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選択的夫婦別姓について

2015-12-19 | 断想

選択的夫婦別姓の法案が、またしても流れた。私としては、大変残念である。私は夫の姓をもう長い間使っているけど、もし旧姓に戻ったら、頭の上が軽くなるような解放感を味わうと思う。私は私、と自信が持てる気がする。

結婚したら夫の姓を名乗るって、新しい民法になってもう70年近くなるのに、まだまだ旧民法の、家制度の名残を引きずってると思う。

私は今さら面倒なので今の姓で我慢するけど、選択的夫婦別姓を希望する人たちが一億総別姓を主張しているんじゃないんだから、したい人はしていいんじゃないの。他人様のご夫婦が別姓でも、私は全然困らないし、迷惑でもないし。何で反対するんだろ?不思議。

今の民法では結婚すると新しい家を作るはずなのに、新しい家も夫の姓を名乗ることで、旧来の、うちの家に嫁にもらったという感覚を補強することになっていると思う。


街のインタビューでは女性の「自分のidentyがなくなるようで」という意見が目立ったけど、女性の姓を選択した男性の意見はとうとう見なかった。こちらこそ本当に少数派。みんながみんな割り切ったわけではあるまい。口に出せない分男性の方が辛いかも。

家族の一体感が失われるって思うなら同姓でいいし、反対する人はよそ様のお宅の一体感にまで口出ししなくてもいいと思う。人それぞれ、放っておけばいいんではないでしょうか。

本音はきっと、私はよその家の嫁になって耐えて来たのに、夫の姓も名乗らずに自分勝手で我儘、許せないというものかもしれない。


昔の婦人公論にはよく、跡取り娘で好きな人と結婚できなかったという体験談が載っていた。好きな人が長男で、相手の親も自分の親も反対したとか、そんな話。それも夫婦別姓にすれば解決できるケースもあったのでは?

それに女性が、別れたらまた名前が替わるのも、結婚しなかったらいつまでも元の名前なのも、個人情報が筒抜け、私だったら嫌ですね。

たかが姓一つだけど、別姓も選択できたら、この社会はもっと風通し良く、家族のごたごたも少しは少なくなるかもしれない。

同じ姓がいい人は同じ姓に、違うのがいい人は違う姓に。話は簡単なのに、何で人のことが許せないのかな。不思議。

次の課題は選択的夫婦同性ですかね。これもしたい人はしてもいいんじゃないの?

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ブックカバー、新書版をつくる

2015-12-19 | 機織り

きょうは昼前からブックカバーを三枚仕上げました。

11月から織っていた組織織りで作ります。

表、こんな感じ。クリスマス皿は時節柄。

裏は古い羽裏で。形いろいろ。

敷物も一枚。端はもう少し長ければよかったですね。


やれやれ、初めは単行本サイズのつもりだったけど、織り縮んで新書版に。

次の次くらいでまたブックカバー作るかも。

次は毛糸のマットかな、実母のベッドの足元用に。喜んでもらえるかどうかは不明。ただ単なる押しつけかも。

そしてタータン、タータンで洋服作りたい。無理っぽいけど、言ってみてそれに近付くよう頑張ってみる。スカートなら何とかんなりそう。しかし四枚接ぎにするとして、何センチ幅に織ればいいんだ?

ボーとしてても一日、織っていても一日、孫と遊んも一日、本読んでも一日、片付けても一日、今年も残り少なくなったけど、いい一日を重ねて行きたいと、殊勝なことを考えた。

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被爆体験の継承

2015-12-19 | 戦争反対

http://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20151215-OYTNT50160.html

先日の体験記、読売新聞にも掲載されたとのことで、リンク付けさせてもらいました。

広島の経験をみんなで共有することで、広く、長く継承されたらいいなあと思いました。

私事で恐縮ですが、学生時代の下宿先の奥様も被爆者のようでした。詳しいことは聞きませんでしたが、腕に傷跡があり、夏でも包帯で巻いていたこと、弟さんが建物疎開に出て犠牲になり、今年は法事をしたと塩餡のおはぎだったか、お餅を貰った記憶があります。

その時はそうなんだあと思うだけで、こちらに聞くだけの知識も知恵もなかったようです。

広島にはたくさんの被爆体験が残されていますが、一人一人の体験はその中の一つという軽いものではなく、それぞれの人が、やっと声に出した心の底からの叫びではないでしょうか。

けど、普通に生活している被爆者の人たちは立ち止まって文章にまとめたり、写真集めたりということもなかなかできなかったのではないでしょうか。残されたご家族がきちんと体験記を作るのは、案外されてないように思います。とても意義のあることだと思いました。

今はあまり聞かれなくなりましたが、以前は八月になると、体験話がどこからともなく聞こえてくるのです。電車の中や病院の待合室で、誰言うともなく、囁くように、独り言のように原爆の話がさざ波のように聞こえてくる。そんな経験を何度かしました。まるで、街全体が鎮魂の祈りの言葉で充たされているように思ったものです。

これからますます個人の詳しい被爆体験を聞くことは難しくなっていくでしょう。とても意義のある体験記だと思いました。

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