ホームズ入門者への貴重なアドバイス
北原尚彦
『初歩からのシャーロック・ホームズ』
中公新書ラクレ 968円
シャーロック・ホームズの熱狂的なファン、もしくは専門的知識を持つ人たちを「シャーロキアン」と呼ぶそうだ。ならば北原尚彦『初歩からのシャーロック・ホームズ』は、日本を代表するシャーロキアンによる絶好の入門書である。
著者によれば、このシリーズの人気の秘密は、ホームズとワトスンから宿敵モリアーティ教授までの魅力的な登場人物にある。本書では脇役たちも紹介されるが、ホームズがウイスキーのソーダ割りを好み、推理の邪魔になるからと恋愛を避けていたといった細かなエピソードほど興味深い。
またホームズが活躍したのはヴィクトリア時代の末期であり、日本は明治時代の後半だ。タクシーとしての辻馬車が走り、ガス灯が夜を照らすロンドンには、留学中の夏目金之助(漱石)も滞在していた。
ホームズ物には第1作『緋色の研究』に始まる長篇4冊と短篇集5冊の60作がある。では、どの順番で読むべきなのか。全作読破を目指すなら「刊行順(発表順)」。お試しの一冊には『シャーロック・ホームズの冒険』が最適と著者は言う。
エピソードは独立しているので、基本的には何から読んでも構わない。ただし、物語のつながりという意味では、「『回想』を読まずして『生還』を読んではいけない」と貴重なアドバイスも忘れていない。
名探偵の登場から133年。正典、関連本、映画やドラマなど映像作品も合わせ、ホームズという名の「文化」は今も深化している。
(週刊新潮 2020年12月24日号)
嵐はずっと、身近で、素直で
新たなアイドル像を確立 年末で活動休止
1999年にCDデビューした「嵐」(相葉雅紀さん=(38)=、松本潤さん=(37)=、二宮和也さん=(37)=、大野智さん=(40)=、桜井翔さん=(38)=)が年末、NHK紅白歌合戦出場や無観客ライブ生配信を行いグループ活動を休止する。身近さと、率直に思いを伝える姿が国民的人気を博し、エンターテインメントの先頭を走ってきた。
昨年1月、5人で会見し活動休止を発表。「自由な生活がしてみたい」という大野さんの発言に象徴されるように、率直な言葉で受け答えする姿は今でこそスタンダードになったが、そうしたアイドル像を先取りしてきたのが嵐だった。
13年前に嵐の主演映画の取材で初めて5人に接した編集者・ライターの内田正樹さんは「それぞれ高いスキルを持ちながら、他のアイドルにはない素朴さがありました」と振り返る。ゲームや釣りを趣味と公言する姿が親近感を生んだり、バラエティー番組での、まるで放課後の教室で騒ぐ男子のような“わちゃわちゃ”と戯れる雰囲気がほっとさせたりして受け手との距離を縮めてきた。
20周年のライブツアー総動員数は237万5千人。間近で取材した内田さんは「演出を手掛けたのは松本さん。積み重ねた経験とスキルの集大成で圧巻のスケールでした」と語る。「トークコーナーでは、何万人もの観衆を前にしても素の部分が感じられる会話を交わしていて、誰もが身近に感じられる存在感はトップアイドルになっても変わらないと感じました」
新型コロナウイルス禍の中、コラムニスト辛酸なめ子さんは嵐の存在に癒やされた。「手洗い動画などに励まされた人は多いのではないでしょうか」。嵐を「少年っぽさを永遠に封じ込めたような存在。サステナブル(持続可能)なアイドル」と表現。「休止後も年に1曲でも発表して5人で歌う姿が見られたら…」
休止発表後、国立競技場での有観客ライブなど、コロナ禍で中止したプロジェクトもある一方、SNS(会員制交流サイト)開設や楽曲配信などオンラインでの活動を一気に展開。米トップアーティストのブルーノ・マーズさんから全編英語詞の楽曲提供を受けるなどグローバルな挑戦も。
「残された時間、できる限り可能性を追求している。『世界中に嵐を巻き起こす』がデビュー時からの夢。コロナさえなければ、さらにどんな冒険に出ていたのだろうと思います」と内田さん。
