碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「倉本聰 ドラマへの遺言」 第17回

2018年02月06日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第17回

映画は“ドラマ”だけど、
テレビは“チック”を描くのが神髄


倉本氏が人生初の帯ドラマに挑んだ「やすらぎの郷」(テレビ朝日系)。1話当たりの放送時間は通常ドラマの4分の1程度だった。

倉本 僕、コマーシャルを結構撮っているんですよ。コマーシャルは1本当たり15秒程度。フィルムは1秒が24コマなんですが、削りに削って短い時間の中で勝負する。だから15秒ではなく、もしも1分間与えてくれたら、さらに面白いものができるんだろうって考えていたので、この15分程度の尺はとてもやりがいがありました。

碓井 先生はその15分間で何を重視されたのですか。

倉本 昔、東横映画のマキノ光雄さんが、「この映画にはドラマがあってもチックがない」といった有名な話があるんですが、僕、この言葉がとっても印象に残っているんです。映画からテレビに移ったときに、映画は、〈ドラマ〉だけれど、テレビは、〈チック〉が大事だなって思った。〈ドラマチック〉って言葉がありますでしょう? テレビはむしろ〈チック〉のほう、細かなニュアンスを面白く描くのが神髄じゃないかなって。

碓井 それってテレビドラマは本線というかストーリーだけじゃなくて、一見物語とは無関係な寄り道みたいなシーンによって豊かなものになるということですか。

倉本 この世界に飛び込んだ当時、「構成力が弱い」と指摘されたことがあるんです。それで(黒沢明監督作品などの脚本を書いた)橋本忍さんや菊島隆三さんとかのシナリオをいったん書き写し、今度は時系列の起承転結に戻すみたいなことを繰り返して勉強した。そして見えてきたのが映画の〈ドラマ〉とテレビの〈チック〉でしたね。

碓井 ちなみに「やすらぎの郷」で代表的な〈チック〉のシーンは。

倉本 ミッキー・カーチスと山本圭と石坂浩二が海岸でしゃべるお馴染みのシーンがあったでしょう。まさにあそこは、〈チック〉。物語の進行にはさして影響がないシーンで、「死んだ女房にあの世で会うとき、ボケた女房がいいか、昔の女房がいいか」とかウダウダと話すだけ。

碓井 見ている側もつい自分に置き換えて考えてみたりして。視聴者の日常と地続きなんですよね。

倉本 テレビドラマでは、ああいうシーンこそ大事だと思っています。

碓井 「やすらぎの郷」のシナリオは倉本脚本の特徴である〈間(ま)〉という文字があまり書かれていません。あれだけの役者さんたちだから、脚本で細かく指示しなくても大丈夫だと思われたのでしょうか。

倉本 そういうわけではないですね。15分で〈間〉を多用したら尺が足りなくなり、結果、作品として成立しないだろうと思ったんですが、そのあたりは撮影台本としての未熟さであり反省点です。

碓井 この連載の中でも先生はアンソニー・ホプキンスやメリル・ストリープの名前を挙げて、声に出すセリフとは別の、表情やたたずまいが発するインナーボイスの重要性を強調していました。

倉本 日本にもインナーボイスのひとつである腹芸があります。言わなくても分かるっていうね。でも、いつのころからか軽んじられてきちゃいましたね。(つづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。現在は、来年4月から1年間放送されるテレビ朝日開局60周年記念ドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」を執筆中。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。



18回以降は、
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日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」




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倉本聰、碓井広義
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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第16回

2018年02月03日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第16回

「キャスティングが決まらないと書かない」
伝説の真相は


倉本氏はドラマの撮影が始まる前、役者たちが集まって行われるホン読み(台本の読み合わせ)にも立ち会うという、多くの脚本家とは一線を画すスタイルを貫いてきた。キャスティングについても口うるさいといわれるが、真相はいかに。

碓井 「倉本伝説」として流布していることのひとつですが、キャスティングが決まらないと書かないんだと。実際に先生がキャスティングに関与しているってことですか。

倉本 プロデューサーには相談しますが、僕自身が決めるわけではありません。2005年放送の「優しい時間」(寺尾聰主演、フジテレビ系)のあたりからは若い役者について全く知らないですからね。主要キャストを担ったニノ(二宮和也)も、長澤まさみも知らなくて、「タレント名鑑」を見せてもらいました。昨秋行われた東京ドラマアウォード(「やすらぎの郷」で脚本賞)の授賞式でも、新垣結衣を知らないから、「あの人誰」って聞いたぐらいですから。

碓井 ガッキー、泣きますよ(笑い)。となると、プロデューサーへの相談はどのようになさるんですか。

倉本 興味のある女優さんには、あらかじめ会わせてもらいますね。「風のガーデン」(08年、フジテレビ系)の黒木メイサも、興味を持っていたので何度か会ったんですよ。

碓井 中井貴一さんが演じる主人公の娘役として起用されていましたね。

倉本 数年前には剛力彩芽にも会わせてもらって。いい女優だなと思ったんですが、起用には至っていません。

碓井 黒木さんと剛力さん、容姿も女優としてのタイプも違いますが。

倉本 男として女に惚れる場合もそうなんですが、こういうタイプだから使ってみたいとか、こういう趣味だから好きだとか、決まった好みってないんですよ。出てきて良ければ、ハイって感じです。特に女優の場合は容姿ではなく、センスが放つオーラのサムシング。これが失われていくケースが往々にしてあって、日本のエージェンシーは下手だなって思いますね。

