碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

言葉の備忘録101 良い役者は・・・

2019年08月31日 | 言葉の備忘録

 

 

良い役者は黙っている時に、

その片鱗をみせる。

 

 

大竹まこと「俺たちはどう生きるか」


話題作『サ道』に至る、テレ東「深夜ドキュメンタリードラマ」の系譜

2019年08月30日 | 「現代ビジネス」掲載のコラム

番組サイトより

 

 

話題作『サ道』に至る、

テレ東「深夜ドキュメンタリードラマ」の系譜

 

ドラマ『サ道』とは何なのか?

テレビ東京の「ドラマ25」(金曜深夜0時52分)で放送中の『サ道』。これ、「さどう」と読むのだが、もちろん「茶道(さどう)」ではない。サ道の「サ」は、「サウナ」のサだ。

茶道・華道などの「芸道」や、柔道・剣道といった「武道」と同様、サウナもまた極めていけば「道」になる。単なる所作の体得や技術の習得ではなく、精神修養の場とさえ化すのだ。

しかも、「サウナー」と呼ばれるサウナ好きを超えたサウナの達人、「プロサウナー」なる人たちが存在するらしい。『サ道』は、彼らが偏愛する“実在のサウナ”と、その“楽しみ方”を教えてくれるドラマなのである。

実は、「実在の場所」という点がキモで、ドラマの形はとっているものの、ストーリーよりも、この「実在の場所」をいかに見せるか、その魅力をどう伝えるかに最大のポイントがある。

つまり、『サ道』は単なるドラマではなく、「ドキュメンタリードラマ」と呼びたい作品なのだ。そして、テレ東の深夜枠における、この「手法」が際立つようになったのは、『孤独のグルメ』からだと言っていいだろう。

画期的な「発明品」としての『孤独のグルメ』

今年の10月、『孤独のグルメ』シーズン8の放送が控えている。一口に第8弾と言うが、シリーズ化は簡単なことではない。いかに多くのファンを持ち続け、変わらぬ支持を得ているかの証左であり勲章だ。

『孤独のグルメ』がスタートしたのは、7年前の2012年。それも鳴り物入りの登場ではなく、深夜らしくひっそりと始まった。

ところが回を重ねるごとに、「テレ東の深夜で面白いものをやってるらしい」と、テレビ好きやドラマ好きの間で話題となり、口コミ的に噂が広がっていった。

内容を確認してみよう。登場するのは井之頭五郎(松重豊)ほぼ一人。個人で輸入雑貨を扱っているが、五郎の仕事ぶりを描くわけではない。商談のために訪れる様々な町の「実在する食べ物屋」で、フィクションの中の人物である五郎が食事をするのだ。

番組のほとんどは五郎が食べるシーンで、そこに彼の「心の中の声」が自前でナレーションされる。

たとえば、シーズン2に登場した、京成小岩駅近くの四川料理「珍珍」。水餃子を目にした五郎は、「見るからにモチモチした皮。口の中で想像がビンビンに膨らむ。たまらん。たまらん坂(田原坂?)」などと、おやじギャグ満載の内なる声を発し続ける。この“とりとめのなさ”が、何とも心地いいのだ。

またシーズン3では、伊豆急に乗ってプチ出張。川端康成「伊豆の踊子」で知られる河津町でグルメした。食したのは、名物のワサビを使った「生ワサビ付きわさび丼」だ。カツオ節をまぶしたご飯に、自分ですりおろした生ワサビを乗せ、醤油をかけて混ぜるだけの超シンプルな一品。しかし、五郎の表情でその美味さがわかる。

しかもそこに、「おお、これ、いい!」とか、「白いメシ好きには堪らんぞ~」といった心の声がナレーションされると、見る側も俄然食べたくなってくる。

そう、このドラマの面白さは、口数が少ない主人公のせりふではなく、頻繁に発する心の声、「つぶやき」にあるのだ。いわば五郎の「ひとりツイッター」であり、「ソーシャルテレビ・アワード」の受賞も納得だ。

そして、忘れられないのがシーズン6で訪れた、渋谷道玄坂の「長崎飯店」である。皿うどんに入っていた、たくさんのイカやアサリに、「皿の中の有明海は豊漁だあ!」と感激。また春巻きのパリパリ食感を、「おお、口の中でスプリングトルネードが巻き起こる!」などと、何とも熱い実況中継を披露した。

もしもこれを情報番組で、若手の食リポーターが語っていたら噴飯ものだろう。「オーバーなこと言ってんじゃないよ!」と笑われるのがオチだ。しかし我らが五郎の言葉には、「一人飯のプロ」としての説得力がある。食への好奇心、感謝の心、そして遊び心という3つの心が、てんこ盛りだからだ。

