碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

言葉の備忘録132 いつだって・・・

2020年02月29日 | 言葉の備忘録

「スヌーピーミュージアム」オープン記念 TOMICAスヌーピー

 

 

いつだって

問題の解決法ってのは

あるもんさ

 

チャールズ M. シュルツ「励まされたいときのスヌーピー」


言葉の備忘録131 出過ぎず・・・

2020年02月28日 | 言葉の備忘録

新千歳空港 2020

 

 

出過ぎず、

礼儀正しく、

気持よく。

 

三田 完「あしたのこころだ」


「恋つづ」の一途な萌音 こんな娘がいてもいいじゃないか

2020年02月27日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

TBS系「恋はつづくよどこまでも」

一途でけなげ

こんな娘がいてもいいじゃないか

 

姉妹で女優といえば、広瀬アリス・すずの2人が思い浮かぶ。だが、こちらも負けてはいない。萌音(もね)と萌歌(もか)の上白石姉妹である。

姉の萌音の知名度を一気に押し上げたのはアニメ映画「君の名は。」だ。2次元のヒロイン、宮水三葉に命を吹き込む名演だった。

ドラマでは昨年の「怪談牡丹燈籠」(NHK・BSプレミアム)で演じた、お露が絶品と言うしかない。亡霊でありながら、好きな男につきまとう女の執念が悲しく美しく、また怖かった。

そして今期の主演作が「恋はつづくよどこまでも」だ。女子高生だった七瀬(萌音)は偶然出会った医師、天堂(佐藤健)に一目ぼれ。彼の近くに行こうと決意し、努力してナースになった。現在は新人として、天堂と同じ病院に勤務している。

確かに医療ドラマの一種だが、メインは「七瀬の恋」である。かつて多くの映画やドラマが作られた「愛染かつら」以来、医師と看護師の恋愛物は日本の伝統芸だ。

ただし、こちらはいわゆるラブコメで、気楽に楽しめるのがいい。最初は歯牙にもかけなかった天堂が、いつの間にか七瀬を憎からず思っている。

萌音は、お露にも負けない一途さで天堂を慕う。それでいて自信はないし、泣き虫だ。うっとうしさの一歩手前で、そのけなげさが七瀬を救っている。一途でけなげ。こんな娘がいてもいいじゃないかと、つい応援したくなってくる。

(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2020.02.26)


清原果耶さんの「京王電鉄」CM

2020年02月26日 | 「日経MJ」連載中のCMコラム

 

 

京王電鉄「雨にぬれても」篇
日常のありがたさ思って

映画「明日に向かって撃て!」が、日本で公開されたのは1970年2月のことだ。伝説のギャングを演じたポール・ニューマンとロバート・レッドフォードはもちろん、2人に愛されたキャサリン・ロスの笑顔も忘れられない。

50年後、雨が降る夕暮れ。駅前の路上で一人の少女(清原果耶)がギターを抱えて歌っている。しかも、あの映画の挿入歌、B・J・トーマスの「雨にぬれても」ではないか。世代と選曲のギャップが意外で、懐かしいバカラックのサウンドに、つい足を止めてしまいそうだ。

「頭に雨つぶが落ちてくる。そんな憂鬱にも私は負けたりしない」という歌をバックに映し出されるのは、線路を守る人、車両を点検する人など、列車の安全運行を陰で支える人たちの姿だ。ふと日常が日常であることの有難さを思う。

少女の歌は続いている。雨も相変らず降り続いている。でも彼女が言うように、止まない雨はない。

日経MJ「CM裏表」2020.02.09

 


【気まぐれ写真館】 2月も、千歳「柳ばし」で・・・

2020年02月25日 | 気まぐれ写真館

お母さん特製の「スープカレー」絶品なり!

