katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ローラ教室とシーバスのモザイク張り終わり

2021-09-10 07:56:34 | モザイクタイル教室

今日は午後からローラ教室。それまではシーバスのモザイク・・・それが予想していたとは言え、何と無く進めていると、ウロコがどんどんと小さくしたくなって・・・かぐやに今日終わる?の質問に、朝の時点では、難しいかも・・・って感じ。

そんなこんなでローラ教室。あんまり進められなかった・・・って言うものの、どうやらコロってタイルのクラッシュに慣れて来た感じはあるのね。それと、大きく変わったと思われるのは、気持ちの部分だと思うのね。

どうしても大作として、時間が掛かる作品をやっている時、進みたい気持ちが勝っていると、意識無く、進行具合だけを気にしがちになるのね。意識無くね。だから、知らず知らずに、雑になる時があって、綺麗に切れたパーツもあれば、あっ、

これ入るんじゃ無いの・・・って、拾ったパーツも入れちゃうなんて感じのパーツもあったり・・・。ただね、それまでは楽しいだけ・・・って方向で、1回完結みたいな作品を作っていた人が、ある時、何かのきっかけで大作になるのね。

そうね、陸上でトラックで走っていた人が、マラソン・・・とか、室内のプールで泳いでいた人が、海で泳ぐみたいな感じ・・・どちらも走るとか、泳ぐ繋がりなら長くなるだけで一緒じゃん・・・の感覚の人は、恐らく大きくつまづくのね。

それは簡単な話で、そこは一緒でも最初から気持ちの部分で、言葉は悪いが舐めている感が強いのね。ただ、何でも誰でも何と無く・・・って、ちょっとしたきっかけで、やって見たい・・・になる事は多々あるのね。

ローラの良かったのは、1作目の大作の時に、お母さんやキウイとの相席だった事なのね。それによって、和気あいあい気分の楽しい部分を残しつつ、大作に入った事で、その果てしなさを軽減する事が出来たと思うのね。

それと、進む事よりも美しさ重視って部分を、身を持って体験した人の意見は信ぴょう性があるし、説得力が増したと思うのね。言う事聞くと、上手くなれるかも・・・みたいなね。そんな半信半疑な気持ちも残りつつ、終わった結果の作品が、

本人の満足度を上げたのも事実なんだけれど、ここまででは自己満足なのね。所がローラは多治見出身なのね・・・そうなのね、実家に戻れば、町中がタイルに溢れているのね。そんな中、友達がタイル関係者・・・見せないなんて勿体無いのね。

そこで今、モザイク習っているんだぁ・・・ってその作品を見せたら、ビックリされたのね。まぁ当然と言えば当然なんだけれどね。こちらとしては、先生としてそれが作家の人であっても、どうぞお見せ下さい、先生はkatsuです。

と名乗られても良い出来栄えだからこそ、勧めたのだから。その驚いた顔こそが、本当のその作品の持つ評価なのだから・・・。そもそも単なる友達の評価じゃ無いのね。タイルで生きている人なのね。しかも町にはモザイクなんて、

何処にでもある。見慣れたものなのね。そんな目を持っている人が、えっ?何これ?って、本当に自分で作ったの?みたいに、ある意味疑われた感じの表現・・・ほら、大作の1つ目で、そんな評価された・・・。はい、自己満足終了。

人が上手いと評価してくれた時点で、自己満足は終了。これで上手い人側に来た。しかもタイルを職業にしている人にね。単なる友達じゃ無くてね。単純だけどこんな時、嬉しいなぁ・・・って気持ちになったりするもので。

励みになったりもする。こんな気持ちが、労作展の子達なのね。宿題だから・・・とやりに来て、とは言え、こんなに掛かるとは思わなかっただろうし・・・でも、今更・・・そんなこんなで終わって、ホッとしただろうね。

ここまでは自己満足。でももし、もし賞なんて取ったとしたら?・・・そんな感じがローラなのね。別に賞は取ってないのね。でも、自己満足からは離れたのね。そうなると、今度は人が見る前提で作るようになるのね・・・。

意識が大きく変わるのね。いつ誰が見るかも知れない・・・って思うのと、別に誰も見せる訳じゃ無いし・・・こんな意識の違いで、休日で誰とも会わないから、部屋着のまま、お化粧もせず、あるもの食べれば、まっ良いか・・・と、

お出掛けしなくちゃ・・・とでは、全く変わって来るでしょ?こんな意識の違いで、まずはお出掛け側になったのね。そしたら、進級となると、何処に何を来てお出掛けするの?になるのね。例えば、スーパーとデパート・・・違うでしょ?

この時点で、別に・・・どっちも一緒だよ・・・の人は、そのままで良いんだけれど、更にスーパーは何処ですか?なんて質問が来ると、かなりのつわものになる。そうね、成城石井とヤマイチ、マルエツ、全国展開とか店舗数、お洒落感、

きっと比較すれば全く違うし、もっと言えば、その場所にも寄る。そうね、例えば俺ならヤマイチ、マルエツなら、ラフなカッコでも良いな・・・でも成城石井だと、構えるな・・・みたいな。理由は一つで、知らなくてもイメージ。

それとスーパーはそこら辺にある感じで、デパートはわざわざ行く感じ。外出感があるから、ラフにはならない。つまり成城石井は地元には見掛けないから、わざわざ行く場所になるから、俺はデパート扱いになる。こんな感じ。

それとお洒落な感じがする。そうね、何しろいっぱい買うって感じの日は、ダイソー。こじゃれたフック無いかな?なら、セリアみたいな・・・同じ100均でも使い分けしたりもする。こう言う細々した、どうでも良さそうな意識を持つと、

その意識を物つくりの時に、出すのね・・・えっと・・・えっと・・・って。それがオリジナルの基本だと思うのね。些細な事・・・もう字の通りなのね。細々だの、些細なだの、スーパーもデパートも一緒の人には、全く関係ない話なのね。

勿論、そこは一緒でも、物つくりの時は・・・って別のスイッチ入るなら、それでも良いけれどね。まぁ大抵、甲子園に行きたいのなら、日々の練習が必要なんだけれど、モザイクやるのに、切って張るばかりなのは、モザイクが上手くなるだけなのね。

そこが分岐点になるのね。その腕のまま、一切オリジナルはやらないのなら、もうそれで充分何でも作れると思うのね。何かデザインを見つければ。でもその腕を持ってして、オリジナルに挑戦となると、スーパーとデパートの話は必須。