常に一人で食事をする五郎(設定では独身)だが、そこにいるのは「職業人」としての自分でも、「家庭人」としての自分でもない。いわば本来の自分、自由な自分だ。

誰の目も気にせず、値段や見かけに惑わされず、美味いものを素直に味わうシアワセがここにある。それが大人のオトコたちには、唸るほど羨ましい。「グルメドキュメンタリードラマ」の本領発揮だ。

銭湯バージョンとしての『昼のセント酒』

『孤独のグルメ』の成功を踏まえ、2016年の春クールに放送されたのが、『昼のセント酒』だった。

このドラマの主人公は、小さな広告会社に勤める営業マン・内海(戸次重幸)である。売り上げがイマイチであることは気になるものの、外回りで訪れた町で銭湯を見つけると入らずにはいられない。そして、風呂上がりには一杯やらずにいられない男だ。

銭湯では、戸次が本当にスッポンポンで入浴する。当時、これほど男のナマ尻を見せられるドラマは珍しかった。画期的とも言える。いや、ボカシなどは一切ない。裸で歩き回る戸次の度胸は見上げたものだが、その股間を、風呂桶や飾ってある花で隠し続けるカメラもまた、アッパレな名人芸だった。

さらに、「こら! 銭湯の中で騒ぐんじゃない!」と、やんちゃな子供を叱る近所のオヤジの存在もうれしい。

原作は、『孤独のグルメ』で知られる久住昌之のエッセー集だ。毎回、「実在の銭湯や店」が登場するが、実は単純に原作をなぞっているだけではない。

たとえば北千住の場合、原作では「大黒湯」から居酒屋「ほり川」に向かったが、番組は「タカラ湯」と「東光」のチャーハンを取り上げた。

また、原作の銀座編は「金春(こんぱる)湯」と、そば「よし田」の組み合わせだったが、番組では金春湯は同じでも、新橋のやきとん「まこちゃん」まで歩いて、シロとカシラを味わっていた。こういうのは地道なロケハンの成果だ。見ていると、カバンにタオルをしのばせ、ふらりと寄ってみたくなる。

「食」にこだわる『孤独のグルメ』をアレンジしながら、「風呂」という新たなアイテムを発見し、後の『サ道』への道筋をつけたことは大きな功績だ。

奇跡の脱力系ドラマとしての『日本ボロ宿紀行』

深川麻衣が、「乃木坂46」を卒業したのは2016年のことだった。その後、女優として活動を続け、朝ドラ『まんぷく』ではヒロイン・立花福子(安藤サクラ)の姪、岡吉乃を演じていた。

そして今年の1月クール、晴れの「地上波連続ドラマ初主演」となったのが、『日本ボロ宿紀行』だ。

ヒロインの篠宮春子(深川)は、零細芸能事務所の社長。同時に、かつての人気歌手・桜庭龍二(高橋和也、好演)のマネジャーでもある。経営者だった父親(平田満)が急逝し、春子は突然社長になってしまったのだ。

しかも所属タレントは皆退社してしまい、残留したのは桜庭だけだった。本当は、桜庭も「辞める」と言ったのだが、「売れ残りのCDを全部売ってからにしてください!」と春子が突っぱね、このたった1人の所属歌手と共に地方営業の旅に出る。

とは言うものの、このドラマは「忘れられた一発屋歌手」の復活物語ではない。2人が地方の旅先で泊まり歩く、古くて、安くて、独特の雰囲気を持った「ボロ宿」こそが、もう1人(1軒?)の主人公だ。

春子は幼い頃、父親の地方営業について行った体験のおかげで、無類の「ボロ宿好き」になってしまった。毎回、ドラマの冒頭で、春子が言う。「歴史的価値のある古い宿から、驚くような安い宿までをひっくるめ、愛情を込めて“ボロ宿”と呼ぶのである」と。

この言葉は、原作となっている、上明戸聡の同名書籍にも書かれている。しかも、原作本はあくまでもノンフィクション。このドラマに登場するのもまた、毎回、「実在の宿」だ。

新潟県燕市の「公楽園」は元ラブホで、お泊まりが2880円也のサービス価格。ここでの春子と桜庭の夕食は、節約のために自販機ディナーだった。また山小屋にしか見えない、群馬県嬬恋村にある「湯の花旅館」も、玄関に置かれた熊の剥製や巨大なサルノコシカケが、どこにも負けないボロ宿ムードを醸し出していた。

つまり、登場する「ボロ宿」のマニアック度やニッチ度が半端じゃないのだ。まあ、それがこのドラマのキモだと言っていい。

行く先々で桜庭がマイクを握るのは、誰も歌なんか聴いていない温泉の広間だったり、何でもない公園の片隅だったり、まさかの「お猿さんショー」の前座だったりと、泣けてくるような場所ばかりだ。唯一のヒット曲「旅人」を熱唱した後、がっくりと落ち込む桜庭を引っ張るようにして、春子はその日の宿へと向かう。

