碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

注目の若手女優が見せてくれる、少女たちの「大切な場所」

2020年02月15日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

CMより(左・古川琴音さん、右・紫乃さん)

 

注目の若手女優が見せてくれる、

少女たちの「大切な場所」

 

誰にも、自分にとっての「大切な場所」があるものです。注目のCMで、注目の若手女優が見せてくれる、少女たちの「大切な場所」とは!?

いつもの自販機、世界一の「カフェ」

大学にとって、2月は入学試験の月です。現在の入試は、推薦やAO(アドミッション・オフィス)など様々な種類があり、年間を通じて入試が行われている感じです。

2月は、「一般入試」と呼ばれる旧来の試験があり、多くの大学がある東京には、全国各地から、たくさんの受験生がやって来るのです。

コカ・コーラの「自販機」キャンペーンCMは、北陸のどこかにある町が舞台となっています。

そして、登場する2人の女子高生(古川琴音&紫乃)にとって、海辺にあるバス停のベンチは「特別な場所」です。座るのも寝そべるのも自由で、自販機があるから、たった130円で、まったりとお茶できちゃうわけですから。

それに、周囲には誰もいないので、お互いの秘密を打ち明けても大丈夫です。

「ねえ。やっぱし東京にするわ、大学」と琴音さん。それを聞いても、平静を装いながら、「ほうけ(=そうなんだ)」と応じる紫乃さんです。

ずっと一緒だったのに、間もなく、遠くへ行ってしまう友・・・。

「ほやけど、ここが世界一のカフェやわいね」と琴音さんが続けると、紫乃さんはすかさず「オーシャンビューやし」と笑いかけます。

さらに琴音さんが、海に向かって「東京オ~、待っとれやア~!」と叫びます。すると紫乃さん、やはり海に向かって大声で「この娘(こ)、頼むさけなア~!」。いい友だちですよね。

かけがえのない故郷の親友も、いつもの自販機が待つカフェも、2人にとって世界一の存在。2人の個性的な少女と、あたたかみのある方言が印象に残ります。

特に古川琴音さんは、今年の注目株です。昨年の『凪のお暇』(TBS)や『サギデカ』(NHK)、今期の『絶対零度』(フジテレビ)などで、その姿を見た人もいるかと思います。

現在23歳だそうですから、「少女」と呼ぶのはやや躊躇してしまいますが、少女も自然に演じてしまう資質と演技力を持った女優さんと言えるでしょう。今後の活躍に、期待大です。

 

「路上」から、誰かを励ます

雨が降る夕暮れ。駅前の路上で、一人の少女(清原果耶)がギターを抱えて歌っています。しかも、その曲は、B・J・トーマスが歌った「雨にぬれても」。

1970年2月に日本で公開された、映画『明日に向かって撃て!』の挿入歌だったのですが、世界的に大ヒットしました。

『明日に・・』では、伝説のギャングを演じたポール・ニューマンとロバート・レッドフォードはもちろん、2人に愛されたキャサリン・ロスの笑顔も忘れられません。

それにしても50年前の曲です。少女の世代とこの選曲のギャップが意外で、また懐かしいバカラック・サウンドということもあり、もしも通りかかったなら、つい足を止めてしまいそうです。

こちらは京王電鉄のCMなのですが、「頭に雨つぶが落ちてくる。そんな憂鬱にも私は負けたりしない」という歌をバックに、画面に映し出されるのは、線路を守る人、車両を点検する人など、列車の安全運行を陰で支える人たちの姿です。

ホームで待っていれば、決まった時間に、いつもの電車が入ってくる。そんな「日常が日常であること」のありがたさを、ふと思わせてくれる映像です。

清原果耶さんが演じる、路上のギター少女の歌は続いています。そこは、見知らぬ人たちが通過していく場所。しかし何人かの耳に、自分の歌を届けることのできる「貴重な場所」です。

雨も相変らず降り続いています。でも、彼女が言うように、やまない雨はありません。

どんなに冷たい2月の雨だって、やまない雨はない。そう思うと、見ているこちらも、ちょっと元気が出てきます。

CMより(清原果耶さん)


【気まぐれ写真館】 フォルクスワーゲンとチョコレートと

2020年02月14日 | 気まぐれ写真館

2020.02.14

 


最後の大学院入試、終了

2020年02月13日 | 大学


言葉の備忘録128 東京では・・・

2020年02月12日 | 言葉の備忘録

四谷 2020

 

 

 

