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高校時代・・・下宿

2011年02月08日 | Weblog
中学受験の様子を書きました。そして、それから高校進学へ。その当時、耶馬溪の中学校からの中津市への進学者のうちの半分くらいが寮や下宿に入っていました



 高校へと進学が決まりました。高校へは姉たちも寮生活でした。寮・・・このことについては、またこの次、話しますね。



 それで、友だちと一緒の下宿に入りました。下宿は、金谷というところにありました。その下宿に入るためになんと面接もありました。


 おじさんとおばさんが経営をしていました。伝統ある?下宿でした。というのは、現在、日本文理大学にある「キャラハン邸」という家を下宿にしていました。下の写真は、文理大学に移転してからのものです。


 当時はそんな歴史のある建物だとは思っていなかったのですが、インターネットによると、


「大分・熊本・宮崎・鹿児島. 布教の為に来日した米人宣教師、W・J・キャラハンにより中津市に建てられたアメリカ式住宅。
キャラハンの指導により日本人大工が建てたものと伝わります。 正確な建築年代は不明です。」
と表現されています。下の写真は、当時のものです。自分たち学生は、2階に住んでいました。


 朽ちてきてどのように保存するか話題になった建築物です。そして、日本文理大に移転されました。移転される前は、その建物は、下宿だったのです。


 青春時代の思い出の下宿生活です。男子ばかりの下宿。進学を目指している人たちが入っていました。だから、意外と規則や学習に対して厳しかったです。それでも目を盗んでは、高校時代を楽しみました。


 教員になっている人も多く、今でもそこで一緒に生活したということで、つきあいも深いです。



 下宿は、縦社会が強いところでした。先輩には絶対服従。



 先輩に「○○くん。」なんて言おうものなら、「先輩に【くん】とかいうのか。【さん】だろう」と厳しくしかられます。でもそんな縦の生活が今では、生かされているような気がします。




 おじさんとおばさんの二人によって、経営をしていました。おばさんが10人を超える食料を買いに行っていました。食材はすごい量でした。食べ盛りですから、作る方も大変です。厳しいおじさんと優しいおばさんで、バランスの取れた夫妻でした。



 キャラハン邸での生活を何人かに分けて紹介をしますね。

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