(hawaiiフォト・シリーズ)
この1年間に、読んで書評を書いてきた本(掲載は週刊新潮)。
その10月編です。
2010年 こんな本を読んできた(10月編)
湊かなえ『往復書簡』
幻冬舎 1470円
「告白」で多くの読者をつかんだ著者の最新作は、手紙だけで構成された3篇の連作ミステリーだ。
「十年後の卒業文集」の谷口あずみは、高校時代の同級生・悦子から手紙を受け取る。やはり同級生で、今は行方不明の千秋のことが知りたいらしい。しかし、あずみは返信にこう書かずにはいられなかった。「この手紙の送り主は本当に悦ちゃんなの?」
「二十年後の宿題」は、退職した女性教師と元教え子である青年の往復書簡だ。教師は最初の手紙で青年に頼み事をする。6人の子どもたちの“現在”を調べて欲しいというのだ。彼らは20年前に起きた不幸な事故に深く関わっていた。
手紙だから言えることがある。逆に書けないことがある。誤解を与えたり、嘘をつくことも可能だ。読者は私信を盗み読みするような緊張感と共に、真相を探っていくことになる。
(10.09.25発行)
馬場マコト『戦争と広告』
白水社 2520円
戦前、戦中、戦後を生きた一人の広告クリエーターの軌跡を追うことで、時代と並走する広告の本質を探った、読みごたえのあるノンフィクションである。
昭和初期、山名文夫は挿絵画家としてモボ・モガの時代をけん引した。また資生堂に入ってからは、資生堂唐草とよばれる模様など、独特の美の世界を生んだ。そんな山名が戦時中、内閣情報局から仕事を頼まれる。戦意高揚のためのポスターやイベントの制作だった。情報局は、戦争をおこす論理と、対米戦争を受け入れる世論を作る必要に迫られていたのだ。
後に「報道技術研究会」と呼ばれる組織には、山名をはじめ優れた才能が結集し、戦争を広告していった。何が彼らを動かし、彼らは何を得て、何を失ったのか。また、その影響力と広告における戦争犯罪はどこまで問うべきなのか。表現者の背負う宿命が衝撃的だ。
(10.09.30発行)
淡路和子『ビートルズにいちばん近い記者~星加ルミ子のミュージック・ライフ』
河出書房新社 2100円
1965年、日本人初のビートルズ単独会見に成功したのが『ミュージック・ライフ』記者の星加ルミ子だ。その後は編集長として音楽ジャーナリズムをリードした。本書は世界のミュージシャンとつながっていった星加の青春評伝。日本の洋楽もまた青春時代だった。
(10.09.30発行)
今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』
論創社 1680円
80年代、知の拠点の一つがリブロ池袋店という本屋だった。そこでは伝説の書店員による刺激的な「棚」作りが行われ、独自のブックフェアが開催された。読者は書物が単独で存在するのではなく、限りなくリンクしていくことを知った。今、その内幕が語られる。
(10.09.20発行)
安野光雅『繪本 仮名手本忠臣蔵』
朝日新聞出版 2940円
歌舞伎の人気演目「仮名手本忠臣蔵」が絵本になった。大序の舞台である鶴ヶ岡八幡宮から赤穂浪士引揚げの場まで、31の名場面が繊細かつ大胆に描かれている。物語の流れを伝えるのは、解説より語りに近い流麗な文章だ。大判画集の最後は往年の歌舞伎座全景である。
(10.09.30発行)
浅田次郎 『マンチュリアン・リポート』
講談社 1575円
『蒼穹の昴』にはじまる中国近現代史シリーズの最新作。昭和3年に起きた張作霖爆殺事件の闇に迫る書き下ろし長編小説だ。
この作品の特色は、ある「報告」と「独白」が交互に登場する構成にある。報告の書き手は「満州の重大事件」に関する調査を進める志津邦陽陸軍中尉。彼は現地で張作霖の軌跡を追いながら「満州報告書=マンチュリアン・リポート」を日本に送り続ける。しかもその極秘報告を読むのは志津に直接調査を命じた昭和天皇その人なのだ。
また独白の主もユニーク。「鋼鉄の公爵=アイアン・デューク」と呼ばれる機関車なのである。かつて西太后が愛した御料車を、張作霖は最期の旅で使ったのだ。この公爵が語る西太后、そして張作霖は、流布された人物像を超えて魅力的だ。
日本と中国の運命を変えた事件現場が近づく。歴史の軋む音が聞こえてくる。
(10.09.17発行)
高尾昌司 『刑事たちの挽歌~警視庁捜査一課「ルーシー事件」ファイル』
財界展望社 1785円
事件は平成12年に起きた。当時21歳のイギリス人女性、ルーシー・ジェーン・ブラックマンさんが行方不明になったのだ。後に「ルーシー事件」と呼ばれることになるが、犯人は薬物を使った強姦という卑劣な行為を繰り返していた。本書は事件発生から捜査、逮捕そして裁判まで、捜査員たちの3000日を追ったノンフィクションである。
