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舛添知事辞職

2016年06月15日 | 時事
【舛添知事辞職へ】全会一致で同意、21日付辞職決定 知事選、7月末か8月初め
2ヶ月近くものらりくらりとしていたわけですが、結局全ての疑惑を一切認めないまま辞職することになった模様です。

今から思えば・・・という結果論ですけど、GW前半の身辺の金遣いが荒いという疑惑がぽろぽろ出始めた頃、「ちょろまかしててすいませんでした!」と謝り、速やかに給料全額カット条例とかを出していれば、ここまで皆の信頼を失い、袋叩きに遭うことはなかったように思います。誤魔化しきれると踏んだのか、そもそも問題意識すらなかったのか、完全に初期対応を誤った最悪のケースですね。まあオリンピックも控える中、後ろ盾である自民党もまさか辞めろとまでは言えないだろうと高をくくっていたのかもしれません。

今日辞職したということは、50日以内に公示、その後選挙なので、7月末か8月初めに新知事が決まることになります。ということは、これずばりリオ五輪の開催時期と丸かぶりなのですよね・・・日本は次回開催国として、閉会式に少々の演出と引継ぎが控えているわけですが、それを新しく決まった知事が急遽行うのでしょうか?まあ副知事が代理で・・・と言う方が現実的かもしれません。そしてさらに困ったことに、このままいけばその4年後の東京五輪でも、任期満了の都知事選がまた同じタイミングで行われるわけです。開会式であいさつして閉会式にいないなんて、中学とかの部活動の大会じゃないのだから(笑)

次の候補はヤワラちゃんという話も出ていますが、「知事でも金(かね)」だけはもうやめて欲しいですな。

フロリダ銃乱射

2016年06月14日 | 時事
銃乱射はテロか憎悪か、思い当たり過ぎるフロリダの闇
死者50人というアメリカ史上最悪の乱射事件になってしまった模様です。

この件についても、以前の黒人射殺事件と同様、50人も殺せるような性能の銃を民間人が入手可能であること自体が問題だと思うわけですが、アメリカ世論はどうしてもそうではなく、人種問題か性的少数者かイスラムテロか、とにかく銃以外問題にもっていき、銃規制の話題になるのを極力避けようとしている様子が伺えますね。
つい先日もアメリカのアイドルがファンに銃殺されるという問題が起きていました。まあ日本でも似たようなのがあったわけですけど、日本は一命をとりとめアメリカは即死なのは、やはり殺傷力の高させいでしょう。しかしあれも銃を娯楽会場に普通に持ち込めることは問題にならす、日本と同じくストーカー問題としてああだこうだ議論していたように記憶しています。どんな問題にどうこじつけようが、本質がそこにない以上議論は行き詰まるに決まっていますし、仮に例えば今後性的少数者に対する偏見が薄まったとしても、銃がある限り再び同じ事件が別のシチュエーションで起こるのを防ぐことができないわけです。その都度銃以外の問題は何かなかったのかスケープゴート探しに躍起になり・・・を永遠と繰り返すつもりなのですかねアメリカは。

「銃を持っていれば、か弱い女性も屈強な男に支配されずに済む。」というのが全米ライフル協会の主張です。これは西部開拓時代など、今のように市民が丸腰でいても通報すれば警察が安全を守ってくれるような時代じゃなかった頃、自衛の権利として保証されていた名残であり、イギリスの植民地支配から独立したアメリカ史の伝統そのものなのです。しかし、当然ながら自衛力の行使は必要最低限度であるべきですが、相手の武装状態によってはより威力のある自衛手段を講じなければならなくなり、結局50人も殺せるようなライフル銃をも容認するようなことになってしまうわけです。この辺りは核軍縮などと同様の性質をもっており、オバマ大統領はお互い武器を放棄することで少しでも現状を良くしようと努力しているわけですけど、おそらくライフル協会が支持母体となっている共和党政権になると、この問題はさらにテーブルに載せることが難しくなってしまうでしょう。建前でいくら尤もらしいことを言っても、単純に規制が進むと銃が売れなくなって困るのはライフル協会ですからね。

