川本ちょっとメモ

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ダニエル・デフォーの『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の3)

2021-01-29 20:44:39 | Weblog

 オリンピックを中止して、コロナ禍脱出に専念する政治を期待します。
 〇事業補償を中止して、コロナ理由生活難に貸付金でなく給付金支給を。


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『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の1)
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『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(下の2) 



1665年当時のロンドンには「疫病患者隔離病院」がありました。2000年前後に読み、このたび再読したダニエル・デフォーの『ロンドン・ペストの恐怖』小学館1994年初版第1刷 82ページには、隔離病院はたった1軒、とあります。

然るに同書184ページに、「ロンドンに疫病患者隔離病院はウェストミンスターとオールドストリートの先の野原の2カ所しかなかった」と書かれています。またこのカ所の訳注に、「史料ではペスト流行中に5つの隔離病院があったとされ、急遽設置された隔離病院の患者収容能力は60~90人ていどだった」と記されています。

どれが本当のことなんでしょうか。上の本書184ページの記述と訳注の記述から思うに、既設の疫病隔離病院は一つで、ほかは急ごしらえで臨時のペスト対策隔離病院だったのではないでしょうか。




【疫病患者隔離病院――重大な手抜かりだった】
『ロンドペストの恐怖』P82

  ロンドンのような大都市に、たった一軒しか疫病患者隔離病院がなかったのは、重大な手抜かりだった。

 バンヒルフィールズの先の、せいぜい2、300人ほどの患者しか収容できない疫病患者隔離病院だけではなく、ひとつのベッドにふたり寝かせたり、1部屋に2台のベッドを置いたりすることなしに1,000人の患者を収容できる隔離病院をいつか建てておくべきだった。

 
  ※この叙述は身につまされます。パンデミックという苦難のもとで生活した
   体験を持つ世代が絶えると、その後に生まれ育ち生きる子孫たちは、同様
   の「重大な手抜かり」をくり返します。私たちにはそういう宿痾がつきま      
   とっているものと見て、すべからく謙虚に向き合って生きていきたい。


 そして家のだれか、とくに奉公人が発病したら、戸主は希望に応じて(実際、ほとんどの者が希望していた)、即座にもよりの隔離病院に送らなければならず、貧しい人々が疫病で倒れた場合には、検査員が入院させてやらなければならないことにしておけばよかったのである。

 強制的にではなく本人の希望に応じて隔離病院に収容される決まりになっていて、家屋閉鎖という措置がとられていなかったなら、何万人ものおびただしい死者が出ることはなかっただろう。いまにいたるまで、わたしはそう確信しつづけている。

 というのも、わたし自身が見聞きした実例をいくつもあげることができるのだが、たとえ奉公人が感染しても、患者をよそに移したり、病人を家に残して自分たちが避難したりする暇があった家族はみな命拾いしたのに対して、家族のうちのひとりかふたりが発病したために家を閉鎖された一家は全滅してしまったからだ。

 そういう家では、やがて亡骸
なきがらを戸口まで運べる家族がいなくなり、ついにはひとり残らず死んでしまったので、運搬人がなかに入って死体をとってくるしかなくなるというありさまだった。



家庭用冷蔵庫も冷凍食品もない。保存食品は漬物やパンなどごく少ない品目しかない時代のことです。ペストは怖いけれど、市場通いから逃げては生きていけません。これと同じように、現代の主要都市では莫大な数の通勤者は、密閉密集密接三密の箱、通勤電車から逃れるわけにはまいりません。世上最大のクラスターが通勤電車であることは、きっとまちがいではないけれど‥‥。




【毎日の食料品買い出しが災難の大きな原因だ】
『ロンドペストの恐怖』P86

 もう一度いおう。家を出て食料品を買いにいかなければならないということが、ロンドン全市が見舞われた災難の大きな原因だったのだ。人々は、何度も買い物に出ているうちに、疫病に感染してしまったのだ。

