(株)カプロラクタム-blog

果たしてココは何処なのだろうか・・・
否!ココは(株)カプロラクタム代表取締役兼社員αのweblogである!

デジタル教科書

2015年03月15日 | 時事
政府、デジタル教科書の無償配布解禁を検討
無償ということは、教科書のように国が税金で買うということですね。

岐阜はスクールニューディール政策のときに手を上げて、平成21年頃から全教室に50インチテレビとPC、実物投影機が入り、その時にデジタル教科書(掛図)も使えるようになりました。デジタル教科書とは教科書の全ページをスキャンしたようなもので、拡大表示もできるのですが、当然PCをつけて操作しないといけませんし、実は実物投影機で教科書のページを映した方が便利であり、導入当初初はほとんど使われませんでした。全ての学年のソフトをサーバにインストールして共有をかけ、わざわざショートカットを作って全PCに置いて回る等、情報主任としてかなり手間をかけたので、しばらく職員会の時に実演を交えつつ使い方をレクチャーしたものです。その結果、次の年にはそれなりに使ってもらえたと思いますけど、平成23年には新しい教科書に変わってしまい、僅か1年ちょっとで使い物にならなくなってしまいました。昨年度ようやく国算社理と全て新しくなりましたが、また来年度に教科書のマイナーチェンジがあるので、使えるか微妙になりそうです。

このように、デジタル機器は僅か3年足らずで使えなくなってしまい、十分活用する前に時代遅れとなってしまうという問題点があります。ソフト自体も非常に高く、1つ買えば学校単位で使えるものの、例えば国語では1学年ごとに1枚1万2千円となり、4教科全てそろえると20万以上するわけです。教科書が変わってもバージョンアップはなく、新しく買わなければいけません。またDVD仕様になったので、20枚全てインストールするにもべらぼうな時間がかかります。これを3年置きにやり直せというのはかなりの負担ですね。業者に頼めば数時間の作業で何万か経費がかかることでしょう。どうせ放課後にやらざるを得ないのですから、本当に10分の1でいいから我々につけて欲しいものです(笑)

今は「全部で20万もするのに使わないともったいないよ!」とか言えますが、タダになると使わない教師が増えそうだなあ。

起業教育

2015年03月14日 | 時事
小学生にも「起業家教育」? さらに進化するキャリア教育の目的は
これは意外に大切な視点かもしれません。

日本の学生は、有名大学出とか超優秀な人材ほど公務員や大企業の社員など、何故か率先して社会の歯車になろうとします。これは以前にも指摘した通り、島国日本の特徴でもあると言えるでしょう。アメリカでは優秀な人ほど起業するらしいですけど、日本では何となく社長さんになる人って余り学歴が高い印象がないですからね・・・キャリア教育というのは10年ぐらい前から言われ始めた言葉で、ぶっちゃけニートを減らそうと言う取り組みなわけです。流石に小学生でキャリア教育と言われてもピンと来ないかもしれませんが、一応「自分でできることは自分でする」「学級の一員として与えられた役割をこなす」「集団の中で自己の役割を見出す」など、将来に向けて身辺自立から生活自立、社会制などをきちんと段階を経て身に着けさせることが目標となっています。その上で、中高になると就業体験とか言って数日間どこかで仕事もどきをさせたりするわけですけど、これらの教育は完全に「社員」側になることを前提とした発想であり、現状に足りない部分を見抜き、そこに価値を見出して仲間や部下を雇って適切な役割を分担するような「社長」的な能力を育てることは目標とされていないのです。まあ、前述の通り「ニートになるよりは…」というボトムアップ的な発想で生まれた取り組みなので、ある意味仕方ないのですけどね。もちろん「社長になりたい」という夢をもつ子がいないわけではないでしょうけど、それは既にある企業の社内ピラミッドを勝ち上がった結果のポストであったり、家業を継ぐとかのれん分けとか「他人のふんどし」を受け継ぐことであったりするわけで、現状の「キャリア教育」によって「起業」というフロンティアスピリッツをもつ子というのはほとんどいないと思われます。