トランプ氏は、「性的少数者達も武装していればこのようなことにはならなかった」とでもいうつもりでしょうか・・・

人食い熊

2016年06月13日 | 時事
ツキノワグマが人を食べ物と認識…専門家指摘
赤カブト(流れ星銀)だっけ・・・あれは怖かったなあ。

とりあえず捕獲した一体の中から人体の一部が出てきたと言うことで、少なくとも一体は駆除できたということでしょう。秋田では熊の被害が頻発しているようですから、いくらタケノコの時期だからといっても1人で無警戒に取りに行くのは危険極まりないですね。こういう熊は人間社会のルールで駆除されてしまいますが、本来の自然界では別に人間が生態系の頂点にいるわけでもなく、自分が生きるための捕食を罰することはそもそもできないはずです。自らエサになりに行き、罪もない熊を駆除させることのないように・・・

熊野古道追加登録

2016年06月12日 | 時事
世界遺産への追加登録承認 闘鶏神社や八上王子跡など
個人的には非常にタイムリーなのですが(笑)熊野古道の参詣道が40kmほど追加される模様です。

元々登録されている道の総距離は300kmほどだそうなので、1割強も追加されるようです。記事のリンク先にある地図によると、正にこの前自分が歩いてきた赤木越えの部分がその追加登録に含まれている模様です。あの部分は完全に山道を突っ切るハイキングコースですし、発心門王子からの中辺路は道路や人里を横切りつつ時々昔ながらの道や山道を進む感じでした。赤木越えの途中にはかつて茶屋があった建物がちゃんと残っているので、「これが熊野古道か」と認識するには十分な道だと思います。むしろ自販機のあるような道路を歩いても、熊野古道を歩いた感慨はイマイチ沸きませんよね(笑)

で、地図を見る限り、どうやらざっくり「中辺路が登録されている」と言っても、ちゃんと世界遺産の参詣道としてユネスコに申請されている道は結構まばらだったようです。大辺路はむしろ登録されていない道が9割のようですし、紀伊路は申請すらされていません。おそらく、完全にアスファルト道路となってしまい、古道の雰囲気を感じられないような場所は申請できないのでしょう。そうなると、ほぼ9割がアスファルトの四国遍路などはさらに登録が難しそうだなあ・・・今年は逆打ちの年らしいし、明らかに巡礼者の数は熊野古道より多そうなのですけどね(笑)

この辺、同じく参詣道として登録されているスペインのサンティアゴも同じなのかな?


延暦寺アクセス

2016年06月11日 | Weblog
延暦寺は比叡山の中にあり、向かうには主に4つのルートがあるようです。

1つ目は京都方面からのケーブルカーとロープウェー。しかし冬場の時期は休業中のようで、自然に残る琵琶湖側のルートにしぼられます。2つ目は比叡山の門前町として栄えた坂本町という所からの坂本ケーブル。全長2kmの日本一長いケーブルカーらしいのです。3つ目は比叡山ドライブウェイ。車で行ったので一番現実的な手段ですが、有料で往復1600円ほどかかるようです。ちなみに1~3どの手段を使っても、大体これくらいかかるようですね。おそらく調整されているのでしょう。
というわけで、自分が選択したのは坂元町にある比叡山高校からの徒歩ルート(登山)でした(笑)

比叡山自体は標高848mとそれなりの山ですが、おそらく延暦寺のある場所はもう少し低そうで、コースタイムも2時間ほどで着くという前情報を得ていました。まあ高尾山より少し長いくらいだろうと想像しながら、日吉大社の脇の石段を上って高校の駐車場?まであがりました。ここから登山道というか、軽トラなら通れそうなあぜ道が延々と山頂まで続いているようで、とりあえず目的地まで道に迷うようなことはなさそうな様子に安心して歩を進めました。

荒れ放題orz
前言撤回。中央が完全に陥没していたり、舗装されていたらしいブロック片が瓦礫状態に散乱していたりして、流石にトラックでも無理そうです。ふもとの観光案内でも、登れるけどあまり一般的でないようなことを言われました。世界遺産の熊野古道とは違い、こちらは参詣道まで整備されているわけではないようですね。

