碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

勢古浩爾『いやな世の中<自分様の時代>』と天皇誕生日

2008年04月30日 | 本・新聞・雑誌・活字
昨日(29日)は、ニュースで「ガソリンスタンドに殺到しているクルマの群れ」みたいな映像を何度も見た。ついこの間下がったばかりのガソリンの価格が、また30円ほど値上げされるからだという。並んだクルマたちは自衛策というわけだ。そりゃ、ガソリンは安いほうが有難い。同じくクルマを持つ身としてそう思う。けれど、ガソリン価格が下がったときも、今回の”値上がり前”も、結局ガソリンスタンドに並ばなかった。

いや、お金に余裕があるからではない。そんな余裕はない。ただ、通勤は電車だし、毎日仕事で乗るわけではないし、週末や休日になると家族を乗せて行楽地へドライブということもないし、アウトドアが趣味で4WDで山や川に行ったりするタイプでもない。まあ、ガソリン消費にそれほど貢献しているドライバーではないので、ガソリンメーターのランプが点きそうになったらスタンドに行く、という普段のパターンを崩すのが面倒でもある。

しかし、「ガソリンスタンドに殺到」しなかった一番の理由は、そうするのが悔しいから。こう書いていて、実に子どもじみていると自分でも思う。しかし、「殺到」しちゃうと、暫定税率をめぐる政治家たちの動きや、天下り先でじゃぶじゃぶ税金を使っている連中に”影響”され、操られている感じがしてイヤなのだ。単なるやせ我慢かもしれないけど。

そういうわで、昨日の「みどりの日」いや「昭和の日」?(天皇誕生日のほうが慣れている)は、分不相応に2台あるクルマのどちらもスタンドに持参せず、ひたすら家にいて仕事部屋兼寝室の整理。長い休憩時間に「柔道100キロ超級」の五輪代表最終選考会となる全日本選手権の中継を眺め、複数の短い休憩時間に勢古浩爾さんの新刊『いやな世の中<自分様の時代>』を読んだ。結果、井上康生最後の戦いは目撃できたし、勢古さんの本も読み終わったが、部屋の片付けは延長戦に入ってしまった。

勢古さんの本を勝手に「勢古本(せこぼん)」と呼んでいるが、これまた新刊は必ず入手してしまう著者の一人だ。『まれに見るバカ』『おやじ論』『自分に酔う人、酔わない人』などなど、いつも「そうなんだよなあ」と安易な共感ばかりしている。でも、安易な共感ができる著者を持っていることは、読み手として幸せでもあるから構わない。

昨日、このブログの末尾に「また一段とよくない時代に入ってきているのかなあ」と書いたが、この「よくない時代」は勢古さんのいう「いやな世の中」ってことだ。この本には「いやな世の中」の何が、どこが「いや」なのかが、これでもか、というほど書かれていて、それはまるで日ごろ自分が思っていて、でも適当にやり過ごしたり、目をそむけていたり、気がつかない振りをしていたりすることばかりで、いっそ気持ちいい。

その上で、こんな言葉が響いてくる。

「この世の中に、そして自分自身にとって「何が大切であり、何が然らざるか」が
 わかれば、それでもちゃんと生きていけますよ」

「どうでもいい時代なら、喜んで遅れればいいのである」

「時代の一番うしろから、のんびりついていってもなんの問題もないのである」

「一歩進む、立ち止まる、一歩後退する」

「つねにこころのなかに人生の最低線(基本線)を引いておくことだ」

引用すればキリがないから、これくらいにしよう。読んでもらえば、ハマる人はハマるし、そうでない人は通り過ぎる。でも、中にはどーんと影響される人もいるはずで(そういう”影響”なら悔しくない)、本というのはそのあたりが面白いのだ。あなどれない。
事実、我が家の少年は中学生になる直前に、たまたま読んだ『スラムダンク』全巻にころっと参って、入学と同時にバスケット部に入り、1年後のいまも朝5時起きで続けている。なんとまあ、単純なヤツと思う。もっとも、少年の父親もまた、新卒で入社した会社を『竜馬がゆく』を読んだばかりに辞めちゃったりしていたが・・。

