碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「倉本聰 ドラマへの遺言」 第2回

2018年01月11日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


倉本聰 ドラマへの遺言 
第2回

テレ朝の会長に取り次いでくれたのは
石原プロの名物番頭

17年上半期で大いに話題を呼んだドラマ「やすらぎの郷」(テレビ朝日系)。倉本氏がまず企画書を持ち込んだのは、フジテレビだったが――。

碓井 先生が僕にこのドラマの企画について話して下さった時、真っ先にフジに提案するのは「仁義だから」って仰ってました。

倉本 ええ。でもフジがダメでも企画自体は何とか実現させたいと思って、石原プロのコマサ(小林正彦・元専務)に相談してテレビ朝日の早河洋会長に取り次いでもらった。早河さんとは、石原プロとテレ朝でドラマ「祇園囃子」(05年)をやった関係でもちろん知り合いではいたんですが、それほどの仲でもなかった。で、コマサに相談したら、仲介だけしてくれると。実際に仲介をしてくれたあとはパッと引き下がっちゃったんですが。

碓井 コマサさん、カッコいいなあ(笑い)。石原プロってクレジットにも出ていないですよね。

倉本 出てないです。コマサ自身も石原プロはもう辞めてましたしね。個人でやってくれたって感じ。

碓井 フジに断られても諦めず、「やすらぎの郷」を実現しようとしたのはなぜですか。

倉本 いくつかの理由があるんですが。周囲の同年輩の人間が早朝起きても8時まで見るものがないっていうんですね。ゴールデンなんかは自分たちが見るドラマじゃないしな、なんて常にいわれていることで。もうひとつは、ゴールデンタイムの視聴率がどんどん落ちていますよね。かつては20%ぐらいは取らなきゃいけなかったんだけれど、いまは13~14%で良くなっちゃった。逆にいうと、ゴールデンというのはF1、F2の視聴者層の取り込みを目指す神話が今も続いていますが、肝心のF1、F2がインターネットにいっちゃったり、録画ということもありますね。現に「やすらぎ」も録画で見ている人間の方が多かったっていうんです。

碓井 番組を放送時に見る「リアルタイム視聴」に対して、「タイムシフト視聴」と呼ばれる視聴行動ですね。特にドラマは、録画して好きな時間に見ている人が多いです。

倉本 その録画に対する視聴率っていうのは、電通も今では出しているっていいますが、本当の意味で出ているとは思えないんですね。というのも、電通が扱っている視聴率は、誤解して欲しくないんだけれども、決して番組視聴率っていうのではなく、CM視聴率。番組を録画するとコマーシャルはスキップされてしまうわけで、録画視聴率は代理店としてはスポンサーに見せる価値のない数字なわけです。(あすにつづく)

(聞き手・碓井広義)

▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。





ドラマへの遺言 (新潮新書)
倉本聰、碓井広義
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碓井広義「倉本聰のドラマ世界」を語る。

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「倉本聰 ドラマへの遺言」連載開始!第1回

2018年01月10日 | 日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」


日刊ゲンダイでの新たな連載、「倉本聰 ドラマへの遺言」が始まりました。

「ドラマへの遺言」というタイトルは、私から倉本先生に提案したものです。

あえて「遺言」とすることで、逆に長生きして欲しいという願いを込めました。

紙面の題字は、先生の筆によるものです。いい味、出てますよね(笑)。

これからの平日、こつこつと毎日の掲載になります。

目標が全100回という長丁場ですが、どうぞよろしく、お願いいたします。



倉本聰 ドラマへの遺言 
第1回

「やすらぎの郷」蹴ったフジは
株主総会で吊し上げられた


昨年放送された「やすらぎの郷」(テレビ朝日系)は新設された「帯ドラマ劇場」の枠で、4月3日から9月29日まで全129回が放送された。同作は現在のテレビ業界や社会問題、世間に対する皮肉や批判を織り交ぜながら、生きること、年を重ねる面白さを喜劇として描き、初回視聴率で8・7%、期間平均でも5・8%と大健闘した(視聴率はすべてビデオリサーチ調べ=関東地区)。視聴者の心に響くドラマの企画は一体、どのように生まれたのか。その舞台裏に迫る。

碓井 まずは、お疲れさまでした。やはり面白かったです。登場人物たちが抱える過去への執着や現在への不満、くすぶる恋心、病気や死への恐怖など、形は違いますが、われわれ一般人と重なっている。だからこそ多くの視聴者が共感したのだと思います。現在の心境はいかがですか。

倉本 いまは完全にやすらぎロス。なにしろ、生活習慣が、朝起きてBS朝日で前日分を見て、昼起きて次の回を見るっていうことがなくなったもんですから、次に何を書くかとかっていう気にはならないんですね。

碓井 連ドラのような長いものが終わると毎回そうなるんですか。

倉本 週イチと毎日見るっていうのは違いますね。視聴者目線で見るので。毎日毎日子供が生まれているっていう面白さもありましたね。

碓井 振り返ってみて、大成功といっていいのではないでしょうか。

倉本 そうですね、大成功といっていいと思います。

碓井 僕が倉本先生から初めて「やすらぎの郷」の話を聞かせていただいたのは、2015年の秋。先生が書いた企画書の段階でしたが、「この場で読んで率直な意見を言え!」って(笑い)。当時はまだ「やすらぎの家」というタイトルでしたが、「ぜひこのドラマを見たいです」と答えました。

倉本 そうでしたか。そんな前でしたか。

碓井 その時も先生は、まずはフジに聞いてみたほうがいいかな、なんて苦笑いしていらした。

倉本 そうですね。フジに話をしましたね。

碓井 倉本先生が亀山千広社長(当時)に直接話をしたなんて報道もありましたが、実際はどうだったんですか。

倉本 いえいえ。僕が話をしたのは制作部長です。なにしろ、フジも中村敏夫(「北の国から」のプロデューサー)が死んじゃってからパイプが細くなったんですよね。(同ディレクターだった)杉田成道や山田良明は外の会社にいるから直接のパイプがなかなかなくなってしまった。それで、「風のガーデン」(08年)のプロデューサーだった浅野澄美を通して局長に上げてもらったんだけれどダメだって話でね。

碓井 ということは、亀山社長から直接NOの返事が来たわけではなかったんですね。

倉本 そうです、そういうことですね。だから社長のところまで「やすらぎの郷」の話がいったかどうかは分からない。ただ、フジに断られたっていう事実はある。株主総会では日枝さん(現相談役)吊し上げを食らっちゃったっていうね。

碓井 昨年6月末に開かれた株主総会ですね。長年、フジの株を所有する個人株主から“なぜやらなかったのか”と質問されたようですね。

倉本 でもまあ、話をする前からフジはダメだろうなっていう感じはありましたよね。(つづく)

(聞き手・碓井広義)


▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。

▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。







ドラマへの遺言 (新潮新書)
倉本聰、碓井広義
新潮社




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碓井広義「倉本聰のドラマ世界」を語る。

2019年4月13日 土曜日
18時開演(17時半開場)
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