katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

愛媛さんのモザイク2日目

2008-01-13 21:39:22 | 世界遺産をみんなでつくろ!
昨日もやったが3.4時間じゃやったうちに入らないから2日目。
今日もニッカ。サンダ-は爆音とほこりで正直休みの日は遠慮がある・・・がしかし

ついている、対面で道路を工事している。しかも明日もらしい。朝一番でも問題無い。
遠慮無く出来る。こりゃ有難い。しかも音楽も流し放題。

そんな訳で角嶋工務店の社歌、長渕剛さんの三羽ガラスのリピ-ト・・・・

ここに来た事ある人は判るだろうが、2時過ぎにならないと日の光
は当たらない・・・しかもじぃぃぃとしているだけ。手だけを少し動かすだけ・・・

手袋はしたものの、指先に感覚がなくなると暖房のアトリエで手を温めて・・なんて
感じで切っては張って温まり・・・の繰り返し。

ふっと郵便物の中に時期遅れの年賀状を見つける。あぁ最近目を通して無かったなぁ。
ふっ思い出した。そろそろ電話するか・・・

実はかけ出しの頃、モザイクのサイトじゃ有名なガウディのnatsuと知り合う。
natsuからの依頼で映画監督の飯田譲治氏のお宅を日高氏と共に手伝った。

すると仕事終わりに本を頂いた。アナンと言う上下巻の2冊。

ざっくり言うと自殺寸前の記憶喪失のホ-ムレスが捨て子を拾う。しかし警察に行くにも
何しろ住所不定無職ではうさん臭い。
結局育てる事になるのだが、ひょんな事からこのホ-ムレスが以前タイル屋だった事が
露呈する。貧乏だから与えるおもちゃも無く、タイルを与えるとモザイクが上手くなる。