いやな世の中 (ベスト新書 184)
勢古 浩爾
ベストセラーズ

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最近の気になる出来事

2008年04月29日 | 日々雑感
日々の流れの中で、そのときは気になっても、しばらくするともう忘れている、なんていう出来事は多い。
だから、あえて書いておこう。残しておこう。

最近、気になったこと。

・公園など公共の場所の花(チューリップ)が大量に切り取られるという事件。
 しかも、福岡で起きたら次は前橋だった。同時多発というより、ニュースで知
 っての連鎖に思える。

・水戸市の湖で、何羽もの白鳥が殴り殺されていたという事件。餌付けされていた
 そうだから、人に近寄るのは平気だったのだろう。それをこん棒のようなもので
 撲殺。花や鳥に罪はないはずで、何かの腹いせか、騒ぎを面白がるのか。無抵抗
 な命を相手の非道だ。

・硫化水素による自殺が続いている。全国で30件近い。これも事件の報道を見
 て、「こうすれば死ねる」と知ったり、確認したりで自分も実行、という印象。
 事件を伝えることで事件を増やしているような・・。
 自ら死を選ぶとしても、使っているのは目に見えないガスなのだ。巻き添えに
 対する意識が希薄なのも気になる。


なにかこう、じわじわと、また一段とよくない時代に入ってきているのかなあ。

瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』と文士たちの恋愛

2008年04月28日 | 本・新聞・雑誌・活字
瀬戸内寂聴さんの新刊『奇縁まんだら』を読みながら、何度も「うーん」と唸ってしまった。この本、瀬戸内さんが直接出会った人々を回想しているのだが、谷崎潤一郎や川端康成はもちろん、驚くべし、”生きた近代文学史”といえるような、島崎藤村や正宗白鳥にまで会っているのだ。そして、もう一つ、唸ってしまうのは、文士と呼ばれる人たちのアナーキーというか大胆というか、その暴走的恋愛の凄まじさである。

有名なところで、谷崎。妻である千代の妹のせい子を引き取って同居させ不倫の関係になって千代を冷たく扱う。谷崎の親友だった佐藤春夫は千代に同情し、やがて恋愛関係となり、結局二人は夫婦になってしまう。いわゆる「妻譲渡事件」だ。

女流も、たとえば東郷青児や北原武夫と結婚してきた宇野千代など天晴れというしかない。瀬戸内さんが一枚の紙に文士たちの名前を書いて、宇野千代に直接聞いてみた。「先生、この方とは・・」という問いに、「寝た」とのお答え。以下、ネタ、ネナイの連発。そしてネタという答えが圧倒的に多かったというのだ。可笑しいのは、梶井基次郎について尋ねると「寝ない!」と言い、「わたし面食いなの」と続く。宇野千代が85歳になってから書いた『生きて行く私』を再読したくなった。

この本の中には荒畑寒村も登場するが、そこで語られる名前がすごい。寒村は菅野須賀子と結婚するが、寒村が堺利彦や大杉栄らと共に投獄されている間に、須賀子は幸徳秋水とデキてしまう。後に大杉栄は関東大震災の際に、伊藤野枝と共に虐殺されるが、その野枝は辻潤の妻でありながら、神近市子から大杉を奪ったのだ。怒った神近は葉山の日陰茶屋で大杉を刺してしまう。このあたりは瀬戸内さんの『美は乱調にあり』を思い出す。いわば大正・昭和の歴史的人物たちが織り成す恋愛模様なのだ。

それにしても、当時、彼ら、彼女らは、どうやって相手と連絡を取り合っていたんだろう。携帯やメールどころか、普通の電話だって簡単に使える時代じゃない。いや、電話や手紙も「人妻」や「人夫(?)」に対しては、まずいだろう。うーん、謎だ。

横尾忠則さんが各章に描いた文士たちの肖像画も実にゼイタク。

奇縁まんだら
瀬戸内 寂聴
日本経済新聞出版社

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聖火リレーと「中国動漫新人類」

2008年04月27日 | 本・新聞・雑誌・活字
1998年に開かれた長野オリンピック。その開・閉会式の制作プロジェクトに
参加していた。3年がかりの仕事だった。開会式のオープニングは長野市・善
光寺の鐘の音だ。鐘をつくのは「堂番さん」と呼ばれる人の役目。鐘楼の陰か
らその堂番さんにキュー(合図)を出した。
あれから10年。今も手元にある「台本」には、この鐘と共に「聖なる時間が始
まる」と書かれている。