しかし、そう教師側が思うのは、そういう教育しかできていないからなのかもしれません。それもこれも、教員自体が公務員であり、校長という支店長ポストが最高位職の、思いっきり社会の歯車だからです。学習指導要領を定めている文科省だって全く同じ構図でしょう。だから「いい子」を育てることに神経を注ぎ、その結果「いい子」になれた子から率先して歯車になろうとしてしまうのです。この場合の「いい子」とは「使い勝手のいい子」であり、使えない子が苦肉の策として起業し人を使う側になり、今の日本社会の構図が出来上がります。例えば法律関係は弁護士を雇えばいいですし、税金や給与関係は公認会計士、技術面はそれぞれの専門家、困ったら優秀な秘書を雇えばいいわけで、「社長」自体が超賢い必要は全くなく、明確な方針と採算見込みさえあれば会社はそれで成り立つのです。それなら「いい子」が起業し、人を使えた方が手っ取り早く、さらに成果も上がるだろうと思うのは至極全うな発想ですね。日本の経済を救う人材を育てるためにも、この新しい「起業教育」は急務といっても良いのではないでしょうか。

鶏口となるも牛後となるなかれ。できれば牛口を目指すような人材を育てたいものです。

進撃のでっかいおっさん

2015年03月13日 | 時事
駆逐したる! 漫画『進撃の巨人』“関西弁”バージョンが登場
何かシリアスシーンがコントのようにしか見えないのですが・・・関西人はこの方が読みやすいのでしょうか?

まあ英訳版とかと違い、関西人は翻訳するまでもなく日本標準語で読めますから、完全にボケ倒しに来ているだけですね。しかしこれ、「巨人」に「でっかいおっさん」とルビが入っていますけど、そのままでも「巨人」というのは野球的な意味で全ての関西人にとっての敵であるわけで、翻せば東京と大阪の生き残りをかけた戦いであり、即ち物語がそのまま大阪都構想に結びつく画期的なプロパガンダマンガになり得るかもしれません。関ヶ原より400年、常に虐げられてきた関西人が今こそ巨人に立ち向かうとき!みたいな?(笑)

これ絵自体には手を加えずに写植だけいじっているので、がんばれば他の作品でもできそうですね。

壁ドン逮捕

2015年03月12日 | 時事
「壁ドン」で無理やりキス 22歳女性被害 神戸
ほら、変な言葉を流行語にするから・・・

「壁ドン」とは、アパートなどの隣接した居住環境で隣がうるさい時に文句を言うためにする行動を指すものだと思っていましたが、いつの間にか記事にあるような「女性の逃げ道を塞ぐ」という行動にも用いられるようになりました。例えば朝日新聞が「KY」=「珊瑚事件」を誤魔化すために「空気読めない」という新語を乱用して元々の意味を上書きしたのとは違い(笑)どうやら意図性はなく両方とも自然発生的に誕生した模様です。ただ、自分の印象では、前者はグーで壁を殴るため「ドンドン」と鳴るのに対し、後者はおそらく逃がさないようパーで壁を押さえつけるため、「ドン」でなく「バン」の方が自然な擬音だと思うのですが・・・「壁バン」では語呂が悪いので、既にあった前者の「壁ドン」という表現に統一されてしまったのではないかと思われます。また、その発想の大元に「半ドン」や「金ドン」が影響しているであろうことは想像に難くありません。

で、そこまでならどうでも良い無駄知識(笑)として済んだでしょうけど、なぜか昨年に後者の意味で流行語トップ10入りを果たしてしまい、一躍有名になってしまいました。流行語と言うのは恐ろしいマーケット要素を含むもので、それまで一部の間だけで盛り上がっていたと思われるものが、全く関係なかった人達までいきなり使い出したり、また流行語に選ばれたことで「流行」したりするという本末転倒的な現象が多々見られるようになります。「壁ドン」についても、元々はマンガやドラマ内の表現ですから、選ばれたことによって一部のオタク女子の間での憧れだったものが、「女性はこうして欲しかったのか」と、モテない一般男性までもが認識するに至ってしまいました。今回の悲劇は起こるべくして起こったのだと言えるでしょう。

「※ただしイケメンに限る」を入れ忘れたユーキャンの罪は重いですな。

クリミアポッポ

2015年03月11日 | 時事
鳩山氏は「軽率」「国益害す」=クリミア訪問を批判―菅長官ら
これロシアから行くと併合を認めることになるのですが・・・まさか分かってない?

