潮風にサクとアキとが体を揺らせ
世界に愛を叫んだロケ地
高松に行くならと、インターネットで下調べ。高知・愛媛もいいけれど、近場での観光をチョイスしました。
2日目。屋島・庵治方面へ。
屋島は、源平合戦で有名な史跡です。壇ノ浦には、行く機会はあるのですが、屋島は初めてです。
『一ノ谷で敗れた平家は四国の屋島に逃げました。義経は単独で150騎の兵を率いて暴風雨の中、普通3日はかかる行程を6時間で阿波の勝浦に渡りました。義経はわざと5~6騎ずつの群で出現させたので、平家方は大軍勢と錯覚しました。
慌てて船に乗り込み沖めがけて逃げ出しました。義経が法皇の院宣を受けて平家討伐に来たと名乗りを上げると海と陸との戦闘が始まりました。この戦いで佐藤三郎兵衛嗣信は、義経の矢面に立ちその盾となって倒れました。
死の間際、嗣信は「奥州の佐藤三郎兵衛嗣信という者が、屋島の磯で主君の身代わりになって討たれたと末代まで語られてこそ武士の名誉」と義経に語り、死にました。義経ははらはらと落涙し、手厚く弔わせると自分の愛馬を布施に出しました。これを見た他の家来たちは、義経のためなら命など惜しくないと感激して泣きました。
夕方、平家方から日の丸の扇を掲げた一艘の船が渚によってきました。弓で射よということだろう。乗っている女官が手招きをしました。義経は弓矢の名手・那須与一に扇を射るように命じました。「南無八幡大菩薩、願わくばあの扇を射させよ」。与一は見事大役を果たしました。
義経は戦闘中うっかり弓を落とし、それを必死で拾おうと味方をハラハラさせました。理由は、源氏の大将の弓矢がこの程度の弓矢かと笑われたくなかったからです。チビで力の弱いことを隠そうと必死だったようです。ともあれ義経あってこそのこの合戦、梶原景時が主力の大船団とともに屋島に着いたときには、平家は逃げ去った後でした。』
そんな場所が屋島です。屋島の山頂から、「船隠し」「安徳天皇社」などの方角を見ると、何かわくわくするような感じがしました。兵どもが夢の跡です。
そして、それから、庵治へ。時代は現代へ。「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地で、また庵治は、庵治石で有名と掲載されていました。
庵治の中で車を走らせると、映画の中で、「○○した場所」「××した場所」など看板が目につきました。2004年の映画なので、時が過ぎています。観光客はほとんどいなかったのですが、きっと映画公開中はすごい人がここを訪れたのだろうと思います。
サクとアキが乗ったバイクが観光交流館に展示されていました。
ロケセット、「雨平写真館」も復元されています。中は、喫茶店となっています。アキとサクが夕日を眺めながら語り合うシーンなどで登場した王の下沖防波堤にも足を運びました。
サクとアキの気分で防波堤に立つ?兄、姉夫婦です。
かつてブームをよんだ映画でしたが、ストーリーをみんなで思い出しながら、楽しく会話をしながら、風景を見ていました。
月日がたち、残部が少なくなっている「世界の中心で、愛をさけぶ」の絵はがきセットを記念に購入しました。
兄・姉のおかげで、四国・高松が満喫できた時間でした。もちろん朝・昼・晩とうどんの美味も堪能できました。
世界に愛を叫んだロケ地
高松に行くならと、インターネットで下調べ。高知・愛媛もいいけれど、近場での観光をチョイスしました。
2日目。屋島・庵治方面へ。
屋島は、源平合戦で有名な史跡です。壇ノ浦には、行く機会はあるのですが、屋島は初めてです。
『一ノ谷で敗れた平家は四国の屋島に逃げました。義経は単独で150騎の兵を率いて暴風雨の中、普通3日はかかる行程を6時間で阿波の勝浦に渡りました。義経はわざと5~6騎ずつの群で出現させたので、平家方は大軍勢と錯覚しました。
慌てて船に乗り込み沖めがけて逃げ出しました。義経が法皇の院宣を受けて平家討伐に来たと名乗りを上げると海と陸との戦闘が始まりました。この戦いで佐藤三郎兵衛嗣信は、義経の矢面に立ちその盾となって倒れました。
死の間際、嗣信は「奥州の佐藤三郎兵衛嗣信という者が、屋島の磯で主君の身代わりになって討たれたと末代まで語られてこそ武士の名誉」と義経に語り、死にました。義経ははらはらと落涙し、手厚く弔わせると自分の愛馬を布施に出しました。これを見た他の家来たちは、義経のためなら命など惜しくないと感激して泣きました。
夕方、平家方から日の丸の扇を掲げた一艘の船が渚によってきました。弓で射よということだろう。乗っている女官が手招きをしました。義経は弓矢の名手・那須与一に扇を射るように命じました。「南無八幡大菩薩、願わくばあの扇を射させよ」。与一は見事大役を果たしました。
義経は戦闘中うっかり弓を落とし、それを必死で拾おうと味方をハラハラさせました。理由は、源氏の大将の弓矢がこの程度の弓矢かと笑われたくなかったからです。チビで力の弱いことを隠そうと必死だったようです。ともあれ義経あってこそのこの合戦、梶原景時が主力の大船団とともに屋島に着いたときには、平家は逃げ去った後でした。』
そんな場所が屋島です。屋島の山頂から、「船隠し」「安徳天皇社」などの方角を見ると、何かわくわくするような感じがしました。兵どもが夢の跡です。
そして、それから、庵治へ。時代は現代へ。「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地で、また庵治は、庵治石で有名と掲載されていました。
庵治の中で車を走らせると、映画の中で、「○○した場所」「××した場所」など看板が目につきました。2004年の映画なので、時が過ぎています。観光客はほとんどいなかったのですが、きっと映画公開中はすごい人がここを訪れたのだろうと思います。
サクとアキが乗ったバイクが観光交流館に展示されていました。
ロケセット、「雨平写真館」も復元されています。中は、喫茶店となっています。アキとサクが夕日を眺めながら語り合うシーンなどで登場した王の下沖防波堤にも足を運びました。
サクとアキの気分で防波堤に立つ?兄、姉夫婦です。
かつてブームをよんだ映画でしたが、ストーリーをみんなで思い出しながら、楽しく会話をしながら、風景を見ていました。
月日がたち、残部が少なくなっている「世界の中心で、愛をさけぶ」の絵はがきセットを記念に購入しました。
兄・姉のおかげで、四国・高松が満喫できた時間でした。もちろん朝・昼・晩とうどんの美味も堪能できました。