かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

白石康二郎さんの講演を聴いて

2009年02月08日 | Weblog
 知り合いの方の薦めがあって、パトリア日田での白石康二郎さんの講演会に行きました。どういう方か詳しくはわかりませんでしたが、あの広いパトリア日田に空席がないほど超満員でした。さわやかな白石さんの講演は夢や視野を広げる大切を感じさせてくれました。

 白石さんは、横浜国大付属の中学校から神奈川県の三崎水産高校に進学をしました。ヨットレースをサポートしながら、修行を積み、数々のレースに出場しています。2006年に行われた「5 OCEANSの日本人初のクラスIに参戦し、悪戦苦闘の末、2位になっています。「5 OCEANS」とは、レース規定に基づくヨットを操縦し、大会実行委員会が決定した何ヶ所かの寄港地に寄り、再びスタート地点に戻るという単独世界1周ヨットレースです。

 中学生の頃、鎌倉の海を見ながら、水平線の向こうに行ってみたいという思いから、高校を出てからヨットに魅せられます。国立の中学校から水産高校に進学すること、水産高校を卒業後、就職をせずに、史上初の世界一周単独ヨットレース「アラウンドアローン」で優勝をした多田雄幸さんを電話帳を頼りにたずね、弟子になります。

 いろんな出来事が破天荒に見えますが、夢を心に秘め、まっすぐに突き進んでいます。その結果、26歳の時、ヨットで単独無寄港世界一周の最年少記録を打ち立てました。出航にたどり着くまでの人生、実際に出航をし世界一周を成し遂げるまでの心のあり方など、エネルギッシュに話をしてくれました。また白石康次郎という人物を作り上げた両親への話は、今の親のあり方も訴えてくれます。

 特に白石さんのお父さんは、現代の失いかけている心を教えてくれます。白石さんの講演からは、元気・勇気などをもらいました。またヨットレースなどのDVDを見せられ、夢を持つ大切さを感じました。夢は、周りにあるのではなく、心に秘めたところにあるという言葉は印象的でした。

 心に気持ちのいいさわやかな風が吹いたような時間でした。写真は、ウィンドウズのマイピクチャーからです。

二人芝居の観劇をしました

2009年02月08日 | Weblog
 中津文化会館で作家松下竜一さんの生涯を描いた二人芝居「かもめ来るころ~松下竜一と洋子」の中津公演がありました。二人芝居の公演の千秋楽でした。立ち見がでるほど満員でした。

 松下さんは、生まれながらに肺が弱かったのですが、家業の豆腐屋をついで、そのあと作家としてまた市民運動のリーダーとして、常に弱者の立場に立った生き方をしてきました。松下さんの話を始めて聞いたのは高校時代でした。高校の先輩ということで理科室に松下さんを招きました。そこで討論会がありました。

 松下さんは「豆腐屋の四季」で作家デビューしました。ベストセラーとなりドラマ化されました。松下さん役の緒形拳さんが主役で川口晶さんが松下さん連れ合いの洋子さん役でした。豆腐屋を営む夫婦の愛情などが描かれています。中津で何度かロケがありました。優しさとは・・・を感じさせる作品です。

 一方、周防灘開発、特に豊前火力発電所の反対運動をおこしました。学生時代、松下さんの運動を新聞やテレビで見てきました。環境権というものを社会に初めて訴えた闘争だったと思います。前面で松下さんの運動に協力しなくとも、心の中では松下さんの活動に支援していた人も数多くいたと思います。自分もその一人であったのかもしれません。

 学生時代に「豆腐屋の四季」を読みました。その中での優しさ、過酷で厳しくもあった豊前火力発電所反対運動の先にある優しさ。「鳥も草も祖先と共存してきました。私たちも後世に引き渡さなければなりません。」というのが松下さんの考え方でした。「優しさ」を守るために戦ってきました。その活動を俳優の高橋長英さんと斉藤とも子さんが演じました。観衆に多くの感動を与えてくれました。