なぜこの人のパスポートを取り上げないのだろう?・・・まあこの人に限らず、最近「元首相」が動きすぎですね。自分が知り得た範囲でも、村山・小泉元首相が首相談話に難癖つけているようですし、森元首相も韓国関係で長老会談を行うそうです。また中曽根・海部・森・小泉・福田・麻生の歴代首相と会食を行ったとか。アドバイス程度なら良いですが、かつて最高権力を持った者達の動向と言うのは、目立てば目立つほど現政権にとっては気持ち悪いものでしょう。アメリカでは「元大統領」が何かしたとか言う報道は記憶にも一切ありませんし、完全に権力から離れ取材も受けないわけですし、韓国では必ず「犯罪者」になっていますから(笑)同じく発言権はありません。しかし日本の場合は総理大臣を辞しても国会議員を辞める必要はなく、また報道陣もお構いなしに取材に来ますから、発言権自体は損なわれないのですよね。海外でも「元首相」は国を代表していると言う認識を持っているようですし、水面下で支えるような活動ならまだしも、足を引っ張るようなことは慎んでもらいたいものです。

「老兵は死なずただ去るのみ」という美学はどこへ行ってしまったのか・・・あ、これマッカーサーや(笑)

水銀禁止

2015年03月10日 | 時事
水銀対策を厳格化=2法案を閣議決定
昔はアスベスト並に身近だったのに・・・

新採の頃、体温を測る時にまだこの水銀の温度計を使っていましたが、回収しているとある子の机の上に銀色の球体がコロコロ転がっているのを見ました。とりあえず触らないように雑巾でふき取り処分しましたけど、あんな割れやすい物を低学年に使わせるなよと思ったものです。まああの水銀は口に入れなければ余程問題ないようですが、やはり5年生で学習する公害病の影響か、水銀と聞くと水俣病を思い出し、気持ちの良いものではありませんからね。知らなければ常温で液体の金属なんて珍しいもの、子どもが遊ばないはずがないですし(笑)

フロンガスとか砒素とかホルムアルデヒドとか、いつの間にか消えていった有害物質って結構ありますね。逆に、まだ知られていないものが身近に潜んでいるということも・・・

転倒で3位

2015年03月09日 | 時事
【マラソン】前田、転倒なんの日本人トップ3位!世陸当確、歴代8位
途中で転んだにも関わらず3位なんてすごいですね。

これ本当にそうかは分かりませんけど、何か自分も走っていて転んだ時、その後で結構速く走れたりすることがあります。いつもダラダラ走っているので時速にすると8~9kmぐらいなのですが、帰ってから計算するとその区間10km以上出ていたりとか・・・マンガでもよく途中で怪我した主人公側の選手はその後大活躍しますし(笑)本当にドーパミンとかが余計に出ているのかもしれませんけど、こう痛みに対して「ナニクソ!」と思う気持ちが普段以上のエネルギーを発揮させるのかもしれません。もちろん転び方が悪ければ続行不能にもなりかねないので、わざと転ぶわけには行きませんがね。あとしばらく痛いし(笑)

ところで、この名古屋の大会は好記録が出やすい大会としても有名だそうです。この選手も歴代8位の記録を出しましたけど、マラソンなので距離は一定ですから、おそらく起伏が少ないとか風が吹きにくいとか、立地上のアドバンテージがあるのでしょうね。歴代記録を見てみると、選手や年度は違うのに1位から3位までの記録が同じベルリンマラソンで2時間19分台がマークされているのも同じ理由でしょう。マラソンは他のスポーツと比べても明らかに使用するフィールドゾーンが広すぎて、各地に全く同じ条件でコースを作ることはできません。また同一場所でも、その年の気象条件によって記録は大きく左右されるでしょう。なので昔は「世界新記録」とは言わず、「最高記録」と表記していましたが、最近ではコースの条件が細かく決められるようになり、他の競技と同じく「新記録」として扱われているそうです。同一大会の中で一緒に走る選手達に有利不利はありませんが、こうして過去の大会と比べて選考するというのは中々難しそうですな。

世界新のため、基準の範囲内で一番速く走れるコース取りを研究するのも面白いかもしれません。

お笑いの著作権

2015年03月08日 | 時事
中国のテレビで「アンジャッシュ」のネタがパクられた!?「コント」の著作権とは?
まあ一発ギャグがアウトなら流行語には絶対なりませんよね。

