子が大きくなれば
家を出ていくのは当り前で、
そうして団欒は失われていく。
家族はけっして永遠ではない。
しかし、
一瞬だけのものであるから愛しいのだ。
北上次郎 『息子たちよ』
子が大きくなれば
家を出ていくのは当り前で、
そうして団欒は失われていく。
家族はけっして永遠ではない。
しかし、
一瞬だけのものであるから愛しいのだ。
北上次郎 『息子たちよ』
テレ朝「24 JAPAN」
57歳の唐沢寿明の熱演には拍手だが・・・
なんとびっくりの「24 -TWENTY FOUR-」リメークだ。その名も「24 JAPAN」ときた。
アメリカでシーズン1が放送されたのは19年前。日本でも16年前のことだ。テレ朝のプロデューサーが「やりたい」と言い続けたそうだが、出すべき時期を逃した「証文の出し遅れ」感は否めない。
とはいえキーファー・サザーランドが35歳で演じたジャック・バウアーを、57歳の唐沢寿明が引き受けたのだ。そりゃ見ないわけにいかない。
そして9日の第1話。結論を急ぐなら、日本版というよりパロディー版と言うべき代物だ。まず「初の黒人大統領」候補と「初の女性総理」候補では、存在自体が持つ意味や重さがまるで違う。
また暗殺計画なるものに対する緊迫感も異なる。だから本国版ではリアリティーを感じさせたCTU(テロ対策ユニット)も、こちらはセットのミニサイズ化と相まって何ともチャチくさいのだ。
主人公の獅堂現馬(唐沢)など登場人物も物語の流れも、基本的にはオリジナルをなぞっているはずなのに、ゆるふわな雰囲気は最後まで変わらなかった。
加えて、かつては新鮮だった2分割・3分割の画面も、今になると「リモートドラマ」を見るようで落ち着かない。
結局このドラマ、パロディーとしての完成度をSNSのネタにしながらワイワイ楽しむのが正解だろう。唐沢の熱演に拍手を送りながら。
(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2020.10.14)
最後のマネージャーが明かす
「ちあきなおみ」の全て
古賀慎一郎『ちあきなおみ 沈黙の理由』
新潮社 1485円
歌手にはそれぞれ、代表作と呼ばれるものがある。ちあきなおみの場合、多くの人が挙げるのが『喝采』だろう。女性歌手が恋人の訃報に接しながらもステージに立つという内容の曲だ。しかも聴き手が勝手にちあきの「実人生」と重ねることで、一種特別な作品となっている。
ちあきが『雨に濡れた慕情』で歌手デビューしたのは1969年。21歳だった。独特のハスキーボイスと抜群の歌唱力で、その後も『四つのお願い』『夜間飛行』『黄昏のビギン』『星影の小径』などのヒット曲を送り出してゆく。
夫である俳優の郷鍈治が亡くなったのは92年秋のことだ。それをきっかけに、ちあきは芸能活動を休止してしまう。28年が過ぎた現在も、いわば「生ける伝説」のままだ。
著者は最後のマネージャーとして、ちあきと接してきた人物である。この本を手にする者が知りたいことは二つに集約されるはずだ。
まず「なぜ表舞台から消えたのか」であり、もう一つが「歌手としての復帰はあるのか」。その答えは確かに本書の中にある。いや、長年続く世間の問いや憶測に答えるために、著者が本人に代って書いたと言っていい。
最も印象に残るのは、ちあきにとって郷が自分の全てであり、ひたすら郷のために歌い続けていたという事実だ。郷もまた、ちあきが「心から歌いたい歌」を歌い続けられることに命を懸けていた。
郷が闘病生活に入ってからの、ちあきの献身的な看病は想像以上だ。さらに彼を失った悲しみの深さも伝わってくる。著者に語ったという「ちあきなおみは、もういないのよ」の言葉が重い。
読み進めるうち、どうしてもちあきの『冬隣』が聴きたくなった。
「地球の夜更けはせつないよ/そこからわたしが見えますか/見えたら今すぐ/すぐにでも/わたしを迎えにきてほしい」という歌詞が切ない。だが、ちあきの歌声はどこまでもやさしく、そして澄んでいる。
(週刊新潮 2020.10.15号)