 松下さん夫妻が、ラストシーンでカモメに餌をやるシーンが感動の集約でした。利権で必要とされていない多くの建物が作られ、また造成のために自然を破壊している様子をよく見ることがあります。松下さんは、その理不尽な社会の部分を訴えてきました。純粋な心からであったと思います。そして、生涯を閉じました。松下さんが私たちに「今、何が大切か」というものを教えてくれました。松下さんが残した功績は大きいと思います。

 舞台に心が奪われた時間でした。

A先生との再会

2009年02月06日 | Weblog
昨年度まで五馬中学校でALTをしていたA先生が日田に遊びに来ていました。A先生は、イギリス出身です。昨日、英語の先生に今のALTの先生を通じて連絡がありました。早速、先生がA先生に連絡をとりました。すると、今日五馬中学校に遊びに来るということになりました。突然ですが、うれしい訪問です。 

 A先生は、五馬中学校を離任してから、シリアにボランティアとして行っていました。すでに20カ国以上でボランティアをしている活動的なA先生です。

 今日は、1年生~3年生までの英語の授業に加わりました。そして、シリアでのボランティアについて生徒に語ってくれました。時には、英語の先生の通訳もありましたが、熱く語るA先生の様子から、ほぼ内容を理解することができました。これが生きた英語かもしれません。生徒も同じことを感じていました。写真を使いながら、生徒たちが体験をしたことのない社会や活動の話をしてくれました。


 シリアは、イラクに隣接をしています。紛争で一時は不安定な時期もありましたが、今は落ち着きを取り戻しているそうです。A先生は、両親がいない孤児の教育に携わっていました。またシリアの子どもたちに英語を教えたり、本の読み聞かせをしたりもしていました。A先生の話一つひとつを興味深く聞かせてもらいました。イスラム文化なので、またA先生のイギリスや日本とは異質です。そのことにについてもふれていました。 


 目を輝かせながらA先生は話を進めていきました。あっという間に時間が過ぎていきました。生徒にとっては、思いがけない貴重な時間でした。しばらくは、イギリスに滞在するそうですが、A先生の活動はまだまだ続くようです。生徒たちも積極的にA先生に質問をしていました。

 世界をかけめぐるA先生の活躍がうらやましく感じられました。いつもわかりやすく授業を展開する英語の先生の授業にさらに今日は、強力な応援者がやってきました。

来年こそは願い事を

2009年02月05日 | Weblog
節分の日。いろんな思い出があります。

先日、以前勤めていた小学校の先輩の先生にお会いしました。その時に、

「かったかさんは、子どもが小さい頃、鬼になっていたんだよね。」

と話をしてくれました。覚えていてくれていたのです。

というのは、節分の日の朝、倉庫に鬼の衣装を隠しておきます。学校から帰ると、家に寄らず、倉庫で鬼に変装をするのです。家族がいるところにいきなり入っていきます。もちろん子ども以外の家族には、打ち合わせをしておきます。「おにがきたぞお~~~。」と子どもに襲いかかります。子どもはびっくりです。

 突然の鬼の襲来に泣き叫びます。特に下の子どもは、おじいちゃんに抱きしめられながら、泣いています。おじいちゃん・おばあちゃん、お母さんが、「鬼に豆を投げろ。」と豆を投げつけます。「いたい、いたい。」と言いながら、鬼は逃げ帰ります。

 う~~ん、それから、30分くらいして「ただいま。」と何気なく帰ります。「お父さん、大変。鬼が来たんです。」と子どもたちの前で、お母さんが叫びます。子どもたちは、まだ目に涙をためています。節分の日の家庭の恒例行事でした。それを子どもが作文コンクールに出しました。なんと入選をしたのです。審査をした先輩の先生は、その作文を覚えていてくれたのです。


 今では、子どもたちも大人になって、そのことはいい思い出になっています。

 ところで最近、節分の日に恵方巻きというものが流行しています。今年まで知りませんでした。日田のローソンに勤務している人から、巻きずしを買って欲しいと言われていたので、買いに行きました。

