katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

興味本位では困ります。

2008-01-28 21:55:47 | 世界遺産をみんなでつくろ!
まず始めに必ずかぐやの全文を読んでから、ここを読んで下さい。
そしてかぐやが弟子として愛媛さんのメ-ルを公開した事を私の意志とし、私共々
お詫び申し上げます。ではそれを踏まえて始めます。

正直、愛媛さんの依頼は嬉しかったです。最初のメ-ルは作品を絶賛して頂きました。
そして順番にこなして来たとはいえ、半年お待たせしたのですから、何様なの?って

言われても仕方ありません。それなのに、待っていました。とおっしゃる。
誠に有難い話です。しかしここからが少し変わる・・・

どうして来春から始めます・・・に対応して頂けないのか?始めると言うのは、
貴方の時間が始まると言う事なのです。つまり私の時間はすべて貴方の時間なのです。

もっと言えば、依頼された瞬間から始まっていたのです。半年前からブログを見ていて
下さっていれば・・・・・

仕事は始まっていたのです。しかしながら丸1日を費やせなかった日を1日と換算はして
いない。一体、最初の鴨川での絵は何時間費やしたのだろうか?

それでもここはいつもながら画家では無い。ここを評価して下さる人は1人もいない。
いや、正式に言えばここにお金を出して下さる方はいない。が良いかと思う・・・
お待たせした訳でそれも致しかたないとも思う。

だから無償。この時点でもかなりきつい。なのに、いとも簡単に変更と言われた。
更にでは大きさを変更を問うと、大きさはそのままでとおっしゃる。

そちらの不手際はそこには無い。もうこの時点で少し気持ちがぶれそうになる。
しかしながら、悪かったと言う気持ちがすぐに確認して下さった事で良く判る。

しかしながら、その後、数十分後のメ-ルが豹変する。何故?
事務的な5分の中での会話に多少の不手際があったにせよ、かぐやも聞いていた。

常に確認するから、今のはどうだった?当然のごとく聞いている。別に大きく失態は
無かった・・・と言われた後の出来事だ。

それは中傷されたかのような文章だ。答えは簡単。つまり1回目はブログの画像だけで
返事をしたのだと思う。2度目は文章を読んだ。

私との会話で何も無かったのなら、私の情報はすべてブログからとなる。
では考えられる事。それは弟子達との会話の部分なんかにたわけモノになるなとか、
明らかに目線を高い位置からの発言がある。

そのたわけにご自分を当てはめたような時に、時としてこう言った事が起こる。
しかしどうだろう?あくまで弟子に言ったり、仲間に言った事であり、しかもここは
私のあくまで私の日記ではあるまいか?

コメントを入れて下さった場合には、見て下さった証拠。つまり公開交換日記となる。
そこを読んで、勝手に怒ったのではあるまいか?

読む権利があるのなら、書く権利もあって当然。

私はこう言う事が初めてでは無いから、慣れたとは言え、作品を作るにあたってこれ以上
聞きたくは無かったので、作品が終ってから・・・のメ-ルを返した。

しかしながらまたメールが帰って来る。仕方無い。黙って貰う為に、かぐやが対応している事を改めて書くと、中傷と思えるメ-ルは消えた。

その後も入って来たメ-ルは、励ましにも思えるメ-ルだった。目線は相変わらず高い位置からだったが。

ここから読み取れる事。つまり愛媛さんはホ-ムペ-ジの作品の数々を見て下さり、
そこで気に入って下さった。しかしながら値段が判らない。駄目で元々と勇気を出され
連絡して下さったのであろう。提示なされた金額もご自分でお決めになった。

いつも通りに。もう一度読み直して欲しい。
子供が200円・・なんて所。まるで愛媛さんはご自分の事を言われているみたいだ。

ではあえて言わせて頂く。甘い。誠に甘い。
路上ならそれも良かろう。何処ですか、あそこは。鴨川グランドホテルなのです。

もし私の一存でそんな事をして御覧なさい。万が一御客さん同士がお話されたらどうなりますか?もう私だけの問題では無くなるのです。その恥はホテルの責任問題にもなりませんか?