東京では次々に風景が変る。

それが常態になっている。

だから逆に、

かつてあった建物や

風景へのノスタルジー、

懐旧の想いが強くなる。

 

 

川本三郎「オリンピック前の東京」

     (『東京つれづれ草』より)

 


【書評した本】 『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』

2020年02月10日 | 書評した本たち

 

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

中川一徳

『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』

講談社 2640円

 

話題のドキュメンタリー映画、『さよならテレビ』の舞台は東海テレビ(フジテレビ系)の報道部だ。キャスター、派遣社員の若手記者、そして記者歴25年の外部スタッフの3人を軸に、テレビ局内部で何が起きているのかを伝えている。

報道は、「公共性」を標榜するテレビ局が存在意義を示すべき部署だ。しかし報道部長が訴えていたのは、ひたすら「視聴率を上げろ」だった。もちろん現場だけの判断ではないはずだが、この映画の中で経営陣にカメラが向けられることはなかった。

中川一徳は2005年の『メディアの支配者』で、フジサンケイグループを支配した鹿内信隆とその一族の軌跡を描いたが、本書はその続編にあたる。『さよならテレビ』の更に奥、いわば本丸に迫る一冊であり、活字の力を再認識させる問題作だ。

今回、主な対象となっているのはフジテレビとテレビ朝日である。それぞれの誕生から現在までを追いながら、メディアが生み出す「カネ」と「権力」に執着する人間たちの行いを徹底的に暴いていく。

両局に深く関わったのが旺文社の創業者、赤尾好夫だ。ラジオの文化放送を足掛かりにテレビにも食い込んでいく様子は、まさに「国盗り物語」。鹿内一族や赤尾一族にとってメディアは無限の「カネのなる木」だったが、そこに目をつけたのが村上ファンドやライブドアだ。

またテレビ朝日でも、ルパート・マードックやソフトバンクによる「乗っ取り騒動」が起きる。こちらも朝日新聞を巻き込んだ、長く不毛な消耗戦が続いた。誰が敵で誰が味方なのかは不明。はっきりしているのは、このマネーゲームのプレイヤーたちの頭の中に、制作現場の人々や視聴者など不在ということだ。

フジテレビ待望の「お台場カジノ」が見えてきた。テレビ朝日の経営陣も政権との親密度を増している。見る側のテレビへの「さよなら」の声は、もっと大きくなりそうだ。

(週刊新潮 2020年2月6日号)


言葉の備忘録127 問題は・・・

2020年02月09日 | 言葉の備忘録

神奈川 2020

 

 

問題は自己を支えることばの軸足を

どこに置くかということです。

それは思考するさいの

立ち位置といっていいでしょう。

自分にとっての書きことばとは、

自己を支え考えるためのすべてである。

そのように規定して

日常をあらためて生きていくしかない。

 

 

藤原智美「つながらない勇気」

 

 

 


言葉の備忘録126 この国には・・・

2020年02月08日 | 言葉の備忘録

新宿 2020

 

 

この国には

知識人がもう殆ど残っていない。

しかも、まったく補填されていない。

その情況を考えると

私は恐ろしくなってしまう。

 

 

坪内祐三

『右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。

 

 


異色の医療ドラマ『病院で念仏を唱えないでください』の「禅的味わい」

2020年02月07日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

異色の医療ドラマ

『病院で念仏を唱えないでください』の

「禅的味わい」

 

今期、病院を舞台とする「医療ドラマ」が目につきます。

月曜が『病院の治しかた―ドクター有原の挑戦―』(テレビ東京)。火曜は『恋はつづくよどこまでも』(TBS)。木曜に『アライブ―がん専門医のカルテ―』(フジテレビ)。

金曜には『病院で念仏を唱えないでください』(TBS)。そして土曜が『トップナイフ―天才脳外科医の条件―』(日本テレビ)で、なんと計5本!