メディア文化評論家の碓井広義さんは「休止発表から2年の時間を設け、距離を置いてきたインターネットも駆使してファンとのつながりを守った。よく考え抜かれた『軟着陸』だと思います」。アイドルが群雄割拠し「時々刻々、数値で評価される時代」だからこそ「愚直さのある人が生き残るのではないでしょうか」。大みそかも嵐の5人はぎりぎりまでファンらと向き合う。
[「嵐」の主な記録]
2009年にCDアルバムが初のミリオンセラー(198・9万枚)となり、年間のアーティスト別セールス部門トータルランキングで初めて1位を獲得した。シングルの週間1位獲得作品は20年の「カイト」で計54作となり全アーティスト歴代1位。アルバムは最新作「This is 嵐」で17作連続1位に。ミュージックDVDとブルーレイディスクの総売上枚数は計1508・4万枚で歴代1位。(オリコン調べ・12月21日付時点)
(信濃毎日新聞 2020.12.27)
*この記事は北海道新聞、岩手日報、河北新報、静岡新聞、京都新聞、四国新聞、山陽新聞、西日本新聞、熊本日日新聞、沖縄タイムスなどにも掲載されました。
歴史的ダメ親父登場で
千代の運命が動き出した
『おちょやん』第4週
NHK連続テレビ小説『おちょやん』で、8年ぶりに千代(杉咲花)の前に現れた、朝ドラの歴史に残る「ダメ親父」テルヲ(トータス松本)。その「悪だくみ」がきっかけとなり、千代の運命が再び動き出した第4週(12月21日~25日)です。
歴史的ダメ親父、現る!
先週末、『おちょやん』第3週のラストで現れたのは千代(杉咲花)の父親、テルヲ(トータス松本)でした。幼い千代を家でさんざん働かせ、学校にも行かせず、後妻との暮らしの邪魔になると奉公に出したテルヲ。朝ドラの歴史に残りそうな、本格派の「ダメ親父」です。
そして、「第4週」の冒頭。
「迎えに来たんや、一緒に去(い)の。(弟の)ヨシヲと三人で暮そう」と猫なで声で誘いますが、千代は「一生、許さん」と追い払います。
千代は知りませんでしたが、テルヲが来たのは、やはり自分が抱える多額の借金のためでした。
9歳で「岡安」に奉公に入り、8年間懸命に働き、ようやく年季が明ける千代を、また別の奉公先に送り込もうというのです。いや、ハッキリ言えば、再び「娘を売り飛ばす」のが狙い。あまりに理不尽で自分勝手です。
これからも「岡安」で働き続けようと決めていた千代ですが、心は揺れていました。夜、遊びにいこうとする天海一平(成田凌)と顔を合わせた際、ふと本音をもらします。
「一緒に暮そうて言われたとき、嬉しかった」
その一方で、「この8年はなんやったんや。(嬉しいと思った自分が)こないに悔しいこと、あらへん」
この複雑な思い、二律背反に苦しむ姿に、千代のやさしさとせつなさが表れていました。
親父の悪だくみと千代の決意
千代に断られたテルヲは、居酒屋で借金取りの男たちに向って「奥の手があんねん」などと言っています。それをたまたま聞いたのが一平でした。
再び千代に近づくテルヲ。弟のヨシヲが病気だが、金もなく、医者に診てもらえない。千代に働きながら面倒をみて欲しいと迫ります。本当は弟の病気も嘘なんですけどね。
「お父ちゃんとヨシヲには、お前しかおらん」と泣き落し作戦ですが、その様子も一平は目撃してしまいます。
いつもの居酒屋で向き合っているのはテルヲと一平です。
新たな奉公の話は、単なる借金返済のためであることを、千代に教えると言う一平。なぜ、そこまでするのかと聞くテルヲ。「あんたみたいなアホな親見てたら、我慢でけへん、それだけや!」と一平。
一平を追って居酒屋にきた千代が、2人の話を聞いていました。愕然としながらも言い切ります。
「うちは一人で生きてくて決めたんや。二度とうちの前に現れんといて!」
しかし、ここからが大変で、借金取りの男たちが「岡安」に乗り込んできて暴れたのです。女将のシズ(篠原涼子)に向って、彼らが主張するテルヲの借金は「2000円」でした。