コントのシチュエーションや漫談のネタも、ただの設定だけならそれこそ出尽くしているでセーフしょうけど、ネタの核心部分やセリフを丸パクリするのは明らかにダメでしょう。日本ならすぐに「これ○○のネタだ」と問題になるでしょうが、海外ならバレないとでも思ったのでしょうか。最近のお笑いは知りませんが、アンジャッシュのは不思議なすれ違いを売りとする特徴的なものなので、もしシチュエーションだけ参考にしたとしても、そこからオリジナリティを出すのはよほどの才能がないと難しそうですな。

同じモロパクリでも落語ならもう著作権フリーでしょうから、そこから参考にすると良いと思います。

拝啓ブラックリスト様

2015年03月07日 | 時事
<メール誤送信>宛名「ブラックリスト様」 保険相談サイト
これは痛いなあ・・・どう言い訳しても社内が透けて見えるようです。

メールは一斉送信もできて便利なのですが、誤送信の危険は常に付きまといます。自分も大学の慣れていなかった頃、母宛のメールを友人に送ってしまい、「誰がお前のお母さんや!」とツッコまれた苦い思い出があります(笑)あとアドレスを1文字間違えて関係ない人にも葬式の案内を送ってしまったりとか・・・ccとbccとか、「全員に返信」という名の自爆スイッチとか、意外に地雷も多いのがメールの困りモノです。個人情報保護が叫ばれる世の中、メールの誤送信は企業はもちろん学校にとっても超死活問題なので、誤字脱字はもちろん、宛名までしっかり確認して送信したいものです。まあ単なる失敗なら内容によってはその後の対応で取り繕うことも不可能ではないでしょうけど、「怪しいお米セシウムさん事件」など、普段から内輪で悪ふざけや悪意ある管理をしていると、いざ大失敗した時に取り返しがつきませんね。それにしてもフォルダ名かタグか分かりませんが、「ブラックリスト」って余りにも捻りがなさすぎですな。せめてBL様だったら「Best Luck」とか「Boys Love」とか言って誤魔化せたかもしれないのに・・・この会社まだパスワードに「password」とか使っていそうですね(笑)

例えば携帯アドレスも個人的にあだ名つけかえたりしますが、あれ相手にも表示されていたら人間関係が軋むだろうなあ。

美濃加茂市長無罪

2015年03月06日 | 時事
美濃加茂市長に無罪「贈賄供述、信用性に疑問」
今日の一面トップはこっちでしたね。

まあ渡した方は有罪でもらった方は無罪というのはまだ違和感が残りますが、「推定無罪」の原則が働いた結果だと言えるでしょう。賄賂というのは基本的に隠れてする分、それだけ立証が難しいのかもしれません。今国会でもめている分も、おそらくまともに裁判になったらほとんどが無罪となる事案ばかりでしょう。まあ市長も逮捕から9ヶ月もかかっているわけですし、その間政治に空白ができてしまうのは看過できません。そもそも追求している民主党だって、岡田代表は元より過去に鳩山・菅元首相も献金問題でぐちゃぐちゃだったはずです。もう政治家なんて調べ上げたら全員グレーな勢いだと思っていますし(笑)泥沼化して時間を無駄にするより、ちゃんと復興とか憲法改正とか少年法とか、もっと実りのある議論をしてもらいたいものです。

在韓米大使襲撃

2015年03月05日 | 時事
米大使襲撃「強く非難」=在韓邦人に注意呼び掛け―菅官房長官
韓国でアメリカの大使が襲撃された模様です。

大使とは「特命全権大使」、即ち各国の元首より全権を委任されてきた国の代表者であり、各国の大使館というのはその外国そのものであるわけです。つまり今回は、オバマ大統領を切りつけたのと同じと見なされる大事件であり、翻ってアメリカに対し先制攻撃をしたのと同義であるわけです。対応を誤れば戦争の引き金にもなりかねない暴挙を、何故護衛しているはずの人達は防げなかったのでしょうか。特にこの逮捕された人、過去に日本大使にも投石をし実刑判決を受けていた要注意人物だったはずです。もし「日本だから~」と甘い判決を出した結果がコレだとしたら、罪は重いですな。

今朝の朝日には、外務省が「韓国は我が国と価値を共有する国」を外した理由を説明せよと書いてありましたが、その必要もなくなってしまいましたね。

2分の1成人式廃止?