(メニューにはありません、悪しからず)


名ミステリー「テセウスの船」 脚本の妙と好演

2020年02月24日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

週刊テレビ評

「テセウスの船」 

脚本の妙と好演、名ミステリー

ミステリードラマにはさまざまなタイプがある。例えば「刑事コロンボ」のように、初めから犯人を明かしていく倒叙(とうじょ)ミステリーも面白い。しかし、一般的には犯人という「謎」を最後まで引っ張ろうとするものが多く、そこが作り手の腕の見せどころだったりする。

一方、ミステリードラマは見る側に対してフェアであることも求められる。ストーリーの中に手掛かりを潜ませる「伏線」を張っていくのはそのためだ。

とはいえ、簡単に犯人を教えたりはしない。時には無実の人を「怪しい」と思わせる、いわゆる「ミスリード」の仕掛けも用意する。優れたミステリードラマはフェアでありながら、見る側に推理と混乱の楽しみを与えてくれるのだ。

TBS系の日曜劇場「テセウスの船」(日曜午後9時)には、名探偵も敏腕刑事も登場しない。主人公は「殺人犯の息子」として生きてきた田村心(竹内涼真)だ。警察官だった父親、佐野文吾(鈴木亮平)が毒物による無差別大量殺人を行ったという31年前にタイムスリップしてしまう。場所は事件が起きた北海道の寒村である。

心にとって最大の関心事は「文吾は本当に殺人犯なのか」だったが、どうやら別に真犯人がいるようだ。しかし、それが誰なのかはつかめていない。怪しい人物が出てきては消えてしまい、心も見る側も暗中模索の状態だ。しかも心が突然現代に戻ったことで、ますます分からなくなってきた。

このあたり、演出はもちろんだが、脚本の高橋麻紀が大健闘だ。原作の漫画を前提としながら、新たな材料を付け加えて増加・拡大させ、さらに物語を加工して改造を試みている。原作通りの結末かどうかも不明だ。

俳優陣の好演も目を引く。特に竹内は「下町ロケット」シリーズ、「陸王」、そして「ブラックペアン」と日曜劇場で存在感を高めてきた。今回、理不尽な「運命」に押しつぶされそうになりながらも、自分と家族の人生を必死に取り戻そうとする姿が共感を呼ぶ。

また父親役の鈴木の迫力が凄(すさ)まじい。子煩悩で職務熱心な善人なのか、それとも狂気を秘めた悪人なのか。前半では、瞬時に変わる鈴木の表情から目が離せなかった。

そして、改めてその演技力に感心するのが上野樹里だ。タイムスリップ前は心の妻だったが、彼が過去から現在に戻ってみると全くの他人になっていた。それでいて心に親しみを感じる難しい役柄だ。上野は繊細な目の動きやセリフの間の取り方で巧みに表現している。脚本、演出、俳優の総合力で、後半の謎解きと真相にも期待が高まってきた。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2020.02.22)


2月のuhb北海道文化放送「みんテレ」

2020年02月24日 | テレビ・ラジオ・メディア

 

 

 

 

 

 


【気まぐれ写真館】 2月の札幌

2020年02月23日 | 気まぐれ写真館


【書評した本】 立花 隆『知の旅は終わらない』

2020年02月22日 | 書評した本たち

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

知の巨人が築き上げた巨大な文化の体系

立花 隆『知の旅は終わらない』

文春新書 1045円

今年の5月に80歳となる立花隆。その新著『知の旅は終わらない』は語り下ろしの自叙伝だ。副題の「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」が示すように、立花隆はいかにして立花隆になったのかが明かされる。

本書の読み所は、優れたノンフィクション作品が生まれた背景と内幕だ。たとえば74年の「田中角栄研究―その金脈と人脈」では、現在の1000万円に相当する費用が投じられる。力のある書き手で取材班を編成し、入手可能な活字資料は全部集めた。

記事は大反響を呼んだが、国内の活字メディアは「前から知っていた」と冷ややかで、取材に来たのは毎日新聞と週刊新潮だけだったという。

76年に連載開始の「日本共産党の研究」は当然のように共産党から猛反発を受ける。リンチ共産党事件や戦前のコミンテルンとの関係など、党として触れられたくない部分が多かったからだ。しかも取材班の中に共産党が送り込んだスパイがいたという事実に驚く。

その後、旺盛な取材・執筆活動は科学分野へと幅を広げていった。『宇宙からの帰還』『サル学の現在』『脳死』などだ。いずれもそれまで誰も手掛けなかったジャンルであり、おかげで読者は「巨大な文化の体系」としての最先端科学に触れることが出来た。

