katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

健さん教室x2と金具付けと蛸の椅子

2024-07-25 07:23:14 | モザイクタイル教室
今日は午後から健さん教室なんだけれど、2コマだから続けて6時間・・・ってそんな訳で、さいたまのコープみらい分のメンダコ下地。

メンダコが蓋の代わりになり、開け締めが出来るように、金具を付けて、更に木にマジックテープを張って完成となるんだけれど、地味に時間が掛かるのね。

結局手持ちの金具が足りずに、持ち越しとなったものの、まぁ何とかメドは立った感じで、後は細々あるとしても、時間が解決するような事だから、考える事は無いから安心ゾーンに入った。

まぁしかし、あれこれ下地は、毎回手間の掛かるんだけれど、今回も相当だったのね。そんなこんなのお教室。結果から言えば、本当に辛抱強い・・・感想の第一声はそれ。そもそも好きで制作と

言えど、6時間ぶっ続けとなると、駄目な人なら座っているだけでも難しい。それなのに、ピンセットで掴むようなミリのパーツを切って張る・・・しかも男性。更に仕事では無く趣味・・・

これが女性なら、俺の教えた人の中にも結構いるけれどね・・・更に言えば、先日茨城で開催されている板谷さんと言うモザイク作家の偉人の記念館に行って来たって・・・本を見せて貰ったのね

こう言うのは広げれば、いくらでも拾える話になる。そもそも普通に趣味としてお教室で習うって、さっきの話でも、女性ならいくらでもいると思うのね。それを子供とかご年配みたいな枠で

くくると、小学生が・・・って言うと、幼いのに・・・って言う事で評価が高くなり、ご年配となると、80歳で・・・って驚きにもなる。つまりここは出来ただけでも・・・って事になるから、

上手ければなおさら凄い事になる。しかも絶対数が少ないからね。それが女性の枠、そこをお母さんなんて限定すると、そこは幅広くどの分野であっても裾野は広くなる分、飛び抜ける上手さが

無いと、そこそこの人はいっぱいいる事になる。まぁそう言う点では、この枠でくくられても、比較されても特に問題は無い人ばかりなんで問題は無いけれど、問題は健さんだったりする。

そもそも男性で、大人で・・・趣味がモザイクに限らず物作り。何処に行ったって珍しいし、女性の中での制作だろうし、きっと女性の先生も多いと思うのね。何しろ環境が有利では無い・・・

樂しく・・・って言う当たり前の、女性なら普通の趣味で済む事が、恐らく簡単では無いと思うのね。だからこそ特に、変わった環境や特別な事をするつもりは無いけれど、なるべく普通に・・・

もっと言い方を変えれば、健さんには作家katsuを見せると、先生katsuは信用や信頼を得るような気がしていて・・・普通は自分からの目線となれば、やってみたい・・・なんてきっかけで、

たまたま見つけて貰ったなら、何と無く終わる事も多々あるし、自分が上手くなりたいとなれば、先生katsuが必要になる事が普通なんだけれど、まれに作家katsuが好きって人がいたりする。

そう言う場合、その人に習っている・・・って感じが、先生katsuの方とはちょっと違ったりするのね。売れっ子作家じゃ無いのにね・・・ごくまれにね。まぁ特に変わった事をしている訳では

無いけれど、興味の持ち方が違うのね・・・そう言う人は行動も違うしね。だってわざわざ茨城にモザイク見に行く?・・・でもわざわざ旅行には行くのね。要するにモザイク順位が高いのね。

でも普通はモザイク順位なんて低いのね。だから旅行先で見つければ、あっモザイクって事にはなっても、わざわざは行かない。そうなると、俺以外のモザイクを記念館で見た事になる。

しかも記念館にあるような偉人さんの・・・比較対象がやっと現れた。しかも偉人さん。もっともっと比較して欲しいのね・・・世界とガッチリ。信頼を勝ち取る為にもガッチリとね・・・。

ある意味、何と無くでは無く、ガッチリ比較されてそれでもいらしてくれるのなら、相当認めて貰っているって話で、そりゃ自信に繋がるのね。まっそんなこんな中でのアドバイスは、切る事に

慣れた人は意識改革。例えばストライプをイメージしてね。白黒白黒みたいになっているとする。これが全て幅が1、1、1・・・となれば、安定感があるが、タイルを切るって言うのは、鉛筆で

線を引くのとは違うから、1.1、1.4、1.3・・・みたいに微妙に変わってしまう。これが良く使う比喩の、そば、うどん、きしめんって言う話で、例えばそばで・・・って言うのに、うどんなら、

まだしも、きしめんは違うだろっ・・・って意識をすれば、取り締まりが厳しくなるし、逆になにがぁ?って人は、気にしない。ここが差になるから、意識に付いて指導する。けど健さんくらいに

なれば、その意識は十分にある。だからもっと意識を強めると、例えば、白を切り、隣の黒を切り、また白を切って行くと、本来5本の線が、きしめんで切ってしまって、3本に変わったりする。

しかも隣に張ると、乾いていないのに押してしまってズレたりもして・・・そこで白だけを進めると、後から乾いてから黒を入れる事になるが、きしめんの幅があるなら、うどんやそばが入る。

けれど、上手くなると行けると判断して、そばの幅を残してしまうと、実際は1では無く、1.1だったとしたら?入らなくなるのね。でもそばより細く切れる?って事になると、限界はあるのね。

だから先に切る白をもっと意識を強く持ち、黒に有利になる幅を空ける意識を持つ事。白を切って入れてから黒・・・って意識では無く、自分がこの黒を入れやすくする白を切るってイメージ。

そうすると切る自分だけで無く、張る自分も意識が変わるのね。こんな意識を持てると、楽譜の音符通りに音を合わせるだけで無く、弾き方、叩き方、色んなタッチになるし、ただパスをするでは

無く、相手に届いた時に柔らかいボールを、相手に優しいパスが出来るようになるし、触覚なら、くっついただけ・・・で無く、触って滑らかとか、聴覚なら、スピーカーの置き方1つでただ

鳴っただけで無く、広がりなどが変わるし、味覚も同じ。技術も大事だけれど、その技術を活かすも殺すも意識だったりするのね。ただ意識があっても技術が無いと出来ないし・・・。

だから普通は意識の問題はある程度切れる前提なのね。そんな最後は蛸の椅子。

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