もう毎晩、医者だらけ、病院だらけ。お腹いっぱい、メスいっぱいの冬であります。

天才医師も、名医も、美女医もそろっているわけですが、この中で一番の「異色作」といえば、やはり『病院で念仏・・』でしょうか。何しろ、主人公の松本照円(伊藤英明)は「医師にして僧侶」、「僧侶にして医師」という変わり種ですから。

病院に神父さんがいて、チャペルもあって、というのは珍しくないかもしれません。しかし、「病院付き僧侶」は初めて知りました。ていうか、「そんなのあり?」と思いますよね。でも、あり、らしい。

もちろん、照円にも事情があります。少年時代に、川の事故で幼馴染を亡くします。目の前でおぼれる彼を、泳げなかった当時の照円は救えなかった。そのことをずっと悩んで、苦しんで、救いを求めて、お坊さんになった。

さらに、人の命を救いたいという思いから、医師に、しかも救急救命医になったそうです。

勤務する「あおば台病院」では、亡くなった方のために霊安室で「お経」を唱えるだけじゃなく、入院患者の「心のケア」みたいな活動もしています。いわば、「仏教系心理カウンセラー」でしょうか。

とはいえ、この照円、悟りきった僧侶、達観したお坊さんではありません。いや、それどころか、自分の感情のコントロールもままならない直情型で、場合によっては手もあげる暴力派だし、喜怒哀楽がすぐ表情に出る単細胞タイプでもあります。

どちらかといえば修行の途中というか、煩悩(プールやジムで美女に遭遇すると思いきりニヤける)や迷いをたっぷり抱えたままの修行僧みたいな感じです。

ただ、患者に対する思いだけは、誰にも負けません。たとえわずかな可能性であっても、患者の命を救うためなら何でもします。そのあたりは、「ミスター海猿」のまんまであり、海にいた「仙崎大輔」が陸(おか)に上がったと思えばいい。

正直言って、このドラマの内容、また主人公のキャラクターからすると、40代半ばの伊藤英明さんより、もう少し若い俳優さんのほうが、照円には合っていると思います。

しかし、回を重ねてみると、すっかり「伊藤照円」に馴染んできました。それは、こやす珠世さんが描く原作漫画の照円にはない、独特の軽みというか、明るさがあるからです。

照円が働く救命センターも、救急救命医という仕事も、常に人の「死」と隣り合わせです。そして、照円のもう一つの顔である僧侶もまた、死と深くかかわる存在です。

時折り、というか事あるごとに、照円は仏教がらみの言葉を口にします。その場に合ったものならいいのですが、単なる「坊主の説教」に聞こえるのが困りもの。同僚の救命医、三宅涼子(中谷美紀)などからは、「時と場所を考えなさい!」と叱られています。

それでも、生きることに疲れた患者の傍らで、「釈迦も言っています。過去を追うな、未来を願うな。今日を精いっぱい生きればいいんです」なんてことを、重くせずに話せる照円は、ちょっとありがたい「僧医」なのです。

この時、敬愛する建功寺住職、枡野俊明さんから教わった禅語、「深知今日事(ふかくこんにちのことをしる)」を思い出しました。

意味は、目の前にあることを深く知り、そこに全力を尽くす。わき目もふらず、「今」に取り組むことが大事だと言うんですね。照円、なかなか勉強しています。

これまで3話が放送されましたが、第1話での、脳死状態の母親(育ての母)の延命をどうするか、あえて13歳の息子に決めさせたエピソードが、強く印象に残っています。

救命センターの救命外科医のドラマというと、大技や力技で修羅場を乗り切るイメージが強いのですが、主人公が「僧医」だからこそ、一瞬、視聴者も一緒に立ち止まって、「生と死」について考える場面がある。

異色の医療ドラマに織り込まれた「禅的味わい」。それこそが、このドラマのキモだと思うのです。


「知らなくていいコト」の“イースト砲”に感じるカタルシス

2020年02月06日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

「知らなくていいコト」

十分なカタルシス

イースト砲」炸裂

 

吉高由里子主演「知らなくていいコト」が快調だ。世間は受験シーズンの真っただ中。先週は大学入試問題の漏洩というタイムリーな内容だった。

きっかけは、週刊誌「イースト」記者のケイト(吉高)がバスの車内で耳にした女子高生のおしゃべりだ。進学塾のカリスマ講師が担当する特別クラスの受講生は、慶英大医学部への合格率が非常に高い。彼は毎年、合否のカギとなる小論文のテーマを予想し、的中させるというのだ。ケイトは即、反応する。

こうした鋭敏な嗅覚、もしくは無意識のアンテナは、記者にとって必須の能力かもしれない。結局、この案件は進学塾と大学の問題にとどまらず、新キャンパス開設をめぐる文科省と大学の贈収賄事件にまで発展する。

今回は特に社会派ネタの取材過程が興味深かった。張り込み、スマホを使っての動画撮影、当事者への直接取材などを、複数のチームが同時進行で行っていく。現実そのままではないにしろ、「文春砲」を思わせる「イースト砲」の炸裂には十分カタルシスがあった。

一方、毎回のエピソードと並行して描かれる、ケイトの父(小林薫)に関する「謎」もしっかりキープされている。軸となるのはケイトの元恋人でカメラマンの尾高(柄本佑)だ。脚本の大石静は尾高のシーンに力を入れており、柄本もまた演技でそれに応えている。大当たりの配役だ。

(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2020.02.05)


「東京ラブストーリー」リメイクについて解説

2020年02月05日 | メディアでのコメント・論評

 

 

「東京ラブストーリー」が

新キャストでリメイク 

SNSでは賛否両論、プロの意見は?

