダ割りを好み、推理の邪魔になるからと恋愛を避けていたといった細かなエピソードほど興味深い。

またホームズが活躍したのはヴィクトリア時代の末期であり、日本は明治時代の後半だ。タクシーとしての辻馬車が走り、ガス灯が夜を照らすロンドンには、留学中の夏目金之助(漱石)も滞在していた。  

ホームズ物には第1作『緋色の研究』に始まる長篇4冊と短篇集5冊の60作がある。では、どの順番で読むべきなのか。全作読破を目指すなら「刊行順(発表順)」。お試しの一冊には『シャーロック・ホームズの冒険』が最適と著者は言う。

エピソードは独立しているので、基本的には何から読んでも構わない。ただし、物語のつながりという意味では、「『回想』を読まずして『生還』を読んではいけない」と貴重なアドバイスも忘れていない。

名探偵の登場から133年。正典、関連本、映画やドラマなど映像作品も合わせ、ホームズという名の「文化」は今も深化している。

(週刊新潮   2020年12月24日号)

 

 

 

 


信濃毎日新聞などで、「嵐」活動休止について解説

2020年12月30日 | メディアでのコメント・論評

 

 

嵐はずっと、身近で、素直で 

新たなアイドル像を確立 年末で活動休止

1999年にCDデビューした「嵐」(相葉雅紀さん=(38)=、松本潤さん=(37)=、二宮和也さん=(37)=、大野智さん=(40)=、桜井翔さん=(38)=)が年末、NHK紅白歌合戦出場や無観客ライブ生配信を行いグループ活動を休止する。身近さと、率直に思いを伝える姿が国民的人気を博し、エンターテインメントの先頭を走ってきた。

昨年1月、5人で会見し活動休止を発表。「自由な生活がしてみたい」という大野さんの発言に象徴されるように、率直な言葉で受け答えする姿は今でこそスタンダードになったが、そうしたアイドル像を先取りしてきたのが嵐だった。

13年前に嵐の主演映画の取材で初めて5人に接した編集者・ライターの内田正樹さんは「それぞれ高いスキルを持ちながら、他のアイドルにはない素朴さがありました」と振り返る。ゲームや釣りを趣味と公言する姿が親近感を生んだり、バラエティー番組での、まるで放課後の教室で騒ぐ男子のような“わちゃわちゃ”と戯れる雰囲気がほっとさせたりして受け手との距離を縮めてきた。

20周年のライブツアー総動員数は237万5千人。間近で取材した内田さんは「演出を手掛けたのは松本さん。積み重ねた経験とスキルの集大成で圧巻のスケールでした」と語る。「トークコーナーでは、何万人もの観衆を前にしても素の部分が感じられる会話を交わしていて、誰もが身近に感じられる存在感はトップアイドルになっても変わらないと感じました」

新型コロナウイルス禍の中、コラムニスト辛酸なめ子さんは嵐の存在に癒やされた。「手洗い動画などに励まされた人は多いのではないでしょうか」。嵐を「少年っぽさを永遠に封じ込めたような存在。サステナブル(持続可能)なアイドル」と表現。「休止後も年に1曲でも発表して5人で歌う姿が見られたら…」

休止発表後、国立競技場での有観客ライブなど、コロナ禍で中止したプロジェクトもある一方、SNS(会員制交流サイト)開設や楽曲配信などオンラインでの活動を一気に展開。米トップアーティストのブルーノ・マーズさんから全編英語詞の楽曲提供を受けるなどグローバルな挑戦も。

「残された時間、できる限り可能性を追求している。『世界中に嵐を巻き起こす』がデビュー時からの夢。コロナさえなければ、さらにどんな冒険に出ていたのだろうと思います」と内田さん。

メディア文化評論家の碓井広義さんは「休止発表から2年の時間を設け、距離を置いてきたインターネットも駆使してファンとのつながりを守った。よく考え抜かれた『軟着陸』だと思います」。アイドルが群雄割拠し「時々刻々、数値で評価される時代」だからこそ「愚直さのある人が生き残るのではないでしょうか」。大みそかも嵐の5人はぎりぎりまでファンらと向き合う

 [「嵐」の主な記録]

2009年にCDアルバムが初のミリオンセラー(198・9万枚)となり、年間のアーティスト別セールス部門トータルランキングで初めて1位を獲得した。シングルの週間1位獲得作品は20年の「カイト」で計54作となり全アーティスト歴代1位。アルバムは最新作「This is 嵐」で17作連続1位に。ミュージックDVDとブルーレイディスクの総売上枚数は計1508・4万枚で歴代1位。(オリコン調べ・12月21日付時点)

(信濃毎日新聞 2020.12.27)

*この記事は北海道新聞、岩手日報、河北新報、静岡新聞、京都新聞、四国新聞、山陽新聞、西日本新聞、熊本日日新聞、沖縄タイムスなどにも掲載されました。


言葉の備忘録209 わたしという・・・

2020年12月29日 | 言葉の備忘録

 

 

 

わたしという物語を開いて、

あなたの物語を読ませてほしい。

 

 

相沢沙呼 『教室に並んだ背表紙』

 

 

 

 

 

 


歴史的ダメ親父登場で 千代の運命が動き出した『おちょやん』第4週

2020年12月28日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

 

歴史的ダメ親父登場で

千代の運命が動き出した

『おちょやん』第4週

 

NHK連続テレビ小説『おちょやん』で、8年ぶりに千代(杉咲花)の前に現れた、朝ドラの歴史に残る「ダメ親父」テルヲ(トータス松本)。その「悪だくみ」がきっかけとなり、千代の運命が再び動き出した第4週(12月21日~25日)です

 

歴史的ダメ親父、現る!

