倉本聰 ドラマへの遺言
第17回
第17回
映画は“ドラマ”だけど、
テレビは“チック”を描くのが神髄
テレビは“チック”を描くのが神髄
倉本氏が人生初の帯ドラマに挑んだ「やすらぎの郷」(テレビ朝日系)。1話当たりの放送時間は通常ドラマの4分の1程度だった。
倉本 僕、コマーシャルを結構撮っているんですよ。コマーシャルは1本当たり15秒程度。フィルムは1秒が24コマなんですが、削りに削って短い時間の中で勝負する。だから15秒ではなく、もしも1分間与えてくれたら、さらに面白いものができるんだろうって考えていたので、この15分程度の尺はとてもやりがいがありました。
碓井 先生はその15分間で何を重視されたのですか。
倉本 昔、東横映画のマキノ光雄さんが、「この映画にはドラマがあってもチックがない」といった有名な話があるんですが、僕、この言葉がとっても印象に残っているんです。映画からテレビに移ったときに、映画は、〈ドラマ〉だけれど、テレビは、〈チック〉が大事だなって思った。〈ドラマチック〉って言葉がありますでしょう? テレビはむしろ〈チック〉のほう、細かなニュアンスを面白く描くのが神髄じゃないかなって。
碓井 それってテレビドラマは本線というかストーリーだけじゃなくて、一見物語とは無関係な寄り道みたいなシーンによって豊かなものになるということですか。
倉本 この世界に飛び込んだ当時、「構成力が弱い」と指摘されたことがあるんです。それで(黒沢明監督作品などの脚本を書いた)橋本忍さんや菊島隆三さんとかのシナリオをいったん書き写し、今度は時系列の起承転結に戻すみたいなことを繰り返して勉強した。そして見えてきたのが映画の〈ドラマ〉とテレビの〈チック〉でしたね。
碓井 ちなみに「やすらぎの郷」で代表的な〈チック〉のシーンは。
倉本 ミッキー・カーチスと山本圭と石坂浩二が海岸でしゃべるお馴染みのシーンがあったでしょう。まさにあそこは、〈チック〉。物語の進行にはさして影響がないシーンで、「死んだ女房にあの世で会うとき、ボケた女房がいいか、昔の女房がいいか」とかウダウダと話すだけ。
碓井 見ている側もつい自分に置き換えて考えてみたりして。視聴者の日常と地続きなんですよね。
倉本 テレビドラマでは、ああいうシーンこそ大事だと思っています。
碓井 「やすらぎの郷」のシナリオは倉本脚本の特徴である〈間(ま)〉という文字があまり書かれていません。あれだけの役者さんたちだから、脚本で細かく指示しなくても大丈夫だと思われたのでしょうか。
倉本 そういうわけではないですね。15分で〈間〉を多用したら尺が足りなくなり、結果、作品として成立しないだろうと思ったんですが、そのあたりは撮影台本としての未熟さであり反省点です。
碓井 この連載の中でも先生はアンソニー・ホプキンスやメリル・ストリープの名前を挙げて、声に出すセリフとは別の、表情やたたずまいが発するインナーボイスの重要性を強調していました。
倉本 日本にもインナーボイスのひとつである腹芸があります。言わなくても分かるっていうね。でも、いつのころからか軽んじられてきちゃいましたね。(つづく)
(聞き手・碓井広義)
▽くらもと・そう 1935年1月1日、東京都生まれ。東大文学部卒業後、ニッポン放送を経て脚本家。77年北海道富良野市に移住。84年「富良野塾」を開設し、2010年の閉塾まで若手俳優と脚本家を養成。21年間続いたドラマ「北の国から」ほか多数のドラマおよび舞台の脚本を手がける。現在は、来年4月から1年間放送されるテレビ朝日開局60周年記念ドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」を執筆中。
▽うすい・ひろよし 1955年、長野県生まれ。慶大法学部卒。81年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。現在、上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。笠智衆主演「波の盆」(83年)で倉本聰と出会い、35年にわたって師事している。
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日刊ゲンダイ連載「倉本聰 ドラマへの遺言」
ドラマへの遺言 (新潮新書) | |
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