まあ何だかんだで休憩なしの1時間弱で登りきれたので、1600円を浮かせたい人は良いかもしれません。ただし到着するのは東塔側ですが、東塔-西塔は1km離れていますし、横川へは4kmあります。自分は東塔の後さらに30分ほど登って比叡山頂まで行き、西塔に回りこんで再び東塔に戻ったので横川は諦めましたけど、全て散策して降りるとなると結構なハードコースになりそうですね。延暦寺の拝観券は3地域共通700円なので、そちらを重視すれば山頂は諦め、東塔-西塔-横川を巡って坂本に降りるのが良かったかもしれません。

延暦寺炎上

2016年06月10日 | Weblog
延暦寺40歳僧侶が暴力、25歳修行僧の顔殴り鼓膜破る…袈裟破り、別の僧侶の殴打も
センスプ砲は宗教界にも容赦なしですな。

実は比叡山延暦寺には今まで行ったことがなかったので、今年の冬にこっそり訪れていました。滋賀県にあるので、場所的には高野山より近いのですけどね・・・ちなみに高野山へは中学の頃訪れています。最澄と空海は平安時代に新しい仏教をもたらした僧として中学で学習し、最澄は比叡山延暦寺で天台宗を、空海は高野山金剛峰寺で真言宗を広めたと習いますが、詳しく知るとこの2人には多くの因縁があることが分かり非常に面白いです。

そもそも何故新しい仏教がほぼ同時期に2つ生まれたのかというと、当時は奈良時代から平安時代に変わり、平安京の遷都に関わって新しく鎮護国家の基盤となる宗教が必要だったからです。奈良は東大寺で有名ですが、あの大仏や全国に建てられた国分寺・薬師寺も1つの鎮護国家プロジェクトです。しかし疫病や自然災害を防ぎきれず、終いには天武系の子孫だった聖武天皇とその娘の称徳天皇の代で男系が途絶えてしまったのです。49代の光仁天皇は天智系から6代も経た人物ですし、その息子の桓武天皇は、丁度社長が変わって色々と柵や癒着のある旧経営陣を一掃したいと考えるように(笑)最澄を遣唐使に出して2年間で新しい宗教を学んでくるように命じたわけです。一方の空海はというと、正式に認められたわけでない私度僧で、20年の留学権を獲得して同じ船に乗っていました。つまりこの時点で2人には全権大使と私立の留学生くらいの隔たりがあったわけですな。
唐で最澄は順調に最新仏教を修め、法華経こそ至高だと悟りました。天台宗とは天台法華宗の略で、法華経とは「全てのものに仏性が宿る」という釈迦後世の悟りをまとめたものであり、大乗仏教の根拠となっている重要な経典です。日本に戻った後、桓武天皇に平安京の最も重要な鬼門の位置を守るように任命され、北東の比叡山に当時の中国で最先端だった円(法華経)・蜜(密教)・禅・戒(守るべき戒め)を学べる総合大学のようなものを作りました。これらの教えを学び、後の鎌倉時代には法然・親鸞・一遍・日蓮・栄西・道元がそれぞれに特化した宗派を開いています。いわゆる専門大学ですね。
一方の空海は上記4つの最先端仏教のうち密教を極め、何と中国でその8代目を襲名してしまいました。そして彼はその教えを日本で広めようと、20年の留学を僅か2年で切り上げて日本へ戻ってきてしまったのです。そのせいで密教は中国から廃れてしまったのですが(笑)天皇との約束を反故にするなど死罪に当たる罪なわけですけど、そこに助け舟を出したのが最澄なのです。戻ってからも最澄の口利きで都の南東(東寺)を守るよう任命されましたが、結局は高野山に居を移し密教の専門大学を開きました。その後にも経典を借りたり、密教を教えてもらったりなど、最澄と空海は緊密な関係にあったようです。ざっくりまとめるとこんな感じですが、教科書だけでは歴史の何も見えてこないいいお手本ですな。ちなみに延暦寺と東寺はどちらも「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。高野山はこの前行った「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部ですね。