碓井 使い捨て、とまではいかなくても、役者やタレントを長い目で見ていない、育てようとしていない事務所はありますよね。売れているうちに全部売っちゃえ、みたいな。

倉本 この間もね、ある女優さんとマネジャーさんと一緒に食事する機会があって。「CMは今、何本出てるの?」って聞いたら「9本」って言ってたかな。

碓井 それはすごい。「あまちゃん」に出た後の有村架純さん並みだ。

倉本 業種のかち合わないスポンサーのオファーが13本あるんですって。マネジャーは「9本出ていても、あと4本ある」って言うもんだから、そういう発想もあるのかって驚いたわけですが。(つづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。現在は、来年4月から1年間放送されるテレビ朝日開局60周年記念ドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」を執筆中。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。



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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第15回

2018年02月02日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第15回

加納英吉のモデルは
バーニング周防さんよりもっと大物


“芸能界のドン”である加納英吉(織本順吉)が、やすらぎの郷を開設した理由が明かされたのは第125話。可愛がっていた女優・大道洋子(大原麗子)の死に衝撃を受けたというのだ。加納の秘書が説明する。「彼女には仕事が全く来なくなり、彼女は精神に異常を来し、そのため友達もどんどん離れ、芸能界から忘れられて――3年くらい経っていましたか――アパートで独り死んでいるところを、死後1週間たって発見された。あの事件が全てのキッカケでしたよ」と。そして菊村栄(石坂浩二)たちは、大道洋子の思い出を語り合う。

マロ(ミッキー・カーチス)「可愛かったもんなア! あの時代の洋子は」

大納言(山本圭)「市川崑さんの撮った有名なウイスキーのCMがあったよなア」

マロ「うン」

大納言「あン時の洋子、最高だったね」

~中略~

洋子のCMの声がささやく。

声(大原麗子)「すこし愛して。ながーく、愛して」

栄、グラスを口へ運ぶ。その目から突然涙が噴き出す。

はるかから流れてくるトランペットの音。

(第125話から)

碓井 本物の大原麗子さんの声が印象的でした。倉本作品「たとえば、愛」(1979年、TBS系)でも主演でしたが、先生にとって大原さんは特別な女優さんだったんじゃないですか。

倉本 ええ。僕が富良野に住みついたときに一番最初に泊まりに来たのも麗子でしたしね。ギラン・バレーの症状が出始めた頃だったのではないでしょうか。とにかく、高倉健さんを紹介してくれたのも麗子だし、深かったですね。「絶交!」って電話を叩き切られたこともあります。森みっちゃんにも、ルリ子にも、まりこにも深夜に電話して延々しゃべるもんだから皆、困り果てるっていうね。

碓井 大原さんはドラマの黄金時代を生きた女優さんのひとりですが、その最期は孤独死に近いものでした。そうしたことへの怒りや、問題提起という意味合いも強かったのではないでしょうか。

倉本 このドラマの準備で最も時間をかけたのは、やすらぎの郷の成立要因。加納英吉がどれだけの資本金をもって、どういう事情でやることにしたのかっていう根っこの作業です。芸能人だけの老人ホームの話を描いた戦前製作の仏映画「旅路の果て」(48年公開)があるんですが、最後に破綻しかけるんですね。そうならない方法や基金は何かって。

碓井 加納英吉は視聴者の想像力を刺激する人物でした。

倉本 「加納英吉のモデルは周防さん(バーニングプロダクション代表取締役社長・周防郁雄)ですか」とよく聞かれるんですが、そうじゃない。もっと大物で、小佐野賢治、児玉誉士夫、あるいは甘粕正彦大尉のような人なんですよ。

碓井 甘粕まで入っていたんですか。関東大震災の際にアナキストの大杉栄を殺害し、服役後は満州に渡って満映(満洲映画協会)の理事長も務めました。

倉本 甘粕は陸軍でしたが、加納には元海軍参謀という過去を持たせました。〈暴力犯の陸軍〉に対し〈知能犯の海軍〉といわれたぐらい海軍の能力は秀でており、その「頭脳」を担っていた参謀たちは明晰かつ結束が固かった。海軍参謀とは終戦時に極東裁判で海軍からはA級戦犯を出さないっていう運動をするような組織。2009年放送のNHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」を見て、海軍参謀の面白さを知ったのは大きなヒントになりましたね。(つづく)

(聞き手・碓井広義)

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「倉本聰 ドラマへの遺言」  第14回

2018年01月31日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第14回

八千草薫から電話
「私のおならの音、分かりません?」


碓井 浅丘ルリ子さんが先生と一緒に仕事されたのは、「2丁目3番地」(71年、日本テレビ系)が最初だったんですね。当時、石坂浩二さんとの初共演が話題となりました。

倉本 当時のルリ子は小林旭のような力強い男のほうがタイプだったから、兵吉(石坂の本名)みたいにナヨナヨしたのは嫌だったんじゃないですか。でも、兵吉がルリ子に告白した時も僕はその場にいましてね、よく覚えているんですが。打ち上げの熱海の大野屋っていう旅館で兵吉は泣いちゃったんですよ。泣き口説きで「離れるのが寂しい」って。僕はその脇にいて、森みっちゃん(光子)の上に馬乗りになって腰を揉んでましたよ。で、ルリちゃんが「兵ちゃんかわいそう~」って抱きしめたんですね。僕は知らんぷりして腰を揉んでいたっていう。

碓井 歴史的瞬間ですねえ。

倉本 家族みたいなものですね。役者の世界とライターの世界は違う。演出家と役者の関係は近くても、ライターと役者の間には距離がある。「2丁目3番地」の時は制作側の方からもお願いされてホン読みに参加したと思うんですけれど、ライターは基本、孤独の作業。現場にあんまり顔も出さないわけですが、俳優さんとは深く付き合うようにしていた。その人の性格を掴んでからじゃないと書かないっていうのを鉄則にしていたんですね。