その名前だけでも、持つブランドイメージを語れるくらいで無いと、何をどう作りたいの?って話になるのね。話を戻して、ローラの場合、そんな事を経てこの作品になって、もう一度見せているし、上手いと言われている。

そもそも1作目の場合、所詮期待値は低く、相手の目線は上にあったりする。しかしながら、えっ?って称号を頂いているから、もうあんなの作る人って言う、警戒心をも生んだ事になるのね。つまり上手い人の第二弾みたいなね。

そんなハードルが上がるのね。勿論、それを踏まえると、気持ちとしてはプレッシャーなんてもんが掛かるのね。それこそ上手くなった証拠で、へたっぴにプレッシャーは無いのね。言い過ぎに聞こえるかも知れないが、見ている側だとして、最後までやれば良いだけ・・・つまり歩いても完走すれば良い。それでも評価されるのだから。

それとコロナ・・・相席がしずらい。つまり今のローラは、プレッシャーは掛かるわ、楽しさみたいな部分が欠けるわってマイナスな感じになるが、良い事と悪い事は背中合わせなのね。逆に余りにも初歩的な質問をしやすかったり、

これは・・・と今更ながらの話や、常連の中にいたから、初心者的な部分を幾分少なく時間を過ごした感じはあって・・・。マンツーマンにも慣れて来たって感じなのね。だから言う訳でも無いけれど、1人でも上手くなった。

相席の後押し無くても、これだけ出来れば十分なのね。後は慌てずこのままで。更に話を広げる為に、シーバスのモザイクが終わったから、話を続けると、

例えば、サンマの塩焼きの場合、お前はすでに死んでいるのね。そんな目なのね・・・死んだ目じゃ無いとダメなのね。でもシーバスの場合、死んではダメなのね。だから生きている目じゃ無いとダメなのね。こうやって意識する。

それをどっちだって良いじゃん・・・って事にはならないのね。しかも、生きているのを作りたいのに、本物は釣り人じゃ無いと無理だし、そこで画像となるのだけれど、死闘の中釣られた魚はクタクタで背びれとか引っ張って立てられているのね。

しかし、生きていて元気なら泳ごうとしているのだから、ヒレを動かしていると思うのね。つまり死んじゃったものは、全部ヒレをピーンと立てて写せるが、生きの良いものは、ジタバタしているから、何処かのヒレが閉じたりしていると思うのね。

ただピンとしていると、きちんと真似しやすいけど、図鑑のように死んだ絵みたいになるし、理想は釣りあげた生きの良い感じなのね。そうなると、全部ヒレを立てない方が・・・とか、若干傷跡みたいなものがあった方が・・・とか。

今壮絶なファイト後なのだから・・・ただね、意外と俺の作品って、目が、それで?何か?みたいな、すっとんきょうなのが多いのね。ただ黒い目地をすると、それもいくらか軽減して来ると思うんだけどね。

まあそんな事も考えたりしたのね。他にはフィッシュイーターとして、小魚を捕食するのだから、口を開けていた方がリアルかな?とも思ったが、一応モザイク魚拓的な発想なんで、シンプルにしたのね。こうして考える事なんていくらでも

あって、ただ出来る事と出来ない事があったりもするから、そこの判断を間違えないようにして・・・これで大体1週間。katsu散歩もままならなくなった今、違う営業しないと・・・これ持って・・・。

 


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今日もシーバスのモザイク

2021-09-09 07:19:12 | モザイク作家

今日も引き続きシーバスのモザイク。一瞬今日終わるかな?・・・とも思ったが、昨日の時点で細かくなって行くウロコに時間は掛かるであろう・・・って事も考えてあったとは言え、ここまで残っちゃうのかぁ・・・。って感じなのね。

もっと言えば1mを超えている大きさのウロコでこれだけの時間が掛かっている・・・仮にお腹部分のウロコで出来る4.50cm位の魚であれば、もう少し楽に終わるかも知れないが、後半の尻尾部分は進みが悪くなるのだから、最初から小さい魚で、

ウロコありで作ろうとすれば、魚は小さく迫力は無いわ、時間は掛かるわ、安く見られてしまうとなると、かなり厳しくなる。恐らくそうなると、クラッシュで、サンマの塩焼きのような感じに仕上げる事になるんだろうね。

こう言うのは大事で、作家katsuの経験値を先生katsuとして使うのだから、生徒さんがもし、やって見たい・・・となった時に、こんな所に気を付けて・・・とか、大きさ1つでペースも変わるから・・・なんて言うのは、説得力が高まると思うのね。

さていずれにせよ、完成となると、これをどうする?って事になると、最有力としては、かぐやとの相談で釣具屋さんなのね・・・ただね、シーバスって言うと、釣り人な感じだけど、スズキって言うと、食べるって感じになるのね。

そうなると、回転すし的な場所も悪く無いし、海沿いの道の駅みたいな場所も良い感じにも思える・・・。完成度が上がると、欲も出て来るし・・・ただ難しいのは、見るだけで終わってしまうのと、欲しいと思わせられるか?は別物。

いずれにしても、数日後の話・・・。

 

 


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シーバスのモザイクの続き

2021-09-08 07:37:59 | モザイク作家

またまた引き続き、今日もシーバスのモザイク。まぁ繰り返しウロコになると、単調で結構キツイのね。しかも尻尾になるにつれ、段々小さくしたいし・・・仮に大きかろうが、小さかろうが、ウロコの形に切る事は一緒なのね。

そうね、例えば梨を箱で買う時に、仮に3キロ入れにしたとすると、大きいと7つだとしても、小さいと11個になったりする。でも同じ梨でも大きさが違うと、同じ箱で4つの差になる。ってこんな事になる。つまりウロコの数がどんどんと増えるのね。

しかもどんどん小さくなれば、切る側は変わらなくても、それを持つ手の側は、小さいから結構大変にもなる。そうなると負担が大きくなるのに、張れるスペースは少なくなるのね・・・これが更に気持ちも削られたりするのね・・・。

まだこれだけ・・・なんてね。しかも数を切らなきゃ・・・って気持ちになると、綺麗に切れる分、能率効率を上げようとすると、きちんと切れた分、きちんと張ると、きちんと揃っちゃうのね。それじゃ機械的になってロボットになっちゃうのね。

それを微妙にデコボコとまでは行かなくても、曲がり真っすぐ・・・なんて感じに、ユラッとさせたいのね。何せ生き物なんだから。そうね、具体的ならお腹あたりは張っているのだから、ウロコが引っ張られている感じなら、目地を広めにしたり、