先週末、『おちょやん』第3週のラストで現れたのは千代(杉咲花)の父親、テルヲ(トータス松本)でした。幼い千代を家でさんざん働かせ、学校にも行かせず、後妻との暮らしの邪魔になると奉公に出したテルヲ。朝ドラの歴史に残りそうな、本格派の「ダメ親父」です。

そして、「第4週」の冒頭。

「迎えに来たんや、一緒に去(い)の。(弟の)ヨシヲと三人で暮そう」と猫なで声で誘いますが、千代は「一生、許さん」と追い払います。

千代は知りませんでしたが、テルヲが来たのは、やはり自分が抱える多額の借金のためでした。

9歳で「岡安」に奉公に入り、8年間懸命に働き、ようやく年季が明ける千代を、また別の奉公先に送り込もうというのです。いや、ハッキリ言えば、再び「娘を売り飛ばす」のが狙い。あまりに理不尽で自分勝手です。

これからも「岡安」で働き続けようと決めていた千代ですが、心は揺れていました。夜、遊びにいこうとする天海一平(成田凌)と顔を合わせた際、ふと本音をもらします。

「一緒に暮そうて言われたとき、嬉しかった」

その一方で、「この8年はなんやったんや。(嬉しいと思った自分が)こないに悔しいこと、あらへん」

この複雑な思い、二律背反に苦しむ姿に、千代のやさしさとせつなさが表れていました。

親父の悪だくみと千代の決意

千代に断られたテルヲは、居酒屋で借金取りの男たちに向って「奥の手があんねん」などと言っています。それをたまたま聞いたのが一平でした。

再び千代に近づくテルヲ。弟のヨシヲが病気だが、金もなく、医者に診てもらえない。千代に働きながら面倒をみて欲しいと迫ります。本当は弟の病気も嘘なんですけどね。

「お父ちゃんとヨシヲには、お前しかおらん」と泣き落し作戦ですが、その様子も一平は目撃してしまいます。

いつもの居酒屋で向き合っているのはテルヲと一平です。

新たな奉公の話は、単なる借金返済のためであることを、千代に教えると言う一平。なぜ、そこまでするのかと聞くテルヲ。「あんたみたいなアホな親見てたら、我慢でけへん、それだけや!」と一平。

一平を追って居酒屋にきた千代が、2人の話を聞いていました。愕然としながらも言い切ります。

「うちは一人で生きてくて決めたんや。二度とうちの前に現れんといて!」

しかし、ここからが大変で、借金取りの男たちが「岡安」に乗り込んできて暴れたのです。女将のシズ(篠原涼子)に向って、彼らが主張するテルヲの借金は「2000円」でした。

ドラマの時間は大正13年(1924)です。当時の大卒サラリーマンの初任給は50円くらいでした。ならば、借金の2000円は現在の800万円にあたります。庶民にとっては大きい。

千代が次の奉公を拒んだことで、借金取りの「岡安」に対する嫌がらせが激しくなりました。客は減り、その分、ライバルの芝居茶屋「福富」は大繁盛です。

夜、銭湯からの帰り道で、男たちが待ち伏せしていました。テルヲも一緒です。すると同僚のお茶子が彼らに訴えます。

「千代ちゃんはこの8年間、いっぺんも道頓堀から出てへん。なんでか、わかりますか? お暇もらっても、千代ちゃんには帰るとこ、なかったんだす。せやさかい、お父ちゃんが迎えにきて、帰るとこでけたって、ほんまに嬉しそうやったんだす。せやのに、あんまりや!」

必死で頭を下げる仲間を見て、千代は「岡安」を去る決心をします。

「うち、岡安を出ます。お父ちゃんの言うとおりにしてあげる」と言いながら、じっと父を見つめる千代。その目には諦めと悲しみが浮かび、アップになった杉咲さんの表情は多くのことを語って絶品でした。

千代はシズたちに別れを告げます。シズはそれを許し、「天海天海(あまみてんかい)一座」の芝居が千秋楽を迎えるまでは、岡安に留まるよう言い渡します。

千代、突然の「舞台」へ

さて、その天海一座ですが、こちらも危機に陥っていました。

座長だった初代天海が亡くなったことで、一座の人気は急落。須賀廼家万太郎(板尾創路)率いる「須賀廼家一座」に大きく引き離されています。それどころか、芝居小屋からは客の不入りを理由に、公演半ばでの打切りを言い渡されてしまいました。

千秋楽の日、それは千代の「岡安」最後の日でもあるのですが、開演直前、座長の代りを務めていた須賀廼家千之助(星田英利)が突然姿を消してしまいます。さらに女形役者もぎっくり腰に。

その時、たまたま楽屋へ差し入れを持ってきていた千代に、白羽の矢が立ちます。女中役の女形の代役でした。若旦那(一平)が浮気相手の女中と別れる芝居だったのです。

いきなりの舞台。緊張しながらも、その素の芝居が観客を笑わせました。そして終盤、一度は納得して出て行こうとした女中が、突然、抵抗を始めます。杉咲さん、今週の「見せ場」の一つでした。

「イヤや! うちは絶対に行きまへん。ほんまは、どこにも行きとうない! イヤや、うちはずっとここに居てたい。岡安にいてたいんや! もう一人になんの、イヤや。うちはどこにも行きとうない、ここにいてたいんや!」

「岡安にいてたいんや!」って、もはや芝居の中のセリフではなく、リアルな千代の肉声です。心からの叫びです。8年の間にシズや仕事仲間から受けた恩を返したいのはもちろん、初めて得た「安住の場所」でもあったからです。

ふっと静まる場内。役者も客も茫然とする数秒があり、女中に戻った千代。「やっぱり気が変ったんで、出ていきますね」と笑わせました。

舞台袖で、一座の須賀廼家天晴(渋谷天笑)が千代に言います。

「人生、雨のち晴れや!」

母の形見のビー玉を月と重ね、「明日もいい天気や」と自分を励ましてきた千代にとって、今後を暗示する大きな意味を持つ言葉と言っていいでしょう。

千代の「旅立ち」

千代が「岡安」を出ていく日。シズたち一家と食卓を囲んだ千代に、先代の女将であるハナ(宮田圭子)が言いました。「あんた、役者におなり。あんた、いい役者はんになれる」と。千代の中にも、何か呼応するものがあります。

借金取りたちが、千代を連れて行こうとやってきました。しかし千代は、シズやお茶子仲間が準備してくれたおかげで脱出を図ります。追いすがる男たちを路上で押しとどめたのは、千代がいつも親切にしていた乞食たちでした。

夜の船着き場。シズが待っています。

「これからは自分のために生きますのや。生きてええのや」

千代の胸にしみる言葉です。続けて、

「あんた、わてに恩返しがしたい、言うてくれたな。せやったら、あんたが幸せになり! それがわての望みや。これは旅立ちだす。せやさかい、しんどうなったら、いつでも帰っておいで。あんたの家は岡安や」