碓井 それはまた大変なことだ。

倉本 八千草(薫)さんは1年半、付き合いました。一番長かったのは、若尾(文子)ちゃんかなあ。女優さんって鎧をつけてるんですよ。その鎧を外さないと欠点が見えない。欠点を書いてあげないと個性にならない。長所が見えたところでなんにもならない。恋愛って普通、長所を見ちゃうじゃないですか。だから、わりと破綻するでしょう。それと似たようなもので、欠点から入って書くといい。

碓井 マイナス面が見えないと、人物像として立ちあがってこないってわけですね。

倉本 口のデカい女優さんがね、それを欠点だと思っていると、隠そうとして口が小さく見えるようメーキャップする。逆なんですよ。大きくしてやったほうが個性につながってくる。岸田今日子がひとつの例ですけれども。

碓井 目に見えるならまだしも、内なる欠点を見つけ出すのはかなり難しいかと。

倉本 ですからね、八千草さんの場合は、1年半かかった。マネジャーに聞いてもさっぱりなんだから。

碓井 八千草さんの倉本ドラマ初主演といえば、TBS系の東芝日曜劇場「おりょう」(71年、制作は中部日本放送)でしょうか。

倉本 あのときだって、本当は「あの人のおならの音が分からないと書けない」って一度断ったんです。ですが、そのあと、八千草さんから電話がかかってきて、「私のおならの音、分かりません?」って言われて、慌てちゃって。

碓井 それはまた凄い。

倉本 そうしたら、八千草さん、ふっとまじめな声になって「でしたら、新珠さんのおならの音も分かりませんでしょう?」って。僕はちょっとドキッとして。この人は、新珠三千代さんに対して嫉妬心を持っているんだっていうのが分かって、それからですね、書けたのは。(つづく)

(聞き手・碓井広義)

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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第13回

2018年01月27日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第13回

元嫁・浅丘ルリ子と
元カノ・加賀まりこが「全然平気よ」


碓井 先生から、初めて「やすらぎの郷」の企画についてうかがった時、石坂浩二さんが演じる主人公・菊村栄の履歴書も見せていただきました。そうしたら、基本的には倉本聰と重なっているんですよ。まんま倉本先生の履歴かと思った(笑い)。かなりご自身を投影させたのではないですか。

倉本 年齢は合わせましたが、それは僕を知っているからそう思うわけで。菊村には、阿久悠も入っていますよ。それに若干、久世光彦(TBS系「時間ですよ」などの演出家)も。同世代の複数の人間の要素によって形成されるわけで、菊村を僕だと思われると迷惑な話でね。女房も生きてますし、駆け出しの女優と浮気したなんて言われちゃうと困っちゃう。

碓井 なるほど。若い女優さんとの色恋沙汰は、久世さんと思えばいいのか(笑い)。

倉本 そうです。冗談じゃないですよね、どんな顔してカミさんに会えばいいのか。

碓井 石坂さんは「僕が演じる菊村栄は、倉本先生そのままだ」とおっしゃったとか。

倉本 それは違うんですね。そこがあいつの浅いところですね。

碓井 主演に石坂さんをキャスティングした決め手はなんだったんですか。

倉本 兵吉(石坂浩二の本名)の良さは品格があること。それから常識的な人間であること。今回、前もって浅丘ルリ子と加賀まりこと話していた時から兵吉の名前は出ましたよね。「あなたたち平気なの?」って聞いたら、「全然平気よ」って。じゃあ、気は合ってんだからっていうんで、あとはとんとん拍子に。

碓井 確か、倉本先生が書いた「2丁目3番地」(1971年、日本テレビ系)での共演がきっかけでしたよね。夫婦役が本物になって、その後、約30年も夫婦でした。結婚から46年、また離婚から17年の元夫婦が倉本ドラマで再び共演したわけで。カサブランカ(「やすらぎの郷」内にあるバー)でのスリーショットはドキドキというか、見ていておかしかったです。何しろ元ヨメ(浅丘)と元カノ(加賀)が両側にいるんですから。まさに虚実皮膜の面白さでした。

倉本 僕の身になってみれば、兵吉がルリ子にプロポーズした時に現場にいましたしね。お台場に移転する前の、河田町にあったフジテレビで兵吉から「一緒に行ってくれ」って言われて、僕の車で浅丘家に。おまけにフジの局舎前には感づいたマスコミが張っていたんで、裏口に回ろうって画策したりね。駐車場で大の大人たちがあれやこれやと。彼らはそんな経験も経ているんですよ。(つづく)


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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第12回

2018年01月26日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第12回

ドラマは履歴書を作らないと
“根っこのない木”になる


碓井 八千草薫さんが演じていた大女優・九条摂子が、若い頃、特攻隊員の前で一緒に食事をしたというエピソードも印象的でした。

倉本 森みっちゃん(森光子)だったか高峰三枝子さんだったか、木暮実千代だったか。誰から聞いたか記憶の中で定かではないんですが、「たまらなかった」っていうのはおっしゃってましたね。普通の慰問とは違う形で飛行機だかトラックだかに乗せられ、何も言われないままテントの中に入ったら、20代の特攻隊員がズラーッといて。隊員たちもビックリしている中で一緒に食事をして。ただ、この話は世の中に史実として残っていない。

碓井 史実から消された事実、見ている側もいろいろなことを考えさせられました。最近は戦争の実相に触れるドラマってなかなかないんですよね。

倉本 戦争経験者で存命の多くは昭和から生きてきて、戦後もバブルも体験し年老いてきた人間の集合体です。当たり前ですが、芸能界に入る前にそういう何かを背負った過去があってしかるべき。だから僕は履歴書を丹念に作るんです。