そのボロ宿で、壁のしみだの、痛んだ浴槽だの、古い消火器だのに、いちいち感激する春子が、なんともおかしい。何より、「女優・深川麻衣」が平常心のまま頑張っている。もう、それだけで、一見の価値ありと感じてしまう、奇跡的な脱力系深夜ドラマだった。

それにしても深夜とはいえ、「よくぞこの企画が通ったものだ」と思う。マイウエイというより、アナザーウエイを行く、テレビ東京ならではの強みだろう。

「食事処」「銭湯」「宿」と進んできた、テレ東「深夜のドキュメンタリードラマ」。この夏、新たなテーマとしたのが、「サウナ」というわけだ。

 そして、サウナが“主役”の『サ道』へ

『サ道』の登場人物は、上野にある「北欧」をベース基地にしている、「プロサウナ―」のナカタ(原田泰造)、偶然さん(三宅弘城)、イケメン蒸し男くん(むしお、磯村勇斗)の3人だ。

このドラマは、彼らによる細かすぎて笑ってしまう「サウナ談義」と、ナカタが一人で訪れる各地の「極上サウナ」が、入れ子細工のような構成で進んでいく。

とにかく、取り上げるサウナが、いずれも魅力的だ。杉並区のごくフツーの住宅地の一角にある「吉の湯」は、遠赤外線利用のサウナと屋外での「外気浴」が嬉しい。また錦糸町「ニューウイング」には、何とミニプールの水風呂があって、ジャバジャバと泳ぐことができる。

平塚の「太古の湯 グリーンサウナ」では、珍しいテントサウナが味わえる。狭い空間だが、白樺の枝の束「ビヒタ」で体をたたいて、サウナの本場フィンランドに思いをはせるのだ。

そして、埼玉の「草加健康センター」では、北海道から出張してきた伝説の「熱波師」、エレガント渡会(わたらい)さんによる、至高の「ロウリュ(サウナストーンに水をかけて水蒸気を作り、それをタオルなどであおいで客に熱風を送る)」を体験する。

サウナ、水風呂、そして休憩というセットを数回繰り返すうち、一種のトランス状態のような快感がやってくる。ナカタたちはそれを「整った~」と表現しているが、見ていると、すぐにもサウナに駆け付け、ぜひ整ってみたいと思う。

先日は、ついに“サウナの聖地”として崇められている、静岡の「サウナしきじ」が登場した。注目は、水風呂で使われている「水」だ。それは、まさに「富士の天然水」であり、水風呂につかりながら、浴槽に注入されるその水を飲むことができる。タナカも「水によって水風呂はこんなに違うのか~」と、うっとりするほどだった。

ドラマの中で、サウナのことを「家族公認の愛人」と表現していたが、言いえて妙だ。どんなに通いつめても(度合はあるだろうが)、家族から、特に妻から文句がでることは、あまりないと思う。オトナの男には、おススメの道楽である。

そうそう、このドラマの映像が美しいことも記しておきたい。基本的には男の、いや、おっさんたちの裸が頻出するわけだが、あまり見苦しい、暑苦しい、鬱陶しいという印象はない。むしろ、サウナの中や、水風呂の風景の美しさのほうが目立つほどだ。演出家の美意識、そしてカメラや照明のスタッフの奮闘によるものだろう。

最後に、一度聴いたら忘れられないテーマ曲「サウナ好きすぎ」もいい。何と、あのCornelius(小山田圭吾)なのだ。サウナという桃源郷での“うっとり感”や“恍惚感”を、見事に楽曲化している。ふとした瞬間、「♪ サ、ウ、ナ、好き、すぎ」と口ずさんでいる自分に気づいたりするほどで、音楽によっても“整った~”を実現しているのだ。

 

 


<2019年8月の書評>

2019年08月30日 | 書評した本たち

 

 

<2019年8月の書評>

 

 

田中喜芳『シャーロック・ホームズ トリビアの舞踏会』

シンコーミュージック・エンタテインメント 1620円

名探偵ホームズの物語の人気は、事件を通じて描かれる人生の機微と、登場人物の生き方に対する共感だと著者は言う。本書は「ベイカー街221B」「暗号」「音楽」など65のテーマで構成されたホームズ百科。シャーロキアンには再発見、初心者には発見の連続だ。(2019.07.02発行)

 

小田嶋隆、岡康道、清野由美『人生の諸問題 五十路越え』

日経BP 1728円

クリエイティブディレクターの岡とコラム二ストの小田嶋は都立小石川高校の同級生。これまでに『ガラパゴスでいいじゃない』などの対談集がある。本書ではジャーナリストの清野が加わった。アラ還たちの生活と意見は真摯にしてアナーキー。素敵な反面教師だ。(2019.07.08発行)