出ていく船。シズの最後の声が響きます。

「千代、気張るんやで!」

千代だけでなく、見る側にも余韻の残る、美しい別れのシーンでした。

シズは「岡安」に戻り、借金取りの連中と対峙(たいじ)します。差し出したのは200円(現在の約80万円)。テルヲの元々の借金です。それを2000円と言っていたのは、彼らが勝手に利子を膨らませたからでした。

ちなみにこの200円は、「岡安」のお茶子や、芝居茶屋「福富」の女将(いしのようこ)も含む、道頓堀の人たちの善意の集まりです。

渋る男たち。シズは、ハナとの掛け合いで、最近、道頓堀川に死体が浮いたという話をして、「この町をナメるな」と彼らを脅します。借金取りたちは200円を持って退散しました。

ひと芝居打ったシズを、「ハマリ役でしたな」と笑顔でほめるハナ。その後のシズのセリフが見事です。

「ここは芝居の街でっせ!」

いつか、その芝居の街に、千代が女優として帰ってくる日がやってくる。この時のシズたちは知る由もありませんが、見る側の中に密かな期待が膨らむ、第4週のラストでした。

実は、千代のモデルである浪花千栄子は、「仕出し弁当屋」での奉公の後、父親の手配で次の奉公先に送り込まれました。そこで2年の辛抱があり、20歳になったとき、奉公先の奥さんの助けによって、身一つで「夜逃げ」を決行するのです。そして千栄子は終生、父親を許しませんでした。

ドラマでは、この2度目の奉公をカットしました。千代に新しい世界へと向ってもらいたいという、脚本の八津弘幸さんの英断でしょう。それは正解だと思います。もう奉公は十分だ(笑)。

もちろん簡単に女優への道が開けるとは思えませんが、次の「第5週」からは場所も変り、千代にも大きな転機がやってきそうです。そう、これからは、自分のために生きていいのですから。


言葉の備忘録208 幸せに・・・

2020年12月27日 | 言葉の備忘録

 

 

 

幸せになる秘訣を

知りたいか?

愛する女に愛を伝え、

ウソをつかずに生きることだ。

 

 

――78歳のジョン・レノンの言葉

     映画『イエスタデイ』

 

 

 


【気まぐれ写真館】 さよなら、聖夜

2020年12月26日 | 気まぐれ写真館

我が家の雪ダルマくんたちも、また来年!


コロナ禍に揺れた2020年のドラマ界を振り返る

2020年12月25日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

「テレビ 見るべきものは!!」年末拡大版

コロナ禍に揺れた

2020年のドラマ界を振り返る

 

社会全体がそうであるように、今年のドラマ界もまた新型コロナウイルスの感染拡大を抜きに語ることはできない。厳しい状況の中でドラマ制作を続けた皆さんに敬意を表しながら、この一年を振り返ってみたい。

1月クールには上白石萌音主演「恋はつづくよどこまでも」(TBS系)があった。ヒロインの七瀬(上白石)は修学旅行で鹿児島から上京し、偶然出会った医師の天堂(佐藤健)に一目ぼれする。彼の近くに行こうと看護師を目指し、天堂と同じ病院で働き始めた。看護師として一人前になること、天堂に振り向いてもらうこと、そのためにはどんな努力も惜しまない。

やがて彼女の天性の明るさと笑顔は患者たちの支えとなっていく。七瀬はかたくなだった天堂の気持ちも動かすが、一番揺さぶられたのは見る側の感情だ。仕事も恋も初心者で、失敗しては落ち込み、泣いて、また顔を上げる。ひたすら一途でけなげなヒロインに多くの人が癒やされた。

■予想を超える戦争描写に驚かされた「エール」

4月、NHKの連続テレビ小説「エール」が始まった。このドラマ、全体としては誰もが楽しく見ることのできる良質な朝ドラになっていた。古関裕而がモデルの作曲家・古山裕一(窪田正孝)とオペラ歌手でもあった妻・音(二階堂ふみ)の「夫婦物語」であり、2人を軸とした昭和の「音楽物語」でもあるという複層構造が功を奏したのだ。

ただ、古関はかつて「軍歌の巨匠」でもあった。「勝ってくるぞと勇ましく」の歌い出しで知られる、「露営の歌」などその一例だ。レコード会社の専属作曲家としての「業務」だったことは事実だが、古関の中に葛藤はなかったのか。果たしてこの時代の古関を、いや古山裕一を描けるのか、注目していた。

結果的に、予想を超える戦争描写に驚かされた。慰問でビルマ(現在のミャンマー)に赴いた裕一は、前線に出ていき銃撃戦に巻き込まれる。次々と倒れていく日本兵。しかも、ようやく会えた恩師の藤堂(森山直太朗)が目の前で被弾し、亡くなってしまう。これまで何本もの朝ドラが戦争の時代を扱ってきた。だが、悲惨な戦闘シーンをここまで直接的に見せることはなかった。それだけでも「エール」は画期的な朝ドラだったのだ。

5月から6月にかけて、出演者がそれぞれ別の場所にいる状態で制作する、いわゆる「リモートドラマ」が何本も放送された。その中で、リモートドラマという枠を超えた秀作といえるのが「2020年 五月の恋」(WOWOW)だ。画面は完全な2分割で、別々の部屋に男女がいる。

会話だけのドラマを駆動させるのはセリフ以外にない。本来、不自由であるはずの「リモートな日常」をてこにして、人の気持ちの微妙なニュアンスまで描いていたのは、脚本の岡田恵和(朝ドラ「ひよっこ」など)の功績だ。

異色の刑事ドラマ「MIU404」(TBS系)が放送されたのは6月末から9月にかけて。扱われる事件はさまざまだが、このドラマのキモは、いわゆる謎解きやサスペンスだけではない。事件を通じて2人が遭遇する、一種の「社会病理」を描くことにあった。

たとえば、外国人留学生や研修生を安価な労働力として使い捨てにする、この国の闇に迫っていた。脚本・野木亜紀子、プロデューサー・新井順子、演出・塚原あゆ子という「アンナチュラル」の最強トリオによる、剛速の変化球である。