逆に尻尾はギシギシって感じに詰まっている・・・そうやって変化を付けて行くのね。だから幼魚の時はぎっしりで、細かくやらないと、荒っぽくなるし、成魚にしても、大型になると、当然一度や二度は釣られてしまっていたり、

網をくぐり抜けたりして、体は傷だらけなはずなのね。だから生え変わりの色合いも変えたりするのね。新しいものは明るく、古いものは濃い目の色みたいに・・・。何せぺきぺきは色数が少ないから、そこが難しかったりするのね。

とは言え、何だかんだここまで来ると、そこそこシーバスになって来たのね。でも問題は完成したものの評価・・・これが生徒さんなら、おー完成しましたね・・・って感じで、完成度を満足出来れば良いのね。

しかしプロとしては、その完成度を誰が評価するか?の審査員は、釣り人、釣具屋さん、漁師さん、屋形船の人、民宿の人や旅館の人、板さん、そして水族館・・・こんな人達がどんな顔をするか?なのね。その魚に詳しい人達だから。

この人達はシーバスの専門家になる。ただね、難しいのはモザイクの事は一切知らないだろうから、テクニックうんぬんは、習っている人達にしか判らないのね。つまりその専門家の人達の目は、本物に似ているかどうか?の目。

そこにそこそこの評価を貰えるのなら、まぁそこそこの出来栄えって事になると思うのね。ただだからと言って売れるって事では無いんだけれどね。まぁそう言うのは、他流試合的なもので、評価を受ける事で何処の何が違うか?探しになる。

確かに褒められるのは嬉しいが、逆に指摘がズバリって言うのなら、次に生かせるし、またシーバスを作る機会があるかも知れないのだから、知識が1つ増えた事になる訳で・・・。だから1200mm超えなんて話も、重要な情報の1つだったのね。

そんなこんなで何とかここまでやったんだけど・・・後1日で終われば、下地から1週間掛かるか?掛からないか?って感じなのね。まぁまずまずなのかな・・・。理想だと掛かり過ぎなんだけれど・・・。

 


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引き続きシーバスのモザイク

2021-09-07 07:21:16 | モザイク作家

今日も引き続きシーバスのモザイク。今更なんだけれど、クラッシュでも良かったんじゃ無いかな?と思う反面、営業がてらに釣具店を回ろうって考えもあると、やはりリアル感を気にしてしまって・・・・そんな訳でウロコ・・・。

そうなると、当然時間は掛かってしまうんだけれど、その分、グレードも上がって見えると思うのね。それと確かに時間は掛かってはいるものの、そこそこなペースで終わっていると思うのね。それと図ったら1100mmだったのね。

昨日の話からすると、大物釣りの人達の中では、相手にされない大きさなのね・・・恐らく1200mmをどれ位超えたか?って感じだからね。ただシーバスがモザイクになっている・・・ここね。そこが期待値な所で・・・。

こんなのが葛西の水族館とか、釣具店、浦安や豊洲の市場とか、何処かに飾られたりしないかなぁ?ただ、このグレードで、1週間以内なら、何とか見栄えもキープ出来ているし、1作目としてはまずまずなのね。

そうそう回転すしなんて言うのもありなのね。


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シーバスのモザイク

2021-09-06 07:26:47 | モザイク作家

今日は午前中はちょっと野暮用で、午後からシーバスのモザイク。まぁぺきぺきタイルと言えど中々てこずっているのかな?色数は少ないから、悩みは少ないが、その悩みが少ない分、見せ所となると、パーツの形や大きさのメリハリになる。

こだわりって言うと、カッコ良く聞こえるが、そんなに大ごとじゃ無くて、画像とにらめっこすると、こうなってしまうだけなのね・・・ただもう顔が終わったって事は大まかにシーバスな部分は終わったのね。

そもそもこれがシーバスかどうか?って判断をされる部位としては、特徴としての下あごの受け口な所と背びれだと思うのね。ただもし大きさが30cm位だとして、シルエットだと、場合に寄ってはブラックバスにも見えたりするかも・・。

それを防ぐ為の大きさと、今度は大きくすると、1m過ぎるとね、1.2m超えないとならなくなるのね。何しろクワガタと一緒でマニアは、その大きさを競い合ったりしているのね。だから、例え1mあっても、小さく感じてしまったりするのね。

更に言えば、シーバスは出世魚で、名前が変わって行くのね。昔、ハゼなんかを釣っていると、釣れて来るサイズでは、セイゴなんて言うものが、陸っぱりって船に乗らない釣りで、更に言えばファミリーフィッシングとしては大物サイズの、

30cm位になるとフッコなんて言う名前になり、ルアーの釣りの人達の大物釣りの代名詞的なサイズになると、シーバスとなり、食べる事専門みたいな場所では、その名前がスズキって呼ばれたりして・・・。まぁこれを釣り具店にプレゼンとなると、

やはり1m以上必要かと・・・って理由からの大きさ決めだったのね。それと、アオリイカはイカの王様だったり、やはりルアーとしての人気が高く、甲乙付け難いものだったりするのね。そんな理由からなのね。

そんな理由から2つは簡単に決まったが、例えばそれをハゼだったとしよう。確かに釣りに興味が無かったとしても、絶対数の多い魚で、季節を間違えなければ、誰もが釣れるお手軽な魚。このお手軽って部分から、そんなお手軽な魚のモザイクを買う?

って事になると、やはりこだわりのある人達へのアピールの方が良いのかな?って判断なのね。それが番犬とか、金魚すくいの金魚ってよりも、犬種、魚種にこだわりを持っている人向けの方が、良いのかな・・・と。

ただね、当然そうなると、こだわれば価格に反映してしまうし、逆も真なりなんて言うのなら、ハゼやキスやサンマをより低価格に作れると、一般層に受けるのかな・・・とか、色々悩むんだよね・・・これが。

結局、何を作ってもモザイクなんだから、一緒なんだけれどね・・・。


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全員終了、三人目の中学生教室

2021-09-04 23:02:53 | モザイク教室

今日は朝から最後の1人の、3人目の中学生教室。さて一体どうなっているのか?来て見ないと判らないが、残りの時間を考えると、恐らく今日、終わらせたい・・・って感じだと思うのね。とは言え、どうなっているか?・・・・。

そんな中、やって来たのだけれど、えー・・・バックが終わっていないのね。そうなると、理想を言えば3時までに張り終わらないと、かなり厳しくなる・・・そんな中、ご両親と話せたんで、かなり厳しい状況を伝え、やるだけやった様子・・・