 

バブル景気を象徴する作品

フジテレビは1月24日、「『東京ラブストーリー』 配信決定!FOD/Amazon Prime Videoにて2020年春配信予定!」とのプレスリリースを発表した。たちまち大きな反響を呼んだのは、ご存知の方も多いだろう。

スポニチアネックスが同日朝に報じた「『東京ラブストーリー』29年ぶりに復活 新キャストは『カンチ』伊藤健太郎、『リカ』石橋静河」の記事は、YAHOO!ニュースのトピックスに掲載された。

1月30日現在、ニュースに対するコメント数は3800件を超えている。またツイッターでは「新キャスト×東京ラブストーリー」や「カンチ×東京ラブストーリー」がホットワードとなり、関心の高さが浮き彫りになった。

何しろ原作の発行部数と、テレビドラマの視聴率が図抜けている。柴門ふみ氏(63)が「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で原作の連載を開始したのが1989年。「バブル景気」真っ只中の頃だ。

小学館が2016年に発表したプレスリリースによると、原作コミックは1巻から4巻まで刊行され、累計の発行部数は250万部を超えているという。

テレビドラマは91年1月から3月まで「月9」の枠で放送された。全11話の平均視聴率は22・9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区。以下同)、最終回の平均視聴率は32・3%に達した。

当時の報道を1つだけご紹介しよう。日刊スポーツが3月20日に報じた「フジテレビ 東京ラブストーリー 最終回、視聴率32・3% 大反響!!」だ(註:引用に際してはデイリー新潮の表記法に合わせた。以下同)。

《柴門ふみの原作に人気絶頂の鈴木保奈美(24)主演、小田和正の主題歌「ラブストーリーは突然に」の200万枚の大ヒットも加わり、最近の1時間ドラマでは空前の大成功を収めた》

《東京・河田町のフジテレビ局内は歓声に包まれた。2月末に22%に達した視聴率は3月に入って26%、29%と回を追うごとにうなぎ上り。そして、最終回で念願の30%の大台に乗った。1時間ドラマの視聴率としては同局最高、テレビ界でも歴代10位に入る快挙。低迷が続く1時間ドラマではTBSテレビ「男女7人秋物語」(36・6%)以来3年ぶりの30%番組になった》

この“お化けドラマ”を約30年ぶりにリメイクするというわけだ。まずは、“新旧比較”をキャストから行ってみよう。表にしたので、ご覧いただきたい。

 

ど真ん中直球の恋愛ドラマ

次の相違点は放送方法だ。91年版が「月9」でオンエアされたのは先に見た通りだが、リメイク版はFOD(フジテレビ・オン・デマンド)とAmazon Prime Videoでネット配信される。

さらにストーリーも違う可能性があるようなのだが、これについては、少し説明が必要だ。原作と91年度版のドラマに詳しい記者が言う。

「ウィキペディアは原作とドラマの相違点として4点を挙げていますが、とてもそんなものではありません。原作のコミック版とテレビドラマ版は、登場人物の名前とキャラクターは原作通りでも、実際のストーリーは別物と言っていいほど変えられています。そして今回のリメイク版も、大幅に原作と異なる可能性があるのではないかとSNSなどで話題になっています」

フジテレビのプレスリリースには原作の柴門ふみ氏のコメントも掲載されているのだが、これがなかなか意味深なのだ。

《今回のドラマ化ではキャラクターは活かしつつ舞台は現代ということで、原作にはないスマホやSNSも当然登場することでしょう。東京も随分様変わりしました。スタバもユニクロも無かった時代で、カンチも三上も煙草を吸っていました》

例えばドラマの第2話は、ちょっとした連絡ミスが原因で、ヒロインの赤名リカが喫茶店で延々と永尾完治を待ち続けるシーンがある。

原作には存在しない場面で、ドラマにおける名シーンの1つだ。しかし、この設定が現代では成立しないのは誰の目にも明らかだろう。91年の赤名リカ=鈴木保奈美は何度も店内に置かれた公衆電話から連絡を取ろうとするが、今ならスマホで簡単に所在を確認できる。

