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2020-12-11
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2021-01-19
ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(上)
2021-01-20
ダニエル・デフォー『ロンドン・ペストの恐怖』をご紹介 コロナを甘く見ないために(中)
【浮かれていたロンドン】 『ロンドンペストの恐怖』P29
このペスト大流行当時の、というよりも流行しはじめたころのロンドンとその近郊の人口が、とほうもない数に達していたことを忘れてはならない。
この記録を執筆している現在(本作発表は1722年)、ロンドンの人口はますますふくれあがって、膨大な数の人々が住んでいるが、あのころの人口の激増ぶりは、それはすさまじいものだった。
戦争は終わる、軍隊は解散する、王室と王政は復活するというぐあいで、多くの人々が商売をはじめたり、報酬や立身出世を求めて宮廷に仕官したりしたため、ロンドンの人口は、一挙に10万人増えた、いや王党派が一族を引き連れて押し寄せてきたせいで倍増したといわれたものだった。
かつての兵士がみなここで商いをはじめたし、数えきれないほどの家族がここに移り住んだのだ。
宮廷は、またしてもおごりたかぶり、あさはかな風潮をもたらしていた。だれもが浮かれ、ぜいたくになっていた。こうして、王政復古の喜びが、多くの家族をロンドンに引き寄せていたのである。
(注) クロムウエルの市民革命(別名 清教徒革命)
1649年 チャールズ1世、処刑
1658年 クロムウエル死去
1660年 スコットランド軍、ロンドン入り 旧議会を復活させた
同年 議会が亡命中のチャールズ2世を国王に招く 王政復古
1665年 ロンドン、ペスト大流行 死亡週報 年間疫病死68,590人
別調査 年間疫病死10万人 デフォー推測 年間ペスト死10万人
【ロンドンから逃げ出す富裕層】 『ロンドンペストの恐怖』P21
6月第2週にはいると、あいかわらず疫病がはびこっているセント・ジャイルズ教区では、死亡者は120名にのぼった。
死亡週報によれば、ペストによるものは68名にすぎなかった。だが、この教区のいつもの埋葬数から考えて、どう少なく見積もっても100人はペストで死んだにちがいない、というのがもっぱらの噂だった。
わたしが住んでいたのは、オールドゲイトの外側で、オールドゲイト教会とホワイトチャペル開門のほぼ中間にあたり、街路の左側、つまり北側だった。
ペストはまだシティのこちら側(東部)にはおよんでいなかったので、近所の人たちもまったく心配していなかった。しかし、ロンドンの西側の住人はあわてふためいていた。裕福な人々、とくに貴族や紳士たちは、家族と使用人を引き連れ、次から次へと、あわてふためいてシティの西部から脱出していった。
そのような一行がとりわけたくさん見られたのがホワイトチャペル、つまりわたしが住んでいた大通りだった。
実際、家財道具や女や使用人や子供などを乗せた荷馬車だの、もっと上流の人々を乗せた御者つきの四頭立て馬車だので、通りが埋めつくされるほどだった。どの一行も大急ぎで市外をめざしていた。また残った人々を迎えにいくために、田舎から送られてきたか、折り返し戻ってきたにちがいない空の荷馬車や馬車、それに使用人が引く空の乗馬も見られた。このほか、おびただしい数の馬に乗った人々も混じっていた。
ひとりきりの人も、従者を連れている人もいたが、ほとんどは馬に荷物をのせており、 ひとめでそれとわかる旅支度をしていた。こういった市民の動揺は数週間つづいた。
【住人の避難つづく】 『ロンドンペストの恐怖』P29
そして、ついにシティにもペストが広がりはじめた。もっともおびただしい数の市民が疎開したあとなので、人口は激減していたし、7月中も、以前ほどの数ではないにしても、住人の避難はつづいていた。8月に入っても疎開者はあとを絶たなかった。
(注) シティ‥‥別称「城内」。ロンドン130教区のうち、旧市街地97教区を指す。
市民が続々とロンドンをあとにしている一方で、宮廷も早々に6月にはロンドンを出て、オックスフォードに移ることになった。神の思し召しで、宮廷人たちは無事だった。
ロンドンは唖然とするほど変貌してしまった。建物という建物も、城内も、特別行政区 も、郊外も、ウエストミンスター地区もサザーク地区も、すべてが一変してしまったのだ。 シティと呼ばれる特別な地域、つまり城内は、まだそれほど汚染されていなかった。しかし 全体として、ロンドンの様子はすっかり変わってしまっていた。
どの顔を見ても、悲しげで憂鬱そうだった。そしてまだ壊滅的な打撃を受けていないと ころもあったのだが、だれもが不安でたまらないという表情をしていた。市民は自分や家族 に危険がひしひしと迫っていると感じていたのだ。
―― 略 ――
死を悼む声は街々に響いていた。道を歩いていると、最愛の家族が息をひきとろうとしているか、ひきとつたばかりなのだろう、家の窓や戸口から、女性や子供の悲鳴が聞こえてくることもしばしばあった。どんなに情がない人間でも、それを聞けば胸がはりさけそうになる声だった。流行の初期には、涙と悲嘆は死者が出たどの家でも見られた。
ところが、あとになると、あまりにも目の前で人がばたばた死にすぎたせいで、市民の感 情はすっかり麻痺し、近親を失ってもたいして悲しまなくなってしまった。次に召されるの は自分だなと思うだけになっていたのだ。