そんな事を伝えたのね。ただ恐らく伝わってはいないと思ったんだけれど・・・さてそれはそれで、こっちは張りやすいように準備して、その間にボンド落とし・・・何しろ余計な時間の短縮・・・それでも結果的には張り終わったのが5時・・・

理想より2時間オーバー・・・それから目地・・・ただ立体なんで、バラバラの状態での目地。その後、合体をして・・・大家さんにコーキングを貰って、合体部の取り合いをコーキングをして、最後に金具付け。

さて一体何時でしょうか?・・・・10時過ぎ・・・流石にお父さんが差し入れして下さり、お弁当をご馳走になったのね。二人とも、まさかこんなに掛かるとは思わなかったようで・・・ただ10時を過ぎて終わっていなかったら、もう一回

って言おうと思っていました。まぁ完成して良かった・・・すると、何か完成した作品が二人とも、想像を超えていたらしく、とても喜んで下さって・・・何よりなのね。お疲れさまでした。お見事です。

そんなこんなで、ようやく労作展も終了して、ホッとするやら、秋が来た感じになって・・・アトリエも殺伐としていた感じがあったが、これで元に戻るのかな・・・。本来なら数多くの人に見て貰いたいが、今年もコロナで見られない。

ただ、ご興味があれば、慶応労作展って調べれば、去年のも見られるから見て下さいませ。まぁちょっと震える作品があったりするから、中学生の宿題と侮るなかれ・・・なのね。


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キウイ教室とシーバスのモザイク

2021-09-04 07:24:25 | モザイク教室

今日は午前中野暮用があって、午後から急きょキウイ教室。実は他の人が入っていたんだけれど、キャンセルがあって、キウイはキウイで、予約日の変更をしようとしたら、空いているなら・・・って事で変更になったのね。

ただ教室と言っても、感想として難しい事は、キウイの実力からすると特に無いのだけれど、難しいのは彫ってある中に入れる・・・って事なんだけれど、何しろこれを彫った頃の俺は、まだまだ未熟で、描かれた下絵の通りに彫るのがやっと。

そんな調子だと、彫れただけで安心しちゃうような感じ。だから、幅が一定のようで一定じゃ無かったり、恐らくデザインじゃ無い所を考えれば判るような事さえも、余分に彫ってしまったり・・・そんな下地になっているのね。

例えば三位一体的な話だと、心技体みたいな、元気な体、鍛え上げた腕、そしてそれらをつかさどる心みたいに、3つ揃って・・・とか、プレーヤーと技術と、それを応援するサポーターとか、大抵表現として、素晴らしいものはこうした事が

揃った上での結果・・・みたいになる。例えばそれを自分に当てはめたりすると、素晴らしい下絵に、それを彫る技術、そしてモザイクとなると、一番評価されているものはモザイクだとすると、他は何点?って話になるのね。

その時に、明らかに同じ人がやっているのに、見劣りするような事があれば、総合点は下がる。つまり逆の発想なら、良く先人の人達が、最初は真似から・・・ってあのセリフからすると、初心者の人なら、下絵を描かずコピーした絵で、モザイクだけに専念すれば、結果の良し悪しの確立を上げられる可能性がある事になる。

話を戻して、だから俺の場合、根本的にタイル屋から始まったのだから、技術屋出身として、絵を描くなんて技術よりも、木を彫るって言う技術の方が近道として、反復練習をしていたって事になる。

当然その回数が多ければ多いほど、身に付く訳で・・・これが事実なら、当時の彫る技術よりも今の方が断然上手くなっているし、知恵も増えた。だから当時は当時で一生懸命彫ったんだろうが、今の自分から見れば、見劣りする事はある。

つまりもし今、彫ったのならキウイに負担は少なかっただろうが、昔の実力のままの彫った部分を、今の実力のキウイが入れているって考えると、キウイのモザイク力に、以前の彫る技術の俺が助けられている・・・と言った感じになる。

では完成したとすると、キウイの作品は足掛け10年以上掛かった事になるのね。当然、キウイもあの頃よりも上手くなっているのね。それなら見劣りする部分もあるはずなんだけれど、同じようなパーツの繰り返しなんで、全く判らない。

その繰り返しの作品は、見劣りする箇所が無いから、結果が良く見える。そうなると、一番凄いのは、最後まで終わった事なのね・・・普通果てしな過ぎて諦めたりすると思うのね。心技体の心とはそんな事なのかも知れないと思うのね。

でも、じゃあそんな志みたいなものを最初から持っていたか?となると、まさかこんなに掛かるとは思っていなかっただろうし、もっと言えば、完成したとしても、最初の頃の気持ちとは変わっているだろうし・・・。

これは、中学生の頃に、友達の家に行ったら、数人がパイオニアのコンポ持ってて、俺も欲しくて親に言ったが、却下になって、意地になってバイトして、買おうとした時には高校2年・・・そんな熱も冷めたが、あの時以上のグレードの

ステレオを買った・・・それはそれで満足はしたが、欲しかった中学の自分の気持ちとは変わったのね。勿論一緒だとは思わないけど、それでも買ったか?買わなかったか?出来たか?出来ないか?の結果は大きく違うと思うのね・・・。

そこまでして得た事は、得た人にしか判らないし、いつか得られなかった人は、得られなかった事の理由を知る事になる訳で。こんな時期だから比較の話として、労作展なんてものがあるが、所詮中学生の夏休みの宿題でしょ?って位の考えなら、

何もそんなにやる必要は無いと思うのね。その時に、心って部分を考えると、中学生の宿題でしょ?・・・に続く言葉として、多分、だからそんなにやらなくても・・・とか、そんなもんじゃんとか、言う人と、中学生の宿題なんだけど・・・

とでは、大きく変わって来ると思うのね。まず最後の、・・・けど・・・。この場合、けどの後は否定文になるから、中学生の宿題だから・・・って気持ちはあるが、でも・・・みたいになり、もっと・・・っておかわりした感じね。

でも、前者の、そんなにやらなくても・・・の場合、既にやってもいないのに、終わりの日数を決めていて、それ以下で良い・・・って言った文章であり、そんなもんじゃん・・・は、想定した結果や時間になったって言う、自分の中で完結

した文章だと思うのね。こう比較すると、やる前から、中学生の宿題なんだけど・・・の、けどを使った人が、他よりずば抜けている事が判るのね。ただ、こうした掘り下げをしていなくて、ただ頑張ります・・・的な感じとか、出来ますか?