 

内田 樹『そのうちなんとかなるだろう』

マガジンハウス 1512円

内田樹はいかにして内田樹となったのか。ありそうでなかった「自叙伝」である。幼少時代から「嫌なものは嫌」で生きてきた。選択の基本は「こうあるべき」ではなく、「なんとなく」の方向。ただし、「心と直感に従う勇気」は必要だ。迷える子羊はぜひ一読を。(2019.07.11発行)

 

大竹昭子『東京凸凹散歩~荷風にならって』

亜紀書房 1944円

「よくぞこれだけ歩いた」と感心する。エリアやコースを決めての週末散歩。先達は散歩エッセイ『日和下駄』の永井荷風だ。東京に存在する無数の川、谷、坂、崖などを、著者は「脳みその皺」と呼ぶ。そうした起伏を愛でることで、東京は違う相貌を見せ始める。(2019.07.26発行)

 

深田太郎『「歌だけが残る」と、あなたは言った―わが父、阿久悠』

河出書房新社 1944円

一人息子が見た「人間・阿久悠」の肖像だ。日記の形式も堅持したルール好き。「数字は一つの真実」だとしたデータ魔。「空白」と「休止」を怖れ、どんな仕事も完遂した。生涯やせ我慢とダンディズムを重んじ、人生論は「継続が一つの特別な信頼を得る」だった。(2019.07.30発行)

 

小林信彦『アメリカと闘いながら日本映画を観た』

朝日文庫 734円

昭和7年に東京の下町で生まれた少年は、「聖戦」の中で何を観たのか。山本嘉次郎と円谷英二が組んだ『孫悟空』。大ヒットの記録映画『マレー戦記』。そし黒澤明『姿三四郎』の出現。昭和15年から22年までの私的ドキュメントであり、秀逸な自伝的映画史だ。(2019.07.30発行)

 

吉本隆明『ふたりの村上~村上春樹・村上龍論集成』

論創社 2808円

2人の村上が登場したのは70年代後半。吉本は彼らの新しさとインパクトを的確に評価した。「豊饒かつ狂暴なイメージの純粋理念小説」と呼んだ『コインロッカー・ベイビーズ』。いくつもの魅力を指摘した『ダンス・ダンス・ダンス』。16年間の全20稿が壮観だ。(2019.07.10発行)

 

岡野弘彦『最後の弟子が語る折口信夫』

平凡社 2808円

折口信夫の晩年7年間、住み込みの弟子として共に暮した著者の回想記だ。深夜に行われる口述筆記。宮中新年歌会始の様子。柳田國男や小林秀雄との交流。また沖縄との深いつながりなど、貴重な証言が並ぶ。何より生涯の師を持つことの幸福が伝わってくる。(2019.07.17発行)

 

片岡義男 『窓の外を見てください』

講談社 2052円

『スローなブギにしてくれ』などで知られる著者は80歳になる。だが、独特の感性と文体は今も健在だ。新人作家である主人公が、小説を書くために尾道、呉、広島に住む3人の女性に会いにゆく。全編に漂う珈琲の香り。物語が生まれる過程も興味深い長編小説だ。(2019.07.22発行)

 

辻 邦生『物語の海へ―辻邦夫自作を語る』

中央公論新社 3240円

歴史小説の楽しみは、異なる時空への瞬間移動にある。しかも遭遇する人物や出来事は過去のものでありながら、強烈な現代性を帯びていたりする。『背教者ユリアヌス』『西行花伝』などの作者が、創作の背景を明かしたのが本書だ。「現実と美の相克」とは何か?(2019.07.10発行)

 

東山彰良『越境』

集英社 1728円

著者が『流』で直木賞を受けたのは4年前だ。日本語で小説を書く台湾出身者であることも注目を集めた。このエッセイ集では率直に自身を語っている。映画と香水とテキーラが好き。そして「現実逃避」で作家を目指し、「ひどい自己嫌悪」が作家にしてくれたと。(2019.07.31発行)

 

堂場舜一『決断の刻』

東京創元社 1836円

大学ラグビーの英雄と熱烈なファン。やがて2人は不正を告発する商社マンと捜査担当の刑事として出会う。さらに20年後、本社経営陣の椅子を狙う子会社社長と署長を目指す刑事課長に。だが、互いの部下が殺害され、行方不明となったことで運命は大きく動き出す。(2019.07.31発行)

 

 


