katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

メロンの森に無事納品

2011-09-24 07:03:27 | モザイク作家
茨城の鉾田にかぐやとメロンのモザイクを納品。
こんな時はいつもそうだが、自分としては作品に自信は無い訳では無いが、

お客さんが喜んでくれる自信がある訳では無い・・・・ここを勘違いしないように・・・
そんな気持ちと作品とかぐやを乗せて向かう事になる・・・

行きはその緊張からあっと言う間にいつも到着する。あっと言う間と言っても2時間位は
掛かったんだけれど・・・・。

いよいよ到着し作品を持って駐車場から歩いて行くと、社員さんや社長さんが見つけて
くれるやいなや、いやぁぁ凄いこれは・・・こんなのが出来るんだぁ・・・・と、

感激してくれる。明らかに打ち合わせの時とは全く反応が違う・・・・
こんなシ-ンが作り手の努力がお金以外のつり合いを見せた瞬間。

心の中で良しっ・・・って俺だけが感じる自己満足の瞬間・・・・そしてその後に
訪れるのが、誰が作ってんと思ってんだぁ・・・俺なんだよっ・・・ってつぶやける瞬間

この瞬間の為に作っているようなもの・・・そう言っても過言じゃない・・・・
そんな中、御厚意でメロンの試食とメロン狩りをさせて頂き帰宅となる。

ここは、ほっとする瞬間・・・・満足されたから・・・・そのお礼・・・・
そう言われているのが伝わって来る。 何かを貰ったから・・・とかじゃなくて、

職人の時にも感じた事だが、はいお金・・・とお茶も出ずに帰る・・・
こう言うのは、お金と仕事がつり合うようにする・・・ならばひと手間いらない気がする

目に見えないひと手間を自由に操れるのが職人ならば、俺もその一味の腕を伝承している
はずなのだが、どうしてもひと手間所では済まない・・・いつもそう・・・

こう言う単なる取り決めの遂行・・・・そう言う仕事の関係ならそれはそれでも良い。
ただ感謝って気持ちや、礼儀と言うのなら、こう言う態度の接し方をされると、

横で見ていたかぐやにも、あぁこのお客さんは作品を大切に扱ってくれるだろうな・・・
って思うだろうな。勿論、皆さんそう言う気持ちはあるだろうが、

ただ大切って意味では無く、みんなに見せよう・・・自慢の一品として・・・って
大切に扱ってくれる・・・と言う意味でね・・・

こう言う納品の場合は、みんなが笑っていて、そこには感謝って気持ちがみんなにあって
さようなら・・・って手を振る事が、2度と会う事は無いな・・・では無く、

また来るかもなっ・・・ここに・・・そんな気持ちになる。
それをかぐやの口から、ここはまた来るかも知れませんね・・・・と聞くと、

そうか・・・弟子のお前もそう感じたか・・・と、ならまた来る事になるな・・・
そんな1日だった。

そしてその1日の終わりは、かぐやの枠。すっかり落ち着いた気持ちで向き合うかぐやは
どうやら気が付いたみたいだった・・・・。

私の枠は余計な事はいらない・・・ただお洒落でも無い・・・・
呪文のような言葉だけが必要なんだ・・・・と。お花すらいらない・・・・と。

まっ極端な話だが、考え方は間違っていない。そこで具体化させる為に、
枠に見立てた木を添えて、45mmと90mmの木で確認させると、

45mmでは狭く、90mmでは広過ぎである・・・・だから答えはその中にある・・・・
そして彫る分を取ると、その残りの部分が文字となる。

簡単に具体化するものなのである。何がしたいか?と何が出来るか?は違うし、
今までやって来た作品に足りないものの補足にするのか、

作って来た作品に言いたい事が満載なら、フェイドアウトとするのか・・・・
と言う考え方があるのだけれど、ついついこれでもか、これでもか・・・と、

やり過ぎになりがちとなる。濃い味付けに隠し味みたいな・・・ね。
つまり濃いと感じるのなら、箸休めのようなものが必要だし、薄いのなら足す。

そんな役目になると思われる枠・・・・それで今のかぐやが選んだのが、
俺も良くやる、見た目はシンプルなのに内容が濃い目の味付け・・・・

判ろうとしてくれる人だけに見える・・・・古文に出て来るあの手法。
まっ何処まで出来るのか判らないが、良い勉強になるだろう。

ただ何度も言うが、ファンタジ-とホラ-は紙一重。必ずファンタジ-寄りになるように
枠を考える事。この作品にホラ-は似合わない。

ここまでシリアスに見えるのだから、ホラ-に見えるでしょ?そうじゃないよ・・・
ファンタジ-だよっ・・・・って枠が付いたら、そう見えるように・・・・

そんな打ち合わせをしてお開き・・・・

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