katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

カットTB南篠崎店のピエロの張り終わりと動物開始

2025-01-29 07:14:34 | モザイク作家

今日も引き続き、カットTB南篠崎店のピエロの壁画。まずは手を終えてピエロが張り終わったのね。その後、いよいよ周りに付く14匹の動物。

今回は前回のピエロと違って、縁取りをするのね。簡単な話で、縁取りをするとアニメや浮世絵のようにクッキリするのね。前回は一般住宅だから、主張を重視では無く、少し薄く見えても家自体に馴染む・・・って事だったが、

今回は店舗。遠くからでも認識されるように・・・なんで、目地にしても灰から濃灰に変えても良いかなぁ・・・なんて思ったりもするのね。

まぁしかし、それはそれとして、この縁取り・・・結構果てしなさがあって、切るだけでも膨大な数なのね。しかも馬の首とか、ゾウの輪郭はまだしも、ライオンの手足みたいに、クルクルとかクネクネした所が中々厳しいのね。

それは目に見える事なんだけれど、目に見えない事は、何しろ見た目が可愛い。それが実は厄介で、常に良い事と悪い事は背中合わせなのね。って事は、

悪い事がある。それは可愛いの持つ言葉の反面、可愛いから簡単とか、安いとか、意識せずにそう思われるのね。恐らくね。ここでそんな事は無いって人は

良いとして、そう思うものなの?って疑問な人の方には、それが無意識なのね。要するに自覚せずにそう思っている・・・ここが厄介なのね。例えば料理。

俺が自炊を始めて何年か経つと、ハンバーグくらいなら何も見ないで作れるようになったのね。そんな中、ごぼうサラダたまには食べたいなぁ・・・って、

思ったから作ろうとしても、たまには・・・だから、ハンバーグよりも久し振りだったから、えっと・・・となる。でね、ハンバーグとごぼうサラダを比較した時、料理をしない人がどう思うか?作れる人はどう思うか?なのね。

どっちも作れるベテランのお母さんは、どっちも簡単なんだろうね。きっと何も見ないで作るだろうしね。でも家族に出した時の感想は?となると、

ハンバーグはメインデッシュ、ごぼうサラダは付け合せ的な扱いとなるから、仮に大盛りにしても、メインにはならない。じゃ制作時間は?買い物の時間は?

となると、買いに行く手間は一緒でも、ハンバーグは玉ねぎを切るだけで、下ごしらえは少ない。でもごぼうサラダは、ごぼうのドロを落として、そいで、

ごぼうもにんじんも切らないとならない。下ごしらえとしては長いと思うのね。でも食べる人達にはそんなの関係無いのね。単純な感想なら美味しいか?

まずいか?なのね。でも無意識な部分では、ハンバーグ屋さんはあっても、ごぼうサラダ屋さんは無いのね。つまり付け合せは格下扱いな気分なのね。

無意識とは自覚せずに、でも決まっている事なのね。それを頑張っちゃう人はそんな事無い・・・って言うだろうから、そっちならそれで良いけど、生徒さん

ならそう言う訳には行かないのね。そう言うものです。これがそうであるのなら、ホームランと送りバントとか、バイオリンとシンバルとか、同じチームでも、扱いの格差がある。

同じ練習していてもね。制作にしても片付けだってある。役者と裏方みたいなのも一緒。ただどれもこれも分担だから、どれか1つになるのが、営業とか事務みたいに絞ると会社になる。

けれど自営なら全部1人でするのね。つまり自分の大作って言うのは、全力で最高の自営みたいな感覚だから、バイオリンもシンバルもやる。1人オーケストラな感覚だし、ホームランも送りバントもするって事。

だからこの意識を持たないと、後はバック・・・なんて思い込むと、メインより楽なんて気持ちになり、なればなるほど果てしなさを痛感する事になる。

ただ無意識では無く自覚を持つと、今度は意識過剰なんて事になると、プレッシャーが多く掛かる事になれば、押し潰されるような気持ちにもなるだろうし

・・・逆に危険回避みたいな事前に予期、予知出来る利点はある。これに慣れた時に、最後は自覚を手に入れて、無意識になる。こんな事が最終目標って

感じなんだけれどね・・・。まっそこまで良いとして、要するに今の俺は、まず下ごしらえのパーツ切りをして、責任者として縁取りをする。これによって、

メインのピエロを終わらせて、今バックに入った事になる。でもバックと言えど、飲茶のようにメインは全部みたいに色んな動物がいる。その輪郭全てを

俺がやると、全てのバックに手を入れた事になる。後は有志の判断でやって貰う事になるのだけれど、その輪郭の中の切り方、張り方1つでも個性は出る。

けれど輪郭線では、個性は出しづらい。勿論出るには出るが、それは余程の目利きの人にだけ判るような事で、恐らく全く判られる事は無いだろうね。

まっそれについては、明日にでも触れるとして・・・いずれにしても、個性を出すのが仕事の作家なのに、輪郭線の個性封印的な果てしなさは、送りバント的に、とても地味なのね。

しかもこれから色が付くと、その人の方が華やかな制作になる。ただ段々って言うのなら、前回のバックから一点物の動物バックを全部丸投げって言うのは

いささか乱暴だな・・・って配慮なのね。この輪郭線があるのと、無いのでは体験すれば一目瞭然で、最低限のグレードは守られた上での制作になる。

その下ごしらえ・・・と思う自覚の元にやっているのだが、中々報われない気持ちになるのね・・・何しろkatsuを凄い・・・と思っている生徒さんには、

もっと凄い作品がある・・・と思われている分、こんな仕込みは・・・っていとも簡単だと思われるだろうし、やった事の無い人には、ごぼうサラダ扱い。

つまり何とも思われない。まっ完成までは報われない時間が続くのね・・・って自覚しているんだけれど、そこそこ大変なのね、気持ちの整理がね。

ただそれもあっと言う間に慣れる。環境に適合するのが得意なんでね。ただ大きく違うのは、スペシャルな貧乏から脱している事。あぁ環境が悪いな・・・

って思えば、作業台買うかっ・・・となり、夕方にはホームセンターへ。これで状況は今より良くなるだろうし・・・。きっとまた気持ちが楽になる。

こうして昔とは違って、簡単に条件が良くなってしまう・・・最高なのに、最悪なのね。簡単に楽になる・・・だから楽を簡単に取らない為にも、下ごしらえ

を俺がやる・・・だからこれが正しい。これは今年の、いや、きっと今後を占う仕事になるのだから・・・。メインのピエロを作って後は下ごしらえ。

まっ制作する人は、必ず動物の目が待っているのね。それをやれば下ごしらえの意味は判るだろうし、勉強は出来るし、経験値も増す。オーナーは予定よりも増えた。

そして見る人達は?・・・まっ全ては結果が楽しみ・・・楽しみ?ラクって事?・・・俺には余っ程、ピエロの取り付けの方が大変なのね・・・。不慣れだから。

そして今夜も・・・。


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