みたいな感じなんだと思うけどね。それでも、この時点の差は大きい。しかも、けど・・・で始めた人は、予想を上回る厳しさを後から知る事になり、他の2つの場合、何しろ作るファーストでは無く、なるべくそこそこ時間ファーストだから、

比較すると、相当な時間の差になる。しかももし友達だったりすると、まだやってんの・・・とか、俺終わったよみたいに、そそのかされると、慌てたり、挫けそうになったりもする。こんな事は、けど・・・の人にしか判らないのね。

これが宿題ってハードル、提出ってプレッシャーがあるから、ゴールに何とかたどり着けるものなのね。それを大人の人達に当てはめると、趣味だから・・・と、だからを使うのか?趣味だけど・・・と、だけどを使うのか?

これが全てだったりもするのね。だから・・・を使うのなら、何しろその時間内を楽しむ。ある意味、短編小説、100m走、自分料理・・・何でも良いんだけど、苦しむ時間はなるべく短く。楽しむファーストで、出来たら満足って感じ。

これはキャリア1・2年なんて人達なら良いと思うのね。ただ、中学生には当てはまらないのね。何しろ3年しか無いのだから。話をもどして、それを、だけど・・・で作ると、果てしなくなるのね。どうなるとゴールなのか?判りづらいのね。

例えば、ウチのペットを作りたい・・・これなら、1作完結だから、中学生と同じで、時間は掛かるが、それが終わるまで・・・の我慢。って感じなんで、目的意識がはっきりしている分、たどり着ける可能性はある。けど・・・。

けどなのね。良い事と悪い事は背中合わせ。そのペットが生存している間に終わらないと、意味が無いと思う人は、途中で挫折になるかも知れないし、そうなると、だから見たくない・・・になるし、逆にだから作るって事もある。

思い入れの強いモチーフって言うのは、こんな差もあるのね。でも、たどり着く可能性も高いが、終わった時に、それ以上の思い入れのあるモチーフが見つからないと、やる気も起きて来なかったりもするから、それで終わる人も少なくない。

それを何もかも超越して続ける・・・の続けるってシンプルな事で継続すると、長編小説、マラソン、人に振る舞う料理・・・みたいに、さっきとはちょっと違ったニュアンスになる。いっときの我慢じゃ無くて、成し遂げるまでの辛抱。

こうやって文章にすると、作る前の心持ちの違いが大きく変わっている事に気が付くのね。その心持ちの違いが作品の差になって行くものだと思うのね。だから楽しむなら、笑えた方が良いし、凄いものが作りたければ、人とは違う方向だから、

苦しいとか、悩むとか、試行錯誤なんて当たり前なのね。だから、結果が人と違って当然なのね。だから、と、けれど・・・使い方がおっかないものなのね。それで方向性が変わって来るのだから。そんな枕を入れて置いてからの、

まだアオリイカが終わっていないのに・・・シーバス。ただ、あんなに何を使おうか?悩んでいたのに、タイルを置いた瞬間、何だぁ、彫ってたkatsuはぺきぺきって決めてたんじゃん・・・って事だったのね。そうなると、アオリイカは1cmで、

いっぱいタイルを使うから、片付けも大変になり、お教室後じゃ無いと、広げづらいのね。しかしぺきぺきなら、色数は少ないし、あれこれ出さずに済むから、割とやり易く、お教室中も出来たりもするのね。

流石に1・2日って訳には行かないが、アオリイカより大きいのに、早くは終わると思うのね。もしそうなったら、楽になった事になり、楽って事は楽しいって事になる・・・つまり俺自身の体験教室的な作品って事になるから、俺に取っての、

コースターや鍋敷きのような作品って事になる。それで冒頭のモザイクが一番得意で、努力で木工を手に入れつつあって・・・となると、最後は素敵な下絵・・・可愛いキャラクター、素晴らしいデッサン力・・・つまり絵の向上って事になる。

今のままでは、最初の2つに大きく見劣りしていて、実力差を感じるのね。ただあの頃よりは、いくらかモザイクのkatsuにばかり負担が掛かっている感じではなくなって来たとは思うけれど、だから一瞬下地にひるんだモザイクkatsuがいたが、

始まって見ると、まだまだこんな絵かっ・・・って、見下されている下絵のkatsuがいたりする。ただ何しろこのスタイルの試作品。そう考えれば、そこまで卑下しなくても、まずまずなんじゃ無いの・・・って言いたい下絵katsuもいたりするのね。

 

 

 


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中学生教室2人目完成

2021-09-03 07:38:58 | モザイク教室

今日は午後から中学生教室。先日タイルを届けたんで、恐らく目地のみになっているはずなんだけれど・・・って午前中は、かぐやと先日の見積もりの件の最終確認をして、先方に連絡からスタート。その後は、今後年末に掛けての相談・・・

そうね、常にお教室は予約で開けているので、その合間に制作って感じになるのね。その中には、依頼品があったりして、昔なら、依頼品が来たら、何しろ次々に終わらせる・・・そんな感じだったのね。しかしながら、何しろいつも全力。

そうなると、モチーフに寄っては、やる前から相当な無理を強いられる・・・と判っていながらやったりもしたのね。何しろ果てしない貧乏だったから・・・ただそれをやり続けると、ただ支払いが来たから、それを埋める為にになり、

良くニュースでやっていたりする、永遠の貧乏の連鎖のループにはまってしまうのね。何とか日々の生活は回せても、家賃の更新や、車検と言ったまとまった額の時に、どうにもならなくなる・・・そんな時に、建築のような仕事が来て、何とか

逃げ切ったとしても、結局また依頼品で元通りになってしまったりしていたのね。理由は簡単で、建築色の濃いもの、例えば玄関だとすると、工期が決まっている。つまり始めてから終わりの日数が決まっているから、どんなに時間を掛けたくても、それは出来ない。

だから期間内だけの制作になる。これなら一体終わるといくら位の収入になるか?の見当が付く。所が個人のオブジェの依頼の場合、期間の制限は無いからエンドレスになるから、作家に委ねられた状況になる。

そもそも良いのが作りたいのは山々だが、こだわればこだわるほど、出来ても生活の追い込まれ方が半端じゃ無くなるのね・・・それを繰り返す事で、これをやると追い込まれる・・・って判るようになって・・・。