碓井 いつ、どこで生まれ、どんなふうに育ち、ドラマにおける「現時点」までに何をしてきた人物なのか。

倉本 登場人物ひとりずつの履歴書を作ると、どこでAとBが会うのか。これまでにそれぞれが形成してきた履歴やキャリア、はたまた、Aという性格とBという性格が出会った時に起こる化学反応こそがドラマだと思うんですね、僕は。履歴書をしっかり作らないとドラマが湧きようもなく、“根っこのない木”になってしまう。根っこがなければ木は立つわけがないのに、強引に立たせたフリをして、花を咲かせたり、葉を茂らせたり、実をつけたりしている書き方っていうのは違いますよね。

碓井 登場人物の履歴は演じる側にとっても大事な足場になるんじゃないでしょうか。

倉本 その通りです。履歴には大履歴、中履歴、近履歴っていうのがあって、それぞれ、大過去と中過去と近過去をさすわけですが。大過去は生まれた時から社会に出るくらいまで、中過去はいまの境遇をつくった時、そして、近過去はこの舞台でカメラの前に立つ前にあなたは何をやっていたかってことなんですよ。

碓井 それを役者も考えるわけですね。

倉本 たとえば、駆け出しの役者なら喫茶店でお茶を出すような小さなキャリアから始まりますね。その時に昨日からお茶を出すまでに何があったのか。恋人から別れの電話があった状況でお茶を出すのと、結婚を申し込まれた状況で出すのとでは違いますでしょう。演技だって変わってくるはず。そういう足場、少なくとも近過去は、個々の役者が組み立てなくちゃいけませんよ。でも、日本の役者はやらないから、お茶を出しながらのインナーボイスが見えない。外国の役者にはそれが見え、ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノには確実にあるし、一番凄いのは、アンソニー・ホプキンス。内面で何をいっているのか分かりますよ。(つづく)


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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第11回

2018年01月25日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第11回

「処女喪失」は五月みどりさんに
書いてくれと頼まれた


オトコには理解しがたい女性特有の悩みや心情にも“タブー”を恐れず斬り込んだ「やすらぎの郷」(テレビ朝日系)。倉本氏が着想を得たのは、ある女優のひと言だった。

碓井 菊村栄(石坂浩二)が三井路子(五月みどり)から、女性の3つのターニングポイント(処女喪失、男に金で買われる、男を金で買う)を盛り込んだ芝居の台本を依頼される、というエピソードが話題になりました。

倉本 あれなんか、五月(みどり)さんに本当に書いてくれと頼まれた話ですからね。いつぞや聞いて、仰天して。その数日後、たまたまある料理屋のカウンターで飲んでいたら、山田五十鈴さんと一緒になっちゃって、五十鈴さんとは特別親しい間柄ではなかったんですが、この話をしたら、大飲んべえの五十鈴さんのグラスを持つ手が止まっちゃって、「五月さんて、凄い方ねえ」と言った。あれだけ男遍歴の多かった五十鈴さんが驚かれたのは、ものすごく心にしみましたね。

碓井 あれが実話だったとは……。

倉本 実話じゃないとあんなこと、僕、思いつかないですよ。

碓井 これは一度うかがってみたかったんですが、先生は女性が主人公の作品は、あまり積極的にお書きにならないような気がして。

倉本 書きづらいというか、女性の心理が分からない。女っていうのは、まず、みんな、年上に見えちゃうんですよ。いまだに15、16歳ぐらいの女の子を見たら、もう年上だって感じ。なんだか見透かされている気がして。自分の思考が12歳ぐらいで停止しているんですかね。若いときからダメですね。だから、恋をするのにも苦労します。

碓井 恋の話といえば、菊村が「シナリオを書く際には疑似恋愛までする」と言っていましたが、これって先生の実体験ですか。

倉本 そうですね。やっぱり、ある種、しないとダメですよ。ライターは常に疑似恋愛しています。疑似恋愛してラブレターを書くような気持ちなわけですが、男の登場人物でもある種、そうなんですよ。ただし、男に対しては、相手役の女の子の身になる。そう考えると、無数のラブレターを書いています。相手の女優さんから自宅に電話がかかってこようものなら、女房がいると、内心、ドキッとしたりしますよ。なにがあるわけでもないのに。

碓井 脚本が完成したら失恋した気持ちに?

倉本 書き終わると、疑似恋愛も終わる。ときには振られたって感じで失恋に終わることも。得恋にはならないですよね。なかなか。(つづく)

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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第10回 

2018年01月24日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第10回

「知的財産奪取は
訴訟を起こしてもおかしくない犯罪だ」


昭和40年代以前のドラマの映像が残っていない

碓井 「やすらぎの郷」の中で、よくぞ言ってくださったと思ったことのひとつは、「かつてのドラマの映像が残っていない」という事実でした。倉本先生にしては珍しく、「昭和48、49年より以前の映像は全部ないんです!」とセリフにビックリマークが付いている(笑い)。相当な怒りがあったってことですね。

倉本 それはもう僕らの知的財産を奪ったわけですから。僕は一昨年の16年、終活っていうのをやったんですね。不動産やら遺産やらわずかながらあるわけですが、その中でも最も大きな割合を占めているものは、知的財産権といっても過言ではありません。作品を創作した著者に帰属する著作権をはじめ、作品の再放送、付随する出版物に対する印税など、創作者の矜持として認められるべきものが、驚くことに、昭和48年以前の作品は映像が一切消えてしまっているわけです。

碓井 TBS出身の実相寺昭雄監督も生前、「放送局側に管理保存の意識がなく、その手間や費用を惜しんだんだよ」と憤慨していました。著作権者に断りもなく、作品を処分していたんですから乱暴な話です。