現実社会とリンクした痛快さこそ「半沢」大ヒットの要因

4月に始まるはずだった日曜劇場「半沢直樹」(TBS系)がようやくスタートしたのは7月だ。「お待たせ効果」も加わって、9月27日放送の最終回の世帯平均視聴率(関東地区、ビデオリサーチ調べ)は32・7%に達した。なぜ「半沢直樹」は社会現象ともいえる人気を得たのか。

第一に主人公の半沢を演じた堺雅人はもちろん、歌舞伎界や演劇界からの強力な援軍を含む俳優たちの熱演がある。次に福沢克雄ディレクターをはじめとする演出陣の力業も見事だった。しかし見る側を最も引きつけたのは、後半の「帝国航空」をめぐる大物政治家との暗闘ではなかったか。

半沢たちが作成した帝国航空の再建案をつぶし、航空会社と銀行の支配をもくろんだのは与党の箕部幹事長(柄本明)である。ドラマというフィクションの中とはいえ、政権を担う党の幹事長が、ゲームにおける最終的な悪玉「ラスボス」のごとく描かれた点に注目だ。

新型コロナウイルスの影響で明らかに社会が変わってきた。「1億総マスク化」に象徴される閉塞感も続いている。また多数派の意見は一種の「空気」となり、「みんなと同じ」を強要する「同調圧力」を生んでいる。コロナをめぐる「自粛警察」などはその典型だ。

しかし半沢は最後まで自分が信じる理念のもとに行動した。相手が権力者でもひるまない半沢に、留飲を下げた人は多いのではないか。現実社会とリンクした痛快さこそ、見る側がこのドラマに求めたものだったのだ。

来年、ドラマはどうなっていくのか。「リアル」を優先して登場人物全員がマスクを着用した作品が並ぶのか。そういうものを視聴者が見たいと思うのかも含め、制作側は頭が痛いだろう。だが、それ以上に考えなくてはならないのは、現在の社会状況の中でドラマを作ることの意味かもしれない。

(日刊ゲンダイ 2020.12.23)

 


【気まぐれ写真館】 今年も「サンタビール」で・・・

2020年12月24日 | 気まぐれ写真館

沖縄・ヘリオス酒造の「サンタビール」


『35歳の少女』が、『モモ』を援用して発したメッセージ

2020年12月24日 | 「現代ビジネス」掲載のコラム

 

 

『35歳の少女』が

柴咲コウの「代表作」の一つになった

と言えるワケ

『モモ』を援用しながら発したメッセージ

 

今期ドラマの中で注目していた、柴咲コウ主演『35歳の少女』(日本テレビ系)が幕を閉じた。

なぜ「注目」だったのか。理由はいくつかあるが、最大のものは、その「設定」だ。ヒロインは「35歳の少女」。いや、正確にいえば「35歳の体と10歳の心を持った少女」である。この人物像、かなり突飛だったのだ。

「目覚めた少女」は見た!

物語を少し振り返ってみたい。1995年、10歳の時岡望美(少女時代を演じたのは鎌田英怜奈)は自転車に乗っていて事故に遭い、植物状態に陥ってしまう。それから25年という歳月が流れ、なんと35歳の誕生日に意識が戻る。しかも、その意識というか精神は10歳のままだった。

そして、ここがドラマのキモになるのだが、25年の間に、望美(柴咲コウ)の「家族」も「社会」も驚くべき変化を遂げていた。

特に「家族」は激変と言える。大好きだった父・進次(田中哲司)は、事故の後に母・多恵(鈴木保奈美)と離婚してしまった。現在は新たな妻・加奈(富田靖子)と、その連れ子で引きこもりの青年、達也(竜星涼)と暮している。いわば時岡家の崩壊だ。

その上、可愛かった妹の愛美(橋本愛)は、ちょっとキツい、かなり性格のねじれた30代キャリアウーマンに。また優しくて明るかった母も、暗くて表情の乏しい、一人暮しの老女になっていた。戸惑う望美。そこには各人の25年と、それぞれの現在があった。

そういうわけで、当初はオリジナル脚本を書いた遊川和彦(『家政婦のミタ』など)の意図をはかりかねた。見た目は大人でも望美の心は10歳である。10歳の心と頭で、25年間に起きたことから現在までを受けとめなくてはならない。少女をそんな過酷な状況に投げ入れて、一体何を描こうとしているのかと。

同じ遊川の脚本で、昨年秋に放送された『同期のサクラ』(日テレ系)がある。ここでも主人公の10年におよぶ「昏睡状態」と、そこからの「目覚め」が描かれていた。とはいえ、サクラは大人の女性であり、10年の変化を受けとめることができた。だが、望美はサクラとは違う。

小さな希望は、小学生の頃に好きだった「ゆうとくん」こと結人(坂口健太郎)との再会だ。元小学校教師で現在は代行業者の結人も、望美のことが気になって仕方がない。戸惑うことばかりだった望美は、結人の「無理に大人になる必要なんてない」という言葉に救われる。そして「あたし、成長する!」と決意するのだった。

「異形の少女」の反逆

しかし、その後の物語は、見る側にとっても辛い展開が続いた。望美の最大の願いは、家族が「元のように」一緒に暮すことであり、家族が「元のように」笑顔で暮すことだ。しかし、望美がどんなに努力しても、その実現は難しい。また、結人との間にも大きな溝が出来ていく。

全てに絶望したかのような望美が始めたことは、「一人暮し」と「動画配信」だった。この動画配信の内容が、かなり衝撃的だ。望美がカメラに向かって語り掛ける。

「なぜ自分の周りにいるのは、愚かな人間ばかりなんだろう、と思いませんか? つまらない日常を写真に撮ってはネットにアップし、しゃべりたくなったら、名乗りもせずにマウントを取り、相手のことを「死ね!」と攻撃する。そのくせSNSで繋がっているだけで友達だと思い、相手の顔も知らないまま、自分はリア充だと勘違いする。そんな人たちが本当に必要でしょうか? 私たちに必要なのは、情報とカネ。そして自分だけです!」