昨日(26日)長野市で行われた北京オリンピックの聖火リレーをテレビ中継
で見た。長野に至るまでの各国での騒動は知っていたものの、それでもあの聖
火リレーの光景は、やはり異様だった。沿道に市民の姿はなく、3000人の
警官と赤い旗が両側を埋め尽くす中を、100人もの人垣に隠れた聖火ランナ
ーがおどおどと走っていく。まるで護送だ。
そして皆の予想通りに、何人かが乱入し、もみ合い、押さえ込まれた。また発
炎筒や紙くずも投げ込まれた。そのときの走者は卓球の愛ちゃんであり、欽ち
ゃんであり、つまり確実にテレビが生中継するであろう「人選」で仕掛けてき
ていた。アピールが目的なら当然のタイミングであり、ある意味でテレビの存
在自体が騒動に加担していたことになる。いわば”劇場型騒動”だ。もちろん
「聖火リレーを中継しない」というのも無理な話だが。
どうやら今後も「あまり祝福されないオリンピック」という印象のまま進みそ
うな気配だ。


さて、たまたまだが今日27日(日)の「北海道新聞」に、中国に関する本の
書評を書かせていただいた。中国における日本のアニメや漫画の影響を解読し
たノンフィクション『中国動漫新人類』である。

「北海道新聞」書評欄(4月27日掲載)

  『中国動漫新人類』遠藤 誉(日経BP社 1785円)

 中国の若者たちの間に二つの大きな動きがある。一つは「日本動漫(アニメ&
漫画)」ブームであり、二つ目が「反日」的行動だ。注目すべきは一見相反する
両者が同時に起きていること。本書は日本のアニメや漫画が彼らの何を変え、
その変化が中国という国家にどんな影響を与えたのかを探っている。
 実際に「スラムダンク」は空前のバスケブームを生み、そこから米プロバスケッ
トボール協会(NBA)のヤオ・ミン選手も登場した。またコスプレ・イベントには六
十万人が参加し、中継番組を五億五千万人が見ている。
 こうした日本動漫人気の裏に「海賊版」の存在があったと著者は分析する。海賊
版自体は問題だが、彼らが動漫を知り、触れるためのインフラとして大いに機能し
たというのだ。
 一方、中国政府は日本アニメ放映禁止などの規制をかけ、自国の動漫産業の育
成にやっきとなる。しかし、若者たちは〝国策〟が生み出す作品に満足できない。
「自分たちの心情を投影したり、主人公になりきることで現実の苦しみやつらさか
ら解放してくれる」日本動漫の魅力を知ってしまったからだ。ここでは日本動漫と
いうサブカルチャーが若者たちを日常生活の中で変化させ、民主化を促す「革命の
道具」として機能していくプロセスが明らかになる。まさにペンは剣より強い。
 さらに本書の後半では「反日」運動の歴史と、そのメカニズムに迫っている。
中国が実践する愛国主義教育では、国家の礎としての「抗日戦争」が軸となるた
め、若者は現象面で「反日的」へと傾いていく。だが、彼らの「日本動漫大好き」
という感情も本物なのだ。
 著者はこれを「主文化と次文化の間のダブルスタンダード」と呼び、動漫新人類
だけでなく現代中国そのものを解読する鍵としている。本書は日本のアニメと漫画
がこの大国を動かし始めた実情を描く力作ノンフィクションであり、新たな中国論
だといえるだろう。

中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす (NB Online book)
遠藤 誉
日経BP社

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『文藝春秋』5月号で、高校時代の仲間たちと

2008年04月25日 | 本・新聞・雑誌・活字
              (八王子・東京工科大にて 写真:文藝春秋)