現在、著者は複数の病気を抱えながら執筆を続けている。まさに「終わりなき知の旅」であり、その姿勢もまた、後に続く無数の旅人たちを強く励ます。

(週刊新潮 2020.02.20号)


言葉の備忘録130 できるだけ・・・

2020年02月21日 | 言葉の備忘録

新宿 2020

 

 

できるだけ

ごまかしに引っかからないように、

できるだけ

プロの強面の連中を

恐れないようにしてきただけさ。

 

 

レイモンド・チャンドラー「水底の女」


サンドウィッチマンが 自然体で“厳しいリアル”を聴く NHK「病院ラジオ」

2020年02月20日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

サンドウィッチマンが

自然体で“厳しいリアル”を聴く

NHK「病院ラジオ」での功績



サンドウィッチマンの2人がラジオ局を開設する。場所は病院で、2日間限定の生放送だ。ゲストは患者や家族など。院内各所に小さなラジオが置かれ、誰でも聴くことができる。

先週の舞台は、三浦半島にある久里浜医療センターだった。60年前、日本で初めてアルコール依存症の専門病棟を設立。現在はギャンブル、ネット、ゲームといった依存症の治療も行っている。

芝生の庭を見渡せる簡易スタジオに、ゲストがやってくる。入院中の30代男性は、他人に「アル中」「負け組」と思われるのが怖い。ずっと会わせてもらえない娘に会うためにも頑張ると話す。

また5回もの入院経験がある50代男性は、飲酒のトラブルで離婚。その難しさを痛感しながら、「1日断酒」をモットーに過ごしているそうだ。

さらに夫が入退院を繰り返しているという妻は、「麻薬と一緒で、家族を巻き込む病気ですね」と笑顔で語った。夫はひとりでラジオを聴いている。「孫の成長を一緒に見たい」という妻の言葉に何を思っただろう。

この番組、テーマは病気だが暗くはない。それはサンドの功績だ。単なる好奇心でも同情でもなく、自然体で「厳しいリアル」を聴く2人。患者たちも、語ることで「今の自分」を確かめていく。

ラジオならではのパーソナルな関係性をテレビに取り入れた、ドキュメンタリーの秀作だ。

(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!」2020.02.19)


週刊新潮で、テレ朝「宝くじ」企画についてコメント

2020年02月19日 | メディアでのコメント・論評

 

 

この「やらせ」は笑えない!

「サンドウィッチマン」も知らない

「テレ朝」人気番組の「宝くじ裏台本」

テレビには演出が不可欠である。ましてバラエティ番組ともなれば、

視聴率に一喜一憂する制作者が腐心するのもむべなるかな。それゆえ演出に名を借りた「やらせ」が横行するわけだが、さすがにこれはいただけない。何しろ「金券」が仕込まれていたのだから―。

コンプライアンスの名の下、少しでもルールから逸脱すれば忽(たちま)ち糾弾され、社会的制裁を余儀なくされるのが昨今の風潮。むろんテレビとて例外ではないのだが、評論家の唐沢俊一氏は、

「テレビとはあくまでもお芝居。我々が観劇で作り話を楽しむのと同じで、チャンネルをひねればウソが行なわれているのです。例えばクイズ番組は毎回、最後の一問で勝負が決まる展開が多い。どう考えてもおかしいのですが、我々はその不自然さを”お約束”として楽しむべきなのです」

世に蔓延(はびこ)る「過剰演出すなわち悪」といった図式は、やや窮屈な感が無きにしもあらず。それでも、以下のケースは話が別であろう。

今回の舞台は『10万円でできるかな』(テレビ朝日系)。レギュラー出演者のKis-My-Ft2(以下キスマイ)やゲストらが、資金10万円を元手に試行錯誤するバラエティである。

「2017年に深夜枠で始まり、昨年4月からゴールデン帯に昇格、月曜日に概ね隔週で放映されています。出演者が10万円で福袋の中身の良さを競ったり、土地を借りてみたりと様々なチャレンジをする中で、特に人気なのが『宝くじ』を買う企画です。ナンバーズ、スクラッチなどを購入し、どれだけ当たるかを検証する。それを受けてスタジオでレギュラーのサンドウィッチマンが盛り上げるという趣向です」(スポーツ紙記者)