しかも常連さんばかりなのです・・・私の冬は・・・だからこそ、ご祝儀なら問題が
無いのに・・・と一昨年は考えたのです。獅子舞が来るのですから・・・

では本来の正しい姿勢とは?来年もここにいるからお金を貯めて来てと言うか、お母さんを連れていらっしゃい。などではありませんか?

何でもかんでも可愛そうではありません。我慢する、努力する。必要ではありませんか?
ここに泊まっている人は1人一泊35000円もするのですよ。
場合によっては、あわびや伊勢海老を食べている子なのです。

何かおかしくはありませんか?鴨川についてはまだあります。売る気は一切ありません。
何故なら、お教室だからです。サンプルに作ったモノを売ってしまったら、また作らねば
ならなくなります。

それだけではありません。そこで売っている人達はすべてホテルに支払いをしているのです。なら私も支払いせねばならなくなります。
以前そう言う事があった時に、正直に話すと、きついんですから構いませんよと言って

もらった事もあったが、そうそう甘える訳にも行かない。他の人の手前・・・

もういちいち説明する必要は無いでしょう・・・では本題に入ります。
買ってやるなら売りません。でもすみませんでしたならお売り致しましょう。

しかしながら、当初の6万で。サインを入れるなら8万で。愛媛さんが折角変わり者って
言って下さったのですから、貴方と同じやり方で行かせてもらいます。

本当はこんな事をしたくなかったです。しかしながら誤解され方が尋常ではありません。

それといい機会です。愛媛さんが値段を提示しろっ。と言い放った件も触れねばならないでしょう。

毎日ニッカでやってた理由。それはこれだけ言われる芸術家っているのでしょうか?
ならお望み通り、とてもモザイクが上手いタイル屋なら良いのですよね・・・・

なら1日最低15000円は下さい。どの職人もその程度なら当たり前です。
お買いになられますか?ではもし今の私を芸術家の卵くらいにお考え願えたとしたら

有難うございます・・・信じて下さってって気持ちでやって参りました。
だからいつか恩返ししたいと願って、サインさせて下さいなのです・・・・

本当に判って下さる方は、御免なさい・・・って言って下さいます。
ですから、私はそんな事はありません。有難うございますと言います。そう言う方には。

高い、安いを言っている訳では無い・・・もそうです。
良く工務店のたわけた親父が言う言葉です。あくまでたわけた・・・

このセリフは高いと言いたいのです。何故なら、安いと言うのなら、これで平気なのか?
ではありませんか? つまりカッコつけていかにも俺は銭に汚くない支払いをするのだと
言わんとばかりです・・・・

人は素直なモノです。もしこれを上げ足取りだの、屁理屈言うなと済ませようとするなら
それに対する己自身が無いと言う事になり、参りましたって言われているか、
日本語を良く知らないと言われたみたいで、あぁ勉強が足らないのねって言う事にも
なりませんか?

実はこれが今のいじめや逆切れの原因なのではありませんか?
少なくとも私は、私の日記に私の思いを世界に見られても良い覚悟で書いているのです。

反論があるのなら、堂々と名乗るべきなのではありませんか?
私は愛媛さんがコメントとして書いて下さったのなら、ご立派な方だと思います。

良く読み返して下さい。独り言・・・と書いていながら結局押し付けていませんか?

私の言いたい事はまだあります。目指しているから芸術家への道なのです。
思い上がっているつもりは一切ありません。

では芸術家とは?私は見たまま描くなら写生だと思うのです。それでも芸術と呼びますが
私の目指しているのは私の思いのたけを描く事です。ダビンチにコ-ドがあるのなら
私にもあります。

では今回の作品のタイトルです。荒野の果てに・・・です。

愛媛さんからの依頼、何だか覚えていますか?本人はお解かりでしょう?

私は大事なモノを失いました。これが最後の恋愛かも知れない・・・そう思っていた
相手との別れです。これは私にとって遺影でもあり、仏花でもあります。

では作品解説です。皆さんが綺麗と見えたモノがどう変化して行くか良くご覧下さい。
カラ-と言う両サイドの黄色い花が戦国時代の弓矢の矢と見えませんか?