現在発売中の雑誌『文藝春秋』5月号。
そのグラビアページ「同級生交歓」に登場している。

昔から、人生の山河を踏み越えてきた有名な方々が、これまた立派な肩書きの同級生たちと並んでいるのは見てきたが、声をかけていただくまで、若輩者かつ無名の人間が、本当に出ることになるとは思ってもみなかった。

ちょうど北海道の大学から東京に戻ってきたタイミングでもあり、松本深志高校の仲間たちに八王子のキャンパスに集まってもらった。この6人は、卒業後、今でも付き合いがあること、また一応「メディア・表現系」(?)ということでくくれるかな、と思っての人選だった。

 写真右から
 ・スカイパーフェクト・コミュニケーションズ専務
  田中 晃
 ・日本テレビ報道局長
  足立久男
 ・映画プロデューサー
  新津岳人
 ・写真家
  遠藤湖舟
 ・ノンフィクション作家
  下川裕治
 ・東京工科大学教授
  碓井広義

風は強かったが天気は上々の日で、撮影が無事終了した後は八王子に出て居酒屋でお疲れ会。6人がそろって飲むのは初めてのことだった。それぞれが、それぞれの「場」で、それぞれの活動をしていて、みんなの話が面白くて仕方なかった。

帰宅後、気持ちが熱いうちにと、『文藝春秋』に渡す約束の”紹介文”を一気に書き上げた。高校卒業から、今年で35年。最新の同窓会名簿を見ると、自分たちの学年にも、「没」を示す黒い丸がいくつもある。気がつけば、そんな年齢でもあったのだ。撮影の日、八王子駅の改札口で解散するとき、「元気でいような。とりあえず、元気でさ」と声にならない声を掛け合っていたのを思い出す。


           「同級生交歓」松本深志編

                                 碓井広義

 私たちが信州の松本深志高校を卒業したのは昭和四十八年の春。映画『さよなら、クロ』のモデルとなった学校犬クロの「最期」を看取った学年である。
 田中は夏休みが終わっても上高地から下りてこない“山岳部の猛者”だった。早大から日本テレビに入社し、箱根駅伝や世界陸上などのディレクターとして活躍。後にメディア戦略局次長などを務め、現在はスカパー!の経営陣の一人だ。
 下宿生活の高校生、足立は当時から“大人”だった。東外大から日本テレビに入ると報道一筋に歩み、今はそのトップである。新人時代、現場からの第一声が「何と言っていいか、わかりません!」だったのも懐かしい。
 深志の文化祭で、校舎を覆い尽くす巨大な「ゲバラの肖像画」を掲げた新津は青学大から日活。フリーに転じると、母校の先輩・熊井啓監督が松本サリン事件を描いた『日本の黒い夏〔冤罪〕』などを制作した。現在は金子修介監督の新作を準備している。
 深志の写真部長だった遠藤は早大卒業後に企業の研究者となり、やがて写真家として独立。その天体写真が海外の雑誌やNASA関連サイトに掲載され、昨年秋には写真集『宇宙からの贈りもの』を上梓した。
 高校時代から校内誌に文章を寄せていた下川は慶大から新聞社へ。退職後は旅をテーマに多くの本を書いてきた。『12万円で世界を歩く』は今も若い旅人のバイブルだ。近著に『日本を降りる若者たち』がある。
 病気になったクロのために募金活動をした碓井は慶大に。テレビマンユニオンではドキュメンタリーやドラマのプロデュースを行ってきた。後に大学の教壇に立ち、慶大助教授、千歳科技大教授を経て、この四月から現職。妻の理枝もまた深志の同級生で、今年銀婚式を迎えた。もちろん家の中では「碓井君!」と呼ばれ続けている。

(『文藝春秋』2008年5月号掲載)

『霧のソレア』、『妻との修復』、『人と会うは幸せ!』

2008年04月24日 | 本・新聞・雑誌・活字
週刊誌に、オススメ本を紹介する文章を書かせていただくようになって7年目になる。基本的には、毎週5冊分を書くから、いつでもどこでも読んでいる。有難いのは、自分で選んで読んでみて、「これは!」という本について書かせてもらえることだ。だから、読んではみたけれど、残念ながらイマイチで、原稿にならない本も結構ある。

