川本ちょっとメモ

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ダニエル・デフォーの『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(中)

2021-01-20 16:54:41 | Weblog

 オリンピックを中止して、コロナ禍脱出に専念する政治を期待する。
 〇事業補償を中止して、コロナ廃業・失業・給与減に即時生活支援を。

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ダニエル・デフォーの『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(上) 



ペスト禍のロンドンでも今の日本以上に経済活動が止まっていました。『ロンドン・ペストの恐怖』では、疫病流行の初期のこととして、経済活動の概況を記録しています。ロンドン市が疫病(ペスト)対策の法律を施行して精力的に取り組みが始まったのが1665年6月ですから、この記録が描写しているのは7月ごろのことかと想像しています。

1665年夏、ロンドンのペスト理由失業者はおびただしく、今の日本のコロナ失業とまったく同じ状態です。

現代日本の非正規・アルバイト失業者に対して、昨年に実行された全国民一律10万円以外に何かの特別支援金措置があるのでしょうか? 356年前のロンドン失業者と大して変わらない状態で放置されているのでしょうか? 未だ東京オリンピックゲームに呆けている、事業者ばかり助けている、安倍・菅二代の「自助」政権は、国民の中の多数派である使われる人々(被用者)を「自助」を矛にして見殺しにしているのではありませんか? 

「盾にして見殺し」ではありません。「自助」を矛にして突き殺すような見殺しのやり方で、放置しているのではありませんか?



【あらゆる商売が事実上停止してしまった】
『ロンドン・ペストの恐怖』P98

 疫病流行の初期、もはや希望はなくなり、全市に蔓延するのはさけられなくなったころ、 つまり田舎に友人や地所がある市民はみな疎開してしまい、ロンドンそのものが門外へ逃げ だして、人っ子ひとり残らないのではないかと思われはじめたころから、当然のことながら、生活に直接関連する品物をべつにすれば、あらゆる商売が事実上停止してしまった。

  これは非常になまなましく、市民の窮状を伝えられる例なので、このような状況におちいったとたん、生活が苦しくなってしまった職業や階級の人々について、いくつか実例をあげることにしよう。

(一)製造業、とりわけ装飾品、実用的ではない衣服、家具などの製造にた
  ずさわっていた親方全員。

   たとえば、リボンなどの織工、金銀モール、金線・銀線などの製造
  業、お針子、婦人帽、靴、帽子、手袋などの製造業である。

   その他、椅子類張り替え業、木工、指物師、鏡の製造など、数えきれ
  ないほどの職種がここにあてはまった。このような親方衆は仕事をやめ
  て、職人や徒弟など、すべての雇い人を解雇してしまった。

(二)商売が完全にストップしてしまったので、テムズ河をさかのぼってく
  る船はそのほとんどがなくなり、また、出てゆく船はまったくなくなっ
  た。

   そのため臨時雇いの税関職員や、船員、荷馬車の御者、荷揚げ作業員
  などの、貿易商人に使われていた貧しい労働者たちは、ことごとくくび
  にされ、仕事にあぶれてしまった。

(三)家の新築や修理に従事していた雇い人は完全に失業してしまった。無
  数の家の住人があっというまにいなくなっているようなありさまでは
  だれも家を建てようなどと思わなくなった。したがって、そういったた
  ぐいのごく普通の職人は、みな仕事にあぶれた。

   たとえば、煉瓦職人、石工、大工、建具工、左官、ペンキ屋、ガラス
  屋、鍛冶屋、配管工などである。

(四)海運がとまって、以前のように船の出入りがなくなったので、船員の
  仕事はまったくなくなり、その多くはにっちもさっちもいかない苦境に
  追いこまれてしまった。

   船員のほかにも、船の建造や艤装にかかわるさまざまな商人や職人も
  窮地におちいった。たとえば船大工、コーキング工、縄職人、乾物用の
  樽職人、縫帆工、錨などの鍛冶工、さらには滑車製造工、彫刻工、鉄砲
  鍛冶、船舶雑貨商、船首彫刻工などである。

   こうした職種の親方は財産を食いつぶして暮らせたが、貿易商が例外
  なしに仕事をやめてしまったため、職人たちはひとり残らずくびを切ら
  れた。

   そのうえ、テムズ河をはしけが一隻も走っていないも同然のありさま
  だったため、大部分の船員、はしけ船頭、船大工、大工もまた仕事がな
  くなり、失業してしまった。

(五)避難した家族も、とどまった家族も、できるだけ生活費を切り詰め
  た。そのため、おびただしい数の召し使い、従僕、店員、職人、帳簿係
  などの人々、わけてもメイドが解雇された。彼らは仕事も家も失って孤
  立無援になってしまい、悲惨きわまる境遇におちいった。




【無症状で健康な保菌者から伝染が広がった】
『ロンドン・ペストの恐怖』P190

 ここでまた、感染経路について彼の世代が参考にできる見方を残しておかなければならない。それは、病人からだけではなく、健康な人からも疫病に感染するということである。

病人とはすなわち、病気であることがわかっていて、病床につき、治療を受けており、腫れものやできものができている人を意味する。これらの人々については、だれもが用心する。ベッドに横たわっているか、隠しようがない症状が現われているからである。

