あれこれやる事がある中、岐阜の会社にサンプルを送る事になり、急きょそれが最優先となって・・・20cm程度だったかな?何とか張り終わったのね。会社名が入っているから一部のみ。
そうね、こう言う仕事はいつもの作詞作曲とは違って、もうデザインを考える事は無いから、作詞はやらなくて良い事になると、図面、レシピ、図面って模範があるから、正確に真似るだけ。
勿論、その真似る事も難しいんだけど、それはアマチュアの話で、プロの話となると、やっとこ弾けるピアノとか、何と無く肉じゃがとか、何と無く似ている書道・・・こんなのではね。
ただね、これが厄介でね・・・字の達人が書く字ってどんな大きさ?って話なのね。書道の先生に米粒に書いて・・・って言って最高の字が書ける?って聞くまでも無いのね。でもそれを知らない
人が依頼主になるのね。普通ってね。モザイクって書くんじゃ無くて、タイルを切るのね。つまり細く、小さくには限界があるのね。これだけで理解されれば、まだ良いが、大抵の場合は、
そんなに大きく無くて良いから・・・そんなに凝らなくて良いから・・・こんな要望が多いのね。
つまり安くして・・・って言う話なのね。まぁ分かり易い話なら、最低限で良いのね。
ただ人に上手いとか、凄いって言われるようになった人が、最低限でやってくれ・・・って言われても、最高なら簡単なのに、力を発揮しては行けないって・・・もはや地獄なのね。
勿論、最高が簡単なんでは無くて、最高を目指す方が簡単って話で、最低限なんて、金額で質を落とすと、何だへたっぴじゃん・・・と思われても、作品は食べ物やライブのように消えないから、
永遠に捨てられない限り残るのね。つまり生き地獄の作品になるのね。じゃ全力でやったら?恐らくコンビニのアルバイト以下になるのは当たり前で、簡単に貧しくなるのね。
まぁこんな事はある程度、乗り切ったんで、こうして説明も出来るけれど、それはそうと、つまり考える・・・って構想が1つ無くなると、やる事のあれこれのあれが無くなる感じなのね。
そうね、お母さん比喩なら、食事を作らなくて良いとか、洗い物無しとか、1つ無くなるだけで楽になれるはずなのね。そしてそのどっちか?って言うのも、その人次第で大きな違いがある。
例えば、食事を作らなくて良い・・・これは何作ろうかな?って献立を考えるって構想からスタートになる。そして栄養や、美味しさに隠し味やら、予算なんて事も踏まえるだけでも大変。
更にいつ返って来るか?なんて事もあったり、要らない・・・なんて事があれば、何しろ毎日の事・・・ただ、これが料理が好きって人なら何の苦も無いかも知れないけれどね。それは、
作るって喜びを知っている人なら・・・そしてそれに感謝してくれる人がいるって、これが成立している場合だと、特にね。ただ逆に洗い物となると、かなり考え方は変わるのね。
例えば料理は美味しいぃぃ・・・とか、豪華とか、華やかで喜んで貰えたりするが、わぁー、凄いぃぃピカピカに洗ってある・・・とは言わないのね。祭りは華やかだけど、後片付けって言うのは
残務処理的な感じになるから、裏方さんみたいになると思うのね。ただ、考えなくて良い分、能率効率的に、事務的に、手際良く・・・みたいに淡々と出来るのね。全く考え方が違うと思うのね。
だから料理が下手だ・・・と言われたり、苦手って言う人はいても、洗い物が下手とか、苦手って人はいないのね。表現としては、面倒だ・・・って事になるのね。でも、作るって言うのは、
考える事の出来ない人は、面倒では無くて、下手・・・つまり未熟なだけなのね。それは能率効率で出来ないから、ただ時間だけが過ぎてしまうからなのね。えっと・・・ってね。でも、これが
洗い物なら、いきなり洗える・・・考え無しでもね。だから、えっと・・・が無い分、進めるのね。つまり今回の作品は、洗い物的な作品だから、始まる前に終わりは見えているし、始まれば
いつ終わるか?想像も付く。椅子の下地とは全く違うのね。むしろカエルのサンプルの方が、考える、悩む分、そして時間制限・・・こっちの方が断然難しいのね。とは言え、米粒作品だから、