「なんとまあ、後味の悪い第1話なんだろう」と、思わず苦笑いしてしまいました。10日(土)に始まった、柴咲コウ主演『35歳の少女』(日本テレビ系)です。
タイトル通り、ヒロインは「35歳の少女」。いや、正確にいえば「35歳の体と10歳の心を持つ少女」ですね。
1995年、10歳の望美(鎌田英怜奈)は自転車に乗っていて事故に遭い、植物状態に陥りました。それから25年という歳月が流れ、なんと35歳の誕生日に意識が戻ります。しかも、その意識というか精神は10歳のままなのです。
そして、ここがこのドラマのキモになるのですが、25年の間に、望美(柴咲)の「家族」も「社会」も驚くべき変化を遂げていました。
特に家族。大好きだった父・進次(田中哲司)は、事故の後に母・多恵(鈴木保奈美)と離婚。現在は新たな妻・加奈(富田靖子)とその連れ子である達也(竜星涼)と暮しています。
可愛かった妹の愛美(橋本愛)は、ちょっとキツい感じの30代に。また優しくて明るかった母も、暗くて笑顔の乏しい女性になっています。それぞれの25年と、それぞれの現在。
母が父と妹に声をかけ、家族崩壊を隠した形で「退院祝い」が開かれます。小学校のクラスメイトだった広瀬結人(坂口健太郎)も、母に頼まれてやってきました。
結人は、小学校の先生をしていたのですが、生徒とも親たちともうまくいかず、辞めてしまったこと。今の世界は、25年前に小学生の望美が思い描いていたような「明るい未来」ではないこと。それらを一気にぶちまけてしまいます。
さらに望美は、「家族」がバラバラになってしまったことも知ることになります。望美にしてみれば突然の大きなショック。「そりゃ泣き出すよね」と、同情するしかありません。
本作と同じ遊川和彦さんの脚本で、昨年秋に放送された『同期のサクラ』(日テレ系)でも、主人公の10年におよぶ「昏睡状態」と、そこからの「目覚め」が描かれていました。とはいえ、サクラは大人の女性であり、10年の変化を受けとめることができました。
しかし、望美の「中身」はあくまでも10歳の女の子です。10歳の心と頭で、25年間に起きたことから、25年後の現在までを受けとめなくてはならない。これは結構ハードです。
まだ望美は知りませんが、両親の離婚も、妹のヤサグレ化も、25年前の自分に事故に遠因があるようです。それを知ったら、望美がさらに傷つくことは明らかです。
というわけで、「後味の悪い第1話」という最初の印象に戻ります。現在のところ、見る側にとって母親も父親も妹も、あまりいい印象ではありません。
多少の救いは、結人が望美に向って、「初恋のひとだった」と25年を経て告白したことでしょうか。まあ、それを聞いているのは、あくまでも10歳の女の子なんですが。
さて、今後はどんな展開になるのか。体が回復したとして、その後はどうするのか。小学校4年生に「復学」する? いや、復学して、中学、高校と進むというのが、どうにもイメージできません。とはいえ、家の中に閉じこもっているだけでは前に進めません。
「見た目が35歳で中身は過去の10歳児」というのは、いわば「異形の者」です。現在の10歳たちと横並びになることも、35歳たちの列に加わることも、かなり難しい。
もしかしたら、脚本の遊川さんをはじめとする制作陣は、この「異形の者」を介して、現代社会とそこに生きる私たちの「在り方」を捉え直そうとしているのかもしれません。望美の「困難」を通じて、25年の間に私たちが「失ってきたもの」「捨ててきたもの」「忘れているもの」に目を向けさせる、といった意図です。
それは構わないのですが、過去から来た10歳の少女に「媒介」の役割を背負わせるのは、かなり酷なことであり、物語として成立させるのはハードルの高い作業です。
なぜなら、当分は自分が「異形の者」であることも十分に理解できないし、自分の判断で動けることも限られているからです。受け身でいるしかないにも関わらず、「受けとめるもの」の重さが半端じゃない。
