今日はピエロの壁画から。テントをやって、輪郭のラインの内側のラインを張ると、それで8時・・・何かあっと言う間だったのね。これで後、玉をやると、決まっているデザインが終わる。
そうなると、デザインを考えないとならないんだけれど、一応猫の下あたりから、団長の足あたりまでの間に、何か文字を入れようとは思っているのね。ただまだそのワードも決まっていないから
まずはデザインも含めて、そこから。それと同時にバックの色は恐らく、クリームになると思うんだけれど、何か決定しないと、次の展開がね・・・。まぁ幸いやる事はあるから、それと並行に。
そんな後は、コープみらい東京分のスノーマンサンプル。
まぁ、まずまずな仕上がりになったのね。そんな訳で最後は蛸の椅子。
これで足1本分の吸盤が終了って感じなのね。昨日も入れたけれど、苦手な立体の下地が終わって、ホッとしちゃっているのと、不安があったピエロの壁画が、やって見ると順調で・・・。
勿論、お金が発生するものと、展示作品って比較だけでも違うのに、流石に展示3作目の作品となれば、キツいな・・・って気分になるのも仕方無いし、ただ時間制限もあるから、やらなきゃ・・
って事なんだけれど、余りに時間を空けると、人って億劫になったり、目的意識を失うと、労作展の子供達とは違って、何の為にやっているんだろう・・・って思ったりするのね。
それを普通って気持ちだと、仕事ならお金の為に・・・と生活は現実だから、歯磨きと同じように朝が来て、行かなきゃ・・・やらなきゃ、になる。ただ、それでは普通の結果になっちゃうのね。
それは誰もがみんなそうしているから。だから俺の場合の普通なら・・・となると、作家としてなら、依頼作品としての注文や、お教室の先生としての予約となったり、イベントや出張教室が
普通って事になるんだけれど、つまりこれでは、何一つ営業をしていない事になるのね。それをかぐやが、あれこれ営業して、イベントや展示を獲得・・・となったりする。
でもこれは、中々大変で、先方のイベントに合わせたオリジナルの下地をハイリスクハイリターンで作る事で、担当者さんに納得して貰う・・・って営業なんで、中々使い回しの利かない下地・・
ただそれと引き換えみたいに、展示作品の権利を取得・・・って感じなんだけれど、例えば金魚作品みたいに過去に作った作品なら、改めての制作じゃ無いから良いけれど、今年は続け様に3点目
・・・そりゃお金の貰える依頼作品を後回しにするのだから、リスクは大きいのね。ただそれをしないと普通になっちゃうのね・・・みんなと同じだけ同じように・・・ではね。それがね、
みんな良く勘違いをしたり、理想論で語っているのに、常識論みたいに普通のように言うんだけれど、例えば、みんな平等が好きだったり、普通が良かったりするのね。こんな人が多いのね。
ただ、じゃ学校でみんな同じ教科書で同じ先生に習ったら、同じ点数になる?もう結果なんか聞く必要も無いのね。つまり何をしても、何をやっても平等なんてこの世に無いのね。絶対に格差は
出来る。そこに勉強だのスポーツだの、何でもお教室ってのがある。確かにこうなると、今どきのワードなら親ガチャなんて言葉があって、親の能力や経済力で左右するみたいな事があったりして
・・・それを子供達の中で語られる。確かにその通りではある。ただすっとぼけた奴らだな・・・とも思ったりもする。甘いなと。全ては良い事と悪い事は背中合わせなのね。
そもそも親ガチャって言い出した奴は一体どんな状況か?って考えたら、まぁ不平不満があるサイドから言えば、妬みだ、そねみだ、欲望に嫉妬・・・簡単に言えば、やさぐれた貧乏側になり、
日々の生活に負われて、そんなお教室なんかに行くのなら、食費や借金に回すよとなり、裕福な方を見て、妬んでいる感じになる。追い込まれているから、そう言う気持ちが正しいと思うのね。
逆に頭の切れる裕福サイドから出たのなら、お前ら下々の者達に、俺達の気持ちが判るかよっ・・・と言わんばかりにも思える。つまり、生まれてから全てレールは敷かれていて、
学校、職業、はたまた結婚相手や、住まい・・・何もかもが決められているかも知れないのね。つまり蛙の子は蛙って言葉で同じ様に当てはめれば、親がカエルならカエルになる・・・。
ただ習いたいと言うだけでも習えて、もしかしたら習えって言われたのかも知れないのと、喰うのが先・・・いずれにしても、正反対にある例だと思うのね。