――と、駆け足で91年版と20年版の比較を行ったが、テレビドラマの“プロ”は今回のリメイクをどう評価するのだろうか。

81年からテレビマンユニオンでテレビドキュメンタリーやドラマの制作に携わり、2010年には上智大学文学部教授(メディア文化論)に就任した碓井広義氏に取材を依頼し、まずは91年版を総括してもらった。

「バブル景気は91年2月に終わり、『東京ラブストーリー』は1月から3月まで放送されました。オンエア当時、世の中はむしろバブルの絶頂期という状態であり、それはドラマの成功と密接な関係があったと思います。ちなみに当時、私はディズニーランドの近くに住んでいましたが、周辺のリゾートホテルはクリスマスイブになると若いカップルで埋め尽くされました。『どうして若者たちが、あんなにお金を持っているんだろう』と不思議に思ったほどです」

71年から74年までの間に出生した「団塊ジュニア」は当時、20歳から17歳。日本社会が“若者中心文化”の側面を持ち、いわゆる“恋愛至上主義”の風潮が顕著だった。

「そうした時代を背景に、ど真ん中直球の恋愛ドラマ、青春ドラマとして制作されたのが『東京ラブストーリー』だったと思います。何にも忖度せず、ひたすら恋愛する若者の姿を追った。フジテレビの『月9』だからこそ成立した企画でしょう。原作のコミック版は素晴らしい群像劇ですが、ドラマ版はいわゆる“時代と寝た”魅力に満ちています。主人公とヒロインは会社員ですが、仕事をする場面の印象は乏しく、24時間、恋愛のことだけを考えているようです。ところが、そんな描写が当時の雰囲気とマッチし、視聴者の心を鷲づかみにしたのです」(同・碓井教授)

 

月9で放送しない理由

フジテレビにとっては、その後の“視聴率三冠王”につながったというエポックメイキング的なドラマである。しかし、その一方で、「過去の強烈すぎる成功体験」として局を呪縛し続けた作品でもあった。

「フジテレビの栄光と転落を同時に象徴するという点でも、ある意味で特異なドラマだと思います。そのリメイク作品が制作されると聞けば、少なからぬ視聴者が『そっとしておいてほしい』と思うのではないでしょうか。あまりに時代を象徴しているので、当時の社会情勢と切り離されてしまうことに不安や不満を感じるのかもしれません。故・松本清張の原作ドラマが時代の節々に制作され、いつも一定の視聴率や評価を得ているのとは非常に対照的です」(同)

ツイッターを見ても、もちろん歓迎する意見もあるのだが、懸念や批判的なツイートも相当な数にのぼる。一部をご紹介しよう。

《東京ラブストーリーのリメイクとかやめてくれー。鈴木保奈美にしかリカはできないよ。思い出を汚さないで》

《東京ラブストーリーのリメイク? あれはあの時代だから共感、感動を呼んだドラマであって、現代の20代の価値観とはかなり異なる》

《東京ラブストーリーを今更リメイクしても無理がある。。今の時代に鍋ごとおでん持ってくる女とかストーカーだから》

《バブル時代の年収いくらだよてツッコミたくなるオシャレなマンションに住みハイブランドな服と濃い目のメイク、家までタクシーで帰る、連絡は公衆電話時代のドラマだからよかったんだよ。所詮リメイクの配信じゃ盛り上がらないよ》(註:句読点を補い、改行を削除した)

碓井教授の指摘と重なる書き込みが目立つわけだが、それでも碓井教授は「お手並み拝見と楽しみな気持ちもあります」と言う。

「リメイクより新作の恋愛ドラマを見たいという気持ちもあります。『使えるものは何でも使ってしまおう』という話題最優先の姿勢に疑問がないわけでもありません。ですが、あの『東京ラブストーリー』を現在にどう移植するかは、やはり見どころでしょう。特に91年版は登場人物が仕事をしている気配が希薄でしたから、リメイク版で改善されるかもしれません。しっかり働きながら恋愛するという人物像が描ければ、2020年という時代にフィットする可能性もあります」