このドラマのヒロインは「35歳の少女」ではありません。あくまでも「10歳の少女」です。25年後という「異世界」に、「異形の者」として放り込まれてしまった「10歳の少女」のお話なのです。
10歳が、何を、どこまで、感じとり、考えることができるのか。そして、それを不自然ではないように描けるのか。
柴咲コウさんは、乱暴な言い方をすれば「着ぐるみ」です。中には10歳の少女が潜んでいます。10歳の少女の感情を表現する生きた着ぐるみ。逆に言えば、この難しい役柄、柴咲さんくらいの力量がないと演じられません。
狙いがまだ見えない「奇抜な設定」であり、視聴者を篩(ふるい)にかけるかのような第1話でしたが、それもまた「遊川脚本」の特色ではあります。
望美にしてみれば、しばらくはしんどい状況が続きそうです。第1話を見て「週末の夜にはヘビーだな」と感じ、「次回からはパスかも」と判断した人も、少し間を置いてから、この異色作をチェックしてみるといいでしょう。制作陣の意図も、トライの成否も、きっと明らかになっているはずです。
<今夜見たい番組>
旅行や観光に出かける人が増えるなど、新型コロナに対する警戒感は一部では徐々に薄れて来ている。しかしいまだ正体不明のウイルスに不安を感じ続ける人も少なくない。私たちはコロナをどこまで怖がればいいのか?また経済へのダメージが深刻化する中、感染防止と経済活動のバランスをどう取っていけばいいのか?さまざまな立場の人たちがスタジオに集い、コロナ禍の社会に広がるさまざまな不安とどう向き合うか、徹底討論する。
“安心”を求めて自由を手放すリスク
池田清彦『自粛バカ~リスクゼロ症候群に罹った日本人への処方箋』
宝島社新書 981円
新型コロナウイルスとの日常も秋を迎えた。「一億総マスク化」の風景は見なれたが、どこかモヤモヤした気分を抱えたままだ。
池田清彦『自粛バカ リスクゼロ症候群に罹った日本人への処方箋』のおかげで、その「いやな感じ」の正体が判った。自分も含め日本人全体が思考停止に陥り、「自粛バカ」になっていたのである。
6月下旬に行われたNHKの世論調査では、「政府や自治体が外出を禁止したり、休業を強制したりできるようにする法律の改正が必要」と考える人が6割以上だったそうだ。著者によれば日本人は科学的な「安全」ではなく、心理的な「安心」を求めるからだという。
背後にあるのは「ゼロリスクへの信仰」だ。しかし、どんなリスクも絶対にゼロにはならない。ゼロリスクという安心のために自由を手放し、「強権的な措置を可能にする法改正」まで求める。そのリスクに気がつかないことの方が危険だ。
さらにマジョリティ(多数派)によるマイノリティ(少数派)への「いじめ」についても言及する。ここでも日本人特有の「察する文化」が機能し、大勢としての「空気」が決まればそれに従い、次に従わない者を排除する。いわゆる「自粛警察」が典型だ。
権力側にとってはコントロールしやすい国民なのだろう。だが、著者の言う「自己家畜化」に抗うことは可能だ。正しい情報をもとに自分の頭で考え、判断し、行動すること。本書はそのための強い味方となる。
(週刊新潮 2020年10月1日号)
松岡茉優主演「カネ恋」は
亡き三浦春馬さんの笑顔と好演も記憶の中に
松岡茉優主演「おカネの切れ目が恋のはじまり」の舞台は、おもちゃ会社だ。お荷物社員の猿渡慶太(三浦春馬)は社長の息子。高級マンションに住み、買い物し放題の「浪費男子」だった。
そんな慶太が経理部の九鬼玲子(松岡)と出会ったことで変化が起きる。自分の好きなものを大切にして暮らす「おカネ哲学」だけでなく、この一風変わった「清貧女子」の人柄に引かれていく。
ところが、玲子はカリスマ公認会計士の早乙女健(三浦翔平)に15年越しの片思い中。しかも、ようやく玲子に接近してきた早乙女には妻子がいた。
失恋に泣く玲子。慰める慶太。さあ、2人はこれからどうなる? というところまで来ながら6日の第4話で終わってしまう。7月半ばに三浦春馬が亡くなったことで全話を制作することができなかったのだ。