「やすらぎの刻~道」 どうしても気になる主演の演技

2019年08月29日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

「やすらぎの刻~道」

どうしても気になる主演・石坂浩二の演技


4月に放送を開始した倉本聰脚本「やすらぎの刻~道」が、先週末に100回を迎えた。

「やすらぎの郷」の続きである“現代編”と、菊村栄(石坂浩二)が書いているシナリオ「道」の“脳内ドラマ編”が並行して進んでいる。

戦時中の庶民の苦難を描く「道」はもちろん、現代編もまた刺激的だ。先日は、「やすらぎの郷」に住む往年のスターたちがバラエティー番組に出演した。人気タレントの豊臣家康(木下ほうか)が司会の「お笑い大将」だ。

スタジオでは、家康を大将と呼ぶ「たけし軍団」、いや「豊臣軍団」が、桂木怜子(大空眞弓)らの大女優を笑いものにしようとする。怒った高井秀次(藤竜也)たちは無礼な軍団を成敗してしまう。それは視聴率優先のテレビに対する倉本の鉄拳でもあった。

そんな現代編で、どうしても気になることがある。石坂浩二の演技だ。たとえば、人形作家・与勇輝の作品を見て感動するのだが、その表現がオーバーで、見ている側が逆にしらけてしまう。

また自分の生き方に悩むシーンでは、手をバタバタさせたり、頭を抱え込んだり。つまり演技全体が古くさいのだ。他の俳優や女優がクセのあるキャラクターを自然に演じているだけに、何とも浮いた芝居になっている。

主演の大ベテランには言いづらいかもしれないが、ここは演出側の出番ではないだろうか。

(日刊ゲンダイ 2019.08.28)


<ときどき記念写真> ピットさん、レオさんと(笑)

2019年08月28日 | 映画・ビデオ・映像

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」


週刊朝日で、「朝ドラ」ベスト20について解説

2019年08月27日 | メディアでのコメント・論評

 

 

NHK「朝ドラ」100 

人気作品ベスト20! 

アンケート&視聴率本誌調査

 

「朝ドラ」の愛称で親しまれているNHK連続テレビ小説は放映中の「なつぞら」で100作目を迎えた。「朝ドラ」は、なぜこれほど愛されるのか。アンケート、視聴率、専門家への取材をもとに、人気作品ベスト20を選んでみた。あなたの一番好きな「朝ドラ」は、どの作品ですか?

アンケートで圧倒的に多くのコメントが寄せられたのが、能年玲奈(現のん)主演の2013年度前期「あまちゃん」だった。

〈展開が面白くテンポもよく、とにかく観てて楽しかった=30代女性〉〈予想のできない展開とオープニングのわくわく感=40代女性〉〈言うまでもない、最高の朝ドラ。主役の能年玲奈さんがまぶしかった=60代男性〉など、鮮烈な印象を残したようだ。

「カーネーション」「ちりとてちん」「あさが来た」の3作品にも熱いコメントが数多く届いた。

11年度後期「カーネーション」〈脚本、演出、役者、すべてが最高の仕事を見せてくれた忘れられない一作=40代女性〉。07年度後期「ちりとてちん」〈伏線の回収が見事。学びが多く、コメディー要素もありつつも毎週泣ける=20代女性〉。15年度後期「あさが来た」〈新次郎さんに癒やされたの一言に尽きます=70代女性〉。

昭和の名作の数々も負けてはいない。平均視聴率52・6%、最高視聴率62・9%という圧倒的な記録をたたき出した83年度「おしん」を支持する声は、やはり多かった。〈時代を超えて人として大切なことが描かれていて現在夢中になっています=50代女性〉と、現在のBSプレミアムでの再放送による人気の後押しも手伝っているようだ。

平均視聴率でみれば「おしん」に続いて、「繭子ひとり」47・4%、「藍より青く」47・3%、「鳩子の海」47・2%など、70年代の作品が上位に並び、00年代以降の作品の平均視聴率が20%前後であることを考えると、そのころはテレビが文化の中心であったことが実感できる。

朝ドラの魅力とは何か。上智大学の碓井広義教授(メディア文化論)は、基本的に女性の一代記であり、成長物語であり、職業ドラマでもある点を指摘する。

「視聴者の多くは女性ですから、その支持を得ることが大前提としてあります。あるときは主人公だったり、あるときは主人公の家族や友達、誰かに自分を投影したり、共感しながら見るドラマなんです」

 ■主人公の成長も大きな魅力に

碓井教授は「ゲゲゲの女房」「マッサン」「まんぷく」の3作品にも注目する。

「マンガ、ウイスキー、インスタントラーメンと、いずれも男性が大成功をおさめた人物で、ヒロインはそれをサポートする役割でしたが、多くの女性視聴者が二人三脚の奮闘を応援したくなる作品でした」