更に依頼品の室内の物の場合、大きさにも限りがあり、どうしても細かくなりやすい。当然時間は掛かる。更に完成すると室内に入ってしまう事で、お披露目機会も失ってしまうもので・・・。それを解消する行為が、自分の作品。

つまりお客さんの付いていない、自分の勝手に作る作品。ただ依頼品じゃないのだから、それが売れないと、製作期間は無収入になる。しかしながら、完成すると自由に出来る作品として、色々と連れて行ける事になる。

こんな理由からも、年に1回出来るか?出来ないか?の話なんだけれど、以前の1mの金魚の穂竜の場合だと、金魚のイベントなんかに持って行ったりした。ただ1か月以上掛かった。かと思えば、ウミウシの場合は、狙い撃ちの水族館。

これは有難い事にかごしまの水族館に展示されているし、湯婆婆にしても、営業として連れ回している。ただいずれにしても1か月を上回る・・・で今回なんだけれど、年末にイベントがあり、販売の為の作品を作らないとならない。

ただ今の状況を考えると、中止もあり得る。しかも、趣旨としてなるべく価格を抑える形で・・・となり、でもkatsu色ありの作品となった時に、今のすずきやアオリイカの下地にたどり着いた所までは何とか来たのだけれど、

じゃ今から年末に掛けて、3か月作り続けるのか・・・って事になると、今までの時間の倍も・・・と流石にひるむ。ただあの頃は売る目的では無い作品達であり、1作で1か月以上って事だったが、今回は売る目的で、時間内に作れるだけ・・

となると、1つあたりの単価は下がるし・・・こんな相談をかぐやにしたのね。先日、タイルを購入するなんて話の時に、いくら位まで良いと思う?って聞くと、俺の予想よりも1万も多かったりして・・・今回はどんな事を言うのか?

すると、やりたいんでしょ?って言うので、そう聞こえるか?と返すと、よくよく考えて、今多少余裕があるから、そんな事を言っているけれど、何か入ったらその時間も無くなるのだから、やれるだけやれば・・・となった。

さて、相談して帰って来た答えが、また自分次第となった・・・さてどうすっかな?・・・そんなこんなでお教室。後は目地だけ・・・になっていたのね。ただ油断は出来ないのね。そこからタイルに付いているボンド落とし。

これをやらないとタイル本来の艶が無くなるのね。ただ何しろ初心者な訳で・・・張る事に夢中、終わらせる事に必死な場合、とんでもなく付いていたりもする。しかも大作・・・場合に寄っては、1・2時間では済まないなんて事もある。

幸いそこまで掛からず、目地となり、スポンジで拭いて、更にウエス・・乾いた布で拭きあげて、その時に更にボンド落としもして・・・ペンキの剥がれをタッチアップ・・・塗り直しね。そして最後に金具を付ければ完成。

中々の仕上がりになった・・・また一人完成したのね。割と順調に終わったと思うし、完成度も初めてとは思えない出来栄えで、本人もお母さんも喜んでいたのね。何よりなのね。ここは、見送りもまたね・・・となったから、大きなダメージにはならなかったが、

とは言え、やはり見送りは、夏が終わって行く・・・って感じがする。ただまだ油断出来ないのね・・・最後にもう一人。


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フェルメールのリピーターさん教室とアオリイカの下地

2021-09-02 07:40:08 | モザイク教室

今日は午後からフェルメールのリピーターさん教室。本当ならそれまで今のアオリイカの続きなんだけれど、1cmタイルで、本気モードで作っちゃっているから、タイルをいっぱい出さないとならず、お教室の時は、夜を制作にしているのね。

でもそうなると、午前中どうする?になるので、既に描き終わったアオリイカの下地作りの準備にしたのね。先日のすずきのタッチに引き続きの第二弾なのね。そんなこんなで、リピーターさん教室。

結果から言うと、とうとう顔が終わったのね。きっと長く感じたと思うが、これが本人ケロッとしてて、今度はみんながやっている、ひたすら同じ形の毛並みとか、うろことかの繰り返すような、何か修行みたいな事をして見たい・・・って。

あはは、ここで何かグッタリって言うのを心配していたのに、逆に修行の方を選ぶなんて、中々のつわものなのね。そんな気持ちなら、顔が終わって、終わった感にならずに済むし、安心な方向で終わって行くと思われるのね。

こんな状況なら、次回額縁の話なんかも出来ると思うんだけど。そう言う新展開が刺激になると、更に完成を見てみたいって気持ちになるだろうしね。中学生の子達の作品なんかも見たりしているから、そっちの影響もあるかも知れないしね。

しかし、初めての大作でここまで出来れば、満足度があるだろうなぁ・・・何より。そんな後は、アオリイカの下地を彫りにホームセンターへ。そんな後にペンキ塗り。

続けて2つこんな下地を作ったんだけれど、結局1・2日で出来た。例えば、この掛かった時間で、普通に下地を作るって事になると、デイ・サービスの下地10個とか、オーナメントを何十個とかになったりする。

ただ、どれもお教室やイベントの下地なんで、反応は可愛いぃ・・・みたいになる。所がほぼ本物に近い大きさのこの2つは、おぉ・・・とか、凄いとか、明らかに反応が違うのね・・・って事は、生徒下地では無く、作家katsuの下地になった感じ。

まだ完成してはいないけど、少なくとも下地の段階の反応が違うし、すずきもアオリイカも・・・と偶然1つに反応では無くて、2つともになんで、まぐれで無く手ごたえはある。ってここまでは・・・ってここまで来たのね。

後はタイルを張るだけ・・・やっとここなのね。多分、気が付く人って中々いないと思うんだけれど、また、だけ・・の話ね。こうして下地を作ると、タイルを張る事になるのね。当たり前なんだけれど・・・。だから、本来の趣旨として、

タイルを張れる事になった・・・後の工程は張るだけ。つまり最後の工程に入れた・・・こんな気持ちなんだろうね。じゃ張ればおしまいなのね。でも実はそんな簡単じゃ無いのね。そもそもアオリイカの作品が終わっていないのに、すずきの下地に入った。

これは思い付いたから、鉄は熱いうちに・・・って言うのなら、じゃ良しとする。そこである程度納得の下地を1つ目から作れた。しかし、本来様子を見る為の1つ目なら、何も1mのものをやらずとも、良いのでは無いか?