が、その人気企画で、こともあろうに「10万円」の数倍の資金が費やされ、挙げ句に番組の顛末まで操作されていたというのだ―。

例えば昨年7月15日には「スクラッチ宝くじ削り旅」と題した内容が放映されている。当時、実際に「やらせ」に加担したアシスタントディレクター(AD)が明かす。

「レギュラーチームのキスマイメンバーと、東山紀之さんらのゲストチームに分かれ、それぞれ5万円ずつくじを買って当選金額を比べる内容でした」

番組では出演者がくじを買い、削る場面も放映された。一方その裏では、

「私達スタッフはチーフディレクターの指示で、当たりくじを仕込むため事前にスクラッチを買い込み、削る作業にあたっていました。1枚200円ですから1万円で50枚買え、当たりが出なければ万単位で買い足すよう言われました。で、マスを削り続けるうち当たりがおのずと見えてくる。つまり、全部を削る前にどこにどの柄が出たら当たりになるかという”法則”が見つかるのです」

あとは法則に関わる箇所だけ削り、当たりと分かれば撮影用に”ストック”していったという。ある番組スタッフも、こう振り返る。

「収録当日、出演者に10万円分をすべて削ってもらうわけにはいきません。そこで『手間を省くため途中まで削っておきました』と、当たりが確実な”ストック”と、買ったばかりのくじとを差し替えていたのです」

「やらせ栽培」も浮上

サンドウィッチマンをはじめ出演者には、こうしたからくりは知らされていなかったといい、実際にスタッフ同士のやり取りの記録には、概略、以下のような生々しい会話が残っている。

〈もうちょっと当選券がほしい、とチーフから言われました〉

〈追加であと数万円買えないかな。(当たりの)法則が見つからないんだ〉

〈5等当たりの法則は150枚買って見つけました〉

こうした仕込み作業には本来の資金10万円の数倍の額が注ぎ込まれたというから、番組の実態は「数10万円でできるかな」だったわけだ。

さて、問題の放映回のくじはキスマイチームが『ワンピース』とコラボの「白ひげスクラッチ」を250枚購入。番組では6等200円をはじめ、3等5万円も1枚当選という成果が映し出されている。

もっともこの5万円は、削る前から映されていて「仕込み」ではない。こうした”誤算”もあって当選金は6万8000円。対してゲストチームは「わんにゃんスクラッチ トリプルアタック」を4万円分200枚購入し、当選金の合計は1万7000円という結果であった。

両スクラッチとも還元率は45%。5万円分購入で2万2500円、4万円分だと1万8000円の当選が期待できるわけで、つまりは余計な細工をせず真っ当に購入しても大差なかったわけだ。が、

「確率的にはトントンでも、実際に収録の日に当たりがなかったら番組は成り立ちません。そのための保険という意味でも、事前の仕込みは必要だったのです」(同)

とはいえ「金券」を仕込むなど、いささか度が過ぎるのではないか。

当のテレビ朝日に質すと、

「『スクラッチくじ』企画については、削るマークが9つ前後なので当たりに一定の法則があるのではと番組スタッフが推論し、そのシミュレーションとして10万円以上のくじを購入したこともありましたが、既にスクラッチを削ったくじを番組収録に使用することはできません」(広報部)

と、やらせを否定するのだが、そもそも企画の趣旨は「宝くじ必勝法」ではない。”法則を見つけるシミュレーションのために買った”とは実に苦しく、前出のADは付言して、

「深夜枠の時代に10万円で土地を借り、キノコを栽培する企画がありました。ところが全然育たず、仕方なくチーフの指示でスタッフがスーパーまでシメジを買いに行き、接着剤で地面に張り付けて栽培したかに装った演出がありました」

と明かし、これには局も、

「天候不順で農作物が例年通りに発育していない等したため、通常の収穫期のイメージを放送しようと、他から購入したものを撮影に用いていたことがわかりました」(前出・広報部)

そう認めるのだ。

上智大学の碓井広義教授(メディア文化論)が言う。

「当たりを仕込んでおくという発想自体が安直です。ハズレばかりでぼやきながらスクラッチを削る姿も、演出次第では十分面白くできる。それがテレビマンの腕の見せ所でしょう。キノコを仕込むといった罪のないやらせとは異なり、『金券』である宝くじを使って芸能人が当選する姿を映し出し、視聴者の射幸心をみだりに煽るのは、罪のないやらせとは思えません」

ツチノコやネッシーで止めておけばいいのである。

(週刊新潮 2020.02.20号)

 


脚本家・大石静が 『知らなくていいコト』で示した、 「不倫報道」への違和感!?

