今日はみどり教室。それまでは新作下絵の続きとなるが、一通り頼まれたアイテムは入れたので余白としてのバックは派手にやっちゃって下さいとの事。
そうなると、派手に・・・となると、ブラジルと言えばリオのカーニバルだろうから、それを意識するとダンサーばかりがやけに目に入る。
何しろ派手に・・・って言う方からすれば、今の下絵では地味なんだろうから、もっと遠慮なくやって良いだろうし・・・・。そこでこうなる。
そろそろ余白も無くなって来たし、終わりかな・・・・?とも思うが、もしこれで問題が無かったら、ここからが本当に試したい事があるのね。
それは人のやる事ってのは大抵物の考え方が似るもので、目指す分野・・・つまり俺の場合モザイクなんだけれど、それを追求する時に、
ついついその分野から何かを盗もうとしてしまうものでね・・・勿論、何でも最初は人の真似から入るものだから、最初はそれで良いのだけれど、流石にモザイク歴が増えて来ると、そう言う訳には行かないものでね・・・・その時に何をどう取り入れるか?となると、仮面ライダーで習った事がある。
それがまず最初は、くもやらかまきりやらに単純に男を付けて、怪人としたものが、カタカナになり、3番目のライダーのV3では、カメとバズーカー砲を合体したカメバズーカーって怪人になった・・・・つまり異なった2つのものを合体する事でパワーアップを計ったって事になる。
その応用がモザイクと銘木を合体させた事があったが、更にこんな事例に似ている事は無いか?と考えた時に、昔オフコースってバンドがあって、小田さんは絶頂時に、やっていた事があって、それはメインボーカルが映えるように普通は、邪魔をしない美しいハーモニーを付けるものだが、
多分この手法は今では良く使われているが、メインとは全く違う歌詞をかぶせて来る・・・って事を、あの当時に小田さんが初めてったと思うんだけれど・・・・。簡単に言えば、今のこの絵がゴチャゴチャして来たに見えたのなら、このゴチャゴチャに何か後ろにかぶせる・・・って事。
そんな事がやって見たいのね・・・・確かに隠し文字のような手法は何度かやったけれど、隠すでは無く今度は判るように・・・・。あの時の小田さんはメインを邪魔しない全く違う言葉をバックで歌っていた・・・・しかもそれが2つ共にはっきり聞こえて来た。つまり隠れていない・・・・。
ただメインよりは言葉数は少なかったような気はするが・・・。だとすると、シンプルに判りやすい事を1つになるだろうけれど・・・・。そんなこんなでみどり教室。ただ最近は随分と安定していたと思っていたが、今日は相当崩れていた・・・。
そもそも自分と向き合った時に、けれど・・・と文章に付いた時、それは言い訳のセリフであったり、そこから本音だよ・・・のように使ったりするものなのね。例えば、それ似合うと思うよっ・・・・けれど、こっちも良いかも・・・みたいな場合、けれどの後のこっち押しになる。
つまりそれ・・・は、相手が選んだものに同調して和を崩さないようにして、主張は、けれどの後になる。この曖昧さ加減によって、相手に柔らかに主張するテクニックなんだろうね・・・似たようなものが、アーチストがコンサートを開かせて貰っています・・・とか、新曲を出させて貰っていますとか、
昔ならはっきりと開いています、出してます・・・だったんだろうがね。別に気にならないのならそれはそれで良いが、前者のけれどの場合は、かなり親しき人とのやり取りであって、これは仲が良い人とのやり取りであって、そのやり方が上手く行く前提は同等な関係が適当だろうね。
しかし関係性が相手の方が上の場合、けれど・・・は、お言葉ですが・・・と同等になるから、それを否定をする事になる。当然、相手が上の場合の提案なりを否定するのだから、それ相応の覚悟やしっかりした根拠なりが無いと、それが通るとは思えない・・・・。
先日のくじらにも同じ事を言ったが、今の自分を変えたかったら、単純に、けれど・・・を辞めると良い。今、後向きになっている自分が最も使いたくなる言葉・・・それが、けれど・・・なのだから。それを悪として取り締まれば、言い訳が出来なくなる。まぁ相当辛くなるだろうがね。
確かに追い込まれるがしかし、それが出来るようになれば、今の自分からは抜け出せる。まっ辛いのなら、だって・・・なんて言って見るのも言いだろうが・・・・。これは泣き言だからね。それは辛いんだから仕方が無い。でも、けれど・・・は後向きを肯定したい・・・と言わんばかりになる。