これを見た結人は驚き、駆けつけた。「なぜ、こんなことを」と詰問する結人に、望美が答える。

「わたしは、あなたたちと同じになったの。それの、どこが悪いの? これからの時代は、心地いい言葉や都合のいい情報を与えて大衆の心を操作し、自分の利益をあげる者だけが、生き残ることができるの。そんなことにも気づかないで、だまされる方が悪いのよ!」

遊川和彦が「脚本」に込めたもの

ここに至って、このドラマの目指すところが、はっきりしてきた。脚本の遊川をはじめとする制作陣は、望美を通じて、この25年の間に私たちが「失ってきたもの」「捨ててきたもの」「忘れているもの」に目を向けさせたいのではないか。

この「異形の少女」を媒介にして、現代社会とそこに生きる私たちの「在り方」を捉え直そうとしているのではないか。

その意味で、望美の事故が25年前、つまり1995年に起きたという設定は象徴的だ。後に「ネット元年」と呼ばれる年だからだ。

当時、日本のネット利用者は約570万人と全人口の5%足らず。現在のような「ネット社会」「SNS(ネット交流サービス)社会」とは程遠い環境だった。

つまり、95年はネット以前・以後の「境界線」であり「転換点」なのだ。それ以降、人と人の「コミュニケーション」だけでなく、「社会構造」全体も大きく変化した。

その結果には、いい面もあれば、その逆もある。それらを、「25年前の10歳」の目と心を介して、あぶり出そうとしたのである。

ミヒャエル・エンデ『モモ』の世界観

さらに別の回で、望美はこんなことも動画配信で言っていた。

「今は、誰もが自分のインスタやツイッターに、何人が『いいね!』を付けるかを気にし、グルメサイトの点数が高ければ安心して『おいしい!』と言う。他人の意見ばかり気にしているうちに、大切な時間はどんどん失われていくのに。だったら、その時間を私に売ってください!」

この「時間の売り買い」の主張は、唐突に聞こえるかもしれない。しかし、ずっと見続けてきた人たちは、このドラマの中で、「時間」という言葉が度々出てくることに気づいていたはずだ。「時間」は、ミヒャエル・エンデの小説『モモ』のキーワードである。

映画『ネバ―エンディング・ストーリー』の原作、『はてしない物語』などで知られるエンデが書いた『モモ』は、小学生だった望美の愛読書であり、宝でもある。今でも、この本を大切にしており、ドラマの大事な場面で何度も登場した。

この本の扉にあるように、「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」、それが『モモ』だ。

主人公のモモは、一見ごく普通の女の子だが、「あいての話を聞く」天才だ。相手が誰であれ、必要なら何時間でも、話を聞いてくれる。

モモに話を聞いてもらっていると、どうしていいのか分からず、迷っていた人は、急に自分の意志がはっきりしてくる。

また、引っ込み思案の人には、急に目の前が開け、勇気が出てくる。そして、悩みのある人には、希望と明るさが湧いてくる。そんなモモと、「みんなを笑顔にしたい」と言っていた小学生時代の望美は、どこか重なっていた。

『モモ』の中では、「時間どろぼう」である灰色の男たちが、「自分の時間」の大切さに無自覚な人たちから、その時間を買い取っていく。いや、奪っていく。モモは、それこそ必死に戦って、みんなの時間を取り戻したのだ。

灰色の男たちと戦っているはずが、いつの間にか、彼らの世界に取り込まれてしまったような望美に向って、結人が叫ぶ。

「モモにそっくりな人間が、この世から消えて欲しくないんだよ!」

渾身のセリフだ。ただ惜しいのは、誰もが『モモ』を読んでいるわけではないことだった。このドラマの中で、どんな形であれ、もう少し『モモ』の内容についての説明があったら、よかったかもしれない。

だが、その一方で、あまりに詳細な解説を加えてしまえば、一種のネタバレのようになってしまったかもしれず、難しいところだ。望美とモモのダブルイメージは、脚本の遊川にとっても挑戦的な試みだったと言えるだろう。

明日へとつながる「決着」

終盤、母が心不全で倒れた。意識が戻らず、かつての望美のように、昏睡状態が続くかと思われた。

この母の病状が、結果的に望美と妹の愛美が和解するきっかけとなる。奇跡的に目覚めた母は、望美たちに見守られ、安心して息をひきとった。

最終回、望美は友人の結婚式での「司会」が縁で、北海道のテレビ局のアナウンサーとなる。子どもの頃からの夢が実現したのだ。

愛美は、イラストをコンテストに応募して、優秀賞を受賞。夢だったグラフィックデザイナーの道を歩み始めた。

父は、現在の家庭を何とか立て直したこともあり、一級建築士の試験に挑戦すると宣言。長年の夢である建築家を目指すことに。

そして、せっかく戻った教師の職を再び捨てようとしていた結人は、いじめにあっていた生徒が、ようやく登校してきたこともあり、教壇に立ち続けることを決意した。

生徒たちに向って、結人が言う。それは『モモ』の中の言葉だ。

「世界中の人間の中で、俺という人間は一人しかいない。だから、この世の中で、大切な存在なんだ」

そして、望美の最後の言葉。

「いつか、胸を張って、こう言えるのを願いながら、生きているのかもしれない。『これが私だ!』」

見る側の中にも温かいものが浸透していくような、それぞれの「決着」だった。

各回と同様、最終回のラストもまた、望美の顔のアップだ。その表情、動き、思考や言葉の中に、見る側が「素の10歳の少女」と「35歳の女性として生きようとする10歳の少女」の併存を感じ取れなくてはならない。そんな難役に挑んだ柴咲コウ。完結した『35歳の少女』は、彼女の代表作の一つとなった。

(現代ビジネス 2020.12.22)

 

 


70年代の「名作ドラマは?」と問われて・・・

2020年12月24日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

70年代の「名作ドラマは?」

と問われて・・・

 
雑誌の取材を受けました。テーマは「1970年代の名作ドラマ」です。70年代から80年代にかけては、「ドラマの黄金時代」でもありました。
 
記者さんに対しては、以下のドラマを挙げさせていただきました。他に何本もあるのですが、キリがないので(笑)、最小限にとどめた次第です。
 
「時間ですよ」 TBS 1970年
 
「ドラマの黄金時代」ともいうべき70年代の幕開けを告げた1本。銭湯「松の湯」の脱衣所の光景にドキドキし、堺正章と悠木千帆(現・樹木希林)の掛け合いに笑いました。天地真理が登場したのは翌年の第2シリーズでしたが、当時、確かに可愛かったです(笑)。演出陣には後に「寺内貫太郎一家」などを手掛ける久世光彦もいました。向田邦子が脚本に参加するのは、71年の第2シリーズからです。
 
