katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

かるびとみどりの親子教室

2017-06-26 03:06:55 | モザイク教室
今日はかるびとみどりの親子教室。みどりの画像も一緒に。


そうね、弟子になろうと一生懸命やったのがみどりなら、最初はきっとそのみどりにくっついて来ただけの人がかるびだったと思うんだけれど、でもどうだろうか?・・・これだけの作品ともなると、宿題の労作展レベルには見えると思うのね。って事はかなりの作品になっていると思うのね。

それはかなり凄い事でね、中々宿題の無い大人になって、これだけの時間を費やすって言うのは、そう簡単な事じゃなくて、辞めるのも簡単なんだけれど、そこを留まれるか?どうか?になった時、こうして月に1回はやる・・・ってだけでも、ここまで出来るって良い事例の1つだと思うのね。

しかも働き出したんだから、休みはゆっくりしたい・・・なんて気分にもなっても不思議じゃないのにね。これが終われば、きっと取り組む姿勢なんてもんが手に入ると思うのね・・・ただね、何かつまらなくなっちゃうのも困るんで、出来れば楽しくたどり着いてくれると良いんだけれど・・・。

ただね、横にいるのが弟子のみどりとなると、どうしても厳しい話もする訳で・・・それをも聞くのだから、大変だと思うんだけれど、それを踏まえても良く続いているなぁ・・・って思ったりもするし、このままスルッと続いていると、この年齢でこんな事を手に入れるのかぁ・・・とも思ったりする。

じっくり制作なんて、学生さんじゃ無いんだから、働くと疲れるし、大変だし、休みたいし、寝たいだろうし、遊びたいんだから・・・ね。ただ、人と違う事をしているのだから、人と違う引き出しが出来るって話なんだけれどね。普通な事と言えば普通なんだけれど・・・。

その普通が普通に思えないもんだからね・・・そもそも塾に行ったり、運動のクラブに行ったり・・・そうすればやっていない人達とは違った道を歩く事になる。どれも普通だけれど、時事ネタなら将棋なら別に同じような歳だけが集まる訳じゃないでしょ?

そう言うものは技術だけじゃないのね・・・年齢に関係無いからね。昨日から一緒の話のようだけれど、同じ年齢の考え方の普通と、お母さん達の年齢の普通では自分の身を何処に置いたか?で明らかに違うのね。当然その分、考え方も変わったりもするだろうしね・・・。

しかも、手を動かしながら・・・人の指導を聴ける耳が出来たとしたら?・・・・何か他の事に役立つのかもね・・・とは言え、それが華道や茶道のような伝統的な、しかも道なんて付くもののような場合、技術と同時に作り手の心まで教えるものだろうが、流石にね・・・俺だもの、そんな格式は無い。

けれどね、格式や伝統なんてもんは、昨日今日に始まったもんじゃないし、そんな何時代みたいな窮屈感も先生の俺にも無理だし・・・それを先生ぶって道徳観を振り回すつもりは無いけれど、正直に失敗した事は経験値にして貰う為にも伝えないとね・・・。折角だからね。

そんな考えはある。何かの足しになれば・・・と。いずれにせよ、親のみどりがかるびの変化を一番感じるだろうから、そこから何がどう変わったか?も聞けるから、変化だけが聞ければ、また色々と伝える事はある。変化が無ければ、心に届いていない証拠って話だし・・・。

ただ明らかに変わったはずなのね。そもそも何と無くで、ここまで作れないから・・・あの頃とは違っているのね。これが出来たら、出来た人の心得があるとは思うけれどね・・・だから、1つ出来たらまた・・・1つ出来たらまた・・・ってだけで、コツコツとは気の長い話なのね。

教える側としては、お別れが来るその日まで・・・それが先生ってものだからね。離れてしまえば教えられないのね。だから常に大事になのね。ちょっとそんな事を感じてしまう日だったのね。




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