さてこの親子はどうなる? アナンが有名なモザイク作家になる・・・・

そんなサクセススト-リ-。その時は凄いな、凄いなってあの小説書いた人かぁ。
あの監督かぁって感じ。けれどアナンは知らなかった。

しかもアナンは映画化決定らしい。帯にそう書いてあった・・・・

natsuはそのハ-ドカバ-の龍のモザイクを作った人で、へぇ上手いなこの人・・・・
主婦で・・・やり手なこった。そんな感じだった。

家に帰ってすぐに読んだ。あっと言う間に読んだ。そしてすべてのモザイクシ-ンを
ペ-ジ数から拾い出し、どのシ-ンに何が必要か?まで考えた・・・・

そしてこれらを1つ1つ作ろうと考えた・・・その最初があの2つ受賞した龍。
本では大人が切って張ったのは子供と言う事で、考えたアイデアがストリ-ト。

町の公園に行って作っているのを見せる。やりたいって言った子に切ったパ-ツをこの辺なら良いよって張ってもらう。そしたら俺の作品の写真を1枚あげた。

結局写真代も馬鹿にならなくなり一人で途中から仕上げたんだけれどね・・・

あの作品はきっと数百人の子供達が張ったね。これなら出来る。映画でも・・・
確かな手ごたえがあった。出来上がった作品を持って飯田夫妻に見せに行くと、

katsu君、こういうのじゃないんだ・・・・・って言われた
しかも、この作品何かが足りないんだよ・・・何かが・・・・って。

悔しかった。確かに心の中にモザイクの監修に呼ばれたいって気持ちもあった・・けれど
何がって、モザイクをしていない人に足りないって言われる作品だ・・・って事に。

タイル屋で言えば、親方にまだまだだなっって言われるのなら、仕方無い・・・しかし
御客さんに言われたんじゃへこみ方は計り知れない・・・・

家に帰って一人・・・俺モザイクに向いていないかもな・・・って思った。
その時付き合っていた女の人にもそんな話をした事がある・・・

次の日、こいつも泣いているのかな?って透明のボンドで涙をつけた。ラメ入りで。
その後、こいつは東京都美術展で入選って会期中飾って貰える・・・・

そしてその後、何年か後、2つの受賞になる。変な話だ。どっちかにしてもらいたい。
そんな気持ちだった。そしてある出版社の方がお祝いの席を用意して下さって、

その中の1人に飯田氏がいた。足りないって言われて変えて見ました・・・・
するとおめでとうって言われた。

その時から少し変わった。飯田氏に必ず迎えにきて貰えるようになります。待ってて下さいって言ってこちらは疎遠になった。

しかし向こうからは毎年年賀状が届く。毎年、毎年、日高氏といつだろうか?って言っていた・・・映画は・・・って。

しかしながらいつしか、待っているのも馬鹿馬鹿しくなった。
待つって行為・・・日高氏とこんなの依存だなっ・・ってね。

他人さんに任せるんじゃなく、俺達でやらせられるようにする。

俺達がモザイクはやらせて映画化させりゃ良いじゃんに変わった。そもそもアナンを
映画化しようとしたら、地味な話だから果たして資金繰りが上手く行くだろうか?

キムタクもまつたかも出て来ない。地味な親父と子供、他はホ-ムレスに見える役者って
スポンサ-が食いつきやすい話じゃない。

俺達でモザイクはやらせよう。そしてスポンサ-が食いつきやすくしようってね。
それからと言うもの、教室には否定的だった日高氏も協力的になってくれた。

30年近いタイル屋の一人親方の日高氏が鴨川の冬のような一人もお客さんが来ないなんて
ものにも仕込みまで手伝ってくれた。正月も夏休みも返上で・・・

家庭があるにも関わらず。無償にも近い金額なのに・・・奥さんや子供達には感謝だ。

日高氏と飯田氏に迎えに来させような。最低でも次に逢うまでには同等の目線になって
いような・・・って毎年、毎年、鴨川で話すようになった・・・

しかしそれすらも出なくなった。しかしながら、そろそろ話せる立場にはなったかな?って言う気持ちと、こちらからは送らない年賀状が毎年相手から届くのでは、8年ともなると・・・・いささか・・・って。

決意して、電話すると奥さんが出た。katsuです。ご無沙汰しております。連絡出来なくてすみません。と。 ここは体裁で言っているつもりはない。

まだ、対等になっていなくてすみませんと言う気持ちと、年賀状のお礼。

そして必ずお迎えに来られた時には、ふさわしい支度をして置きますと返した。

すると飯田は新作のドラマ、あしたの喜多義男 が忙しくて寝ていまして・・とおっしゃるので、いえいえまだ話せる器ではありませんが、拝見しましたとお伝え下さい。

当然ながら、新年の日高氏とかぐやとこのドラマについては打ち合わせ済み。

その後もお待たせ・・の話になるので、心中お察し申し上げます。こちらも努力しますと
電話を切った。

とうとう連絡した・・・ふぅぅぅ緊張した。タンカを切るのは疲れる。
ヤクザのタンカだ。手前生国と発します・・・って奴と同じ・・・・

相手は親分さんなのだ。無礼を承知に伺うのでは無く、しかも電話。
切られても、取り次がれなくても仕方無い。なのにきちんと向き合って頂いた。
誠にご立派な態度に感謝する。

ほんの数分だが、手を温めるだけで無く、心にも火が付いた。
心頭滅却すれば火もまた涼し・・・・字、あってたかな?

それでここまで。いずれにせよまだ足りない・・・・

そんな中、仕事帰りのかぐやから電話が入った。お疲れ様。やったよ・・・やった・・
飯田氏に・・・えっ?やったの・・・まさか今日やるとは思っていなかったらしい・・

それ以上は話さなかった。いずれにせよ、今日明日に何かある訳じゃない。

家に帰って、日高氏にも連絡した。飯田氏に電話したって・・・・すると、そっか・・・
奴はそろそろやるな・・・って思っているらしい・・・反応も落ち着いている。

んで話せたか?と聞くから、いや嫁さんと話した。例のドラマで忙しいらしい・・・って
そっか。近いうちに暇見て来て・・・って言うと判ったと切った。

そろそろ何かを動かそうと思う。





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