「おしん」の小林綾子、「ふたりっ子」の三倉茉奈と佳奈、「あさが来た」の鈴木梨央など、ヒロインの少女時代を演じる子役もまた、朝ドラの魅力のひとつだ。

〈「おしん」の子役時代には毎朝泣かされた記憶があります=50代男性〉

〈子役のマナカナちゃんのはつらつとして息がぴったりな名演技に元気をもらいました=50代男性〉

「つかみとして非常に重要な存在であることは間違いありません。この子がどんなふうに成長していくんだろうという思いが、リレー形式で演じられるヒロインを見守ることにつながっていく」(碓井教授)

100作目にあたる「なつぞら」は歴代のヒロインらが続々登場することでも話題を集めている。〈優しさにあふれている気持ちのいい作品=40代男性〉と、「なつぞら」のこれからに期待する声も寄せられる。

今秋には通算101作目にあたる「スカーレット」(主演・戸田恵梨香)、そして20年春からは、「マッサン」以来の男性主人公となる窪田正孝主演の「エール」が放送予定。100作は朝ドラの長い歴史にとって、まだほんの通過点のようである。【本誌・太田サトル】

(週刊朝日 2019.08.30号)


戦争関連番組の秀作、ETV特集「少女たちがみつめた長崎」

2019年08月26日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

「少女たちがみつめた長崎」 

鎮魂と継承、林京子の意志


戦後74年の夏が終わろうとしている。日本の8月は、「鎮魂」と「継承」の月だ。継承すべきは、戦争という事実はもちろん、その体験と記憶である。

今年の8月4~18日の2週間、民放テレビには鎮魂も継承も見当たらなかった。いわゆる戦争特番、終戦特番と呼ばれる放送がほぼなかったのだ。

実は昨年も同様で、この沈黙がとても気になる。かつてはタレントなどを起用した、民放らしい特番が流れたものだ。手間と予算がかかる割に視聴率を稼げない、つまり商売にならないと判断しての通常編成なら、ジャーナリズムとしての役割放棄だ。

いや、役割放棄ならまだいい。戦争というテーマを「取り上げないこと」自体が民放テレビの意思だとしたら、問題はもっと深刻だろう。マスメディアの影響力は、何かを「伝えること」だけにあるのではない。何かを「伝えないこと」による影響もまた大きいからだ。

たとえ8月であっても戦争を扱った番組を流さないとなれば、視聴者が戦争を話題にすることも、平和について考える機会も少なくなる。民放テレビに「伝えないこと」の意図があるなら知りたい。

一方、NHKは前述の2週間に、7本のNHKスペシャルを含む十数本の戦争関連番組を流した。その全部を視聴した上で取り上げたいのが、17日放送のETV特集「少女たちがみつめた長崎」だ。

タイトルの「少女たち」には二重の意味がある。一つは昭和20(1945)年8月9日に勤労動員先で被爆した、当時の長崎高等女学校(長崎高女)の生徒たち。そしてもう一つが現在の長崎西高校(旧長崎高女)放送部の生徒たちだ。

放送部の面々は、「原爆と女性」をテーマにしたドキュメンタリー番組を制作している。その過程で、生存者である大先輩たちの話を聞いていくのだ。

また今年88歳になる少女たちが大切に保存していた、当時の日記も74年の時を超えて両者をつないでいく。そこに記された「血!血!真っ赤な血!(中略)夢であってくれ」といった肉声を、現在の少女たちが朗読していくシーンは圧巻だ。

そして、このドキュメンタリーを下支えしていたのが、作家の故林京子の存在である。長崎高女在学中に被爆した林は、戦後30年を経て、ようやく原爆のことを書く。生き残ったことへの罪悪感や原爆症への不安を抱える林だが、「伝えること」を自らに課したのだ。そんな彼女の文章も挿入しながら番組は進んでいく。

生ける新旧少女たちの思いと、死せる作家の魂が互いに響き合い、見ている側も何事かを考えずにはいられなくなる秀作となっていた。

(毎日新聞夕刊 2019.08.24



【気まぐれ写真館】 今月も千歳市「柳ばし」で特製ランチ

2019年08月25日 | 気まぐれ写真館

おかあさん特製「夏野菜とホッキ貝のガーリックソテー」

(メニューにはありません、悪しからず)


今月のUHB北海道文化放送「みんテレ」

2019年08月24日 | テレビ・ラジオ・メディア

 
 
 
 
 
私の隣は「poroco」編集長の福崎里美さん
 

【気まぐれ写真館】 いつもの札幌「まる山」鴨せいろ

2019年08月24日 | 気まぐれ写真館


25日(日)「TBSレビュー」で、医療バラエティーについて話します

2019年08月23日 | テレビ・ラジオ・メディア

 

 

「TBSレビュー」

2019年8月25日(日)あさ5時40分〜6時00分

特集 医療バラエティーのあり方

「名医のTHE太鼓判」


今、テレビ各局で様々なスタイルの健康・医療情報番組が放送され、視聴者からは一定の支持を得ています。

一方で、個人の病気などについてどこまで公表すべきかなど、課題も出てきています。

今回は、「名医のTHE太鼓判」を取り上げ、健康・医療情報バラエティーがあるべき姿とは何か、どのような視点や姿勢が求められるのかを考えます。


<出演>

碓井広義さん(上智大学教授)

千葉隆弥さん(名医のTHE太鼓判 総合演出)

キャスター:

豊田綾乃(アナウンスセンター)

 

番組サイトより


テレ東「サ道」主演は原田泰造だが、真の主役はサウナ!

