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それでも僕は盗ってない

2014年11月06日 | 時事
カメラ窃盗騒動の冨田尚弥、会見開き“冤罪”訴える
それが真実だったとしても、可愛そうですがもう時機を逸した感がありますね。

バドミントンの風に代表される、自国びいきの徹底的なルール違反の嵐だった印象が強い韓国のアジア大会ですが、この事件報道があった時は、「流石の韓国も一人の選手を犯罪者に仕立て上げて追放させるまではしないだろう」と思っていました。いつまでも謝罪と賠償を求めてくるイメージ(笑)の割に相手がすぐ示談に応じ、厳罰を望まないと言ったというのには少々怪しさを感じましたけど、カメラも無事返ってきて実害がないのですから、まあ当然と言えば当然でしょう。その時の報道では彼も認めて謝罪会見までしていますし、略式起訴で罰金ということは正式な裁判をすることもできたはずなのに、連盟の選手登録禁止処分も含めて、期間内にはアクションを起こさなかったわけですからね。今のようにどうせアクションを起こすのなら、少なくとも有罪が決定する前に、できるだけ早く「やっていない」と主張するべきでした。

タイトルの元ネタである「それでもボクはやってない」という映画は、痴漢冤罪がテーマの話で、冒頭に出ていた痴漢は事実を認め半日で帰ったのに、「やっていない」と言い張った主人公は長い裁判を闘う羽目になり、しかも敗訴してしまうと言う救いのないストーリーでした。「認めたら早く帰れる」というのは、初犯で微罪の場合、正式な裁判をせず、略式起訴→罰金という道があるからです。実際に裁判で闘うとなると手間もお金も時間もかかると言うのが実情なので、この制度は被告にとっても検察にとってもWIN-WINの制度のように見えます。しかし、一見お金で済んだように見えても、これは不起訴や起訴猶予の「無罪」ではなく立派な「有罪」であり、前科がつくと言うことを忘れてはいけません。また、社会的な立場のある人は、当然そちら方面からも相応の罰を被るでしょう。自分が犯人かどうかは自分が一番分かっていると思うので、本当にやっていないのなら最初から無罪を主張し、いくら時間がかかっても首尾一貫して説明し続ける必要があるのです。もちろん、本当にやったのであれば、悪あがきせずに日々犯した罪を反省し続けるのが早期更正の鍵だと思います。

冨田選手の場合、「日本に早く帰りたい」という一心だったのかもしれませんけど、ここまで状況が一変してしまうと言うことまで想像ができなかったのかもしれません。罰金で済んだと高をくくっていたら日本で思わぬ非難と処罰を浴び、慌てて全面否定を始めたようにも見えます。疑われた時点で、もう認めても否定しても、彼の競泳人生は今まで通りに戻らないとすると、もし冤罪だった場合は本当に気の毒過ぎますな。ただ、疑惑後から今日までに取った自身の一貫しない行動の結果、もう「推定無罪」でなく、有罪が決定した所からのスタートになってしまい、今の時点で無罪だと騒いでも、世論は「盗人猛々しい」と見ますから、さらに立場を悪くする効果しかないように思えます。ここから覆すのは、たとえ日本であっても相当厳しいでしょう。まして相手はあの「特定犯罪加重処罰法」の国、韓国ですからね・・・
「やった」「やってない」の水掛け論は子どものケンカレベルでも多発しますが、どちらが嘘をついているかを教師が判断するのは非常に難儀します。また、学校では素直に認めても、家に帰って話すとやっていないことになってしまっていることもしばしばあり、保護者との関係がこじれることも日常茶飯事です。子どもも親には言いにくいでしょうし、親も子どもを守りたい気持ちはよく分かりますが、状況と経過を丁寧に説明し、客観的に疑うに足る理由を納得してもらうと言うか、折れてもらうしかないのが実情ですね。「推定無罪」を逆手にとって、弁護士の力で自らの罪を無かったことにしてしまう犯罪者もいるわけで、もし本当だとしても、同情はしますがちょっと応援まではできないというのが一般的な感想ではないでしょうか。一応、現時点でも永久追放は免れたわけですから、こうなってしまっては最早切り替えて謹慎期間中がむしゃらに練習して復帰後に金メダルを取り、韓国勢を見返してやるぐらいのガッツを見せるべきでしょう。

まあ、次の冬季五輪でまた日本人に同じような事件が起これば明白なのですがね(笑)