真ん中の2つのつぼみのいずれかが鳥の首に見えませんか?
両サイドにある白いゆりが羽には見えませんか?なら真紅の薔薇は血しぶきです。

だから細かいかすみ草が血が付いて赤いのです。

更に続きます。これは3部に構成されています。偶然にも弟子のかぐやとも-が羽の付いた馬を作っています。お話します。これは2人も知らなかった事でしょう・・・

常に言う逆も真なり。でスタ-トします。も-のユニコ-ンから始まったとします。
ユニコ-ンは悪者らしいです。なら悪いツノの付いた馬が大あばれして平和を乱した
のなら、当然バツは与えられる事でしょう・・・それがかぐやのペガサスに繋がるのです

ツノは折られ、固められてしまうのです。そして私の作品へ。
周りの大きなクラッシュは氷です。美しかった花も攻撃され、美しい思い出のまま
封印されて行く・・・こんな3部作なのです。

では、私の作品からスタ-トします。以前素敵な町だったこの場所が荒野の果てになった
としても、いつかそこには花が咲く事でしょう・・・

その花はやがてツノの無かったペガサスの所にまで達します。しかしながら闘って
敗れたから固められたのなら、ツノを持って戦いに行かなきゃ勝てません。

戦いに行ったのです・・・荒野にされてしまった何かと戦う為に・・・・

大事なモノを守る為に・・・こんな意味があったとしたら、お買いになりますか?
愛媛さんは作品好きで、katsuがお嫌いでしたね。

たまたまモザイクで表現しているだけでkatsuは思想家です。それでは方手落ちでは
ありませんか?

もっとえげつなく比喩します。お前の娘、顔悪いけれどやったら気持ち良かったから、
もらってやるよ・・・親として嬉しいですか?

私の作品はすべて命掛けで愛して作った娘達でした。この作品もそうです・・・
ただ生まれて初めて、死に化粧して送るつもりでした。

どちらでも大事に作れます。どんな中傷されたとしても・・・お買い上げされるかも
知れないのですから・・・・

最後に愛媛さん。消して人は憎んでいません。本当に欲しいって気持ちには変わり無い
のですから。それは私にも判ります。あれだけ言っても欲しいと言うのですから。

しかし罪は憎みます。一生ね。ただし、これを機に本当に応援して下さるのなら、
私は貴方を受け入れます。いかがでしょうか?

愛媛さんに限らず、今までのブログを全部読んで下さっている人など極わずかです。
消してブログは消えません。応援する・・・とは名ばかりでこつこつ読み返して下さる
そんな人はほんの一握りです。

私は口込みがすべてだと言っているのに、今のkatsuを知り得ず何を口込みして下さる
つもりなのでしょうか?

買って下さる、体験して下さる、それは確かに有難いです。しかしながら、真実を語って
ご理解なさり、口込みして下さる・・・これも立派な応援です。

私は問いたい?皆さんは私をどうしたいのですか?どうすると満足ですか?
教えて下さい。

色々とこれを書くのに考えながら書いたので、遅くなってすみません。
最後まで付き合って頂いて有難うございました。

それと近いうちにかぐやにはこれを教訓にし、依頼品は最低生活保障として何を作っても
10万以下では受け付けられませんと書くつもりです・・・・・





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作品経過のご説明(今日のブログ記事の前にお読みください)

2008-01-28 19:57:22 | 世界遺産をみんなでつくろ!
皆様失礼します。弟子のかぐやです。
師匠KATSUのブログではありますが、今回の作品の完成にあたり師匠が皆様にお伝えしたいことがあります。HP・事務担当をしている私が、作品依頼の経過説明などを、及ばずながらさせていただきますのでよろしくお願いいたします。
なお、本文中に「愛媛さん」と書かせていただいていますが実名は一切公開しておりません。個人情報は保護しております。


今回の作品のお客様は、遠く愛媛県の方でした。
初めの作品依頼のメールが来たのが昨年夏7月。

HPをご覧になり、とても興味を持っていただけたようで、熱意のあるメールをいただきました。タイルのことなども色々お調べになっており、KATSU作品をとても認めていただいたご様子でした。HPを作っているものとしても嬉しいお話でした。

