katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ノア教室

2015-09-29 06:18:36 | モザイク作家
今日はお昼頃にノア教室・・・・所がまさかの南行徳駅の人身事故・・・・ってな事で若干遅れ目でのスタートって感じになる。
他の駅ではあったかも知れないが、いずれにせよお教室の日にそんな話聞いた事無かったし、ラジオで聴いてビックリだったのね・・・。

しかも、大きな作品を抱えて来るから出来れば条件の良い天候にならないかな・・・・?と先生としては思う訳で。それがそっちはいつも付いていて、ほとんどの日が晴れているような記憶があるような人だから、今日に限って・・・・って感じだったのね。

そんな中、かぐやから届き物が来た・・・


カレンダー・・・・これはこれは・・・有難うなのね。この続きはアトリエで・・・どうぞ。それではお教室。


何か母にバラに見えない・・・って言われて・・・・って。テンション低くぅ・・・って感じで、どうやら立て直しって1日になりそうなのね。
それで始まったんだけれど、確認する画像を出さずにやろうとするのね・・・・ダメダメ、立て直しはよりしっかり見ないと・・・・。

そこで判りやすいバラの本を持って来て、ほら俺だってちゃんと良く見て作っているのに、立て直す生徒さんが見ないって・・・・より差が付くでしょ?
ちゃんと特徴を見つけ出さないと・・・・。今から出来る事を徹底的に探す事。目標はお母さんに良くなった・・・って言わせる事。

それには今見えない原因・・・・それは何か?そして今後はどう、何を是正して盛り返せるか?・・・・ここ。大作って言うのは必ずこう言う事が起きる。
例えば小物の作品で数時間で終わるものなら、気分が乗らない・・・って言いながらも多少の経験値で乗り切る事は簡単な話。

これが大作の場合、みんなが凄いって言ってくれたとするじゃない?・・・例えば経験値の少ない子供の料理だとするでしょ・・・ほら、子供なら卵を割っただけでも、凄いじゃん・・・って言われそうでしょ?それが出し巻き卵なんか上手に作ったとするでしょ・・・そしたら拍手喝采だよね。

でもね、それが出来たからと言ってオムライスが作れるって思うのは思い込み。だってご飯は一度も出て来なかったし、炊けるかどうかは見ないと判らない・・・それは思い込みにも繋がるのね。まずは出来るかどうか?の確認・・・・こんな感じで言うとね・・・・。

確かにフラメンコダンサーはとても上手く出来た。それは思わぬ出来栄えとなった。ここまで上手く出来るとは思わなかったくらいね。
ここでおしまい・・・なら、上手な人の小物って感じで、失敗せずに終えられたって話になる。がしかし、大作って言うのは全てに置いて隅々まで、

このグレードをキープしたいのね・・・だって良い結果を得ているのに、自分でそれを落としちゃうなんて・・・絶対嫌に決まっているよね?
それをお母さんに褒められたり、ダメ出しされたりで、一喜一憂している自分がいる・・・。しかも、自分でもそう思う・・・・。

こんな事を踏まえて考えると、自分の思う仕上がり以上になったフラメンコダンサーに見合ったバラにならない・・・って苦しんでいるのね。
しかも上乗せの話で、以前やった小さなバラの方が良いわよ・・・って言うのも付いて来れば、確実に見劣りするのは大きなバラってハッキリしてて

・・・こんな気分じゃ、テンション下がるし、折角の作品が・・・・ってね。あららら、始まっちゃったのね大作病。では何故?そうなったか?
簡単な話なのね・・・フラメンコダンサーを作る時、横に本を置いて何度も何度も見て作ったよね?

じゃバラは?となると、それに匹敵するように見ていたか?・・・・でも、小さなバラだってそうは見ていなかったのに、何で今フラメンコダンサーで結果が出たのに、上手くなったはずなのに、以前作ったバラよりも見劣りしてしまうのか?・・・・そう言うダメージになる。

ここね・・・実は。要するに小さなものは実寸くらいだから、赤くて何と無く輪郭が守られればバラにも思い込ませる事が出来るかも・・・。
しかし大きなバラはメロン位の大きさ・・・・こうなると話は違って来るのね。

例えば小さな丸を切って、さくらんぼ・・・って言い張れば確かにそうも見える。じゃ5cmで作ったら?さくらんぼに見える?じゃ10cmだったら?・・・
5cmもあると、もはやさくらんぼとは見る方も思い込んではくれない・・・・逆にそんな大きさだったら・・・プラム?みたいに、大きさに思い込み、

変な勘違いをさせるのね・・・じゃ10cmでは?・・・形がしっかりしないと、林檎?なんて言われそうだよね?・・・・ってな話。
つまり大きくなればなるほど、本物そっくりに作らないと、人の思い込みを巧に操れないのね。これが原因なのね。

