昨日(29日)は、ニュースで「ガソリンスタンドに殺到しているクルマの群れ」みたいな映像を何度も見た。ついこの間下がったばかりのガソリンの価格が、また30円ほど値上げされるからだという。並んだクルマたちは自衛策というわけだ。そりゃ、ガソリンは安いほうが有難い。同じくクルマを持つ身としてそう思う。けれど、ガソリン価格が下がったときも、今回の”値上がり前”も、結局ガソリンスタンドに並ばなかった。
いや、お金に余裕があるからではない。そんな余裕はない。ただ、通勤は電車だし、毎日仕事で乗るわけではないし、週末や休日になると家族を乗せて行楽地へドライブということもないし、アウトドアが趣味で4WDで山や川に行ったりするタイプでもない。まあ、ガソリン消費にそれほど貢献しているドライバーではないので、ガソリンメーターのランプが点きそうになったらスタンドに行く、という普段のパターンを崩すのが面倒でもある。
しかし、「ガソリンスタンドに殺到」しなかった一番の理由は、そうするのが悔しいから。こう書いていて、実に子どもじみていると自分でも思う。しかし、「殺到」しちゃうと、暫定税率をめぐる政治家たちの動きや、天下り先でじゃぶじゃぶ税金を使っている連中に”影響”され、操られている感じがしてイヤなのだ。単なるやせ我慢かもしれないけど。
そういうわで、昨日の「みどりの日」いや「昭和の日」?(天皇誕生日のほうが慣れている)は、分不相応に2台あるクルマのどちらもスタンドに持参せず、ひたすら家にいて仕事部屋兼寝室の整理。長い休憩時間に「柔道100キロ超級」の五輪代表最終選考会となる全日本選手権の中継を眺め、複数の短い休憩時間に勢古浩爾さんの新刊『いやな世の中<自分様の時代>』を読んだ。結果、井上康生最後の戦いは目撃できたし、勢古さんの本も読み終わったが、部屋の片付けは延長戦に入ってしまった。
勢古さんの本を勝手に「勢古本(せこぼん)」と呼んでいるが、これまた新刊は必ず入手してしまう著者の一人だ。『まれに見るバカ』『おやじ論』『自分に酔う人、酔わない人』などなど、いつも「そうなんだよなあ」と安易な共感ばかりしている。でも、安易な共感ができる著者を持っていることは、読み手として幸せでもあるから構わない。
昨日、このブログの末尾に「また一段とよくない時代に入ってきているのかなあ」と書いたが、この「よくない時代」は勢古さんのいう「いやな世の中」ってことだ。この本には「いやな世の中」の何が、どこが「いや」なのかが、これでもか、というほど書かれていて、それはまるで日ごろ自分が思っていて、でも適当にやり過ごしたり、目をそむけていたり、気がつかない振りをしていたりすることばかりで、いっそ気持ちいい。
その上で、こんな言葉が響いてくる。
「この世の中に、そして自分自身にとって「何が大切であり、何が然らざるか」が
わかれば、それでもちゃんと生きていけますよ」
「どうでもいい時代なら、喜んで遅れればいいのである」
「時代の一番うしろから、のんびりついていってもなんの問題もないのである」
「一歩進む、立ち止まる、一歩後退する」
「つねにこころのなかに人生の最低線(基本線)を引いておくことだ」
引用すればキリがないから、これくらいにしよう。読んでもらえば、ハマる人はハマるし、そうでない人は通り過ぎる。でも、中にはどーんと影響される人もいるはずで(そういう”影響”なら悔しくない)、本というのはそのあたりが面白いのだ。あなどれない。
事実、我が家の少年は中学生になる直前に、たまたま読んだ『スラムダンク』全巻にころっと参って、入学と同時にバスケット部に入り、1年後のいまも朝5時起きで続けている。なんとまあ、単純なヤツと思う。もっとも、少年の父親もまた、新卒で入社した会社を『竜馬がゆく』を読んだばかりに辞めちゃったりしていたが・・。
いや、お金に余裕があるからではない。そんな余裕はない。ただ、通勤は電車だし、毎日仕事で乗るわけではないし、週末や休日になると家族を乗せて行楽地へドライブということもないし、アウトドアが趣味で4WDで山や川に行ったりするタイプでもない。まあ、ガソリン消費にそれほど貢献しているドライバーではないので、ガソリンメーターのランプが点きそうになったらスタンドに行く、という普段のパターンを崩すのが面倒でもある。
しかし、「ガソリンスタンドに殺到」しなかった一番の理由は、そうするのが悔しいから。こう書いていて、実に子どもじみていると自分でも思う。しかし、「殺到」しちゃうと、暫定税率をめぐる政治家たちの動きや、天下り先でじゃぶじゃぶ税金を使っている連中に”影響”され、操られている感じがしてイヤなのだ。単なるやせ我慢かもしれないけど。
そういうわで、昨日の「みどりの日」いや「昭和の日」?(天皇誕生日のほうが慣れている)は、分不相応に2台あるクルマのどちらもスタンドに持参せず、ひたすら家にいて仕事部屋兼寝室の整理。長い休憩時間に「柔道100キロ超級」の五輪代表最終選考会となる全日本選手権の中継を眺め、複数の短い休憩時間に勢古浩爾さんの新刊『いやな世の中<自分様の時代>』を読んだ。結果、井上康生最後の戦いは目撃できたし、勢古さんの本も読み終わったが、部屋の片付けは延長戦に入ってしまった。
勢古さんの本を勝手に「勢古本(せこぼん)」と呼んでいるが、これまた新刊は必ず入手してしまう著者の一人だ。『まれに見るバカ』『おやじ論』『自分に酔う人、酔わない人』などなど、いつも「そうなんだよなあ」と安易な共感ばかりしている。でも、安易な共感ができる著者を持っていることは、読み手として幸せでもあるから構わない。
昨日、このブログの末尾に「また一段とよくない時代に入ってきているのかなあ」と書いたが、この「よくない時代」は勢古さんのいう「いやな世の中」ってことだ。この本には「いやな世の中」の何が、どこが「いや」なのかが、これでもか、というほど書かれていて、それはまるで日ごろ自分が思っていて、でも適当にやり過ごしたり、目をそむけていたり、気がつかない振りをしていたりすることばかりで、いっそ気持ちいい。
その上で、こんな言葉が響いてくる。
「この世の中に、そして自分自身にとって「何が大切であり、何が然らざるか」が
わかれば、それでもちゃんと生きていけますよ」
「どうでもいい時代なら、喜んで遅れればいいのである」
「時代の一番うしろから、のんびりついていってもなんの問題もないのである」
「一歩進む、立ち止まる、一歩後退する」
「つねにこころのなかに人生の最低線(基本線)を引いておくことだ」
引用すればキリがないから、これくらいにしよう。読んでもらえば、ハマる人はハマるし、そうでない人は通り過ぎる。でも、中にはどーんと影響される人もいるはずで(そういう”影響”なら悔しくない)、本というのはそのあたりが面白いのだ。あなどれない。
事実、我が家の少年は中学生になる直前に、たまたま読んだ『スラムダンク』全巻にころっと参って、入学と同時にバスケット部に入り、1年後のいまも朝5時起きで続けている。なんとまあ、単純なヤツと思う。もっとも、少年の父親もまた、新卒で入社した会社を『竜馬がゆく』を読んだばかりに辞めちゃったりしていたが・・。
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