脚本が同じ大島里美ということもあり、このドラマには昨年の話題作「凪のお暇」の薫りが漂う。人とも世間とも自分なりの「距離を保つ」生き方も現代的だ。玲子の実家が「鎌倉」にある設定。慶太を見守る「カワイイ」キャラクターのロボットなど、ヒット要素をたっぷり詰め込んでいた。
松岡にとって本作がTBS連ドラ初主演。昨年の主演映画「蜜蜂と遠雷」で見せた力量を大いに発揮しているだけに残念だ。また今は亡き三浦春馬の笑顔と好演も記憶にとどめておきたい。合掌。
(日刊ゲンダイ「テレビ 見るべきものは!!」2020.10.07)
10月に入りました。「半沢ロス」とか「ナギサさんロス」とか言ってるうちに、間もなく「秋ドラマ」が続々とスタートすることになります。
今年の「夏ドラマ」は、終ってみれば『半沢直樹』『わたしの家政夫ナギサさん』『MIU404』と話題作の多くがTBSに集中していました。往年の「ドラマのTBS」の称号がすっかり復活した感があります。
とはいえ、当然のことながら夏ドラマは上記3本だけではありません。いわゆる話題作、人気作などの陰にかくれた「でも面白かったぞ」的ドラマは存在したのでした。
新たなシーズンに突入すれば、前シーズンの産物はすっと忘れられたりします。記録というだけでなく、各作品への感謝も込めて、何本かの「夏ドラマ」について記しておこうと思った次第です。
まずは、「トンデモおやじ」から元気をもらった『親バカ青春白書』(日本テレビ系)です。
主人公は、妻(新垣結衣)を早く亡くした小説家、ガタローこと小比賀太郎(おびか・たろう、ムロツヨシ)。一人娘のさくら(永野芽郁)が可愛くて仕方ないし、心配でたまりません。
大学に入れば「悪い虫」も寄ってくる。ならば「自分が守らないで誰が守る!」とばかりに娘と同じ大学を受験し、一緒に入学してしまうというトンデモ話でした。
さくらは友達の山本寛子(今田美桜)たちとキャンパスライフを楽しみます。しかし、いつでもガタローは監視、いや警護の目を光らせている。
娘が同級生の畠山雅治(中川大志)と接近すれば止めに入り、怪しいサークルのパーティーで襲われそうになれば駆けつけて助け出し、また隣のおばちゃんが「カレシでもできたんじゃない?」とガタローをからかえば、「そんなの私が許しません!」と激怒します。
超が付く「親バカおやじ」の奇人・変人ぶりが成立したのも、演者がムロツヨシさんならばこそ。自分が普通の人間であることを恥じる畠山に向かって、「どんな状況でも普通でいられるヤツが一番すごいんだ」と諭したりするのも笑ってしまいました。
思えば現実社会では、大学の教室で仲間と並んで受ける授業も、学食でのおしゃべりも、いまだ復活にまで至っていません。新型コロナウイルスに加え、猛暑続きで熱中症の心配までしていた未曽有の夏に、笑いで熱波を吹き飛ばしてくれた貴重なドラマです。
次は、玉木宏さんと高橋一生さんによるクライムドラマ『竜の道~二つの顔の復讐者』(関西テレビ制作、フジテレビ系)。
親に捨てられた双子の兄弟が、小さな運送会社を営む夫婦に育てられます。その養父母は大手のキリシマ急便に会社を乗っ取られて自殺。兄弟は社長の霧島源平(遠藤憲一)への復讐を誓いました。これが話の大筋です。
兄の竜一(玉木宏)は自らの死亡を偽装し、整形した上で裏社会とつながっていきます。弟の竜二(高橋一生)は国土交通省の官僚に収まります。
竜一が企業コンサルタントとしてキリシマ急便に入り込み、竜二は霧島の娘・まゆみ(松本まりか)の恋人となる。
見ていて、「なんか昭和だなあ」と思いました。同時に「こういうドラマがあってもいいじゃないか」という気もしたのです。復讐を遂げることが自分たちを滅ぼすことになるかもしれない。しかし理性的にはあり得ない行動に出るのもまた人間です。このあたりの雰囲気がよく出ていました。
とはいえ事がそう簡単に運ぶはずもありません。キリシマ急便からの社長追放は頓挫(とんざ)し、竜二が復讐目的でまゆみに近づいたことも知られてしまいます。