ただ当たり前の話で、むしろ親ガチャなんて、やさぐれている奴にも選択肢はある、何も決められていない・・・って取れば、ある意味幸せなんじゃ無いの?とも取れる。
勿論、親がお金持ちで羨まれる環境を捨てれば、同じ様に選択肢は広がるけれど、レールに乗らないって言うのなら、バスや自転車、場合に寄ってはヒッチハイクのように、工夫しないと・・・
ただそのリスクに耐えられるか?になるだろうけれどね。結局、好きにすれば・・・ってな話。それを実践しちゃうと、浮世離れしちゃうから、俺になる。まぁ今は世捨て人チックなんだろうね。
いつも遊んでいるようで、何か好きな事をしている隠居・・・まだ隠居するには若そうだけれど・・・ってな具合にね。これこそが人は見掛けで判断するって話で・・・。これがニッカを
履いて外で汗をかいていたら、今の俺でも仕事に見られるはずなのね。でも仮に外で蛸の椅子を作っていたら、良いご趣味ね・・・って程度だったり、間違いなく仕事には見られないのね。
昔はそれが嫌でね・・・しかも楽しそうとか、って言う人はまだしも、それで喰えるの?とか、何だ貧乏なのかぁ・・・って、聞いといてガッカリして、でも安心したように頑張って・・・って。
ガッチリみにくいアヒルの子のリアル版をして来たから、誰よりもみにくい方の気持ちが判るようになったと同時に、接した回数で、アヒル側の気持ちも手に入れたのね。そう思うもんなんだ。と
・・・・じゃそこの群れで生きるから迷惑掛かるんじゃんってな話。白鳥になるのなら、白鳥の群れの方に行かないと・・・勿論、結論として白鳥って判っているのなら・・・だけれど、そもそも
白鳥じゃ無くて、黒いアヒルに見えたから・・・であり、黒いアヒルって言うのは、タイル屋だったから・・・アヒルならアヒルらしいタイル屋なら、アヒルで終われたのね。きっと。
でも、黒かった。だから違って見えた。だから同じタイルで飯を喰おうとしているだけなんだけれど、普通のタイル屋のようでは無い。つまりアヒルでは無いって事は理解出来た。そんな感じね。
後はアヒルでは無い何者か?こんな事が自分探しなのね。何も疑わず、何もせず、毎日を暮らす、ずっとコツコツ積み上げれば、普通なら定年まで生きられて、第二の人生をその資金でまかなえる
・・・語弊のないように言えば、何もせず・・・は、その場の雰囲気を壊すような正論を掲げたり、主義主張を押し通すような、フォワードチックな事を荒立てないって意味ね。
そう考えたら、俺は該当しないでしょ?つまり、全てを疑って、事を荒立てて、だから毎日を暮らす余裕は無いから、このお金でいつまで暮らせるだろうか?いや、それを食べるの半分にして、
生きながらえて、そのお金を営業資金として博打を打つ・・・ったって、博打って言うのは、展示作品のように、今お金が入って来ない・・・そんな事にお金を使う事で、競馬や宝くじを買うって
事じゃ無くて、あくまで比喩ね。明日への希望って券を買う・・・それを20年以上買い続けて外しているんだろうね・・・って見えるはずなのね。上っ面で見る人達にはね。ただ本気で俺に
付き合ってくれている人達の意見は、昔よりも相当良くなっているし、後もう少し・・・に見えている。とても大きな差である。当然、数の多いのは上っ面側で、流されればそっちが正解。
でももし本気で見てくれているわずかな人達が、正解なら・・・俺は正解側になる。ただそれだけなのね。更に付け加えれば、同じ時にピエロの壁画と蛸の椅子をやっている。同じ人が同じように
やったのなら、同じ技量の作品なはず。でもね、世の中ってのは、見た目で判断するものなのね。つまり可愛いぃぃってピエロの壁画の感想で、キモっとか、何これ・・・これが蛸の椅子。
ただどちらも凄いぃぃ・・・で片付けられる場合もある。ではその表現、誰目線?ここなのね。これから先は、独り言だから、信じるも信じないも、ご自分の判断でね・・・。
世の中ってのは、村上隆さんの作品でも、ナマズみたいな漫画な絵って人もいれば、芸術だって人もいるのね。勿論、誰それ?って人もいる。とんでも無い有名なんだけれどね・・・。
これが常識で普通とする。つまりそのへっぽこ版が俺とすると、ピエロは漫画で評価は可愛いぃぃねであり、蛸の椅子は見た事の無いもので、理解出来ないが、気持ち悪いけど凄い・・・。
こんな感じだとする。これが普通の人のご意見、ご感想だとする。ではこれをメーカーや商社さんのように職業の人だったとしたら・・・どっちが金になる・・・って考えたりするんだよねぇ?
