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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ゆづ教室

2016-08-29 06:36:30 | モザイク教室
今日は朝からゆづ教室。宿題のスイレンの花や葉っぱを見た時に、これが初めての人のモザイク・・・正直ため息が出る・・・。たったの数時間教えただけなのに、これだけの事をやってしまう・・・何しろそれでも初めてなのだから・・・と老婆心でハードルを下げた事をアドバイスしても、

結局、自然と難しい方を選んでこうしてやって来る。そこでもう遠慮せずにこんな事もあんな事も考えられる・・と教えるだけは教えるようにしたのね。
ただ時間も限られて来たので無理な事は絶対に無理と止めるが、後は本人に任せる・・・と老婆心は辞める事にしていたのね・・・。

そんなこんなでいよいよ今日はバックとなって・・・ただそのバックにグネッとした水面にしたいみたい表現があって、月並みだけれどクラッシュで入れれば割と楽に終われるけれど、そう言う雰囲気を出したいのなら、オーソドックスに四角い感じのドットのようなスタイルがある・・・。

ただゆづの性格として四角と言ってしまうと、きちんと揃えてみんな同じ形にしようとするだろう・・・きっと。ただきちんと揃えてしまっては、ただ1cmタイルを並べたような単純なモザイクにも見えてしまう。それでは折角の労力が判って貰いづらい。

そもそもズマルトと言うガラスのような素材は、長四角っぽい形って感じの流動的であるものを並べているから、そこが味なんて表現に繋がるのだけれど、完全にしっかり作ってしまった日本の四角いタイルは誰が張っても同じで、単なる色が違うだけのものになる。

勿論、常に言っている良い事と悪い事は背中合わせで、きちんとしている、していない・・・って素材を使う時に、自分のやりたい事に当てはめて使えば良いのだけれど、そう言うと誤解をしやすいので掘り下げれば、自分のやりたい事に・・・って部分を自分勝手とか、何と無く使いたいからとか、

根拠の無い感だけに頼れば、単に偶然の確率のみの仕上がりになるが、ここで言う自分のやりたい事に当てはめると言う意味は、例えばゆづのやりたいバックは自然の雰囲気・・・つまり、生きているもののようにとか、止まっていない・・・動いているとか、って何処にもきちんと・・・なんて表現に

繋がる事が無い。ならばどれもこれも同じ形の四角いタイルは有り得ない。じゃ四角く無いクラッシュかぁ・・・と言うのは単純な話になる。つまりどれもこれも同じく無い四角を切る事で、わざわざの手間を掛ける事でユルッとした雰囲気を作るって事が出来れば、ゆづの理想では無いのか?

ただ折角のアイデアもこれだけしっかり切れるゆづに、四角くなんて表現で指導してしまったら、必ず同じ大きさでしっかり切ってしまう。あくまで四角っぽい・・・っぽくだからね。きちんとすると何にも意味が無くなるからね・・・・必要以上に直さないって意識するんだからね・・・。

気分的には、ゆづが、ん・・・気に入らない・・・直したい・・・・って感じなら最高。そんな感じだからね。なんて表現で作ったのがここまでで、6時間は掛かっているのね・・・そう考えると、残りのスペースから言って20時間は掛かるんじゃないのかな?・・・と思われるんだけれど・・・。

ちょっと戻って、これがもしテーブルみたいな同じ模様のくり返しで、無機質な場合はきちんと・・・なんて言葉に当てはまったりするから、当然整形されている四角いタイルでの制作にはむいていたりもする。要するに適材適所に使うにも、自分の表現にあったものをどう使うか?になる。

正直、ゆづ教室は悩むのね。こんなに必要なのかな?ってね。要するに時間調整みたいな気を抜く場所が1つも無い仕上がりで、後はバック・・って部分が1つも無い。なのにその子は初めてのモザイク・・・・先生としてはやり過ぎを止めるべきなんじゃないのかな?・・・と思う気持ちになるし、

反対に時間の限りやらせたら、一体何を作るんだろうか?と興味も沸く・・・。ただね、ずっと老婆心を言い続けたんだけれど、お父さんが本人が決めるんで大丈夫ですよ・・・って言ってくれたので、前々回あたりから遠慮なく、ゆづの表現に該当すると思われる事なら提案するようにした。

