(株)カプロラクタム-blog

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青岸渡寺

2016年06月01日 | Weblog
西国三十三ヶ所の1番霊場ですね。

那智大社の右隣に位置し、普通に神社とお寺がほぼ同じ敷地内にあります。まさに世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のコンセプトである「神道と仏教のたぐいまれな融合」を代表する場所だといえますね。おそらく前情報もなしに訪れると、この神社と寺が共存している環境に全く違和感なく通り過ぎてしまうことでしょう。現に10年前に訪れた時も間違いなくここは行っているのですが、実は西国三十三ヶ所の一番霊場に訪れたという認識は全くありませんでした。それだけ空気と化しているお寺ですけど、やはり初めのお寺なので今回はしっかりとお参りをしてきました。

ちなみに西国というのは坂東三十三ヶ所や秩父三十四ヶ所などがあるためで、全部あわせて百観音巡りと言ったりするそうです。しかしこれらは江戸時代に東にも霊場巡りをと新しくできたもので、この道が最も古い巡礼道のようです。33の由来は観音経にある「観音様が33の姿で衆生を救う」という縁起からきているようです。四国八十八カ所は巡回型ですがこちらはココから兵庫県までぐるっと回って岐阜で切れるので、ちょっと尻切れトンボですね。京都をスタート地点と考えると、四国遍路はまず東寺へ行ってから淡路島より徳島の1番に入って時計回りに四国を回り、最後に高野山ですから、さらにそこから熊野古道小辺路を通って三山巡りをし、その後京都に戻りつつ西国三十三ヶ所霊場を回り、気分次第で善光寺や伊勢神宮にまで足を伸ばしてまた京都に戻る1年がかりの超長期旅行プランが存在したのかもしれません。(イメージ図)

・・・まともに歩くと4000km以上ありそうですな(笑)
ちなみに、うちも祖父母の代までは田舎の家で旅館をやっていたそうで、今でこそあんな所でよく客がいたものだと思うわけですけど、歩きがメインだった昔は街道沿いの宿場町が繁盛したように、田舎町でもそこそこ旅館の需要は高かったようです。今では交通網が発達し、熊野でも岐阜から車で数時間で行けてしまう訳ですが、逆に今もし歩きでこういう古道を巡ろうとすると、昔はあった休憩所や旅館がどんどん潰れてしまっているのでほぼ不可能だそうです。西国三十三ヶ所では既に80kmに宿が一軒もない区間が存在するらしく、最早野宿でもしないと回れないのだとか。四国遍路は今でも歩きで回れるらしいですけどね。いつかは四国・・・

岐阜には華厳寺という33ヶ所結びの地があり、そこは2~3回訪れたことがありますが、後は京都の清水寺くらいしか行っていません。後30ヶ所か・・・どんどん行きたい所リストが増えていくな(笑)