 なんで巻きずしを節分の日にと思ったけれど、おなかが減っていたのでローソンの帰りに一本食べました。3本入りでした。さすが、2本は食べれないと思ったので、行きつけの食堂のおばちゃんにあげました。

 「これ、恵方巻きっていうんよ。」といろいろ教えていただきました。節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言もしゃべらずに願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじりをするならわしになっているそうです。今年は東北東だそうです。

 1973年から次第に大阪から全国に広がっていったそうです。確かに車の中で無言で食べた・・・東北東・・・偶然にもその方向に車は走っていたかも知れない・・・願い事?・・・してないなあ。おなかが減っていたから・・・目を閉じて・・・閉じたら事故をおこす。ばっちり空いていた・・・・丸かじり・・・しっかり!食べたけれど、願い事は叶わずといったところでしょう。理解できた。

 来年は、今年の分まで願い事をするぞ。

出会いの中で

2009年02月04日 | Weblog
今は、できるだけ本を読むことを心がけています。ストーリーのあるものは、どうしてもドラマを見てしまいます。読むときは、いろんな人の考え方が書かれている本です。それもより読みやすいものです。こんなことを書いているエッセイがありました。

 鎌倉時代の大佛師である運慶の流れを汲む「慶流」の継承者の松本明慶さん。運慶は、快慶とともに東大寺南大門の金剛力士像を制作しています。大佛師とは佛師の最高位にあたるそうです。その松本さんが、こんなことをエッセイの中につづっています。

「わたしは、師匠に出会ったことはとても幸運なことでした。一年半の修行の中で、わたしは一生分のことを学びました。また師匠と引き合わせて下さった人々やわたしの佛像を求めて下さる人々、様々な人によってわたしは支えられているのだと痛感しました。人は人しか育たない。そして人とのつきあいは長さではなく、深さにある。一度きりの出会いが、ときには何十年間のつきあいより深いこともあるんです。一期一会という言葉を今かみしめています。」

 確かに、先生として考える中で、かったかくんもポイントポイントでいろんな方と出会って学ばせてもらいました。読みながら、自分の歩んできた道を思い出していました。そのことを自分の中に取り入れながら、ゼロの自分から成長させていただきました。

 中には、そのときはそんなことまでしなくても・・・というような感覚のときもありました。それは、そのときしか見ていない自分のわがままな勝手な解釈でしかし、今になると、そのときしたことが大きなエネルギーになっていることもとっても多いです。いろんな方と関わらせてもらう中で、ヒントやスキルを身につけさせてもらいました。感謝することだらけです。これからも多くのことを学んでいきたいと思います。

 本を読む中で、人について考えることができました。

年度末・学年末になりました

2009年02月03日 | Weblog
 学校にいると、最近年度末になったことを感じることが多いです。時間の経つのが早く、もう2月になりました。

 【私立入試】
 今、私立入試のまっただ中です。明日は、日田地区の私立入試です。昭和学園高校後期入試、藤陰高校の一般入試です。生徒たちは、授業をしていると、「だめかもしれないなあ。」

 なんて、ちょっとだけ不安そうにしている生徒もいました。「大丈夫。今まで頑張ってきたんだから。」と声をかけましたが、明日生まれて初めて受験する生徒がほとんどです。放課後なども3年部の先生の企画のもとに5時過ぎまで学習を積んできました。3年生も真剣です。力をつけてきています。今までに、私立前期入試、高専推薦入試と行われました。
 
すでに進学を決定している生徒もいます。3年生の先生たちもこの受験のために取り組みをしてきました。また県立高校の出願手続きをしています。生徒たちの目に見えないところで、3年生の先生たちを中心に入試のために頑張っています。

 明日は、ほとんどの生徒が受験です。五馬中学校生徒受験要項が机の上に配られ、説明がありました。受験しない生徒は、自宅学習となります。いい結果を3年生には出して欲しいと思います。そして、入試も県立推薦、県立一次入試とあります。みんなが合格の花を咲かせることを願っています。   
 