「傷だらけの天使」 日本テレビ 1974年
 
オープニング映像のカッコよさにぶっ飛びました。ショーケン(萩原健一)、水谷豊、岸田今日子、そして怪優・岸田森などの出演者。また市川森一や鎌田敏夫といった脚本家たち。深作欣二や工藤栄一などの監督陣。カメラは名手・木村大作ほか。これで面白くないはずがありません。
 
「前略おふくろ様」 日本テレビ 1975年
 
東京で板前修行中のサブ(萩原健一)が、故郷にいる母(田中絹代)に向かって語りかけるナレーションが秀逸でした。脚本の倉本聰自身が父親を早くに亡くしており、母親はずっと大切な存在だったそうです。このドラマのなかでもサブの言葉を通じて、「遠慮することなンてないじゃないですか。あなたの実の息子じゃないですか」と母を気遣っていました。ご自身の思いを投影していたのだと思います。
 
「俺たちの旅」 日本テレビ 1975年
 
フリーターという言葉もなかった時代、組織になじめない若者たちの彷徨を描いて秀逸でした。オンエア当時、ちょうど大学生だったこともあり、劇中の彼らに共感したり、反発したりしながら見ていました。カースケ(中村雅俊)、オメダ(田中健)、グズ六(津坂まさあき、現・秋野太作 )の3人が当時の年齢のまま、今もこの国のどこかで生きているような気がします。脚本、鎌田敏夫ほか。
 
「岸辺のアルバム」 TBS 1977年
 
ホームドラマを変革した歴史的作品です。企業人としての父(杉浦直樹)。女としての母(八千草薫)。家族は皆、家の中とは「違った顔」を隠し持っています。それは切なく、また愛すべき顔でした。洪水の多摩川を流れていく家々の映像と、ジャニス・イアンが歌ったテーマ曲「ウィルユー・ダンス」が忘れられません。脚本はもちろん山田太一です。
 
こうした「ドラマの黄金時代」を支えたのは、まさに「脂がのった」年代に差し掛かった、実力派の脚本家と演出陣、そして魅力的な俳優たちが揃っていたからだと言えるでしょう。
 
 

【気まぐれ写真館】 2020年12月22日の月

2020年12月23日 | 気まぐれ写真館


言葉の備忘録207 今度・・・

2020年12月22日 | 言葉の備忘録

来年は、うし年(キューピーマヨネーズの瓶)

 

 

 

「今度生まれたら」より、今なのだ。

 

 

内館牧子『今度生まれたら』

 

 

 

 

 


シズ(篠原涼子)が色香見せた『おちょやん』第3週

2020年12月21日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

 

シズ(篠原涼子)が色香見せた

『おちょやん』第3週 

千代に波乱含みも

 

11月末から始まった、NHK連続テレビ小説『おちょやん』。少女時代を描いた第1週と第2週が終り、第3週(12月14日~18日)はヒロインを演じる杉咲花さんの本格的スタートとなりました。さて、その加速ぶりは!?
 
大正13年(1924)秋、芝居茶屋「岡安」での奉公も8年におよび、竹井千代(杉咲花)は17歳になっています。もう一人前の「お茶子さん」でした。
 
千代の奉公先は「芝居茶屋」です。実は、モデルである浪花千栄子が、実際に奉公したのは「仕出し弁当屋」でした。芝居茶屋に、芝居見物のお客さんたちが食べる弁当を納入する業者さんです。仕出し弁当屋にとって、芝居茶屋は、いわば「お得意さん」でした。
 
芝居茶屋の奉公人であれば、「芝居小屋」にも出入りできますが、仕出し弁当屋ではそうもいきません。やがて女優を目指すことになる千代が、芝居と出会うためにも、芝居茶屋での奉公という設定が必要だったわけです。
 
うちの「やりたいこと」て、なんやろ
 
第3週の見所は2つありました。まず、千代の「自分探し」の始まり。もう一つが「芝居」への目覚めです。
 
もうすぐ年季が開ける千代に、女将のシズ(篠原涼子)が、「今後のこと」を考えておくようにと言い渡します。これまで生きることで精いっぱいだった千代。将来を思う余裕など、ありませんでした。
 
「自分が、どないしたいんか、もっとよく考えなはれ。そうせな、後悔する」
 
この時シズが言った、「後悔しない人生を送りなさい」という意味のアドバイスの背後には、シズ自身の痛切な体験がありました。それは20年前、自分がお茶子修行をしている頃、歌舞伎役者の早川延四郎(片岡松十郎)と出会い、恋に落ちたことです。
 
お茶子とお客の色恋はご法度であり、ましてやシズはお茶屋の女将になる女性。「一緒に東京へ行こう」と誘われながら、約束の場所に行かなかったのです。
 
その後、延四郎からは何通もの手紙が届きましたが、シズは一切読まず、そのまま抽斗にしまってありました。
 
その延四郎が道頓堀で公演をしており、ある夜、縁日でシズと遭遇します。シズは夫の宗助(名倉潤)や娘のみつえ(東野絢香)と一緒でした。
 
父娘が離れた際、延四郎はシズに近づき、「千秋楽の翌朝、ここ(神社)で待ってる」と告げます。
 
千代は、延四郎が「最後の手紙」だという封書を預かりますが、シズは破って捨ててしまいました。いつも通りに、翌日の団体客の段取りを仕切るシズ。千代は思い切って、明日は自分たちに任せて、延四郎さんに会いに行って欲しいと頼みます。その理由は・・・
 
「うちは、御料さん(シズ)に恩返しがしたい。御料さんが延四郎はんに救われたように、8年前、うちは御料さんに救われました。御料さんにとっての延四郎はんが、うちにとっての御料さん。どれだけ大事に思うてはるか、わかります。だから、御料さんに後悔してもらいとうないんどす!」
 