あせる竜一。兄を心配する竜二。さらに、かつて兄弟が養父母の家で一緒に暮らした妹、美佐(松本穂香)をめぐる2人の思いも微妙にすれ違っていきました。
玉木さんと高橋さんの2人が、これまでにない役柄に挑んでいたこと。内なる葛藤を言葉で説明するのではなく、表情や行動で見せていたこと。そして女優陣「W松本」の健闘も見どころでした。真夏の穴場的ドラマとして、すでにちょっと懐かしい1本です。
3本目に挙げるのが、『半沢直樹』と同じ続編という形だった『未解決の女~警視庁文書捜査官』(テレビ朝日系)です。
ヒロインの矢代朋(波瑠)が所属するのは、文書捜査が任務の「特命捜査対策室」第6係。2年前と同じですね。バディーを組む鳴海理沙(鈴木京香)も、室長の古賀(沢村一樹)も、コワモテの草加(遠藤憲一)も変わっていません。
ただ、いつも定時退庁していた財津(高田純次)が退職し、代わりに新係長として京都府警から国木田(谷原章介)が赴任してきました。
前作からの大きな変更がないことは、これまでのファンを安心させます。それは内容面も同様で、過去の事件と新たな事件が結び付けられ、最終的には2つの殺人事件を同時に解決する構造が継承されていました。
たとえば5年前の弁護士殺害事件と日雇い労働者の焼死体。また10年前の大学教授殺害事件と元古書店員の死。
前者は同じ文言のメッセージ、後者では「定家様」と呼ばれる藤原定家の書風がカギとなりました。このドラマの特色である「文書」を軸とした展開が今回も楽しめたのです。
とはいえ、見る側を飽きさせないための工夫も必要です。いつも鳴海の指示で動く朋が、逆に鳴海をコントロールする場面が登場する回もありました。「定型」の安心感と「定型破り」の意外性。そのバランスが、このドラマの強みです。前後編となっていた最終話も見応えありで、女性版の『相棒』へと、また一歩近づいたのかもしれません。
・・・ということで、これら3本だけでなく、すべての「夏ドラマ」のキャストとスタッフの皆さんに、感謝の気持ちと「おつかれさまでした!」の言葉を贈ります。
<碓井広義の放送時評>
「半沢直樹」の大団円
現実社会とリンクした痛快さ
日曜劇場「半沢直樹」(TBS-HBC)が大団円を迎えた。テレビ離れやドラマ離れが言われて久しい。タイムシフトと呼ばれる録画視聴は当たり前で、リアルタイムでの視聴者が減少している中、9月27日放送の最終回の世帯平均視聴率(関東地区、ビデオリサーチ調べ)は32・7%に達した。
なぜ「半沢直樹」は社会現象ともいえる人気を得たのか。第一に主人公の半沢を演じた堺雅人はもちろん、歌舞伎界や演劇界からの強力な援軍を含む俳優たちの熱演がある。次に福沢克雄ディレクターをはじめとする演出陣の力業も見事だった。しかし見る側を最も引きつけたのは、後半の「帝国航空」をめぐる物語展開ではなかったか。
その国を代表する航空会社という意味の「フラッグ・キャリア」と設定された帝国航空は、当然のことながら「日本航空」を思わせる。10年前に日本航空が倒産した際、金融機関などは5千億円以上の債権を放棄。ドラマで描かれたような国土交通省やタスクフォースの動きの有無はともかく、極めて高度な「政治的事案」だったことは確かだ。
半沢たちが作成した帝国航空の再建案をつぶし、航空会社と銀行の支配を目論(もくろ)んだのは与党の箕部幹事長(柄本明)である。しかし、その箕部は銀行から20億円もの不正融資を受け、地方空港開設にからむ利権で私腹を肥やしたことを暴かれた。ドラマというフィクションの中とはいえ、政権を担う党の幹事長がゲームにおける最終的な悪玉「ラスボス」のごとく描かれた点に注目だ。
折しも9月には菅義偉政権が誕生したが、そこに至る過程では二階俊博・自民党幹事長の存在が見え隠れした。政権党の幹事長が実際にどれだけの権力を持つのかは判りづらいが、最終回で半沢が国交相の白井亜希子(江口のりこ)を「あなたが総理になっても幹事長の言いなり」と諭すなど、ドラマは「政界」という現実を果敢に取り込んでいた。