倉本 これはもう誰か訴訟を起こしてもおかしくない犯罪だと思っています。誰も起こしませんけどね。

碓井 もちろん視聴者も見ることができないわけで、大損害です。また、それと同じくらい先生の憤りを感じたのが、シナリオについての指摘。第63回で、「今のホン屋(脚本家)は人を書くことより筋を書くことが大事だと勘違いしている。視聴者は筋より人間を描くことを求めているんだけどな」と、菊村(石坂浩二)に言わせています。これは実感ですか。

倉本 実感ですね。筋と呼ばれる、いわば、おおまかな展開から描いてしまうと、人のことを考えていないから、化学反応が期待できない。

碓井 登場人物たちによる化学反応ですか。

倉本 AとBが出会った瞬間からしか考えないで、とりあえず、都合よく出会わせてしまえっていうね。役者でたとえるなら……最近の役者の名前知らねえからな。ええっと、昔の役者でいえば、ショーケン(萩原健一)と桃井かおりが出会うのと、草刈正雄と大原麗子が出会うのでは、役者同士だけ見ても違うと思うんですね。そこにおのおののキャラクターを考え、ぶつけ合った時にどんな出会いになるのか、化学反応が起きるのか。そこを考えるのがドラマ作りの中で一番面白い。まさにドラマ作りの醍醐味でもあるって僕は思っているんですけれど。そういう脚本家、今はどれだけいるんでしょうか。(つづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。



日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」 
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/3212





ドラマへの遺言 (新潮新書)
倉本聰、碓井広義
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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第9回

2018年01月23日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第9回

役者の仕事はインナーボイスを
どれだけさらけ出せるか

〈倉本脚本は一言一句変えてはならない〉という業界伝説は今も根強く残っている。だが、正しくは「俺が書いたホン(脚本)以上にしてくれるなら変えてくれ」だと倉本氏。それは脚本家としての矜持であり、役者や演出家への熱い挑発でもある。

倉本 シナリオライターにも2つの仕事があると話しましたが、テレビの演出家の仕事にも2つある。ひとつは役者に演技をつけて動かす、〈演技演出〉と呼ばれるものです。もうひとつが〈中継演出〉という仕事。

碓井 演技演出は芝居に関することで、中継演出というのは役者が演じている「場」を映像化するということでしょうか。テレビ草創期はドラマも全部生放送でしたから、まさにスタジオからの中継だったわけです。

倉本 演劇の知識もあまりない助監督たちが監督のカット割りにならって、役者の演技を合わせちゃう。これは嘘ですよね。

碓井 どういうことですか。

倉本 たとえば、この打席でイチローがメジャー通算3000本安打を打つからアップを撮ったり、カット割りを多用したり、揚げ句の果てにヒットの飛んでくる箇所にカメラを構えていて、球が飛んできた途端に音楽をかぶせたとするでしょう。すると、その途端に野球中継ってのは面白くなくなってしまいます。何が起こるか予測不能だから面白いわけですから。芝居も同じで、あくまで演技演出が先にあって、その次に事態が起こって、それを中継演出するのが本来のあるべき演出の仕事だと思うんですね。

碓井 ドラマの生命線は演技であり、芝居であると。それをどんな映像で、つまりどんなカット割りで見せるかということ以前に、しっかりと芝居を演出することが重要なんですね。ところが、演技をつけることに関して、演出家自身が素人だったりすることが多い。

倉本 僕も富良野塾というのをやって、26年間、役者を指導してきましたが、苦労の連続でした。スタニスラフスキー(ロシア・ソ連の俳優、演出家)から米国のメソッドをベースに教えたつもりなんですけれど。

碓井 スタニスラフスキーというのは、ロシア革命やレーニンの時代に、役者が役柄の内面や感情を追体験することを提唱した人ですよね。教育法が「スタニスラフスキー・システム」と呼ばれた。

倉本 例を挙げれば、役者がものをしゃべらないでいるときに何を考えているか、頭の中をどう見せるか。役者はインナーボイスをどれだけさらけ出して見せてくれるかっていうのが仕事なんですね。それができてこそ演技の幅が出てくる。それを演出してくれないんですよね、演出家も。正直いうと、それが90年代に入ってからの「もうドラマはいいかな」っていうのにつながってきて。舞台をやると直接自分が演出できるから、舞台に専念しようっていうふうに思いましたね。当時、それがテレビ離れの一番の理由ですね。(あすにつづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。





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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第8回

2018年01月19日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第8回

役者と真剣勝負
「俺が正しいのか、おまえが正しいのか」

碓井 倉本先生はドラマの撮影が始まる前、役者たちが集まって行われるホン読み(台本の読み合わせ)にも立ち会う、“唯一無二の脚本家”として知られています。

倉本 ハハハ。「前略おふくろ様」(日本テレビ系、75年)では細かく立ち会っていましたから、直接役者に説明できてたんですね。それでも大河「勝海舟」(NHK、74年)以降は、演出家や監督に口出しをするとうまくいかないっていう気配があって。いまでは大御所みたいに見られて、皆、僕には逆らわないんですよね。逆らわないから分かったのかなと思うと全く理解していない。伝わっていないんです。

碓井 その点、「やすらぎの郷」には倉本作品への出演歴のある俳優さんがたくさん出ていらしたから、かなり安心だったんじゃないですか。

倉本 僕のことを分かっている人たちは的確に演じてくれますからね。

碓井 「勝海舟」の話が出ましたが、先生がホン読みに出席しなくなったのはいつ頃からですか。僕がスタッフとして参加した、笠智衆さん主演の「波の盆」(日本テレビ系、83年)では来てくださいましたよね。

倉本 「波の盆」の時は制作サイドから「立ち会ってください」と言われたので、気持ちよく出られましたよね。でも、普通は「立ち会ってもいいですよ」なんて受け身に言われちゃう。出づらいですよね。