家出人捜索願を受理した麻布署では、すぐに事件性を察知して捜査本部を立ち上げた。やがて複数の被害女性の証言から容疑者が浮かんでくる。徹底的な捜査の上で逮捕。だが、核心部分については否認を貫かれてしまう。またルーシーさんの遺体も見つからない。刑事たちに焦りが生まれる。
壁にぶつかってからの捜査陣の粘りがすさまじい。ついに遺体発見。事件は急展開を見せる。個性的で人間味溢れる刑事たちの執念が実った瞬間だ。
(10.09.17発行)
柴崎友香 『よそ見津々』
日本経済新聞出版社 1575円
初の長編にして不思議なテイストの恋愛小説『寝ても覚めても』が話題の著者。本書もまた初となる本格エッセイ集である。大阪出身だからこそ気がつく東京暮らしの機微。自身を面倒臭がりと言いながら、料理やファッションにも持論あり。小説の源流が垣間見られる。
(10.09.22発行)
下村健一 『マスコミは何を伝えないか~メディア社会の賢い生き方』
岩波書店 1995円
著者は元TBSキャスター。現在はフリーとして報道活動を続けながら、市民メディアの活動に深く関わっている。本書では「報道被害」の考察を軸に、単なるマスコミ批判を超えた、メディアとの“共生”の道を探っている。発信力・受信力を養う格好のテキストだ。
(10.09.22発行)
エリック・ラックス:著 井上一馬:訳 『ウディ・アレンの映画術』
清流出版 3990円
ここまで率直に自身の映画作りに関して語るウディ・アレンに驚く。しかも36年に亘って行われたインタビューを、脚本、撮影、音楽などジャンル別に並べ変えた構成が絶妙。画面の隅々までへのこだわりが伝わる本書は名著『ヒッチコック映画術』に匹敵する快挙だ。
(10.09.18発行)
高橋敏夫 『井上ひさし 希望としての笑い』
角川SSC新書 819円
今年4月に75歳で亡くなった井上ひさし。その歩みと作品を読み解く密度の高い評論集だ。『ひょっこりひょうたん島』や『吉里吉里人』が示した集団と国家への問いかけ。実在の作家・思想家を描く評伝劇で挑んだ同時代への抵抗。また昭和庶民伝三部作に込めた過去の失敗を大切にする精神。
しかも、それら全ての背後に「希望としての笑い」がある。井上が標榜した「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」は、稀代の社会変革家による魂の宣言だったのだ。
(10.09.25)
大村友貴美 『共謀』
角川書店 1890円
3年前、『首挽村の殺人』で横溝正史ミステリ大賞を受賞した著者の最新長編は、人間の尊厳と価値をめぐる社会派ミステリーだ。
巨大ショッピングモールを全国展開するユナイテッド社。その新規建設現場で焼死体が発見される。被害者はフリージャーナリストの古川だった。広報担当の唐沢泉がマスコミへ対応に追われる中、社長令嬢の美希が何者かに誘拐される。
しかも、脅迫者からは「身代金の額は社長の命」という謎めいた要求が届く。捜査に当たるのは天才肌の田楽心太警部と小野笙子巡査部長だ。しかし、なかなか手掛かりをつかめないまま、今度はユナイテッド社を解任された中谷・元取締役の遺体が見つかる。事故か他殺か。それは古川の事件や美希の誘拐と繋がるのか、繋がらないのか。
格差社会という現実と、「命の値段」の問題に踏み込んだ野心作である。
(10.09.30発行)
村上春樹 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』
文藝春秋 1890円
インタビューの「同じような質問と同じような回答」を嫌う作家に対し、昨年までの13年間に行われた18本のインタビューが収録されている。
それにしても何と刺激的な言葉に満ちたインタビュー集だろう。決して群れることのない生き方を問われ、「自由であること、どこにでも行って、何でも好きなことをする。それが僕にとっての最優先事項です」。作品における表現については、「最も理想的だと考える表現は、最も簡単な言葉で最も難解な道理を表現することです」。
また時には「僕は自分の文体が好きなんです(笑)」とフランクに自己をさらけ出し、ベストセラーに関しても「お金があれば自由と時間が買える」と率直だ。これら全てが、近作『1Q84』について語った雑誌『考える人』8月号(小社刊)でのロングインタビューへとつながっていく。
(10.09.30発行)
平木 収 『写真のこころ』
平凡社 2310円
昨年、60歳で亡くなった写真評論家の遺作集だ。学生時代から評論を発表し、川崎市市民ミュージアムの創設にも関わった平木。写真を見る喜びと、社会的財産としての価値に拘ってきた。選び抜かれた評論文と共に、対談や座談会での発言も多くの示唆に富んでいる。