結局、シズが折れ、皆に団体客のことを頼み、家族の許可も得て、結婚以来初だという「お休み」をもらいます。翌朝、因縁の場所である神社へと向かいました。
 
石段の下に佇むシズ。美しい映像です。やってくる延四郎。
 
「20年前のあの日、約束破って、ここに来なかったこと、恨んではりますか」
「あん時、あんたが来いへんかって、ホッとしたんや。私もな、会うて、あんたに別れ話しようと思うてたんや。そやさかい、恨みもなんもない。あんたが負い目を感じることは、なんもあらへんのや」
 
シズ、くすっと笑って、
 
「相変わらず、板の上(舞台)以外では、芝居が下手くそやこと」
 
いいセリフです。
 
シズは、自分が芝居茶屋の女将になったことを後悔していないと言い、2人は互いに「おおきに」と頭を下げます。「どうぞ、おすこやかに」と去っていくシズ。涙を堪えて、その後ろ姿を見送っている延四郎。
 
この神社の別れのシーンもそうですが、延四郎をめぐるエピソードの場面になると、篠原さんが何とも美しく、艶っぽい。ずっと自分の中にある恋情を、じっと抑えてきた女性の色香を、まさに抑えた演技と細かな表情で見せてくれました。
 
しばらくして、シズたちの元に、延四郎が病没したと知らせが届きます。余命のこと、本人は分っていたのでしょう。
 
シズの独り言・・・
 
「最後の最後に、すっかり騙されてしもたわ」
 
さよなら、20年の恋。
 
「芝居」と「女優」への憧れ
 
そして、第3週のもう一つの大きな出来事。それは、女優・高城百合子(井川遥)との再会でした。
 
奉公に上がったばかりの頃、えびす座で高城主演の『人形の家』を盗み見た千代は、彼女の美しさと芝居というものの迫力に圧倒されます。
 
舞台『人形の家』、そしてヒロインのノラといえば、すぐ思い浮かぶのは、女優の「松井須磨子」ではないでしょうか。
 
『人形の家』で人気が高まった須磨子が、島村抱月と共に「芸術座」を興したのが大正2年(1913)のこと。レコード化された劇中歌「カチューシャの唄」も大ヒットしました。やがてロシアでも公演を行うなど、大女優への道を歩んでいきます。
 
ところが大正8年(1918)11月に抱月が病気で亡くなると、須磨子はその後を追って自死してしまいます。翌9年1月のことでした。
 
ですから、千代が大正13年(1924)秋に再会した高城百合子は、松井須磨子その人ではありません。もう須磨子は亡くなっています。
 
しかし、百合子の舞台に打ち込む情熱と、『人形の家』のノラに自分を重ねる激しさは、どこか須磨子と重なるのです。
 
千代と再会した時、百合子は鶴亀株式会社の社長に、舞台女優から映画女優への転身を命じられていました。それに反発して、行方不明になるという行為に出たのです。
 
岡安の一室に、百合子をかくまった千代。女優をやめようかとも思っていた百合子の前に、『人形の家』の台本を差し出します。
 
少女時代、えびす座の支配人・熊田(西川忠志)から使い古しの台本をもらい、それで読み書きの練習をしたのでした。千代が覚えていたセリフを口にすると、百合子が咄嗟に応じます。
 
それが、ちょとした「掛け合い」となり、やがて百合子の中の女優魂に再び火がつきました。「岡安」を出る時、百合子が千代に言います。
 
「あなた、そんなにお芝居が好きなら、自分でやってみたら?」
 
女優への誘いに驚く千代。百合子は、続けて言い切ります。
 
「一生一回。自分の本当にやりたいこと、やるべきよ!」
 
去っていく百合子。彼女の言葉は、千代の胸の奥に届いたようです。手にした台本をじっと見つめ、何かを考えていました。
 
翌日、百合子は、居合わせたチンドン屋さんが演奏する、「カチューシャの唄」を聞きながら道頓堀をゆっくりと歩き、大阪に別れを告げました。東京で映画女優となる決意をしたのです。
 
波乱含みの「第4週」へ
 
「自分探し」の始まりと、「芝居」への目覚めの第3週。その終盤で、物語の時間は大正14年(1925)となり、18歳の千代は晴れて年季明けです。
 
今後も「岡安」でお茶子として働くことになり、無事、次週へと向うのかと思っていると、突然の訪問者。なんと、あの困った父親、竹井テルヲ(トータス松本)でした。
 
ということは、第4週の開始早々、大きな波乱が待ち構えているようです。大丈夫か、おちょやん!

『おちょやん』 なぜ第2週で一層面白くなったのか!?

2020年12月20日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

『おちょやん』は、

なぜ「第2週」で一層面白くなったのか!?

 
NHK連続テレビ小説『おちょやん』の第2週が放送されました。第1週では、幼い主人公の「過酷な境遇」を伝えようと、やや貧乏と乱暴を強調し過ぎたきらいがあったのですが、第2週はストレートな面白さで押してきました。
 
第1週(第1話~第5話)「河内編」のラストで、9歳の千代(毎田暖乃 まいだのの)は大阪へと奉公に出ました。
 
第2週(第6話~第10話)の時代は、前週と同じ大正5年(1916)。当時、「芝居の街」と呼ばれた、大阪の道頓堀が舞台です。
 
朝ドラらしい明るさとテンポの良さ
 
それにしても、この道頓堀の「屋外セット」の見事さ! 奥行のある街並み。並んでいる建物はもちろん、細かな飾りつけも本格的で、道行く人たちの喧噪と合せて、「元祖エンタメの街」といった雰囲気を醸し出しています。
 
やってきた千代。その賑やかさに目を見張り、いきなり「おとぎの国やんけ~」「道頓堀、ええとこや~」と満面の笑顔。その表情を見ただけで、見る側の期待も高まる、なんとも上手い導入でした。
 
奉公先は芝居茶屋の「岡安」。ここで登場した女将、岡田シズ(篠原涼子)が「なんだす?」のひと言だけで、もう見る側をグイっと掴みます。
 
「親孝行か」と聞かれた千代が、自分は孝行娘だと嘘のアピールをした途端、それだと里心がつきやすいから雇えないと突き放すシズ。
 
あわてた千代が弁明すると、1カ月の試用期間を設定。その上で「あんたは、つなぎや!」と甘やかしません。
 
いやあ、篠原さんが見せるビシバシ感が、『ハケンの品格』の大前春子を思わせて、いっそ気持ちいい。シズが千代を叱ろうとする時の、「ち~よお~!」という怒声が、もう快感になろうとしています。
 