碓井 そもそもホン読みに立ち会うのはなぜですか。

倉本 シナリオっていうのは「寝てる」ものなんですよね。それを役者が「立ち上げ」てくれる。その立ち方が違うっていうのはストーリーを作った者だからこそ的確に指摘できる。それが、トンでもない立ち方をされても、現場にいないから分からないわけですね。それで僕はある時、若い俳優さんに「一言一句変えないでくれ」ってつい言っちゃったんですね。それが過大に広がっちゃって定説になってしまった。

碓井 業界内では、役者も演出家も「倉本脚本は一言一句変えてはならない」という不文律みたいになっています。

倉本 ええ。語尾を勝手に変えられてしまうと人格が変わってしまうんですよ。たとえば、高倉健さんに関するインタビューを僕が受けた際、「健さんはすてきな人ですよ。シャイなんだけれども、なんとかなんじゃないでしょうか」っていう答え方をしたとするでしょう。すると新聞記者が「高倉健はすてきな人だ。シャイだがなんとかだ」と断定的な言い切りで記事にしてしまうと、読者にはあたかも僕が上から目線で傲慢な言い方をしたように見えるわけです。会話ってのはそういうもの。シナリオは必要最低限の情報を伝える新聞記事とは違います。何の脈絡もなく語尾を変えるのはいい加減にして欲しいとその若い役者さんに言ったつもりだったんですが。

碓井 彼は「何だよ、たかが語尾なのに」と思ったんでしょうね。

倉本 誤解していただきたくないのは、若いからダメ、ではない。ニノ(05年「優しい時間」に出演した二宮和也)なんかには自由に変えてくれって言ってますしね。ただし、俺のホン以上に変えてくれとは付け加えます。俺が正しいのか、おまえが正しいのか、勝負しているわけですから。(あすにつづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。





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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第7回

2018年01月18日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」



倉本聰 ドラマへの遺言 
第7回

素人には藤沢周平の短編集を
脚色する課題を与えるべきだ

碓井 日本では「シナリオライター」と「脚本家」に2つの異なる役割があることは広く知られていません。制作サイドもどこまで線引きできているのか。

倉本 米国ではいまだにきちんと分業してます。ハリウッドのアカデミー賞の授賞式を見るとお分かりになると思うのですが、脚色賞が初めの方で呼ばれるのに対し、脚本賞は後半で発表される。

碓井 原作がある場合は「脚色賞」で、丸ごとオリジナルの場合が「脚本賞」。

倉本 「撮影台本」を書くっていう仕事は「ストーリー」を書く仕事とは別。ですので、ヤングシナリオ大賞を受賞したからといって、いきなり素人にオリジナル脚本を書かせるのはどだい無理な話。物語自体を書く仕事があって、その上で撮影台本を書く。それをゴッタにしているところに大きな課題を感じます。

碓井 オリジナルを書く実力を身につけるには修業が必要ですね。

倉本 ええ。もし新たにシナリオ賞をつくるのであれば、たとえば、藤沢周平の短編集を脚色しろっていう課題を与えたほうがいいですね。

碓井 最近も「北の国から」の杉田成道さんが、藤沢さんの「橋ものがたり」を映像化しましたね。藤沢作品は物語の骨格がしっかりしています。しかも、事細かな心理ではなく登場人物たちの行動が描かれていきます。その行間を読むように想像力を働かせるのは、とてもいい脚色の訓練になると思います。

倉本 そうでもしないと、本当のシナリオライターは育たない。それをいまのテレビ業界は全く分かっていないんです。

碓井 いわゆる倉本ドラマはベースとなるストーリーを作ったのも、それを撮影台本に変えたのも先生です。でも、その先には演出家や役者さんがいるわけですよね。最終的に視聴者が見るものと、もともとの脚本との間に落差が生まれたりしませんか。

倉本 その落差も予想しながら、織り込みながら書いているってことはありますね。

碓井 たとえば「やすらぎの郷」の中で、ちょっと気になった場面があったんです。藤竜也さんが演じる高井秀次(高倉健を思わせる、任侠映画などで活躍した寡黙な俳優)がやすらぎの郷に入居することになって、女性陣は喜ぶわけです。とはいえ10代、20代の女の子じゃないから、感情をむき出しにしてキャーキャー喜んだりはしないはず。それなりに見えもあるから、「あ、そうですか」って感情を抑える。本来なら内心の喜びがにじみ出ちゃうのがおかしいっていう表現にならなきゃいけないと思うんですが、オンエアを見たら、皆さん、ハシャギ回っていました(笑い)。

倉本 うーん、そう見えましたか。僕は、チャプリンの「人生はクローズアップで見れば悲劇。ロングショットで見れば喜劇」という言葉が喜劇の本質だと思っているんですよね。でも、碓井さんが違和感を持ったとすれば、それは女優たちのせいじゃない。大人のドラマとしてのニュアンスが十分に伝達できていなかったという意味で、僕のスクリプト(台本)が弱かったのかもしれないなあ。(あすにつづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。

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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第6回

2018年01月17日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第6回

「これはもうテレビドラマは
やめた方がいいのかなと…」


14年7月期に放送された日曜劇場「おやじの背中」シリーズ(TBS系、全10回)は「父と子」をテーマに掲げた1話完結のオムニバスドラマ。10人の脚本家によるオリジナル脚本の競作で、単発のホームドラマが基本だった同枠の原点回帰ともいえる企画で話題を呼んだ。倉本氏は第3話「なごり雪」(西田敏行主演)で旧知の演出家・石橋冠とタッグを組んだが、世間の反響をよそに俳優と演出の関係にギャップを感じたという。