2020年02月18日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

番組サイトより

 

 

脚本家・大石静が

『知らなくていいコト』で示した、

「不倫報道」への違和感!?

 

このところ、「文春砲」ならぬ「イースト砲」が、連続で炸裂しています。

「週刊イースト」は、ドラマ『知らなくていいコト』(日本テレビ)のヒロイン、真壁ケイト(吉高由里子)が働いている雑誌ですが、結構スクープを放っているんです。

社会派ネタで、イースト砲!

先日は、「大学入試問題の漏洩」という、この季節にピッタリのネタでした。

きっかけは、ケイトがバスの車内で耳にした、女子高生たちのおしゃべりです。進学塾のカリスマ講師が担当する特別クラスの受講生は、慶英大医学部への合格率が非常に高い。彼は毎年、合否のカギとなる小論文のテーマを予想し、的中させるというのです。ケイトは即、反応します。

結局、この案件は進学塾と大学の問題にとどまらず、新キャンパス開設をめぐる文科省と大学の贈収賄事件にまで発展しました。いわゆる「社会派ネタ」だったわけですが、その取材過程こそが見せ場です。

張り込み、スマホを使っての動画撮影、当事者への直接取材などを、複数のチームが同時進行で行っていきます。現実そのままではないにしろ、「文春砲」を思わせる「イースト砲」、なかなか見事でした。

不倫ネタでも、イースト砲!

そして、今週。これまた実にタイムリーな話題が登場しました。いわゆる「不倫ネタ」です。

不倫は、人生の分かれ道。「禁断の愛」が明るみに出たとき、人はそれまで築き上げてきた立場を失ってしまうことさえあります。一般の人であれば、あくまで個人の問題ですが、有名人の不倫ともなれば、コトはそう単純に済みません。

ターゲットとなったのは、人気プロ棋士の桜庭洋介(田村健太郎)。お相手は女優の吉澤文香(佐津川愛美)。35歳と26歳のカップルです。

そして、「イーストで不倫を暴いて欲しい」と情報提供してきたのは、なんと桜庭の妻(三倉茉奈)でした。言い分としては、「悪いのは相手の女優」であり、「社会的制裁を受ければ、夫は戻ってくる」と。

面白いのは、ケイトの中に、今回の取材に対する「ためらい」のようなものがあったこと。たとえば、2人が密会しているホテルの隣の部屋で、聞き耳を立てているケイトが、同僚の男性記者に尋ねます。

「隣で愛し合ってる2人。壁に耳をくっつけてる、あたしたち。どっちがステキ?」

答えに困る彼に向って、「隣に決まってるじゃん。不倫でも、愛は愛だからね」とケイト。

この「不倫でも、愛は愛だからね」のセリフ、脚本の大石静さんが提示した、不倫に対する見解であり、スタンスであると思っていいかもしれません。

以前の恋人であるカメラマンの尾高(柄本佑)に対して、最近、かなり強い思いを持つケイトです。しかし、彼にはすでに妻子がいます。踏み込み方によっては、不倫に発展してしまう。そんな自分の状況もケイトに影響を与えています。

「桜庭洋介と吉澤文香、2人の恋を暴いて、誰が幸せになるんだろう? 奥さんだって不幸になるのに・・・」というケイトの独白は、おそらく本音でしょう。

有名人の不倫と報道

クライマックスは、高知の浜辺で密会する桜庭と文香に、ケイトたちが直撃取材する場面でした。

2人の関係を問われた桜庭は、「私たちは友人です」と答えますが、文香は「私は桜庭先生を愛しています。友達じゃないです」と衝撃発言。

「奥様には申し訳ないと思います。でも、後から出会ったっていうだけで、わたしの愛が薄汚いように言われるのは違うと思います」

それを聞いた桜庭は、「私も同じ気持ちです」と言い、離婚したいと思うと正直に答えました。

一瞬、ケイトが沈黙します。すると文香は・・

「そんな目で見ないで下さい! 私たちは犯罪者じゃありません! 奥様と先生にもいい時代があったように、これからは先生と私の時代なんです。そういう運命なんです。週刊イーストに、いいとか悪いとか言われることじゃないと思います」