ってそっちは、見る方の思い込みの話で、じゃ作り手としては?って話は、これが出来たからこれも出来る・・・って思い込まない。常に全てがチャレンジな話で、例え同じバラだとしても、可愛いバラとリアルなバラでは全く違う話で、常に謙虚に向き合う事なのね。

その謙虚って姿勢がフラメンコダンサーの時は、本を横に置き何度も確認して・・・その意識はこんなの出来るのかな?・・・・って気持ちだった。
では同じ姿勢でバラをやってる?・・・・でしょ?ただそれだけ。元に戻ろう・・・って話。

立て直しって言うのは、今までやってしまった事が全てダメに見えてしまう弱い気持ちの事。結果が伴わなくなって、弱気になっている自分。
これをちゃんと何が?何処が?を悪い所を探すのも良いが、それと平行に良かった事は何か?も考える事。

そもそも全てが悪いはずが無い。何故ならその途中までは俺が確認して進めたはずなのだから。先生が確認している所までは、お教室終わりに常に2人で確認をしてOKしていたのだから、お互い了承済み。ならば、そこじゃない部分にあるはず・・・つまり自宅部分・・・。

自宅でやると失敗もあるが、進めないと果てしない・・・常に言う良い事と悪い事は背中合わせ。しかしね、取り返しの付かない失敗は困るが、多少の失敗は勉強の材料。良いじゃんとても。きっと神様がそこまで創れるならこれは?って試してくれてんのね・・・きっと。

勇気を持って自宅で進め、悩んだら止まる・・・突き進まない。ただそれの繰り返し。そうすれば大きな失敗は防げるし、一人で進める自信も付く。
その繰り返しで出来る事を増やす事なのね。そんな事をいちいち確認して、いつものように帰りに確認すると・・・・良くなったって。

良かったね・・・何より。これで気分と結果は戻ったけれど、失敗しちゃった・・・って自信が無くなっちゃった事はまだ戻らず、でも進めたいって気持ちはあって・・・それなら壁のデザインを描いて来て・・・他の紙に・・・って宿題にしたのね。

ただここは大丈夫。何故なら相当な資料をすでに持っていた。ちゃんと調べてある。本当はこんな事子供の頃に知っていたかったが、これが予習と言うものなのね・・・・まだバラが終わっていないのに、すでに壁を調べてある。しかも沢山の資料・・・・調べる前より詳しくなったはず。

そう言う人はしっかり見ている・・・・何も見ないで適当に作るとは違って当然。それこそが着崩し的な考え方。本物を知ってこそ・・・そこからずれても、しっかりした所からのズレであって、何も見ないで進めて本当にあのフラメンコダンサーにふさわしいバラ、壁、空になるだろうか?

要するに素晴らしいフラメンコダンサーを作ってしまった人の贅沢な悩みなのである。下手にプレッシャーなど無い。ただ下手で恥ずかしいだけ。
それが上手くなると、キープしたくなったり、もっと超えたくなったり・・・その欲が有り過ぎればその欲に堪えられない自分になったり、

欲が無さ過ぎると消極的にも思える、そこに立ち止まったままの自分になったり、いずれにせよ上手い人にはプレッシャーは常に付き物。
上手く行かないぃぃって言葉1つでも、あの時のノアさんでは無く、上手くなったノアさんのセリフであって、着実に進歩しているのね。

そんな硬い話はここまでにして・・・・そんな中、ラジオで速報・・・今、歌手の福山さんがご結婚・・・・えぇぇぇぇぇぇぇぇマシャがぁぁぁぁ。
あぁぁぁぁぁぁマシャがぁぁぁぁ、みんなのマシャがぁぁぁぁぁ・・・・・って言うと、そっち系って思われては心外でちゃんと女の人好きです。

でも、カッコいいし・・・・何もかも出来ちゃうし・・・まっ仕方無いから何とか1つくらい・・・ってモザイクやってんのに・・・こっちは。
憧れちゃうのになぁ・・・結婚しちゃったらみんなのじゃ無くなっちゃうじゃん・・・・。

あんなにカッコいいのに、1人で、何もかも持っているのに、家族が無くて、そんな人が切ない歌だったり、家族になろうよ・・・って言うから、より思い入れがあるのに、結婚しちゃって何もかも手に入れて、その上子供もなんていたら、普通になっちゃう・・・・。

浮世離れが、カッコいい寅さんだったのに・・・・何か良いお父さんになって、ラジオで子供自慢なんてされてもなぁ・・・・エロトーク聴けなくなっちゃうもんなぁ・・・・ただの真面目かっ・・・・

そんなマシャ、嫌むしゃくしゃした気分はunidyで今日も下地・・・・連日なのね。マシャおめでとう・・・・。しょぼん。

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