というわけで延暦寺。山の中に立てられたでかいお寺であり、東塔・西塔・横川の3ヶ所が見所です。自分が回ったのは東と西だけですが、敷地内には親鸞や栄西などそれぞれの僧が修行をした地が残されていて、非常に長い歴史を感じました。しかし、どちらかというとそういう弟子たちの方が有名になり過ぎてしまったからか、天台宗というのはいまいちぱっとしませんよね。現にあれから天台宗のことを知ろうと図書館へ行っても、空海や親鸞などの本はたくさんあるのにいまいち最澄や天台宗については余りピンと来る本が見当たらないのです。平安京に始まる千年王都の鬼門を守り続ける伝統のお寺だとは信じられませんが、まあ歴史上も鎌倉仏教が次々生まれたのは僧侶達の堕落が原因ですし、戦国時代は寺社勢力として信長と衝突もしています。近年でも暴力団との黒い噂もあるようで、副住職の暴力沙汰というのもそういう関係で今までも余り表沙汰になってこなかっただけなのかもしれません。

ついでに比叡山記をはじめるかな(笑)

ニホニウム

2016年06月09日 | 時事
森田さん「やっと声に出し喜べる」=新元素「ニホニウム」
原子番号113番の原子に、日本所縁の名前がつけられた模様です。

このニュースを見た後気になって高校の化学の教科書を開いてみると、我々の習った時代は103までしか載っていなかった模様です・・・と、どうやら4年前にも全く同じ行動をしていたみたいですが(笑)現在の教科書では112番までそれぞれに名前がついており、一応118番までが発見されているのだとか。この番号はその原子の原子核にある陽子の数と同義で、この世の全ての物質は陽子が1個(水素)、2個(ヘリウム)、3個(リチウム)・・・というように番号順に分類でき、それぞれに異なる性質があるわけですな。しかし、自然界に存在すると言うか、自然界で過去に発見されたことのある原子は92番のウランが最高で、それ以上の物質は実験室で人工的に作成し「発見した」とされている模様です。単純に言えば、大きなものほど結びつきが弱く壊れやすいため、例えばウランでも放置しているとどんどん壊れていずれはなくなってしまいます。その際に出すのが放射線であり、広島に落とされた原子爆弾はこのウランを強制的に崩壊させる核分裂反応を利用しています。まあそれは余談ですけどね。

自然界のウランは比較的安定しており、いずれといっても半分なくなるのに何億年とかかる(半減期)わけですが、原子番号が100を越えるようなようものは非常に不安定で、強制的に合成できたとしても、ものによっては0.1秒も持たずに崩壊してもらうのだとか。そりゃ、もしも陽子を一つ増やす作業が単純な足し算のように済むのなら、それこそ原子番号200とか300とかでも続々と生まれるハズですからね。実験室でしか見られないのは仕方ないとしても、ちゃんと「発見した」とするには色々制約があるそうです。今回の森田さんのチームは同じく発見したと日本より先に発表していた米ロの共同チームよりも確実なデータを提出したため、無事第一発見者として命名権を獲得し、ニホニウムと名づけられた模様です。周期表を見てみると、番号の小さいものは聞き慣れているものが多く、92番(ウラン)以降は明らかに人の名前や地名などを由来にしている物が多くある傾向にありますから、これらが元々馴染みのあった物質でなく、人工的に作られ命名されたものだということを物語っていますね。ちなみにその米ロのチームは他にも115番、117番、118番まで「発見」して命名権も得ており、113番はまあ日本に譲られたと見るのが正しいかもしれません。

ともあれ、今後世界中の教科書に載るであろう元素の周期表に日本由来の名前の物質が載り続けるようになることは大変名誉なことですね。

保健の授業

2016年06月08日 | 時事
「保健」授業、2年以上せず=東京・東村山市立中―未履修の生徒対応指示・文科省
いや、これこんな大事にしていいのですかね・・・いわゆる未履修問題とは毛色が違いますが。

