katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

いつ振りかな?習志野のユザワヤ・・・

2015-09-18 23:51:37 | モザイク教室
朝から凄い雨が降ってて、いつもの口癖・・・折角雨なんだから・・・って事で、先日、傘が壊れちゃって新しいの買ったからデビュー出来るし・・・・
何か言う事が、そこらの女子以上に女子力あるでしょ?・・・・あはははは、そんな所だけなんだけれどね。

さて昨日は流石に何だ?ここ・・・モザイク教えてんじゃないの?ってな話になって、すっかり気持ち悪い感じになっちゃったとは思うけれどね、ある意味それもあってもおかしく無いと思うのね・・・何故なら俺は一体何のどんな先生なんだろうか・・・?そりゃモザイクの先生でしょ?って聞こえそうだが

でも実は作家katsuでもあり、その作家って言うのもきちんと認められる芸術家って言うのになりたい・・・と、うたっているのね。
そうね、良くある捕まった時にテレビで自称芸術家って言われないようにね・・・。

じゃ仮に今は自称芸術家程度扱いだとしてね、物事って言うのは意外と単純で認められるって言うのには、1つ目のパフォーマンスをネットでドーンって言うのもあれば、コツコツ苦節10年なんて言うスタイルもある。って事は、俺があるとしたら後者って事になる。

では苦節って何だ?・・・となると、ある時、誰かに過去を振り返って貰ったりする訳で・・・。何これ?ってね。すると、その1つから興味を持たれた事がどんどんとお芋掘りのようにズルズルとあれもこれも・・・ってな形で知られたら、本当に凄いものならば次々と見たくなる。

それがもし同じようなものなら、1.2個見れば同じなんだから目新しいものは出て来ないのだから、興味は途切れる。
いずれにせよ、今は自称な感じのものが、もし認められる事になったとして・・・・すると、その日から自称では無くなる事になる。

ただそれは知られた事により、欲しいと思う人が増えれば、どんな仕事でも適正価格以上に付加価値が付く。それが芸術と言うのなら、単なるチケットでも何倍にもなるのだから、資産価値なんて付いたりもする。別に驚く必要も無い話なんだけれど・・・。

ただそれは単に実力を認められただけで、知る人が増えた事で上手い事、凄い事が広がっただけ。つまりそう言う事ありきで認められたって事になる。
がしかし、実際は売れたら認められた事になるのだから、テレビで知られているとか、浮世離れに稼いでいるとかになってから、凄いって話になる。

つまり感覚としては、普通は売れたから凄い・・・・って思われる事が多いが、実際は凄い事がオープンになっただけで、凄いから売れたなのね。
本来、良くあるパターンだと、インディーズで何年・・・みたいにいつデビューしてもそこそこ売れる人を、しっかりしたファンを固めた上で、

デビューさせる方法はかなり支流で、昔のように宣伝広告料を掛けて一挙に露出なんて時代では無く、そう言う一挙って言うのはネットでやって見た・・・って方法もある。まっ、いずれにせよ、出来る事はコツコツやってはいるんだけれどね・・・・あはははは。

話は戻して、仮にその日が来れば、芸術家が教える教室って看板になるだけで、今は、この程度です・・・いかがですか?って看板を出しているだけ。
つまり売れようが、売れまいが、凄いと表現されようがされまいが、俺の問題では無く人の評価であったりする訳で。

それでね、要するにこう言う事を踏まえて、モザイク先生ならテクニックを教えるだけで良いと思うのね・・・それが普通だから。
でも、もしそうで無い事も教える事が出来たら?・・・・ではその人と違うって何?って言われれば、芸術ってなんぞや?って話になる。

これは売れようが売れまいが持論なんで、変化はするかも知れないが、ベースは読んで字のごとく、まずは芸。これを伝統ってスタイルなら、誰かに習いその伝統を受け継ぐ・・・そう言うスタイルと、その人独自のやり方で、その人ならではの・・・ってスタイルが簡単に対比としてある。

伝統とは、己の意見などどうでも良く、受け継ぐになる。全てが同じになるように・・・それが後者は独自のやり方で固定はしない。
では次は術。ほら魔法でも掛けられたようでしょ?・・・・。何々のような・・・これを前者では本物があっての本物のような・・・になる。

つまり真似。そっくりって話。これが後者では、独自・・・それこそがオリジナルで、何かに似せるでは無くて、デザインやら何やらの新しいと思われるものを良しと認めて貰う・・・そんなやり方があったりすると思うのね。

前者を取るのなら、写真でも観て、似ているか?似ていないか?になる。芸を身に付け術を使うとでも言うのかな?そっくりになるようにね。
それが後者はゴシック様式の中、たった1人で化け物屋敷のような家にリフォームしたガウディのような、恐ろしいくらいの個性・・・・。