作品依頼は数件すでにあったので、それから半年。12月。
お待たせしてしまったので、もしかしてキャンセルなさるのを覚悟で師匠は電話しました。

結果、作品のご依頼をいただき、制作に入ることになりました。
作る内容を再度確認し
「下絵などをブログにアップしていきますので、ブログをぜひご確認ください」と
お伝えして・・わずか5分ほどの電話を切りました。

事務的に内容の確認、記録のため
何度かのお電話のやりとりは全て、私もそばで聞いておりました。
師匠はいつも作品を作る前のお客様とのコミュニケーションに非常に重点を置きます。場合によっては何時間もの会話の中で作品の概要を考えていくのです。
メールとほんのわずかな数分の電話での製作開始は、今までにないものでした。

お正月あけ、何度かブログに下絵をアップしましたが、
ご連絡がなかったので、師匠から再度お電話で下絵の確認をしました。
年末年始お忙しくて、ブログはご覧になれなかったとのこと。
そして直後に、メールでご返答をくださいました。

ブログの下絵の写真を見ていただいたようです。
ただ作品のメインである花は、夏にご依頼の時点で決まっていたのですが
変更のご希望でした。この時点で師匠が下絵に費やした時間はゼロに戻ります。
ふたつあった花のうちひとつを変更ということは、
そのひとつだけが変更されるのではなく、下絵が根本から変わるということです。

そしてその数時間後、再びメールが来ました。

「・・・件名 愛媛からのひとりごと・・・
値段の提示の件

鴨川グランドホテルのお客さんとのやり取り・・・

私は読んでいて腹が立った。

あなたは、お客さんの大半が、素人だということを理解していますか?
私を含め、芸術なんてさっぱり分からない人ばかりだ。

世の中の金持ちで、多少文化的な生活をしている人たちでさえ、25万のヴァイオリンと2億のヴァイオリンの音色さえ聞き分けられない人がほとんどだ。これは事実。

お客との値段交渉に気力がないというなら、最初から材料費、経費を差し引いても損のない最低ラインの金額を提示しておけば、お互いいやな思いをしなくてすむじゃないか。

タイル一枚の値段さえ知らない者にとっては、それが高いとか安いとかいう以前に、そのまま素直に受け入れられるし、まして、作品を売るのが目的なら、なおさら、お客が買いやすい状況を作ってあげるのが親切だと思いますが、私が間違ってますか?

コンクールやオークションで、芸術としての価値を決めているのではないのだから、お客に判断を任せておいて、買う決心がつかなかった人を、あれこれ批判するのは、気持ちのいいものではない。

同じ作品でも、500円と評価する人もいるし1万円と評価する人もいるはず。
なぜなら、素人だからです。


買う側として、買ったときのやり取りというものは、いつまでも鮮明に記憶にあるものだ。
それが、自分が気に入ったものならなおさら、いい気分で買いたいと思うのは当然の心理。

買ったものを見るたびに、そのときのいい気分が蘇る。
いやな気分で買ったのなら、それを見るたびにいやな気分になる。

例えそれがすばらしい作品でも、それを見るたびに、買った時のいやな思いになるとしたら、そんな作品は買わないほうがましというものだ。

鴨川のお客さんも、そういういやな思いをしそうだから買わなかった。

駆け引きが嫌いだといいながら、お客に駆け引きを仕掛けているのはあなたのほうではないのですか?

値段を提示しないのなら、せめて、判断材料となる、あなたの今までの受賞作品の写真や、作家としての経歴をパネルにして掲げておいてほしい。
パソコンで見るあなたの作品は、すばらしいものばかりだ。
そういうすばらしい大作を一切見ずに、目の前にある小物だけで判断を迫るというのは、お客にとったら酷な話であり、裏を返せば、「この価値が分からないなんて、あなたは見る目のない人だ」と馬鹿にされているのにも等しい。

芸術家と、パトロンの話。

ある芸術家がいるとする。その才能をかって、ある人が援助を申し出るとする。
「お金が足りなくなったらいつでも言いなさい」

こう言うと、大半の人はいいパトロンがついたと思うだろう。

でも、芸術家にとったら、こういう人ほどめんどくさいものはないと私は思っている。

「何に使ったの?作品はできたの?」
こういう無粋なことを聞いてくるのはこのタイプ。


「君の好きに使いなさい」とポンと大金を置いていき、使い道は一切問わないで、またお金がなくなりそうな頃に来て、何も言わずにポンと置いていく。

これこそが本当のパトロンだと思っています。

しかしながら、金持ちの中にも、このような心意気のある人はなかなかいないし、まして、ホテルに泊まりにきているだけの一般人に、パトロンの性質を求めるのは無謀というものだ。