じゃそれを画廊だったりしたら?モザイク作家なんて芸術業界にはいないんだよね・・・しばらく出展していないんだけど・・・。いるなら居ても良いんだけれど、巨匠なんていないのね。
ラッキーなのね。つまり何でも良いのね・・・誰でも良いのね。近い内に、お金にしようとする男の人達に知られる事になるんだろうね・・・ただその男の人達がタイル関係者なら、ピエロの壁画
の方が、需要があるだろうし、それに寄って知名度が上がると、蛸の椅子の方が芸術寄りに見える・・・ただそんだけ。何しろどっちにしても、凄いぃぃって見えれば良いだけなのね。
当たり前のようにね。更に続けると、ピエロだろうが、蛸の椅子だろうが、俺が作ったら当たり前になる。違うのね・・・俺が教えた中に、かぐやだけで無く、腕利きはいる・・・。
もしそれが続々といたとしたら・・・今までの常識、モザイク壁画は岐阜の多治見って思っている人達に、コメはJA共済じゃ無くても、道の駅でも、ネットでも、今の時代なら売れる可能性がある
・・・さてどの会社が手を上げてくれるか?・・・スター誕生って番組あったよね・・・セラスタでスポンサーになった会社の人達には、どう映るんだろうか?・・・
そう考えたら、モチベーションは上げられるはず。やる気ってのは、単なる気だから、いくらでも自分で落とせて、自分で上げられるのね。医者に行かなくてもね。でも重症だと心療内科。
その前に手を打たないとね・・・ご自分で気が付いて。ここも気。一生、気からは逃げられないのね。後は逃げるとしたら、ボケるしか無いのね・・・じゃすっとボケとくかな・・・。
追伸、常識じゃ無い方が俺らしいなら、必ず男の人が手を上げるとは限らないんだろうね・・・ねっ、社長さん。って気持ち上げて行くかね・・・。
そうなると、デザインを考えないとならないんだけれど、一応猫の下あたりから、団長の足あたりまでの間に、何か文字を入れようとは思っているのね。ただまだそのワードも決まっていないから
まずはデザインも含めて、そこから。それと同時にバックの色は恐らく、クリームになると思うんだけれど、何か決定しないと、次の展開がね・・・。まぁ幸いやる事はあるから、それと並行に。
そんな後は、コープみらい東京分のスノーマンサンプル。
まぁ、まずまずな仕上がりになったのね。そんな訳で最後は蛸の椅子。
これで足1本分の吸盤が終了って感じなのね。昨日も入れたけれど、苦手な立体の下地が終わって、ホッとしちゃっているのと、不安があったピエロの壁画が、やって見ると順調で・・・。
勿論、お金が発生するものと、展示作品って比較だけでも違うのに、流石に展示3作目の作品となれば、キツいな・・・って気分になるのも仕方無いし、ただ時間制限もあるから、やらなきゃ・・
って事なんだけれど、余りに時間を空けると、人って億劫になったり、目的意識を失うと、労作展の子供達とは違って、何の為にやっているんだろう・・・って思ったりするのね。
それを普通って気持ちだと、仕事ならお金の為に・・・と生活は現実だから、歯磨きと同じように朝が来て、行かなきゃ・・・やらなきゃ、になる。ただ、それでは普通の結果になっちゃうのね。
それは誰もがみんなそうしているから。だから俺の場合の普通なら・・・となると、作家としてなら、依頼作品としての注文や、お教室の先生としての予約となったり、イベントや出張教室が
普通って事になるんだけれど、つまりこれでは、何一つ営業をしていない事になるのね。それをかぐやが、あれこれ営業して、イベントや展示を獲得・・・となったりする。
でもこれは、中々大変で、先方のイベントに合わせたオリジナルの下地をハイリスクハイリターンで作る事で、担当者さんに納得して貰う・・・って営業なんで、中々使い回しの利かない下地・・
ただそれと引き換えみたいに、展示作品の権利を取得・・・って感じなんだけれど、例えば金魚作品みたいに過去に作った作品なら、改めての制作じゃ無いから良いけれど、今年は続け様に3点目
・・・そりゃお金の貰える依頼作品を後回しにするのだから、リスクは大きいのね。ただそれをしないと普通になっちゃうのね・・・みんなと同じだけ同じように・・・ではね。それがね、