この緒川怜『霧のソレア』はそのパターンではない。原稿は書き上げて、編集部にも渡したのだが、すでの他の読み手(というか書き手)がこの本を取り上げていたため、雑誌には掲載はされなかったのだ。せっかくなので、ここで紹介しておこうっと。特に飛行機好きにはたまらない航空パニック物。小説や映画の「大空港」シリーズのファンなどにオススメだ。


緒川 怜  
『霧のソレア』
光文社 1680円

 第11回日本ミステリー文学新人賞を受けた本格航空サスペンスだ。著者の航空記者としての取材体験も存分に生かされ、緊迫感あふれるデビュー作となった。
 ロサンゼルス発成田行き、日本国籍のジャンボジェットに太平洋上で異変が起きる。テロリストが仕掛けた時限爆弾が炸裂したのだ。機体は大破し、機長も命を落とす。かろうじて飛んでいるジャンボ機と約3百人の運命を預かったのは新米副操縦士の高城玲子だ。しかし、燃料不足や機能不全など危機的状況が続く中、地上との交信が途絶えてしまう。何とアメリカによる電波妨害だった。
 事件の背後で蠢くのは米政府、CIA、テロ集団、北朝鮮、そして日本政府。いずれも自らの権力と利益を守ろうと必死だが、機上にいる人々の命を忖度する者などいない。ひたすら日本の土を目指して操縦桿を握る玲子。地上で彼女たちを支え、帰還を祈る人たち。だが、手負いの巨大旅客機にも限界が近づいていた。
 ソレアとは、生きることの苦しさ、悲しさを表現する歌であり、スペインのフラメンコで使われる。人間ドラマとしても読ませる力を持つ本書にふさわしいタイトルだ。

霧のソレア
緒川怜
光文社

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そして、もう1冊は、「このひとの新刊は中身も見ずに必ず買ってしまう」パターンの著者の一人、嵐山光三郎さんの『妻との修復』だ。こういう理屈にもならないはずの”よしなしごと”に勝手な理屈をつけさせたら独壇場の嵐山さん。「不良中年」シリーズなど、繰り返し読んでしまう。今回も抜群に面白い。こちらの紹介文は、すでに雑誌に掲載されたものだ。


嵐山光三郎 
『妻との修復』 
講談社現代新書 756円

 著者曰く「困ったことに、妻は人事異動できない」。至言である。ならば、どうする? 折り合うしかない。そんな「家庭という名の地雷原」を生き抜く夫たちのためにこそ本書は書かれた。
 まず著者の友人の言葉を借りて、妻との関係を修復する50の技法が述べられる。だが、「妻と一緒にゴルフや音楽会に行く」など困難を伴うものが多い。すぐ挫けそうだ。そこで次に「反省するのが一番健康によくない」といった、勇気が湧く50の教訓が伝授される。太宰治、開高健など先人たちの修羅場も満載。決して妻に読ませてはならない。

妻との修復 (講談社現代新書 1934)
嵐山 光三郎
講談社

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え~い、おまけに、もう1冊。これは、毎年全国の自治体が参加して行われる「全国広報コンクール」の映像部門の審査でご一緒させていただいている、放送・演劇界の大先輩・嶋田親一先生が最近お出しになった本だ。先生が歩んできた道は、そのまま昭和のテレビの歴史で、綺羅星のような登場人物と先生だけが知る秘話ばかりというゼイタクな一冊である。


嶋田親一 
『人と会うは幸せ!~わが「芸能秘録」五〇』 
清流出版 1890円 

 美空ひばり、淡島千景、森繁久彌、島田正吾など日本芸能史を彩る名前が続々と登場する豪華な回想録だ。著者はニッポン放送、フジテレビの草創期から活躍し、その後は新国劇社長を務めた人物。77歳になる現在も日本演劇協会や放送批評懇談会などの理事として後進の指導にあたっている。
 本書の白眉は、著者がディレクター、プロデューサーとして大車輪でドラマを作っていた60年代のエピソードだろう。映画スター・石原裕次郎にドラマ初出演を決意させた夜。東映の看板女優だった佐久間良子のテレビ初登場をめぐる水面下の綱引き。司葉子主演のドラマで共演者である浜木綿子が見せた女優魂など、著者だけが語れる“名場面”が目白押しだ。
 いや、役者だけではない。74年、NHK大河ドラマの脚本を途中降板し、北海道へと避難した倉本聰氏に、新作の執筆を依頼し応援したのは著者なのだ。これが後の『北の国から』誕生へとつながっていく。
 本書をまとめることで「私は青春を二度生きた」とあとがきにある。おかげで、読者もまた「テレビというメディア」の青春時代を追体験することが出来るのだ。

