katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

杏さん教室とカットTB南篠崎店の仕込み

2025-01-26 23:58:04 | モザイクタイル教室

今日はうちの犬の杏さん教室。そうね、今日も引き続き感じるって事で・・・

これを見て何をどう感じるか?・・・となると、例えば当たり前なのは、真っ直ぐはどれ?こんな質問は誰にでも判るのね。では後の4つはどれも一緒なの?

そこで例えば、綺麗に並んで見える順番は?となれば、4、5、1、3、2って順番かな?理由は、5は曲がり真っ直ぐな感じで、目地幅も揃っている。ラインも綺麗。

1はタイルがバラバラだし、5より目地幅が広く雑には見えがちだが、曲がり真っ直ぐって事で言えば、割と綺麗。そして3は2よりも大きさを統一していて、

割と綺麗で、ラストの2は何の工夫も感じられない。こんな感じに比較して順番なんかを答えられると、偶然では無く必然になるのね。これが感じるって話。

そんな中、ピエロの話になると、またやって見たい・・・と。昨日の棟梁もりょうさんも同じく、やって見たい・・・と。例えばピエロのバックをやった。

しながわ水族館では、深海魚をやった・・・では仮にやって貰うとすると、今回は動物をやって貰う事になる。これの何がどう違うのか?となると、まず

ピエロのバックの場合は、一生残る壁画ではあるものの、バックはその一部。映画で言うとセリフの無いエキストラチックな人達だから、映画の最後の時に

その他一同って感じに名前は小さく・・・ではしながわの場合は、1人一匹って感じに、自分です・・・って感じだから、誰が何を何処をって言うのが、

ハッキリ判るから、その他一同では無いのね。だからセリフのある役者だから、名前は太字でゆっくり流れる役者名となる。しかし一生では無いから、

イベントが終わると片付ける事になるから、一瞬の事になる。では今回は?となると、また一生だし、片付けられなくて、しかも一匹全部となると、メインと

なるから、14匹中の1匹になる。もはやバックのエキストラでは無いのね。ただ当然時間も掛かるし、負担も大きい・・・そんな中、杏さんは自宅もありですか?って。

そこまで本気なら、一応無理では無くなっているから、慌てて終わらせる話では無くなる分、可能性は見えて来る。ひとまず考慮する方向で考える事にしたのね。

そんな後は、カットTB南篠崎店へ、下絵の確認。

風が強くて全部の下絵を張る事は出来なかったが、大きさ確認は出来たので、オーナーに送ると、確認が取れて、このままスタートとなったのね。その後は

こんな感じで少し張ってからのパーツ切り・・・。

 


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kameyaさん教室とパーツ切り

2025-01-26 07:20:44 | 出張教室

今日はkameyaさんの出張教室。ただ2人だったんで、棟梁からこちらから伺います・・・って打診があったものの、まぁ良いかって事で出張。本来、カルチャーのような出張は、2名だと無くなるものだったりするのね。

それを知っているから、気を使ってくれたんだけど・・・まぁ出来る所まではって事で。さてそれではりょうさんから・・・と言いたい所なんだけれど、

それよりも大事な事で、2人はブログを見てくれているから、ピエロの壁画についての話をしたのね。2人はどう見える?って話。これが普通の教室の生徒なら、聞くまでも無いのね。