みんな良く勘違いをしたり、理想論で語っているのに、常識論みたいに普通のように言うんだけれど、例えば、みんな平等が好きだったり、普通が良かったりするのね。こんな人が多いのね。
ただ、じゃ学校でみんな同じ教科書で同じ先生に習ったら、同じ点数になる?もう結果なんか聞く必要も無いのね。つまり何をしても、何をやっても平等なんてこの世に無いのね。絶対に格差は
出来る。そこに勉強だのスポーツだの、何でもお教室ってのがある。確かにこうなると、今どきのワードなら親ガチャなんて言葉があって、親の能力や経済力で左右するみたいな事があったりして
・・・それを子供達の中で語られる。確かにその通りではある。ただすっとぼけた奴らだな・・・とも思ったりもする。甘いなと。全ては良い事と悪い事は背中合わせなのね。
そもそも親ガチャって言い出した奴は一体どんな状況か?って考えたら、まぁ不平不満があるサイドから言えば、妬みだ、そねみだ、欲望に嫉妬・・・簡単に言えば、やさぐれた貧乏側になり、
日々の生活に負われて、そんなお教室なんかに行くのなら、食費や借金に回すよとなり、裕福な方を見て、妬んでいる感じになる。追い込まれているから、そう言う気持ちが正しいと思うのね。
逆に頭の切れる裕福サイドから出たのなら、お前ら下々の者達に、俺達の気持ちが判るかよっ・・・と言わんばかりにも思える。つまり、生まれてから全てレールは敷かれていて、
学校、職業、はたまた結婚相手や、住まい・・・何もかもが決められているかも知れないのね。つまり蛙の子は蛙って言葉で同じ様に当てはめれば、親がカエルならカエルになる・・・。
ただ習いたいと言うだけでも習えて、もしかしたら習えって言われたのかも知れないのと、喰うのが先・・・いずれにしても、正反対にある例だと思うのね。
ただ当たり前の話で、むしろ親ガチャなんて、やさぐれている奴にも選択肢はある、何も決められていない・・・って取れば、ある意味幸せなんじゃ無いの?とも取れる。
勿論、親がお金持ちで羨まれる環境を捨てれば、同じ様に選択肢は広がるけれど、レールに乗らないって言うのなら、バスや自転車、場合に寄ってはヒッチハイクのように、工夫しないと・・・
ただそのリスクに耐えられるか?になるだろうけれどね。結局、好きにすれば・・・ってな話。それを実践しちゃうと、浮世離れしちゃうから、俺になる。まぁ今は世捨て人チックなんだろうね。
いつも遊んでいるようで、何か好きな事をしている隠居・・・まだ隠居するには若そうだけれど・・・ってな具合にね。これこそが人は見掛けで判断するって話で・・・。これがニッカを
履いて外で汗をかいていたら、今の俺でも仕事に見られるはずなのね。でも仮に外で蛸の椅子を作っていたら、良いご趣味ね・・・って程度だったり、間違いなく仕事には見られないのね。
昔はそれが嫌でね・・・しかも楽しそうとか、って言う人はまだしも、それで喰えるの?とか、何だ貧乏なのかぁ・・・って、聞いといてガッカリして、でも安心したように頑張って・・・って。
ガッチリみにくいアヒルの子のリアル版をして来たから、誰よりもみにくい方の気持ちが判るようになったと同時に、接した回数で、アヒル側の気持ちも手に入れたのね。そう思うもんなんだ。と
・・・・じゃそこの群れで生きるから迷惑掛かるんじゃんってな話。白鳥になるのなら、白鳥の群れの方に行かないと・・・勿論、結論として白鳥って判っているのなら・・・だけれど、そもそも
白鳥じゃ無くて、黒いアヒルに見えたから・・・であり、黒いアヒルって言うのは、タイル屋だったから・・・アヒルならアヒルらしいタイル屋なら、アヒルで終われたのね。きっと。
でも、黒かった。だから違って見えた。だから同じタイルで飯を喰おうとしているだけなんだけれど、普通のタイル屋のようでは無い。つまりアヒルでは無いって事は理解出来た。そんな感じね。
後はアヒルでは無い何者か?こんな事が自分探しなのね。何も疑わず、何もせず、毎日を暮らす、ずっとコツコツ積み上げれば、普通なら定年まで生きられて、第二の人生をその資金でまかなえる