人と会うは幸せ!―わが「芸界秘録」五〇
嶋田 親一
清流出版

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「ごくせん」と大学キャンパス

2008年04月23日 | テレビ・ラジオ・メディア
4月改編による新たな連続ドラマが、ほぼ出揃った。
まだ始まっていないのは、
5月まで思いきり”お待たせ”というフジの「月9」くらいか。
横並び一斉スタートよりは、
期待感、飢餓感を植えつけておいて
ド-ンと真打ち登場!
ということにしたいのだろう。
5月に実際の政変でもあれば、
政界を背景にしたドラマの見られ方も
面白いことになるかもしれない。

それにしても
19日(土)の「ごくせん」である。
シーズンいくつか知らないが、
初回スペシャルの視聴率、26.4%。
時代は金八先生からヤンクミ先生へ?

てなこともさることながら、
この日の「ごくせん」を見ていて驚いたのは、
ヤンクミが向かった警察の建物が、
本学(東京工科大学)のキャンパスにそびえる研究棟Aだったからだ。

これまでも様々なドラマで
この研究棟Aや片柳研究所を見た。
たとえば特撮物、戦隊物の秘密基地だったりする。
今回もヤンクミに負けない堂々の存在感があった。

警察に見立てたロケ場所といえば、
すぐ思い浮かぶのがかつての「西部警察」だ。
渡哲也率いる大門軍団が
正面玄関からわっと飛び出してきた建物は、
確か当時の東洋現像所(現イマジカ)の東品川にあった社屋のはず。
あのドラマはフィルム撮影だったから、
現像所はまさにベース基地だったわけだ。

「ごくせん」に、
今後も研究棟A
いや警察の建物が登場するのかどうかはともかく、
キャンパスという日常風景が
一瞬とはいえまったく違って見えてくるのは面白いよね、
などと考えながら
ヤンクミが歩いていた石段を
いつもよりゆっくりと上った。

●東京工科大学キャンパス風景
http://www.teu.ac.jp/gaiyou/007133.html


淀川長治さん「最後の講演」のこと

2008年04月22日 | 日々雑感
WOWOWインターネットラジオにゲスト出演し、
その配信が始まっている。

番組は
映画コメンテーターの有村昆(通称・アリコン)さんが
パーソナリティを務める『アリコンMOVIEパラダイス』だ。

WOWOWは当然のことながら映画専門の衛星放送であり、
インターネットラジオは
一種の”販促ツール””PRツール”として活躍しているが、
この『Mパラ』は純粋なラジオ番組としても、なかなか楽しめる。

収録は表参道にある某マンションの地下のスタジオで行われた。
ラジオ局のアナウンス・ブースより小ぶりではあるが、
パーソナリティとゲストがわずか50センチほどの近さで
向き合う濃密さも新鮮だった。

30分の番組を、ほぼリアルタイムで収録する。
あまり編集しないほうが臨場感があっていいのだろう。

話は、私のプロフィール紹介に始まり、
テレビプロデューサーとしてのこれまでの仕事、
大学での教育や研究、
そして、これまでに出会った映画人へと進んでいった。

熊井啓監督、岡本喜八監督、篠田正浩監督などを大学にお招きし、
監督自身が学生たちに見せたい作品を1本、
ちゃんとフィルムと映写機で上映。
その後、監督にお話をうかがう、という催しの話をした。