ドラマの時間は大正13年(1924)です。当時の大卒サラリーマンの初任給は50円くらいでした。ならば、借金の2000円は現在の800万円にあたります。庶民にとっては大きい。
千代が次の奉公を拒んだことで、借金取りの「岡安」に対する嫌がらせが激しくなりました。客は減り、その分、ライバルの芝居茶屋「福富」は大繁盛です。
夜、銭湯からの帰り道で、男たちが待ち伏せしていました。テルヲも一緒です。すると同僚のお茶子が彼らに訴えます。
「千代ちゃんはこの8年間、いっぺんも道頓堀から出てへん。なんでか、わかりますか? お暇もらっても、千代ちゃんには帰るとこ、なかったんだす。せやさかい、お父ちゃんが迎えにきて、帰るとこでけたって、ほんまに嬉しそうやったんだす。せやのに、あんまりや!」
必死で頭を下げる仲間を見て、千代は「岡安」を去る決心をします。
「うち、岡安を出ます。お父ちゃんの言うとおりにしてあげる」と言いながら、じっと父を見つめる千代。その目には諦めと悲しみが浮かび、アップになった杉咲さんの表情は多くのことを語って絶品でした。
千代はシズたちに別れを告げます。シズはそれを許し、「天海天海(あまみてんかい)一座」の芝居が千秋楽を迎えるまでは、岡安に留まるよう言い渡します。
千代、突然の「舞台」へ
さて、その天海一座ですが、こちらも危機に陥っていました。
座長だった初代天海が亡くなったことで、一座の人気は急落。須賀廼家万太郎(板尾創路)率いる「須賀廼家一座」に大きく引き離されています。それどころか、芝居小屋からは客の不入りを理由に、公演半ばでの打切りを言い渡されてしまいました。
千秋楽の日、それは千代の「岡安」最後の日でもあるのですが、開演直前、座長の代りを務めていた須賀廼家千之助(星田英利)が突然姿を消してしまいます。さらに女形役者もぎっくり腰に。
その時、たまたま楽屋へ差し入れを持ってきていた千代に、白羽の矢が立ちます。女中役の女形の代役でした。若旦那(一平)が浮気相手の女中と別れる芝居だったのです。
いきなりの舞台。緊張しながらも、その素の芝居が観客を笑わせました。そして終盤、一度は納得して出て行こうとした女中が、突然、抵抗を始めます。杉咲さん、今週の「見せ場」の一つでした。
「イヤや! うちは絶対に行きまへん。ほんまは、どこにも行きとうない! イヤや、うちはずっとここに居てたい。岡安にいてたいんや! もう一人になんの、イヤや。うちはどこにも行きとうない、ここにいてたいんや!」
「岡安にいてたいんや!」って、もはや芝居の中のセリフではなく、リアルな千代の肉声です。心からの叫びです。8年の間にシズや仕事仲間から受けた恩を返したいのはもちろん、初めて得た「安住の場所」でもあったからです。
ふっと静まる場内。役者も客も茫然とする数秒があり、女中に戻った千代。「やっぱり気が変ったんで、出ていきますね」と笑わせました。
舞台袖で、一座の須賀廼家天晴(渋谷天笑)が千代に言います。
「人生、雨のち晴れや!」
母の形見のビー玉を月と重ね、「明日もいい天気や」と自分を励ましてきた千代にとって、今後を暗示する大きな意味を持つ言葉と言っていいでしょう。
千代の「旅立ち」
千代が「岡安」を出ていく日。シズたち一家と食卓を囲んだ千代に、先代の女将であるハナ(宮田圭子)が言いました。「あんた、役者におなり。あんた、いい役者はんになれる」と。千代の中にも、何か呼応するものがあります。
借金取りたちが、千代を連れて行こうとやってきました。しかし千代は、シズやお茶子仲間が準備してくれたおかげで脱出を図ります。追いすがる男たちを路上で押しとどめたのは、千代がいつも親切にしていた乞食たちでした。
夜の船着き場。シズが待っています。
「これからは自分のために生きますのや。生きてええのや」
千代の胸にしみる言葉です。続けて、