つまり結構本気の意気込みを感じる。そして理由はともあれ、アオリイカも終わった。1つ目より小さくなっても、いつもの小物より大きいアオリイカで、同じような結果になった。恐らくこのやり方の下地はそこそこの結果と経験値を得たと思うのね。

そう言う中で、後はタイルを張るだけ・・・って表現をした。本当の意味は、初めてかも知れないが、自分の下地の完成度にビビッてるんだろうな・・・きちんと文章にすると、後はタイルを張るだけなんだけれど・・・。これが正解。

何しろ、張るだけになったのなら、一番得意な分野なのだから、心置き無く出来るはずなのね。でも、文章の終わりが、・・・けれど。この場合、けれどの後は、前の肯定から否定に変わる瞬間の言葉なのね。

例えば、人に意見を求めた時、それ良いんだけれど・・・この、けれどね。この場合、あなたの意見に賛同します的な、それ良い・・・って所で、協調性みたいに安心させ、けれど・・・これで本音になるのね。つまり、本音はそうじゃ無い。

って、違う意見なのね。お笑いで言う、緊張と緩和みたいな話で、実に本音を語る一瞬のひるがえり効果がある。しかも、割と意識無く使っているから、聞く側が流す事が出来れば、誰も気が付く事無く、白やぎさんと黒やぎさんの歌になる。

ほぼ掘り下げないから、読まずに食べた・・・だから仲良し。違和感なし。でも、ひとたび気が付いてしまうと、相手の本音は丸見えになるもので・・・掘り下げると、色々判る事があるもので・・・。話を戻して、ビビリの話。

ではどうビビっているか?となると、本来、この作品を年末のイベントで売るって事に使う予定で、場合に寄っては、これらを釣具店に持って行って見ようか?とも思っていたり、色々考えていたのね。ある意味、作る前に完成度に自信があったのかも知れないのね。

そうして予定通りに納得した下地が2つ出来た。その完成度2つが並んだら、助さん、角さん的に、迫力が出た。1つでもかなり良かったのに。ここが悩ませ所なのね・・・良いだけに。そもそもイベントで売るとなると、現金のやり取りを考えると、

これ以上は限界かな・・・って価格があると思うのね。そもそも画廊で売っているんじゃ無いのだから。つまりなるべくリーズナブルで・・・と始まったのね。所が思いの他、完成度が高い下地が出来た。本来値段を下げるなら、ガラスタイルなんて使えない。

でも、下地が抜群に良い・・・それなら、その下地の完成度に見合ったガラスタイルで更に・・・ってやりたい気持ちが芽生えてしまったのね。作家って強欲だから・・・ただそれじゃ普通なのね。良いものに良いものの上乗せ・・・。

良いものづくし・・・当たり前のように良くなるに決まってんじゃん。じゃべきべきタイルでも、腕で良く見せる・・・って気持ちもある。がしかし、それも思い上がりな気がするのね。腕?売れてりゃともかく、それほどでも無いだろっ?

って気持ちもある。でも、自信が無いんじゃ無いの?って、もう一人の自分が言うし・・・売る方を重視でリーズナブルに仕上げるのか?作家として、これでもか・・・って言う時間を掛けるのか?下地の完成度が悩ませるのね。

ただどちらを選んでも、結果はやって見ないと判らないのね・・・進撃の巨人のリバイ兵長が、仲間を信じて失敗した、だから今度は自分を信じて・・・そうして失敗を繰り返すと、一体どうすれば良いのか?になる・・・。

みんな誰もが色んな事で、そうやって選んで、恐らく失敗の数を重ねたんだろうし、若ければ勢いで失敗出来ても、若さで乗り切れたり、次の機会なんてものもあったりするが、初老はね・・いくらか経験値で先を読んだりするものでね・・・。

ただ、そこまで判っているのだから、若いもんにはまだ負けない・・・と攻撃側になるのも良し。初老だからと、守るも良し。ただ何をどうやって決めたのか?になる。失敗は経験値になり、成功は自信になるだけ。続けたものだけが、糧になる。

当然、続けるのだから、どっちに転んでも必ずタダでは転ばなくて済むのだから、どっちでも良いのね。ただ欲を出すと俺らしくないし、今までそんな事だから、その程度の結果なんだろっ・・・って言う自分もいるし・・・。

ってこんな葛藤があるって中、根本的には、終わりたくない病みたいな、今のアオリイカの作品で感じているのか?今更だけど、何か予定しない大作になっちゃって予定外に戸惑っているのかな?だから、気分転換の下地なのかな?

そんな気分転換の下地に更に追い打ちのように、まさかの完成度にプレッシャー掛けられて・・・・ちょっと笑う自分もいる。悪くて困るより、良くて困るのだから、有難い・・・って言っとく方が良いのかな?

 

 


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さくらだけど、今日はタイルクラフト教室

2021-09-01 07:39:35 | モザイク教室

今日はさくら教室。ただいつものふくろうの顔のモザイクじゃ無くて、おばあさんに頼まれた持ち込みの和菓子の箱にタイルを張りたい・・・って事で、ウチでは中々見られない純粋にタイルクラフト教室になったのね。

材質はファルカタ材って言う軽い木で、余り詳しく無い人なら、ちょっと桐の箱みたいな感じに思ったりもするかも。ちなみに張り終わった後、ピンクのペンキを塗ったのね。ただ工程としては、さくらでも気が付く位にきゃしゃな感じなのね。

そこでまず箱の底をべニアで補強して、更にフタの裏も・・・理由は簡単でボンドや目地が固まろうとする時に、柔らかい木だと、反ってしまうのね。それを防ぐ為のひと手間。その後に張り始めるのだけれど、どうする?になる。

その時に山周タイルさんのクローバーを選んだのね・・・ただおばあさんって言う事を踏まえると、仕上がりが地味になるんで、良くありがちではあるのだけれど、1cmのガラスタイルとか1cmタイルとかを入れる事で、華やかになるのね。

何しろ良く年配になると、割と派手なのが好きなんて事があったりするのに、もしそうならシックを通り過ぎて、地味に感じると思うのね・・・そこでペンキとか追加したのね。じゃいよいよ張るって事になると、難しい事があるのね。

例えば四角いタイルの場合、この箱の寸法が必ずしもピッタリのサイズだとは限らない。その時に縦横がまず使おうとしてるクローバーのタイルで割り切れるかどうか?の確認をする。もしその時に縦の目地は少し太くなるけど何とかなる・・・

何て場合、片一方との目地の比較になるのね。こんなのは言葉でも簡単に理解出来るから数例あげると、片一方の目地はピッタリ・・・このピッタリって言う表現は、目地の幅がタイルとジャストフィットって感じに思うでしょ?