つまり今までの自分を捨て切れない自分がいる・・・変わりたいのなら捨てる事。捨てられないから変われない。それを残そうとすればするほど、変えたのは上っ面になる。更に言えば、それを全面的に否定をするのだから、今まで積み上げて来たものが何だったか?・・・まで追い込まれる。
良いじゃん・・・とても。まっオリジナル製作をしているのに、悩み無く楽しくやろう・・・って言うのは趣味の域。くじらもみどりもそこでは無い。目指す所が違うのだから、苦しむ大いに結構。こざかしいテクニックよりも精神論。そんな気持ちでのテクニックなんぞゴミくらいで丁度良い。
それでね、もし本当に、心からけれど・・・を使わなくなったら、前向きになっただろうから、そうしたら今までの自分と向き合うと良い。そもそも気がめいっている後向きの状態で、自分と向き合った所で、安全を取るだけ・・・しかも今までの自分の中での成功の中から・・・・。
それでは気がめいっている中での判断の安全・・・・もはやその判断が正しいとは思えない。それがその気分と決裂した時、ようやく本来の自分となれたりする。その具体例が、けれど・・・は使わない事であり、もしそれが出来たのなら冷静な判断が出来るだろうから、きちんとした心で、
今までの自分の何が必要で何が不必要か?はっきり区別が出来るだろう。まぁ俺程度の人間にこんな事を言われるのは不本意だろうが、もしそれでも必要とするのなら、遠慮無く叩かせて貰う・・・・のね。ただねぇ・・・2日も続けて叩くと、叩いた方も痛いのね・・・心が。
しかもね、神様が言うのよ・・・人を叩いてお前はどうなんだ?って・・・。だから嫌なのね・・・とは言え、棚に上げて言うタイプじゃないし、まぁ言えば言う程きついわっ・・・って話。そんなこんな中、最悪な事になった・・・・どうやら車は廃車の方向になった・・・。
正直、まだ車検が4ヶ月あって、やっと支払いが終わったって矢先の話・・・・車屋さんの親父さんでもいれば、もうちょい何とかなった話だろうが、亡くなっちゃったのに、それを何か言うのも何だしね・・・・。無くなったままでは出張出来ないし・・・買うとなってもね・・・現状では・・。
さて、しっかり立て直さないとな・・・俺も・・・。
そうなると、派手に・・・となると、ブラジルと言えばリオのカーニバルだろうから、それを意識するとダンサーばかりがやけに目に入る。
何しろ派手に・・・って言う方からすれば、今の下絵では地味なんだろうから、もっと遠慮なくやって良いだろうし・・・・。そこでこうなる。
そろそろ余白も無くなって来たし、終わりかな・・・・?とも思うが、もしこれで問題が無かったら、ここからが本当に試したい事があるのね。
それは人のやる事ってのは大抵物の考え方が似るもので、目指す分野・・・つまり俺の場合モザイクなんだけれど、それを追求する時に、
ついついその分野から何かを盗もうとしてしまうものでね・・・勿論、何でも最初は人の真似から入るものだから、最初はそれで良いのだけれど、流石にモザイク歴が増えて来ると、そう言う訳には行かないものでね・・・・その時に何をどう取り入れるか?となると、仮面ライダーで習った事がある。
それがまず最初は、くもやらかまきりやらに単純に男を付けて、怪人としたものが、カタカナになり、3番目のライダーのV3では、カメとバズーカー砲を合体したカメバズーカーって怪人になった・・・・つまり異なった2つのものを合体する事でパワーアップを計ったって事になる。
その応用がモザイクと銘木を合体させた事があったが、更にこんな事例に似ている事は無いか?と考えた時に、昔オフコースってバンドがあって、小田さんは絶頂時に、やっていた事があって、それはメインボーカルが映えるように普通は、邪魔をしない美しいハーモニーを付けるものだが、
多分この手法は今では良く使われているが、メインとは全く違う歌詞をかぶせて来る・・・って事を、あの当時に小田さんが初めてったと思うんだけれど・・・・。簡単に言えば、今のこの絵がゴチャゴチャして来たに見えたのなら、このゴチャゴチャに何か後ろにかぶせる・・・って事。
そんな事がやって見たいのね・・・・確かに隠し文字のような手法は何度かやったけれど、隠すでは無く今度は判るように・・・・。あの時の小田さんはメインを邪魔しない全く違う言葉をバックで歌っていた・・・・しかもそれが2つ共にはっきり聞こえて来た。つまり隠れていない・・・・。