だが、ここでいう健康な人とは、感染して病毒が体内の血に入り込んでいるが、症状が外部に現われておらず、本人も感染に気がついていない人をいう。

多くの場合、数日間も感染に気がつかないため、このような人々は行く先々で、間近に接 したすべての人に死を吹き込む。これらの人々が着ている衣服には病毒が染み込んでおり、 とくに手が温かくて汗で湿っているときは、さわったものも汚染される。病毒に感染してい る人の手は、おおむね汗で湿っていることが多い。

いまのところ、人々が感染しているかどうか判断するのは不可能で、本人も感染しているかどうかわからない。路上に倒れて気を失うのは、おもにこういう人々だった。通りを歩き 回っているうちに突然汗をかき、気が遠くなり、通りに面した家の玄関先にすわりこみ、死んでしまう。

このような人々は自分が病気だとわかると、なんとしてでも自宅に帰ろうとした。また、家に帰り着いたとたんに死んでしまう人もいた。病気の兆候が現われるまで歩き回り、それと気づかないまま家に帰り着いて一、二時間で死ぬこともある。屋外にいる間は元気だったのだ。

人が用心しなければならないのはこのような人々だ。ところが、このような人々を見わけることはできないのである。

 ペスト襲来のときには最大限の注意を払っても病気の蔓延を防げないが、その理由はここにある。感染者とそうでない者を見わけられないのだ。感染者自身も自分がそうであるか どうか知らなかった。




【用心してもしようがない】 
『ロンドン・ペストの恐怖』P192

この話からわかるように、病気が蔓延している街をむやみに歩き回るような人は疫病の感染をまぬがれることはできないのだった。

このような人は気がつかないうちに感染し、気がつかないうちに人に感染させている。 ― 略 ― いつ、どこで、どのようにして、だれから感染したか、だれひとりわからないのだから。

 非常に多くの人々が、「空気が汚染され、病毒がまき散らされている。病毒は空中にある のだから、だれと接触しようと、しまいと、用心してもしようがない」などと口にするよう になったのは、このせいだと考える。

 ― 略 ― 感染した者は「伝染病にも感染者にも近づいたことはないのだから、空気のせいにちがいない」と、叫び続ける。

「息と一緒に死を吸い込むのだから、これは神の思し召しで、防ぐことはできない」

 こうして、ついには多くの人が危険に対して無頓着になり、病気を意に介さなくなり、 大流行に対して用心しなくなったのである。そして感染の勢いが最高潮に達すると最初に病 気にかかるのはこういう人たちだった。

 病気に感染してしまうと、東洋的な運命決定説を持ち出して、「病気にかかるのが神の思 し召しならば、外出しようが家に閉じこもつていようが、どのみち逃れることはできない」といった。

 そして人々は大胆にも感染した家に立ち寄り、感染した仲間とつき合い、病人を見舞い、 また感染している妻や家族と一緒のベッドに寝たりした。

 それがどういう結果をもたらしたか。トルコやそのほかの国と同様に、このようなことをした人々は疫病に感染し、何百人、何千人という単位で死んでいった。




【用心と理性的な行動で感染の危険が減る】 
『ロンドン・ペストの恐怖』P202

 病気が人から人へ感染するということについて正しい知識を持つようになる前、人々は帽 子をかぶった男や、首に布を巻いた男など、病気にかかっていることがはっきりわかる人に だけ用心した。帽子をかぶったり、布を巻いているのはそこが腫れているということで、そ れは見るだけで恐ろしいことだった。

 ところが、白い襟をつけ、手袋を持ち、頭には帽子をかぶり、髪にきちんと櫛を入れた紳 士にはまったく不安を感じず、とくにそれが隣人や知人だったりすると、人々はのんびりと 長い時間話をした。

  しかし、医者が、健康に見える人も病人と同じように危険であり、まったく安全だと思っていた人々が死んでしまうことが多いと断言した。またそのことが一般に知られるようにな って、人々が用心し、理性的に行動するようになったともいった。

 すると人々はだれに対しても用心深くなり、大勢の人が家に鍵をかけて閉じこもるようになった。それは外出して人と接触しないためであり、見さかいなく人と接した人が家に来たり近寄ったりしないようにするためであり、そのような人の息がかかったり、臭いを感じるほど近寄らないようにするためだった。

 面識のない人間と遠くからでも話す必要が生じたときは、感染しないように口に予防薬を 含んだり、それを衣服に振りかけたりした。

人々がこのように慎重な態度をとりはじめると、病気に感染する危険は減り、以前用心が 足りなかったときに比べ、病気に襲われなくなったことは確かである。しかるべき神のお導 きがあったとはいえ、このような方法で何千もの家族が助かったのだ。


 ◎ダニエル・デフォー著『ペスト』(中公文庫)をお勧めします。


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