「あんた、わてに恩返しがしたい、言うてくれたな。せやったら、あんたが幸せになり! それがわての望みや。これは旅立ちだす。せやさかい、しんどうなったら、いつでも帰っておいで。あんたの家は岡安や」
出ていく船。シズの最後の声が響きます。
「千代、気張るんやで!」
千代だけでなく、見る側にも余韻の残る、美しい別れのシーンでした。
シズは「岡安」に戻り、借金取りの連中と対峙(たいじ)します。差し出したのは200円(現在の約80万円)。テルヲの元々の借金です。それを2000円と言っていたのは、彼らが勝手に利子を膨らませたからでした。
ちなみにこの200円は、「岡安」のお茶子や、芝居茶屋「福富」の女将(いしのようこ)も含む、道頓堀の人たちの善意の集まりです。
渋る男たち。シズは、ハナとの掛け合いで、最近、道頓堀川に死体が浮いたという話をして、「この町をナメるな」と彼らを脅します。借金取りたちは200円を持って退散しました。
ひと芝居打ったシズを、「ハマリ役でしたな」と笑顔でほめるハナ。その後のシズのセリフが見事です。
「ここは芝居の街でっせ!」
いつか、その芝居の街に、千代が女優として帰ってくる日がやってくる。この時のシズたちは知る由もありませんが、見る側の中に密かな期待が膨らむ、第4週のラストでした。
実は、千代のモデルである浪花千栄子は、「仕出し弁当屋」での奉公の後、父親の手配で次の奉公先に送り込まれました。そこで2年の辛抱があり、20歳になったとき、奉公先の奥さんの助けによって、身一つで「夜逃げ」を決行するのです。そして千栄子は終生、父親を許しませんでした。
ドラマでは、この2度目の奉公をカットしました。千代に新しい世界へと向ってもらいたいという、脚本の八津弘幸さんの英断でしょう。それは正解だと思います。もう奉公は十分だ(笑)。
もちろん簡単に女優への道が開けるとは思えませんが、次の「第5週」からは場所も変り、千代にも大きな転機がやってきそうです。そう、これからは、自分のために生きていいのですから。
幸せになる秘訣を
知りたいか?
愛する女に愛を伝え、
ウソをつかずに生きることだ。
――78歳のジョン・レノンの言葉
映画『イエスタデイ』
「テレビ 見るべきものは!!」年末拡大版
コロナ禍に揺れた
2020年のドラマ界を振り返る
社会全体がそうであるように、今年のドラマ界もまた新型コロナウイルスの感染拡大を抜きに語ることはできない。厳しい状況の中でドラマ制作を続けた皆さんに敬意を表しながら、この一年を振り返ってみたい。
1月クールには上白石萌音主演「恋はつづくよどこまでも」(TBS系)があった。ヒロインの七瀬(上白石)は修学旅行で鹿児島から上京し、偶然出会った医師の天堂(佐藤健)に一目ぼれする。彼の近くに行こうと看護師を目指し、天堂と同じ病院で働き始めた。看護師として一人前になること、天堂に振り向いてもらうこと、そのためにはどんな努力も惜しまない。
やがて彼女の天性の明るさと笑顔は患者たちの支えとなっていく。七瀬はかたくなだった天堂の気持ちも動かすが、一番揺さぶられたのは見る側の感情だ。仕事も恋も初心者で、失敗しては落ち込み、泣いて、また顔を上げる。ひたすら一途でけなげなヒロインに多くの人が癒やされた。
■予想を超える戦争描写に驚かされた「エール」
4月、NHKの連続テレビ小説「エール」が始まった。このドラマ、全体としては誰もが楽しく見ることのできる良質な朝ドラになっていた。古関裕而がモデルの作曲家・古山裕一(窪田正孝)とオペラ歌手でもあった妻・音(二階堂ふみ)の「夫婦物語」であり、2人を軸とした昭和の「音楽物語」でもあるという複層構造が功を奏したのだ。
ただ、古関はかつて「軍歌の巨匠」でもあった。「勝ってくるぞと勇ましく」の歌い出しで知られる、「露営の歌」などその一例だ。レコード会社の専属作曲家としての「業務」だったことは事実だが、古関の中に葛藤はなかったのか。果たしてこの時代の古関を、いや古山裕一を描けるのか、注目していた。