これまで多くの芸能人や有名人が、不倫問題で「文春砲」などの直撃を受けてきましたが、「私たちは犯罪者じゃありません!」という言葉を聞くことは、滅多にありません。「開き直りだ」と非難され、火に油を注ぐことになるからです。

ここは、大石さんの「不倫と報道」、もしくは「不倫と世間」に対する、一種の違和感の表明と読めたりして、実に興味深いシーンでした。

ケイトも、「イーストに直撃されて、あんなふうに反論できる人、初めてよ。吉澤文香、カッコいいよ」と認めます。

いつも「後追い」のテレビ

その後、ケイトが書いた記事「禁断の愛に王手!」が載った、週刊イーストが発売されると、テレビのワイドショーが一斉に「後追い取材」を始めました。

「(吉澤文香は)もう、清純派の役は出来ませんね」

「CM打切りで違約金も」

「主婦は保守的ですから」

などと、自分たちで掴んだネタでもない、単なる「後追い」にもかかわらず、視聴者が飽きるまで、したり顔で報じていきます。テレビの不倫報道の、まんまリアルな光景を入れ込んだのは、大石さんならではの揶揄(やゆ)です。

そんな様子を見て、ケイトは上司の岩谷(佐々木蔵之介)に言います。「もし記事が出なければ、桜庭は人知れず離婚して、吉澤さんと一緒になれたかもしれませんよ」

すると、岩谷曰く「あの奥さんは離婚しないよ。それに、先のことは俺たちの知ったことじゃない」

責任者に「先のことは知ったことじゃない」とストレートに言わせたのは、取材する側、伝える側に対する、大石さん一流の批評精神でしょう。

もちろん今回は、あくまでも「単なる情事ではなく、真剣な恋である」という前提で成立している話であり、「東出昌大&唐田えりか」や「鈴木杏樹&喜多村緑郎」などのケースが、どんなものだったのかは不明です。

それに、大石さんが彼らの不倫騒動を見て、脚本を書いたわけじゃないことは、タイミング的にも明らかです。しかし時として、こんなふうにフィクションが現実を引き寄せ、物語化してしまうのもまた、力のある「オリジナル脚本」によるドラマの魅力だと思います。

今後、イースト砲が狙うのは? ケイトと尾高の関係はどうなるのか? 殺人犯として服役していた、ケイトの父親(小林薫)の謎も残しつつ、ドラマは中盤から終盤へと向います。


中日新聞で、「北の国から」について解説

2020年02月17日 | メディアでのコメント・論評

 

 

「北の国から」色あせぬ魅力 

来年、ドラマ放送開始から40年

 

「純と蛍」。役名で俳優の顔が思い浮かび、ドラマの場面を想起する。北海道を舞台にした国民的ドラマ「北の国から」の放送開始から来年で40年。24回の連続ドラマとスペシャル版を計約20年間、出演者をほぼ変えずに撮り続け、お茶の間は子役の成長ぶりに胸を震わせた。時代をへてもなお、色あせぬ魅力と撮影の裏側、現代のドラマについて、創り手たちに話を聞いた。

■常に臨戦態勢

田中邦衛演じる父親の黒板五郎と純(吉岡秀隆)、蛍(中嶋朋子)の兄妹が、東京から北海道富良野市の麓郷地区へ移り住み、地域の力を借りながら大自然の中で生活を営む物語。四季の美しい映像と、さだまさしの歌も印象的だ。脚本を手掛けた倉本聡は「当時はバブルの時代だったが、バブルとは無関係の作品だった」と語った。

連続ドラマは準備期間を含め、二年半かけて撮影した。黒板一家は、電気も水も通っていない廃屋に住む設定。一家の家は実際に現地に建設。出演者もスタッフも、氷点下二〇度以下の屋外に立ち続けた。