2019年08月22日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

テレ東「サ道」主演は原田泰造だが、

真の主役はサウナ!


茶道ではない。サ道のサは「サウナ」のサだ。何事も極めれば「道」になるもので、単なるサウナ好きを超えたサウナの達人、「プロサウナー」なる人たちが存在するらしい。「サ道」は、彼らが偏愛する実在のサウナと、その楽しみ方を教えてくれるドラマだ。


毎回、サウナ「北欧」をベース基地にしているナカタ(原田泰造)、偶然さん(三宅弘城)、イケメンくん(磯村勇斗)の3人によるサウナ談議と、ナカタが一人で訪れる各地の極上サウナの様子が入れ子細工のようになって展開される。

登場するサウナが、いずれも魅力的だ。杉並の住宅地にある「吉の湯」は、遠赤外線利用のサウナと屋外での「外気浴」がうれしい。錦糸町の「ニューウイング」には、何とミニプールの水風呂があって泳ぐことができる。

そして埼玉の「草加健康センター」では、北海道から出張してきた伝説の「熱波師」による、至福のロウリュ(サウナストーンに水をかけて水蒸気をつくり、それをタオルなどであおいで客に熱風を送る)を体験する。

サウナ・水風呂・休憩というセットを数回繰り返すうち、一種のトランス状態のような快感がやってくる。ナカタはそれを「ととのった!」と表現しているが、見ていると、すぐにもサウナに駆けつけ、ととのってみたいと思う。このドラマ、主演は原田泰造だが、真の主役はサウナなのだ。

(日刊ゲンダイ 2019.08.21)


言葉の備忘録100 完璧より・・・

2019年08月21日 | 言葉の備忘録

 

 

 

完璧より前進

 

 

映画「イコライザー」


杏主演のドラマ『偽装不倫』は、何を楽しめばいいのか!?

2019年08月20日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

杏主演のドラマ『偽装不倫』は、

何を楽しめばいいのか!?

 

ドラマを「企画する」ということ

ドラマ制作のプロセスを説明するなら、第一歩は「企画」ということになります。何を作るのか。何を見せたいのか。一般的には制作者が「企画書」を作成し、部署内でそれを通すことに尽力します。
 
この「企画」に関して、「なぜ今、それを作るのか、放送するのか」という理由を、徹底的に問うのがNHKです。
 
それはドラマでも『NHKスペシャル』でも同様で、内容的にはOKであっても、昨年でも来年でもなく、「今、これをやる」ことの意義や意味を明確に示せなければ、企画は通りません。
 
すべてが「企画」から始まるのは、民放も変わりません。ならば、読んでみたいのは、杏主演『偽装不倫』(水曜22時、日本テレビ系)の「企画書」です。
 
主演を杏さんにするとか、東村アキコさんの原作漫画がこれだけ売れてるとか、だから数字(視聴率)が取れるだろうとか、まあ、いろいろオイシイことが書かれていたはずです。
 
でも、そこには「なぜ今、それを作るのか」という説明、もしくは意思の表明はあったのか。もしも書かれていたなら、ぜひ読んでみたいし、知りたい。それくらい、「なぜ今、これをドラマ化したのか」が、よく分からないのです。 

なぜ今、偽装不倫?

このドラマは、独身なのに「人妻のフリ」をするアラサー女子の恋愛物語です。
 
派遣で働く濱鐘子(杏)は、契約切れをきっかけに福岡への一人旅に出ました。機内でカメラマンの伴野丈(宮沢氷魚)と出会うのですが、たまたま姉・葉子(仲間由紀恵)の結婚指輪を持っていたため、伴野には「人妻」だと勘違いされてしまいます。
 
相手がイケメンだったこと、それまでの婚活で成果が得られなかったこと、さらに伴野が妙に人妻に執着していることなどから、鐘子は誤解を放置してしまいます。偽装不倫の始まりでした。
 
そして現在も、「独身であることがバレると相手が引いてしまう」という、ヒロインが抱えた勝手な懸念が、物語を駆動させているのです。
 
見ている人のほとんどが、「何それ? 独身だって言えばいいだけじゃん!」と思うはずですが(笑)、言ったら偽装不倫というドラマのコンセプト自体が崩れてしまいますからね。
 