ただメインよりは言葉数は少なかったような気はするが・・・。だとすると、シンプルに判りやすい事を1つになるだろうけれど・・・・。そんなこんなでみどり教室。ただ最近は随分と安定していたと思っていたが、今日は相当崩れていた・・・。
そもそも自分と向き合った時に、けれど・・・と文章に付いた時、それは言い訳のセリフであったり、そこから本音だよ・・・のように使ったりするものなのね。例えば、それ似合うと思うよっ・・・・けれど、こっちも良いかも・・・みたいな場合、けれどの後のこっち押しになる。
つまりそれ・・・は、相手が選んだものに同調して和を崩さないようにして、主張は、けれどの後になる。この曖昧さ加減によって、相手に柔らかに主張するテクニックなんだろうね・・・似たようなものが、アーチストがコンサートを開かせて貰っています・・・とか、新曲を出させて貰っていますとか、
昔ならはっきりと開いています、出してます・・・だったんだろうがね。別に気にならないのならそれはそれで良いが、前者のけれどの場合は、かなり親しき人とのやり取りであって、これは仲が良い人とのやり取りであって、そのやり方が上手く行く前提は同等な関係が適当だろうね。
しかし関係性が相手の方が上の場合、けれど・・・は、お言葉ですが・・・と同等になるから、それを否定をする事になる。当然、相手が上の場合の提案なりを否定するのだから、それ相応の覚悟やしっかりした根拠なりが無いと、それが通るとは思えない・・・・。
先日のくじらにも同じ事を言ったが、今の自分を変えたかったら、単純に、けれど・・・を辞めると良い。今、後向きになっている自分が最も使いたくなる言葉・・・それが、けれど・・・なのだから。それを悪として取り締まれば、言い訳が出来なくなる。まぁ相当辛くなるだろうがね。
確かに追い込まれるがしかし、それが出来るようになれば、今の自分からは抜け出せる。まっ辛いのなら、だって・・・なんて言って見るのも言いだろうが・・・・。これは泣き言だからね。それは辛いんだから仕方が無い。でも、けれど・・・は後向きを肯定したい・・・と言わんばかりになる。
つまり今までの自分を捨て切れない自分がいる・・・変わりたいのなら捨てる事。捨てられないから変われない。それを残そうとすればするほど、変えたのは上っ面になる。更に言えば、それを全面的に否定をするのだから、今まで積み上げて来たものが何だったか?・・・まで追い込まれる。
良いじゃん・・・とても。まっオリジナル製作をしているのに、悩み無く楽しくやろう・・・って言うのは趣味の域。くじらもみどりもそこでは無い。目指す所が違うのだから、苦しむ大いに結構。こざかしいテクニックよりも精神論。そんな気持ちでのテクニックなんぞゴミくらいで丁度良い。
それでね、もし本当に、心からけれど・・・を使わなくなったら、前向きになっただろうから、そうしたら今までの自分と向き合うと良い。そもそも気がめいっている後向きの状態で、自分と向き合った所で、安全を取るだけ・・・しかも今までの自分の中での成功の中から・・・・。
それでは気がめいっている中での判断の安全・・・・もはやその判断が正しいとは思えない。それがその気分と決裂した時、ようやく本来の自分となれたりする。その具体例が、けれど・・・は使わない事であり、もしそれが出来たのなら冷静な判断が出来るだろうから、きちんとした心で、
今までの自分の何が必要で何が不必要か?はっきり区別が出来るだろう。まぁ俺程度の人間にこんな事を言われるのは不本意だろうが、もしそれでも必要とするのなら、遠慮無く叩かせて貰う・・・・のね。ただねぇ・・・2日も続けて叩くと、叩いた方も痛いのね・・・心が。
しかもね、神様が言うのよ・・・人を叩いてお前はどうなんだ?って・・・。だから嫌なのね・・・とは言え、棚に上げて言うタイプじゃないし、まぁ言えば言う程きついわっ・・・って話。そんなこんな中、最悪な事になった・・・・どうやら車は廃車の方向になった・・・。
正直、まだ車検が4ヶ月あって、やっと支払いが終わったって矢先の話・・・・車屋さんの親父さんでもいれば、もうちょい何とかなった話だろうが、亡くなっちゃったのに、それを何か言うのも何だしね・・・・。無くなったままでは出張出来ないし・・・買うとなってもね・・・現状では・・。
さて、しっかり立て直さないとな・・・俺も・・・。