撮影スケジュールは山の天候に合わせるため、毎日、「晴れ」「曇り」「雪」の三パターン用意。役者は衣装のままで待機し、どのシーンでも対応できるように芝居の仕上がりを求められた。「常に臨戦態勢を取っていた」と杉田成道監督。偶然、現れたキタキツネなどの動物と触れ合ったり、足跡が残る場面を撮るのに新雪が降るのを待ったり、ドキュメンタリー並みの撮影だったという。

当時、吉岡と中嶋は十歳前後だったが、甘えは許されなかった。例えば、ネコという一輪車のリヤカーに石を積んで二人で運ぶ場面。通常は荷台にわらなどを敷き、映る部分だけ石を載せて軽くした上で「重く見える演技」をさせるが、「東京から来た」という設定をよりリアルに見せるため、石を満杯に載せ、よろめきながら運ばせた。

一月末に東京都内で開かれたトークショーで、中嶋は「求められることをひたすら、やり続けた。クニさん(田中)は仕事仲間として尊重してくれたから、頑張らなきゃって気持ちになった。完結したときは『人生が一つ終わるんだな』と感じた」と振り返った。

■地方と一丸で

「地方には、地方の価値観がある」。倉本が書いたドラマの企画書にあった言葉だ。当時は、東京が舞台のドラマがほとんど。倉本は「地元の人が見て納得する作品に」と取り組んだ。

スタッフらの送迎、飲食物や宿の手配、ロケで使う私有地の開放、エキストラの出演など、地元は総出で支援した。スタッフの一人は「地元の協力なしには成り立たなかった。フィルムコミッションの先駆けと言える」。

五郎の友人で地井武男が演じた木材会社社長のモデルとなった、麓郷木材工業の仲世古善雄社長は「メディアや観光客が押し寄せ、大変だった時期もあったが、スキー場とラベンダー畑しかなかった富良野の知名度が劇的に上がった」と目を細めた。

最後のスペシャル版「遺言」が二〇〇二年に放送され、一連のシリーズは終了したが、倉本はこう語った。「純は相変わらず、ごみ処理の仕事をしていて、蛍の息子は五郎のところに来て…。今も、頭の中で物語は続いている」

 ◇ 

有料放送の日本映画専門チャンネルで「北の国から」のテレビシリーズとスペシャル全話を毎週土曜午後十時から放送中。旧来の映像を見やすくしたデジタルリマスター版で送る。十五日午後五時からは、第一~六話が一挙に放送される。

◆バブルに逆行 本当の豊かさ教える

「北の国から」の視聴率は、連続ドラマの最終回で20%を超え、最後のスペシャル「遺言」では38・4%をマークした。

倉本聡との共著「ドラマへの遺言」(新潮新書)の著者で、上智大文学部新聞学科の碓井広義教授(メディア文化論)は「時代にかかわらず見てもらえる貴重な作品。北海道の映像の力が圧倒的で、主人公の五郎がヒーロー的ではなく、思い悩む姿に思い入れが強くなる」と評した。「バブルの世に逆行し、本当の豊かさを教えてくれたドラマでもあった」

毎年、各局からさまざまなドラマが創り出されているが「半分は原作があり、それなりには面白いが、原作の映像化ではなく、ゼロから生み出すオリジナルのドラマがもっと出てきてほしい。テレビ局は制作者の集団であるべきだ」。

放送局が番組を放送と同時にインターネットに流す「同時配信」が始まろうとしており「ローカル局で創ったものも全国で見られるチャンス。意欲をもって、ドラマを創ってほしい」。

倉本は「最近のドラマは『どう事件を起こすか』ばかり考え、根がしっかりしていない。技術も伝承されていない」と手厳しい。「ドラマは、人と人との化学反応で生まれ、普遍的でなければならない。どの時代で見ても感動できるという感覚で書いている」

番組の視聴方法が変わり、時間と費用のかけ方も四十年前と同じというわけにはいかない。ドラマの枠も少なくなった。それでも、倉本は言う。「創り手が本気で意識を合わせられれば、また多くの人に見てもらえる」 【花井康子】

(中日新聞 2020年2月15日)

 

 


言葉の備忘録129 風になびく・・・

2020年02月16日 | 言葉の備忘録

夕日と富士山 2020

 

 

 

風になびく

富士のけぶりの空に消(きえ)て

行方も知らぬ

我思哉(わがおもひかな)

 

 

西行(1190年2月16日、没) 「西行全歌集」より