2015年03月04日 | 時事
「2分の1成人式」に違和感 虐待死の子供も手紙
非常に極端なケースを一般化させてごり押しするような記事ですな。

この名大の准教授の論調、どこかで見覚えがあるなあと思って調べてみると、以前NHKのニュースWEBで人間ピラミッドについて警鐘を鳴らしていた不勉強な人でした。何か最近起きた騎馬戦訴訟でもコメントを寄せていましたが、学校現場の危険性について研究しているつもりのようで、専門家にありがちな非常に視野の狭い一方的な見方に終始してしまっている気がします。第一この人、リスクばかりに目が行ってメリットを一切語りませんからね。現在導入されている教育課程については、古今東西多くの専門家達が話し合って、当然リスクよりも大きなメリットがあるとされたから導入されてきているわけですが、まるで学校が危険で意味のないことばかり率先して行っているような印象を与えるために発言しているようで、飛びつくのは朝日とか毎日とか偏狭的な所ばかりです(笑)集団的自衛権とか特定秘密保護法とか、本当ここの新聞を読んでいるとマイナスイメージばかりの意見で記事を膨らませ、メリットについては一切書かれないため、そのままでは本当何故導入されたかが全然分かりませんからね。この准教授も、自分の結論に強引に持っていくために、本人の意図や過失を無視して都合よく解釈してしまっています。若い方ですのでただ不勉強なだけだと思いますけど、意図して行っているのならかなり悪質ですね。校長や教育委員会とかだと、その立場を代表した意見しか言えませんが、大学教授というのは「一専門家の意見」として比較的言い放題にできます。メディアはそれを利用して都合の良いコメントを取るわけですが、メディアを利用して自分の意見さえ目立てば良いという人のことを、巷では御用学者というのではないでしょうか。
まあ、百歩譲って命に関わる重大事故につながるリスク喚起については良しとしましょう。しかし、元記事の「2分の1成人式に違和感」の方は全く毛色が違い、「幸せでない家庭もいるので配慮すべき」というとんでもない論調で、そういう見方をすること自体に違和感を覚えます。これはまるで「ピーマンが嫌いな子もいるので給食に出すべきでない」と言っているのと同じです。当人の努力や個別に対処すれば済む話を、うまくいっている所も全てひっくるめて廃止させようとするのは、論理も何もないモンスターペアレント的な物言いだと言うことに気づいていないのでしょうかね?

2分の1成人式については過去にも触れましたが、9割の保護者が満足していると言う統計も出ています。初出は確か平成14年の国語の教科書で、そもそも何故コレが始まったかと言うと、平成12年頃から20歳の方の成人式が荒れ始めたからではないかと思われます。その頃も14歳とか17歳といった少年犯罪が頻発していましたし、「せめて言うことを聞くうちに保護者への感謝と立志の決意をもたせよう」という願いがあったからに他なりません。自分の親に生まれた時のこととか小さい時の話を純粋に聞ける年齢は、4年生がもう限界でしょう。実はこういう授業は2年生の生活科でもありますけど、まあ二次成長前が理想的であり、それ以上になるとやはり気恥ずかしくて中々聞けませんからね。子どもも10才になればほぼ子育ての手を離れているでしょうが、まだ目を離してはいけない時期であり、離れかけた目を戻す意味でも、行うならこの時期と言うのはまあ最適だと言えると思います。
自分が4年生で受け持った子の中にも放任気味の家庭があり、何度も電話して手紙を催促したことがありました。内容は知りませんが、当日は手紙が来たこと自体、非常に喜んでいたのを覚えています。もしかしたら自分には来ないかも・・・と思っていたのかもしれません。ちなみに学校が親のことを「保護者」と言うのは、クラスに数人の割合で片親の子がいるので、「お父さんお母さん」という表現を極力避けているためです。「母の日」や「父の日」も基本ノータッチです。学校では常に様々な家庭事情に配慮し、協力が得られない親には個別に頼みに行きますし、家族行事の度に嫌な思いをする子がいないよう努めているのです。こうした設立理由や水面下の努力を評価せず、一方的な意見だけ取り上げて非難するのはちょっと安直過ぎますな。
子どもにとっては当然、どのような事情の親元であれ祖父母であれ、間違いなく自分が愛されて育ってきたと思っています。虐待死した「お母さん大好き」と書いた子は、強制されたわけでも先生の前で取り繕ったわけでもなく、それが本心だったのではないでしょうか。そういう手紙を受け取り、「実は虐待していた」のならもちろん、少しでも後ろめたい気持ちがあるのなら、学校に文句を言う前に早急に自身の行動を猛省し悔い改めるべきではないでしょうか。それをプレッシャーに感じるなんてのはもう完全に自業自得だと思います。あと、「あなたの良い所は?」と聞かれて、「1つに決めなくてもいい」なんて、もし面接会場で答えたらどうなりますか?「考えつかなかっただけだろう」と一蹴されるに決まっています。少なくとも子どもはそう見抜きますよ。しかしズバリそう言うと親に恥をかかせるから、教師が配慮してそっと書き直させたという発想はないのでしょうか。良い所がたくさんあるのならそう断った後でいくつか例示してあげればよいだけの話で、実は思いつかなかったのならこの機会に十二分に考えてあげるなど愛情を注ぐ努力をすべきです。ましてや「自分が傷つくから行事を止めろ」と言うのは、甚だ自己中心的で筋違いな意見ですし、大学の准教授ともあろう方が、取り上げるべき価値のある少数意見とこんなイチャモンレベルの区別がつかないようではいかがなものかと思います。警鐘は鳴らせばいいってものではありません。学校には虐待の通告義務がありますから、逆にわざとこういう行事を定期的にはさんで様子を見ているという考え方も大切でしょう。コレを止めることで利するのは、まさに今虐待を続けている親なのですから。