・・・語弊のないように言えば、何もせず・・・は、その場の雰囲気を壊すような正論を掲げたり、主義主張を押し通すような、フォワードチックな事を荒立てないって意味ね。
そう考えたら、俺は該当しないでしょ?つまり、全てを疑って、事を荒立てて、だから毎日を暮らす余裕は無いから、このお金でいつまで暮らせるだろうか?いや、それを食べるの半分にして、
生きながらえて、そのお金を営業資金として博打を打つ・・・ったって、博打って言うのは、展示作品のように、今お金が入って来ない・・・そんな事にお金を使う事で、競馬や宝くじを買うって
事じゃ無くて、あくまで比喩ね。明日への希望って券を買う・・・それを20年以上買い続けて外しているんだろうね・・・って見えるはずなのね。上っ面で見る人達にはね。ただ本気で俺に
付き合ってくれている人達の意見は、昔よりも相当良くなっているし、後もう少し・・・に見えている。とても大きな差である。当然、数の多いのは上っ面側で、流されればそっちが正解。
でももし本気で見てくれているわずかな人達が、正解なら・・・俺は正解側になる。ただそれだけなのね。更に付け加えれば、同じ時にピエロの壁画と蛸の椅子をやっている。同じ人が同じように
やったのなら、同じ技量の作品なはず。でもね、世の中ってのは、見た目で判断するものなのね。つまり可愛いぃぃってピエロの壁画の感想で、キモっとか、何これ・・・これが蛸の椅子。
ただどちらも凄いぃぃ・・・で片付けられる場合もある。ではその表現、誰目線?ここなのね。これから先は、独り言だから、信じるも信じないも、ご自分の判断でね・・・。
世の中ってのは、村上隆さんの作品でも、ナマズみたいな漫画な絵って人もいれば、芸術だって人もいるのね。勿論、誰それ?って人もいる。とんでも無い有名なんだけれどね・・・。
これが常識で普通とする。つまりそのへっぽこ版が俺とすると、ピエロは漫画で評価は可愛いぃぃねであり、蛸の椅子は見た事の無いもので、理解出来ないが、気持ち悪いけど凄い・・・。
こんな感じだとする。これが普通の人のご意見、ご感想だとする。ではこれをメーカーや商社さんのように職業の人だったとしたら・・・どっちが金になる・・・って考えたりするんだよねぇ?
じゃそれを画廊だったりしたら?モザイク作家なんて芸術業界にはいないんだよね・・・しばらく出展していないんだけど・・・。いるなら居ても良いんだけれど、巨匠なんていないのね。
ラッキーなのね。つまり何でも良いのね・・・誰でも良いのね。近い内に、お金にしようとする男の人達に知られる事になるんだろうね・・・ただその男の人達がタイル関係者なら、ピエロの壁画
の方が、需要があるだろうし、それに寄って知名度が上がると、蛸の椅子の方が芸術寄りに見える・・・ただそんだけ。何しろどっちにしても、凄いぃぃって見えれば良いだけなのね。
当たり前のようにね。更に続けると、ピエロだろうが、蛸の椅子だろうが、俺が作ったら当たり前になる。違うのね・・・俺が教えた中に、かぐやだけで無く、腕利きはいる・・・。
もしそれが続々といたとしたら・・・今までの常識、モザイク壁画は岐阜の多治見って思っている人達に、コメはJA共済じゃ無くても、道の駅でも、ネットでも、今の時代なら売れる可能性がある
・・・さてどの会社が手を上げてくれるか?・・・スター誕生って番組あったよね・・・セラスタでスポンサーになった会社の人達には、どう映るんだろうか?・・・
そう考えたら、モチベーションは上げられるはず。やる気ってのは、単なる気だから、いくらでも自分で落とせて、自分で上げられるのね。医者に行かなくてもね。でも重症だと心療内科。
その前に手を打たないとね・・・ご自分で気が付いて。ここも気。一生、気からは逃げられないのね。後は逃げるとしたら、ボケるしか無いのね・・・じゃすっとボケとくかな・・・。
追伸、常識じゃ無い方が俺らしいなら、必ず男の人が手を上げるとは限らないんだろうね・・・ねっ、社長さん。って気持ち上げて行くかね・・・。