碓井 石橋冠さんと倉本先生が組んだドラマといえば、私も大好きな一本で、浅丘ルリ子さん(写真右)と石坂浩二さん(同左)が共演した「2丁目3番地」(日本テレビ系、71年)がありますよね。そして「北の国から」の3年後、天宮良さん初主演ドラマ「昨日、悲別で」(同、84年)の演出も石橋さんでした。「おやじの背中」は同世代で戦友ともいえる石橋さんとの仕事だったわけですが。

倉本 出来上がったVTRを見るとイライラしちゃうんですよ。書いた本人が。めちゃくちゃイライラするんで、これはもうテレビドラマはやめた方がいいのかなと。実は「やすらぎの郷」でもそうだった。しかも長丁場だったので、「おやじの背中」以上に相当激しくイライラが出た。これは振り返れば、僕の台本がダメなんだなっていう気がしているんです。

碓井 台本がダメって、どういうことですか。

倉本 そもそもシナリオライターというのは、2つの役割がありましてね。一つはプロットを作る仕事。そして、もう一つは撮影台本を作る仕事です。

碓井 ドラマや映画でいうプロットは物語の筋、つまりストーリーですよね。大きく分ければ原作ありのものと、原作なしのオリジナルと2種類あります。どちらの場合も、そのプロットを基に書かれた撮影台本をベースにしてドラマが作られていく。

倉本 ですが、日本では原作ありも原作なしも「シナリオライター」とひとくくりで呼ばれている。実はそれこそがテレビドラマの弊害の一つになっている。僕らは映画からこの世界に入りましたが、当時の映画会社では若造がいきなりオリジナルシナリオを書くなんてあり得なかったんですよ。

碓井 ある程度キャリアを積まないと、オリジナル脚本は書かせてもらえなかったと。

倉本 十数年は経験を積まないと駄目ですね。僕自身もシナリオライターになった時、作家といわれるのはまだ無理だ、まずはシナリオ技術者になろうと思ったものです。とにかく右から注文が来ても左から注文が来ても受ける。そして意向に沿って膨らませ、形にする。当時の映画会社にはプロットライターというものがいまして、企画部が筋までは完璧に作ったものを脚本家に渡す。だから、僕らの仕事は撮影台本を書くことに徹した。分業の訓練を受けてきたので、いまとは全く違うわけですね。(あすにつづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。





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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第5回

2018年01月16日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」



倉本聰 ドラマへの遺言 
第5回

「これが最後だと…」
2008年の会見で現役引退宣言の真意


2008年9月、テレビドラマ界に大きな激震が走った。倉本氏がフジテレビ開局50周年記念ドラマ「風のガーデン」(中井貴一主演)の富良野ロケを視察した際の会見で、「脚本を書いているうちにこれが最後だと思った」と引退ともとれる発言をしたからだ。

碓井 先生は実際、どうおっしゃってたんですか。この時の心境も知りたいです。

倉本 詳しいことはちょっと覚えていないんですが、ただ、体力的な面は大きいでしょうね。その当時でまだ70代だったのかな。長期間にわたる作品ってキツイでしょう? 体力的に無理だなっていうのはありましたね。自信がないっていう。

碓井 「風のガーデン」は「北の国から」(1981~2002年)、「優しい時間」(05年)に続くフジテレビ系で放送された富良野3部作の最終章となる物語です。初回平均視聴率20・1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録しましたが、数字以上に「人生の最期」を扱ったドラマの内容自体への反響が大きかった。また難しいテーマだけに、もしかしたら倉本先生と当時の制作陣との間にドラマ作りを巡って何かズレがあったのかな、と。

倉本 それはないですよ。「風のガーデン」の演出は宮本理江子だったし。山田太一の娘さんのね。振り返れば、主人公の父親役を演じた緒形拳(享年71)が亡くなったでしょう。

碓井 ドラマが始まったのが08年の10月9日。緒形さんが亡くなったのは初回放送4日前の5日。亡くなる5日前には制作会見(写真)にも出席していらっしゃいました。

倉本 ええ。それからしばらくして、4年後の12年には大滝秀治さん(享年87)も亡くなった。自分が一緒に仕事してきた同世代や先輩がどんどん欠けていっちゃった。

碓井 倉本ドラマにおいて、脚本の命でもある微妙なニュアンスを表現できる役者さんや作り手の存在は不可欠ですからね。

倉本 正直、理江子までは良かったんだけど。実はテレビドラマは「やすらぎの郷」(17年、テレビ朝日系)の前に1本やっているんですよ。

碓井 TBS系の「おやじの背中」(14年)ですね。倉本先生はじめ10人の脚本家による1話完結のオムニバス形式。先生は旧知の演出家・石橋冠さんと組んだ第3話で「なごり雪」を書かれた。一代で会社を築き上げた男(西田敏行)が、創立40周年パーティーのために準備してきたプランを周囲に反対される。腹を立てた西田さんがパーティーの中止を宣言して姿を消す、という話でした。

倉本 そのときに、冠ちゃんがどうのこうのっていうんじゃなくて、いまの俳優さんたちと演出家たちとの間のギャップっていうのは感じましたね。 (あすにつづく)

(聞き手・碓井広義)

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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第4回

2018年01月13日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」

倉本聰 ドラマへの遺言 
第4回

喫煙シーンにTV局が抵抗するか
視聴者から文句が上がるか


物語の舞台は海辺の高台にある「やすらぎの郷」という名の老人ホーム。住人たちは、かつて一世を風靡した芸能人や作り手であり、テレビに貢献してきたという共通点を持っている。しかも演じるのは倉本の呼びかけに応じた浅丘ルリ子(77)、加賀まりこ(74)、八千草薫(87)といった本物の大女優たち。ノスタルジーに満ちた“虚実皮膜”の人間模様が第一の見どころだった。