新型コロナウイルスの影響で明らかに社会が変わってきた。「一億総マスク化」に象徴される閉塞(へいそく)感も続いている。また多数派の意見は一種の「空気」となり、「みんなと同じ」を強要する「同調圧力」を生む。コロナをめぐる「自粛警察」などはその典型だ。
しかし半沢は最後まで自分が信じる理念のもとに行動した。相手が権力者でもひるまない半沢に、留飲を下げた人は多いのではないか。現実社会とリンクした痛快さこそ、見る側がこのドラマに求めたものだったのだ。
(北海道新聞「碓井広義の放送時評」2020.10.03)
「半沢直樹」が示したドラマの可能性
見せ場に快哉、型の美ピタリ
日曜劇場「半沢直樹」(TBS系)は9月27日に最終回を迎え、大和田暁(香川照之(てるゆき))の「あばよー!」とともに幕を閉じた。組織と個人の相克を重厚かつコミカルに描き、勧善懲悪のストーリーで視聴率は全回20%超を記録する「令和の時代劇」となった。大ヒットに大きな役割を果たしたのは芸達者な歌舞伎役者らだ。ネットとの厳しい競争にさらされる地上波ドラマに、なお可能性が残されていることを示したようだ。(三宅令)
◆異分野から次々
中高年の男性だけではなかった。「おしまいDEATH(デス)!」「千倍返しだ!」-。こんな強烈なシーンは子供がまねをするほどに。都内の会社員の女性(42)は「見ていないと小学校での話題についていけないみたい」と話す。SNSには終了を惜しむ声が渦巻き、ドラマを一度でもリアルタイムで見た人は6千万人を超えるという。
主役の半沢直樹を演じる堺雅人(まさと)や香川に加え、7年前の前作とは違った存在感を放ったのは、いわゆる“ドラマ俳優”以外の出演者だった。お笑い芸人の角田晃広(かくた・あきひろ)、児嶋一哉(かずや)、“土下座後ずさり”で話題となった劇作家の佃典彦(つくだ・のりひこ)、声優の宮野真守(まもる)らだ。とりわけ数々の名場面を生み出し、人気に大きく貢献したのが歌舞伎役者だった。
物語のキーパーソンである香川と市川猿之助(えんのすけ)、片岡愛之助と尾上松也(おのえ・まつや)の4人、さらには8話から登場した浅野和之も歌舞伎の舞台経験者。猿之助は「“歌舞伎役者”として(ドラマに)出ている」と話したこともあり、各話の随所に歌舞伎のエッセンスがちりばめられていた。
◆顔芸・舞台演出・見得
例えば、7話で曾根崎(佃)に「さあさあさあ」と、大和田と半沢が詰め寄るのは、歌舞伎の「繰り上げ」と呼ばれる手法。張りのある声、鍛えられた表情筋での“顔芸”もテレビ離れした迫力だった。
日本大芸術学部の中町綾子教授は「映像表現も歌舞伎を見ているかのようだった」と指摘する。舞台上を思わせる奥行きのあるカメラワーク、見得(みえ)を切るようなカット割り。「音楽の使い方も独特だった」と振り返った。
伝統芸能には感情表現をする動きに型(かた)があり、その組み合わせで複雑な心情も表現する。それが現代ドラマに生かされた形だ。
メディア文化評論家の碓井広義氏も「これまでにないほど歌舞伎と近づいたドラマだった」。それに加え、「閉塞感(へいそくかん)を打ち破る痛快なストーリー、見せ場の連続が視聴者の関心を離さなかった」との分析だ。「今回の高視聴率でさらに、ドラマでのオーバーアクション、いわば“歌舞伎的”な見せ場作りが重要視されていく可能性もある」と語った。
◆放送と配信、見極め
一方、今回の最終回は平均視聴率32・7%と、7年前の最終回42・2%には遠かった。
碓井氏は「前作は最終回の逆転劇が際立っていたが、今作は見せ場を詰め込み、1話ずつでも楽しめる構成だったからではないか」と推測する。
ドラマの中身とは別に、「半沢直樹」では「放送」と「配信」の“実験”が行われていたと指摘する声もある。TBSは他の多くのドラマとは扱いを変え、最終回直前までネットでの「見逃し配信」を行わなかった。一般的な「視聴率」には反映されない「録画視聴」が増えている実態と合わせて、今後「誰にどのように見られているか」の詳しい分析がされ、民放の配信事業の手法・あり方に影響を与える可能性もありそうだ。
(産経新聞 2020.10.02)