勿論ゆづはそれを聞いて、自分なりのアレンジを加えて来るんだけれどね・・・。ただそこに絶対にこれは辞めてね・・・って言うのは常にあって、それは必ず守っている。何しろ教えた時間よりも自宅の方が長い時間を使う場合、教えていない事をやって変になってどうしよう・・って言われても

そんな事はどうにもならない事の方が多い。場合によって剥がさないと無理なんて事もあるが、1枚剥がすなんて場合でも、連動して何枚も壊れる事もあるし・・・何しろ教えた事なら繰り返しだから比較的安心なのね。

それだって、右と左なんて場合、アトリエで片方を見本で・・なんて事になると、反対向きだから難易度だって上がる。そんな中、1人で作るって言うのは、失敗もあるかも知れないリスクを背負ってやる事で、何も教わっていない事をすればただの無謀だし、習った所でも必ず出来る保証も無い。

でも、習った事の中での失敗があったとしても、何も知らないでやったものとは違って、踏まえての間違い・・・その場合は大きくは崩れにくい。
その勇気だけはいつか1人で作れる1歩になるものなのね。それがある無しでは進歩に大きく影響したりする。

とは言え、時間制限の中でやれば焦るし、ついつい美しさよりも能率効率で進みたくなる。最後の最後で今までやった事を急転させてしまっては、場合に寄っては残念な結果にもなり兼ねない・・・・。つまり腕の問題よりも作り手の精神的なモノが全てになる。

そんな中、次回は目地をして完成・・・になるのだから、それまでに張り終わって来る事になる。つまり張るって事の指導は最後になる・・・。
後悔の無いように言い尽した。もう無いな・・・ってね。後はやってみ・・・ってね。

きっと何とかして来るだろう。そしたら、いよいよゆづとの夏もおしまいになる・・・・。

その後、引っ越し先に行こうとしたのだけれど、折り合いが付かずに、ポッカリ空いてしまったのね・・・空いた夕方に出来る事が。こんな時は非常に困るのね・・・・何しろ気が張っていてやる事でもあれば、いつしか時間は流れる。がしかし、やる事らしい事が無いとポカンって感じになる。

これが金魚屋さん・・・なんて事も以前ならあったが、今の俺にはそれも無いし・・・仕方無く今日は帰るか・・・と早めに帰宅をする途中、公園から太鼓の音・・・お祭りだな・・・こう言うのが今の俺にはダメージの上乗せになる・・・。孤独を感じてしまうから・・・。

今の俺には賑やかの所は眩し過ぎてきつい・・・引っ越しもまだ・・・何しろ落ち着かない事ばかりで、更に言えば9月上旬は仕事にならないだろうし、無収入・・余裕の時間があるなんて言うのは、やる事がある人や、お金があったり、自分の都合で人と関われる人脈を持っている人には楽しいが

、俺のような場合、そんな状況では無いし・・・おっと負な感じになって来る・・・何か気分転換になるもの・・・って、結局お腹いっぱいにして食欲って欲を満たして誤魔化した・・・。こう言う気持ちになっているのも理由は判っているつもりではある。

先日、kameyaさんの帰りに実家に寄る事になったのだが、明るい時間に行くのは久しぶりで、見る街並みは昔とはガラッと変わっていた。あった店が無くなり、見慣れない店に変わったり、建て替えた家やら、拡張した道・・・・もう俺の知っている昔の街並みでは無くなっている。

そんな中、昔ながらの解体屋さんやら、古びたスーパーやら、タイル屋の頃に施工した玄関やら・・・ちょこっとあったりすると、何だかほっとしたりして・・・・そんな中、実家に行くと、風呂上がりの親父がいて・・・・どちらかと言うと、太っていた親父はやせ細っていて・・・・。

見てはいけないものを見た感じだった・・・・角嶋の親父さんの所を出る事も風呂上がりの親父の姿も、無くなって行く街並みも、過ぎ去って行く夏休みの子達も・・・全部感受性として心を揺らす出来事だったんだろうね・・・・そしたら後ろ向きになりつつある・・・って事。

勿論、こうして気が付いているから立て直し・・・って事なんだけれど、向き合おうとしなければ、ただの憂鬱って話。そんな曖昧にして誤魔化すつもりは無いので、きちんと前向き修正しないと・・・と思うが、きっかけが見つからず・・・・そんな夜だった。

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