結果的に、予想を超える戦争描写に驚かされた。慰問でビルマ(現在のミャンマー)に赴いた裕一は、前線に出ていき銃撃戦に巻き込まれる。次々と倒れていく日本兵。しかも、ようやく会えた恩師の藤堂(森山直太朗)が目の前で被弾し、亡くなってしまう。これまで何本もの朝ドラが戦争の時代を扱ってきた。だが、悲惨な戦闘シーンをここまで直接的に見せることはなかった。それだけでも「エール」は画期的な朝ドラだったのだ。
5月から6月にかけて、出演者がそれぞれ別の場所にいる状態で制作する、いわゆる「リモートドラマ」が何本も放送された。その中で、リモートドラマという枠を超えた秀作といえるのが「2020年 五月の恋」(WOWOW)だ。画面は完全な2分割で、別々の部屋に男女がいる。
会話だけのドラマを駆動させるのはセリフ以外にない。本来、不自由であるはずの「リモートな日常」をてこにして、人の気持ちの微妙なニュアンスまで描いていたのは、脚本の岡田恵和(朝ドラ「ひよっこ」など)の功績だ。
異色の刑事ドラマ「MIU404」(TBS系)が放送されたのは6月末から9月にかけて。扱われる事件はさまざまだが、このドラマのキモは、いわゆる謎解きやサスペンスだけではない。事件を通じて2人が遭遇する、一種の「社会病理」を描くことにあった。
たとえば、外国人留学生や研修生を安価な労働力として使い捨てにする、この国の闇に迫っていた。脚本・野木亜紀子、プロデューサー・新井順子、演出・塚原あゆ子という「アンナチュラル」の最強トリオによる、剛速の変化球である。
現実社会とリンクした痛快さこそ「半沢」大ヒットの要因
4月に始まるはずだった日曜劇場「半沢直樹」(TBS系)がようやくスタートしたのは7月だ。「お待たせ効果」も加わって、9月27日放送の最終回の世帯平均視聴率(関東地区、ビデオリサーチ調べ)は32・7%に達した。なぜ「半沢直樹」は社会現象ともいえる人気を得たのか。
第一に主人公の半沢を演じた堺雅人はもちろん、歌舞伎界や演劇界からの強力な援軍を含む俳優たちの熱演がある。次に福沢克雄ディレクターをはじめとする演出陣の力業も見事だった。しかし見る側を最も引きつけたのは、後半の「帝国航空」をめぐる大物政治家との暗闘ではなかったか。
半沢たちが作成した帝国航空の再建案をつぶし、航空会社と銀行の支配をもくろんだのは与党の箕部幹事長(柄本明)である。ドラマというフィクションの中とはいえ、政権を担う党の幹事長が、ゲームにおける最終的な悪玉「ラスボス」のごとく描かれた点に注目だ。
新型コロナウイルスの影響で明らかに社会が変わってきた。「1億総マスク化」に象徴される閉塞感も続いている。また多数派の意見は一種の「空気」となり、「みんなと同じ」を強要する「同調圧力」を生んでいる。コロナをめぐる「自粛警察」などはその典型だ。
しかし半沢は最後まで自分が信じる理念のもとに行動した。相手が権力者でもひるまない半沢に、留飲を下げた人は多いのではないか。現実社会とリンクした痛快さこそ、見る側がこのドラマに求めたものだったのだ。
来年、ドラマはどうなっていくのか。「リアル」を優先して登場人物全員がマスクを着用した作品が並ぶのか。そういうものを視聴者が見たいと思うのかも含め、制作側は頭が痛いだろう。だが、それ以上に考えなくてはならないのは、現在の社会状況の中でドラマを作ることの意味かもしれない。
(日刊ゲンダイ 2020.12.23)
『35歳の少女』が
柴咲コウの「代表作」の一つになった
と言えるワケ
『モモ』を援用しながら発したメッセージ
今期ドラマの中で注目していた、柴咲コウ主演『35歳の少女』(日本テレビ系)が幕を閉じた。
なぜ「注目」だったのか。理由はいくつかあるが、最大のものは、その「設定」だ。ヒロインは「35歳の少女」。いや、正確にいえば「35歳の体と10歳の心を持った少女」である。この人物像、かなり突飛だったのだ。
「目覚めた少女」は見た!