あり得ない設定かもしれませんが、そこはドラマと割り切って、「大人のラブコメ」として楽しめばいい、ということになります。あくまでも、「楽しめる人は・・」ですが。
 
杏という女優さんは、かつての『花咲舞が黙ってない』(日テレ系)や『デート~恋とはどんなものかしら~』(フジテレビ系)がそうだったように、生真面目さとちょっと抜けたところが同居したキャラクターを演じさせたら、確かに上手いです。
 
とはいえ、「嘘がバレないためにドタバタするヒロイン」だけでは、連ドラとして、いかにも弱い。そこで、主題の補強ポイントとして浮上するのが、姉・葉子の不倫問題です。

「偽装」より切実な「マジ不倫」

「なんちゃって不倫」の妹に比べ、葉子のほうは発覚した場合のリスクがとても大きい。それにしては結構大胆な、と言うか不用意・不注意な言動が目立つ葉子であり、見る側にも緊張感が走ります。
 
何しろ、ずっと「いい夫」「やさしい夫」で通してきた、葉子の夫・賢治(谷原章介)も、さすがに妻の不倫を疑っています。姉夫婦の危機は、リアル感も切実感も十分で、予断を許さないものがあるのです。
 
鐘子の「偽装不倫」の行方は、「結局は恋愛として成就するんだよね」と笑って見ていられるのですが、葉子の「マジ不倫」はそうもいきません。
 
思えば、葉子役に仲間由紀恵さんというのも心憎いじゃないですか。仲間さんの夫は俳優の田中哲司さんですが、2年前、その田中さんが不倫騒動を引き起こしました。
 
当時は冷静に対応していた仲間さんが、役柄とはいえ「不倫妻」になる。リアル夫への復讐にも見えて、いやはや、その女優根性はなかなかのものです(笑)。
 
それにしても、鐘子の偽装不倫の相手が、原作では「日本語のできる韓国人カメラマン」だったのに対し、ドラマでは「外国暮らしが長かった日本人カメラマン」に変更されたのはなぜでしょう。
 
昨今の日韓関係に配慮、いや面倒を避けようとしたのかもしれませんが、原作では物語の根幹にかかわる大事な要素だっただけに、ちょっと残念です。
 
この辺りについても、「企画書」には書かれていたのか、いなかったのか。やはり気になります。

書評した本: 『トッカイ~バブルの怪人を追いつめた男たち』

2019年08月19日 | 書評した本たち

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。


清武英利 
『トッカイ~バブルの怪人を追いつめた男たち』
講談社 1,836円

脚本家の倉本聰さんから聞いた話だ。バブル期の札幌すすきので、よく不審火があったという。焼け跡から見つかるのがネズミの死体だ。何者かがネズミの体に灯油をかけて火をつけ、建物の中に放つ。すると火の回りが早かったらしい。消火が間に合わないことを狙った、地上げ屋の仕業だと噂されたそうだ。

地上げ、住専(住宅金融専門会社)、バブル崩壊、不良債権。中島みゆきの歌ではないが、「そんな時代もあったね」の感が強い。狂乱経済の後始末など、とっくに終わったものと思われている。しかし、泥沼の「20年戦争」は続いていた。

バブルがはじけたことで、住専7社は6兆4千億円もの損失を抱え込んだ。いずれも母体である大手の銀行や証券会社などが躊躇する、危うい案件にまで巨額融資を行っていた。やがて回収不能となる貸し付けの相手は何者で、金を何に使ったのか。そもそも常識外れな融資はなぜ行われたのか。そして整理回収機構の「トッカイ(特別回収部)」は、どのような取り組みをしてきたのか。そんな疑問に答えたのが本書である。

面白いのは、読み進めるうちに、“悪役”であるはずの「バブルの怪人」たちへの興味が増していくことだ。たとえば借入残高が一時、1兆円を超えていた末野興産グループの末野謙一は、「銀行や住専も競争なんやな。バブルは貸す競争やぞ」とうそぶく。また京都の「怪商」と呼ばれた西山正彦は、神社仏閣の売買という奇策で肥え太っていく。

トッカイには、バブル崩壊のあおりで破綻した金融機関から送り込まれたメンバーが多い。かつての借り主から、何とかして取り立てようとする皮肉な立場だ。著者は彼らを将棋の「奪(と)り駒」に見立てている。終わりのない過酷な戦いと、悲哀と矜持が交錯する複雑な心情。けっしてスポットを浴びることのなかった彼らだが、一つの時代を陰で支えた、見えざるヒーローだったのだ。

(週刊新潮 2019年7月18日号)