フジテレビが動画配信を選択したことは、91年版を“社の宝”として大切に扱っている証左だと指摘する。

「もし『月9』でリメイク版を放送し、視聴率が1ケタになってしまったりすれば、会社の財産を毀損してしまうという意識はあると思います。そして、満足のいく視聴回数になれば、深夜ドラマとしてスピンオフさせるなど、フジテレビも次の計画を練っているでしょう。今、なかなかテレビドラマが視聴者に届かない時代です。動画配信で生まれ変わる“新・東京ラブストーリー”がどういう評価を受けるかは、テレビの将来という観点からも注視する必要があると思います」(同)

(デイリー新潮 2020年2月3日)


言葉の備忘録125 すべての人の・・・

2020年02月04日 | 言葉の備忘録

富士山 2020

 

 

すべての人の現在は、

結局、

その人が

過去に経験したことの

集大成としてある。

 

 

立花 隆「知の旅は終わらない」

 


天才脳外科医、がん専門医・・・急増する「医療ドラマ」

2020年02月03日 | 「現代ビジネス」掲載のコラム

番組サイトより

 

天才脳外科医、がん専門医・・・

急増する「医療ドラマ」その確実な進化

「大門未知子」のいない冬の熱き戦い

 

林立する「医療ドラマ」

今期のドラマで目立つのが、医師が主役で、病院が主な舞台となる「医療ドラマ」だ。

『トップナイフ―天才脳外科医の条件―』(日本テレビ)、『恋はつづくよどこまでも』(TBS)、『病院で念仏を唱えないでください』(同)、『アライブ―がん専門医のカルテ―』(フジテレビ)、そして『病院の治しかた―ドクター有原の挑戦―』(テレビ東京)と5本にもおよぶ。

なぜ、これほど医療ドラマが乱立、いや林立するのか。

作る側からすれば、「(視聴者に)見てもらえるドラマ」「他のジャンルに比べて数字(視聴率)の歩留まりがいいコンテンツ」ということになるのだろうが、もう少し、その背景を掘り下げてみたい。

第一に、しっかり作られた医療ドラマは、同時に「社会派ドラマ」でもあるということ。なぜなら、医療システムとは、社会システムそのものでもあるからだ。

現在、多くの視聴者(特に高齢者)にとって、医療は経済などと並んで大きな関心事の一つになっている。いや、医療に対する不安感や危機感が、今ほど広がっている時代はないかもしれない。

関心度が高いからこそ、週刊誌などでも医療をテーマとした特集が繰り返されている。しかも医療の世界は外部からうかがい知ることが難しい。視聴者が持つ医療そのものへの関心が、医療ドラマを支持する要因の一つとなっている。

また、医療ドラマの主人公である医師は、「強き(病気)を挫き、弱き(患者)を助ける」存在であり、本来的に「ヒーロー」の要素をもった職業だ。

ならば医療ドラマは、生と死という究極のテーマを扱う「ヒーロードラマ」ということになる。『ドクターX―外科医・大門未知子―』(テレビ朝日)などは、その典型だろう。

 

天才外科医ならぬ天才脳外科医『トップナイフ』

思えば、今期ドラマのラインナップには、『ドクターX』が入っていない。いわば「大門未知子」のいない冬だ。しかし大門は不在でも、個性的な女医はいる。

その一人が、『トップナイフ』の深山瑤子(天海祐希)だ。大門は「天才外科医」だが、深山は「天才脳外科医」。医学界は天才でいっぱいだが、深山は大門のようなフリーランスではない。東都総合病院の脳神経外科に所属する勤務医だ。

本当は大門と同じように手術だけやっていたいタイプだが、そうもいかない。今出川部長(三浦友和)の指示で、新メンバーの「まとめ役」を担うことになる。

ひとりは脳腫瘍では「神の手」と呼ばれる天才医師、黒岩(椎名桔平)。次が深山にもタメグチの生意気な秀才医師、西郡(永山絢斗)。そして3人目は高偏差値の「ドジっ子」研修医、幸子(広瀬アリス)だ。

第1話では深山と西郡、黒岩と幸子がそれぞれペアを組み、2つの難手術を同時に決行していた。見せ場も2倍となる、ぜいたくな展開だ。『ドクターX』の大門ワンマンショーもいいが、タイプの異なる天才たちによる「群像劇」も悪くない。

第2話でも、この同時進行パターンは踏襲された。患者は、長年「三叉神経痛」による顔面の痛みに苦しんできた女性と、見知らぬ男性を自分の恋人だと思ってしまう「フレゴリ妄想」に陥った女性だ。