物語を少し振り返ってみたい。1995年、10歳の時岡望美(少女時代を演じたのは鎌田英怜奈)は自転車に乗っていて事故に遭い、植物状態に陥ってしまう。それから25年という歳月が流れ、なんと35歳の誕生日に意識が戻る。しかも、その意識というか精神は10歳のままだった。
そして、ここがドラマのキモになるのだが、25年の間に、望美(柴咲コウ)の「家族」も「社会」も驚くべき変化を遂げていた。
特に「家族」は激変と言える。大好きだった父・進次(田中哲司)は、事故の後に母・多恵(鈴木保奈美)と離婚してしまった。現在は新たな妻・加奈(富田靖子)と、その連れ子で引きこもりの青年、達也(竜星涼)と暮している。いわば時岡家の崩壊だ。
その上、可愛かった妹の愛美(橋本愛)は、ちょっとキツい、かなり性格のねじれた30代キャリアウーマンに。また優しくて明るかった母も、暗くて表情の乏しい、一人暮しの老女になっていた。戸惑う望美。そこには各人の25年と、それぞれの現在があった。
そういうわけで、当初はオリジナル脚本を書いた遊川和彦(『家政婦のミタ』など)の意図をはかりかねた。見た目は大人でも望美の心は10歳である。10歳の心と頭で、25年間に起きたことから現在までを受けとめなくてはならない。少女をそんな過酷な状況に投げ入れて、一体何を描こうとしているのかと。
同じ遊川の脚本で、昨年秋に放送された『同期のサクラ』(日テレ系)がある。ここでも主人公の10年におよぶ「昏睡状態」と、そこからの「目覚め」が描かれていた。とはいえ、サクラは大人の女性であり、10年の変化を受けとめることができた。だが、望美はサクラとは違う。
小さな希望は、小学生の頃に好きだった「ゆうとくん」こと結人(坂口健太郎)との再会だ。元小学校教師で現在は代行業者の結人も、望美のことが気になって仕方がない。戸惑うことばかりだった望美は、結人の「無理に大人になる必要なんてない」という言葉に救われる。そして「あたし、成長する!」と決意するのだった。
「異形の少女」の反逆
しかし、その後の物語は、見る側にとっても辛い展開が続いた。望美の最大の願いは、家族が「元のように」一緒に暮すことであり、家族が「元のように」笑顔で暮すことだ。しかし、望美がどんなに努力しても、その実現は難しい。また、結人との間にも大きな溝が出来ていく。
全てに絶望したかのような望美が始めたことは、「一人暮し」と「動画配信」だった。この動画配信の内容が、かなり衝撃的だ。望美がカメラに向かって語り掛ける。
「なぜ自分の周りにいるのは、愚かな人間ばかりなんだろう、と思いませんか? つまらない日常を写真に撮ってはネットにアップし、しゃべりたくなったら、名乗りもせずにマウントを取り、相手のことを「死ね!」と攻撃する。そのくせSNSで繋がっているだけで友達だと思い、相手の顔も知らないまま、自分はリア充だと勘違いする。そんな人たちが本当に必要でしょうか? 私たちに必要なのは、情報とカネ。そして自分だけです!」
これを見た結人は驚き、駆けつけた。「なぜ、こんなことを」と詰問する結人に、望美が答える。
「わたしは、あなたたちと同じになったの。それの、どこが悪いの? これからの時代は、心地いい言葉や都合のいい情報を与えて大衆の心を操作し、自分の利益をあげる者だけが、生き残ることができるの。そんなことにも気づかないで、だまされる方が悪いのよ!」
遊川和彦が「脚本」に込めたもの
ここに至って、このドラマの目指すところが、はっきりしてきた。脚本の遊川をはじめとする制作陣は、望美を通じて、この25年の間に私たちが「失ってきたもの」「捨ててきたもの」「忘れているもの」に目を向けさせたいのではないか。
この「異形の少女」を媒介にして、現代社会とそこに生きる私たちの「在り方」を捉え直そうとしているのではないか。
その意味で、望美の事故が25年前、つまり1995年に起きたという設定は象徴的だ。後に「ネット元年」と呼ばれる年だからだ。
当時、日本のネット利用者は約570万人と全人口の5%足らず。現在のような「ネット社会」「SNS(ネット交流サービス)社会」とは程遠い環境だった。
つまり、95年はネット以前・以後の「境界線」であり「転換点」なのだ。それ以降、人と人の「コミュニケーション」だけでなく、「社会構造」全体も大きく変化した。
その結果には、いい面もあれば、その逆もある。それらを、「25年前の10歳」の目と心を介して、あぶり出そうとしたのである。