第6話で見せた、ドラマとしての「明るさ」と「テンポの良さ」は、第2週全体を通じて変わりませんでした。
 
続々と登場「味のあるキャラクター」
 
岡田シズを筆頭に、第2週では味のあるキャラクターが続々と登場しました。のほほんとした夫の宗助(名倉潤)。シズの母親で先代女将のハナ(宮田圭子)は、厳しさと優しさを併せもっています。
 
シズ夫妻の娘、みつえ(岸田結光)も、小学校に弁当を持ってきた千代が、自分と同い年だと言うと、「うちとあんたは住む世界が違う。友だちにはなれへん!」とピシャリ。千代が河内を出たことで、ちょっと気を抜いていた視聴者側もハッとする場面でした。
 
そして第2週最大の出会いは、「天海天海(あまみてんかい)一座」でしょう。初代天海(茂山宗彦)の息子、一平(中須翔馬)は、やがて千代にとって「運命の人」となるはずですが、「跡継ぎ息子」にもかかわらず、芝居が嫌いで旅回りも苦痛という性格が面白い。
 
この一平が、「仮病」を使って舞台をサボった場面がありました。寝ている一平のところにハナが現れ、話しかけたのです。
 
「なんだすねん、あの芝居は」
「みんな、笑(わろ)てたやないか」
「あれは笑わしたんとちゃいます。笑われてましたんや。(病気のフリをしている)今のほうが、よっぽどいいお芝居してはる」(第8話)
 
貫禄の大女将ですが、こういうセリフが出てくるあたり、さすが八津弘幸さん(『半沢直樹』『下町ロケット』など)の脚本です。
 
そして、急死した天海の葬儀にやって来た、喜劇の帝王・須賀廼家万太郎(すがのや まんたろう/板尾創路)も、すごいセリフを口にしていました。
 
公演中に亡くなった天海。異例の「劇場葬」を取り行ったのは、鶴亀座の社長でした。万太郎は、「鶴亀座の名もまた一躍世に広まったな」と皮肉った上で・・・
 
「ほんに人の世は、笑えん喜劇と、笑える悲劇の、よじれ合いや」(第9話)
 
名言です。
 
「芝居の街」で
 
千代は、お使いで芝居小屋に初めて足を踏み入れました。その時、「お芝居」も目にします。(第8話)
 
やっていたのは、イプセンの『人形の家』。主演は高城百合子(井川遥)です。千代が見た、初の「新劇」であり、「新劇女優」でした。
 
さらに千代は、ハナのおかげで「天海一座」の芝居も見ることができました。その舞台には、父・天海を喪ったばかりの一平も出ています。(第10話)
 
天海が演じていた、一平の「父親」役。そして、強烈なおかしさの「おばあさん」役。その両方を「一人二役」で頑張るのが、須賀廼家千之助(元・ほっしゃん、星田英利)です。この星田さんが大いに笑わせてくれました。
 
舞台の最後は、すでに幽霊となっている父親と息子の別れの場面です。抱き合う2人。「父上・・」と一平。泣きそうな父親のアップ。
 
あの世に行こうと歩き出す父親。しかし現世に未練があるので戻ろうとします。すると息子は、「父上、早う成仏してください!」と笑わせておいて、「父上~!」と絶叫。
 
画面には、一平と千代の顔のアップが交互に映し出され、亡き父を想う一平の気持ち、その一平を見ている千代の気持ちが交わっていきます。
 
この時、ハナが、独り言のように、つぶやきます。
 
「ハコ(芝居小屋)が、ハコが、あの子(一平)の生きる場所や」
 
いいシーンでした。
 
「小さな大女優」への贈りもの
 
この芝居を観る前、千代は大事な届け物を時間までに届けられず、怒ったシズはクビを言い渡していました。出ていく千代。しかし、父が「夜逃げ」をしたこともあり、帰る場所もありません。
 
ハナに連れられて、「岡安」に戻ってきた千代。意を決してシズに謝ります。
 
亡くなった母。働かない父。後妻とお腹の中の赤ちゃん。弟のために自分が家を出たこと。自分を売った金を博打ですってしまった父が夜逃げしたこと。だから帰る家もないこと。
 
「うちは、読み書きができません」に始まり、「もう、ここしか、あらへんのだす。うちを助けてください!」と頭を下げるまで、なんと千代のセリフは約3分にも及びました。
 
ここは、少女時代の千代の「人生の岐路」ともいうべき場面であり、大きな見せ場でした。また、今後回想シーンはあっても、リアルタイムの出演がこの回で終る「小さな大女優」暖乃さんに対する、制作陣からの「贈りもの」のようなシーンでした。
 
千代の話を聞いていたシズが、まだ何も答えないところで、千代を探してくれていた警官がやって来ます。千代を見て、「この子に間違いないか」と確認する警官。すると、シズが・・・
 
「間違いあらしまへん。間違いのう、うちの、おちょやんだす!」
 
泣かせるセリフです。続けて、
 
「ただし、ちょっとでも役に立たへん思うたら、すぐに追い出すさかい、覚悟しなはれや!」
 
と、シズらしい。
 
千代は、「はい! やのうて、へい! おおきに!」と元気に答えました。岡安の「おちょやん」が誕生した瞬間であります。
 
ふくらむ期待
 
この第10話のラストは「8年後」となり、杉咲花さんの千代が登場しました。このスピード感がいいですね。ヒロインを見て、黒衣(くろご/桂吉弥)が「普通」と言って笑わせるエンディングに至るまで、この第2週は出色の展開でした。
 
それを支えていたのは、巧みなストーリーテリングと魅力的なセリフの脚本。鮮明なキャラクターと出演陣の好演。スケール感と重厚感のある美術。「芝居茶屋」や「芝居小屋」の内部も素晴らしい。そして、アクセルとブレーキの使い分けも見事な演出。
 
第2週で、これだけのものが揃ってきました。来週からの杉咲版『おちょやん』への期待も、自然にふくらんできます。