このドラマでは、患者たちが手術に至るまでの背景、それぞれが抱えた事情についても丁寧に描かれている。その回だけの登場人物であっても、彼らの「その後の人生」を見たくなってくる。医療は患者の現在だけでなく、「これから」をも支えるものだと分かるのだ。

毎回、ドラマの冒頭に、「脳はこの世に残された唯一の未開の地である」という文章が表示される。確かに、1000億の神経細胞が集まった脳の複雑さは想像を超える。オーバーに言えば「神の領域」だ。

そこに踏み込む脳外科医は、脚本の林宏司が手掛けた、同名の原作小説の言葉を借りれば、「神をも恐れぬ傲慢な職業」である。

何しろ脳は体だけでなく、人格や性格など精神面も支配している。さまざまな患者たちの人生をも描く「人間ドラマ」として見応えがある

 

がん患者と向き合う専門医『アライブ』

もう1本、女医が活躍しているドラマが、『アライブ―がん専門医のカルテ―』だ。

こちらの特色は、舞台が「腫瘍内科」という、がん専門の診療科が舞台であること。かつては4人に1人が、がんになると言われていたが、今は2人に1人だそうだ。まだあまり知られていないが、腫瘍内科は誰もがお世話になる可能性を持つセクションかもしれない。

主人公は腫瘍内科医の恩田心(松下奈緒)。横浜みなと総合病院に勤務している。夫と息子の3人暮し。仕事と主婦と母親という負荷の大きい毎日が続いていたが、夫の匠(中村俊介)が事故で意識不明となったことで事態は一変する。

そして、他の病院から、みなと総合病院に転籍してきたのが、腕のいい消化器外科医である梶山薫(木村佳乃)だ。物語は、この2人の女医ペアを軸に展開されていく。

実は、以前薫が在職していたのは、匠が入院している関東医科大学付属中央病院だった。しかも彼女は匠の執刀医を務めていたのだ。

しかし、そこで起きたらしい医療ミスのことも含め、心は何も知らない。また、匠に関して強い自責の念を抱えている薫が、なぜ、その妻である心のいる病院に移ってきたのかは不明で、このあたり、サスペンス風でもある。

第2話では、乳がんの若い女性患者が登場した。手術では片方を切除することになると知り、彼女は将来の恋愛や結婚や出産をイメージして、立ちすくんでしまう。

すると突然、薫が「実は私も、がんサバイバーだった」と告白する。その場で衣服を脱いで、彼女に「再建した」という胸を触らせたのだ。さらに、「もしも胸の傷を気にするような男なら、それは、あなたの運命の相手じゃないから」と。

この時の木村は、背後から上半身をカメラに撮らせたまま、ワンカットですっぱりと脱いだ。それは見事な女優魂であり、おかげで説得力のあるシーンとなった。一瞬、主役は松下ではなく、木村ではないかと思ったほどだ。こうした「拮抗」が、ドラマの緊張感を生む。

第3話は、末期がん患者の女性(朝加真由美)とその家族のエピソードだった。本当は自宅で最期を迎えたいのだが、夫や嫁いでいる娘たちに迷惑をかけるからと、ホスピスに行くことを希望する。

緩和医療という難しいテーマだったが、患者本人と家族、それぞれの葛藤というリアルなストーリーを通じて、見る側も、自分たちに引き寄せて多くのことを考えることが出来た。前述した、「社会派ドラマ」としての要素がそこにある。

この第3話で、心の夫、匠が息を引き取った。事故が起きる前、小説家を目指していた匠に向かって、「いつまで待たせるの! これ以上、失望させないで」となじったことを後悔する心。医師もまた、「患者の家族」になり得るのだ。

また匠が亡くなったことは、秘密を抱える薫にも強いショックを与えた。今後の展開が大いに気になる。

 

進化する「医療ドラマ」

女医が活躍する医療ドラマといえば、やはり『ドクターX』が代表格だ。そこには、命を扱う緊迫感があり、善悪が明快な展開があり、見せ場としての手術があり、最後は命が救われる爽快感もある。

『トップナイフ』も、『アライブ』も、同じく女医が主役だ。しかし、『ドクターX』との単純な差別化というだけでなく、医療の現場で医師や患者が直面する、現実的な課題や苦悩をストーリーの中に巧みに取り込んでいる。

そして、そこでの医師は、いわゆるスーパーヒーローではなく、悩みや迷いを抱えた一人の人間として描かれており、見る側の共感もそこから生まれる。医療ドラマもまた確実に進化しているのだ。

 


正攻法の歴史ドラマ「麒麟がくる」

2020年02月02日 | 「北海道新聞」連載の放送時評

 

