和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

四国への旅  Ⅱ 足摺岬 ジョン万次郎 四万十川沈下橋

2019-02-06 07:51:56 | 日記

日本人初の国際人 ジョン万次郎

足摺岬灯台 

椿の遊歩道を雨の中歩く





金剛福寺 本堂





高瀬の沈下橋 台風が来るとこの道路は沈んで対岸の家は孤立する

旅の二日目は足摺岬展望台からまず太平洋を眺めると270度の視界が広がって地球の丸さを実感しました。ここには日本人初の国際人ジョン万次郎(中浜万次郎)の銅像が立っていました。
1827年土佐清水中浜から漁に出ていた舟が嵐に遭遇し数日間の漂流。、南鳥島の無人島に漂着した5人の青年は海で魚を取り雨水をためて生き延び143日後に通りかかったアメリカの捕鯨船に助けられました。救助されたものの日本は鎖国の時代でしたから無事に帰国できる保証はなく4人はハワイで降りましたが14歳の万次郎はアメリカ行きを希望しました。
アメリカ本土に渡った万次郎は船長の計らいで学校に入れてもらい英語、数学、測量、航海術、造船技術を学び卒業後は捕鯨船に乗り数年後日本へ帰国する決意をしました。帰国資金を稼ぐために金鉱で働きその資金をもとに船を購入しハワイの漂流仲間と共に日本へ向けて出港。1851年薩摩藩の琉球に上陸し長期にわたって尋問を受けた2年後土佐へ帰国できました。土佐では翻訳や通訳や造船にと精力的に働き土佐藩の藩校の教授にもなり幕府からも必要とされました。

1860年には咸臨丸で勝海舟や福沢諭吉らと一緒に使節団の一員として乗り込み1870年には普仏戦争視察団としてヨーロッパにも派遣され大活躍しましたが帰国後体を壊し1898年に土佐清水で71歳の生涯を終えました。

今土佐清水ではNHKの大河ドラマにジョン万次郎がとり上げられるように町ぐるみ署名活動をしているそうです。
その後足摺岬の七不思議の伝説が残る場所を小雨降る中散策しました。亀呼場は弘法大師が亀の背中に乗って身体安全、海上安全の祈祷をされたそうです。 爪書き石は大師が爪で「南無阿弥陀仏」と六文字の名号を彫ったと言われています。四国88遍路の38番金剛福寺も参拝しました。
竜串見残し海岸を散策して海中公園などにも寄りながら次は四万十川にかかる高瀬の沈下橋の見学でした。その後四万十川遊覧船に乗り2か所の沈下橋を眺めながら船の中でお昼を食べました。

万次郎像見上げ来し方偲ぶ冬