【卒業式】
 卒業式の話し合いも先生方、生徒会と何度も行われています。今日も生徒会中央委員会が持たれました。3年生にいい思い出を創ってもらおうとみんなしっかりと取り組みをしています。
 
 日田市内のほとんどの学校は前日に、「3年生を送る会」が行われます。これには、世話になった離任した先生方からもビデオレターが届けられます。中にはかなりこったビデオレターもあります。卒業式と感動の二日間となります。卒業式は一つの節目にしかないのですが、でもその節目節目を大切に考えることは大切なことだと思います。そして、次のステップへとつなげていってもらいたいです。


 今年度も残りわずかとなっています。

ようこそ!ピロリ君

2009年02月02日 | Weblog
先日、検診に行きました。その検診当日で分かる範囲のことは、検診センターの先生が検査結果を見ながら説明をしてくれました。とりあえず、今のところは、健康ということで意気揚々と帰りました。ところが・・・数日して封筒が届きました。検診センターからです。なんと、要検査付きの封筒が入っていました。何だろう・・・と思い、診断を見ると、「ピロリ菌が多い。」というものでした。

 ピロリ菌って何?初めての検査でした。早速インターネットで調べてみました。日本人の2人に1人が持っている胃の細菌ということです。これを放置すると、胃の病気になりやすいという統計があります。だから、除菌をする必要があるということです。同じ職場の人の中でも除菌をした人がいるので、ありがたく?!アドバイスをいただきました。インターネットによると、梅エキスがいいとかプロビオヨーグルトがいいとかいろいろ書いていました。なるほど・・・。

 ということで、いつまでも要検査の封筒を持っていてもなんなので、何時間か休みをとって病院に行きました。「胃などに問題がないかどうか検査をしましょう。」とエコーと胃カメラをとりました。エコーは快調に消化をしました。しかし、胃カメラは予想をしていなかったので、気合でチャレンジをしました。

 「胃カメラの後は、しばらく寝てしまうことになります。」半分は麻酔が効いているのですが、ゲボゲボいいながらカメラを入れていきました。痛いのか、気持ちが悪いのか。なんとかカメラが胃の中に入っていきました。検査のすべてに意識はあったのですが、検査が終わりベッドに横になっていたら、先生の言うとおりいつの間にか寝入っていました。

 「よく寝ていましたね。」むむ・・。ということは、いびきでもかいていたのか。エコーも胃カメラも異常はありませんでした。よかった。助かった。それから、ピロリ菌検査となりました。呼気試験でした。2回袋みたいなものに時間をあけて吹き込みました。ただそれだけ。でも「ピロリ菌が陽性です。」あらら・・・。ということで、薬で除菌ということになりました。一週間朝晩薬を飲みます。それから一ヵ月後再度ありがたい呼気検査です。


 学校に戻ると、その検査の様子を話しました。ある先生が、「時には、車検をしなくてはね。ボンネットを開けたとき、中がぼろぼろになってはね。」うまい表現。

 健康第一。とりあえず、一週間除菌に挑戦です。

至福のひととき

2009年02月01日 | Weblog
 今日は、本耶馬溪の小学校の5年生のときに担任をしたKくんの結婚式がありました。この結婚式には、いろんな思いがありました。Kくんの式の中での幸せそうな顔を見て感慨深いものがありました。Kくんの友だちもたくさん参加してすばらしい結婚式・披露宴となりました。

 Kくんは3人姉弟の2番目です。お姉ちゃんと弟がいます。お母さんが病気であったために、式は延びました。その間、お母さんがなくなられました。祝辞の中でも言いましたが、本当に優しく子どものことを真剣に考えて応援をしていたお母さんでした。Kくんの晴れの姿をどのくらい望んだことでしょう。

