katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

マクハリハンドメイドフェスタ二日目

2021-12-13 02:21:01 | イベント

今日はマクハリハンドメイドフェスタ二日目。昨日隣のブースの方にディスプレーの是正の話を受けて変えたのね。そんなこんなで二日目・・・結果としては、自分だけでは無くかぐやも手ごたえがあったらしいのね。

目先の売り上げにしてもマイナスでは無いのもそうだけれど、建築に関して大きく興味を持って頂いた方が何人もいて・・・現在、新築や改築を進めているような方は、こんなの工務店からお話には出て来なかった・・・って。

まぁ残念だけれど、何処の建築屋さんであろうと、まず100%提案はされない。と言うか、仮にお施主さんがこんなのを見た・・と言った所で、そんなの高い・・・とか、何しろ知識も無く一捻りされるであろう・・・って代物。

そもそもが仮に聞いて見る・・・って言ったとしても、普通のタイル屋さんでは出来ないから、問屋さんから商社さんに上がり、そしてメーカーへ・・・となると、一体何人の業者が関わるのだろうか?ってこの時点で関わる人が5組。

つまりクイズダービーでは無いけれど、倍の倍、更に倍になるのね。つまり相談以前の問題なのね。通常この仕組みを通らなければ進まないのが建築の掟みたいなもんで・・・しかもデザインまで頼めば、当然デザイン料、つまり設計士代も掛かって来る。

何でも簡単な話なのね。昔は寿司だって回らない時は、高級なものだったし、牛肉はいつから食べられた?って事になれば、相当昔に戻らないとならないし、普通、銭湯だったものが、持ち家にタイルのお風呂が出て来たのはいつ?

つまり新しいものは浸透するまで時間が掛かるのね。しかしながら諸外国なら何処にでもある。要するに発祥の地なら、定番なものが、その分野が成熟しないと、出来る人もいないし、出来たとしても高額になるのは当たり前なのね。

それが一般化すると、当然技術として育てるには、何十年も掛かるから、メーカーは簡素化したキット的なモノを開発して行くと、取り付ければ良い・・・って事になって行くと、末端にまで浸透するって仕組みになる。

ただ廻るお寿司と廻らないお寿司は、同じ寿司でも、値段も技術も旨味も食べる前に誰にでも判ってしまうのね。人は正直なのね。それの究極が二刀流の大谷さん。打つだけ、投げるだけってルールを大きく変えた。しかも結果も出た。

それによって、常識は一挙に崩れる。これからはそう言う人達が失敗を繰り返し、次々出て来るんだろうね・・・これからは。そして新しいものって言うのは、そう言う非常識なものから始まる訳で、見た人がどう感じるのか?は、見た人の感性であって、俺は

ただただ、作っては見せるの繰り返し・・・ただ今までは作るに特化していたけれど、これからは見せるに特化して行かないと・・・。ってのが、今回の趣旨だから、興味を持って頂けた人と何人話せたか?なのね。手ごたえがある・・・って、

言うのは、そう言う事なのね。勿論、全部が全部仕事に繋がるか?なんて思ってはいないけれど、数打たないとね・・・とは言え、何しろ体1つなんで、一挙に全部は出来ないのだから、話が決まった順って事になるんだろうけれど・・・。

いずれにしても、発展途上なものだから、長崎でカステラを初めて見た・・・そんないにしえの人と同じなのね。それをより一層美味しく・・・って言うのが作り手。知らなかった・・・って人に知って貰った・・・これは大きな成果なのね。

しかもオーダーメイド。次々と新しいデザインになるのだから、四角いタイルの色違いの玄関が普通・・・って常識を覆すって言う道のりは果てしないとは思うけど、また欲しいって思って貰える人達に出会える機会を得た、そんな感じ。

ただ以前何回か出店した人からすると、人手が少なく感じたらしいのね。それとコロナって事での、隣との空間がある事で、出店数も少ない感じ・・・って。ただ、初めての出店の俺には、これで良かったと思うのね。

殺伐としていない分、話したい、聞きたいと思う人達とじっくり話は出来たし、そんな中、アクアリウムバスで作った事がある・・・なんて方もいたりして、それでも作った事があっても、作品として見るとでは、意味が変わって来るのね。

新しく知って頂いた方、昔の記憶を今に書き換えて貰えた方、知られるって点では十分だったし、種は蒔けたんで、後は待つだけ。しかしね、冷静に客観的に自分のブースを他の人達と比べれば、俺だけいかに変か?は一目瞭然なのね。

そもそもが、ピアスやイヤリングから始まって、洋服、バック、皮製品・・・ってこんな品揃いの中に、玄関のリフォームにどうですか?って独りだけ建築物。当然、そう言うものと比較されれば、値段は高く感じるし、何これ?って。

思われるし、建築を提案する場所に湯婆婆って・・・。もはや何しているのか?全く判らないでしょ。でも通り過ぎる時に、人の脳に記憶に残る・・・いつか、あっこれ見た事ある・・・ってね。その引き出しを開く為の何か?が起きると思い出す。

こんな仕組みが脳ってものにはあって、その各々の引き出しの中に、インパクトとして記憶として残す・・・って行為が湯婆婆の役目なのね。まぁそう言う点でも、やりたい事が結果はともあれ、出来たって実感はある。

そんなこんなで、アトリエに戻って祭りの後はお片付け・・・ひとまず元には戻った。


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