こう言えば判りやすいかな?・・・・こう言う対比があると思うのね・・・ひとことで芸術って言っても種類がね。それでね、俺は誰にも習っていないから、これが正しいとか言うつもりも無いし、何処でどうやろうと勝手だとは思うのね。

ただ俺はそこに情緒なんてもんが必要なんで、作家katsuとしてはそう言う事を大事にしてやっているのだけれど、そもそも一体、生徒さんはどの程度の作品を望んでいるのか?になるでしょ?・・・・その時にきちんと道具が使えるようになれば、その技術を持ってして情緒なんてのも良いが、

タイルを切った事が無い人に情緒なんて出せる?いらないよね・・・だけど風味くらいなら・・・・なんて教え方もあるでしょ?きっと。
でも限られた時間の中なんて事になると、やりたい事とやれる事は違って来る。

そうかと思えば、別に情緒なんてどうでも良い人だっていると思うのね。それならある程度経験すれば、誰でもそこそこ出来ると思うのね。
だってネットで探せばいっぱい先生は出て来るからね。先生と名乗るに値するかどうかは別にしてね・・・・。

要するにその程度のモザイクなら、もう俺の教える事はほぼ無いし、そこで留まったとしても、ここで何年も続いた人なら人にあげても恥ずかしい作品にはならないだろう。だからそれも良し。ただ、今のカルビのように、新作は今までとは違う作品になるな・・・きっと大変だろうな・・って時、

先生としてやれる事は、これを完成させたいな・・・・って思える最高の準備をしたいのね。こう言う一皮剥けるかも知れない作品って言う時は、
いくらか情緒って話も必要な人もいる・・・・これが相席のぼーなら、まだ子供って事で、頑張れ・・・でも良いが、カルビは年上。

そんな事もこんな事を踏まえて、大人な分、教える事を少し変えよう・・・・って話なのね。それがもし正しければ、ものの考え方としてオリジナルとは、そう言う考え方があって・・・・それでどうする?貴方は・・・・ってやり取りをし続ける事になる。

それが自分を語る練習だとしたら・・・・オリジナルとは自分自身・・・・人と違うと言う事は・・・個性と言うのは・・・?
そう言う事に繋がって行くと思われるのだけれど・・・・。後は来る人が決める事。

ただあくまでも続いた人の話しで、最初の頃は楽しくのみ。時間の中でそこそこ結果を残す・・・これだけ。あはははは。
そんな長い枕になったが、カルビの作品が時計って事で最初は100円ショップの時計を分解して付けようとしたが、こんなに下絵に時間を掛けている。

きちんと今までとは変わって来た事も踏まえて、それじゃ俺も・・・・ってかぐやに調べて貰って確認の上、しばらく振りに習志野のユザワヤに時計や針を買いに行く事にしたのね。折角雨だし・・・・。

まぁ変わったのね・・・・品揃えが。ご年配の方が多い事もあって、布や刺繍のコーナーばかり。それと何だっけ?首からぶら下げたり、腕とかに付けたりって・・・正式名が判らないので総称してアクセサリーの材料とするが、そんなコーナーも幅を利かせていた。

かぐやにその品揃えを話すと、当然、物作りの好きなかぐやは敏感で流行を知っていたりしたが、時々、私だって行かないと判らない・・・と言っていたが、そもそも俺は男だし、かなりのハンデをしょっているのだから、正直ビックリしたのね・・・・。こんなに片寄っているとはね・・・って。

ここだけ見ても、物作りの年齢が見えた気もするし、保守、革新って話みたいにも見えたし、いずれにせよ、刺激にはなってアトリエに戻る・・・。


そんなこんな事もあって、下絵の是正をする事になり、次のお教室も下絵の続きになるかも知れない・・・・。

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さくら教室

2015-09-18 06:47:35 | モザイク教室
今日は午後からさくら教室って事で、それまではカルビの下絵直しから。これだけしっかり下絵に取り組んでいると、それ相応の完成度にしてあげたいし、そうなると下地を作るこっちとしては、どうすればより完成度が上がるか?って事になる。

何しろきっと生まれて初めて、こんなに真剣にダメ出しされながら向き合って描いただろうし、それなのにその時にそれ以上、もっともっとって言ったら、くじけるだろうから、この日はここまでかな・・・・この日はここまでかな・・・って何度か繰り返してここまで来た。



それが今回はこれが置時計にしたい・・・・そんな下地を作るのだけれど、置時計なんか作った事無いし・・・・どうやったらここまでやった人に応えられる下地になるか?・・・・と考えると、ここは彫るの無理かっ・・・とか、ここは強度が無いよな・・・とか、色々とこっちの都合もあって・・・。