そもそも、昔はなかったのに何故こういう家庭を巻き込んだ行事をわざわざ学校が企画しなくてはいけなくなったのかを考えれば、それはここ数十年、核家族化、共働き化、少子化などの影響で、親子関係だけでなく家族内の結びつき自体が希薄になってきているからではないでしょうか。挨拶や箸の持ち方、歯磨き指導など、家庭で行われるべきしつけの一部が学校に流れ始めたのもここ20年の話です。最近ではそんな風潮に慣れてしまってか、少年犯罪が起こるとすぐ「学校のせい」という報道に向きがちですが、本来、子どもの教育の第一義的責任は家庭にあるのです。1生に1度しかない、子どもと真剣に向き合い、親自身も親として成長できる絶好の機会を学校が骨折って用意しているのに、変な屁理屈をこねて逃げるべきではありません。家族環境や形態が多様化してきたからこそ、こうした行事が必要にかられて生まれたのではないでしょうか。むしろこういった虐待親に配慮して家族と関わる行事を一切廃し、学校が家庭環境に全く干渉しないような無機質な教育になってしまうと、それこそそこら中で川崎の事件のような野放図が出来上がってしまうのではないでしょうかね。

学校リスクを撤廃した時の人生リスクについて、ぜひ一専門家の意見が聞きたいものです。

過労死と労災

2015年03月03日 | 時事
26歳教諭の過労死認定「自宅でも相当量残業」
その残業調査自体、月80時間を越えるとあからさまに訂正を求められるからなあ・・・

なぜ80時間かと言うとそれが過労死ラインだからで、おそらく管理職にはそれを超えさせないよう教委から指導が入るようなのです。昔、自分も正直に記入していたら普通に100時間を越え、校長室に呼び出しとなったことがあります。ムカついたので日々の値を調整し、毎月ピッタリ79時間50分で出したり、毎月5分ずつ減らして改善したように見えるようにして出したりしていましたが(笑)自分の経験上、平日の職場限定で80時間はまともに業務をこなすために多すぎず少なすぎずの値であり、休日込みで120時間、部活や持ち帰り仕事を含めると200時間と言うのが最盛期の一般的な残業時間ではないかと思っています。それこそ睡眠時間以外、生活の全てを捧げてもまだ足りない。それでも過労死認定ということは死なないと通らないわけで、当たり前にこなせてしまえる教師ほどさらに自分を追い込んでいくわけです。特に慣れない頃は低速ギアのままエンジン全開するような感じで、がんばっても中々波に乗れません。この先生は教職2年目だったそうですが、ずいぶん熱心な方だったようでこのまま行けば研修校や困難校に配置され、「睡眠?何それ?」みたいな生活に追い込まれていたことでしょう。志の高い教師は誰もが通る道ですが、道半ばで倒れることとなり、さぞや無念だったことでしょう。

死んでようやく超過勤務手当がつくなんて、本当大きな矛盾ですね。