これは98年から99年にかけて
慶應の湘南藤沢キャンパス(SFC)で行ったものだ。

そして、
この「日本映画の巨匠たち」シリーズという
連続上映&講演会の前に開催したのが、
映画評論家・淀川長治さんの講演だった。
98年10月7日のことだ。

淀川さんは、この講演から約1ヶ月後の
11月11日にお亡くなりになったため、
この講演が人生最後のものとなった。

あれからちょうど10年。
何かの「節目」なのだろうか、
そういう「ご縁」なのだろうか。

雑誌『文藝春秋』が今年の2月号で、
「ドキュメント・見事な死
 ~阿久悠から黒澤明まで著名人52人の最期」
という特集を組んで、
その際、淀川さんの「最後の講演」について取材を受けたのだ。

すると、その記事を
フジテレビ『とくダネ!』の「新・温故知人」コーナーの
スタッフが目にして、
取り上げたいという話が来た。

結局、
当時私がいた札幌まで
取材班がインタビューを撮りに来てくださった。
実はこのとき、
当時の様子を語っているうちに
不覚にも涙が出てきて困った。

心優しいディレクターさんが
うまく編集してくださったので、
画面上はわからないように放送された。
それが3月25日(火)のことだ。

そして、
今回の『Mパラ』となる。

若いころから
淀川さんに映画の見方を教えていただいた者として、
こうして
在りし日の淀川さんのお人柄と
映画への強い愛情とを、
様々なメディアを通じて
少しでも伝えていけることは嬉しい。

もちろん淀川さんには
遠く及ばないが、
映画との「一期一会」を大切にする気持ちを
これからも持ち続けたいと思う。


●WOWOWのインターネットラジオ『アリコンMOVIEパラダイス』

 http://radio.wowow.co.jp/mpara/

配信期間:4月18日(金)~5月15日(木) 無料登録で受信可能に


『宣伝会議』インタビュー記事(2008年4月1日号)

2008年04月20日 | メディアでのコメント・論評

雑誌『宣伝会議』4月1日号の特集「バラエティ番組の企画力」で、インタビューを受けた。


<タイトル>
雑学系バラエティはテレビ視聴の〝免罪符〟
生活や人生に役立つお得感が視聴につながる
碓井広義氏

<リード>
最近のバラエティ番組に、独自の切り口を持ったものが増えている理由を、研究者はどう見ているのか。自らも多くの番組制作を手掛けてきた、東京工科大学メディア学部教授の碓井広義氏に、最近のバラエティ番組の傾向について分析してもらった。

<本文>
局と視聴者の変化で
多様化したバラエティ

 バラエティ番組の切り口が多様化している理由として、碓井氏は作り手と視聴者それぞれの変化を挙げる。作り手側の変化としては、地デジ移行による設備投資の負担増からくる、制作予算の削減。もうひとつは、ネットをはじめとする多メディア化により、視聴者にとってのテレビの優先順位が低下していることだ。
この2つの「低下」とはすなわち、50年以上続くマス広告媒体ビジネスの危機に他ならない。それゆえ、対抗手段として、「低コスト、かつ高視聴率」という高いハードルがいま番組制作に課せられているのだ。
「ドラマは高コストの上に1クール限定という宿命がある。報道やドキュメンタリーは、放送文化に不可欠な存在だがコストをかけずに高視聴率を狙うのは難しい。言わば消去法で、バラエティに期待がかかり、それが現場での企画の工夫につながっているのです」。
 対する視聴者側の変化については、次のように説明する。「不況や格差社会の進展などの社会環境から、これまでさほど関心が持たれなかった政治や経済、海外事情にも目が向けられるようになってきた」。そこから、気軽に勉強できる教養バラエティのニーズが高まった。送り手側と受け手側、それぞれの変化が相まって、番組内容や企画の切り口が多様化したというわけである。