 

正攻法の歴史ドラマ

「麒麟がくる」

 

今年のNHK大河ドラマ、長谷川博己主演「麒麟がくる」が始まった。昨年の「いだてん」は意欲的な実験作だったが、残念ながら内容や登場人物がこの枠に合致していたかどうか、疑問が残った。

今回は、いわゆる「戦国大河」の復活となる。これに対して、戦国時代や幕末など同じ時代、同じ人物が繰り返し取り上げられるという批判があるのも事実だ。しかし、作品によって人物像や史実の解釈が違う点も大河の魅力だろう。

主人公は明智光秀。「本能寺の変」で主君の織田信長を討ったことによって、「裏切り者」もしくは「悪人」のイメージが強い。

しかし、「歴史」を作ってきたのは常に勝者であり権力者である。信長の後継者を自任する秀吉にしてみれば、自らの正当性を主張するためにも、光秀を「逆賊」とする必要があったはずだ。では、光秀とは果たしてどのような人物だったのか。ドラマはフィクションだが、一つの解釈として楽しみたい。

初回、光秀は主君の斉藤道三(本木雅弘)に直訴して旅に出た。堺で地方にはない「豊かな経済」を体感し、京では「都の荒廃」を目にする。この行動力と洞察力が光秀の武器となっていくはずだ。

脚本を手掛けているのはベテランの池端俊策だが、その手腕は他の場面でも発揮されていた。光秀は京で火事の現場に遭遇する。燃え落ちる民家から子どもを救い出した光秀は、医師・望月東庵(堺正章)の助手、駒(門脇麦)から教えられる。「戦(いくさ)のない世をつくれる人が、麒麟を連れてくる」のだと。

それを聞いた光秀が言う。「旅をしてよく分かりました。どこにも麒麟はいない。何かを変えなければ、誰かが変えなければ、美濃にも京にも、麒麟は来ない!」。光秀が、その後の人生をどう歩むのかを予感させる、見事なセリフだった。

主演の長谷川だが、何よりその立ち姿が美しい。このドラマにおける光秀は、庶民への接し方も人間的で、ごく真っ当な精神の持ち主であることがわかるが、長谷川の雰囲気にはぴったりだ。ある時は純な少年の表情を見せ、またある時は大人の思慮深さがにじみ出る、新たな戦国武将像を創出している。

前作「いだてん」は、機関銃のようなセリフと短いカットの積み重ねが忙(せわ)しかった。今回は歴史ドラマとして正攻法の構えであり、あざやかな色彩に満ちた波瀾の戦国物語をじっくりと味わえる一作になりそうだ。

(北海道新聞「碓井広義の放送時評」2020.02.01)

 

 

 

 

 


【書評した本】 ビートたけし『芸人と影』

2020年02月01日 | 書評した本たち

 

 

週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。

 

一流の語り芸で「芸人の作法」を説く1冊

 ビートたけし『芸人と影』

小学館新書 880円

 

昨年の芸能界で最も大きな出来事だったのが、いわゆる「闇営業」問題だ。芸人と反社会的勢力との関係性が問われたが、いつの間にか吉本興業の旧態依然たる企業体質へと論点が移っていってしまった。

ビートたけし『芸人と影』は、この問題も含め、芸能界と芸人の「深層」を語った一冊だ。そのスタンスは明快で、元々芸能界はカタギの社会で生きられない人間たちの集まりであると言い切り、「世間一般の道徳を芸人に押しつけるから話がおかしくなる」。

また、この国の芸能界は歴史的にヤクザと共にあったわけで、「その責任を、ここ数年で出てきたような若手芸人におっかぶせること自体に無理がある」。確かに世間の過剰反応も度を越していたが、それを煽ることで利益を上げていたのがマスコミだった。

一方、著者は芸人に対しても釘を刺す。お笑いに唯一求められているのは「客を笑わせること」であり、「そのためには何をするべきか、すべきではないか」を考えて行動する。それが「芸人の作法」につながると言うのだ。自分が芸人という名のヤクザ者であり半端者であるからこその作法。そんな意識が渦中の芸人たちにあったら、事態は変わっていたかもしれない。

著者は「所詮はたかがお笑いの男の戯れ言だから」と韜晦するが、そんなことはない。業界における位置を考えると、本書での発言は貴重だ。主観と客観のバランスが絶妙で、何より一流の語り芸になっている。

(週刊新潮 2020年1月23日号)