ミヒャエル・エンデ『モモ』の世界観
さらに別の回で、望美はこんなことも動画配信で言っていた。
「今は、誰もが自分のインスタやツイッターに、何人が『いいね!』を付けるかを気にし、グルメサイトの点数が高ければ安心して『おいしい!』と言う。他人の意見ばかり気にしているうちに、大切な時間はどんどん失われていくのに。だったら、その時間を私に売ってください!」
この「時間の売り買い」の主張は、唐突に聞こえるかもしれない。しかし、ずっと見続けてきた人たちは、このドラマの中で、「時間」という言葉が度々出てくることに気づいていたはずだ。「時間」は、ミヒャエル・エンデの小説『モモ』のキーワードである。
映画『ネバ―エンディング・ストーリー』の原作、『はてしない物語』などで知られるエンデが書いた『モモ』は、小学生だった望美の愛読書であり、宝でもある。今でも、この本を大切にしており、ドラマの大事な場面で何度も登場した。
この本の扉にあるように、「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」、それが『モモ』だ。
主人公のモモは、一見ごく普通の女の子だが、「あいての話を聞く」天才だ。相手が誰であれ、必要なら何時間でも、話を聞いてくれる。
モモに話を聞いてもらっていると、どうしていいのか分からず、迷っていた人は、急に自分の意志がはっきりしてくる。
また、引っ込み思案の人には、急に目の前が開け、勇気が出てくる。そして、悩みのある人には、希望と明るさが湧いてくる。そんなモモと、「みんなを笑顔にしたい」と言っていた小学生時代の望美は、どこか重なっていた。
『モモ』の中では、「時間どろぼう」である灰色の男たちが、「自分の時間」の大切さに無自覚な人たちから、その時間を買い取っていく。いや、奪っていく。モモは、それこそ必死に戦って、みんなの時間を取り戻したのだ。
灰色の男たちと戦っているはずが、いつの間にか、彼らの世界に取り込まれてしまったような望美に向って、結人が叫ぶ。
「モモにそっくりな人間が、この世から消えて欲しくないんだよ!」
渾身のセリフだ。ただ惜しいのは、誰もが『モモ』を読んでいるわけではないことだった。このドラマの中で、どんな形であれ、もう少し『モモ』の内容についての説明があったら、よかったかもしれない。
だが、その一方で、あまりに詳細な解説を加えてしまえば、一種のネタバレのようになってしまったかもしれず、難しいところだ。望美とモモのダブルイメージは、脚本の遊川にとっても挑戦的な試みだったと言えるだろう。
明日へとつながる「決着」
終盤、母が心不全で倒れた。意識が戻らず、かつての望美のように、昏睡状態が続くかと思われた。
この母の病状が、結果的に望美と妹の愛美が和解するきっかけとなる。奇跡的に目覚めた母は、望美たちに見守られ、安心して息をひきとった。
最終回、望美は友人の結婚式での「司会」が縁で、北海道のテレビ局のアナウンサーとなる。子どもの頃からの夢が実現したのだ。
愛美は、イラストをコンテストに応募して、優秀賞を受賞。夢だったグラフィックデザイナーの道を歩み始めた。
父は、現在の家庭を何とか立て直したこともあり、一級建築士の試験に挑戦すると宣言。長年の夢である建築家を目指すことに。
そして、せっかく戻った教師の職を再び捨てようとしていた結人は、いじめにあっていた生徒が、ようやく登校してきたこともあり、教壇に立ち続けることを決意した。
生徒たちに向って、結人が言う。それは『モモ』の中の言葉だ。
「世界中の人間の中で、俺という人間は一人しかいない。だから、この世の中で、大切な存在なんだ」
そして、望美の最後の言葉。
「いつか、胸を張って、こう言えるのを願いながら、生きているのかもしれない。『これが私だ!』」
見る側の中にも温かいものが浸透していくような、それぞれの「決着」だった。
各回と同様、最終回のラストもまた、望美の顔のアップだ。その表情、動き、思考や言葉の中に、見る側が「素の10歳の少女」と「35歳の女性として生きようとする10歳の少女」の併存を感じ取れなくてはならない。そんな難役に挑んだ柴咲コウ。完結した『35歳の少女』は、彼女の代表作の一つとなった。
(現代ビジネス 2020.12.22)
70年代の「名作ドラマは?」
と問われて・・・
シズ(篠原涼子)が色香見せた
『おちょやん』第3週
千代に波乱含みも
『おちょやん』は、
なぜ「第2週」で一層面白くなったのか!?