本当に待ち望んでいた青空が広がる一日でした。梅雨の季節の合間の青空です。雲一つないとまではいきませんでしたが、待ち望んでいた青空が見ることができました。
今日は、「檜原山の歴史と自然を守る会総会・記念講演」があり、檜原山の正平寺まで行きました。檜原山は、津民から上っていきます。檜原山は、標高734、9Mあります。
正平寺は、登山口になっています。しかし、それでも600Mくらいの高さにあります。
勤務する学校には、ここから通学してきている生徒もいます。かつては、「檜原山キャンプ場」として、夏になると、キャンプに行っていました。

私自身が小学校6年生の時に、小学校から歩いて、夏に福土経由で檜原山キャンプ場に行った思い出があります。池のほとりでキャンプをしました。
池で魚を釣ったり、鬼笛を取ったりしながら、楽しみました。それ以来、上ったことがありませんでしたが、勤務が現在の学校になってから、
「五穀豊穣を祈願する神仏習合の特異な祭りで、700年の伝統を誇る桧原マツ」に行くようになりました。
楽しいお祭りです。
「講堂での法要の後、ホラ貝の響きを合図に「お上り」が始まり、薙刀をもった白装束の僧兵を先頭に、三基の神輿が下宮から200M離れた本堂へ駆け上がります。その後、境内では、「御田植式」が始まります。稲作の一連の所作が、古式にのっとりユーモアたっぷり演じられ、観客との掛け合いもたのしみの一つです。」
4月の第2日曜日に行われます。ぜひぜひ一度行ってみてください。

檜原山は、このように記されています。
「中世から近世にかけて山伏の一大巣窟として栄え、その中心が現在、8合目にある檜原山正平寺であった。この寺は、崇竣天皇御即位元年(西暦587年)釈正覚上人が初め犬ヶ岳に長福寺を創立し、その後寺を当山に移し一寺を建立したのが当寺の開創である。
天平勝宝四年(752年)勅願所と定められ、以来山を「桧原山」、寺を「正平寺」と称するようになった。
安和2年(969年)大講堂が建立され、以来、国府の所管するところとなり、鎮護国家の祈願道場として豊前山岳仏教の修験霊場として英彦山・求菩提山と共に隆盛をきわめた。
英彦山六峰の一つである。大字中畑、福土の二村が寺領であったが、黒田氏中津城主の時(1587年)米百石を附して没収された。
細川、小笠原氏を経て、奥平氏に至り、山上における全ての堂宇の営繕を負担され、奥平富之進昌高氏は天明七年(1787年)上宮本堂を建立された。」

そんな歴史と自然を大切にしていこうと「檜原山の歴史と自然を守る会」が昨年度、発足されました。
総会のあと、記念講演です。「豊国の神々の風景」というテーマで、博物館の方の話がありました。豊前国の修験山などを紹介しながら、檜原山の歴史を話されていきました。

30名近くの方が来られて、会話も弾みました。正平寺までの道から見える自然の景色もとても綺麗でした。
今日は、「檜原山の歴史と自然を守る会総会・記念講演」があり、檜原山の正平寺まで行きました。檜原山は、津民から上っていきます。檜原山は、標高734、9Mあります。
正平寺は、登山口になっています。しかし、それでも600Mくらいの高さにあります。
勤務する学校には、ここから通学してきている生徒もいます。かつては、「檜原山キャンプ場」として、夏になると、キャンプに行っていました。

私自身が小学校6年生の時に、小学校から歩いて、夏に福土経由で檜原山キャンプ場に行った思い出があります。池のほとりでキャンプをしました。
池で魚を釣ったり、鬼笛を取ったりしながら、楽しみました。それ以来、上ったことがありませんでしたが、勤務が現在の学校になってから、
「五穀豊穣を祈願する神仏習合の特異な祭りで、700年の伝統を誇る桧原マツ」に行くようになりました。
楽しいお祭りです。
「講堂での法要の後、ホラ貝の響きを合図に「お上り」が始まり、薙刀をもった白装束の僧兵を先頭に、三基の神輿が下宮から200M離れた本堂へ駆け上がります。その後、境内では、「御田植式」が始まります。稲作の一連の所作が、古式にのっとりユーモアたっぷり演じられ、観客との掛け合いもたのしみの一つです。」
4月の第2日曜日に行われます。ぜひぜひ一度行ってみてください。

檜原山は、このように記されています。
「中世から近世にかけて山伏の一大巣窟として栄え、その中心が現在、8合目にある檜原山正平寺であった。この寺は、崇竣天皇御即位元年(西暦587年)釈正覚上人が初め犬ヶ岳に長福寺を創立し、その後寺を当山に移し一寺を建立したのが当寺の開創である。
天平勝宝四年(752年)勅願所と定められ、以来山を「桧原山」、寺を「正平寺」と称するようになった。
安和2年(969年)大講堂が建立され、以来、国府の所管するところとなり、鎮護国家の祈願道場として豊前山岳仏教の修験霊場として英彦山・求菩提山と共に隆盛をきわめた。
英彦山六峰の一つである。大字中畑、福土の二村が寺領であったが、黒田氏中津城主の時(1587年)米百石を附して没収された。
細川、小笠原氏を経て、奥平氏に至り、山上における全ての堂宇の営繕を負担され、奥平富之進昌高氏は天明七年(1787年)上宮本堂を建立された。」

そんな歴史と自然を大切にしていこうと「檜原山の歴史と自然を守る会」が昨年度、発足されました。
総会のあと、記念講演です。「豊国の神々の風景」というテーマで、博物館の方の話がありました。豊前国の修験山などを紹介しながら、檜原山の歴史を話されていきました。

30名近くの方が来られて、会話も弾みました。正平寺までの道から見える自然の景色もとても綺麗でした。