(10.09.24発行)
四方田犬彦・平沢剛:編著『1968年文化論』
毎日新聞社 3150円
現代史の転換点としての1968年。これまで政治主義や脱政治主義を軸に語られることが多かったが、ようやく総合的な文化論が登場した。文学、映画、写真、舞踏はもちろん、描かれた在日朝鮮人や大学キャンパスの立看板にまで言及する13の論考が壮観だ
(10.09.30発行)
鷲田清一・内田樹ほか 『おせっかい教育論』
140B 1260円
座談会の決め手はテーマと参加者である。思想家、阪大総長、僧侶、大阪市長の4人によるこの教育論セッションは、教育をビジネスとして扱う現在の風潮を徹底的に糾弾。学校を「一般ルールが停止する場所」と規定する。関西風味はご愛嬌。率直な物言いが快感だ。
(10.10.10発行)
長岡弘樹 『線の波紋』
小学館 1575円
一昨年『傍聞き』で推理作家協会賞を受賞した著者の新作は、幼女誘拐事件を軸とした連作長編である。
第一話「談合」の主人公は町役場に勤める白石千賀。一人娘の真由が誘拐されて一カ月経つが、安否は不明のままだ。夫の哲也は突然倒れて入院中。その上、真由が遺体で発見されたという「いたずら電話」が頻繁に掛ってくる。
第二話「追悼」は、会社の金を横領した久保和弘の視点で語られる。同僚の鈴木に気づかれたと不安になるが、鈴木は何者かに殺害されてしまう。第三話「波紋」には誘拐事件を担当する女性刑事・渡亜矢子が登場する。重要証言が指し示すのは驚きの犯人像だった。
これらの物語が最終話「再現」に収れんしていく。一つの事件が起こした波紋は別の新しい事件を引き起こし、その事件がまた新たな波を立てる。その時、人は何を、誰を守るのか。
(10.10.04発行)
小谷野 敦 『現代文学論争』
筑摩書房 1890円
創業70周年記念として刊行が始まった「筑摩選書」の一冊だ。往年の筑摩叢書に入っていた臼井吉見『近代文学論争』を引き継ぐ形で、60年代後半以降の論争にスポットを当てている。
まず論争家として「恐れを知らぬ人だった」という江藤淳。相手には大岡昇平、本多秋五など強敵が並ぶ。その大岡昇平が森鷗外の短編『堺事件』を批判したことから始まった論争には多くの文学研究者が参戦した。他にも漱石の『こころ』や谷崎の『春琴抄』などをめぐる論争を取り上げている。
そんな中で、著者が「論争というより事件」としているのが臼井吉見『事故のてんまつ』事件だ。川端康成の自殺を題材に書いた小説が巻き起こした出来ごとの経緯が明らかになる。
本書の面白さは、各論争の当事者、背景を含め、論争自体の評価をきちんと下していることだ。その辛辣さの裏に文学への愛がある。
(10.10.15発行)
竹内薫『思考のレッスン~発想の原点はどこにあるのか』
講談社 880円
著者は『99.9%は仮説』などの著書を持つ科学作家。この自伝的エッセイでは、理系と文系、現実と抽象、数学と物理などの「境界」から生まれる発想の面白さを綴っている。大学時代からの友人、脳科学者・茂木健一郎との「境界人」をテーマとした対談も刺激的だ。
(10.10.12発行)
ディヴィッド・ライアン:著 田畑暁夫:訳
『膨張する監視社会~個人識別システムの進化とリスク』
青土社 2310円
前著『監視社会』は、個人情報によって人間が分類・選別・統御される現代社会の危うさを暴いた。本書では、進化を続けるID(身分証)システムが我々の身元を特定し、より効率的な市民管理が行われている実態に迫る。安全と自由の狭間で何が起きているのか。
(10.10.10発行)
梨元 勝 『絶筆 梨元です、恐縮です。~ぼくの突撃レポーター人生録』
展望社 1500円
今年8月に亡くなった芸能レポーターの元祖が遺した自叙伝。人間に対する好奇心、目立ちたがりの性格、そして行動力は若い頃から一貫していた。女性週刊誌の記者として頭角を現し、やがてテレビで開花する。個人の歩みがそのまま昭和芸能裏面史となる一冊だ。
(10.09.22発行)
日本映画専門チャンネル:編『「踊る大捜査線」は日本映画の何を変えたのか』
冬幻舎新書 840円
第1作「踊る大捜査線 THE MOVIE」の公開から12年。2作目の興行収入173・5億円に象徴されるヒット・シリーズへと成長した。本書では10人の論客が様々な角度からこの作品を分析している。
映画ジャーナリストの斉藤守彦は「骨のある脚本とおたく的演出」を指摘。一方、この映画のヒットは「テレビが勝ったのではなく、映画がダメになった」のだと言うのは脚本家の荒井晴彦だ。犯人の背景を描かない「踊る」が、その後の犯罪映画を劣化させたと嘆く。しかし、最も変わってしまったのは観客なのかもしれない。
(10.09.30発行)