長々と独り言を言いましたが、聞き流しておいてください。
みんな考え方が違って当たり前。
お互い理解できないところがあるのは当たり前。

では、私の作品、楽しみにしています。」

おそらく、この数時間の間に下絵の画像だけでなく、この数日間のブログをご覧になったようです。師匠は「とにかく完成するまで待っていてください」と返信しました。


次の日メールが来ました。
下絵はOKが出たようでした。



そしてまた翌日メールが来ました。
経過を確認しているとのこと。
日々、文体変化していきました。それから当初の依頼の時にはなかった「ゴールドを使って欲しい」との依頼が入っていました。

そしてまた翌日

「・・・愛媛からの独り言Ⅱ引っ掛かってたこと・・・
ずっと心に引っかかってたこと、すっきりしない想い、それが何かやっとわかった。

依頼品にはラッカン代わりのサインは入れるが、そうで無いモノにはサインは入れない。
売れて資産価値が出ないようにね。

この一文に、反発していたのだ。

ラッカン代わりのサイン・・・

依頼品には入れるが、そうでないものには入れない?

普通逆だろう?

依頼品なんて、所詮他人の意向を伺いながら作った、他人との混血だ。
あなたが黄色がいいと思っても、依頼人が青にしてくれと言えば従わざるを得ない代物だろう。
ここに鳥を入れた方がいいと思っても、依頼人に却下されれば、不本意ながらその通りにするしかない作品だろう。
そんなものに自分のサインを入れてどうする?

たとえ心血注いで仕上げたとしても、それを本当に、オリジナル作品だと言えるのか?
あの龍や、神々しくすら思える白蛇のように、自分の魂が作り出した自分の分身だといえるのか?


もし将来有名になって、値が出たとしても、今の時代、依頼品こそ、サインなんぞなくてもいくらでもあなたが作ったものだと証明できる。
私があなたなら、全面的に任された作品以外、意地でもサインは入れないね。
自分の魂が作り出した作品と、他人の趣味を形にしてあげた作品とが、将来同列に並ばないためにもね。

それよりも、どんなに小さい作品でも、(旅の思い出に記念品代わりに買われていった作品でも)、他人の思考が入っていない完全オリジナルな作品にこそ、私ならサインを入れる。
たとえ、それが500円で売れようが、1万円で売れようが、金額は問題ではない。

賞歴など、何の予備知識もないままに、自分の作品を見て、気に入って買ってくれた。
この行為に偽りや打算があるだろうか?

“夢を売る仕事”と自負しているなら、そういう作品にこそ、サインという“夢の種”を仕込んでおく。私なら。


値段の話に戻って悪いが、鴨川で、「いくら?」と聞いてきたのが、金持ちそうなご夫人ではなくて、200円しか持っていない小学生だったらあなたはどうする?

「教室は¥1000でやらせてもらってるよ」と、同じ返事をするのだろうか?

それを聞いたら、その子は“とても高くて買えないや”と思って、欲しいけれど諦めて立ち去るだろう。

客に判断を委ねているようで、実は遠まわしに、希望小売り価格を言っているのにお気づきか?

私なら、逆に「いくら持ってる?」と聞き、200円しかないというなら、200円で売る。
200円しかないのに、買いたいといってきた勇気に免じて、ただであげたいところだが、私はその子の持っている全財産、200円を貰う。

なぜなら、人はただで貰ったものは大事にしないからだ。
その子にとって200円が全財産なら、「この作品は、君の全財産と同等の価値のあるものなんだよ」と伝える。

夢を売るって、そういうことじゃないのか?
値段をつけないって、そういうことじゃないのか?