所が、方や若干太目・・・ほらジャストフィットから遠のいた。その時に許容範囲かどうか?なのね。それを若干細目でも同じように違った感じがするでしょ?それを今度は、キツキツだけど入った・・・とか、何か細目・・・ってなると、

もはや美しさの表現ってよりも、満員電車や押し入れに詰めたって表現と一緒になる。これでは美から大きく反れる。つまり張れば良いって思う人なら、さっさと並べれば・・・って表現で丁度良いのね。だってどんな張り方をしても、

タイルの持つ美しさで幾分、助けて貰えるから。ただそれでは、大人が張ったようには見えないと思うのね。つまり切らないで張るって言うのは、とても残酷で、条件が誰もが一緒になるのだから、丁寧に水平垂直、同じ幅・・・。

簡単に言えば、ちゃんと・・・ってだけなのね。ただそのちゃんとが難しい人がいたりするのね。その一人がさくら。そもそも目がぶれたように見えるさくらに取って、真っすぐとか、ちゃんとは致命的なのね。だって大体になるから。

しかも同じ事の繰り返しは、張れば張るほどチカチカして来るのね。なのに更にデザインがさくらを更に苦しめるのね。何故なら、普通に真っすぐ張るだけでも四苦八苦しそうなのに、クローバーのタイルを斜めにしたのね。

簡単に説明すると、箱に対して、クローバーの足を二本向けるのと、一本では、水平にしようとする時に難易度が上がるのね。簡単な話で、片足で立つのと、両足、どっちがきちんと立てる?考える必要は無いでしょ?両足が安定する。

つまり安定した方がバランスが取れると言う事なのね。しかし片足はほんの少し右に傾いたり、左に傾いたりすると、それを何段も張っている間に、どんどんとズレが大きくなって行くのね。これは例えば糸を張るとする。

例えば10cm。こんな程度じゃ普通に持っているだけでピンと張れるから、真っすぐになる。しかし、もし5mなら?相当ピンと張らないと真っすぐにはならない。でも糸を張ったと言い切ったとすると、折角糸を張ったのに真っすぐにならない。

とこんなセリフになる。つまり目的意識が薄いのね。こんなセリフの人は、糸を張ったか?張らないか?って事に満足をしてしまっているのね。本来、糸を張るって言うのは、真っすぐにしようとする為の行為であって、そもそもたるんでいたら、本末転倒。

張った所で真っすぐにはならないのね。こんな例を理解してもらった上で、タイルは四角で同じ寸法って思い込めば、同じ数を張ったら、同じ寸法と思い込んだり、割り込んでタイルが切らずに入ると、入ったって事で安心したりする。

しかしながら、方やピッタリ、方や何とか・・・では、目地幅の意識をしっかり持たないと、こっちはピッタリ側、こっちは・・・って意識が薄ければ、知らないうちにズレるのね。意識が薄い分ね。つい均等にしてしまうから。

更に言えば、1cmのガラスタイルなんて、結構この手のものは、大きさはマチマチで、しかも四角とは限らないのね。だから、簡単そうに思えるが、出来る人はスイスイだし、不慣れを自覚した時、どうにもならない位困る人がいるのね。

これがウチの常連の欠点でもあるのね。そもそも走攻守ってあれもこれもって言うバランスって言うのは、国語、算数、理科、社会を平均に出来るみたいな感じなのね。簡単に言えば、へっぽこ点が無いって事になる。

これが全部下手って言うのなら、全部下手なバランスが整っているのね。こんな場合、簡単な話で、スペシャリストになれば良いのね。全部捨てて、打つだけとか、国語だけとか、1つに絞れば、それだけに時間を使うから特化する。

満遍なくやると、満遍なく平均以下になる。こんな事が不器用な人の典型なら、人と同じ事をすれば、一目瞭然で、比べるまでもなくなる。そこで、1つに絞ると時間を費やす分、慣れも何倍になる。チャンスが生まれる可能性が出来る。

で、モザイクでそうするには?ってのが、切るって事にしたのね。まっ簡単な話、良く触れる事だけれど、ただ張るだけじゃん・・・ただ切るだけじゃん・・・どっち寄りでも良いが、切るって表現に技術って言葉は当てはまって、張るって

表現に技術って言う言葉を当てはめようとすると、切るって事と比較されると、見劣りする感覚が多いのね。しかも、切るだけじゃん・・・って思う人の大半は、切ると割るの違いが理解出来ていないのね。切るは必然、割るは偶然。

つまり狙って形に・・・丸に・・・みたいな時は切る。ガンガン、パリっって感じだったり、落っことしたりしたのは割る。だから切るを徹底する。するといつしか切る事が上手くなる。それによって既存のタイルとは違う形が作れる。

だからそれによって、絵が作れるようになる。しかもその絵が建物のように水平垂直では無く、自然の花、動物の場合、水平垂直は一切出て来ないから、その苦手な事をやらなくて済む。そうして大作が作れたとすると、その上手さが評価され、

凄いとかになったりする。これで認知度が凄いとされると、ただ張るだけじゃん・・・こんなの・・・って思われれば、思われるほど、大きなプレッシャーになるのね。だって上手いんだから・・・ってね。

そもそもへたっびに作って・・・とは頼まないのね。つまりモザイクを習っているとか、作品を見られているとか、何らかの評価ありの前提なのだから・・・。そこに更にオリジナルのデザインとなると、ただ張るじゃ無くて、どう張る?

って考えないとならない。しかも区切りがあるから、そこにガラスやハートが被ってしまっては、勿体無いし・・・とかね。ただクローバーだけなら、何も考えずに出来るのにね。ほらこうして、何か1つ変わっただけでも難易度は変わる。

その時にそれがこんなに大きく変わるのかぁ・・・って判るのは、やってから。これが後の祭りって表現になる。それを経験値が多い人は、ありとあらゆる事を想定して、これなら・・・ってスタートを切るから、成功するじゃ無くて、失敗

の確立を下げているのね。それがベテランなのね。更に言えば、目地ね。大作って言うのは何年も掛かってやっと張り終わるのね。でも目地は一日。ほらバランス悪いでしょ?それを小物を作っている人は、毎回目地をするのね。

良い事と悪い事は常に背中合わせなのね。さくらは一番苦手な事をやった・・・って事になるのね。実はこのフタもあるんだけれど、それは明日触れるとして、その間に是正アオリイカの下絵。

前回の下絵よりもリアルになったと思うのね・・・これでシーバスのタッチになったのね。


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