コレが問題視されるなら、おそらく多くの体育の先生が震えてしまうのではないでしょうか・・・というのも、保健とはそういう教科ではなく、「保健体育」の一部だからです。つまり成績をつけようと思えば体育だけで何とかなってしまうのですな。保健の学習は一応小3から始まっており、小学校でも雨が降って体育ができない日に少しずつやったり、成績付けの前に集中的にやったりして(笑)一応テストもしますが「保健」という評価項目はないので、成績はやはり運動の技能や態度などを優先するというのが一般的です。まあ小学校は基本的に担任が全部教えますから、最悪学級裁量の時間を使って保健をやりきることは可能です。しかし中学は教科担任制で授業時間とコマ数についてはかなりシビアであり、体育の先生にとっても、運動場で授業しながら次の時間保健を教えるために教室まで往復するのはかなり大変そうですな。もちろん先生の手間以上に大きな問題は、「保健体育」の一部なので保健をやると体育ができないことなのですよね・・・体育は大体年間100時間やることになっており、週に直すと2~3時間です。動きたい盛りの中学生にとって、ただでさえ少ない体育の時間をさらに座学にされるのは堪えられないでしょう・・・中学3年間で48時間が本当なら年16時間なので隔週1回くらいのペースで体育ができなくなる計算です。そうでなくとも体力向上をとかいっているくせに、逆行していますな。

中学のことは良くわかりませんが、いっそのこと保健は特活分野にしてクラス担任が教えるようにしてはどうでしょうか。

桝添会見の意味

2016年06月07日 | 時事
舛添氏、「違法ではないが不適切」分は返金 寄付の形で
結局、肝心なことは何も分からないまま金で解決させる模様ですね。

何となく、万引きした犯人がお金と商品を返して開き直っている図が目に浮かびますが、そもそも不適切であろうがなかろうが金額を誤魔化さずちゃんと会計処理されていれば「これからは気をつけます」で済むような緩い法律のようですね。公用車の件などひとくくりにできないものも強引に総合して、全体的に問題なしということにするための「結論ありき」会見だった感が否めません。当然このままで終わらせてはいけないでしょう。今後は都議会で厳しく追及されるでしょうし、担当した弁護士が調査した内容も公開請求されより精査が進むことと思われます。

第一、本気で第三者の公平な目で見て欲しいのなら東京地検特捜部などに自首するべきじゃないですかね?今からでも遅くないですよ・・・

天理ラーメン

2016年06月06日 | Weblog
旅行の〆は天理市の天理ラーメンでした。

奈良のご当地ラーメンとしても有名なのですね。茨城の水戸藩ラーメンも合わせるとこれで19都道府県制覇です。奈良はこの前藤原京に足を伸ばしていたのですが、その時は時間帯が合わずに断念しました。今回は夜なので丁度良く、腹も減っていたので大盛にして食べました。

色を見ると辛そうですがそれほどでもなく、自らコチュジャンとすりニンニクを足して辛味とスタミナ具合をプラスする感じのようです。具は白菜と豚肉がメイン。おいしかったですけど、もう少しガツンとくる何かがほしいな・・・揚げニンニクとか揚げニンニクとか(笑)

吉水神社

2016年06月05日 | Weblog
昔、南朝の御殿があった場所だそうです。

後醍醐天皇が三種の神器をもって吉野に遷り、「こちらが正当な王朝だ」と宣言したため、以降56年間続く南北朝時代が始まりました。最終的には焼き討ちにも遭い、北朝に返す形で統一されたわけですけど、今でも日本の皇統は南朝の方が正当だったと認められています。中は記念館になっていて、工事中でしたが書院造の建物を見学できるようになっていました。一時期だけとはいえ、元は皇居だったところを見学できるなんて感激ですね。

内部をぐるっと見た後、そういえば神社をしっかり見ていなかったなあと外も回ると・・・

萌絵馬
何か咲という麻雀漫画の聖地となっていて、調べた限りだと宮司もノリノリでお払いをしていました。えっと・・・ここ世界遺産・・・元皇居・・・いいの?(笑)

吉野

2016年06月04日 | Weblog
帰りに吉野へ寄って行きました。
吉野も実は「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産の構成要素になっています。熊野三山と高野山、吉野が霊場として登録され、熊野を中心に延びる和歌山県の海岸線を回りこむ大辺路、山を突っ切る中辺路、高野山へ続く小辺路と町石道、伊勢に続く伊勢路と、吉野に続く大峯奥駈道が登録されている参詣道です。ちなみに、意外にも伊勢神宮は世界遺産ではありません。式年遷宮で20年に1度新しくなるため、文化財保護の意味合いがないと言う立場で、世界遺産にはカウントされていない模様です。

