本格歴史ドラマの予感
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」は明智光秀の物語である。今回、主人公の名を聞いて驚いた人は少なくない。光秀といえば本能寺。主君である織田信長を奇襲したことで、「裏切り者」もしくは「悪人」といったイメージが一般的だからだ。
とはいえ、光秀や「本能寺の変」に対する評価には、その後の為政者たちの影響が大きい。信長の後を継ぐ形で天下を狙った秀吉にしてみれば、自身の正当性を主張するためにも光秀を「逆賊」として扱う必要があっただろう。勝者や権力者が「歴史」を作るのは、いつの時代も変わらない。
大河ドラマについて、戦国時代や幕末など同じ時代、同じ人物が何度も取り上げられるという批判もある。しかし作品によって人物像や史実の解釈が異なり、それぞれに楽しむことができる。
では、「麒麟がくる」の光秀はどのような人物として描かれるのか。ドラマの冒頭を見ると、若き日の光秀は聡明なだけでなく、野盗を撃退したように剣の腕も立つ。
外の世界を見たいと思ったら、堺や京への旅を主君の斉藤道三(本木雅弘)に直訴する、旺盛な好奇心と知識欲。また庶民への接し方からも、公正な精神と道徳心の持ち主であることがわかる。何より自分の頭で考え、行動する姿勢が好ましい。
基本的には生真面目なこの青年に、長谷川博己という役者が見事にハマっている。存在感を示したのは2011年の主演作「鈴木先生」(テレビ東京系)だ。
中学教師として担任クラスを運営する際、独自の観察眼で生徒たちの個性を見抜き、彼らの潜在能力を引き出していく。同時に先生自身も成長していった。今後、光秀が発揮するであろうリーダーシップの原型があの教室にある。
脚本は大ベテランの池端俊策だ。火に包まれた民家から子どもを救い出した光秀が、医師・望月東庵(堺正章)の助手、駒(門脇麦)から「麒麟」の話を聞く。「戦(いくさ)のない世をつくれる人が麒麟を連れてくる」と。
すると光秀が言うのだ。「旅をして、よく分かりました。どこにも麒麟はいない。何かを変えなければ、誰かが変えなければ、美濃にも京にも麒麟は来ない!」。いいセリフは、いいドラマを予感させてくれる。
(しんぶん赤旗「波動」2020.01.27)