何故なら、凄いですよね・・・とか、可愛いとか、ある意味俺に都合の良い、誰もが同じ言葉でしか感想を言えないだろうから。でも俺の生徒は容赦無いように育てているのね。

ただ容赦無いって表現だと、ぶった斬る的に聞こえるでしょ? でもただ悪態付くなら誰でも出来るし、もっと言えば、俺の事を嫌いなら何でも言えるのね。

そもそもオリジナルとは何ぞや?なのね。まず五感を鍛えるなんて事があって、何でも自分らしい表現をする練習なのね。例えば、味覚で宝石箱やぁ〜って

言った人がいたけれど、誰もが言わない表現だったり、まいう~なんて言うのも、1つのオリジナルなのね。これは味覚の話として感想側のもの。でも

それを作る側なら、料理人になる。制作側って事ね。制作側としては、先生katsuが教えたとしても、それはあくまで、切り方や張り方、方法等の技術で

あり、表現と言った部分に関して、ただ色がとか形が・・・って究極に言ったら、全てタイルを・・・どうにかするって話なのね。所が感想側に回ると

素敵、可愛い、美味しい、上手い・・・もうブラボーって立ちゃ良いだけ。それでは聞く意味が無いのね。つまりどう感じる?の質問に自分の言葉で答えられる

練習こそがオリジナルなのね。しかも言葉なら、みんな平等にそこそこ習った。つまりkatsu先生とも対等で話せるのね。でももしそこに世間の体裁とか

気を使うとか、詰まらないしがらみとかがあると、忖度した方が良いって判断になるし、染み付いている考え方で、何も答えられないし、もっと始末が悪いのは、興味がある事にしか反応出来ない脳になる事なのね。

そもそも反復する事で上手くなるのなら、脳使ってます?って話。それを厄介なのは、進撃の巨人や鬼滅の刃で、母親殺しから始まる話なのね。衝撃でしょ?

つまりそのくらい追い込まれないと、真剣に向き合えない・・・ってスタートなのね。しかも仮面ライダーのように、身も知らない人をこっちは正義、こっちは悪と決め付けられたものを信じる。

そうやって昭和の人間は育ったのに、今は殺されるかも知れないから、知っている人でも食べ物は貰わない、友達だけど家は知らない・・・えっ?って思う

昔の常識なんて思い切りくつがえる。そんな考え方で、進撃や鬼滅を見たら、敵の気持ちも考える・・・なんて事が問われる。母を殺されたのに・・・

感じる、考える、五感・・・こう言ったその人の感情って言うのは、その人のモノなんだけれど、そうに決まっている、そう言うもんだ・・・こんな場合、

自分が低い位置なら何をほざいても、影響力が無いから、負け犬の遠吠えチックで構わない。しかしながら、自分の立ち位置が変わると、人が認めだすと、

その人の意見は重くなる。何しろ信憑性が増すから。そう言う点では、これたけの作品を作っている人は、姿勢としては腕は見せびらかせ、態度は謙虚に。

でも問われた意見は、容赦無く・・・これが出来ないと、自分の作品も容赦無い批評が貰えない。ただ上手いね・・・こんなの何個貰っても一緒なのね。

そんなの嬉しいのは最初だけ。何が何処がどんな風に、そう言った他では聞けないような・・・それが相手の為にも自分の為にも勉強になる。がしかし、

良い事と悪い事は背中合わせ。弱い気持ちなら、言われた・・・としこりが残るし、言い方だって、好きじゃない・・・なんて単なる好みだし、興味が無い

・・・なんて事になると、もはや仲間では無いのね。ただ人と向き合うって言うのは、結構こうした事で面倒な事なのね。でも、いずれ判るだろうが、人と

向き合う、向き合わないって言うのを、自分で決められるうちは、まだ上の環境では無いって事なのね。それがいつか人に上手いと言われるようになると、

自分の気持ちだけで決められる事が少なくなって行くものなのね・・・それはこんなの作るようになったら・・・要警戒。

それが棟梁。こんな作品を作れる人はそうそうはいない。しかしながら、本人は昔と同じで頑張っているだけで、それほど変わっていないのね。ただ最近、

段々と意味が判って来て・・・そうなって来ると、それはいずれ波及するものなのね・・・そんな事も踏まえて、やはりピエロの感想は、二人共に何故ピエロが、ターニングポイントになるのか?

何とも正直な意見だったのね。実に普通な回答で、思っていた通りだったのね。ただその反応であれば、これから始まる事を理解して行くには、丁度良い

のかも知れないのね・・・・何故そう思ったのか?どうして?って考えて行けば、その言葉にしていない本質を知る事になる。それが自分達の根底にある気持ち。

そしてそれを知る事で、自分が口にはしていない深層心理を知る事になる。それが本音の部分。そこまでたどり着ければ、何もブレずに要られるはず。

まぁいずれにせよ、2人の気持ちが判った事は、また一歩前進。そんな後は、レッサーパンダの下絵とパーツ切り。

縁取り分だから、果てしなく必要なのね・・・。


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