 しかし、その願いはかなうことなく旅立たれました。今日の式の最後に、花嫁になられたMさんが、手紙を読む中でお母さんのことにもふれました。花束贈呈のときです。両家の方が並んでいるときに、お父さんと弟のけいくんが立ちました。弟のけいくんお母さんの写真を持って立っていました。すごく胸が熱くなるものがありました。けいくんの目は潤んでいました。その気持ちはじゅうぶん分かります。

 新郎のKくんと新婦のMさんがやってきました。そのそのときです。けいくんがそっと兄のKくんにお母さんの写真を渡しました。そのけいくんとKくんのお母さんに対する思いを感じ取ることができました。ビデオをとるお姉さん。涙をぬぐいながらの撮影でした。

 お父さんも、「どれくらい結婚式を待ち望んだでしょう。しかし、今日は、千の風になって見守ってくれているでしょう。」という話がありました。最後に出席者の名簿が映像で流れました。その中にお母さんの名前がありました。写真を撮りながら涙が出ました。


 Mさんも本当に優しい人柄なのでしょう。祝辞やともだちからのスピーチを聞くといろんなところにそれを感じることができました。また手紙を読むときなどに感じる情感が多くの参加者の涙を誘いました。素敵な新郎新婦でした。感動・感激の時間をいっぱいにもらった時間を過ごすことができました。

 100人を超える参加者でした。しかし、会場が騒がしくなることがなく、落ち着いたそして、和やかな雰囲気の中で式が行われました。

 ところで今日の結婚式では、思いがけない人にもたくさん会いました。本耶馬溪町時代プレイを一緒にしてきて、本耶馬溪中学校時代野球部の保護者会などの世話をしてくれたご夫婦が一緒に来ていました。新婦側の親戚ということでした。縁が縁をよびます。司会者は、豊田小学校時代の教えた生徒でした。

 
 中学校に入学しても学年のみんなで日曜日に家に夜勉強をするために来ていました。また勉強のあとに花火などをして楽しみました。時として福岡ドームやスキーに行ったり、家族のように付き合ってきました。時に兄?で父で先生で。いろんな思い出がよみがえってきます。同級生は、すばらしいDVDを作成して披露。受付を、スピーチを・・・。二人の門出を祝福しました。

 Kくんの同級生にもたくさん会えて楽しく懐かしい時間を、先週の修学旅行に続いて持つことができ、至福のひとときでした。

14日はどんど焼き

2009年02月01日 | Weblog
「どんど焼きはじゅうよっか・・・・♪」

という歌がありますが、14日は地区のどんど焼きが行われます。小学校の頃は、6年生に連れられて竹を切りに川べりまで行っていました。かまを持って、放課後数回行きました。大人は、ほとんど竹をきることはありませんでした。竹を切るのは、子どもの役目だったのです。

 竹を切ったあとの地面に竹がとがって残っています。それが何度ともなく足に突き刺さります。痛い思いも懐かしく感じます。今だったら考えられないけれど、そんな時代でした。竹を組むのは、子どもたちと大人の方です。そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼きます。その火で焼いたおもちを食べるとその年の病を除くと言われています。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われています。

 ひとつの行事ですが、いろんな意味があります。一時は、どんど焼きも下火になりました。しかし十数年前からあの頃の子どもたちが、大人になったときに、きっと懐かしい思いがあるからでしょう。再び復活をしてきました。

 いろんな地区で1月14日または、2月14日ころになると、川岸に竹が組まれています。夕方になると、ものすごい煙をあげて燃えていきます。

 先日、地区の話し合いをしているときに、煙が立ちのぼりました。お年寄りの方が、火事かと思い心配して帰っていきました。昨日は、地区のどんど焼きの話し合いが公民館で行われました。このような行事があるから地区の人とコミュニケーションが図れます。竹を切る場所、どんど焼きのときに作る団子汁などの材料の調達方法などを決めていきました。回を重ねているので要領も抜群です。伝統は保たれています。

 かったかくんもできるところまでは、がんばりたいと思います。そして、地区の人口が減る中でむずかしいところもありますが、次の世代までつなげていきたいと思います。