正直吉野と聞いても余りピンと来ませんが、歴史を思い出してみれば大海人皇子、源義経、後醍醐天皇といったそうそうたる顔ぶれがここに身を置いているわけです。一時は南朝という日本の中心部だったこともあるわけですけど、やはりどちらかというと「隠れ家」というイメージがありますね。「吉野千本桜」は有名ですけど、この時期はそれほど人入りもなく、落ち着いた様子を見学できました。

山を登っていき、大きな無料駐車場に停めてそこから歩いて散策する感じです。メインの仁王門や金峯山寺までは2kmほど歩きますが、大体の雰囲気はその辺までで大体分かりますね。残念ながら仁王門は修復中のようでしたが、非常に立派な境内でした。

一旦車に戻り、一番奥の金峯神社までいって、大峯奥駆道の起点まで行ってきました。車でも国道ながら相当の悪路でしたけど(笑)昔の人はここから熊野まで歩くわけですね・・・80kmなら2デーウォークとかあるのかな?

北海道男児発見

2016年06月03日 | 時事
【北海道男児不明】男児を田野岡大和君と確認 雨宿り用の小屋で発見 ドクターヘリで病院に搬送
無事見つかったようで何よりですね。

もう1週間ですから、正直最悪の事態を想像していました。今日から捜索範囲を縮小とあったのも、おそらくそういう判断からでしょう。しかし子どもの生命力というのはすばらしいものですね。たまたま辿り着き、入れた小屋に水道と暖を取れるマットがあったのも幸いした模様です。言われてみれば北海道は8月でも夜はクーラーじゃなくストーブがあるくらいだからなあ・・・初日に辿り着き、そのまま7日間動かなかったのも体力の温存に役立ったことでしょう。実は北海道の生水にはエキノコックスという寄生虫がいる恐れがあるので、水道があったというのは非常に重要なのです。地元の子なので知っていた可能性もありますが、これだけのサバイバルをこなす生きる力を備えた子は中々いないでしょうね。それにしても、あの広い北海道で雨風と獣害を防げる場所に行き着いた偶然と強運。本当に、運命が彼を生かしたとしか思えませんな。

ここからは結果論で「もっと早く見つけてあげられなかったか」を考えてみます。7日というのは食べずに生き延びれる限界点に近く、一歩遅ければ宿舎で亡くなっていたのを発見という可能性もあったわけです。自衛隊も捜索に参加していたですが、いたのが自衛隊宿舎というのは、逆にいうと参加せず通常演習を行っていればもっと早く見つけられたかもしれません。まあ規模を縮小したことで見つかったのは通常演習を開始したからでしょうから、これはこれで最短ルートだったのかな?
一般的に子どもが行方不明になった時、教員にも招集がかかって捜索を行います。しかし1人1人が適当に探していては重複もあり非効率なので、捜索する範囲を決めて近いところから1次捜索、2次捜索と段々広げる方法をとります。その間、母親などは心当たりのある施設を探すわけですが、親戚の家とか、結構遠いところまで行ってしまっていることが多い印象です。そう考えると、この人海戦術のような捜索方法は非効率であると言わざるを得ません。人間の日常行動範囲はおよそ1.6km圏内といわれていますが、黙々と歩けば子どもでも10kmくらいは歩けてしまうでしょう。認知症のお年寄りだってびっくりするほど遠くまで歩いていってしまうこともありますからね。小2の体力で・・・と思われるかもしれませんが、この前、妹の子(7歳と5歳)を連れて7km歩いてきましたから実証済みです(笑)ただ、これは正解が分かっているから「もっと遠くも捜索するべきだった」と思うだけで、やはり基本的には近場から「ここにはいない」と可能性をつぶしていくべきでしょう。捜索はどうしても面になるので、遠ければ遠いほど選択肢が広がってしまいますからね。今回のように建物の中にいたとなれば、選挙カーのようなもので呼びかけ続けながら走行したとしても聞こえないかもしれませんし。

あと、今は「よかったよかった」という気持ちですが、そもそも今回の件は親が子どもを置き去りしたことが発端ですし、しかも最初は「山菜採り」と偽ったことで、初期捜索が山の中に集中してしまい、道路を遠くまで調べるという考えに至らなかった可能性もあります。いなくなって1時間以内ならまだ近くを歩いていた可能性もあり、これが保護責任者遺棄罪とかにならないのかという疑問は残りますね。子どものしたことも見方によっては不法侵入ですから・・・そういう責任をうやむやにしてしまっては、またどこかで同じような事例が起こってしまう気がしてなりません。親の無責任さでどれだけの人間に迷惑をかけたか、罪には問わないまでもその代償を目に見える形で知らしめる必要がありますな。