  ―― 略 ――

 しかし、食料品の買いだめなど、貧乏人にできるものではなかったから、どうしても市場に買い物に行かなければならなかった。奉公人や子供に行かせるものもいた。

 しかも買い物は毎日しなければならないから、おびただしい数の健康な人々が市場に通っていた。そして市場に買い物に行くまでは健康だった大勢の者が、家に死を持ち帰っていたのだ。

 たしかに市民は、できるかぎりの予防策を講じていた。市場でひとかたまりの肉を買うときは、肉屋の手から受けとらないで、自分で肉を鈎
かぎからはずしていた。一方、肉屋のほうも。酢を満たした壺を用意しておいて、代金をそのなかへ入れさせ、自分では受けとろうとしなかった。客はどんな半端な値段でも釣り銭をもらわないですむよう、いつも小銭を用意していった。



やむを得ず買い物の使いに出歩く人たちのなかから、「なんの前触れもなしに、街路であっけなく死んでしまう」人が珍しくなくなりました。それはペストの一般的な症状によるものでした。

新型コロナで、平熱か微熱から驚くほどに急変悪化して亡くなられた方が多いことに思いが及びます。

「ペスト菌が人々の家庭に忍び込むと、16~23日後になってようやく最初の症状が出る。症状が出て3~5日後には患者は死亡する。」 National Geographic 日本語版 2020.5.24.「ペストの歴史」(  ←クリック )




【街なかであっというまに息絶えてしまう人たち】
『ロンドペストの恐怖』P88

  (※それでも人々は運を天にまかせて市場に出かけたり、取りやめることのできない所用で出歩くしかなかった。) まさに、この点に関して、数えきれないほどの悲惨な話を、毎日のように聞いたものだった。

 市場の真ん中で男や女がばったり倒れて死んでしまうこともときどきあった。ペストにかかっているのに、自分では少しも気づかないことが多かったのだ。

 そういう人々は、体内の壊疽
えそに中枢器官を冒されて、あっというまに息絶えてしまうのだった。大勢の市民が、なんの前触れもなしに、街路であっけなく死んでしまうことが、日常茶飯事になっていたのだ。

 もよりの露店や屋台店や、近くの戸口やポーチまでたどりつく者もいたが、そこで腰をおろすや、たちまちこと切れてしまうのだった。

 こうした出来事が街なかでしょっちゆう起こったので、疫病がロンドン東部で最高潮に達 したころには、街を歩けば、いくつもの死体が道端のそこここに転がっているのを、必ずといっていいほど見かけるようになった。

 人々もはじめのうちこそ行き倒れの死体に出くわすと、立ちどまって近所の者を呼びだし ていたものだったが、やがてまったく気にかけないようになった。それどころか、路上の死 体を見つけると、近寄らないように、避けて通ったものだった。もしそこが狭い路地なら、 きびすを返し、ほかの道を探して用事をすませた。

  そのような場合には、役人が気づいて片づけるまで、つまり夜になってから、死体運搬馬車に従う運搬人たちが持っていくまで、死体はそのまま放っておかれた。 
 (注) 埋葬は「夜間」と定められていました。


 
 (注) 法令により、疫病による死者の埋葬は次のように決められていました。
  ①死者の埋葬は教区役員または警吏の同意を得て、日の出前・日没後の適切な
   時刻に行う。
  ②隣人・友人であっても、教会まで死体につきそうこと、感染した家屋に立ち
   入ってはならない。違反者は家屋閉鎖または投獄の刑に処する。
  ③教会、教会墓地、埋葬地における死体埋葬の際、子供を死体、柩、墓穴に
   近づけてはならない。
  ④今回の疫病流行中は、疫病以外による葬式にあっても会葬者の惨烈を禁止す
   る。
  ⑤教会で祈禱、説教、講話が行われている最中に、教会内に埋葬またはとどめ
   置くことを禁ずる
  ⑥墓穴の深さは1・8メートル以上とする。





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