視聴者に「お得感」を
提供する3つのジャンル

 切り口こそ多様化しているが、大きな流れとしては、前述の通り「雑学」「地域」「医学・健康」という3つの括りでバラエティ番組が増えている。特に、クイズ番組も含めた「雑学バラエティ」の数は圧倒的に多い。こういった雑学系は、日本人の〝勉強好き〟なDNAから廃れないジャンルであるとしながらも、最近では「雑学バラエティ」が、テレビを見る「免罪符」となっているのではないかと碓井氏は分析する。
「テレビを見る=時間の無駄遣いという意識が視聴者にありましたが、何かひとつでも学べるなら時間浪費の言いわけになる。なおかつ、大人にしてみれば、子供に安心して見せられる。テレビを見るハードルを下げる効果があり、高視聴率を期待できるのです」。「親子で見られる」という視点で見れば、「学校」や「授業」といった教育関係の言葉が番組名に散見されるようになったのも、そのひとつの裏付けと言えよう。
 一方、「地域バラエティ」や「医療・健康バラエティ」については、団塊世代の存在が大きな影響を与えているという。定年を迎え、団塊世代が自分たちの生活を見直そうとする中で、地域バラエティはIターンやUターンを考える団塊世代の心に、医療バラエティは老後の健康を心配する気持ちに響くコンテンツになっている。
また昭和ブームも影響し、自分たちが子どもの頃に体験した懐かしい暮らしが地方にはまだあると考え、それを手軽に見せる番組に引きつけられているのではないか、という。
そして、この3ジャンルには、団塊世代に限らず、視聴者に対する姿勢にある共通項がある。それは、視聴者に対して「今のままでいいの?」と問い掛けるようなメッセージ性だ。知識・暮らし・健康は、いま多くの日本人が不安要素を抱えている分野だけに、関心をひきやすい。また番組に何か少しでもヒントがあれば、得した気になれるため、「お得感」を引き起こしやすいジャンルであるとも言える。

テレビの本質は現場と取材
本物志向こそが生き残る

 それでは、今後のバラエティ番組はどのような方向に進んでいくのだろうか。碓井氏は2つの方向性として「未開発・未開拓ジャンルへの進出」「既存ジャンルの再開発」を挙げる。ただし「未開発・未開拓ジャンル」に伴うのは、マニアックになる危険性。ゴールデンタイムは、幅広い層に受け入れられることを宿命づけられているため、手が着けられていないジャンルは、その加減の見極めが最重要課題となる。
「マニアックなジャンルは、CSやBSがライバルになるという問題もありますが、今後はその垣根を取り払っていく必要があると思います。特にマニアックなものはDVD化やネット連動などもしやすいので、テレビ局の新たなビジネスにつながっていく可能性も秘めていますから」。
「既存ジャンルの再開発」については、たとえばNHK「関口知宏の中国鉄道大紀行」のように、“新製品”が少ない旅番組を、「鉄道」という新たな切り口をもって活性化させた例を挙げる。「手あかの付いたようなジャンルでも、切り口次第、見せ方次第で再構築できる。テレビが得意とするのは、アレンジや変換作業です。他のメディアで話題になった題材でも、アレンジさえうまくいけば視聴者に新しいものと受け入れてもらえるのです」。
実際に碓井氏は7年前、当時番組ジャンルとして忘れられていた「マジック(手品)」に注目して番組を制作。現在に続くマジックブームに先鞭をつけた体験がある。「要するに、いま花が咲いているところを取り上げてもだめ。咲いていない場所に次の花が咲くんです」。
 今春の新しいバラエティ番組も、碓井氏が指摘した傾向は続いているが、「息の長い番組に育てよう」という気概が感じられないのが懸念材料とのこと。刹那的な番組作りは、せっかく視聴者に注目されているテーマを無駄に消費することになりかねない。
「テレビの強みは、現地現物主義。雑学や地域ネタでも、ちゃんと現場に赴いて、本当の事柄や人物を伝えることで番組の魅力や価値が生まれる。言葉だけでやりとりしていれば、視聴者にはすぐに飽きられます。例えば『世界ふしぎ発見!』は、テレビを通じて「歴史の現場に触れた」と視聴者に感じさせてくれる。本物感があるからこそ長く受け入れられているんです。同じ雑学バラエティでも、裏に本当の知識があるものが生き残っていくと思います」。

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碓井広義氏
Hiroyoshi Usui
1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。81年テレビマンユニオンに参加。慶應義塾大学助教授、千歳科学技術大学教授を経て、今年4月より東京工科大学メディア学部教授。専門はメディア文化論、メディア・リテラシー、放送評論。著書に『テレビが夢を見る日』(集英社)、『テレビの教科書』(PHP研究所)など。