碓井 「やすらぎの郷」には、倉本先生がこれは言っておかないといけないぞ、と思っていることが物語の中に織り込まれていました。介護問題からテレビ局の視聴率至上主義、さらに禁煙ファシズムともいうべき風潮にまで及んでおり、それらがスリリングにして痛快でしたね。僕も含め、視聴者の気持ちはつかんだと思います。

倉本 そうですね。変な言い方をすると、この年になると怖いものがあまりなくなるし、やらないならやらなくてもいいよっていう開き直りがありますから。

碓井 なかでもびっくりしたのは「テレビをダメにしたのはそもそもテレビ局じゃないか」と、“本丸”に攻め込むようなことを第1回で主人公に言わせたこと。主人公は倉本先生自身を思わせるベテラン脚本家の菊村栄(石坂浩二=76)であり、一種の先生の宣言だと感じました。

倉本 やっぱりね、常に怒りのパッションを持っていないと、僕の場合は書けないんですよ。このドラマで僕の過去の系譜からいうと、一番近いのは、第6話。カリカチュアライズ(欠点や弱点などを面白おかしく誇張し、風刺的に描くこと)をせずにリアルにやろうと思いました。世の中や若者に対する怒りのエネルギー。ハッピー(松岡茉優=22)のレイプ事件も描きましたが、書く材料には事欠かなかった。

碓井 第6話では、菊村がやすらぎの郷の理事長で医師の名倉(名高達男=66)から肺のレントゲン写真を見せられて、「長生きする気はないんでしょ?」と聞かれます。菊村が「はい」と明るく答えると、名倉は「たばこは無理にやめるとストレスになる。副流煙を気にする人とは付き合わなければいいんです」と。菊村が「あなたは名医だ」とうれしそうに笑っていました。いまや喫煙自体が犯罪扱いですからね(笑い)。

倉本 テレビ局が喫煙シーンについて抵抗してくるか、視聴者からは文句が上がってくるのかなんて思ってたんですが、プロデューサーが僕に気を使ってくれたのか、抗議の報告は一切ありませんでした。ネットの書き込みなんかを見ていると随分あったと思うんですけど、自由にやらせてくれたことはありがたかったですね。(来遊につづく)

(聞き手・碓井広義)

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「倉本聰 ドラマへの遺言」 第3回

2018年01月12日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第3回

なぜ昼ドラに 朝ドラ断念の理由は
全国ネットの弊害だった


テレビドラマは録画視聴が当たり前の時代ながら、「リアルタイム視聴」にこだわる業界の慣習。どこを改善すべきか。

碓井 テレビって、視聴率という神が支配する、いわば一神教の世界なんですよね。良質な番組だろうが、コアなファンがいようが、視聴率が低ければ評価されない。逆に視聴率さえ取っていれば、中身は問わない。制作者も出世できます。かつて日本テレビのプロデューサーが視聴率調査のサンプル家庭をつきとめ、買収しようとしたことが発覚し、大騒動になりました。

倉本 僕は録画という機能が発明され、家庭用に録画機っていうのが入った時にね、今までの面積のみの視聴率から深さのディメンションが加わり、容積の視聴率が出てくると期待していたんです。しかも、録画してまで見たいドラマとなれば、プラス1ではなく、掛ける1・5とかね。ましてやそれを永久録画したいと思う作品であれば、掛ける5になるんじゃないかと期待したんですが、それが変わらなかったんですね。

碓井 テレビ局も広告会社もずっと、リアルタイムの視聴率で商売してきましたからね。

倉本 番組視聴率ではなく、ゴマすり視聴率だってことが判明して。本来ならば、本当に番組のことを真剣に考えるのならば、第三者機関が視聴率調査をやらなければ、ダメになりますよね。コマーシャルを入れてるものを材料にしてテレビ視聴率を出して、そして何十億もの金が動いているわけでしょう? 異常だと思いますね。そんなこともあって、民放のゴールデンタイムがガチャガチャになっちゃった。それが、NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)では20%を取ってるわけですよ。それだけ朝に視聴者層がいるわけでしょう?

碓井 朝ドラも今年で56年目。時計代わりも含め、生活習慣の一部と化している人が多い。1968年から約20年間ほど、TBSが「ポーラテレビ小説」で朝ドラに対抗していましたが、それ以降はずっとNHKのひとり勝ち状態です。

倉本 ええ。なぜ民放がそこに斬り込まないのかが不思議だった。そんな話を、加賀まりこや八千草薫さんたちに話していたら、「やりましょうよ」っていう話になった。出演料はタダでもいいから出たいよなんていう話になってきて、「やすらぎの郷」の元となる企画を作ったんですね。そうしたらやっぱり、テレビ朝日は受けてくれたんだけれど、朝で企画したのはダメだった。ゴールデンに対してシルバーにしたんだけれど、朝の時間枠っていうのは、キー局が持っていないんですよ。地方局がバラバラに持っている。だから、全国ネットにならないんです。だから、昼の枠に置いたんです。

碓井 朝は各地方局が生放送の情報番組を流していますよね。

倉本 皆結局、「やすらぎの郷」は録画して見ていた。夕方になると番組に関するネットの書き込みが増えるんです。オンタイムの視聴率は6、7%。それでもいいっていうんだけれども、録画視聴率が加わったらまた違ったでしょうね。「やすらぎの郷」を通じて感じたのは、テレビの数字のマジックみたいなものは調査が上手く出来ているのか出来ていないのか。改めて疑問を持ちましたね。(あすにつづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。





ドラマへの遺言 (新潮新書)
倉本聰、碓井広義
新潮社




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トークイベント

碓井広義「倉本聰のドラマ世界」を語る。

2019年4月13日 土曜日
18時開演(17時半開場)
表参道「本の場所」


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