那智黒と蛤

2016年06月02日 | Weblog
最高級の碁石のことです。

何故最高級なのかはこの写真を見ると一目瞭然ですね。黒石は明らかに四角く加工された板上の那智黒から規則正しくくり抜かれていますが、蛤は1つから4~7個程度しか取れません。碁盤は19×19で361マスありますから、白石は180(全部打つことはほとんどなくても)必要になり、このサイズの蛤が20個近く採れないと1セット作れないわけです。もちろん厚さとか色合いとかも大事なので、モノによっては数十万するのだとか。
那智黒とは、この辺りに加工職人がたくさんいたことからそう呼ばれているそうですが、実際には三重県の熊野市が原産なのだとか。まあ下関のフグと一緒で一種のブランド名ですね。光沢のある黒は他の民芸品に加工されても非常に映えますな。しかし一般的には黒飴として有名になってしまっているのが玉に傷です(笑)

ちなみに高級かどうかは別にして、田舎の家にも旅館をやっていた時の名残で那智黒と蛤の碁石と足つき碁盤があります。が、数を数えてみると明らかに白石が少なかったです(笑)持って帰ったヤツは誰だ・・・

青岸渡寺

2016年06月01日 | Weblog
西国三十三ヶ所の1番霊場ですね。

那智大社の右隣に位置し、普通に神社とお寺がほぼ同じ敷地内にあります。まさに世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のコンセプトである「神道と仏教のたぐいまれな融合」を代表する場所だといえますね。おそらく前情報もなしに訪れると、この神社と寺が共存している環境に全く違和感なく通り過ぎてしまうことでしょう。現に10年前に訪れた時も間違いなくここは行っているのですが、実は西国三十三ヶ所の一番霊場に訪れたという認識は全くありませんでした。それだけ空気と化しているお寺ですけど、やはり初めのお寺なので今回はしっかりとお参りをしてきました。

ちなみに西国というのは坂東三十三ヶ所や秩父三十四ヶ所などがあるためで、全部あわせて百観音巡りと言ったりするそうです。しかしこれらは江戸時代に東にも霊場巡りをと新しくできたもので、この道が最も古い巡礼道のようです。33の由来は観音経にある「観音様が33の姿で衆生を救う」という縁起からきているようです。四国八十八カ所は巡回型ですがこちらはココから兵庫県までぐるっと回って岐阜で切れるので、ちょっと尻切れトンボですね。京都をスタート地点と考えると、四国遍路はまず東寺へ行ってから淡路島より徳島の1番に入って時計回りに四国を回り、最後に高野山ですから、さらにそこから熊野古道小辺路を通って三山巡りをし、その後京都に戻りつつ西国三十三ヶ所霊場を回り、気分次第で善光寺や伊勢神宮にまで足を伸ばしてまた京都に戻る1年がかりの超長期旅行プランが存在したのかもしれません。(イメージ図)

・・・まともに歩くと4000km以上ありそうですな(笑)
ちなみに、うちも祖父母の代までは田舎の家で旅館をやっていたそうで、今でこそあんな所でよく客がいたものだと思うわけですけど、歩きがメインだった昔は街道沿いの宿場町が繁盛したように、田舎町でもそこそこ旅館の需要は高かったようです。今では交通網が発達し、熊野でも岐阜から車で数時間で行けてしまう訳ですが、逆に今もし歩きでこういう古道を巡ろうとすると、昔はあった休憩所や旅館がどんどん潰れてしまっているのでほぼ不可能だそうです。西国三十三ヶ所では既に80kmに宿が一軒もない区間が存在するらしく、最早野宿でもしないと回れないのだとか。四国遍路は今でも歩きで回れるらしいですけどね。いつかは四国・・・

岐阜には華厳寺という33ヶ所結びの地があり、そこは2~3回訪れたことがありますが、後は京都の清水寺くらいしか行っていません。後30ヶ所か・・・どんどん行きたい所リストが増えていくな(笑)