最高の質には成りようが無いんでね・・・こんくらいって話。後は目地とペンキ塗り。
そうね、こう言う仕事はいつもの作詞作曲とは違って、もうデザインを考える事は無いから、作詞はやらなくて良い事になると、図面、レシピ、図面って模範があるから、正確に真似るだけ。
勿論、その真似る事も難しいんだけど、それはアマチュアの話で、プロの話となると、やっとこ弾けるピアノとか、何と無く肉じゃがとか、何と無く似ている書道・・・こんなのではね。
ただね、これが厄介でね・・・字の達人が書く字ってどんな大きさ?って話なのね。書道の先生に米粒に書いて・・・って言って最高の字が書ける?って聞くまでも無いのね。でもそれを知らない
人が依頼主になるのね。普通ってね。モザイクって書くんじゃ無くて、タイルを切るのね。つまり細く、小さくには限界があるのね。これだけで理解されれば、まだ良いが、大抵の場合は、
そんなに大きく無くて良いから・・・そんなに凝らなくて良いから・・・こんな要望が多いのね。
つまり安くして・・・って言う話なのね。まぁ分かり易い話なら、最低限で良いのね。
ただ人に上手いとか、凄いって言われるようになった人が、最低限でやってくれ・・・って言われても、最高なら簡単なのに、力を発揮しては行けないって・・・もはや地獄なのね。
勿論、最高が簡単なんでは無くて、最高を目指す方が簡単って話で、最低限なんて、金額で質を落とすと、何だへたっぴじゃん・・・と思われても、作品は食べ物やライブのように消えないから、
永遠に捨てられない限り残るのね。つまり生き地獄の作品になるのね。じゃ全力でやったら?恐らくコンビニのアルバイト以下になるのは当たり前で、簡単に貧しくなるのね。
まぁこんな事はある程度、乗り切ったんで、こうして説明も出来るけれど、それはそうと、つまり考える・・・って構想が1つ無くなると、やる事のあれこれのあれが無くなる感じなのね。
そうね、お母さん比喩なら、食事を作らなくて良いとか、洗い物無しとか、1つ無くなるだけで楽になれるはずなのね。そしてそのどっちか?って言うのも、その人次第で大きな違いがある。
例えば、食事を作らなくて良い・・・これは何作ろうかな?って献立を考えるって構想からスタートになる。そして栄養や、美味しさに隠し味やら、予算なんて事も踏まえるだけでも大変。
更にいつ返って来るか?なんて事もあったり、要らない・・・なんて事があれば、何しろ毎日の事・・・ただ、これが料理が好きって人なら何の苦も無いかも知れないけれどね。それは、
作るって喜びを知っている人なら・・・そしてそれに感謝してくれる人がいるって、これが成立している場合だと、特にね。ただ逆に洗い物となると、かなり考え方は変わるのね。
例えば料理は美味しいぃぃ・・・とか、豪華とか、華やかで喜んで貰えたりするが、わぁー、凄いぃぃピカピカに洗ってある・・・とは言わないのね。祭りは華やかだけど、後片付けって言うのは
残務処理的な感じになるから、裏方さんみたいになると思うのね。ただ、考えなくて良い分、能率効率的に、事務的に、手際良く・・・みたいに淡々と出来るのね。全く考え方が違うと思うのね。
だから料理が下手だ・・・と言われたり、苦手って言う人はいても、洗い物が下手とか、苦手って人はいないのね。表現としては、面倒だ・・・って事になるのね。でも、作るって言うのは、
考える事の出来ない人は、面倒では無くて、下手・・・つまり未熟なだけなのね。それは能率効率で出来ないから、ただ時間だけが過ぎてしまうからなのね。えっと・・・ってね。でも、これが
洗い物なら、いきなり洗える・・・考え無しでもね。だから、えっと・・・が無い分、進めるのね。つまり今回の作品は、洗い物的な作品だから、始まる前に終わりは見えているし、始まれば
いつ終わるか?想像も付く。椅子の下地とは全く違うのね。むしろカエルのサンプルの方が、考える、悩む分、そして時間制限・・・こっちの方が断然難しいのね。とは言え、米粒作品だから、
最高の質には成りようが無いんでね・・・こんくらいって話。後は目地とペンキ塗り。