あなた自身がブログで言っているように、私は、“あなたの作品は好きだが、人柄は好きじゃない”ってほうの部類に入る。

私は、猛烈に感情が高まったときには、遠慮なく相手に伝えないと気がすまない。
怒りだろうが、愛情だろうが、私は感情が激しい。

だから、このメールも、私の独り言と思って受け流してくれていい。
あなたのやってきたスタイルを、変えろ!なんて、あつかましいことは思わない。


最後に、私の作品に対して、これだけは外せない注文がある。

私の作品に、サインは入れないでほしい。

私も、あなたと同じく偏屈者なんでね。

その代わり、誰が買っていくか分からないけれども、今後作った、あなたの完全オリジナル作品の一つに、サインを入れて欲しい。
私の作品につけるはずだったサインを、他の、依頼品ではない作品に譲る。

その手間賃として、プラス2万でお願いしたい。

最初の6万とあわせて、最終的な値段は8万になる。

8は縁起のいい数字だ。

この金額が妥当かどうかは分からないが、8という末広がりの数字に、いろんな思いを込めることにする。」


そして次の日
こちらの要望は全て伝えたのであとは腕にお任せするという内容の
メールが来ました。そして毎日チェックはするがメールは
特に何もなければ送らないとも。


このメールを最後に毎日のメールはしばらく途絶えました。



再びメールがきたのは、飯田譲治氏についてのブログを書いた直後。

「・・・件名 龍のこと・・・
あの龍の誕生秘話は、興味深かった。

一番認めてもらいたい人に、認めてもらえなかったのは悔しかったと思うが、そんなのまったく気にするな。


人見安雄という画家をご存知だろうか?

美術品の窃盗団の一人で、逮捕目前に海外に逃亡し、生活費のために、自分で書いた油絵を売りながら、逃亡生活を続けていた人だ。
彼と“絵”にはとても運命めいたものを感じるが、彼が絵を売っているときの、とても面白いエピソードがある。

彼は、とにかく生活費を稼ぐという目的のためか、万人受けし、売りやすい絵を書いた。
ある日、絵を売るための展示会で、一人の男が声を掛けてきた。

「君、あの隅の方に置いてある、値段のついてない絵が是非欲しいのだが・・・」

その絵は、実は、彼にとっては失敗作で、“岩のある海岸の隅の方に、一人の男が座っている”という感じの絵だった。
人物も小さく、構図も納得いかず、自分でもどうしたものかと放り出していた作品だ。

「あれは売り物じゃないんです。」
と断ると、客は、ますます価値があるものと勘違いし、

「この絵はすばらしい。この隅の方に描かれている人物は、キリストだろう?」
「キリストが悟りを開く前の悩んでいる姿を描いたのだろう?」
と、一人で納得し、何が何でも譲ってくれと言う。

人見としても、お金はいくらあっても足りない身分なので、結局客に調子を合わせて、

「そうなんです。よくお分かりですね。実はあれは売りたくなかったのですが、そこまで言うなら、この値段でお売りします。」
と、その日売れた中で、一番の高値で売ってしまった。と、こういう話だ。


私が何を言いたいかと言うと、作り手が失敗だと思っても、受け手がキリストだと思えばキリストなんだってこと。

人の評価ほど、あてにならないものはないと思わないか?

それが証拠に、あなたの“龍”だって、否定する人もいれば、賞をくれる人もいる。

なぜなら、その作品を判断する基準は、“人間の感性”そのものだから。
“人間の感性”って、これほど不確かで、あやふやで、いい加減なものはない。おまけにそのときの気分に、大いに左右されるし、おまけに100人いれば100人みんな違う感性を持っている。

そんなあやふやなものに、1回や2回否定されたからって、何も落ち込むことはないと、私は思う。

その有名な監督さんは、“寿司を探していたのに、あなたは焼肉を持っていった”ってだけなんだと思うよ。


私は、龍を見て、圧倒された。

白蛇を見て、神の使いかと思った。
もしかしたら、あなたは鳥を食べようと思っている蛇を描いたのかもしれないが、私には、鳥を守っている山の神の化身のように見えた。

この感じ方だって、見る人によったら千差万別。
もしかしたら私も、キリストに間違えた男と同じかもしれないが、そんなのはどう思おうと、私の自由だ。

そういうことなんだと思う。」
....このメールが最後でした。

このようなやりとりの間、ブログへのコメントの投稿などはなく
すべてメールでした。

そして作品を作り続けた師匠。
今日完成の日を迎えました。



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