ただだからと言って、彫りやすくすれば良いやとか、強くなれば良いか・・・では無く、美が大事でね・・・何をどう作ろうと、必ずここまでの下絵でやれば時間は掛かる。それならそれだけ時間を掛けるのなら、作る人は報われないと・・・だからこそ下地も簡単では無くなる。

これが何と無く丸とか大体こんな・・・ってザックリな話だと、こっちは楽で良いが、逆に全て作る人の実力にゆだねるようになる。
例えば先日のロンのギターで言うのなら、キターの形の木に作るのと、四角い額にギターそのものをモザイクで作るのでは全く意味が違う事になる。

何しろ今回は1cmタイルで作ろうとしているから、四角い額の中には作らせたくないのね。それではバックが多くなるから。だからバックを無くすには、この形をくり抜くようにしないとならないだろうから、そうなると余り輪郭が細かったり細かかったりすると、彫れなくなる・・・だから修正。

そんなこんなやっていると、さくらがやって来てお教室なんだけれど、俺の見る限り相当体調は悪いのね・・・・そもそもこんな時期は去年なら、お教室前に梨園に行きたい・・・なんてスタートだと思うが、何も言わないし、人はそうそう変わらないと言うのなら、同じ事を同じようにするもの・・・。

これが子供なら飽きちゃった・・・とか、あったりするだろうけれど、何しろ普通の人とこの時期のさくらの梨の必要性では、意味が違うのね・・・。体調不良だから、梨でも食べないと・・・って主食みたいに口にしているからね・・・・。

しかもそんな調子だから、見るからに痩せた・・・って判るし、それが単なるダイエットならまだしも、確実に悪い方に痩せたんだな・・・って思える。そんなこんなでも弟子なんで、遠慮なく気になった事、人は見た目で判断するのだから、こう見える・・・って事を言い続けて・・・

人から見える今の印象を確認させた。その時に実際はどうか?・・・と比較して、もし是正を出来るのなら是正するも良し、意地を張れる元気が残っているのならそれも良し、しかし、もし八方ふさがりなら・・・きちんと振り返り、曖昧にしない事。それ無しでは何も変わらないし、変えられない。

そもそも1人で何かを考えて答えが出るのなら、ここに来なくても何とかなるはず。そう言う事を話を聞きながら、これを作った・・・。
俺に聞いたのは羽の位置のみ。これを見て気が付く事は、まず4面作る最後がふくろう・・・・一番好きなモチーフならここまで作れる事。

バックは同じ色、同じ形の繰り返しだと安定感がある。そこに迷い無し。質も良い。そもそも俺の横で作って満足に手が動かないようでは、信頼度が低過ぎるし、ここで全力が出せないようでは弟子とは思えない。そう言う点では、きちんと見る眼のある人がいれば、まだ気力はあるように見える。

がしかし、今のさくらにあれこれって色々は無理であり、ずっと同じ事の繰り返しが良いと思われるが・・・・。
いずれにせよ、意地だけで体調が悪い事は伝わった・・・・そんな中、キウイがやって来たんだけれど、さくらさん痩せた?・・・・って一言。

こうして2人に言われたのだから、ダイエットをしていない限り、何か大きく変わる何か?がある事になるよね・・・?自分が一番判るよね?
いずれにせよ、さくら教室なんて言うのは、俺は完全にお坊さんみたいなもの。モザイクはふろくみたいなもの。

さくらが何も言わずに、何も聞かずに、黙々とやればやるほど、悟られまい・・・ってやっているようにしか見えない。そもそもお坊さんが見知らぬ人の心を読んで乱れていたら肩を叩くのなら、俺程度の人間であっても、弟子の心も読めないのなら、師匠なんて辞めてしまいたくなる。

くだらない話だが、最近みんなエスパーだよ・・・って深夜にドラマがある。一見くだらない内容だが、そこに相手の心の中の声を聞く事が出来る主役が出て来る・・・さくらとのやり取りは言葉数はぐっと減る。ある意味、やり取りの仕方はそんな感じである・・・・初めて会った日からずっと。

さて、こんな訳の判らん話を続けた所で、変な宗教みたいに聞こえると遺憾ではあるが、興味本位な人もいるかも知れないから、続けるとして、
良く、脳の先生が手先を動かすと脳に良いとか、脳は普通余り使われずにいる・・・とか、色々と立派な先生の話があるよね?・・・

更に頭を強くぶつけてしまった後に、カレンダー計算って言ったかな?何しろ人に出来ない事が出来る様になった人がいる・・・とか、そう言う事があるらしいのね・・・・いずれにせよ、俺の日常で言うのなら、ほぼ頭と手しか動かさない毎日・・・・。

体力も偉いお坊さんよりも動かないから使わない。だから全面的に頭と手に特化している。そんな異常な毎日は普通の生き方とはちょいと違うのね。
当然、何かが昔の生き方とは変わっても不思議じゃない。勿論、真摯に努力もしていれば当然進歩なんてもんもする。

こんなザックリなたわいもない話からでは、この先の話は判ろうとして貰えないと、ほぼ気がふれているような話になるが、もしさくらも俺も人の心の中・・・ん・・・本音とでも言うのかな?それを覗ける人だとしたら・・・・当然、俺の心の中もさくらの心の中もお互いに見放題って話になる。

それがきちんと向き合っているのだから、他人の中ではかなり上の関係性になる。しかも親子の関係でも判らない事がある・・・とも言うのであれば、場合に寄っては師弟関係って言うのは、それ以上である場合もありうる。

もしそこまでと言う事になれば、その上に更に心の中は見放題って話になるのだから、相当な率の本心が判る事になる。勿論お互いにね。
それが勉強だとして、同じ能力を持っていたとしても全く同じ点になるかな?・・・・つまりいつもピッタリ同じでは無いし、大体同じって位だよね?

これがもしお互いに切磋琢磨したとする・・・そしたら当然磨く事になるよね?その能力もね・・・見えるものもより繊細にね。
つまりさくらが見た景色や環境が、今のさくらを見た時に何があったらこうなるのか?・・・・って言うのを、俺がさくらになってさくらの日常に、

入り込むと、こんな事あったな・・・きっとあんな事あったろ・・・・って見えた事を言うと、顔色に出なければ確認出来ないだろうが、大抵はとても素直に顔に出る。だから、さくらは何も話さなくて良い。ただ顔さえ見えれば・・・・確認出来るのだから。

しかもそれによって確認出来たら、そう言う状態や状況なら、きっとこんな事になるよな・・・って次の展開を読むなんて事になる。
勿論、その時の体調も考慮に入れて・・・・何せ俺では無くさくらになって・・・・が基本だから。

ただ当然、人の中に入るって言うのは、その人の痛みや悲しさみたいなものを体験するのだから、向き合っているこっちもかなり疲れる。
そうね、感覚としてはお葬式の参列。何もしていないのに疲れる・・・・みたいな。

って感じ・・・伝わるかな?ここまでは、まだ初歩で、これをさくらもやっていたとするのなら、そう思っているのね・・・師匠は・・・ってまた読める訳で。そうね・・・読み返されるとでも言うのかな?それがさくらの経験の中に、俺の経験した事の無い事があって、それはとても大きな事で、

人の人生を大きく変えるような出来事で・・・なんて事があって、その記憶は余り良く無い記憶だったようで・・・どうやらそれは俺にも起こりそうな気配を感じているようだ・・・。本来、研ぎ澄まされる神経と言うのは、良い事でもアドレナリンが出て・・・なんて人もいるが、

逆に悪い状況の中で生き延びる術として、追い詰められた時に何とかせねば・・・って感じの時に発揮したりするものだったりするのなら、今の俺はそれ程悪い状況では無いとして、それなら余裕も会ったりしたとして、本来読み取る力は薄い気がするのだけれど、さくらの中に入れば、

非常に悪い状況があり、入った俺には余裕があるのだから、ある意味展開の先読みするには好都合な気もする・・・。ただこれは俺目線。
では次はさくら目線。明らかに考えられるのは2つあって、1つは具合いが悪く俺を読む余裕すら無く、本気で調子が悪いだけ。

ではもう1つ。調子が悪い状況だから、追い詰められて見えるさくらは研ぎ澄まされている。そのさくらが覗いたのが俺の中・・・・。
もしかして、いつもの具合の悪さに上乗せして悪くなった最後の1滴は、その研ぎ澄まされた状況のさくらが覗いたこれからの俺だったとしたら・・?

それを見たさくらが老婆心として俺の知らないこれから起こる事を見て、抱え切れなくなっていたとするのなら・・・いずれにせよ、いつものようにいつもの事が同じように出来ないのは、何かしら変った事があったから・・・。普通はこんなに振り返る事は無いだろうから確認はしたし、

ありとあらゆる想定はしたし、後はさくらがその中の選択をするか?それともその中をベースにアレンジをするか?はたまた余力で意地で維持をするか?
ただ、1つ言えるのは余力を持ってしての撤退は立て直しであり、恥ずかしい事では無いし、意地を押し通すだけではただ意固地であって、

応援している人の気持ちを一切受け入れていない事になる。まっ、気持ちは判らんでも無いが、いずれにせよ、さくらに声が届く数少ない者の一人としての意見は言ったし、後は何をどうした所でさくらを受け入れれば良いだけ・・・・って言う話。

気持ち悪い話に聞こえたかな?それとも・・・・。

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